澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「DHC私は買いません」「デマとヘイトとスラップのDHC製品は買ってはいけない」 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第137弾

本日、東京地裁415号法廷で、私が反訴原告となっているDHCスラップ訴訟(反撃訴訟)の口頭弁論期日が開かれた。多くの方に傍聴いただき、とても心強い思い。ありがとうございます。

閉廷後、傍聴参加者から楽しいタグ(札)をいただいた。防衛省へのデモに参加したら、配布していたものという。ラミネート加工した名刺大。表面に「DHC私は買いません」の文字と、ジュゴンとヤンバルクイナ(であろう)のイラスト。「NO HATE」の添え書きがある。なるほど、「ニュース女子問題」での、DHCへの抗議運動体がつくったのだ。センスがよい。可愛らしい。もちろん、DHCではなく、ジュゴンやクイナがである。

裏面は、英語。I BOYCOTT HATEとあって、DHCの文字が駐禁マークの中に閉じ込められている。こちらのイラストはジュゴンだけ。

私は、DHC商品の不買運動を提唱してきた。ことあるごとに、「DHC商品を買うのはおよしなさい」「デマやヘイト、スラップを常習とする、こんな企業は社会から退場させなければならない」「あなたが、DHCの製品を買えば、その分だけデマやヘイト、スラップを助長することになる」「あなたが、DHC製品の購入をやめれば、その分だけ民主主義や社会正義を助長することになる」と発言し続けている。

DHC商品の不買を言い続けているのは、私だけではなかったのだ。こんなに本気で、DHCのボイコットをしている運動体があることを初めて知った。ネットで検索して、「沖縄への偏見をあおる放送をゆるさない市民有志」という市民団体のようだ。

DHC・吉田嘉明は、デマとヘイトとスラップとで無数に敵を増やしているのだ。デマとヘイトとスラップと、こんなにみごとに三拍子揃えた企業も珍しい。DHCの製品が生活に必要不可欠ということはあり得ない。他社の製品に乗り換えればよいだけのこと。消費者のその選択で、デマとヘイトとスラップを防止することができる。

大いに声をあげよう。「DHC私は買いません」「デマとヘイトとスラップのDHC製品は買ってはいけない」

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次回期日は2018年10月26日(金)午後1時30分~415号法廷。今度はヤマ場を迎える。

本日の法廷では、まず反訴原告(澤藤)側が、準備書面(4)を陳述。新しい証拠として、「『ニュース女子騒動』BPOは正気か」という吉田嘉明のiRONNA(産経のネット・サイト)への投稿記事などを提出した。この吉田の投稿は、産経新聞が「ニュース女子騒動、DHC会長が衝撃の反論手記」と報道したもの。

反訴原告の弁護団長光前弁護士から、人証の申請は、次の4名の予定という説明。
1 反訴原告本人 澤藤統一郎
2 反訴被告本人 吉田 嘉明
3 証人(反訴被告会社顧問弁護士) 今村 憲
4 証人(反訴被告会社総務部法務課)杉谷義一
本件スラップ訴訟提起の動機や提訴規準については、反訴被告本人と顧問弁護士の尋問が不可欠である。また、乙15-1のブログ記事によれば、反訴被告会社総務部法務課の杉谷義一という社員が、反訴被告を批判するブログの削除を要求している。この社員が提訴を担当していたとみられ、経緯を明確にするため証人採用が必要である。本日の反訴原告準備書面への反論の有無を見極めた上で、立証趣旨と尋問事項を確定したい。

これに対して、DHC・吉田嘉明側の代理人から、反論の準備書面を提出したい。との要望があって、最終的に次のスケジュールが決まった。

DHC・吉田嘉明側の反論準備書面提出期限を9月19日、
澤藤側の証拠申出書の提出期限を10月5日、
DHC・吉田嘉明側に証拠採用に反論あれば10月19日、

を各期限として各書面を提出する。

その上で、次回期日は
2018年10月26日(金)午後1時30分~ 415号法廷
となった。

次回には、人証の採否が決まる。事実上の山場になると思われる。

今度は、大事な法廷。皆様、ぜひ傍聴にご参加を。
(2018年8月31日)

憲法と落語(その2) ― 「帯久」にも公正な裁判を受ける権利がある

「帯久」という演目は寄席では聞けない。なにしろ長い噺だ。くすぐりや笑いは殆どない。サゲも面白くない。これを聞かせるのが、話者の力量。

もとは上方噺。米朝が得意としていたという。これを享保年間の江戸の噺に移し替え、名奉行大岡越前の裁きとしたのは圓生(六代目)だという。いま、志の輔や円窓が独演会で演るそうだが、私は圓生百席のCDでしか聞いたことがない。

このCDの語り口が実にみごとで、ついつい聴きほれてしまう。聞き手の心理は、圓生の意図のとおりに操られて、それがまた心地よい。結末の大団円に違和感なく、後味の良さまで感じさせるのが名人芸。だが、ストーリーを反芻してみると、これは実にイヤな噺なのだ。ルールなきお白州の裁き。奉行の思い込みによる強引な訴訟指揮と判決。法にも証拠にも基づかない、およそ公正さを欠いた偏頗な結論なのだ。

この噺、別名を「指政談」という。「政談」とは訴訟を題材にした話のことだが、まさしく本格派政談。刑事事件と民事事件とがごっちゃになったお白州もの。圓生の噺のなかには、「民権のなかった時代のことでございます。原告・被告が砂利の上に控えております」などという描写が出てくる。

なぜ「指」か。自白強要の手段として指への細工が施される。奉行は紙片で帯屋久七の人差し指と中指を結んで糊付けて封印し、「この封印を破れば死罪」と脅して、自白を強要する。その奉行の「知恵」から名付けられた「指政談」。ここが一番イヤなところ。

この噺は、「享保五年の春、日本橋本町四丁目に和泉屋与兵衛という呉服店があり、二丁目には、帯屋久七さんという呉服屋さんがございました。」から始まる。「帯久」とは、帯屋久七という呉服屋。これがスコブル付きのいやな奴、悪玉という設定。対する和泉屋与兵衛が、これ以上はないという善人。

この二人の商売の盛衰と人間関係の葛藤が語られた後に、犯罪が起こる。「火付け」である。現住建造物放火(但し、未遂)の重罪。犯行に及んだのは、悪玉の帯久ではなく善人の与兵衛である。悪玉帯久は火を付けられた被害者の側。「善人」の犯罪をどう裁くか。何ゆえに刑罰が必要か、刑罰の本質とはなにかを考えさせる素材でもある。

火付けの動機に長い話しがある。当初は、和泉屋が繁盛を極め、帯屋は「売れず屋」と異名をとるほどの窮状。帯久は、与兵衛に金を借りに来る。最初は20両。これを返済した後30両、次いで50両、70両と金額は増えるが、与兵衛はいやな顔をせずに無利子で金を貸し、酒肴のもてなしまでする。そして11月、貸金の額は100両となった。

その年の大晦日。帯久は和泉屋に返済金100両を持参する。しかし、忙しい年の瀬、100両の金は与兵衛に見せはするが、与兵衛は受けとる前に座を外し、結局帯久はこれを懐にして帰宅する。この100両、与兵衛は自分の落ち度として、帯久への追求を断念する。

年が明けて享保六年、この二人の運が逆転する。帯久は、浮いた100両を使って売り出しの景品として、繁盛のきっかけをつかむ。一方、与兵衛は娘を失い、妻を亡くし、大火で店を失い、大病を患う。そして10年。与兵衛は零落した身で、帯屋の戸を叩いて、いささかなりともの借金を申し込む。自分を世話している元番頭の商売の元手を都合していただきたいという要請。ここが悪役帯久の見せどころ。にべもなく断るだけでなく、キセルで与兵衛の額を割って表に放り出す。

絶望した与兵衛は、死ぬつもりで帯屋の庭の松の枝ぶりを探しているうちに、普請場の鉋屑が目にとまる。ええい腹いせにと、これに火を付けたが大騒動の始まり。さいわい、火は消し止められるが、与兵衛は取り押さえられる。昔を知る町方は、内々に済ませようとするが、帯久が町奉行に訴え出て、ようやくにお白州の場面となる。事件を語らずして訴訟は語れないのだ。

訴え出たのが帯久だがこれは、被疑者与兵衛に対する火付けの告発のようなもの。火付けの動機についての調べの中で、百両のカネの返済の有無が問題となる。この民事事件に関しては、帯久は被告の立場。

大岡越前は、いたく権高い。エラそうなのだ。再三、帯久に「そちは、100両返したつもりで、実は返し忘れたのであろう」と誘導するが、帯久は断固として否認する。そこで、奉行は「思い出すためのマジナイ」として、右手の指2本を括って封印するのだ。

これでは、箸も持てない。眠れない。帯久は三日目に音を上げて「思い出しました。10年前、確かに100両借りて返し忘れていたに相違ありません」。で、100両返済することになった。だけでなく10年分の利息150両も支払えと命じられる。合計250両のうち、即金での支払いが200両、残額50両については、毎年1両、50年の年賦での支払いと和解成立し、その旨の証文が交わされる。

これで民事事件は終了。その上で、刑事事件の判決言い渡し。「和泉屋与兵衛。その方の火付けの罪軽からず。火あぶりの刑を申しつくる」「但し、刑の執行は奉行が仲立ちした50両の年賦支払いが完了した後とする」で、お開き。なお、このとき与兵衛は61歳という設定。50年先は111歳となる。

民事事件で、裁判官が被告に自白を強要するなどは言語道断。しかも、そのやり方がムチャクチャ。裁判の公正などはない。刑事事件としては、適正手続の観念がない。法治を曲げて、人治の極み。

本来、事実認定は、小さな間接事実を積み上げることで行われる。本件では、問題の大晦日のあとの帯屋の財務状況好転の原因に関心がもたれなければならない。暮れまであれ程苦しかった帯屋の台所が、新春には一転して豊かになった。そのカネの出所の追求が重要。裁きは、事実に謙虚でなくてはならない。

すべての人がもつ人権だが、もともと弱いもの。権力によっても経済力によっても社会的な多数派によっても、容易に傷つけられる。傷ついた人権を救済するのが、裁判の役割である。憲法32条は「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」と定める。ここには、人権の砦としての裁判所が想定されているのだ。「帯久は悪人だから人権はない」などと言ってはならない。火付けの与兵衛ともども公正な裁判を受ける権利が保障されなければならない。

