子どもたちに天皇制を語る。
私にも小学生のころがあった。小学校2年生から親元を離れて寮生活という境遇だったが、その寮で「毎日小学生新聞」を読んだ。当時、小学生に向けた新聞は、この一紙だけだったはず。私は熱心な読者だった。
いまはもう記事の内容に記憶はないが、頃は戦後民主主義の熱気が横溢していた時代。おそらくは、当時の「毎小」の記事がいまの私の人格形成に影響なかったはずはない。
ところで、いま、毎日だけでなく、朝日も読売も小学生向けの新聞を発行しているという。朝日と毎日は日刊、「読売KODOMO新聞」は週刊(毎週木曜日発行)だとか。紙面の内容は知らないが、小学生への影響は当然に大きいと思う。
その「読売KODOMO新聞」。一昨日(12月27日(木))の紙面に、以下の解説記事を掲載した。タイトルは、「天皇陛下の退位日決定」。なんだ、これは。さながら、現代版「修身」ではないか。天皇制を子どもたちに刷り込もうという読売の魂胆。
天皇陛下(てんのうへいか)の退位(たいい)日が2019年4月30日に決まりました。天皇の退位は1817年の光格(こうかく)天皇以来(いらい)、約(やく)200年ぶりで、現在(げんざい)の法律(ほうりつ)では今回だけの特例(とくれい)です。元号の「平成(へいせい)」も変(か)わる予定で、私(わたし)たちの生活にも影響(えいきょう)がありそうです。
安倍首相(あべしゅしょう)は今月1日、皇室会議(こうしつかいぎ)へ天皇退位に関係(かんけい)する日程(にってい)を提案(ていあん)しました。皇室会議は安倍首相が議長(ぎちょう)となり、皇族(こうぞく)や衆院(しゅういん)・参院(さんいん)の両議長らが参加(さんか)しました。政府(せいふ)は、この会議で参加者からでた意見を参考にした上で、今月8日、各省庁(かくしょうちょう)の大臣(だいじん)らの集まる閣議(かくぎ)で日程を正式に決めました。
政府が退位日として4月30日を提案した理由は、政治的(せいじてき)な日程のない静(しず)かな環境(かんきょう)だからです。同じ月には統一地方選(とういつちほうせん)が終わり、大型連休(おおがたれんきゅう)で国会も開かれていません。
退位翌日(よくじつ)の5月1日には皇太子(こうたいし)さまが新しい天皇に即位(そくい)され、同時に平成という元号も30年3か月で終わります。248番目となる新しい元号は、今後政府が本格的(ほんかくてき)に考えます。
元号が変わると、国や自治体(じちたい)、企業(きぎょう)のシステムを対応(たいおう)させたり、手帳やカレンダーを変えたりと国民(こくみん)生活への影響は大きいとみられます。このため、元号は来年のうちに明らかにされます。
政府では、19年5月1日を臨時の祝日(しゅくじつ)か休日とする方向です。新元号への移行(いこう)をスムーズにし、皇太子さまの即位を国民をあげて祝福(しゅくふく)できるからです。祝日にした場合は、法律で前後の平日も休日にできるため、4月27日から5月6日までの10連休(れんきゅう)となる可能性(かのうせい)もあります。
政府は年明けから、退位の儀式(ぎしき)のあり方などについて議論(ぎろん)を本格化させます。
昭和天皇は1989年1月に87歳さいでお亡(な)くなりになりました。昭和に代わる元号の平成は、当時の小渕恵三官房長官(おぶちけいぞうかんぼうちょうかん)が書を掲(かかげ)て発表していて、新元号の発表の仕方も注目されます。
「上皇」「上皇后」
退位の後、陛下は「上皇(じょうこう)陛下」、皇后(こうごう)さまは「上皇后陛下」となられます。陛下は2016年8月、高齢(こうれい)により公務(こうむ)を続(つづ)けるのが難(むずか)しくなると案じた「お言葉」を発表されました。今回の退位は特別(とくべつ)に認(みと)められましたが、今後の皇室のあり方にも影響があるかもしれません。
長年にわたり、皇后さまとともに公務を務(つと)められた陛下には退位後、ゆっくり過(すご)されてほしいですね。
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この「修身」は、次のように書き換えなければならない。
