産経に「中高生のための国民の憲法講座」という連載コラムがある。昨日(4月5日)その第40講として「首相の靖国参拝と国家儀礼」と標題する百地章さんの論稿が掲載されている。
この方、学界で重きをなす存在ではないが、右翼の論調を「憲法学風に」解説する貴重な存在として右派メディアに重宝がられている。なにしろ、「本紙『正論』欄に『首相は英霊の加護信じて参拝を』と執筆した」と自らおっしゃる、歴とした靖国派で、神がかりの公式参拝推進論者。その論調のイデオロギー性はともかく、学説や判例の解説における不正確は指摘されねばならない。とりわけ、中学生や高校生に、間違えた知識を刷り込んではならない。
同論稿は、「首相の靖国参拝について考えてみましょう」から始まる。論旨は、首相の靖国参拝は「政教分離以前の国家儀礼」であって、どこの国でも行われている。政府の公式見解もこれを合憲とし、最高裁も違憲判断をしていない。目的効果基準を適用すれば合憲と見るべきだが、論争の対象となることは好ましくないので、一日も早く憲法を改正すべきだ、というもの。日本国憲法下での公式参拝合憲論を説きつつも、最終的には改憲という苦しい結論となっている。
この論稿を真面目に読もうとした中学生や高校生は、戸惑うに違いない。百地さんは、靖国公式参拝容認という自説の結論を述べるに急で、政教分離の本旨について語るところがないのだ。なぜ、日本国憲法に政教分離規定があるのか、なぜ公式参拝が論争の対象になっているのか、についてすら言及がない。通説的な見解や、自説への反対論については一顧だにされていない。このような、「中高生のための解説」は恐い。教科書問題とよく似た「刷り込み」構造ではないか。
いくつか、指摘しておきたい。
第1点。百地さんは、「憲法解釈について最終的判断を行うのは最高裁判所です(憲法81条)。しかし、首相の靖国神社参拝について、最高裁が直接、合憲性を判断した判決はありません。」という。これは、明らかな誤りとの指摘を慎重に避けつつ意図的な誤解を誘う、不正確な記述である。百地論稿では、あたかも司法は首相の公式参拝問題にまったくなにも言っていないごとくであるが、決してそうではない。すくなくない公式参拝問題についての裁判例はあり、類似事件については最高裁大法廷判決もある。司法は、明らかに違憲論に与している。
「すべて司法権は、最高裁判所および法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する(憲法76条1項)」とされ、最高裁判例のない分野では下級裁判所(高裁・地裁)の判決が尊重されなければならない。高裁レベルでは内閣総理大臣の公的資格による靖国神社参拝は違憲と述べた判決は以下のとおり、複数存在する。
これまでの靖国参拝違憲訴訟には、住民訴訟と違憲国賠訴訟の2類型がある。
前者が「岩手靖国参拝違憲訴訟」であり、後者が「中曽根参拝違憲訴訟」(3件)と「小泉参拝違憲訴訟」(7件)である。そして今、各地で「安倍参拝違憲訴訟」の提起が準備中である。
住民訴訟は客観訴訟として原告の権利侵害の有無にかかわらず、自治体の財務に関わる違憲違法を争うことができる。これに対して、国家賠償訴訟を提起するには、首相の参拝行為の違法と過失だけでなく、原告となる者の権利または法律上保護される利益侵害の存在が必要とされる。憲法判断ではなく、この点がネックとなっている。
岩手靖国違憲訴訟仙台高裁判決(1991年1月10日)は、憲法判断到達にさしたる困難なく、その「理由」において、最高裁判例とされる目的効果基準に拠りながら、首相と天皇の靖国公式参拝を違憲と明確に判断した。今のところ、この判決が靖国参拝に関する憲法判断のリーディングケースと言ってよい。また、国家賠償訴訟では憲法判断に到達することに苦労しながらも、中曽根公式参拝関西違憲訴訟 大阪高裁判決(1992年7月30日)などでは、これも「理由」中の「違憲の強い疑いがある」との判断を得ている。
第2点。靖国公式参拝問題での最高裁の判断はまだないが、近似の事件として靖国神社への公費による玉串料奉納を違憲とした愛媛玉串料訴訟大法廷判決(1997年4月)がある。違憲判断に与した多数意見が13名。合憲とした少数意見はわずかに2名だった。その少数意見組の一人が、現在日本会議会長の任にある三好達である。
同事件でも被告側(愛媛県知事)は、「靖国神社や護国神社への玉串料などの奉納は、神社仏閣を訪れた際にさい銭を投ずることと同様の世俗的な社会儀礼に過ぎない」と弁明した。しかし、最高裁は次のようにこれを斥けた。
「玉串料及び供物料は、例大祭又は慰霊大祭において、宗教上の儀式が執り行われるに際して神前に供えられるものであり、献灯料は、これによりみたま祭において境内に奉納者の名前を記した灯明が掲げられるというものであって、いずれも各神社が宗教的意義を有すると考えていることが明らかなものである。これらのことからすれば、県が特定の宗教団体の挙行する重要な宗教上の祭祀にかかわり合いを持ったということが明らかである。」
注目すべきは次の一節である。
「本件玉串料等の奉納は、たとえそれが戦没者の慰霊及びその遺族の慰謝を直接の目的としてされたものであったとしても、世俗的目的で行われた社会的儀礼にすぎないものとして憲法に違反しないということはできない。」
ここには目的効果論における「目的」の捉え方の指針が示されている。国や自治体が行う行為に複数目的があった場合、世俗的な儀礼の目的のあることをもって、宗教的意義を否定することはできない、としているのである。このことは、玉串料奉納にだけあてはまるものではない。公式参拝には、より強く妥当すると言えよう。
「安倍首相の公的資格における靖国神社参拝は、たとえそれが戦没者の慰霊及びその遺族の慰謝を直接の目的としてされたものであったとしても、世俗的目的で行われた国家的儀礼にすぎないものとして憲法に違反しないということはできない。」との最高裁判決が予想されるところなのである。
第3点。百地さんは「昭和60年(1985年)8月に中曽根康弘内閣が示した「首相の靖国神社公式参拝は合憲」とする公式見解があります」という。これは、公式参拝合憲化を狙って、「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」(靖国懇)をつくり、その「報告書」に基づいての見解である。愛媛玉串料訴訟の最高裁大法廷判決以前のものであり、岩手靖国参拝違憲訴訟高裁判決もなかったときのもの。こんなに古いものを持ち出さざるを得ないのだ。
靖国懇は、最初から結論の見えていた懇談会であることにおいて、安保法制懇と同様のもの。その靖国懇の報告とて、単純に公式参拝合憲の結論を出したわけではない。最終報告書の中に、次のような文章もある。
「靖国神社がたとえ戦前の一時期にせよ、軍国主義の立場から利用されていたことは事実であるし、また、国家神道に対し事実上国教的な地位が与えられ、時としてそれに対する信仰が要請され、あるいは一部の宗教団体に対し厳しい迫害が加えられたことも事実であるので、政府は、公式参拝の実施に際しては、いささかもそのような不安を招くことのないよう、将来にわたって十分配慮すべきであることは当然である。」
「靖国神社への参拝という行為は、宗教とのかかわり合いを持つ行為である。したがって、政府は、内閣総理大臣その他の国務大臣の靖国神社参拝に当たっては、憲法第20条第2項(信教の自由)との関係に留意し、制度化によって参拝を義務づける等、信教の自由を侵すことのないよう配慮すべきである」
「討議の過程において、靖国神社公式参拝の実施は過度の政治的対立を招き、あるいは、国際的にも非難を受けかねないとの意見があった。政府は、この点についても、そのような対立の解消、非難の回避に十分努めるべきであろう。」
第4点。百地さんは、首相の靖国参拝を国際儀礼として、「国際社会では、互いに自国のために戦った戦没者の勇気を称え敬意を表する。これはたとえ旧敵国同士であっても同じ」としている。あたかも、靖国神社は、国際的にどこにでもある普遍的な戦争犠牲者追悼施設と描いている。とんでもない。
靖国神社は墓地ではない。戦争犠牲者への追悼の施設でもなく、極めて特異な軍事的宗教施設なのだ。天皇への忠誠を尽くしての死者を英霊として「敬意の対象」とし、顕彰することを本質とする。そのために、戦没者を祭神として祀る宗教施設である。歴史観、戦争観、天皇観において、宗教法人靖国神社は、かつての別格官幣社の立場をまったく変えていない。到底、どこの国にもある施設ではない。外国元首に参拝を要請することなどできる場所ではないのだ。
第5点。中学生、高校生には、なによりも戦争の惨禍を学んでもらわねばならない。日本の軍国主義が、日本国民と近隣諸国に、いかに多大な犠牲を強いたかを。その軍国主義の精神的な主柱として靖国神社の存在があったことを。国民の精神的な支配の道具として、神権天皇制や国家神道があったことを。その徹底した反省から、日本国憲法が制定され、国家神道を厳格に排除するために政教分離の原則が明記されたことを。