大岡越前は、本来が行政官僚。江戸の治安行政のトップという立場にある。これでは、権力によって傷つけられた人権を救済することはできない。また、裁判の過程で、裁判官が人権侵害をしてはならない。刑罰を定める法も、訴訟手続の法も厳格に守られなければならない。

個別事例の具体的妥当性で、結果オーライとしてはならない。「帯久」がよくできた噺だけに、強くそう思わせられる。
(2018年8月30日)

次回法廷は、明後日金曜日(8月31日)午後1時30分~ 415号法廷で ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第136弾

民事訴訟の弁論期日は淡々と進行する。スリリングなことは起こらない。傍聴して手に汗握る見せ場などはない。それでも、この法廷という空間で国民の権利が具体化する。法の枠の中でのことではあるが、法廷とは国民の権利を増大し伸長させる場である。が、時には切り縮めることもある。本件は、表現の自由や消費者の権利がどうなるかという重要な事案。ぜひ、応援していただきたい。

DHCと吉田嘉明が、私(澤藤)に6000万円を請求したのが「DHCスラップ訴訟」である。いったい何を考えてこんな非常識なムチャクチャをやったのか。吉田嘉明は、自分に対する批判者を威嚇したのだ。恫喝したと言ってもよい。「オレを批判すると面倒なことになるぞ。オレに対する批判はやめておいた方が利口だ」という威嚇である。

民事訴訟とは、自分の権利が侵害されたときにその救済を求めてするものなのだ。権利の救済のための提訴はすべての人に保障された権利である。だが、その権利の行使に藉口して、実は他人の表現の自由を侵害することは許されない。DHCと吉田嘉明はそれをやった。

4年前の春、私は当ブログで吉田嘉明を3度批判した。今読み直してみて、実に真っ当な批判の言論である。吉田嘉明とDHCは、批判されるべきが当然で、私は、自覚ある主権者の一人として、必要でなすべき責務を果たした思いである。

また、私は当時DHCについても、吉田嘉明についても殆ど知るところがなかった。スラップ訴訟を提起されてから、DHC・吉田嘉明のレイシズムやデマの体質も、右翼陣営のスポンサーとしての役割も、少しずつ、知ることになった。4年前の春、当ブログで吉田嘉明を3度批判した当時は、個人的な怨みもなければ、ことさらに痛めつけようという意図など持ちようがなかった。批判の対象とした吉田嘉明の言動についての情報のすべてが、吉田嘉明自身が週刊新潮に発表した「手記」によるものであった。その手記の内容にふさわしい適切な批判をしたものであって、それ以上でも、以下でもない。

私の吉田嘉明に対する批判は「カネで政治を歪めてはならない」という純粋に政治的な言論である。歪められてはならないとしたのは、消費者のための政治であり、消費者行政であった。私は、常に消費者利益擁護の立場に徹しての言論を心がけている。このときもその立場からの立論だった。どこからどう見ようとも真っ当な言論で、違法と言われる筋合いはまったくない。

もとより、政治的・社会的強者は批判を甘受しなければならない。言論の自由とは、強者を批判する権利を意味する。ところが、吉田嘉明には批判甘受の度量がなかった。自分で発表した手記に対する批判がよほど応えたようだ。その結果、過度にうろたえての思慮を欠いた所業が、高額請求の訴訟提起。合計10件のスラップ訴訟の大量提訴だった。普通、こんな勝ち目のない提訴を大量に提訴することは考えられない。弁護士費用や訴訟費用が厖大になるからだ。侵害された権利回復を目的として、こんな濫訴はあり得ない。費用無視、コストパフォーマンス無視のスラップ訴訟なればこその高額請求訴訟の濫発である。自分の権利救済ではなく、批判者を脅かすことが目的なのだ。高額訴訟の提起で脅かせば、へなへなと萎縮して批判を差し控えるだろうと思い込んでのことなのだ。

私に対する「黙れ」という恫喝が、当初は2000万円のスラップ訴訟の提起だった。私が黙らずに、スラップ批判を始めたら、たちまち提訴の賠償請求額が6000万円に跳ね上がった。なんと、理不尽な3倍増である。この経過自体が、言論封殺目的の提訴であることを雄弁に物語っているではないか。

そのスラップ訴訟は私(澤藤)の勝訴で確定したが、DHC・吉田嘉明が意図した、「吉田を批判すると面倒なことになる」「面倒なことに巻き込まれるのはゴメンだ。だから吉田嘉明を刺激せずに批判は差し控えた方が賢い」という社会に蔓延した風潮は払拭されていない。スラップに応訴のための私の出費や労力も補填されてはいない。そこで、今私は、DHC・吉田嘉明を被告として、スラップ提訴が不法行為となるという主張の裁判を闘っている。これが「反撃訴訟」「リベンジ訴訟」などと呼んでいるもの。「反撃」とは、DHCスラップ訴訟の提訴自体が違法であることを理由とした、私からDHC・吉田嘉明に対する660万円の損害賠償請求。係属部は、東京地裁民事第1部合議係。

その「反撃訴訟」の次回口頭弁論期日が、明後日金曜日(8月31日)午後1時30分から、東京地裁415号法廷で開かれる。ぜひ傍聴いただきたい。

次回閉廷後には、いつものとおり、短時間だが資料も配布して弁護団からの経過説明や意見交換をしたいと思う。公開の法廷は、だれでも、なんの手続も不要で傍聴できる。報告集会への参加も自由。よろしくお願いします。

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ところで、私はDHCに対する責任追及の訴訟を継続しているだけでなく、DHC商品の不買運動を提唱している。ことあるごとに、「DHC商品を買うのはおよしなさい」「デマやヘイト、スラップを常習とするような企業は社会から退場させなければならない」「あなたが、DHCの製品を買えば、その分だけデマやヘイト、スラップを助長することになる」「あなたが、DHC製品の購入をやめれば、その分だけ民主主義や社会正義を助長することになる」と発言し続けている。

私の弁護士としての活動の大きなテーマの一つが、消費者利益の擁護である。弁護士の仕事としての個別事件としての消費者被害救済の重要性はいうまでもないが、弁護士会活動の、あるいは消費者問題に取り組む弁護士集団の課題は、消費者主権の確立にある。

消費市場における消費者とは、実は労働者であり、勤労市民であり、中小業者であり、年金生活者であり、学生・児童などなど…。生活者としての国民にほかならない。その生活者が、自覚的な消費者として市場における賢い行動によって、よりよい社会を築くことができるのではないか。これが「消費者主権」の基本的な考え方。

宣伝に操られて少しでも安いものを求める受動的な消費者から一歩抜け出て、自らの消費行動における選択が社会の持続性や平和や民主主義にどう関わるかということを考える「賢い消費者」となろう、という運動の提唱でもある。

まさしくDHCこそが、典型的な「賢い消費者が排斥すべき企業」であり、「賢い消費者が買ってはならない商品を販売している企業」である。ヘイトやスラップを事として恥じない企業には、賢い自覚的な消費者の選択によって、社会から退場してもらわねばならない。

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消費者主権の考え方が、世に浸透してくると、賢い消費者をターゲットにした市場戦略を練る企業が現れる。そのような企業のなかでカタログハウスに注目したい。あの「通販生活」誌で有名な通販業者。取り扱い商品として、食品もあれば化粧品もある。DHCと競合している部門に焦点を当てたい。

この会社のホームページでは、自らの企業思想を「下を向いて歩こう」と表現している。「下」とは地べたのこと、有限な地球環境を意味している。地球環境の持続可能性を第一義とし、その持続を可能とする企業であることが謳われている。

同じことが、「20世紀型経済成長論の破綻」とも表現されている。つまりは、「消費増加は善」ではないというのだ。「消費増加⇒生産増加⇒雇用増加⇒貧困解消」というサイクルを良しとする抜きがたい発想への深刻な疑問である。「ビジネス満足」と「地球満足」とは対立するものととらえられ、『どれだけ消費すれば満足なのか』(アラン・ダーニング1996)が紹介されている。この書物は、「地球は「消費」に耐えられるか。環境と公正と文化の視点からの消費社会論」「過剰消費が環境を危機に追いやっている。消費をエコロジーの観点から問い直し、真の充足を得る脱消費型ライフスタイルを探る」というキャッチコピーで売り出されているもの。こんな書物をホームページに掲げるのだから、そもそも、「売らんかな」の精神に乏しい。「売れれば売れるほど、儲かるからよし」ではないのだ。

この基本姿勢で、この企業は幾つかの「憲法」をもっている。まずは、2018年版カタログハウスの「商品憲法」というもの。
第1条 できるだけ、「地球と生物に迷惑をかけない商品」を販売していく。
第2条 できるだけ、「永持ちする商品」「いつでも修理できる商品」を販売していく。
第3条 できるだけ、「寿命が尽きた商品」は回収して再資源化していく。
第4条 できるだけ、「ゴミとCO2 を出さない会社」にしていく。
第5条 できるだけ、「メイド・イン・ジャパン」の買い物で雇用を増やしたい。
第6条 大型家具は「震度6強」テストを受けて倒れにくかったものにかぎり販売していく。
第9条 できるだけ、核ミサイル、原子力潜水艦、戦闘機、戦車、大砲、銃器のたぐいは販売しない。

さらに、「食品憲法」というものもある。
第1条 「自然の食材だけでつくった食品」以外は売りません。
第2条 にがり、かんすいのような「伝統的添加物」および珊瑚カルシウムのような「天然由来添加物」以外の食品添加物を使った食品は売りません。
第3条 農薬の使用実態や残留量を調べて、はっきりしない食品は売りません。
第4条 放射性物質(セシウム134/137)は国の基準(100ベクレル/キロ)よりも厳しい小社基準(20ベクレル/キロ)を定めて、これを超えている食品は売りません。
第5条 食品の廃棄ロスをできるだけ減らすために、賞味期限が6ヵ月以上残っている食品は出荷します。

