澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

あなたの比例代表の一票を日本共産党に。アベ政権の改憲暴走への貴重なブレーキとして。

10月22日(日)の総選挙投票日が間近である。有権者の投票意向調査による各党の議席獲得予想が各紙を賑わしている。天気予報もそうだが、最近この予想がバカにできない。結構当たるのだ。

先日、私にも日経からの調査だという電話がかかってきた。選挙に関心はあるか、投票に行くか、どの政党を支持しているか、今度は誰に投票するか、…。相当な時間をかけての丁寧な聴き取り。これで、一定のサンプル数が確保できれば、なるほど調査の信頼度は高い。しかも、調査主体による誤差が大きくない。となれば、一喜一憂せざるを得ない。いや、一喜はなくて、もっぱら一憂ばかりなのだ。

私は、日本のあらゆる政治勢力の中で、日本共産党こそが最も原則的に憲法擁護の立場を堅持していると考えている。憲法改正を許さないという姿勢において、また日本国憲法の平和的・民主的理念の実現や、基本権尊重の姿勢において、その揺るぎない立場に敬意をもっている。

しかし、今の世において、共産党が大きく支持を伸ばし、議会での多数議席獲得に困難な事情あることは認めざるを得ない。ここしばらくは、共産党一党で改憲を阻止し護憲を貫く力のないことは誰の目にも明らかだ。とすれば、改憲を阻止するためには、志を近しくする他党や市民運動との共同が必要になる。「少なくもアベ政権の改憲には反対」「個別的自衛権は認めるが9条改憲には反対」「自衛隊の存在は認めるが9条を変えてはならない」「改憲ありき護憲ありきの議論でなく立憲主義の精神を尊重しながら、憲法改正論議に真摯に取り組む」などという諸勢力をも糾合して改憲発議を阻止するための3分の1の議席の確保を目指さなければならない。

それが「市民と野党の共闘」ということで結構なのだが、今回選挙の議席獲得予想では肝腎の共産党自身の勢いが芳しくない。反アベ票・反改憲票が、最も反アベに徹し、最も護憲に徹した共産党の議席に結びつかず、言わば途中下車現象が起きようとしているのではないか。反アベ護憲勢力の真ん中に揺るぎない存在感をもって位置していなければならない共産党の議席が細ってしまっては、共闘の意味合いも半減してしまう。

本来、共闘とはギブアンドテイク、あるいはウィンウィンの関係でなくてはならない。さて、共産党から見て、ギブだけではなくテイクがあるのだろうか。果たしてウィンとなる共闘になっているのだろうか。投票箱の蓋を開けてみなければ分からないことなのだが、各紙の予想に一喜一憂する身としては、どうしても落ち着かない。

だから、遠慮なく声をあげようと思う。「比例は共産党に」「あなたのもっている2票のうち、小選挙区票は野党共闘候補に。そしてもう1票の比例代表選挙は、ぜひとも共産党に投票をお願いします」。
**************************************************************************
以上のことを私が語るとぎこちない。今朝の赤旗に、嫌みなく上手な語り口で同趣旨の発言が紹介されていた。神奈川(藤沢市)の太田啓子弁護士。10月15日、横浜市内での弁護士有志の宣伝でのスピーチとのこと。この人とは、今週月曜日(10月16日)の、森友学園問題刑事告発の相代理人になったことで初めて知りあった。「安倍政権のブレーキに」という表題がついている。共産党に、エンジンやアクセルになる力はない。しかし、政権が暴走して改憲に至る危険へのブレーキ役としては貴重な存在という風な訴え。

私、神奈川県内で弁護士をやっていますけれども、各地で憲法の出張勉強会をやってきました。4年半で200回ぐらいやってきたかなと思います。
22日が投開票の総選挙、どこに投票するか、もう決めていらっしゃいますでしょうか。もしも決めていなかったら、ぜひ、比例で日本共産党と書くことを検討してみてほしいんです。
選挙制度にもいろんな問題がありまして、共産党は、少しでも自民党の候補に勝てそうな他の党の候補を応援するために、候補を降ろしています。これは、とっても痛みがある判断で、私は共産党員ではないんですけれども、共産党に心から敬意を表しています。
この共産党の議席が減らないように、比例では共産党と書きましょう。書くことにアレルギーがあったり、家族に共産党嫌いがいてもいいんです。家族には「今回も自民党に入れたよ」と言いながら、こっそり共産党と書いても誰にもばれません。
今回、自民党は公約の大きな6本の柱の中で、憲法9条を変えて自衛隊の存在を明記すると書いています。選挙期間中の街頭演説ではまったく触れなくても、実際に自民党が議席を多く取ったら、国民の意思であると言って、どんどん憲法を変える。絶対そういう方向になるんです。弁護士として、絶対に断言できることなんです。
今回の選挙で共産党に入れても、共産党政権にはなりません。少しでも安倍政権の暴走へのブレーキの力を大きくしたい、そう思えば、野党の力を本当に頑張って追求してきた共産党の力を1議席でも多くするしかない。そのためには、比例では共産党と、ぜひ書いてください。
(2017年10月19日)