そして、戦後レジームからの脱却を呼号する安倍政権の靖国公式参拝の実行は、歴史の歯車を逆回転させようとするものであることを。それ故に、近隣諸国や西側諸国からさえも、反発を買っているものであることを。
産経と百地先生に教えられた生徒は、日本国憲法の精神を理解できぬまま成長し、世界に孤立することにならざるを得ない。
************************************************************************
冬のあいだのできごと
小石川植物園の小道にハトの羽が散乱している。近くにいたアマチュアカメラマンの言によると、オオタカが襲ったのだ(オオタカは今では明治神宮や皇居でも営巣が見られるといわれている)。日本庭園の池に真っ白なサギが置物のように立っていて、見ているとサッと首を伸ばして魚を咥えている。東京の「冬のできごと」はこれくらいなもの。
ところが、ニコライ・スラトコフによるとロシアの「冬のあいだのできごと」は次のように繰りひろげられる。
「冬のあいだに森のなかでおきたことは、すべて雪がおおいかくした。いいことも、わるいこともぜんぶ、雪だまりのなかにかくされてしまった。・・しかし、春になって、あともどりするときがやってきた。早春のあたたかい陽気は、まず四月にふった新しい雪をとかした。それから順番にとかしていった。三月の雪、二月の雪、一月の雪、一二月の雪・・。そこで、冬のあいだのできごとが、ぜんぶ表面にあらわれた。つみかさなっていたもの、かくされていたものが、すべてすがたをあらわしたのだ。・・ほら、これは冬のおわりにタカがひきさいたカラスの羽。これは雪の下にあったエゾライチョウとクロライチョウのねぐらの穴のあとだ。このなかでライチョウたちは、とてもさびしい冬をすごした。
ここには、モグラの雪のトンネルがあった。なんと、モグラは雪の中で虫をさがしていたんだ!まつぼっくりは、イスカがおとしたり、リスがかじったもの。ヤナギの小枝はウサギがかみきったものだ。これは、オコジョがしめころして、うちすてたトガリネズミだ。そして、これはモモンガのしっぽ。テンの食べ残しだ。
まるで、読み終えた本のおわりのページからはんたいにめくりながら、さし絵を見ているようだ。風と太陽が、白い本のページを最後までめくっていく。まもなく表紙、つまり地面があらわれる。・・足もとの大地、それは、すぎさった日のできごとがつみかさなってできている。」(ニコライ・スラトコフ著「北の森の十二か月」福音館書店)
ニコライ・スラトコフ(1920?1996)はソ連時代のナチュラリストで動物文学者。ペテルブルグの南東にあるノブゴロドの森で自然観察し、数多くの著作を発表した。ロシアの自然は今でもこうした営みを繰り返しているのだろうか。
東京の空にオオタカがもどってきた。喜ぶべきことだろうか。ノブゴロドの森とちがって、餌食になったハトの羽はアスファルトに阻まれて、大地に積み重なっていくことはない。東京はコンクリートとアスファルトの建設をやめるつもりはない。オリンピックは、ようやく作りあげた葛西臨海公園の森さえつぶそうとしている。
オオタカは、スズメやハトやカラスのように都会で人間と共生していくのか。それとも里山に出没し始めたイノシシやシカやサルと力を合わせて、東京を武蔵野の森に変えようとしているのだろうか。
(2014年4月6日)
昨日に引き続いて、本日も2部構成。第1部が、宇都宮選対に参加して不当な「任務外し」を経験した、澤藤大河(澤藤統一郎の息子)の執筆による報告。
そして、第2部が安倍首相の靖国神社参拝への、昨日とは別の切り口。興味をもってお読みいただけるように、工夫をしたつもり。是非お読みいただきたい。
**********************************************************************
宇都宮選対の体質と無能力について
・スケジュール管理の問題
昨日述べたとおり、宇都宮選挙での私の任務は候補者のスケジュール管理だった。
候補者の予定は多岐にわたる。主なものとして、各種支援団体への挨拶、マスコミへの取材協力、テレビ局での収録、運動を行っている団体と共に現地の視察、各種集会での幕間挨拶、そして街頭宣伝などがある。
この候補者スケジュールの設定に大きな問題があった。まず、「貴重な」宇都宮候補の身柄の時間的分配をどうするのかその基本的な原則がない。それだけでなく、意思決定の手続のあり方が全くわからない。
多くの団体・個人が集会を企画し、宇都宮さんに参加してほしいという要望を選対に寄せてきた。確かに、この全てに参加することはとてもできない。しかし、少なくともどういうルールで宇都宮さんが参加するのか原則の公開と、個別的にどのような理由で参加できないのかを誠実に説明することは最低限のマナーとして絶対に必要であった。しかし、現実には、選対は参加要請にきちんと返答することもなく、「メールしたのに返事がない」「返事を約束しておきながら、すっぽかしだ」という苦情が絶えず、宇都宮さんに同伴している私にも多くの方が不満が訴えられ、選対へ伝えるように依頼があった。私はその都度常に、熊谷伸一郎事務局長(岩波書店編集部従業員)に伝えたが、苦情は終盤まで絶えなかった。
多くの政党や政治勢力が対等な立場で支援をしていたのだから、支援してくれる各政党や政治勢力に、実質的に等距離で接し、なによりも外形的に公平に扱う必要があることは明らかだった。このことは、総選挙と同時選挙になって、宇都宮さんが各党の衆院議員候補者と相互に応援し合う関係が生じてからは、とりわけ重大な問題となった。しかし、宇都宮選対の作成した実際のスケジュールが、公平なものでなかったことは誰の目にも明らかだった。どうして、選対内部や事務局から、あるいは支持政党の側からこのような非原則的な運営に批判が出なかったのだろうか。
候補者との個人的知り合いだったからか、選対本部構成員の誰かとの関係が深かったからか、例えば初鹿衆院議員候補への応援には2回行っているし、山本太郎衆院議員候補への応援も2回計画されていた(私を解任した後の無能な随行員の不手際により2回目は参加できていない)。各党の全候補者を平等にひと回りする時間的余裕はないのだから、特定候補者の応援に2度駆けつけるのは明らかに不公平。これに対して、例えば日本共産党やみらいの党(生活)などの衆院選候補者の多くは1回の応援も得ていない。
また、候補者スケジュールの決定は信じがたいほど不手際で、遅すぎた。これは、単なる事務的な能力不足という問題ではない。むしろ、この選挙の意義を自覚して勝とうという本気さが足りなかった。いや、足りないというのは不正確、皆無だったというべきだろう。アルバイト気分の選挙事務局スタッフには、選挙に勝ちたい、勝つために工夫をし、そのための努力をしよう、この選挙を勝ち抜くために人の意見も聞こう、苦い批判にも耳を傾けようというまじめさがなかったからではないか。「仲間内のなかよしを重視した楽しい選挙戦」に終始し、重要な選挙戦にふさわしい、選対事務が行われていたと胸を張れる者はいないはずだ。
驚くべきことだが、選挙序盤では、熊谷伸一郎事務局長(岩波)の「安全上の問題から、宇都宮候補の予定は公開されるべきでない」という馬鹿げた方針によって、選対に宇都宮候補はどこにいるのか問い合わせても、教えないし答えられないという状況だった。
一回一回の街頭宣伝に多くの人に集まってもらい、勢いのある様子を都民に見てもらうことが街頭宣伝チームの任務だと考えていた私は、選対事務局の秘密主義には困惑した。この選対事務局長の秘密主義により、街頭宣伝に全く人が集まらないことが続いた。あまりの事態に、私だけでなくチームのみんなが不満を述べた。その結果、この秘密主義は修正され、街頭宣伝の予定が公開されるようになる。熊谷さんはどうして、このような馬鹿げた指示を出したのだろうか。彼限りの判断だったのだろうか。誰が「秘密主義方針」の決定に賛成し、また方針変更することになったのか。こんな「大失敗」がきちんと内部的な総括の対象になっているとは今まで聞いていない。
しかし、秘密主義の方針撤回以後がたいへんだった。スケジュールの決定は極めて遅く、前日の夜になっても翌日の予定がよくわからないことがたびたびであった。これには、宇都宮さんも閉口し、私に対して、選対本部にスケジュールの早期決定を要求するように何度も指示している。この指示を受けての私と選対事務局との交渉が、先鋭的な対立の具体的な理由となった。