その下位法に当たるのであろう「「食品」の売らないルール」という具体的規則もある。
1.食品添加物を添加した食品は売らない。
2.主要原料に遺伝子組み換え作物を使用した食品は売らない。
3.主要原料に農薬の使用実態や残留が不明な農作物を使用した食品は売らない。
4.輸入牛やそれらを由来とする素材を使用した食品は売らない。
5.主要原料に抗生物質など、薬品類の使用実態や残留が不明な畜産物・海産物を使用した食品は売らない。
6.食品に触れる包装材に塩化ビニル、ポリカーボネート、エポキシ樹脂が使われているものは売らない。
7.製造工程と生産管理体制(金属検出の対策など)の確認ができない食品は売らない。
8.放射能残留検査で「小社基準」を上回った食品は売らない。

「化粧品憲法」は次のとおり。
第1条 【トレーサビリティ】全ての成分について、由来原料と主要産地を公開しています。
第2条 【敏感肌成分基準】石油由来成分やシリコーン、紫外線吸収剤は原則、使っていません。肌負担につながる成分は極力避けています。
第3条 【安心仕様ルール】敏感肌の人でも安心して試せます。1ヵ月使ってみて肌に合わなかったときは全額返金します。
第4条 【6人の専門家チェック】6人の専門家たちのチェックに合格しない商品は販売しません。

「化粧品」の売らないルール
1.石油由来成分(界面活性剤、色素、香料)を使用しているものは売らない。
2.旧表示指定成分を使用しているものは売らない。
3.紫外線吸収剤を使用しているものは売らない。
4.光毒性のリスクある成分を使用しているものは売らない。
5.シリコーンを使用しているものは売らない。
6.牛由来成分、ホルモン類を使用しているものは売らない。
7.放射線量測定で厚生労働省の「乳幼児食品の安全基準」を超えるものは売らない。
8.ヒトパッチテストによる皮膚刺激性試験で、肌への刺激が極力弱いことが確認できないものは売らない。
9.目に入りやすい化粧品は動物を使わない眼刺激試験で、「無刺激性」または「軽度刺激性」と確認できないものは売らない。
10.6名の専門家による商品チェックに合格しない商品は売らない。

これと対極にあるものが、話題になった「電通十訓」。これこそ、企業の本音。経営体が、資本主義の荒波を乗り切るための体消費者基本戦略である。

 1 もっと使わせろ
 2 捨てさせろ
 3 無駄使いさせろ
 4 季節を忘れさせろ
 5 贈り物をさせろ
 6 組み合わせで買わせろ
 7 きっかけを投じろ
 8 流行遅れにさせろ
 9 気安く買わせろ
10 混乱をつくり出せ

体系的な整序がイマイチだが、要は、「消費者には無駄使いさせても、使える物を捨てさせてでも、少しでも多く物を買わせろ」「不要なものでも、欺してでも、消費者に物を買わせろ」という鉄則である。この姿勢なくしては、企業が消費市場で生き残れない。しかし、この「ビジネス満足」は、大きな「地球不満足」を招いて、地球環境の持続性を失わしめることになる。

この「十訓」は、褒められたものではないが、違法とまでは言い難く、経営者の本音であって外的強制なくしてこれを捨てさせることは難しい。当面は賢い消費者の行動を通じての批判を高めるしかない。

強調すべきは、隠れた、禁じ手としての「第11訓」があることだ。これに手を染めれば、違法となり、悪徳といわれる。

11 政治家を利用しろ。政治家に金を渡せ。もちろん禁じ手だから慎重に裏金として。額は多ければ多いほどよい。できれば8億円ほども。その金は生きてくる。いずれは自分の会社の事業を規制する官庁の規制を緩和し、さらには規制そのものを撤廃する企業の自由第一の政治の実現にもつながる。そのために、政治家に渡す金を惜しんではならない。

吉田嘉明が渡辺喜美に8億円を渡したのは、この「第11訓 」の実践である。繰り返そう。「DHC商品を買うのはおよしなさい」「デマやヘイト、スラップを常習とするような企業は社会から退場させなければならない」「あなたが、DHCの製品を買えば、その分だけデマやヘイト、スラップを助長することになる」「あなたが、DHC製品の購入をやめれば、その分だけ民主主義や社会正義を助長することになる」。そして、「カネにまみれた汚い政治を一掃したければ、DHC商品を買うのはおよしなさい」。
(2018年8月29日)

あと三年、アベ・シンゾーでご辛抱ください。

おなじみアベ・シンゾーが、毎度おさわがせいたします。このたび、自民党総裁選への出馬を正式に表明いたしました。私自身のため、妻アキエのため、腹心の友のため、そして大臣をやりたい仲間たちのためでございます。どうぞ皆様、あと3年のご辛抱をお願いいたします。

思えば、昨年の衆院選を「国難選挙」と名付けて、北朝鮮のお陰をもって国民の皆様の支持を大きく掠めとったのが私の手柄。あれが、わずか11カ月前のこと。すっかり国際情勢は変わってしまいましたが、せっかく底上げの議席を頂戴しているうちに、国民の反対の強い政策をやってのけるのが、私の責任であり使命である。そう自覚しております。

来年には皇位継承や20カ国・地域(G20)首脳会議、再来年には東京五輪・パラリンピックなどが控えておりまして、だからどうしたとも言われそうですが、ここは大仰に「日本は大きな歴史の転換点を迎える」ナンチャッテ。我ながら少々恥ずかしいのですが、意味のないことを意味ありげに申し上げるのが私の得意とするところ。平成の先の、まだ元号の定まっていない時代に向けて、新たな国造りを進めていく。その先頭に立つ決意でございます。「新たな国造り」って、なにいつもの枕詞ですから、中身の穿鑿はご無用に願います。

考えていることは、皇位継承の儀式において、私の強固な支持基盤である右翼の皆様の喜ぶパフォーマンスとして、「テンノーヘイカ・バンザイ」を何度でも繰り返してお見せしなければなりませんし、オリパラは国威発揚の千載一遇のチャンスではありませんか。強化費をはずんで、好成績者にはボーナスつけて、私の出番を多くしなければと策を練っているところでございます。

6年前の総裁選に出馬したときのあの高揚した志、大日本帝国と大日本帝国憲法を取り戻すとのお約束にはいささかの揺らぎもありません。政治的には天皇を中心とした国家の和の精神を確立し、軍事的にはアメリカに身を寄せつつも近隣諸国に対する威嚇として十分な装備と編成を整備し、経済的には大企業が何の制約もなく自由な経済活動ができるような基盤を整えること。これまでもやってきたところではありますが、今後とも国民の抵抗を排して断固やり抜く決意でございます。

なかでも大切なのは、一刻も早く遅れている辺野古新基地建設を完成し、イージスアショア建設に着手し、全国にオスプレイを配備することです。これまでは、北朝鮮情勢緊迫と国民を煽ることでことを運んでまいりましたが、どうも半島情勢が私の思惑に反して、下手をすると南北融和、朝鮮半島非核化、北東アジアに平和が訪れるなどとなりかねません。ですから、それまでにことは緊急を要します。早いうちに、基地建設も、オスプレイ配備も済ませて、臨戦態勢を整えなければなりません。それができるのは私だけのこと。

政治にしても、経済政策にしても、沖縄問題にしても、「強きを助け、弱きを挫く」という私の志を貫くには、なまなかな気力体力ではなしがたいところではございますが、幸か不幸か、気力体力十二分であるとの主観的確信に至った以上、万難を排して不人気な政策遂行の責任を果たしていかねばなりません。

総裁選の争点や論戦のありかたについてのご質問ですが、私も政治家ですから、不利なことはけっしてやりません。とりわけ、政治姿勢の問題については、なんにつけても、「これから国民の皆様には丁寧に説明を尽くしてまいる所存でございます」と言ってその場を凌いでいけば、アッという間に3年くらいはやり過ごせる。というのが私の体験に基づく自信であります。

また、石破さんは「正直、公正」をスローガンに出馬表明をしましたが、それはアンフェア。まるで私アベ・シンゾーが、「不正直、不公正」で、政治や行政を私物化していると言わんばかりではありませんか。だれが見てもその批判が当たっているだけに、そんなことを言っていけない。真実を衝くのは、総裁選ではタブーなのです。その辺の掟は、石破さんも最近は多少分かってこられたようでけっこうなことでございます。お互い自民党員同士ではありませんか。総裁選で、本気になってお互いの傷を暴き合うような愚は避けるべきが当然と考えております。

政策論争ですか。そんなことをしたら、日本の総理大臣がまともな討論能力をもっていないという国家秘密が天下に明かにされてしまうではありませんか。それは、国益に反します。石破さんは、政策別の討論会開催を要求していますが、これに応じることが私にとって得策なはずはなく、応じることはできません。不利が分かりきっているのに受けて立つほど私はバカではないつもりです。

えっ? どうして第一声では憲法改正について触れなかったのかというご質問。これもですね、改憲を叫んで有利になるなら叫びます。いま改憲を訴えることは、必ずしも総裁選に有利にならない。むしろ、ダンマリを決めこむ方が得策で、私の立場が安泰となったところでバサッとやってしまおうというのが、バカではない私の基本作戦。しかし、私はけっして改憲をあきらめることができない立場です。だから、その後身内の集会では、率直に改憲を訴えていますよ。時と所によって、何枚でも舌を取り替えるのが私のやり方。みなさま、ご協力をよろしく。

さて、総裁選への協力・非協力を見極めての選挙後の露骨な論功行賞が私の手口。勝負はもう見えていますから、事実上は消化試合。それでも、「これから、国民にはさておき、自民党の皆様には丁寧に説明を尽くしてまいる所存でございます」。
(2018年8月28日)

そりゃオカシイ ― 「大嘗祭は宗教行事だが重要な儀式だから公費支出を認める」って?

