東京都教育委員会の皆さま 被処分者と懇談の機会を持ちませんか
文科省の諮問機関である中央教育審議会に教育制度分科会がある。昨日(5月20日)その会合が開催された。議題は、「地方教育行政の在り方について」である。ここしばらくは開店休業の状態となっていた「地方教育行政部会」が動き出すことになるのだろう。
4月15日に教育再生実行会議が「地方教育行政の在り方について」を提言した。これを受けて、首長が任命する教育長に権限を集中させる教育委員会制度改革案が審議される。どうせ形ばかりのこと‥にならないようにしていただきたい。
戦後教育改革の目玉のひとつとして、教育委員会制度が誕生した。教育の自由を確立するするために、地方教育行政を国家からも自治体の首長からも独立させる役割を期待されての公選制の教育委員会制度発足であった。その公選制は、首長の選任と議会の同意の制度に後退はしたものの、今なお独立行政委員会として首長からの独立の形式はまだ守られている。今回の「改正」は、これをも徹底して形骸化してしまおうというもの。これまでは、教委の事務局の長に過ぎなかった教育長を、名実ともに地方教育行政の責任者にしようというのだ。これが実現すれば、教育行政の独立性は、ほぼ失われてしまうことになるだろう。教育の自由は逼塞させられることになりかねない。
その制度「改革」の理由とされているのが、教育委員会制度の形骸化である。非常勤の教育委員はお飾り同然、どうせ大したことをしていないのだから、実態にふさわしい組織形態にしてしまえ。そういう、理念を無視した乱暴な提言である。
私は、東京都教育委員の皆様に逆の立場から提言を申しあげたい。教育委員本来の、国家からも知事からも独立した教育委員会本来の大仕事をひとつやり遂げてみてはどうだろうか。教育委員会が形骸化しているという世評を吹き飛ばし、全国の教育委員会に独立行政委員会としての模範を示して見ていただけないだろうか。その素晴らしい材料があることには既にお気付きだろう。
あなた方は、首都の教育行政の責任者として、確かにお飾り同然、今までは大したことをしてない。そもそも、あなた方は教育についての見識を買われて教育委員に選任されたわけではない。知事の目から見て、政策の手駒に使える安全パイであればこそのあなた方の選任なのだ。むしろ、確乎たる見識や主張を持ち合わせていないからこそ、あなた方は今その地位にある。しかし実は、あなた方は、知事や教育庁の役人の意のままに振る舞わねばならない立場にはない。自らの意思で行動しようと思えば出来るのだ。その覚悟さえあれば、だ。
私は、操り人形に呼び掛けたい。あなたは自分の意思で動けるのだよ、さあ動いてみなさい、と。人形が、自ら魂を獲得し、まとわりついている操りの糸を断ち切って、その意思で本来あるべき使命を全うするとなれば、なんというロマン、なんという素敵なファンタジーではないか。
都教委が抱える最大で最重要の懸案が、国旗国歌(日の丸・君が代)強制問題だ。教育と教育行政のあり方の根本を問う課題でもあり、歴史認識や国家観、そして憲法の理解の根幹に関わる問題でもある。この問題へ関わったすべての者は、好むと好まざるとにかからず、後世においてその姿勢を問われることになる。
その最重要案件が未解決のまま放置されている。最高裁判決は都教委の強制を違憲とまでは言わなかったが、そのやり方を、過酷・やり過ぎとして断罪はした。そして、子どものために教育の場としてふさわしい環境を作るよう、関係者みんなで話し合え知恵を出し合えと、異例の補足意見が書かれている。明らかに、都教委にそのイニシャチブを取れと言っているが、その動きはまったく見えてこない。
この最高裁判決に耳を傾け、10・23通達を撤回して教員や生徒・保護者に思想良心の自由を保障することは、知事や教育庁の役人には難しいことかも知れない。しかし、教育委員のあなた方に出来ないことではない。操りの糸を断ち切りさえすれば。
まずは、10・23通達関連の最高裁判決を、虚心によくお読みいただきたい。大橋寛明判決(2011/3/10)も、難波孝一判決(2006/9/21)にも目を通されたい。そうすれば、不起立・不斉唱が、一部の不届きな過激派教師の行為などではなく、真面目で良質な教員の真摯な良心の発露であることが理解いただけるだろう。都教委の名で出された「10・23通達」が、どれほど多くの教員を苦しめ、教育を歪めているかもお分かりいただけるだろう。
そのとき、操り人形に魂が入る。自分の意思で動けるようになる。そうしたら、処分をされた多くの人々の代表者と直接会って、その生の声を聞いていただきたい。そのような機会を設けるよう働きかけをしていただきたい。最高裁の裁判官が、まずはあなた方になんとか知恵を絞っていただきたいと呼び掛けている。その呼び掛けに応えていただきたい。
そのことが、あなた方に対する「お飾り」や「形骸化」という批判から、あなた方自身を救うことになるだろう。そうすることが、「操り人形」から脱する道となる。教育委員会制度の理念を救うことにもなる。そうでなければ‥、あなた方は「所詮は木偶人形であったか‥」との批判を甘受せざるを得ない。