こんなサプリは買ってはいけない。こんなアベに投票してはならない。

昨日(10月17日)夜に配信となった時事の記事。表題が、「『不都合な真実』説明不足=モリ・カケ、改憲素通り―安倍首相【17衆院選】」というもの。忖度のカケラもない辛口の内容。リードは以下のとおり。

「衆院選の投開票が22日に迫る中、安倍晋三首相(自民党総裁)が演説で、森友・加計学園をめぐる問題や、国論を二分しかねない憲法改正、痛みを強いる労働政策の見直しなどへの言及を避けている。選挙戦への影響を考慮してあえて触れない戦術のようだが、野党は批判している。」

アベは票がほしい。票を取るためには、『不都合な真実』に口を閉ざすに限る。これがアベの露骨な戦術ということだ。アベが「不都合な真実」としているものが三つ。「森友・加計学園をめぐる問題」、「憲法改正」、そして「労働政策の見直し」ということだ。

アベの演説はこんな風だという。
「国内総生産(GDP)は50兆円増えた。株価は21年ぶりの高値になった。海外からの観光客は2400万人に増えた」。首相は17日の秋田県能代市での街頭演説で、政権の『実績』をいくつも挙げてみせた。
 だが、衆院解散を表明した先月25日の記者会見で、『丁寧に説明する』と約束していた森友・加計問題には一切触れずじまい。悲願のはずの改憲も話題にしなかった。首相周辺は『ネガティブなキーワードを言う必要はない』と解説する。
? 実際、首相の演説内容は、(1)北朝鮮問題(2)少子化・社会保障(3)アベノミクスなどの実績アピール―の3本柱で構成される。森友・加計問題について9日のTBS番組では『こういう場で質問されれば答えるが、街頭演説で説明するのは(控える)』と語り、選挙演説では言及しない姿勢を鮮明にした。」

つまりは、ウケのよい話だけに終始しているというわけだ。その内容は、「(1)北朝鮮問題(2)少子化・社会保障(3)アベノミクスなどの実績アピール―の3本柱」だという。しかし、これでは国民が知りたいことに応えていることにはならない。

「有権者にとっては、投票先を決める判断材料の一部が示されない状況だが、首相が言及しないのは、森友・加計問題や改憲方針だけではない。
? 自民党は衆院選公約に、ギャンブル依存症への懸念がくすぶるカジノ推進を明記。さらに、選挙後は野党が「残業代ゼロ法案」と批判する「高度プロフェッショナル制度」導入を目指しているが、首相の演説では聞かれない。
 野党が警戒するのは、首相がこうした積極的に訴えなかったテーマを選挙後に「ごり押し」する展開だ。2014年の前回衆院選に勝利した首相は、争点化を避けた安全保障関連法の成立に突き進んだからだ。立憲民主党の枝野幸男代表は『首相は勝てば何をやってもいいと勘違いしている』とけん制を強める。」

これは重要な指摘だ。民主主義の本質に関わる問題ではなかろうか。民主主義は、主権者の意思ができるだけ正確に政治に反映することを要求する。選挙における立候補者は、正確な自分を有権者に見てもらわねばならない。何を考え、何をしようとしているのか、ごまかしてはならない。有権者にいつわりの自分の姿を見せて、誤った選択をさせることは、詐欺にも等しい卑劣な行為というほかはない。

間接民主制の限界を意識した警句として、「有権者を選挙のときだけの王様にしてはならない」と言われる。しかしアベの選挙戦術は、選挙のときにも有権者を王様とはしない。せいぜいが裸の王様だ。有権者をたぶらかして票を掠めとろうというのだ。そうして選挙が終われば、遠慮なく、有権者の意思を離れてやりたいことをやろうというのだ。

この手口、怪しげなサプリメント販売業者とよく似ている。いかにも効果がありそうに過大な効果を宣伝しておいて、後々のために「飽くまでも個人の感想で、効能を謳っているわけではありません」と小さい字で書いておくあの手口。選挙が終われば、「モリカケも、改憲も、小さい字で書いておきましたよ」と言うわけだ。アベ政治とは、悪徳商法まがいのサプリメント業者と同じレベルなのだ。こんなサプリは買ってはいけない。こんなアベ・自民に票をやってはならない。