来年(2019年)、現天皇(明仁)がその職を辞して、長男(徳仁)がその地位を承継する。次期天皇の就任は2019年5月1日と予定され、その後一連の代替わり儀式が行われる。天皇がかつて宗教的権威を体現する者とされていたため、伝統に基づく代替わり儀式に固執するとなれば、どうしても宗教性を帯びることになり、憲法に抵触することになる。その最たるものが、11月に予定されている大嘗祭にほかならない。

その大嘗祭に関して、一昨日(8月25日)の毎日新聞朝刊に、目立つ大きな記事。「大嘗祭『公費支出避けるべきでは』秋篠宮さまが懸念」の見出しで、以下の内容。他紙に後追いのないことも含めて、これは興味深い。

来年5月に即位する新天皇が五穀豊穣を祈る皇室の行事「大嘗祭(だいじょうさい)」について、秋篠宮さまが「皇室祭祀に公費を支出することは避けるべきではないか」との懸念を宮内庁幹部に伝えられていることが関係者への取材で判明した。大嘗祭は来年11月14日から15日にかけて皇居・東御苑での開催が想定されている。政府は来年度予算案に費用を盛り込む。

 宗教色が強い大嘗祭に公費を支出することには、憲法で定める政教分離原則に反するとの指摘がある。政府は今年3月に決定した皇位継承の儀式に関する基本方針で、「宗教的性格を有することは否定できない」としながらも、「皇位が世襲であることに伴う重要儀式で公的性格がある」と位置付けた。費用は平成の代替わりの際と同様、皇室行事として公費である皇室の宮廷費から支出する。

 平成の大嘗祭では、中心的な行事「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」の祭場建設のための約14億円を含めて費用は総額約22億5000万円に上った。関係者によると、同程度の儀式を行った場合、物価の変動などを考慮すると、費用は大幅に増える可能性がある

通常の皇室祭祀は、天皇、皇后両陛下と皇太子ご一家の私的生活費である内廷費で賄われる。これに対して、皇室の公的活動は宮廷費から支出される。政府は大嘗祭について宮廷費で予算措置を講じる方針だが、秋篠宮さまは宮内庁幹部に対して多額の宮廷費が使われることへの懸念を示したうえで「内廷費で挙行できる規模にできないだろうか」とも話しているという。今年度の内廷費は3億2400万円だった。

 秋篠宮さまは、新天皇が即位すると、皇位継承順位第1位の皇嗣となる。同庁幹部は秋篠宮さまの懸念について、毎日新聞の取材に「承知していない」としている。

 皇室祭祀などに詳しい宗教学者の島薗進・上智大学教授は「皇嗣となる方の素直な意見として歓迎したい。大嘗祭に公的な費用が使われることは、国の宗教的な活動を禁じる憲法20条に抵触する恐れがあり、本来好ましくない。政府は多様な意見を踏まえて、慎重に皇位継承儀式を進めてほしい」と話している。

島薗教授のいうとおりだ。真面目にものを考えようという人で、この意見に反対は考えられない。ただ、話者によってニュアンスの違いは避けられない。私なら、「大嘗祭に公的な費用が使われることは、国の宗教的な活動を禁じる憲法20条に抵触する恐れが強く当然に避けるべきだ。政府は違憲の恐れの指摘を無視して、敢えて公的費用を投じての大嘗祭を強行すべきではない」と言いたいところ。

ところで、大嘗祭は秘儀とされ、その内容には諸説ある。これを政府はどう説明しようとしているか。本年(2018年)4月3日、政府は「大嘗祭の挙行については、『「即位の礼」・大嘗祭の挙行等について』(平成元年12月21日閣議口頭了解)における整理を踏襲し、今後、宮内庁において、遺漏のないよう準備を進めるものとする。」と閣議口頭了解している。

日本国憲法施行以来天皇代替わりは1回しかない。その際の「「即位の礼」・大嘗祭の挙行等について」1989(平成元年)年12月21日閣議口頭了解における整理とは以下のとおりである。

大嘗祭の意義
大嘗祭は、稲作農業を中心とした我が国の社会に古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたものであり、天皇が即位の後、初めて、大嘗宮において、新穀を皇祖及び天神地祇にお供えになって、みずからお召し上がりになり、皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式である。それは、皇位の継承があったときは、必ず挙行すべきものとされ、皇室の長い伝統を受け継いだ、皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式である。

儀式の位置付け及びその費用
大嘗祭は、前記のとおり、収穫儀礼に根ざしたものであり、伝統的皇位継承儀式という性格を持つものであるが、その中核は、天皇が皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式であり、この趣旨・形式等からして、宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは否定することができず、また、その態様においても、国がその内容に立ち入ることにはなじまない性格の儀式であるから、大嘗祭を国事行為として行うことは困難であると考える。

次に、大嘗祭を皇室の行事として行う場合、大嘗祭は、前記のとおり、皇位が世襲であることに伴う、一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式であるから、皇位の世襲制をとる我が国の憲法の下においては、その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然と考えられる。その意味において、大嘗祭は、公的性格があり、大嘗祭の費用を宮廷費から支出することが相当であると考える。

以上の政府説明を要約するとこういうことになる。
(1)大嘗祭の宗教的性格は否定しがたい。
(2)しかし、一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式として公的性格がある。
(3)だから、大嘗祭の費用を宮廷費から支出することが相当だ。

そりゃオカシイ。無理だろう。こんな屁理屈を認めると、際限なく天皇の行為の公的性格が広がる。憲法は、政府がこんな無茶を言い出さないように、国事行為を限定し、政教分離規定を置いたのだ。大嘗祭に宗教的性格が認められる以上は、公的な性格のものとしてはならない。公的性格の範囲をズブズブにして公的支出を認めてはならない。政教分離の実効性がここで問われているのだ。

どうしても大嘗祭をやりたければ、天皇家の私的な行事として、内廷費でやればよいだけのことだ。どこの家庭の行事も同じこと、財布の許す範囲でやりくりすればよい。あきらかに、秋篠宮の言い分の方が真っ当だ。案外、手強い人が皇族の中にもいる。
(2018年8月27日)

創価学会にお願いしたい。安倍政権の政教分離原則違反行為に、「謗法厳誡」の立場から、もっと厳格な対応をしていただきたい。

「聖教新聞」とは、言わずと知れた創価学会の機関紙。その一昨日(8月24日)の紙面に次の記事が掲載されたという。これは、興味津々。

「創価学会の名称を騙った提灯献灯 警視庁に告訴申し立て」
 創価学会は靖国神社主催の「みたままつり」(7月13~16日)において、学会を勝手に騙り、「創価学会」の名称入りの大型提灯を陳列させた氏名不詳者を23日、偽計業務妨害罪及び名誉毀損罪で、警視庁(麹町警察署)に告訴の申し立てを行った。
 提灯を献灯するためには同神社に所定の費用を支払う必要があるが、学会は献灯の申し込みなど一切行っていない。にもかかわらず、「みたままつり」で学会の名称が入った大型提灯が陳列されたため、これを見た関係各方面から学会に問い合わせがあり、日常の法人及び宗教業務が妨害された。
 また告訴状では、学会の名称入り提灯が陳列されることは、「謗法厳誡」を旨とする学会が謗法を容認したとの印象を与えるものであり、学会の名誉を毀損すると指摘。悪質な犯罪行為の再発防止のため、厳重な捜査と、被告訴人に対する厳重な処罰を求めている。

靖国神社の恒例行事である「みたままつり」とは、靖国神社自身の説明によれば、下記のようなもの。
 東京のお盆時期に当たる7月13日から16日までの4日間行われる みたままつりは、英霊をお慰めする行事として昭和22年に始まり、ご遺族・戦友・崇敬者の方々から献納いただいた大小約3万灯の献灯が掲げられます。
 みたままつり の趣旨をご理解いただき、御祭神奉慰(ほうい)顕彰(けんしょう)のため献灯下さいますようお願い申し上げます。
  大型献灯:1灯 12,000円
  小型献灯:1灯  3,000円

千代田区観光協会はこう紹介している。「日本古来のお盆にあたる、7月13日から16日までの4日間、国のために尊い命を捧げられた英霊を慰める行事として、昭和22年(1947年)に始まり、毎年開催されてます。」

こういう説明を読んでも、ご理解いただきたいとされる「みたままつり の趣旨」はよく分からない。「お盆の時期に、英霊をお慰めする」行事という理解で十分ということなのだろうか。仏教行事であるお盆(盂蘭盆会)と神道の関係はどうなっているのか、英霊は六道を輪廻しているのか、本来国家が管理するとされていた死者の魂が盆のあいだだけは家族のもとに帰るということなのか。そんなことはどうでもよいのか。

靖国神社は、天皇制政府によって創建された軍国神社である。戦争神社と言ってもよい。古い歴史を持つでははなく、伝統というほどのものもない。天皇や陸海軍との一体性がアイデンティテイ。みたままつりはさらに新しく戦後にできたもの。民族の歴史とか、民族の伝統から生まれたものではなく、神社にふさわしい行事とも言えない。この神社に教義というほどのものがあるわけではなく融通無碍であることが強みなのだ。いまは、「A級戦犯の分祀は教義上できない」と言っているが、状況変わればどうにでもなるのだ。

今年(2018年)の「みたままつり」に、「創価学会」の大型提灯が献灯されていたことは、ネットで話題となっていた。提灯に書かれた献灯者の名義は「創価学会」であって、中間機関名や地方組織名の記載はない。

てっきり、「創価学会も角が取れて丸くなったものだ」「自公連立政権をやっていける仲なのだ。創価学会も自民党におもねらざるをえないのか」などと思っていた。しかし、どうもそうではないらしい。誰かが12000円を支払って、「創価学会」の提灯を献納した。それが、創価学会にとっては、偽計業務妨害にもなり、名誉を毀損する行為でもあるというのだ。

創価学会名義の献灯は、見ようによっては、「創価学会が、国のために尊い命を捧げられた英霊を慰める」という立派な行為をしたようでもある。が、これは創価学会にとっては告訴せざるを得ない悪質な犯罪行為なのだという。それを理解するには、「謗法厳誡」という学会信者に課せられたタブーを知らねばならない。

「謗法」(「ほうぼう」とも「ぼうほう」とも読むようだ)とは、「法」すなわち日蓮聖人の正しい教えを「謗(そし)る」こと。ケチをつけることだ。四箇格言という日蓮の他宗派批判がある。「真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊」という苛烈なもの。この厳格な他宗批判の伝統墨守こそが創価学会の本領であって、他宗批判に緩みを見せることは、あってはならない「謗法の容認」なのだ。「国のために尊い命を捧げられた英霊を慰める」ためとした提灯の献灯などは、他宗教の考え方で創価学会員としてあるまじき行為。あたかも創価学会が、「英霊を慰める」行為をやっているような「騙り(かたり)」は絶対に許せない。だから、厳重な捜査と、氏名不詳の犯人に対する厳重な処罰を求めているというのだ。