とにかくスケジュールの決定が遅いのだから、明日の街宣の予定が立たない。予定地付近の支援団体や勝手連に事前の告知ができない。その結果として行く先々の街頭宣伝に人が集まらない。候補者の行く先々が大変寂しい状況が続いた。これで宇都宮支持の熱気が盛りあがるはずもない。この状況を打開するためには、とにかくスケジュールを早く決めて、そこにたくさんの人が参加するように時間の余裕をもって呼びかける必要があることは自明だった。私だけでなく、街宣車の車長(杉原氏)も、その他の街頭宣伝メンバーも皆一致した認識だった。街宣車の主要なメンバーでの話し合いは頻繁にもたれ、選対本部に対してもっと早期のスケジュール設定と開示を求めることになった。
選対本部との交渉の役割を誰が担うべきか、特に任務分担があるわけではない。候補者はやらない。車長もやろうとはしない。候補者を予定通りに現場に連れて行くことが私の任務であり、その予定を得るためでもあるので、私がその役割を引き受けることになった。もちろん、選対には最初から厳しく要求したわけではない。電話でメールでFAXで、予定を求め続けた。しかし、選対の対応は、信じがたいほど緩慢だった。通常の企業であれば到底許容できない水準の怠慢といってよい。
私が、選対本部にスケジュールを求めると、「未だ決まっていない」と言う。じゃあ、いつ決まるのか、と問うと「分からない」と言う。誰がどのようにして決めるのか、聞いてもさっぱり要領を得ない。最終的には熊谷事務局長が決めるという。熊谷事務局長はどこかと聞けば病院に行ってしまい、いつ戻るかわからないという有り様。挙げ句の果てには、「街頭宣伝などでは大きな票を動かすことはできない。事務局はマスコミ対策で手一杯であり、街宣はその後に位置づけられている、スケジュールが出なくてもそのまま待っていればよい」と言われる始末。
ようやく熊谷事務局長をつかまえて、決定権者が不在で決定できないなら、別人が決定できるような仕組みを作るべきではないかと言えば、「おまえの仕事はそんなことではない。僭越だ。言われたとおりの仕事をやっていろ」というのが熊谷伸一郎事務局長(岩波)の言だった。言われたとおりの仕事をしようにも、どう仕事をすべきか事務局長が決めるべきスケジュールが決まらないから、仕事が出来ず困っているのだ。この人の言うことは非論理的でよく分からない。ともかく、これでは選挙戦の体をなさない。このときは、街宣車が大東京の中の「迷える仔羊」になったようで心細い限りであった。
・熊谷事務局長「居留守」問題
熊谷伸一郎事務局長(岩波)のその任に適さない事実をもう一つ挙げておこう。
四谷三丁目の選挙事務所を借りる前、東京市民法律事務所を間借りして選挙運動の立ち上げ準備をしていたころ。私が選対に参加して2日目だから、11月20日の出来事である。
「明るい革新都政を作る会」の中山伸事務局長が、熊谷伸一郎事務局長(岩波)と連絡を取ろうと、何度も何度も電話をかけてきた。
私はその度の電話を受け、帰ってきた熊谷事務局長に伝言し、返電するよう伝えた。
それに対する熊谷さんの言に驚いた。「ああその人には電話しない」「その人には(熊谷は)いないっていって」「ぼくはその人が嫌いなんだ」「その人が、出馬会見前に支持表明しようとして、生活の党からの支持が吹っ飛ぶところだった。大変な迷惑を被ったんだ」というのだ。
中山伸さんは、さらに熊谷事務局長が在室している時にも熊谷さん宛に電話をかけてきた。熊谷さんは、電話を受けた者に対して、声を出さないまま両手の人差し指をあごのひげの前で交差させ、居留守を使うように指示した。
勤務2日目の私も、さすがに批判を口にした。「居留守なんか使わずに、電話に出てお話しすべきでしょう。選挙戦は短いんですよ」と言ったところ、「そのうち電話するからさ」との返事だった。ああ、この人は、不誠実きわまりない人物なのだ。
この「明るい革新都政を作る会居留守事件」が、熊谷事務局長と宇都宮選対全体の体質についての、私の第一印象として深く刻みこまれた。その後の事態の推移は、この第一印象を訂正するものではなく、正しさを確認するものだった。
この選対は、共闘の結節点としての重責を担う資格がない。共闘を成功させるための選対は、高い道義性によって信頼を勝ち得なければならない。その観点からは、共闘の重要な構成団体の事務局長への「嫌いだから、居留守」は、不適格を明らかにしたものではないか。意見の相違があれば、政治的に指摘すべき問題点があれば、会ったうえでそれを批判するのが当然の道義だろう。また、ひとりの社会人のあり方としても、居留守を使うのが恥ずかしいこととは思わない感性の持ち主は信頼し得ない。周囲の選対スタッフに、自らが裏表のある信頼できない人物であると公言しているに等しい、という認識がない。熊谷伸一郎事務局長の能力の不足は後に知ることになるが、道義の欠如はここで明らかだった。
また、生活の党からの支持を得ることが重要だという、選対(あるいは熊谷)の政治判断もまた批判的に検討されねばならない。生活の党の支持を得ることが「明るい革新都政を作る会」との友誼の形成を二の次としてた優先課題であったか、それがどれだけの効果を生じさせたのだろうか。この検証はされていない。
・随行員としての任務外し
私は、選挙戦を4日残した12月11日午後9時30分に、突如上原本部長から、選対事務所に呼び出され、そこで、随行員としての任務外しを言い渡された。青天の霹靂のことである。これは事後にわかったことだが、後任の人選まで事前に済ませており、周到に準備された「だまし討ち」だった。
熊谷伸一郎事務局長(岩波)は、「翌日休むように命令しただけで、任務を外す命令ではない」と言っているようだが、詭弁も甚だしい。選挙戦はあと3日しかないこの時期に、候補者のスケジュール管理に責任をもっている私を、慰労のために休まようとしたとでも言うのだろうか。一刻も選挙活動のための時間が惜しいこの時期に、私を休ませる理由があるはずはない。実際、私を外したことによる後任の不慣れによる不手際は現実のものとなっている。上原本部長や熊谷伸一郎事務局長(岩波)は、選挙運動の円滑な運営よりも、私への「小さな権力の誇示」と「嫌がらせ」を優先したのだ。
企業が、邪魔な労働者に嫌がらせをする際には、まやかしの理由でカムフラージュするものだが、「疲れているようだから休養の指示」というのは、もっともらしい理由にもなっていない。
私が、任務外しの理由を問い質したところ、まずは「疲れているから」というものだった。それに加えて、「女性は厳禁とされた随行員に、選対本部の許可なくTさんを採用したこと」も、理由とされた。なんと馬鹿馬鹿しい理由。
私は反論した。ここで一歩も退いてはならないと思った。直感的に、これは私だけの問題ではない。選挙共闘のあり方や、「民主陣営」の運動のあり方の根幹に関わる問題性をもっていると考えたからだ。
まず、「命令」なのか確認をしたところ、上原公子選対本部長は「命令」だと明言した。私はこれは極めて重要なことと考え、上原選対本部長には「命令」する権限などないことを指摘した。お互いにボランティア。運動の前進のために、合理的な提案と説得と納得の関係のはず。上命下服の関係を前提とした「命令」には従えない、ことを明確にした。このときの上原公子本部長の表情をよく覚えている。彼女は、熊谷事務局長と目を合わせて、にやにやしながら、「この人、私の命令を聞けないんだって」と笑ったのだ。私はこの彼らの態度に心底怒った。
それでも、論理的に説得しようと務めた。逃げ腰の上原公子選対本部長を制して、この不当な措置に対する私の言い分を聞くよう要求した。その結果、私は上原公子本部長にようやく2分間だけ弁明の時間を認めさせた。上原公子選対本部長は、夜の9時半にわざわざ私を呼び出しておいて、「忙しいから2分間だけ」ということだった。
私は、その2分間で、「ボランティアのTさんに随行員となってもらったのは、車長も含む街宣チーム全員の話し合いの結論だったこと。選対事務局に人員増強の要請をしても応じてもらえず現場の必要に迫られての判断だったこと。そして、市民選対の誰にも、命令の権限も服従の義務もないこと」を喋るつもりだった。
しかし、このわずか2分間の約束も守られなかった。私の弁明は途中で打ち切られた。上原公子選対本部長は、「会議に呼ばれているから、そっちに行かなくちゃ」と、結局は1分半で席を立って姿を消した。
得難い経験だった。不当解雇された労働者の無念の気持がよく分かった。理不尽な「小さな権力」の横暴の恐ろしさが身に沁みた。「この人、私の命令を聞けないんだって」という上原と熊谷の薄ら笑いを忘れることはないだろう。
こうして、私とTさんとは、随行員としての任務から外された。翌日のスケジュールにしたがって、いつものとおり街宣車に乗ろうとしたが、気の毒そうに車長から拒否された。
私は、その後は本郷の自宅付近で、近所の勝手連の人々と一緒に街宣活動やビラ撒きに参加した。Tさんは、心配して遠巻きに候補者を気遣い、ある局面では後任者の手際の悪さから、うろうろしていた宇都宮さんを誘導して昼食がとれるように案内したことがあったという。このとき、内田聖子運動員(選挙運動報告書によれば選挙運動報酬5万円受領)から、「あなたは任務を外されたのだから余計なことをしないで」と面罵されたそうだ。これは、宇都宮さんの面前のことだったが、宇都宮さんは見て見ぬ振りだった。そう、涙ながらに聞かされた。