アベのやろうとしていることは、「人民の人民による人民のための政治」ではない。「アベのアベによるアベのための政治」なのだ。あるいは「アベの、指示ないし忖度による、オトモダチのための政治」ではないか。
(2017年10月18日)

心底驚いた報道2件ーアベを勝たせたらたいへんなことになる。

最初が、朝日新聞デジタルからの引用。

「自民『9条改正』案、秋に提示か 衆院選の堅調報道受け」
自民、公明両党で300議席をうかがう――朝日新聞をはじめ報道各社が実施した衆院選の情勢調査結果が出た。自民党内では結果を受け、秋に臨時国会を召集し、党として憲法9条の改正原案を示す案が早くも浮上。安倍晋三首相も選挙後の改憲議論を見据え、布石を打ち始めた。

情勢調査で自民党の堅調ぶりが伝わって以降、党憲法改正推進本部の幹部の間では、選挙後に首相指名を行う特別国会の閉幕後、改めて臨時国会を召集し、自民党の9条改正原案を示す案が浮上。幹部の一人は「我々の考え方、議論の方向性を示せるかどうかだ」と語る。

安倍首相は憲法改正について、街頭演説でほとんど触れていない。だが、今回は自らが提案した「自衛隊明記」など改憲4項目を公約に盛り込み、テレビ出演では自衛隊を明記することについて党内の意見は「まとまっている」と強調。衆院選公示翌日には、テレビ番組で自民党の高村正彦副総裁について、「任期の間は務めてもらう」と表明した。衆院選に立候補しなかった高村氏を来年9月の任期まで引き続き副総裁として遇し、改憲に向けた党内外の調整役として、議論を加速させる考えだ。

これに対し、公明党の山口那津男代表は「国民の理解の成熟がなければ、発議して信を問うのは時期尚早になる」と慎重姿勢だ。希望の党の小池百合子代表も首相提案に基づく自衛隊明記は「大いに疑問がある」としている。立憲民主党や共産党、社民党は首相提案を批判しており、各党の獲得議席によって、9条改正をめぐる議論の展開は大きく変わる可能性がある。

確かに、アベ晋三は、国民に向かって大っぴらには改憲を語らない。北朝鮮脅威論やらアベノミクスの幻想やらを振りまくことによって票を掠めとり、選挙が終われば「改憲提案が信任された」と言おうというのだ。いつもながらの、セコイ、ずるい、汚い、手口。国民がバカにされている。こんな手口で改憲論議の進行強行とは、情けないやら、腹だたしいやら。公明党が真っ当に見えるほどのアベのやり口が異常なのだ。あらためて思う。アベ自民を勝たせてはならない。

**************************************************************************
もう一つが、【速報】「加計学園獣医学部、23日にも認可 同日に孝太郎理事長が記者会見」という田中龍作ジャーナルの記事。これも、アベ自民の選挙大勝を見込んでのパフォーマンス。

田中龍作ジャーナルが政府関係者から入手した情報によると、文科省の大学設置審は衆院選投票日翌日の23日にも加計学園・岡山理科大学獣医学部の設置を認可する方向で最終調整に入った。

同日中に加計孝太郎理事長が記者会見を開く。

23日に認可を発表するのは世論が安倍自民大勝に沸く翌日だ。国民が安倍政権を支持したのだから異論は言わせない、という官邸の高圧的な姿勢が はっきりと 表れている。

獣医学部をめぐっては、建設費の水増し請求やバイオハザードの危険性が指摘されているが、衆院選の圧勝を受けて安倍官邸が力でウヤムヤにすることになる。

加計学園は経営悪化で極度の自転車操業となっており、もし獣医学部が認可されなければ倒産するものと見られている。

加計学園を倒産させれば、加計理事長から真相を洗いざらいしゃべられる。それを恐れた安倍官邸が文科省に圧力をかけて設置を認可させた、との見方がある。

文科省高等教育局大学設置室は田中龍作ジャーナルの電話取材に「設置審の開催日程は非公表につきお答えできない。答申があればその日に公表する」と答えた。

つくづく思う。アベ晋三という人物の不愉快さ。彼は、遊説で改憲問題に触れないだけでなく、森友問題にも加計事件にも触れようとしない。加計問題には触れないでおいて、選挙が終われば認可なのか。選挙が終われば加計孝太郎をカメラの前に坐らせて、これで終わりというのだろうか。

森友事件の告発状を起案していて、拘留中の籠池泰典・詢子夫妻のことを思った。思想的には、とうてい容認し得ないアベ同類ではある。しかし、この夫婦は逃げ隠れするところがなかった。時代錯誤のトンチンカンなものにせよ、どこにでも出て臆するところなく自分の信念を語った。それに比較して、加計孝太郎の逃げ隠れのみっともなさが際立つものとなった。