であるならば、安倍晋三やその一統の、靖国参拝や伊勢神宮参拝あるいは玉串料や真榊奉納などという政教分離原則違反の違憲行為に対して、創価学会には「謗法厳誡」の立場からもっと敏感に厳格な対応をしてもらいたい。安倍の所業は、提灯一個の献灯どころの生易しいものではない。その悪質な違憲行為の黙認は、自公連立優先の思惑から、創価学会が謗法を容認したとの印象を与えるものであり、学会の名誉を毀損することにもなりかねない。ぜひとも、悪質な政教分離違反行為の再発防止のため、厳重な抗議をお願いしたい。

(2018年8月26日)

次の天皇の即位の礼は、国民主権にふさわしい式次第とせよ

昭和天皇と諡された裕仁の死去が、1989年1月7日。即時に現天皇(明仁)がその地位を承継した。「(旧)国王は死んだ。(新)国王万歳!」というわけだ。法的には、天皇の死だけが皇位承継の要件である。法的には、天皇という公職に就いていた公務員が死亡し、その地位を襲うことが予め定められていた候補者が、就位したというだけのこと。

しかし、憲法には規定のない代替わり儀式が麗々しく行われた。儀式は多様ではあるが、大きくは二種類。その一つは、天皇という公務員職を引き継ぐことのお披露目の儀式。謂わば俗の儀式。皇室典範24条が「皇位の継承があつたときは、即位の礼を行う」と言っている「即位の礼」に当たるもの。もう一つが、「天皇としての霊力の承継」という神秘的な宗教行事である。謂わば聖の儀式。秘儀とされる「大嘗祭」を中心とするもの。天皇制とは、この聖と俗とが分かちがたく結びついているからことが面倒となる。本日取りあげるのは、俗の儀式である「即位の礼」についてだけ。

現天皇(明仁)の「即位の礼」は、大袈裟でもったいぶった儀式だった。いい齢をした大人たちが、恥ずかしげもなく、なんと大仰なことを。

王にせよ、天皇にせよ、その役割は被治者に対する虚仮威しにある。生身の人間にはない権威や血統の神聖への信仰に支えられた虚仮威しによって、国民を恐れ入らせ、権威主義的に統合することで、時の政権の政治支配に奉仕する。人間宣言した以後の天皇も同様である。むしろ、政治権力から切り離された天皇は、その機能を純化していると言えよう。

とりわけその代替わりの際には、天皇は、宗教的権威や文化的道徳的権威、あるいは万世一系という神話的な演出の要請に応えなければならない。俗の儀式といえども、虚仮威しの効果十分なものでなくてはならない。だが、これは普遍性を持たない。天皇の権威や神聖を認めないものの目から見れば滑稽な儀式における滑稽な所作となるだけのこと。

その滑稽の極みが、1990年11月12日「即位礼正殿の儀」であった。国事行為として行われたその式次第は、下記のような「今の世に信じがたい」ものだった。
 1.天皇が高御座に昇る。
 2.皇后が御帳台に昇る。
 3.参列者が鉦の合図により起立する。
 4.参列者が鼓の合図により敬礼する。
 5.内閣総理大臣が御前に参進する。
 6.天皇の「おことば」がある。
 7.内閣総理大臣が寿詞を述べる。
 8.内閣総理大臣が即位を祝して万歳を三唱する。参列者が唱和する。
 9.内閣総理大臣が所定の位置に戻る。
 10.参列者が鉦の合図により着席する。

この式次第、日本国憲法下に正気の沙汰とは思えない。天皇が高御座(たかみくら)に昇って、総理大臣以下の群臣を見下ろす。群臣は起立して「敬礼」させられるのだ。天皇は上から、「おことば」を述べ、内閣総理大臣が御前に参進し、天皇を仰ぎ見て「テンノーヘイカ・バンザイ」を三唱した。よくもまあ、恥ずかしげもなくこんな愚行をやったのは海部俊樹という当時の総理大臣。彼の名はこの一事で歴史に残るだろう。なるほど、この日のために、「大臣」という語彙が残されているのだ。

昭和天皇(裕仁)の侍従だった故小林忍の日記が公開されて話題となっている。共同通信の第一報が、「細く長く生きても仕方がない。戦争責任のことをいわれる」(産経見出し)という記事だった。第二報が、現天皇の「即位礼正殿の儀」について、「ちぐはぐな舞台装置」「新憲法下初めてのことだけに今後の先例になることを恐れる」と当時の政府対応を批判する見解を日記に記していた、と共同通信が配信している。

「日記は政教分離の在り方に直接触れていないが、小林氏本人が参列した儀式の所作や内容について、費用も含めて手厳しい意見を記している。」「戦後初めて行われた即位の礼は、政教分離を巡り違憲論議も起きた。政府は宗教色を抑えようと配慮したが、一貫性がないとして宮内庁内に不満があったことがうかがえる。」「政府は、来年十月に予定されている新天皇の「即位礼正殿の儀」も基本的に前例踏襲とする方針で、今回明らかになった小林氏の見解が一石を投じる可能性もある。」という以上の記事だけでは、小林忍が何をどう不満を持ったのか、分からない。

小林が問題としたのは、具体的には以下の2点のようである。
第1点 「陛下が儀式の際に立った高御座(たかみくら)に、三種の神器の剣と勾玉(まがたま)に加え、宗教色を抑えるために国の印の国璽(こくじ)と天皇の印の御璽(ぎょじ)を目立つ位置に置いたことに言及。内閣法制局の幹部が『細かなくちばしを入れてきた』と不快感を示し『持ち込めば十分であって、目立たない所に置くと(中略)目的が達成されないというのだろうが、何と小心なることか』と私見をつづっている。」

これは、宮内庁の愚痴に過ぎない。内閣法制局は「即位礼正殿の儀」から、できるだけ宗教色を薄めることで、政教分離違反という批判を免れようと腐心したのだ。高御座も三種の神器も天皇夫妻の服装も、宗教的色彩夥しい。せめてここに、宗教的色彩の希薄な国璽と御璽を目立つように配置しようとしたのだ。宮内庁側は、これを姑息として不満を表明している。これが、天皇や側近たちの本音なのだろう。来年(2019年)10月とされる、新天皇代替わり儀式に注目せざるを得ない。

第2点 「両陛下や皇族、出席した宮内庁職員の多くが古風な装束を身にまとっていたのに対し、宮殿のデザインや当時の海部俊樹首相ら三権の長がえんび服だったことを「現代調」と表現。「全くちぐはぐな舞台装置の中で演ぜられた古風な式典」と皮肉り、全員が三権の長らと同じ洋装にすれば「数十億円の費用をかけることもなくて終る」と指摘している。

全員洋装で揃えりゃいいじゃないか、という趣旨のよう。たしかに、「両陛下や皇族、出席した宮内庁職員の多くが古風な装束」は、滑稽と言うほかはない。これを全員洋装で揃えることに反対はなかろう。当たり前のことだが、私服でよい。「数十億円の費用をかける」必要はさらさらない。

費用もさることながら、国民主権原理にふさわしい即位の礼でなくてはならない。
来年の10月だれが首相であるにせよ、衆人環視の中で、酔余の所業というでもなく、「テンノーヘイカ・バンザイ」はやめてもらいたい。
(2018年8月25日)

次回法廷は、来週金曜日(8月31日)午後1時30分~ 415号法廷で ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第135弾

DHCと吉田嘉明が、私(澤藤)に6000万円を請求したのが「DHCスラップ訴訟」。いま、その訴訟に続く「反撃訴訟」が東京地裁で継続中である。「反撃」とは、DHCスラップ訴訟の提訴自体が違法であることを理由とした、私からDHC・吉田嘉明に対する660万円の損害賠償請求。その訴訟の次回口頭弁論期日が、来週金曜日(8月31日)午後1時30分から、東京地裁415号法廷で開かれる。傍聴いただけたらありがたい。

4年前の春、私は当ブログで吉田嘉明を3度批判した。もちろん、その批判は正当な理由をもったもの。また、私は当時DHCについても、吉田嘉明についても殆ど知るところはなかった。DHC・吉田嘉明のレイシズムや右翼的な役割も不明にして知らなかった。個人的な怨みなど持ちようがない事態で、批判の対象とした吉田嘉明の言動の情報源のすべてが、吉田嘉明自身が週刊新潮に発表した「手記」であった。私の批判は「カネで政治を歪めてはならない」という純粋に政治的な言論で、消費者利益擁護の立場からのものだった。どこからどう見ようとも真っ当な言論で、違法と言われる筋合いはない。

もとより、政治的・社会的強者は批判を甘受しなければならない。言論の自由とは、強者を批判する権利を意味する。ところが、吉田嘉明には批判甘受の度量がなかった。自分で発表した手記に対する批判がよほど応えたようだ。その結果の、うろたえての所業が、高額請求の訴訟提起。合計10件のスラップ訴訟の大量生産。高額請求訴訟で脅かせば、へなへなと萎縮して批判を差し控えるだろうと思い込んだのだ。

私に対する「黙れ」という恫喝が、当初は2000万円のスラップ訴訟の提起だった。私が黙らずに、スラップ批判を始めたら、たちまち提訴の賠償請求額が6000万円に跳ね上がった。なんと、理不尽な3倍増である。この経過自体が、言論封殺目的の提訴であることを雄弁に物語っているではないか。

そのスラップ訴訟は私(澤藤)の勝訴で確定したが、DHC・吉田嘉明が意図した、「吉田を批判すると面倒なことになる」「面倒なことに巻き込まれるのはゴメンだ。だから吉田嘉明を刺激せずに批判は差し控えた方が賢い」という社会に蔓延した風潮は払拭されていない。スラップに応訴のための私の出費や労力も補填されてはいない。そこで、今私は、DHC・吉田嘉明を被告として、スラップ提訴が不法行為となるという主張の裁判を闘っている。これが「反撃訴訟」「リベンジ訴訟」などと呼んでいるもの。係属部は、東京地裁民事第1部合議係。