昔は、世界中どこにも王というものがおりました。力のある人が、そのほかの人々を押さえつけて王になり、王の支配のための王国を作ったのです。王国には王の軍隊がおかれ、その武力を背景に、王は国民から税金を取りたて、国民を戦争に駆り立てました。また、どこの王国でも、王に逆らってはならないという法律が作られました。
しかし、どの王も暴力で国民を支配するだけでなく、何とか国民を自発的に王に従う気持にさせたいものだと考えました。そこで、「王位は神様から授けられた」などという神話をこしらえたり、「王様は、国民を我が子のように慈しんでおられる立派な方」「王様は尊敬すべき人格者」などという作り話を流したり、王に従うことこそが国民として守るべき道であると王国の学校で子どもたちに教えたりしました。さらには、大きな宮殿をつくり、王をほめたたえる音楽や美術を奨励したり、ときには王様の恵み深さを演じてみたり、王が主催するスポーツや見世物のイベントを開いたり、王の支配を守り固める懸命の努力を重ねました。その一つとして、王が死んだり退位して新王が誕生するとき、できる限り重々しく華やかな儀式が行われました。
こんな演出にすっかり欺される愚かな人々もたくさんいました。「うちの国の王様はこんなにも立派」だと、支配されている国民同士が、自分を支配している王を自慢し合うようなこともあったということです。
王が国を支配する制度を王政といいます。時代が進むに連れて、王制は次第に姿を消していきました。「人間は皆平等」なのですから、生まれで特権を持った王が決まることは不合理だとする考え方が世界の常識になりました。王が国民から税を取り上げて贅沢ができることはおかしい。多くの国では、国民がそう考えてきっぱりと王政を捨てました。しかし、遅れた国ではなかなか王政を捨てきれず、いまでも飾りものになった王が生き残っています。
日本はこの点でとても遅れた国のひとつです。日本では、王のことを天皇と言ってきました。天皇の祖先は武力に優れ、他の人々を押さえつけて王となり、7世紀頃に天皇と名乗るようになりました。天皇の支配のために天皇の軍隊がおかれ、支配される側の国民は「臣民」と呼ばれて、天皇に税金を支払い、天皇が命じる戦争に動員されました。
天皇も、暴力で臣民を支配するだけでなく、何とか臣民を自発的に天皇に従う気持にさせたいと考え工夫しました。そこで、「天皇はアマテラスという神様の子孫であって、代々の天皇自身も神様である」というお話しをこしらえました。びっくりするのは、そんな作り話が20世紀前半まで、日本中の学校で、真面目に教えられていたことです。
19世紀後半に、天皇に逆らってはならない、天皇の悪口を言ってもいけない、という法律が作られました。大逆罪や不敬罪と言います。それでも足りないとして、天皇の政府は20世紀前半には治安維持法を作って、天皇制に反対する人々を徹底して弾圧したのです。その反面、「天皇は、臣民を我が子のように慈しんでおられる立派な方」「天皇は尊敬すべき人格者です」などと宣伝し、天皇に従うことこそが臣民として守るべき道であると、全国の学校で教えました。また、学校や神社などでは、天皇を崇拝する儀式が繰り返されました。
なかでも、これまでの天皇が死んで新天皇が誕生するときには、もっとも重大な儀式が行われました。大嘗祭と言います。
いま、天皇の代替わりが迫っています。代替わりによって国民生活に大きな影響はないはずなのですが、代替わりにともなう元号の変更がやっかいです。事実上、国や自治体や銀行などでは、元号の使用が強制されています。そのため、国民生活への影響はけっして小さいものではありません。元号の不便・不合理が明らかというだけではなく、いつも天皇制を忘れないようにさせるものなのです。西暦に一本化することが最も望ましいのに、天皇制を思い出しなさいと元号が維持されているのです。
天皇制も元号使用もいずれはなくなる運命でしょうが、読売新聞のように天皇や元号の交代で大騒ぎすることなく、天皇制の歴史やその影響を冷静に見つめ、よく研究する機会にしたいものですね。
(2017年12月29日)