そして、どうやら、籠池はアベから切られて刑事被告人となり、加計はアベの腹心の友のまま、逃げ切る公算というわけだ。選挙が終わり、疑惑の中での設置認可の段階でほくそ笑む顔を見せようというのだ。アベを勝たせると、選挙の翌日からこんな理不尽が続くことになる。アベを勝たせてはならない。

それでも、アベが勝ちそうな選挙情勢と報道されている。この理不尽をなんと表現すればよいのだろうか。先日のブログの一部をもう一度繰り返す。

私は不思議でたまらない
自分を愚直という人の
人を見下すしたり顔
あとでぺろりと舌出すの

私は不思議でたまらない
無理に作った薄笑い
歯の浮くようなウソ重ね
国民欺していることが

私は不思議でたまらない
誰にきいても笑ってて
本気で怒ってないことが
(2017年10月17日)

投票日の前日まで、インターネット利用の選挙運動は自由。最大限に活用しよう。

来週の日曜日が総選挙の投票日。残る選挙運動期間は1週間のみ。この時点での感想を幾つか。

メディアは、今回の選挙の構図を三極の闘いとしている。その三極のうちの、「自公」対「希望」対峙の局面に主要な関心を向け、副次的に立憲民進にもライトを当てている。

しかし、今回の選挙は安倍一強の歪みを糺す選挙ではなかったか。安倍政権の傲り、政治や行政の私物化、極端な経済的強者優遇の姿勢、行政の不透明性、そして平和・原発・改憲問題…。これをどれだけ厳しく批判できるかが、主たる争点であったはずではないか。

その意味では、今次総選挙の闘いの構図は、明らかに2極構造だ。比例区選挙は各政党の争いだが、その一つの極が安倍自民であり、もう一つの極が最も厳しく最も原理的に安倍一強政治を批判してきた共産党。この2極の間に、中間諸政党がそれぞれの位置を定めて並ぶ構図。

そして、現行の小選挙区制を前提とする限り、現実的に議席を得るためには諸政党は近似の政党と連携してグループを作らざるを得ない。そのグループ対立の構図も、9条改憲と戦争法廃止をメインテーマに、「改憲自公」対「護憲共社憲」の2極対抗。その中間に、「希望・維新」が位置している。3極構造ではなく、飽くまで2極の構造に、ヌエのごとき夾雑物が位置しているとみるべきだろう。

基本は、安倍批判による自公離れ票が対極の共産あるいは護憲政党共闘にまで行き着くか、それとも中間での途中下車を許すか、の問題である。

「もり・かけ隠しの冒頭解散」が決まった頃、総選挙の主要な争点が安倍自民に対する国民のの審判であることは衆目の一致するところだった。ところが今、かなりちがった空気が漂っている。言うまでもなく、希望の党がしゃしゃり出て、失敗したことによるもの。

希望は、安倍政権批判の世の風向きを見てこれに乗ろうと出てきた「安倍自民に代わろうとする保守」である。ムジナをタヌキに代えたところで大した変化はない。実質的にアベ政権の基本政策を継承しようという受け皿にほかならない。一時は、安倍支持層を掘り崩し、安倍離れ票を獲得するかと思われたが、その反国民的な政治姿勢が早くも露呈して、馬脚を露わす事態となった。するとどうだ。「こんな希望の党ごときに比べれば、自公与党がよりマシ」に見えてくる現象が生じた。それが、序盤の選挙情勢分析が示しているところなのだと思う。

結局のところ「希望」とは、安倍離れ票を受けとめそれ以上にリベラル側に行かせぬという意味でのストッパーの役割だったはずだが、今のところ現実には安倍離れとなるはずの票を安倍に留めるという意味でのストッパーになっているのではないか。野党を大きく割って、「希望」という塊を作った、小池・前原・連合3者の政治責任は極めて大きい。

あと一週間の積極的論戦の深まりに期待したい。その主役は、有権者自身だ。そもそも選挙運動の主体は候補者でも政党でもなく、有権者すなわち主権者なのだ。主権者は、けっして候補者からの働きかけの客体にとどまるものではない。

「投票箱が閉まるまでの主権者」という言葉があるが、自由な選挙運動のあれもこれも規制しようという公選法は、選挙期間中の主権者の手も口も縛ろうとしてきた。それでも、できることはたくさんある。日々の会話で大いに選挙を語ることはまったく自由だ。投票依頼のための「戸別訪問」は禁止されているが、たまたま行き会った有権者に対する投票依頼は場所がどこであろうとも、「個々面接」として自由だ。電話による投票依頼にもなんの制約もない。

なにより、ウェブサイト利用の選挙運動は自由だ。ホームページ掲載も、ブログも、ツイッターも、フェイスブックも、ラインも発信元アドレスが明記されている限り自由なのだから、これを活用しない手はない。