次回閉廷後には、いつものとおり、短時間だが資料も配布して弁護団からの経過説明や意見交換をしたいと思う。公開の法廷は、だれでも、なんの手続も不要で傍聴できる。報告集会への参加も自由。よろしくお願いします。

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ところで、私はDHCに対する責任追及の訴訟を継続しているだけでなく、DHC商品の不買運動を提唱している。ことあるごとに、「DHC商品を買うのはおよしなさい」「デマやヘイト、スラップを常習とするような企業は社会から退場させなければならない」と発言し続けている。

私の弁護士としての活動の大きなテーマの一つが、消費者利益の擁護である。弁護士の仕事としての個別事件としての消費者被害救済の重要性はいうまでもないが、弁護士会活動の、あるいは消費者問題に取り組む弁護士集団の課題は、消費者主権の確立にある。

消費市場における消費者とは、実は労働者であり、勤労市民であり、中小業者であり、年金生活者であり、学生・児童などなど…。生活者としての国民にほかならない。その生活者が、自覚的な消費者として市場における賢い行動によって、よりよい社会を築くことができるのではないか。これが「消費者主権」の基本的な考え方。

宣伝に操られて少しでも安いものを求める受動的な消費者から一歩抜け出て、自らの消費行動における選択が社会の持続性や平和や民主主義にどう関わるかということを考える「賢い消費者」となろう、という運動の提唱でもある。

まさしくDHCこそが、典型的な「賢い消費者が排斥すべき企業」であり、「賢い消費者が買ってはならない商品を販売している企業」である。ヘイトやスラップを事として恥じない企業には、社会から退場してもらおうということでなくてはならない。

訴訟だけでなく、「スラップ常習のDHC」「デマとヘイト番組提供のDHC」の製品不買にもぜひともご協力を。
(2018年8月24日)

「あの無謀な戦争を始めて、我が国民を塗炭の苦しみに陥れ、日本の国そのものを転覆寸前まで行かしたのは一体だれですか」 ― 天皇(裕仁)の戦争責任を追及する正森成二議員の舌鋒

 人は兵士として生まれない。特殊な訓練を経て殺人ができる心身の能力を身につけて兵士となる。人は将校として生まれない。専門的訓練によって躊躇なく部下を死地に追いやる精神を身につけて将校となる。人は帝王として生まれない。「だれもが自分のために死ぬことが当然」とする人倫を大きく逸脱した帝王学によって育てられて帝王になる。

 兵士は戦場で死ぬことを覚悟しなければならない。将校は作戦の失敗に責任をとらねばならない。帝王は帝国と運命をともにしなくてはなららない。革命や敗戦によって帝国が滅びるとき、当然に帝王も死すべき宿命を甘受する。が、ごくまれにだが、おめおめと生き延びる例外がないでもない。

天皇(裕仁)が、自分の戦争責任についてどう自覚しているかについて、国民に語る機会はほぼなかった。もちろん、詫びることもない。唯一、その肉声が漏れたのは、1975年10月31日皇居「石橋の間」で行われた日本記者クラブ主催の記者会見での発言である。彼が、常に何を考えていたのかが垣間見えて、印象的であった。

その問答の記録の全文が以下のとおりである。
中村康二(ザ・タイムズ):天皇陛下のホワイトハウスにおける「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」というご発言がございましたが、このことは、陛下が、開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか、おうかがいいたします。
天皇:そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないで、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。

秋信利彦(中国放送):天皇陛下におうかがいいたします。陛下は昭和22年12月7日、原子爆弾で焼け野原になった広島市に行幸され、「広島市の受けた災禍に対しては同情にたえない。われわれはこの犠牲をムダにすることなく、平和日本を建設して世界平和に貢献しなければならない」と述べられ、以後昭和26年、46年とつごう三度広島にお越しになり、広島市民に親しくお見舞の言葉をかけておられるわけですが、戦争終結に当って、原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお受け止めになりましたのでしょうか、おうかがいいたしたいと思います。
天皇:原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。 

戦争責任を「言葉のアヤ」程度の問題と捉え、原爆投下を「戦争中のことですから、…やむを得ない」と言ってのけたのが、敗戦後も生き延びた帝王の見解。こんな人物の名において行われた戦争で、無数の人々が死に、数え切れない悲劇が生まれた。人間らしい感情を持たない鉄面皮な人、というのが彼に対する私の印象だった。

が、その印象とはやや異なる面もあったようだと本日の各紙が伝えている。

昭和天皇(裕仁)85歳時の心情吐露の新資料発掘の記事。「故小林忍侍従の日記」を共同通信の記者が入手し、これを記事にして配信したもの。各紙とも記事の内容は同じで、以下のとおり、見出しだけが多少異なっている。

「昭和天皇『戦争責任のことをいわれる』 侍従が発言記す」(朝日)
「晩年の昭和天皇吐露『戦争責任言われつらい』」(毎日)
「『長く生きても…戦争責任いわれる』 昭和天皇85歳 大戦苦悩」(東京新聞)
「戦争責任『言われつらい』 晩年の昭和天皇が吐露」(日経) 
「細く長く生きても仕方がない。戦争責任のことをいわれる」(産経)

 昭和天皇が85歳だった1987(昭和62)年4月に、戦争責任を巡る苦悩を漏らしたと元侍従の故小林忍氏の日記に記されていることが分かった。共同通信が22日までに日記を入手した。昭和天皇の発言として「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と記述している。

 日中戦争や太平洋戦争を経験した昭和天皇が晩年まで戦争責任について気に掛けていた心情が改めて浮き彫りになった。小林氏は昭和天皇の側近として長く務め、日記は昭和後半の重要史料といえる。

 87年4月7日の欄に「昨夕のこと」と記されており、昭和天皇がこの前日、住まいの皇居・吹上御所で、当直だった小林氏に直接語った場面とみられる。当時、宮内庁は昭和天皇の負担軽減策を検討していた。この年の2月には弟の高松宮に先立たれた。

 小林氏はその場で「戦争責任はごく一部の者がいうだけで国民の大多数はそうではない。戦後の復興から今日の発展をみれば、もう過去の歴史の一こまにすぎない。お気になさることはない」と励ました。
 
 既に公表されている先輩侍従の故卜部亮吾氏の日記にも、同じ4月7日に「長生きするとろくなことはないとか 小林侍従がおとりなしした」とつづられており、小林氏の記述と符合する。

 日記には昭和天皇がこの時期、具体的にいつ、誰から戦争責任を指摘されたのかについての記述はない。直近では、86年3月の衆院予算委員会で共産党の衆院議員だった故正森成二氏が「無謀な戦争を始めて日本を転覆寸前まで行かしたのは誰か」と天皇の責任を追及、これを否定する中曽根康弘首相と激しい論争が交わされた。88年12月には長崎市長だった故本島等氏が「天皇の戦争責任はあると思う」と発言し、波紋を広げるなど晩年まで度々論争の的になった。

 昭和天皇は、87年4月29日に皇居・宮殿で行われた天皇誕生日の宴会で嘔吐し退席。この年の9月に手術をし、一時復調したが88年9月に吐血して再び倒れ、89年1月7日に亡くなった。

 小林氏は人事院出身。昭和天皇の侍従になった74年4月から、側近として務めた香淳皇后が亡くなる2000年6月までの26年間、ほぼ毎日日記をつづった。共同通信が遺族から日記を預かり、昭和史に詳しい作家の半藤一利氏とノンフィクション作家の保阪正康氏と共に分析した。
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以上の記事中にある、故正森成二の天皇の戦争責任追及の質疑は、天皇(裕仁)在位60周年祝賀行事の是非を巡っての論争である。該当部分の全文を引用しておきたい。

第104回国会 予算委員会 1986年3月8日(土曜日)午前9時開議(委員長 小渕恵三)

正森委員 次の質問に移ります。天皇在位六十年と恩赦の問題については、川俣委員がきょう午前中御質問になり、総理は明確に、恩赦は行わないということを答弁されましに。私どもはそれは当然のことであると考えております。
しかし総理は、我が党の不破議員の本会議答弁でも、あるいは松本議員に対する予算委員会の答弁でも、天皇在位六十年祝賀行事について、国民の自然の感情である、自然の感情を持たない人は不自然である、疑う方が不自然であるという旨の答弁をされております。私は、天皇の戦前二十年の地位と戦後四十年の地位というのは憲法上全く異なりますから、こういう理論的な問題を感情の問題にすりかえて事を行おうとするのは正しくないと考えております。けれども、もし国民の自然な感情と言われるなら、我々の方にも国民の自然な感情はどのようなものであったか、また現在あるかということについて申し上げなければなりません。
あの太平洋戦争が昭和十六年の十二月八日に始まりましたとき、私は中学校三年生の学生でありました。そのときに、我々は学校で宣戦の大詔を繰り返し読むことを教師から慫慂せられ、私どもはそれを暗記しました。現在、四十数年たった今でも、その大半は暗記しております。宣戦の大詔にはこう言っております。

 天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国天皇ハ昭二忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス朕茲ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス朕カ陸海将兵ハ全力ラ奮テ交戦ニ従事シ朕カ百僚有司ハ励精職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ尽シ億兆一心国家の総力ヲ挙ケデ征戦ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ

私は、四十数年たってもこの宣戦の大詔を覚えております。
そして我々の先輩は、
  海行かば水漬くかばね
  山行かば草むすかばね
  大君の辺にこそ死なめ
と言って戦争に行き、死んでいったのであります。だれ一人、東条総理大臣のために、その辺にこそ死なめと考えた者はありません。
これが総理、自然な感情であり、国民は皆、天皇の御命令だから戦い、天皇のために死んでいく、こう思って戦ったのではありませんか。これが自然な感情ではないですか。
中曽根内閣総理大臣 立憲君主制下における天皇は、やはり内閣総理大臣あるいは国会というようなもので決めたことについては、君臨すれども統治せずという考え方に基づいて、それに従っていかれたのである。天皇陛下はあくまで平和主義の方であられ、戦争を回避するために全面的にも努力をされたと国民は知っております。しかし、それを持っていったのは、当時の主として軍部の開戦派の連中が持っていった、そのことを国民は知っております。また、終戦に際しましても、陛下の御英断によって終戦がもたらされたということも記憶しております。そしてその後においても、全国をお回りになって傷ついた人たちを慰められた、あるいは食糧がなかったときにも、またマッカーサー元帥のところへ行って食糧を要請した、あるいは今回の戦争についてこれは自分の責任である、そういうことを言って、国民諸君についてはぜひその点を了承してほしいとおっしゃった。
この間、朝日新聞の何とか三太郎という漫画がありましたね。あのときの漫画を見て、あれは国民がそういうふうに考えているからああいう漫画が出てくるので、つまり、マルコスさんがフィリピンからハワイへ行かれたのと対比して、日本の天皇はマッカーサーに対して自分の責任である、そう言っておられたと、あれは、朝日新聞がああいう漫画を出したということは画期的なことではないかと私は見ておるのであります。
しかし、それだけそのように国民感情があるということなのであって、その陛下の六十年の御在位をお祝いをし、かつまた、今まで最も長い御在世の天皇であられたということをお祝いするということは最も自然な感情であって、それに逆らうということは、私は不自然であると今でもかたく信じてやまない。これを聞いている全国民の皆さんも、そのとおりであるとお考えになっていらっしゃると思います。