この任務外しの真の目的が何であったのか、今冷静に考えても私にはわからない。残り3日という最終盤になって、人事をいじって混乱を持ち込む必要は全くないはずだった。私が選対に過度に批判的だったとしたところで(もちろん、私は正当な要求だと考えているが)、この選挙最終盤には私は候補者と共に移動し続け、選対事務所に戻る機会さえなかったのだから、選対事務に実害が及ぶはずがない。結局は、「小さな権力を誇示したい」「澤藤に嫌がらせをしておきたい」という動機しか考えようがない。その機会は、選挙が終わってからでは間に合わない、最終盤を迎えた選挙運動への影響はどうでもよい、今のうちにやってしまえ、と考えたのであろう。ボランティアのTさんは、あきらかに私の巻き添えで、申し訳ないと思う。しかし、私にとっての救いは、全ての経緯をよく知っているTさんが、私と一緒に、選対と候補者に怒りを燃やしていることである。選対にはそのやり口の汚さ、宇都宮さんには弱者の側に立たない優柔不断さに憤っておられる。
・市民選対内部の「権力関係」について
そもそも、市民選対において、選対本部長だろうが事務局長だろうが、ボランティア参加者に命令ができる権限があろうはずがない。この点で、あたかも「業務命令権限」をもっているかのごとき感覚の両名に反省を促したい。そんな感覚だから、人が集まらない。参加した人が生き生きと活動できないのだ。このような、市民運動を担うにふさわしくない人物が運動の中心に坐ったことが、選挙の失敗の大きな原因であったろう。
まずは、対等・平等な立場で市民が参加し結集していることを確認しよう。すべての参加者が自発性に支えられて活動をしている。そこには、命令服従の関係はなく、誰の誰に対する命令権限も服従義務もない。あるのは、合理的な提案と、自発的な賛意に基づく行動の原則である。提案には丁寧な説明・説得がともない、それに対する納得があって、個人が行動に立ち上がる。意見の齟齬があれば、批判の権利が保障されたうえで、説得と納得によって人を動かすしかない。問答無用で人を動かすことはできない。うっかり、そんな権力的な人に権限をもたせたらたいへんなことになる。
選挙運動参加者はあくまで平等である。もちろん、寄付の金額の大きな人が、大きな影響力を持ってはならない。誠実な運動参加者こそが、自ずから影響力をもつことになるだろう。
敢えて、選挙運動参加者の立場の上下に触れるとすれば、一円ももらっていないボランティアの運動員が本来的な選挙運動の主体である。金をもらった労務者(上原公子10万円・服部泉10万円・石崎大望17万円など)、あるいは派遣元から金をもらっている者は、実質的な意味での選挙運動、すなわち選挙政策の決定・宣伝・人事等に関わってはならない。「会」と、「労務者」「事務員」「車上運動者」との間には、単純な労務の提供、純粋な事務作業を目的とする雇用契約が成立し、そこでは職務命令が可能になる。つまり、会の運動を支えているボランティアと、金をもらった労務者との間には、明らかに法的な立場の区別がある。金をもらっている労務者に、ボランティアが命令されるという、本末転倒な状況が生じていたのだ。
私は随行員としての任務を誠実に遂行してきた。常に陣営の利益のために、4つの柱の政策のもと、時には候補者本人よりも原則的に対応してきた。現場に候補者を連れて行けなかったことは一度もない。これは、そう当たり前の簡単なことではない。交通事情・事故情報を勘案しながら、目的地に最も早く到着する方法を常に考え続けなければならない。宇都宮さんがタクシーで移動する時間を調整し、携帯電話で会話できる状況を作り上げ、三鷹公団団地弾圧事件の被害者と電話で会話できるように舞台設定もした。選対本部と相手先に到着予定時刻を刻々と報告し続ける。街宣車での自動車移動では間に合わないと判断し、途中で電車に乗り換え、集会に遅刻せず到着したこともたびたびある。
私が解任された後の後任の随行員は、漫然と街宣車での移動を続け事故渋滞に巻き込まれ、選挙戦最終日の前日、街頭宣伝集会に宇都宮候補を大幅に遅刻させ、集会参加を断念するという不手際を演じている。私は十分にその任を果たしたと自負している。
一方、スケジュール一つ決めることのできない選対本部長・事務局長・選対本部は、選挙戦全体を統括する能力に欠けていたというほかない。
その選対が、私を切ったのだから、何とも奇妙な本末転倒の出来事というしかない。
思い出すと、止めどがない。今日はこれまでとしたい。私も、受験生の身でこの作業に多くの時間を割く余裕はない。明日で一応完結としたい。明日は、私とTさんの、権利侵害回復の要請に、宇都宮さんと「人にやさしい東京をつくる会」がどのような対応をしたかについて、お知らせをしたい。
私は、このことは、重大なことと考える。明日の私の報告をお読みになった上で、宇都宮さんを本当に推せるのか、「人にやさしい東京をつくる会」の再度の活動が認められるのか、よくお考えいただきたい。
*********************************************************************
安倍晋三のホンネ
八百屋に行って魚は買えない。永田町では倫理を手にできない。靖国では平和を語れない。
富士には月見草がよく似合う。鳩にはオリーブだ。靖国は軍国神社、軍服を着たおじさんの進軍ラッパがよく似合う。とうてい「不戦の誓い」が似合うところではない。
安倍晋三個人が、こっそりと、まったく誰にも知られず(秘書にも神社側にも隠れて)の参拝であれば、どんな神社に行ったところで、「私的参拝」と言える余地はある。しかし、今回の参拝を私的な行為として言い逃れはできない。政教分離の憲法原則に違反することは明白だ。
昨日のブログで詳述したとおり、憲法は歴史認識の所産なのだ。つまりは、侵略戦争と植民地主義への反省に立脚して形づくられた。首相が、憲法の政教分離原則に違反して靖国神社参拝をしたということは、とりもなおさず侵略戦争への反省をしていない。植民地支配への反省もしていないということなのだ。だから、中国も怒る。韓国も叫ぶ。今度は「価値観を共有している」はずのアメリカまでが、「失望した」と言い出している。先の大戦の敵国であったことを思い出しているのだろう。
安倍が、参拝後の談話の中で、次のとおり言っているのは、噴飯ものである。
「日本は二度と戦争を起こしてはならない。私は過去への痛切な反省の上に立って、そう考えている。戦争犠牲者の方々のみ霊を前に、今後とも不戦の誓いを堅持していく決意を新たにしてきた。」
「アンダーコントロール」と「完全にブロック」の例を持ち出すまでもなく、安倍は嘘つきである。世界中の誰もが、安倍の言葉を信じていない。本気で不戦の誓いをするのなら、こんなに似つかわしからざる舞台は他にない。
「中国、韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりは全くない。…中国、韓国に対して敬意を持って友好関係を築いていきたいと願っている。」のであれば、靖国神社に参拝すべきではなかった。
安倍は、思い切り人をぶん殴っておいて、「あなたを傷つけるつもりなど毛頭ありません。今後とも、敬意を持ってあなたとの友好関係を築いていきたいと願っています」と言っているのだ。
安倍談話の中で私が注目したのは、「また戦争で亡くなられ、靖国神社に合祀(ごうし)されない国内、及び諸外国の人々を慰霊する鎮霊社にも参拝した。」と、鎮霊社を持ち出したこと。かねて用意の小細工が、こんな形で利用されたか、という思い。
私は、ときに人を靖国神社に案内する。そのときは、必ず、鎮霊社をよく見ていただく。その壮大さや華麗さを、ではない。その規模の小ささ、みすぼらしさを、手入れの悪さを、である。壮麗な本殿のすぐ近くで、鎮霊社のみすぼらしさと粗末な扱われ方は際立っている。私は、これを「靖国の差別」の一例と紹介している。ここから、靖国における「魂の差別」「死者の差別」を語り始めることができるのだ。
鎮霊社とは、靖国神社にもともとあったものではない。靖国神社自身のパンフレットには、「戦争や事変で亡くなられ、靖国神社に合祀されない国内、及び諸外国の人々を慰霊するために、昭和40年(1965)に建てられました。」とある。
1964年、自由民主党は「靖国神社国家護持に関する小委員会」を設置し、ここを拠点に靖国神社国家護持を内容とする法案提出を狙った。1969年から1972年にかけて議員立法案として自民党から毎年提出されたが、廃案に終わった。なお、この企図が潰えて後に、靖国神社公式参拝要請運動に転じることになった経緯がある。