選挙運動とは言論戦である。本来、戸別訪問も文書の頒布も、典型的な言論による選挙運動として自由が保障されなければならない。これを禁じる表向きの理由は、戸別訪問が密室での贈収賄の温床となりかねないということであり、文書頒布は金がかかり経済的な格差が票に影響を及ぼしかねないからということにある。

ブログも、ツイッターも、フェイスブックも、ラインも、貧者の武器たりうる。匿名に隠れた卑劣な発信は保護されないが、発信者のアドレスを明記したものである限り、候補者や政党の名を挙げて堂々と推薦し投票依頼しあるいは批判してよいのだ。

もっとも、電子メールの発信による選挙運動は一般有権者にはまだ解禁されていない。解禁されれば、選挙期間中莫大な量のメールが行き交い、メール利用による正常な業務を妨害することになりかねないからだという。メールにだけは注意して、あと一週間。有権者としての権利を大いに行使しようではないか。
(2017年10月15日)

こだまでしょうか いいえ あの人たち

いったいどうなっているのって聞くと
「記憶がないの」という。

「じゃあ記録があるでしょう」というと、
「捨てました」という。

捨てたはずの記録が見つかると、
「それは怪文書だよ」という。

あとで本物だと分かると、
「これって正確ではない」という。

せめてこの人だけでも証言をというと、
「イタリアに行ってもう無理」という。

それなら別の人の証人喚問をというと、
「そんな必要はありません」という。

でも、「丁寧に説明しますと約束したよね」というと、
「もう十分、これ以上の説明は必要ない」という。

「それでも、もう一度ご説明を」っていうと、
「調査は司直の手に任せた」って。

いったいこれからどうなるのかしらって聞くと
「時が過ぎれば闇の中」とつぶやく

こだまでしょうか
いいえ あのひとたち

**************************************************************************
不思議

私は不思議でたまらない
自由と民主のこの時代
安倍さん首相になったのが

私は不思議でたまらない
庶民を敵視の自民党
どうして選挙に強いのか

私は不思議でたまらない
年金削って保育園
介護削って奨学金
これこそ朝三暮四でしょう

私は不思議でたまらない
自分を愚直という人の
人を見下すしたり顔
あとでぺろりと舌出すの

私は不思議でたまらない
コントロールもブロックも
ウソと知りつつ再稼働
誰が責任とるのやら

私は不思議でたまらない
無理に作った薄笑い
歯の浮くようなウソ重ね
国民欺していることが

私は不思議でたまらない
誰にきいても笑ってて
本気で怒ってないことが

(2017年10月11日)

総選挙公示の日、本郷三丁目交差点にて。

本日(10月10日)が、戦後25回目となる総選挙の公示日。憲法の命運を左右しかねない政治戦のスタート。アベ政権という国難除去が主たる課題だ。その主役は有権者であって、けっして政党でも政治家でもない。

当然のことながら、候補者もメディアも、そして選挙管理行政も、有権者が正確な政治的選択に至るように清潔で自由な環境を整備しなければならない。カネや利益誘導で民意を歪めてはならない。嘘とごまかしで、有権者をたぶらかしてはならない。虚妄の政権を作りあげてはならない。

強調したいことは、選挙という制度において投票はその一半に過ぎないということである。多様な国民の言論戦の結果が有権者の投票行動に結実する。投票の前には、徹底した言論戦が展開されなければならないのだ。今回の選挙では、まずはアベ政権という国難の実態が徹底した批判に曝されなければならない。それに対する防御の言論活動もあって、しかる後に形成された民意が投票行動となる。

論戦の対象とすべきものは、
アベ政権の非立憲主義。
アベ政権の反民主主義。
アベ政権の好戦姿勢。
アベ政権の政治と行政私物化の体質。
アベ政権の情報隠匿体質。
アベ政権の庶民無視の新自由主義的経済政策。
アベ政権の原発推進政策。
アベ政権の対米追随姿勢。
アベ政権の核の傘依存政策。
アベ政権の核廃絶条約に冷ややかな姿勢。
アベ政権の沖縄新基地対米追随姿勢。
………
いまここにある、アベという存在自体の国難を、具体的に指摘し摘除しなければならないとする壮大な言論戦において、有権者は積極的なアクターでなくてはならない。「よく見聞きし分かる」ことを妨げられない「知る権利」だけでなく、自分の見聞きしたこと考えたことを発信する権利も最大限保障されなければならない。まさしく、憲法21条の表現の自由が、最大限に開花しなければならないのが、選挙における言論戦なのだ。