正森委員 総理はそういうように言われましたが、もちろん明治憲法下でも、総理以下国務大臣に輔弼の責任があったということはそのとおりであります。けれども、歴史の事実はそれ以上のものを示しております。総理あるいは法制局長官も御存じでありましょうが、その総理大臣を任命する人事権は、憲法上いかなる制約もなく天皇の任命によって行われたわけであります。近衛内閣の後、即時対米開戦を主張する東条陸相に組閣を命じたのもまた天皇ではないでしょうか。近衛氏でさえ、天皇が平和的対米交渉で頼りにならなかったと、次のように述べております。これは、「敗戦日本の内側――近衛公の思い出」と題する時の内閣書記官長富田健治氏の著書であります。

 それから陛下のことだが、陛下は勿論、平和主義で、飽く迄戦争を避けたい御気持であったことは間違いないが、自分が総理大臣として陛下に、今日、開戦の不利なることを申し上げると、それに賛成されていたのに、明日御前に出ると「昨日あんなにおまえは言っていたが、それ程心配することもないよ」と仰せられて、少し戦争の方へ寄って行かれる。又次回にはもっと戦争論の方に寄っておられる。つまり陸海の統帥部の人達の意見がはいって、軍のことは総理大臣には解らない。自分の方が詳しいという御心持のように思われた。従って統帥について何ら権限のない総理大臣として、唯一の頼みの綱の陛下がこれではとても頑張りようがない。(中略)こういう状態では自分の手の施しようもなかったのだ
こう言っています。

 あるいはここに「近衛文麿」という伝記を持ってまいりました。これは近衛文麿伝記編纂刊行会のあらわしたものであります。そこには、近衛内閣が辞表を提出したときに陛下にこのことを率直に訴えだということが、辞表の中に載っております。

 然るに最近に至り、東条陸軍大臣は、右交渉はその所望時期(概ね十月中――下旬)までには、到底成立の望みなしと判断し、乃ち本年九月六日御前会議の議を経て、勅裁を仰ぎたる「帝国国策遂行要領」中、三の「我要求を貫徹し得る目途なき」場合と認め、今や対米開戦を用意すべき時期に到達せりと為すに至れり。(中略)国連の発展を望まば、寧ろ今日こそ大いに伸びんが為に善く屈し、国民をして臥薪嘗胆、益々君国のために邁進せしむるを以て、最も時宜を得たるものなりと信じ、臣は衷情を披瀝して、東条陸軍大臣を説得すべく努力したり。
  之に対し陸軍大臣は、総理大臣の苦心と衷情とは深く諒とする所なるも、(中略)時期を失せず此の際、開戦に同意すべきことを主張して己まず、懇談四度に及びたるも、終に同意せしむるに至らず。
  是に於て臣は遂に、所信を貫徹して、輔弼の重責を完うすること能わざるに至れり。是れ偏えに臣が非才の致す所にして、洵に恐懼の至りに堪えず。仰ぎ願はくは聖慮を垂れ結い、臣が重職を解き給わんことを。臣文麿、誠惶誠忠謹みて奏す。
こう言って辞任をしております。

 それにもかかわらず、この戦争を主張する東条内閣総理大臣に対して組閣の大命を下したのは、何物にも人事権を制約されない天皇ではありませんか。
あるいはまた総理は、戦争が終わったのは天皇の御意思によって行われた、だからあの朝日新聞の漫画のようなことになるのだ、こう言われました。けれども、これもまた史実に反します。例えば「終戦史録」の重光文書というのがあります。その重光文書を見ますと、

 結局、時機到来を見極めて天皇の絶対の命令(鶴の一声と当時吾々はこれをいっていた。)として終戦を行うの外に途はない。

あるいは「近衛日記」の十五ページを見ますと、

 いよいよ戦争中止と決定せる場合は、陸海官民の責任の塗り合を防止するため陛下が全部御自身の御責任なることを明らかになさせらるる必要ある事。

 こういうぐあいになっております。ほかにも文献があります。
つまり、天皇は決して開戦において平和主義者でなく、戦争終結においても、天皇が聖断を下されたというのは、一年も前から宮中あるいは外務大臣あるいは元老が、そういうようにしなければ軍部が反乱を起こしてまとまらないというようになっていた筋書きに基づいて行われたのであって、それのみをもって陛下が平和主義者であるというようなことは、私は断じて言えないのではないかというように言わざるを得ません。
総理、私はあなたが、国民全体の意思であり、我々のような主張は不自然であると言われましたが、そうではありません。戦争で被災し、夫や子供を死なせた国民は、政府だけでなく、天皇についても感情を持ちました。近衛文麿が昭和二十年七月十二日、宮中で天皇に会ったときに、天皇みずからこれを認めております。(発言する者あり)
○小渕委員長 御静粛に願います。
正森委員 例えば、七月十二日に近衛文麿氏がソ連へ和平のための使節に行くことを天皇に話し合ったとき、近衛文麿が、「『今や皇室をお怨み申上げる事態にさえなって居ります』と申上げたるところ、全く御同感にあらせられた。」つまり天皇も、国民が恨みに思っておる、こういうことに同感されたということが、歴史の事実として明白に載っているわけであります。
だからこそ、戦争が終わったとき、南原繁東大総長は、天皇退位を国民感情とし、「私は天皇は退位すべきであると思う、これは私一人ではなく全国の小学教員から大学教授に至るまでの共通意見となっている、」昭和二十三年六月十三日、これは朝日新聞であります。
あるいは昭和二十三年の五月十六日の週刊朝日では、当時の三淵最高裁判所長官も週刊朝日の誌上で、「終戦当時陛下は何故に自らを責める詔勅をお出しにならなかったか、ということを非常に遺憾に思う。」こう述べ、佐々木惣一法学博士は、「まったくそうだ。」こういうように言っています。そして、三淵長官は、「公人としては自分の思慮をもって進退去就を決するわけにはいかないんだ。」「だけど、自らを責めることは妨げられない。だから、自分の不徳のいたすところ、不明のいたすところ、国民にかくの如き苦労をかけたということを、痛烈にお責めになれば、よほど違ったろうと思う」、こういうように最高裁長官が言っております。これが国民の自然な感情ではないでしょうか。
私どもは、こういう感情を無視して、戦前の二十年と戦後の四十年を無視して天皇の在位六十年を祝う、いわんや恩赦を行うなどということはもってのほかであると思います。恩赦については、総理はこれをしないということを明言されました。私どもは、在位六十年の記念行事についても、これを中止されることを心から総理に希望したいと思います。御答弁を願います。
中曽根内閣総理大臣 今のお話を聞いておりまして、共産党はそういう考えを持っているのかと今感じた次第でございます。大部分の国民の考えていることとはまるきり違うことを考えているということを発見いたしました。
当時の歴史でも明らかになっておりますが、開戦前におきましては、陸軍を抑えられる者でなければこの戦争を回避することはできない、そういう木戸さん等の助言があって、陸軍の一番の統率力があったと言われている東条氏を首相に任命して戦争回避を最後に考えられた、そういうことが言われておる。あるいは近衛・ルーズベルト会談を行って戦争回避をしようと一番期待して、まだ行われないのかまだ行われないかと言われておったのが陛下である、そういう記録も残っております。終戦に際しましては、軍部のあのような一部の過激な連中からいかに重臣を守りつつ、そして和平に順調に持っていこうかということをお考えになって、鈴木貫太郎氏を総理大臣に任命した。鈴木貫太郎氏を任命したのは、終戦を行うために陛下がおやりになったことです。そして、あうんの呼吸であの終戦をおやりになったという厳然たる事実があります。
そういう諸般のことを考えれば、一貫して陛下は平和主義者であって、この戦争を回避されるために最後まで努力をした。しかし、やはり当時は立憲君主制のもとにありまして、総理大臣の輔弼することについては、大体君臨すれども統治せずという原則でいかれた。そういうことで、しかし国が滅亡するという危機に瀕しては、御聖断を発せられた。そういうことで今日の日本があり得るんだと私は確信してやまない。そういう国民の大多数の考えを無視して、あえて異を立てるというものは、国家を転覆するという気持ちを持っておる人でないと出てこないのではないかとすら私は疑うのであります。そういう疑いを国民は持ってあろうということを私は申し上げたいのであります。