靖国神社が国民的な支持基盤を持っていることは否定し得ず、この民衆の支持を侮ってはならない。また、遺族を中心とする靖国信仰の心情を理解するに吝かではない。戦死者の遺族に接するときには背筋を伸ばさなければならないとは思っている。
しかし、反靖国感情も根強い。それは、靖国神社が軍人軍属の戦死者だけを祀っているからだ。いわば、差別構造に支えられているから。靖国法案を成立させるにも、この点の反靖国感情がネックと考えられた。それならば、靖国神社の構内に、全戦没者の霊を祀る施設をつくればよいということになった。それが、鎮霊社創建の動機である。こうして、安直な動機で、鎮霊社が創建された。靖国神社の合祀対象者を除く国内外の全戦没者を祀っているという意味付けである。朝敵側の戦没者も、民間人戦没者も、外国人戦没者も、「その他」一切が祀られている。だが、明らかに、「英霊」と「その他」との取り扱いは天と地ほどの差なのだ。鎮霊社のみすぼらしさが、そのことを視覚的に表現している。
靖国神社(国家護持)法案は、その後、憲法問題をクリアーするには鳥居から賽銭箱から、神社という社号までなくさねばならないとなって、靖国神社自身も反対に回った。こうして、法案は断念されたが、靖国神社のご都合主義から創建された鎮霊社は残った。残ったもののこれは継子である。当然のごとく、継子としての粗末な扱われ方しかされない。靖国神社自身が、「鎮霊社の御祭神は奉慰の対象だが、御本殿の御祭神は奉慰顕彰の対象」としており、本殿祭神とは明確な差別を設けている。要するに、鎮霊社創建のあとといえども、「顕彰の対象」とされているのは、皇軍の軍人・軍属だけなのだ。賊軍にあって朝敵とされた者が、祭神として顕彰の対象となることは絶対にない。
靖国神社は、天皇制と軍国主義の結節点にある。天皇への忠誠の有無如何で、死者においても敵味方を差別するのが、靖国の特異な思想なのだ。賊軍の戦没者は未来永劫に敵、けっして靖国神社に祀られることはない。敵国人も同じ。そして、民間人も同様である。
もともとが血なまぐさい幕末の抗争の中での、「勤皇」方の復讐の儀式。この儀式を行う場所として1869(明治2)年東京招魂社が創建され、1879(明治12)年に靖国神社と改称された。招魂祭と名付けられたその儀式は、味方の死者の怨みの霊魂を祀って、その霊魂の前で復讐を誓った。その原型の思想は、今も靖国神社の教説に脈々と受け継がれている。
靖国神社とは、天皇のための忠死者を顕彰する施設。天皇への忠誠故の戦死を褒め称えるための施設。戦死は浄化され、その戦死をもたらした戦争も聖化される。侵略戦争という本質は覆い隠され、戦争批判は影をひそめることになる。幕末当時と同じメンタリティで、戦死者の前では復讐が誓われる。
鎮霊社の創建と、その後の継子いじめは、むしろ「皇軍戦死者」と「その他の戦争犠牲者」との差別を際立たせることになった。安倍の小細工利用の思いつきも、却って逆効果でなかったか。
安倍が隠したホンネは以下のとおりなのだ。
「英霊の皆様、とりわけA級戦犯として無念の死を遂げられた皆様。ようやく、臣安倍晋三が、皆様のご無念をお晴らし申し上げるときがやってきました。国家が、富国強兵の目的のもと、版図を拡大するための戦争を行うのは、正当なことです。しかも、皆様がご苦労された戦争は我が国の自存・自衛のためのもの。反省すべきは、果敢に闘ったにもかかわらず、武運拙く戦争に敗れたこと。兵力の不足と、鍛錬の不足、そして武装のための経済力の不足でした。これからは、一意専念、アベノミクス効果で国力を増強し、武器産業を拡充し、国民には愛国心を叩き込み、軍事費拡大による軍備の増強と軍事法制の充実をはかります。幸いに、特定秘密保護法は国会を通過し、新たな大本営であるNSCもできました。集団的自衛権行使容認ももうすぐ。憲法改正だって夢ではありません。大っぴらに戦争を語ることのできない異常な時代はもうすぐ終わります。着々と、天皇をいただいた大日本帝国時代の日本を取り戻す計画が進行しております。ですから英霊の皆様、なかんずくA級戦犯の皆様、安らかに我が国の軍国化の将来をお見守りください。」
(2013年12月27日)
本日のブログはかなりの長文になる。長いが、是非最後までお読みいただきたい。インパクトがあるはずだ。
本日は2部構成となっている。
第1部は、澤藤統一郎の息子の澤藤大河が執筆している。彼が、宇都宮選対で候補者の随行員として働き、不当な任務外しを受けた「被害者」の一人だ。もちろん、任務外しをした、上原選対本部長、熊谷事務局長の側にも、あるいはこれを「責任を問うような事件ではない」と看過した宇都宮君にも、それなりの言い分がないはずはない。しかし、まずは、「被害を受けた」という側の言い分に、耳を傾けていただきたい。その後に、「加害者」と指摘された側の言い分もじっくり聞いて、ご自身で、このような選対のこのような候補者が、都知事選の候補者としてふさわしいか否かをご判断いただきたい。
第2部は、本日唐突に強行された安倍首相の靖国神社参拝に対する憲法の立ち場からの評論である。このブログの訪問者数は、平均1500程度。それが、今毎日4000に近くなっている。「宇都宮君、立候補はおやめなさい」の記事を読みにいらしている新来の方が、半分以上と推察される。私のこのブログは、宇都宮君糾弾のためのブログではなく、「日々の憲法問題」を取り扱う「憲法日記」である。
一日も早く、宇都宮君の出馬断念を確認して、日常の「憲法日記」に戻りたいと願っている。今日の安倍靖国神社参拝については、どうしても書かずにはおられない。宇都宮君の出馬の是非についての関心でこのブログを閲覧される方も、第2部まで目を通していただくよう、お願い申し上げたい。お読みいただくにふさわしい内容だと自負している。
*************************************************************************
私の経験した宇都宮選挙
私は、2012年の都知事選挙で、宇都宮候補の選挙運動員となった。当時、私は、勤めていた会社を退職し、司法試験の受験準備をしていたので選挙運動の時間をとることができた。候補者の宇都宮さんが父の知り合いだったことからの紹介だったが、強権的な石原都政の承継を阻止したいと強く願っての選挙戦への参加であった。
その際、以下の三つの私の経験が生かせると考えた。
まず、私は東大教養学部の学生自治会の委員長を2期務め、その際有権者8000人の選挙を経験している。私の経験した選挙戦は、選挙の原点を学ぶにふさわしい、普遍性に富む充実したものだった。
また、工学修士号を有し理科・工学の基礎的な知識のあることは、脱原発を訴える宇都宮選挙で重要な援助をなし得るものと考えた。
さらに、司法試験を目指している立ち場で、法律についての素養があることも、政策論争や選挙弾圧対策において重要な意味があると考えた。
わたしは、選挙の始まる以前の11月19日から、解任される12月11日夜までの全期間、ほぼフルタイムでボランティアとして選挙に参加した。場合によっては早朝から深夜まで。当然のことながら一円も受け取っていない。選挙とはそのようなものだと心得ていた。宇都宮さんの秘書的な立場にあって選挙運動開始以前から彼と行動を共にした。私の任務はスケジュールの管理である。具体的には、常に候補者に同行し、その安全をはかるとともに、彼が過ごしやすいように配慮して、必要な時刻に必要な場所に彼を送り届けることだった。
私は、候補者本人とは誰よりも長く時間をともにした。スケジュールを策定する本部とも密に連絡を取り合っていた。おそらく、私ほどにこの選挙の全体像を見てきた者はなかったと思う。その立場から、率直に申しあげる。宇都宮陣営の選挙は、およそ選挙の形をなしていなかった。候補者についても、選対についても、負けるべくして負けたというほかはない。
以下に、候補者と選対について、見聞した事実を語ることにする。事実を語れば、否定的な評価は避けられない。できることなら触れないでおきたいとは思う。それでも、やはり率直に語らねばならない。再びの過ちを繰り返さないという大義のために、である。
宇都宮候補について
・候補者としての魅力に欠けること
私が、宇都宮さんの随行員を買って出た動機のひとつには、宇都宮さんから多くのことを学ぶことができるだろうとの思いがあったから。きっと、魅力的な人物なのだろうとの期待が大きかった。しかし、一緒にいて、その期待が崩れるのに、たいした時間はかからなかった。その後は、宇都宮さんの魅力に感じてではなく、任務として頑張った。
候補者には、人と話をして魅了する資質が必要である。ところが、彼はそもそも話をしない。話しかけても膨らませて会話が弾むことがない。私も、最初は頻繁に話しかけたのだが、話しに乗ってくることがなかった。
