「靖国はアーリントンと同じ」ではない
5月21日付の韓国・中央日報が、「靖国とアーリントンが同じだという安倍首相の詭弁」という社説を掲載している。少し長いがご紹介したい。
安倍晋三日本首相の妄言が“漸入佳境”だ。今度は靖国神社を米国のアーリントン国立墓地に例える発言で物議をかもしている。安倍首相は米外交専門誌フォーリンアフェアーズのインタビューで、「日本人が靖国神社を参拝するのは米国人がアーリントン墓地を参拝するのと同じ」と主張した。醜悪な日本軍国主義の象徴である靖国を、戦没将兵が安置される神聖な国立追悼施設と同一視する詭弁だ。
安倍首相はアーリントン墓地に米国の南北戦争で敗北した南部軍人も安置されている点を取り上げ、「奴隷制度に賛成した人たちを参拝するからといって、奴隷制に賛成するわけではない」という米学者の言葉を引用した。靖国神社を参拝するからといってそこに合祀されている太平洋戦争のA級戦犯まで追悼するのではないという意味と聞こえる。日帝の侵略で被害を受けた韓国や中国など周辺国が日本政治家の靖国参拝に反対する最も大きな理由の一つであるA級戦犯合祀という部分を避けようという手段だ。
敗者まで追悼するアーリントンとは違い、靖国は日本の近代化過程で発生した内乱の敗者を徹底して排除している。明治政府に反対して発生した西南戦争の主導者である西郷隆盛の位牌は靖国のどこにもない。靖国には明治時代から太平洋戦争まで日本軍国主義の確立と膨張に寄与した軍人と軍属の位牌だけが安置されている。アーリントンが国民統合と和解の象徴なら、靖国は戦死者を顕彰する軍国主義の象徴にすぎない。安倍首相が靖国とアーリントンを区別できないのは無知と意地が会った結果だ。
靖国は戦死を名誉として賛美するところだ。戦線へ向かう兵士と家族に「戦死すれば神になり、靖国に祭られる栄光を享受する」と洗脳した。兵士は「靖国で会おう」といって命を捧げた。「天皇から授かった命を天皇に捧げたため、それ以上の名誉はない」と教えた。これが軍国主義・日本の国教である「靖国信仰」だ。戦争を称える靖国で平和を祈るというのは矛盾だ。靖国が国立追悼施設だと言い張るのは通りすがりの牛も笑うことだ。
靖国にはA級のほか、B、C級戦犯の位牌もある。彼らは戦線で実際に残虐行為をした侵略実務者だ。彼らの犯罪も決して軽くない。A級戦犯を靖国から分祀するからといって靖国問題が解決されるかは疑問だ。むしろ「靖国信仰」の自由な布教活動を助長する懸念が強い。
東京には1959年に国家が運営する施設として建設された千鳥ケ淵戦没者墓苑がある。第2次世界大戦中に国外で死亡した日本の軍人と民間人のうち、身元が確認されていない人たちのための納骨堂だ。靖国とは違い、宗教的な色彩がないところだ。安倍首相がどうしても戦没者を追悼したいのならここでするか、首相公館で侵略戦争の被害者のための追悼式を挙行するのが正しい。
※異論もあろうが、韓国から見ての靖国観をよく表して興味深い。
靖国神社はアーリントンとは違う。一方は軍国主義の設計図の中に組み込まれた宗教的軍事施設であり、他方は死者を追悼する場としての墓地である。靖国は単なる死者の追悼施設ではなく、戦死を国家宗教的意味づけをするための施設であって、本質的に墓地とは異なるのだ。
靖国は、戦死者の顕彰に名を借りた、戦争の美化と戦意昂揚の施設である。社説が、「靖国は戦死を名誉として賛美するところだ。戦線へ向かう兵士と家族に『戦死すれば神になり、靖国に祭られる栄光を享受する』と洗脳した」「戦争を称える靖国で平和を祈るというのは矛盾だ」というのは、まったくそのとおりとして頷ける。
しかも、戦死者を神として祀るという、宗教的感情の利用を特徴としている。ここでは国家による死者の魂の独占が企図されている。だから、アーリントンとは大違いで、合祀の可否が戦死者やその遺族の意思によって左右されることはない。戦死者本人や遺族の信仰にしたがった追悼が許されることもない。遺族に合祀を拒否する権利はなく、神道以外の追悼の形式はありえない。