ところが、公職選挙法は基本構造が歪んでいる。憲法が想定する建て付けになっていないのだ。だから、総選挙公示とともに、さまざまな不都合が生じる。

私たちは、地域で「本郷湯島九条の会」を作って、ささやかながらも地道な活動を続けている。毎月第2火曜日を、本郷三丁目交差点「かねやす」前での、護憲街頭宣伝活動の日と定めて4年以上になる。この間、厳冬でも炎天下でも、街宣活動を続けてきた。ところが、たまたま本日が10月の第2火曜日となり、予定の「本郷湯島九条の会」街頭宣伝行動が選挙期間と重なった。

その結果、奇妙な政治活動規制がかかることになる。その根拠は、「公選法201条の5」。まことに読みにくい条文だが、そのまま引用すれば、以下のとおり。

(総選挙における政治活動の規制)
第201条の5 「政党その他の政治活動を行う団体は、別段の定めがある場合を除き、その政治活動のうち、政談演説会及び街頭政談演説の開催、ポスターの掲示、立札及び看板の類(政党その他の政治団体の本部又は支部の事務所において掲示するものを除く。以下同じ。)の掲示並びにビラ(これに類する文書図画を含む。以下同じ。)の頒布(これらの掲示又は頒布には、それぞれ、ポスター、立札若しくは看板の類又はビラで、政党その他の政治活動を行う団体のシンボル・マークを表示するものの掲示又は頒布を含む。以下同じ。)並びに宣伝告知(政党その他の政治活動を行う団体の発行する新聞紙、雑誌、書籍及びパンフレットの普及宣伝を含む。以下同じ。)のための自動車、船舶及び拡声機の使用については、衆議院議員の総選挙の期日の公示の日から選挙の当日までの間に限り、これをすることができない。」

分かり易く要約すると、
「(政党に限らず)政治活動を行う団体は、その活動のうち、街頭政談演説の開催、ポスターの掲示、立札及び看板の類の掲示並びにビラ頒布並びに宣伝告知のための自動車及び拡声機の使用については、総選挙期間中に限り、これをすることができない。」

つまり、「本郷湯島九条の会」も、政治的な主義主張をもって活動している以上「政治活動を行う団体」と見なされるとすれば、これまで4年間やってきた街頭宣伝行動のスタイルをとることができない。

私たちは、会の横断幕を掲げ、会のポスターを掲示し、毎回会が作成した手作りのビラを配布し、スピーカーを使い、場合によっては宣伝カーを借りて訴えをしてきた。条文を素直に読む限り、これが違法というのだ。

念のために付言しておくが、本郷湯島九条の会が、特定政党や特定候補の応援をしたことはない。もちろん、投票依頼などしたこともなければする意思もない。それでも、公選法第201条の5が介入してくる。これは、「選挙運動」規制ではなく、選挙期間中に限ったことだが、「政治活動」を対象とする規制なのだ。

そこで、対策を相談した。

第1案 急遽日程を繰り上げて、街宣行動をしてはどうか。これなら、予定の通り、いつものとおりの憲法擁護の宣伝活動が可能だ。

第2案 「九条の会」としてではなく、徹底して個人として行うことなら、201条の5が介入してくる余地はない。スピーカーは使える。。署名活動もできる。しかし、そうすれば、会の名のはいったビラは一切撒けない。横断幕もないことになる。

第3案 「九条の会」として街宣活動をし、合法主義を貫く。ビラなし。横断幕なし。スピーカーなし。肉声ないしメガホンでの宣伝活動をする。

第4案 公選法第201条の5の「政治活動を行う団体」を限定して解釈する。あるいは条文を無視する。憲法に違反している法が有効なはずはない。また、現実的に逮捕や起訴はあり得ないのだから、警告や指導が入るまで予定の通りにやればよい。

**************************************************************************

結局、第2案を採用することとなった。たまたま、このとき、ここに集まった個人が、それぞれ個人としての意見を表明するということ。このことに、文句を付けられる筋合いはない。

 

冒頭、私がマイクを握って、次のような発言をした。

ご近所のみなさま、ご通行中の皆さま、私は、本郷5丁目に在住する弁護士です。
日本国憲法とその理念をこよなく大切なものと考え、いま、憲法の改悪を阻止し、憲法の理念を政治や社会に活かすことがとても大切との思いから、志を同じくする地域の方々と、本郷湯島九条の会というささやかな会を作って、憲法を大切しようという運動を続けて参りました。

会は、毎月第2火曜日の昼休み時間を定例の街頭宣伝活動の日と定めて、これまで4年以上にわたって、ここ本郷三丁目交差点「かねやす」前で、護憲と憲法理念の実現を訴えて参りました。とりわけアベ政権の憲法をないがしろにする姿勢を厳しく糾弾しつづけまいりました。この4年間、厳冬でも炎天下でも続けてきた、「本郷湯島九条の会」街頭宣伝行動ですが、本日は理由あって中止いたします。