彼の演説は毎日聴いたが、聴衆を魅了する憲法訴訟の経験談や、人権擁護の熱意がほとばしるという魅力に溢れた演説は一度も聞いたことがない。私の期待が、そもそも無い物ねだりだったのだ。人を感動させたり引きつけたりする内容のある話ができないのは、候補者として不適格というしかない。そもそも政治家としては向いていないのだと、どうして誰も言わないのだろうか。
選挙戦の初めのころ、ある運動員が宇都宮さんに話しかけたことがある。「是非、よい弁護士さんに都知事になってほしい。そして憲法の理念を都政に生かしてほしい。私は常々憲法13条こそ一番重要な条文であり、これを生かすような政治が必要だと考えている」
私は、弁護士が候補者であることの最大の利点は、法律を、とりわけ憲法を縦横に語れることにあると考えていた。これは、猪瀬や松沢、その他の候補者には全くできないことだ。弁護士が憲法13条を語ることは、まるごと自分の憲法観を語ることであり、自分の職業的な使命観を語ることでもある。宇都宮さんが弁護士としてがんばってきた今までの反貧困運動、クレサラの活動などが凝縮された、具体的で理想に満ちたすばらしいやりとりを期待した。
ところが、宇都宮さんの返事は「そうですか」というだけのもの。あとでその運動員は、大変がっかりしたと語っていた。
・都知事候補者としての政策能力が十分ではない
さらに候補者としての不適格な点は、具体的に都政を語る力が十分とは言えないことだ。
これは、彼だけの責任に帰するのは気の毒な面もあるが、都政について語るべきものをもっているとは言いにくい。これまでの蓄積のないことが見えてしまう。
街頭での演説は、常に同じ内容の繰り返し。選挙戦の進展に伴って、演説の内容が深化していったり、訴えるべき言葉の完成度が高まるということはなかった。
宇都宮陣営の政策は、抽象的には優れたものかもしれないが、具体性に乏しく、このままでは候補者の演説にはならない。この難題をこなすには多大な能力を必要とするが、明らかに宇都宮さんには重荷に過ぎた。候補者が、広大な東京都の中で、演説する場所に応じた、地域的な課題について触れることもなかった。あえて言えば、秋葉原で表現規制問題に触れた程度だろうか。
テレビにおける公開討論は総選挙と重なったことで2回だけだったが、宇都宮さんが他候補との議論において切り結び、圧倒するような場面は一度もなかった。切られないようにハラハラしながら祈るばかり。公開討論の回数が少なかったことは、猪瀬の傲慢さを都民に伝える機会が減った点で残念なことであったが、同時に、宇都宮さんの都政への知識不足と熱意不足が明らかにならなかったことは、むしろ陣営に利益だったといえるだろう。
以下、私が彼に失望した具体的事件を述べる。
・バッヂ事件(NHKでの収録)
弁護士の世界は別として、ささやかなりとも宇都宮候補が社会的知名度があったのは、年越し派遣村の名誉村長となり、湯浅誠氏などと反貧困運動に関わったから。宇都宮さん自身も、反貧困運動に取り組んできたことを周囲に誇らしげに語っており、どこに行くにも反貧困バッヂを背広に付けていた。
ところが、政見放送収録のため、渋谷のNHKに出向いたときのこと、収録直前にNHKの職員がそのバッヂを外すように指示してきた。
これには二重の問題がある。
一つは、表現の自由との関係である。およそ弁護士として、「表現手段としての大切なバッヂ」を外せと言われて簡単に応じられるはずはない。政見放送が完全に自由に収録されねばならず、あらゆる制限がなされるべきでないこと、それを争った憲法訴訟もなされたことは、広く知られている。憲法を擁護する立場を鮮明に打ち出した候補者として、表現の自由に対する制約に対して常に闘う姿勢を示すべきでないのかという問題が第一。
次に、反貧困運動を行ってきた仲間に対して、そして「自分のトレードマークはこのバッヂである」と語り真剣に行ってきた運動に対しての裏切りにならないのか、という問題が第二。
私は、NHKの職員にその指示の根拠となった文書を見せるように要求した。NHK職員が手渡したのは、上司からのメールの一部だったが、その後半には「それでも候補者がバッヂを外すことに同意しない場合はそのまま収録、放送すること」という指示が書かれていた。
私は、政見放送において、あらゆる制限は認められないという原則をNHKの職員に主張するとともに、選対の法対に連絡し、バッジを外すことを拒否した場合の法的リスクについて判断を仰いだ。法対の判断は外す必要はないし、なんらかの訴訟になれば憲法訴訟として受けて立つに足るものだというものだった。
私は、法対の判断と、NHK職員のメールから絶対的な要求ではないという先方のハラを宇都宮候補に伝え、どうするか相談した。
まったく意外にも、宇都宮さんは「ああ、はずしますよ」と理由も言わずバッヂを外してしまった。これには、唖然とした。NHKが政治的に偏向していることは周知の事実ではないか。彼は、何の抵抗も示すことなく、その指示に従ってしまった。たたかう姿勢皆無の人なのだと、私は失望した。
後日、宇都宮候補は、「マスコミ対応には彼(澤藤大河)よりも、私(宇都宮自身)の方がなれているから」と、私のいないところで語ったという。人権も、運動への誇りも、仲間を裏切る葛藤もなく、NHK職員の指示に従うことが「マスコミ対応になれている」ことにあたると宇都宮候補が考えているのならば、都知事になったところで、官僚や議会多数派の指示に従うだけの都知事になるだけだろう。
・収録時間超過事件(MXTVでの収録)
NHKでの政見放送の他に、民放各局合同の政見放送収録があり、MXTVに赴いた。
ここでの収録の際、宇都宮候補は、予め決められていた時間枠を数秒オーバーしてしまった。
事前に説明があったとおり、他の候補との平等取り扱いのため、収録のやり直しは認められない。さすがに、発話中に突然終わってしまうことは防ぐために、一番最後の「皆さん、ともに都政を作っていきましょう」という呼びかけを削除するのでよいかと、スタッフから質問された。しかし、これでは終わり方が不自然になってしまう。
私は、何度もビデオを見直して、カットするなら最初の頭を下げる挨拶部分を切ることはできないかと、提案した。最初は、「前例がない」というだけの答えだった。食い下がって、それが不可能であるか問い合わせてほしいと求めたところ、収録スタッフがわざわざ電話をかけて局長に問い合わせ、それが可能だとの答えを得た。
その結果、幸い冒頭のお辞儀の3秒ほどをカットすれば、時間内に収まることが現場で繰り返し再生することで確認され、無事に最後の呼びかけまで政見放送されることになった。
この件に関して、宇都宮候補は現場で一切発言しなかった。私のやり取りを傍観していただけ。しかし、やはり事後、この件について、「澤藤は何もしていない。局側スタッフがよいようにしてくれただけだ」と語っている。これには、呆れた。
そもそも、何百回でも練習して、きちんと時間内に演説できるように訓練してくることすらできない点で候補者としての熱意にも能力にも欠けている。そのうえ、自分の陣営の利益に誠実に活動する者を、守ろうとしない点でも候補者としての資質に欠けることになろう。
・同窓会
宇都宮さんの同窓会にも同伴した。東大駒場の文?(法学部進学)のクラス会だった。
30人も出席していただろうか。当時、宇都宮選対内のメールマガジンやツイッターでの情報発信のために、私は宇都宮さんの人となりについての情報をできるだけ集めて選対に送っていた。
宇都宮さんがどんな学生だったのか、学生時代の友人は彼をどう語るのか、最高の取材の場であると考えて、出席者に話を聞いてまわった。弱い立場の者に寄り添った話や、自分の信念を貫いた話が何か聞けるかと期待した。
しかし、みな口をそろえて言うのは、「地味だった」「目立たなかった」というものだった。具体的なエピソードについては一切聞けなかったのは、実に驚くべきことだった。
その場で誰かが、「立候補に当たっての供託金はどうしたんだ?借りたのか?」という軽口が飛んだ。宇都宮さんは、それに「自分で用意した」と答えていた。自ら用意すると一旦は言いながら、結局用意できずに、他人から借りた事情を知っている私の前で、なぜそのような嘘を申し述べるのか、理解に苦しんだ。
その上、その場で旧友に対し、供託金が高すぎて負担が大きいとの持論を繰り返し述べていた。供託金が高いことを問題視するならば、自分で用意できないほど高いのだと率直に語った方が、かわいげがあったのではないだろうか。
ずいぶん、長くなった。今日は、ここまでとする。明日は、私を切った選対の体質について、お話しをしよう。
*************************************************************************
安倍首相の靖国神社参拝を許してはならない