正森委員 国家を転覆する疑いがあるなどと言いますが、あの無謀な戦争を始めて、事実上我が国民を塗炭の苦しみに陥れ、日本の国そのものを転覆寸前まで行かしたのは一体だれですか。それに対して、死刑も牢獄も恐れずに、断固として反対して平和を守り抜いたのは一体どの党ですか。それは自民党の教科書さえ、だから共産党は他の党にない権威を持っていたと書いているじゃないですか。
私どもは、時間が参りましたので、これで終わりますが……(発言する者あり)いろいろ当事者間の発言以外に発言するのではなく、お互いに本当に日本国家の将来のためにも、天皇の在位六十年について歴史を真剣に考えてみる必要があると思います。
私の質問を終わります。
○中曽根内閣総理大臣 正森君、御答弁を申し上げますが、ともかく大部分の……(発言する者あり)
○小渕委員長 御静粛に願います。
中曽根内閣総理大臣 大部分の国民は、大多数の国民は、この二千年に近い伝統と歴史と文化を持っておる日本の国を愛惜し、そしてその一つの中心であった日本の天皇制というものを守っていきたい、それでそのためにあの終戦、あるいは終戦後みんな努力して天皇制を守ろうということで、今日日本があるわけであります。あのときに天皇制を破壊しよう、あるいは天皇制というものをこれで廃絶しようと考えたのは共産党でしょう。今でも共産党でしょう。しかし、そういうような国民はほんのわずかであって、それは絶無とは言いません。しかし大多数の、もう九九%の国民、九九%に近い国民は、やはり二千年近いこの伝統と文化を持っておる日本、及び天皇を中心に生きてきた日本のこの歴史とそれから我々の生活を守っていこうと考えておる。これは戦争に勝っても負けても、一貫して流れてきている氏族の大きな太い流れであります。私は、その流れを大事にしてきているがゆえに、今日の日本の繁栄があると思っておる。この繁栄がどこから来ているかということを考えれば、そういう国民の団結心にある。もしマルクス共産主義によって日本が支配されておったら、今日本はどうなっておるであろうか。これだけの繁栄があり得るであろうか。あるいはどこかの国の衛星国になっているのではないかとすら我々は考えざるを得ない。そのことをよくお考え願いたい、また御反省も願いたいと思うのであります。

正森委員 委員長、委員長。
○小渕委員長 時間でございますので、論議は尽きないと思いますが、これにて質疑を終わらしていただきたいと思います。
正森委員 私が終わると言っておるその後から、私が終わると言ってから総理が五分間も答弁したじゃないか。それに対して言うのは当たり前じゃないか。そんな不公平なことがあるか。
○小渕委員長 質疑者、委員長は、論議は尽きないとは思いますが、時間が参りましたので、以上をもって質疑を終わっていただきたいと思います。
これにて正森君の質疑は終了いたしました。
これにて締めくくり総括質疑は終了いたしました。
以上をもちまして、昭和六十一年度予算三案に対する質疑はすべて終了いたしました。

正森成二は先輩筋の弁護士である。その論理と気迫を見習いたいと思う。
(2018年8月23日)

憲法と落語(その1) ― 「鹿政談」と違憲立法審査権

文化爛熟の江戸期中期以後、庶民娯楽の舞台として寄席が栄えた。江戸八百八町(実数は千を越えていたとも)のどの町内にも一軒は寄席があったという。色物も隆盛だったが、メインは落とし噺。いまは、落語という語彙で定着している。

噺の庶民生活の隅々に題材がとられたが、その中の1ジャンルとして「お白州もの」がある。そのできのよいものが、現代にまでいくつも語り継がれている。庶民生活にお白州が密接に関わっていたからでもあり、「お白州はかくあれかし」という庶民の願望が強くもあったからでもあろう。

演目だけでそれと分かるのが「政談」が冠されたもの。有名なものが、「鹿政談」「小間物屋政談」「唐茄子屋政談」「遠山政談」「佐々木政談」など。あるいは、「大工調べ」「天狗裁き」「五貫裁き」など。演目だけではそれと分からないが、ストーリーに裁判が出てくる著名なものが、「三方一両損」「帯久」「一眼国」「名人長二」「てれすこ」などなど。

いずれもよくできた面白い噺で、「奉行や代官の裁きはこうあって欲しい」という願望がよく表れている。今日の言葉で言えば、「血の通った裁判」を望む庶民の思いがつくり出したストーリー。

落語に出てくるお白州と日本国憲法下の裁判所とは、似ているようで異質なものとも言えるし、異質なようで実は本質は変わらないようでもある。

今後のブログで、順次取り上げてみたいが、まずは「鹿政談」。

奈良の名物は、「大仏に、鹿の巻き筆、奈良ざらし、春日灯篭、町の早起き」と申します。春日大社のお使いとされる神鹿は、奈良では手厚く保護されて、たとえ過失でも鹿を死なせた者は死罪というのが当時の掟。ですから、自分の家の前で鹿が死んではいないかと、毎朝早起きせざるを得ないというわけで。

興福寺東門前町の豆腐屋、正直者の六兵衛(話者によっては与平)が、早朝商売物のキラズ(おから)をひっくり返した犬に薪を投げると打ち所悪く死んでしまいますな。暗闇でよく見えなかったが、犬と思ったのがまさしく春日の鹿。これは一大事。六兵衛はたちまち捕縛され、目代(代官)の塚原出雲と、興福寺の番僧・了全の二人の調べのうえ、奉行・根岸肥前守の裁きを受けることになります。この根岸肥前守がよくできた名奉行。
 奉行はなんとか正直者の六兵衛を助けてやろうと、「その方は、二、三日前から病気であったであろう」とか、「その方は他国の生まれで、この土地の法には暗かろう」などと誘導しますな。故意を欠くとか、責任能力がなかったとか、あるいは違法性の意識を望むべくもないとして、ことを収めようという苦心の心積もり。
 ところが、正直者の六兵衛は嘘がつけない。そこで奉行は最後の手段。鹿の死骸を引き出させて検分し、「うーん、鹿に似たるが角がない。これは犬に相違あるまい。一同どうじゃ」「なるほど、確かにこれは犬でございます」「今、ワンと鳴きました」「犬を殺した者にとがはないぞ」。これは、そもそも構成要件に該当する事実がないとしての無罪放免。
 これで丸くおさまるかと思いきや、空気を読めない奴はどこにでもいるもので、出雲と了全ばかりは、「あいや、しばらく。角がなくても鹿は鹿」と譲りません。そこで奉行は奥の手を出します。
「出雲と了全、その方らが結託して幕府から下される三千石の鹿の餌料を着服し、あまつさえそれを高利で貸し付けてボロ儲けしているという訴えがある」「そのために空腹となった鹿が盗みをしたのであれば鹿も盗賊同然。打ち殺しても苦しくない」「たってとあらば、その方らから調べねばならない」「さあ、どうじゃ。これは犬か、それとも鹿か」「さあさあ、犬か鹿か」
 結局犬ということで一件は落着。お白州の後、涙を流す六兵衛に奉行が声をかけます。
 「これ。正直者のそちなれば、この度は斬らず(キラズ)にやるぞ」
 「はい、マメで帰ります」

下げの出来栄えはともかく、多くの江戸落語と同様に、これも元は上方噺のよくできた筋立て。善玉奉行が、悪玉の目代に小気味よく畳み込むのが聞かせどころ。正直者が無罪になるハッピーエンドなのだからむろん後味も良い。しかしこの話、やっぱりおかしい。これでよいわけはない。

たまたま「名奉行」の才覚とトンチと腕力が、無理を通しての無罪判決。法の趣旨を生かそうという、真面目な他の奉行であれば、判決は自ずと異なったものになる。奉行に才覚なければ、六兵衛は死罪となったところ。目代に、たまたまの不正がなければ、正論を言う目代側の言い分が通ったところ。そもそも、鹿を犬と真実でない認定の裁判もあるまじきこと。

この鹿政談のストーリーで、なにより納得しがたいのは「鹿を殺した者は死罪」という掟。現代であれば、飼い主のいる鹿を殺傷することは器物損壊罪にあたるが、「奈良公園の鹿」は無主物だから器物損壊での処罰はできない。また、野生の鹿は動物愛護法上の愛護動物に該当しないから、これを殺しても刑法上の犯罪にはあたにない。昔の話とはいえ、「六兵衛死罪」などとんでもない。とんでもないけど、掟は掟。とんでもない掟で人を死刑にできたということ。

奉行は、「過失であろうとも春日大社の鹿を死なせた者は死刑」というこのとんでもない掟を、人倫に反するものとして無効と宣言する裁きをすることができたか。あるいは無視して無罪とすることができたか。それができなかったから、知恵をしぼって、法の枠内で、その適用をまげて庶民感覚に適合する裁きに到達したということになる。奉行とても、法をつくったお上の官僚に過ぎない。法を無視することなどできるはずもない。

さて、お白州でなく、現在の裁判所ならどうなるだろうか。日本国憲法81条は「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」と規定して、裁判所に違憲立法審査権を与えている。最高裁だけでなく下級裁判所にも違憲立法審査権があるが、その終審判断は最高裁でなされるとの趣旨と理解されている。

言うまでもなく、法の体系の頂点に位置するものが憲法。その憲法の下に、憲法の定めに従って法律が作られ、さらに法律の許す範囲で条例や政令や行政規則が作られて、整然とした法体系の秩序が形づくられることになっている。法の序列は厳格で、下位の法形式が上位のものに反することは、許されない。単に法秩序の混乱を避けるためということではなく、あくまで、憲法が根源的価値としている人権や民主主義、平和を擁護するためと考えるべきだろう。

法律は、選挙という民主的な手続で選出された国民の代表によって、国権の最高機関とされる国会で作られる(憲法41条)。法律は、主権者の意思を反映するものとして尊重されなければならないことは当然だが、その法律も憲法の定めに違反するとされた場合には、違憲、無効とならざるをえない。裁判所には、その判断の権限がある。

仮に、国会が「奈良公園風致地区内に棲息する日本鹿の保護に関する法律」(略称「奈良鹿保護法」)を制定し、「奈良公園風致地区内に棲息する日本鹿を殺したる者は死刑に処する。過失によって死に至らしめたる者も同罪とする」(「奈良鹿殺害罪」)という条文ができたとすれば、この法律によって被告人六兵衛が起訴され、検察官から死刑を求刑されることになる。

この場合、お白州にはいなかった弁護人が活躍する。この悪法を憲法の人権尊重原則(憲法第13)、あるいは適正手続条項(憲法第31条)に違反するものとして違憲無効と主張して無罪の判決を求める弁論を行う。

その結果、裁判所は違憲立法審査権を行使して、奈良鹿保護法の奈良鹿殺害罪の規定を違憲無効として無罪判決を言い渡すことができる。こうして、裁判所は「憲法の砦」であり、同時に「人権の砦」としての使命を果たすことになる。国会が民主主義原理を代表する機関なら、裁判所は人権原理にもとづく機関なのだ。

 無罪の六兵衛は、記者団に囲まれる。
 「六兵衛さん、無罪放免おめでとう」
 「はい、日本国憲法に感謝です」
(2018年8月22日)

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