次の天皇の即位の礼は、国民主権にふさわしい式次第とせよ
昭和天皇と諡された裕仁の死去が、1989年1月7日。即時に現天皇(明仁)がその地位を承継した。「(旧)国王は死んだ。(新)国王万歳!」というわけだ。法的には、天皇の死だけが皇位承継の要件である。法的には、天皇という公職に就いていた公務員が死亡し、その地位を襲うことが予め定められていた候補者が、就位したというだけのこと。
しかし、憲法には規定のない代替わり儀式が麗々しく行われた。儀式は多様ではあるが、大きくは二種類。その一つは、天皇という公務員職を引き継ぐことのお披露目の儀式。謂わば俗の儀式。皇室典範24条が「皇位の継承があつたときは、即位の礼を行う」と言っている「即位の礼」に当たるもの。もう一つが、「天皇としての霊力の承継」という神秘的な宗教行事である。謂わば聖の儀式。秘儀とされる「大嘗祭」を中心とするもの。天皇制とは、この聖と俗とが分かちがたく結びついているからことが面倒となる。本日取りあげるのは、俗の儀式である「即位の礼」についてだけ。
現天皇(明仁)の「即位の礼」は、大袈裟でもったいぶった儀式だった。いい齢をした大人たちが、恥ずかしげもなく、なんと大仰なことを。
王にせよ、天皇にせよ、その役割は被治者に対する虚仮威しにある。生身の人間にはない権威や血統の神聖への信仰に支えられた虚仮威しによって、国民を恐れ入らせ、権威主義的に統合することで、時の政権の政治支配に奉仕する。人間宣言した以後の天皇も同様である。むしろ、政治権力から切り離された天皇は、その機能を純化していると言えよう。
とりわけその代替わりの際には、天皇は、宗教的権威や文化的道徳的権威、あるいは万世一系という神話的な演出の要請に応えなければならない。俗の儀式といえども、虚仮威しの効果十分なものでなくてはならない。だが、これは普遍性を持たない。天皇の権威や神聖を認めないものの目から見れば滑稽な儀式における滑稽な所作となるだけのこと。
その滑稽の極みが、1990年11月12日「即位礼正殿の儀」であった。国事行為として行われたその式次第は、下記のような「今の世に信じがたい」ものだった。
1.天皇が高御座に昇る。
2.皇后が御帳台に昇る。
3.参列者が鉦の合図により起立する。
4.参列者が鼓の合図により敬礼する。
5.内閣総理大臣が御前に参進する。
6.天皇の「おことば」がある。
7.内閣総理大臣が寿詞を述べる。
8.内閣総理大臣が即位を祝して万歳を三唱する。参列者が唱和する。
9.内閣総理大臣が所定の位置に戻る。
10.参列者が鉦の合図により着席する。
この式次第、日本国憲法下に正気の沙汰とは思えない。天皇が高御座(たかみくら)に昇って、総理大臣以下の群臣を見下ろす。群臣は起立して「敬礼」させられるのだ。天皇は上から、「おことば」を述べ、内閣総理大臣が御前に参進し、天皇を仰ぎ見て「テンノーヘイカ・バンザイ」を三唱した。よくもまあ、恥ずかしげもなくこんな愚行をやったのは海部俊樹という当時の総理大臣。彼の名はこの一事で歴史に残るだろう。なるほど、この日のために、「大臣」という語彙が残されているのだ。
昭和天皇(裕仁)の侍従だった故小林忍の日記が公開されて話題となっている。共同通信の第一報が、「細く長く生きても仕方がない。戦争責任のことをいわれる」(産経見出し)という記事だった。第二報が、現天皇の「即位礼正殿の儀」について、「ちぐはぐな舞台装置」「新憲法下初めてのことだけに今後の先例になることを恐れる」と当時の政府対応を批判する見解を日記に記していた、と共同通信が配信している。
「日記は政教分離の在り方に直接触れていないが、小林氏本人が参列した儀式の所作や内容について、費用も含めて手厳しい意見を記している。」「戦後初めて行われた即位の礼は、政教分離を巡り違憲論議も起きた。政府は宗教色を抑えようと配慮したが、一貫性がないとして宮内庁内に不満があったことがうかがえる。」「政府は、来年十月に予定されている新天皇の「即位礼正殿の儀」も基本的に前例踏襲とする方針で、今回明らかになった小林氏の見解が一石を投じる可能性もある。」という以上の記事だけでは、小林忍が何をどう不満を持ったのか、分からない。
小林が問題としたのは、具体的には以下の2点のようである。
第1点 「陛下が儀式の際に立った高御座(たかみくら)に、三種の神器の剣と勾玉(まがたま)に加え、宗教色を抑えるために国の印の国璽(こくじ)と天皇の印の御璽(ぎょじ)を目立つ位置に置いたことに言及。内閣法制局の幹部が『細かなくちばしを入れてきた』と不快感を示し『持ち込めば十分であって、目立たない所に置くと(中略)目的が達成されないというのだろうが、何と小心なることか』と私見をつづっている。」
これは、宮内庁の愚痴に過ぎない。内閣法制局は「即位礼正殿の儀」から、できるだけ宗教色を薄めることで、政教分離違反という批判を免れようと腐心したのだ。高御座も三種の神器も天皇夫妻の服装も、宗教的色彩夥しい。せめてここに、宗教的色彩の希薄な国璽と御璽を目立つように配置しようとしたのだ。宮内庁側は、これを姑息として不満を表明している。これが、天皇や側近たちの本音なのだろう。来年(2019年)10月とされる、新天皇代替わり儀式に注目せざるを得ない。
第2点 「両陛下や皇族、出席した宮内庁職員の多くが古風な装束を身にまとっていたのに対し、宮殿のデザインや当時の海部俊樹首相ら三権の長がえんび服だったことを「現代調」と表現。「全くちぐはぐな舞台装置の中で演ぜられた古風な式典」と皮肉り、全員が三権の長らと同じ洋装にすれば「数十億円の費用をかけることもなくて終る」と指摘している。
全員洋装で揃えりゃいいじゃないか、という趣旨のよう。たしかに、「両陛下や皇族、出席した宮内庁職員の多くが古風な装束」は、滑稽と言うほかはない。これを全員洋装で揃えることに反対はなかろう。当たり前のことだが、私服でよい。「数十億円の費用をかける」必要はさらさらない。
費用もさることながら、国民主権原理にふさわしい即位の礼でなくてはならない。
来年の10月だれが首相であるにせよ、衆人環視の中で、酔余の所業というでもなく、「テンノーヘイカ・バンザイ」はやめてもらいたい。
(2018年8月25日)