不意打ちのことで驚いた。本日(12月26日)午前11時半ころ、安倍晋三首相は、靖国神社に昇殿参拝したのだ。「内閣総理大臣 安倍晋三」と札をかけた花を参拝前に奉納したと報道されているのだから、首相としての公的資格における参拝と見るしかない。また、その後、首相は「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対し、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御霊やすらかなれとご冥福をお祈りした」との談話を発表した。特定秘密保護法採決の強行に次いでの、靖国神社不意打ち参拝である。この安倍の憲法に対する攻撃的な姿勢には背筋が寒くなる。
改めて思い出そう。「もし私を右翼の軍国主義者と呼びたいのであれば、どうぞそう呼んでいただきたい」との開き直った彼の発言を。いまさらではあるが、彼は正真正銘の「右翼の軍国主義者」なのだ。こんな輩を我が国の首相に留めておいてはならない。「抗議する」ではなく、首相の座から引き摺り下ろさねばならない。
安倍の靖国参拝が、中国・韓国・北朝鮮等の近隣諸国に対する挑発行為であることは明白である。冷え切った日中・日韓の関係を、さらに修復不能なまでに損ないかねない愚行でもある。当然のことながら、中・韓両国の反発は凄まじい。それだけでなく、アメリカ政府までが、安倍の暴走に懸念を表明している。
折しもこの日は毛沢東生誕120周年にあたる。抗日戦を闘い抜いた「建国の父」を偲んで、中国共産党の最高指導部が毛沢東記念堂を訪れたばかり。その日を選んだかのような安倍首相の靖国神社参拝。中国国内での、挑発行為への反発の感情がとりわけ厳しいと報じられている。
首相の靖国神社参拝はなぜ許されないのか。憲法の政教分離規定に違反するからなのか、あるいは中・韓などの近隣諸国との友好を損なうからなのか。答は二者択一ではない。実は両者は同根の問題なのだ。私は、日本国憲法とは、歴史認識の所産だと理解している。その面を最も典型的に表わしているのが、政教分離の原則(憲法20条3項)なのだ。
アジア・太平洋戦争の惨禍についての痛恨の反省から日本国憲法は誕生した。このことを、憲法自身が前文で「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と表現している。日本国憲法は、一面普遍的な人類の叡智の体系ではあるが、他面我が国に固有の歴史認識の所産でもある。この歴史認識が、憲法解釈の基準でもある。
歴史認識とは、単に「大日本帝国」による侵略戦争と植民地支配の歴史的経過を正確に把握することではない。その戦争と植民地支配の歴史を国家的な罪悪とする評価的認識をさす。したがって、憲法前文がいう「戦争の惨禍」とは、戦争がもたらした我が国民衆の被災のみを意味するものではない。むしろ、旧体制の罪科についての責任を読み込む視点からは、近隣被侵略諸国や被植民地における大規模で多面的な民衆の被害を主とするものと考えなければならない。憲法は、近隣諸国の被害をも織り込んでできているのだ。
歴史認識は、必然的に、この加害・被害の構造を検証し、その原因を特定して、再び同様の誤りを繰り返さぬための新たな国家構造の再構築を要求する。日本国憲法の制定は、その作業の結実と理解しなければならない。
そのような作業において、歴史認識における反省の根本にあるものは、「天皇制」と「軍国主義」の両者であったと考えられる。日本国憲法は、この両者に最大の関心をもち、旧天皇制を解体するとともに、軍国主義の土台としての陸海軍を崩壊せしめた。国民主権原理の宣言(前文・第1条)と、平和主義・戦力不保持(9条1・2項)である。さらに、「天皇制」と「軍国主義」の両者を結節する憲法制度として、政教分離原則(20条3項)を置いた。
憲法をめぐるせめぎ合いは、歴史認識をめぐるせめぎ合いでもある。歴史修正主義派にはまったく別の憲法の評価と解釈がある。彼らは、戦前の天皇制も軍国主義も否定的な評価を受けるべきものとは考えていない。天皇の唱導する戦争に反省などありえない。歴史修正主義が憲法に敵対的であることは理の当然なのだ。
歴史修正主義は、敗戦に至る経過の中に格別の罪科も責任も認めない。戦前の否定も、それと比較しての戦後の肯定もない。したがって、敗戦による歴史の断絶も転換も認める立場になく、戦前と戦後の連続性の契機を強調する史観となる。その結果、戦後改革と憲法制定の意義を相対化し、あわよくばこれを覆そうとする。その彼らの思惑と角逐しているのが、オーソドックスに戦後改革と憲法の意義を強調して、敗戦時の歴史の断絶の契機を重視する思想である。その両者のせめぎ合いの最も重要な舞台の一つとして靖国神社がある。
日本国憲法を形づくる歴史認識の問題点が、究極的に「天皇制」と「軍国主義」の2点に帰着するとして、この両者の結節点に、かつての別格官弊社靖国神社があり、今なお宗教法人靖国神社がある。かつての靖国神社は、軍と天皇とに直結して、天皇制軍国主義の精神的支柱であった。いま、宗教法人靖国神社は、制度としては軍とも天皇とも直接の結びつきを失っている。しかし、旧靖国神社の思想をそのまま護持し、「靖国史観」を掲げて歴史修正主義の拠点となっている。
その「靖国史観」とは、皇国史観に連なりながらもさらに天皇美化の行きつくところ。天皇のために兵士として死ぬことを臣民の美徳とし、そのように慫慂する観点からの歴史の把握である。侵略戦争を聖戦視し、戦死の将兵を神として「英霊」なる美称を与えて顕彰し、戦争批判を「英霊への冒涜」として封じようとする史観でもある。日本国憲法の基本理念とはまったく正反対の立ち場にあって、「戦争」と「戦争の惨禍」を反省するという視点とは無縁である。
だから、靖国神社は、刑死した東条英樹以下14人のA級戦犯を合祀する場としてこそふさわしい。靖国神社への参拝者は、昭和殉難者として祀られている「平和への罪」の犯罪者に、尊崇の念を捧げることになる。誰にも明瞭に分かりやすい、靖国史観の仕掛けがここにある。本来内閣総理大臣や天皇が参拝に行けるはずはないのだ。
日本国憲法における政教分離とは、宗教一般と国家との分離の書きぶりではあっても、国家神道復活を警戒し、神道と国家との厳格な分離を要求するものである。就中、国家神道の軍国主義の側面を代表する軍国神社靖国こそ、20条3項が最も警戒の対象とする存在である。それが正統な歴史認識からの憲法の最も真っ当な読み方なのだ。
私は、憲法20条3項の「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」とは、「首相の靖国神社参拝」を禁じることを主眼として作成された規定であると理解している。
だから、首相の靖国参拝とは、憲法上は20条3項の政教分離原則違反となり、そのことが、とりもなおさず近隣諸国への侵略戦争や植民地支配の反省を否定するものとして、軍事的挑発行為になるのだ。中国や韓国など、「足を踏まれた側」の国民には、自明のことである。
ところが、歴史修正主義者としての安倍晋三には、そのような観点がない。安倍が叫ぶスローガンは、「戦後レジームからの脱却」と「日本を取り戻す」ことである。この二つを組み合わせれば、「戦後レジームから脱却した、取り戻すべき日本」とは、大日本帝国憲法時代の「皇国日本」であり、彼の祖父・岸信介が商工大臣を務めた東条英機内閣時代の「軍国日本」以外にはない。まさしく、安倍こそは、典型的な歴史修正主義派の政治家であり、戦前戦後連続史観の体現者でもある。
「皇国日本」と「軍国日本」との結節点に靖国神社がある。安倍の感性においては、今ある宗教法人靖国神社は、けっして一宗教法人ではない。皇国日本を支えた靖国の思想を顕現する場であり、軍国日本を支えた皇国の指導者と皇軍の将兵とが、かつての軍国の思想そのままに、英霊となって鎮座する聖なる社である。ここに、民主主義国日本を代表する資格をもって参拝したのだ。彼は、新旧憲法の断絶を認めない。政教分離という制度の理解を拒絶する。
それゆえ、靖国神社への参拝について「第1次安倍政権で任期中に参拝できなかったことは、痛恨の極みだった」と言い、「その気持ちは今も変わらない」と繰り返し、そして今日、敢えて参拝を強行したのだ。
再確認しておこう。靖国神社参拝是非の考察には、歴史認識問題の考察が不可避であり、歴史認識を凝縮した日本国憲法は、公的資格における参拝を許容するところではない。それは、たまたま一条文に違反して形式的に違憲というだけの問題ではない。歴史認識の問題として、戦争の惨禍をけっして繰り返してはならないとする憲法制定時の主権者の叡智と決意との所産としての憲法の体系に反しているということなのだ。
安倍は靖国派のエースであり、歴史修正主義派のエースでもある。本日の安倍の靖国神社公式参拝は、まさしく、安倍の「戦後レジームからの脱却」の行為でもあり、「脱日本国憲法」を体現する無法な行為でもある。