会は、毎回会の名を明記したビラを作成し配布してきましたが、本日はビラはありません。毎回、「九条の会」の横断幕と、幟を掲げてきましたが、本日横断幕も幟もないのはそのためです。

会としての街頭宣伝活動を中止するのは、本日総選挙の公示がなされたからです。公職選挙法にはまことに奇妙な規定があります。
公職選挙法201条の5は、「(政党に限らず)政治活動を行う団体は、その活動のうち、街頭政談演説の開催、ポスターの掲示、立札及び看板の類の掲示並びにビラ頒布並びに宣伝告知のための自動車及び拡声機の使用については、総選挙期間中に限り、これをすることができない。」としています。

つまり、選挙期間中は、団体としての政治活動のうち、看板の掲示やビラの配布、スピーカーの使用が禁じられているのです。私は、これは明らかに憲法に違反した無効な規定だと考えますが、「本郷湯島九条の会」としては違法とされていることはしないことにいたしました。

ですから、今私は「本郷湯島九条の会」の会員としての発言をしていません。飽くまで個人としての意見を表明しています。

選挙期間中といえども、個人として政治的見解を表明することに何の制約もありません。むしろ、選挙期間中は、有権者が最大限に表現の自由の享受を発揮しなければならないと思います。本日、ここに幾つかのポスターがあります。「いまこそ、9条守るべし」「核廃絶運動にノーベル平和賞」などのもの。中にはやや大型のポスターもありますが、すべて個人の意見表明としてなされているもので、団体の意思表明ではありません。

そして、たまたまこの場に居合わせた方が、ご自分の個人的な意見を表明したいとおっしゃっています。その方々に、順次マイクをお渡しします。

今日が大事な総選挙の公示日で、10月22日が投票日となります。このスピーカーを通じて流れる個人的なご意見は、その選挙の意義に関わる訴えになろうかと思いますが、あくまで本郷湯島九条の会としての発言ではないことをご理解ください。
(2017年10月10日)

アベも小池もこんな程度の人物。信頼してはならない。

昨日(10月7日)の毎日新聞第10頁「オピニオン」面に、編集委員伊藤智永の連載コラム「時の在りか」が載っている。今号は、「政治家の生き方を選ぶ」。政治家の生き方などどうでもよいことだが、冒頭のアベ晋三と小池百合子のエピソードが興味深い。

まずアベについて。

 衆院解散に反対だったはずの菅義偉官房長官に、側近議員が「なぜ同意したんですか」と尋ねたら、答えたそうだ。
 「反対したさ。でも、総理が言うんだ。国会が始まったら、またモリ・カケ(森友・加計両学園問題)ばかりだろ、もうリセット(機器の動作を最初の状態に戻すこと)したいんだって」
 安倍晋三首相が国会開会中は疲れきっていらいらし、国会が終わって外遊に出ると元気になるのは、衆目の一致するところだ。
 思えば10年前、第1次政権を放り出したのも9月、臨時国会初日に所信表明演説まで行った翌々日、各党代表質問の1時間前だった。理由は腹痛とされているが、記者会見で本人が述べたのは、国会運営の行き詰まりである。
 今回の解散理由である「国難」も、信を問うより先に国会で話し合うべきだが、伝家の宝刀を握る人は国会そのものが嫌だという。返答に窮した菅氏の顔が目に浮かぶようではないか。

おそらく、このとおりなのだろう。臨時国会冒頭解散の大義なんて、こんな程度のものなのだ。アベに国政運営の情熱は感じられない。もう、身を引いたらよかろう。政治家人生をリセットして、大好きな外遊で余生を過ごしてもらうことが、本人のためであるのみならず、日本の平和や民主主義のためにも望ましい。

さて、もうひとり。リセットおばさんこと小池百合子についてのエピソード。

小池百合子東京都知事が「私がリセットします」と割り込んできた時は、安倍首相も虚をつかれただろう。
 しかも、民進党の前原誠司代表が、党丸ごと希望の党に「合流」を即決して、首相は一時「どんな選挙結果になろうと、自分が責任を取る」と悲壮な言を口にしたという。
 しかし、それから1週間余、
 「排除」
 「踏み絵」
 「持参金」
 「股くぐり」
 「私は出ない」
 「全てが想定内」
 など情味を欠いた言葉が飛び交い、選挙戦に入る前に新党「ブーム」は失速気味である。
 政局が静かだった8月、小池氏と会った旧知の大学教授は、築地市場移転の話を振ったら、
 「どうだっていいじゃない、そんなこと。もっと前向きに次のこと考えなきゃ」
 と一笑に付され、国政への野望に鼻白んだという。