アーリントンは墓地である以上、埋葬される者や遺族の意思が尊重される。埋葬を希望しない者への埋葬が強制されることはないし、その追悼において特定の宗教形式が強要されることもない。遺族がそれぞれの態様で追悼ができる。ここが、靖国との決定的な違いだ。
この差異を見過ごしてはならない。「アーリントンと同じ」という欺瞞で、戦争の美化と戦意昂揚のための戦没者利用を許してはならない。
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『株式会社経営の保育園』問題
今日は朝からスズメが大騒ぎしている。小スズメの巣立ちだ。木の枝に止まったくちばしの黄色い小スズメに親スズメがえさをひっきりなしに運んでいる。親に向かってくちばしを思いっきり開けて、膨らませた羽をぱたぱたと振るわせて、おねだりだ。
子育てに懸命になるのは、スズメだって人間だっておんなじ。今年は保育所に入れない「待機児童」が2万5千人にのぼり、そのお母さんたちが要求を掲げて、行政に不服申し立てをして話題になった。選挙を控えてこの要求を無視できないと考えた安倍首相は、4月19日「経済の成長戦略」の目玉として、保育所待機児童をゼロにするとスピーチした。その中で「全国で最も待機児童が多い状況を3年間でゼロにした」成功例として、横浜市を取り上げた。横浜市は10年以降、株式会社の新規参入などによって、認可保育所を144カ所増設し、定員を1万人以上増やしてきた。そして、今年4月には580カ所(うち企業経営152カ所)の認可保育所(総定員48916人)に47072人が入所し、「待機児童ゼロ」を達成したという。ただし、認可外施設に入ったり、親が育休をとっているなどで「待機児童」とはみなされない1746人は除いてゼロということである。横浜市は今年度の一般会計の6.2%、887億円をつぎ込んでいる。
安倍首相は横浜市を例に挙げて、認可保育所への株式会社の参入推進を自治体に強く促した。自治体が今まで株式会社の参入に慎重だったのは、株式会社が運営する保育所で、採算が合わないと突然閉園したり、職員がすぐやめてしまうなどの不都合があったからだ。営利と保育が両立するのかという懸念があった。今後、横浜市方式で規制緩和がはかられていくことになれば、基準さえ満たせば株式会社の経営も自動的に認可される。現行制度では認められていない株主配当が認められ、営利を目的とする保育への道が開かれることになる。
今でも民間施設の保育士は平均月額給与21万円と低賃金だ。人員配置も3歳児20人に保育士1人である。災害時など対応できるはずがない。不服申し立てをした保護者も「規制緩和による待機児解消は望まない。基準を緩めるのは反対」として、子どもの安全を求めている。
収益を第一に考えているのは株式会社だけではない。全国に2万ある社会福祉法人にも問題がありそうだ。社会福祉法人は特別養護老人ホームや障害者施設、保育所などを営んでいるが、法人税や固定資産税が非課税で、助成金でも優遇されている。世田谷区の例では区が土地を提供した場合認可保育所1カ所作るのに2億4千万円程度かかる。社会福祉法人の場合、2億1千万円を公費でまかなえるが、株式会社の場合は全額自費負担となる。厚生労働省の調査では、社会福祉法人経営の特養では1施設あたり平均3億円あまりの内部留保を持っているという。社会福祉の初心を忘れている。
こうした株式会社や社会福祉法人が保育を儲けの場とすることは許されない。保育を経済の成長戦略の道具にしてはならない。子どもを預けて、どうしても働かなければならないという親の窮状につけ込むことを許してはならない。本来子どもの教育は無償にすべきだし、そのための税金ならよろこんで負担しようではないか。
(2013年5月22日)