自民党の「日本国憲法改正草案」(2012年4月27日発表)を作成した憲法改正推進本部の最高顧問の一人として安倍は名を連ねている。この草案に明記された「天皇を戴く国」「国防軍を持つ国」「軍法会議を整備した国」こそが、安倍の望むところ。必然的に、天皇と軍との結節点である靖国神社への公式参拝を許容するように政教分離規定は書き改められようとしている。
先に紹介した現行憲法の20条3項に次の文言を書き加えて、国には禁止されている宗教的活動に、穴を開けようというのである。
「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない。」
つまり、靖国神社参拝は、「社会的儀礼」または「習俗的行為」の範囲を超えるものではない、として大っぴらに参拝しようということなのだ。
憲法解釈の基準はまさしく正確に把握された歴史認識にある。政教分離の解釈には、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることの決意」を読み込まなければならない。そのためには、天皇のために玉砕し散華した戦死者を神として祀り美化する宗教施設と国家との関わりを持たせてはならない。安倍晋三のような危険な人物の靖国神社公式参拝を認めてはならない。
靖国神社参拝という違憲行為を敢えてした、安倍晋三を首相の座に留めていてはならない。
(2013年12月26日)
5月21日付の韓国・中央日報が、「靖国とアーリントンが同じだという安倍首相の詭弁」という社説を掲載している。少し長いがご紹介したい。
安倍晋三日本首相の妄言が“漸入佳境”だ。今度は靖国神社を米国のアーリントン国立墓地に例える発言で物議をかもしている。安倍首相は米外交専門誌フォーリンアフェアーズのインタビューで、「日本人が靖国神社を参拝するのは米国人がアーリントン墓地を参拝するのと同じ」と主張した。醜悪な日本軍国主義の象徴である靖国を、戦没将兵が安置される神聖な国立追悼施設と同一視する詭弁だ。
安倍首相はアーリントン墓地に米国の南北戦争で敗北した南部軍人も安置されている点を取り上げ、「奴隷制度に賛成した人たちを参拝するからといって、奴隷制に賛成するわけではない」という米学者の言葉を引用した。靖国神社を参拝するからといってそこに合祀されている太平洋戦争のA級戦犯まで追悼するのではないという意味と聞こえる。日帝の侵略で被害を受けた韓国や中国など周辺国が日本政治家の靖国参拝に反対する最も大きな理由の一つであるA級戦犯合祀という部分を避けようという手段だ。
敗者まで追悼するアーリントンとは違い、靖国は日本の近代化過程で発生した内乱の敗者を徹底して排除している。明治政府に反対して発生した西南戦争の主導者である西郷隆盛の位牌は靖国のどこにもない。靖国には明治時代から太平洋戦争まで日本軍国主義の確立と膨張に寄与した軍人と軍属の位牌だけが安置されている。アーリントンが国民統合と和解の象徴なら、靖国は戦死者を顕彰する軍国主義の象徴にすぎない。安倍首相が靖国とアーリントンを区別できないのは無知と意地が会った結果だ。
靖国は戦死を名誉として賛美するところだ。戦線へ向かう兵士と家族に「戦死すれば神になり、靖国に祭られる栄光を享受する」と洗脳した。兵士は「靖国で会おう」といって命を捧げた。「天皇から授かった命を天皇に捧げたため、それ以上の名誉はない」と教えた。これが軍国主義・日本の国教である「靖国信仰」だ。戦争を称える靖国で平和を祈るというのは矛盾だ。靖国が国立追悼施設だと言い張るのは通りすがりの牛も笑うことだ。
靖国にはA級のほか、B、C級戦犯の位牌もある。彼らは戦線で実際に残虐行為をした侵略実務者だ。彼らの犯罪も決して軽くない。A級戦犯を靖国から分祀するからといって靖国問題が解決されるかは疑問だ。むしろ「靖国信仰」の自由な布教活動を助長する懸念が強い。
東京には1959年に国家が運営する施設として建設された千鳥ケ淵戦没者墓苑がある。第2次世界大戦中に国外で死亡した日本の軍人と民間人のうち、身元が確認されていない人たちのための納骨堂だ。靖国とは違い、宗教的な色彩がないところだ。安倍首相がどうしても戦没者を追悼したいのならここでするか、首相公館で侵略戦争の被害者のための追悼式を挙行するのが正しい。
※異論もあろうが、韓国から見ての靖国観をよく表して興味深い。
靖国神社はアーリントンとは違う。一方は軍国主義の設計図の中に組み込まれた宗教的軍事施設であり、他方は死者を追悼する場としての墓地である。靖国は単なる死者の追悼施設ではなく、戦死を国家宗教的意味づけをするための施設であって、本質的に墓地とは異なるのだ。
靖国は、戦死者の顕彰に名を借りた、戦争の美化と戦意昂揚の施設である。社説が、「靖国は戦死を名誉として賛美するところだ。戦線へ向かう兵士と家族に『戦死すれば神になり、靖国に祭られる栄光を享受する』と洗脳した」「戦争を称える靖国で平和を祈るというのは矛盾だ」というのは、まったくそのとおりとして頷ける。
しかも、戦死者を神として祀るという、宗教的感情の利用を特徴としている。ここでは国家による死者の魂の独占が企図されている。だから、アーリントンとは大違いで、合祀の可否が戦死者やその遺族の意思によって左右されることはない。戦死者本人や遺族の信仰にしたがった追悼が許されることもない。遺族に合祀を拒否する権利はなく、神道以外の追悼の形式はありえない。
アーリントンは墓地である以上、埋葬される者や遺族の意思が尊重される。埋葬を希望しない者への埋葬が強制されることはないし、その追悼において特定の宗教形式が強要されることもない。遺族がそれぞれの態様で追悼ができる。ここが、靖国との決定的な違いだ。
この差異を見過ごしてはならない。「アーリントンと同じ」という欺瞞で、戦争の美化と戦意昂揚のための戦没者利用を許してはならない。
********************
『株式会社経営の保育園』問題
今日は朝からスズメが大騒ぎしている。小スズメの巣立ちだ。木の枝に止まったくちばしの黄色い小スズメに親スズメがえさをひっきりなしに運んでいる。親に向かってくちばしを思いっきり開けて、膨らませた羽をぱたぱたと振るわせて、おねだりだ。
子育てに懸命になるのは、スズメだって人間だっておんなじ。今年は保育所に入れない「待機児童」が2万5千人にのぼり、そのお母さんたちが要求を掲げて、行政に不服申し立てをして話題になった。選挙を控えてこの要求を無視できないと考えた安倍首相は、4月19日「経済の成長戦略」の目玉として、保育所待機児童をゼロにするとスピーチした。その中で「全国で最も待機児童が多い状況を3年間でゼロにした」成功例として、横浜市を取り上げた。横浜市は10年以降、株式会社の新規参入などによって、認可保育所を144カ所増設し、定員を1万人以上増やしてきた。そして、今年4月には580カ所(うち企業経営152カ所)の認可保育所(総定員48916人)に47072人が入所し、「待機児童ゼロ」を達成したという。ただし、認可外施設に入ったり、親が育休をとっているなどで「待機児童」とはみなされない1746人は除いてゼロということである。横浜市は今年度の一般会計の6.2%、887億円をつぎ込んでいる。
安倍首相は横浜市を例に挙げて、認可保育所への株式会社の参入推進を自治体に強く促した。自治体が今まで株式会社の参入に慎重だったのは、株式会社が運営する保育所で、採算が合わないと突然閉園したり、職員がすぐやめてしまうなどの不都合があったからだ。営利と保育が両立するのかという懸念があった。今後、横浜市方式で規制緩和がはかられていくことになれば、基準さえ満たせば株式会社の経営も自動的に認可される。現行制度では認められていない株主配当が認められ、営利を目的とする保育への道が開かれることになる。
今でも民間施設の保育士は平均月額給与21万円と低賃金だ。人員配置も3歳児20人に保育士1人である。災害時など対応できるはずがない。不服申し立てをした保護者も「規制緩和による待機児解消は望まない。基準を緩めるのは反対」として、子どもの安全を求めている。
収益を第一に考えているのは株式会社だけではない。全国に2万ある社会福祉法人にも問題がありそうだ。社会福祉法人は特別養護老人ホームや障害者施設、保育所などを営んでいるが、法人税や固定資産税が非課税で、助成金でも優遇されている。世田谷区の例では区が土地を提供した場合認可保育所1カ所作るのに2億4千万円程度かかる。社会福祉法人の場合、2億1千万円を公費でまかなえるが、株式会社の場合は全額自費負担となる。厚生労働省の調査では、社会福祉法人経営の特養では1施設あたり平均3億円あまりの内部留保を持っているという。社会福祉の初心を忘れている。
こうした株式会社や社会福祉法人が保育を儲けの場とすることは許されない。保育を経済の成長戦略の道具にしてはならない。子どもを預けて、どうしても働かなければならないという親の窮状につけ込むことを許してはならない。本来子どもの教育は無償にすべきだし、そのための税金ならよろこんで負担しようではないか。
(2013年5月22日)