なるほど。これも、さもありなんと思わせる話。
小池にとっては、築地市場移転問題など、「どうだっていい、後ろ向きの話」なのだ。頭にあるのは、「権力欲に前向きの次のこと」だけなのだ。

このコラムは、「選挙が政治家の生き残り競争に終始したら、私たちは何を選べばいいか。個々の政治家の生き方に票を投じたらどうだろう。」という趣旨なのだが、その本論の方は面白くもおかしくもない。しかし、アベと小池の、こんなできすぎたエピソードがよく耳にはいってくるものだと感心せざるを得ない。

同じページの「みんなの広場」(投書欄)の4通の投書がみな読むに値する。うち3通は、アベ・小池のエピソードに関連する。中でも、「翼賛政治再来のような混乱」(無職・中村千代子・奈良市)が、アベ・小池を忌避して野党共闘にエールを送ろうという立場。スジが通って爽やかである。

大義なき衆院解散への怒りもどこへやら、連日メディアが取り上げる「希望の党」の動向が気になって仕方がない。綱領も抽象的で組織体制も確立していない新党に公認申請するため、政治信条をリセットし、踏み絵を踏まされた前議員らには怒りを通り越し、哀れささえ感じる。
「小池人気」にあやかろうと新党に吸い込まれるように群がる政党と前議員たち。戦後72年の今、翼賛政治再来を思わせる政党政治の混乱、未熟、堕落を目にするとは思ってもみなかった。この新党は現政権との対立軸を掲げるが、政党の核でもある安全保障・憲法観が自民党と変わらない。補完勢力ではなく、れっきとした“別動隊”だ。
 安保法制や「共謀罪」法の廃止を求めて市民団体と野党が築いてきた連携が新党設立で崩れるのではとの不安もあった。しかし暮らしの中での怒りや苦しみを政治の変革に求めて運動する市民と野党共闘の取り組みは揺らいでいないと思う。エールを送りたい。

メディアが作りあげる、「アベ・自民 対 小池・希望」の対立構図。確かにおもしろおかしいが、この構図の強調は「暮らしの中での怒りや苦しみを政治の変革に求めて運動する市民と野党共闘」勢力の存在を埋没させ、視野の外に追い出しかねない。

投書者が指摘するとおり、「アベ・自民」と「小池・希望」とは、政党の核である安全保障政策や憲法観において変わるところがない。希望は、れっきとした自民の“別動隊”なのだ。にもかかわらず、「アベ・自民か、小池・希望か」の構図だけを前面に出して保守2党しか選択肢を示さないとすれば、これは翼賛体制というほかない。指摘のとおり、「翼賛政治再来を思わせる政党政治の混乱、未熟、堕落」の事態である。この投書子のような良識に期待したい。

もう一つ。「『恥なし議員』に任せられない」(無職・松崎準一・68・堺市)も紹介しておきたい。

…日本を取り巻く国際情勢には確かに不安を覚える。きちんと国民を守り、各種の問題を確実に解決してもらいたい。ところが、不信感を払拭することもせず、「記憶にない」「記録は処分した」などとごまかしに力を注ぐありさまだ。恥ずかしげもなく、こんな振る舞いをする人たちに政治を任せたくない。今回はそのための選挙だと思う。
テレビなどのマスコミは「森友・加計」隠しの解散と批判しながら、関係が指摘された政治家を番組に呼んでも、司会者や評論家らは突っ込んで追及しない。不思議だ。“選挙劇場”として楽しんでいるだけではないだろうか。

まったくそのとおりだ。選挙戦を他人の“選挙劇場”として楽しんでいてはならない。自分たちの運命を自らが決する選択という自覚をもたなくてはならない。この社会がどうあるべきかについて、一人ひとりが責任を持たねばならないのだ。伊藤が紹介する、アベや小池のごとき無責任政治家の党に投票してはなない。
(2017年10月8日)

国民は、第1自民(アベ自民)も、第2自民(小池自民)も望んでいない。

アベ自民が、疑惑隠しの解散で総選挙になろうとしている。森友・加計問題をきっかけに、国民に歪んだ政権の政治姿勢がくっきりと見えている。アベ自民への国民の批判は厳しい。これを奇貨とした小池百合子が、アベの批判者面をしてその受け皿の地位を狙っている。いま、混乱甚だしい。

10月4日のことだ。都議会本会議終了後、小池百合子は党の公約について記者団に説明した。当人は、自民との政策の相違を強調したつもりだったが、記者の受け取り方はそうならなかった。

記者から出た質問は、「希望の党は第2自民党との指摘もありますが…」というものだった。こう問われて小池は、「ムッとした表情を浮かべ」と報道されている。その上で何と答えたか。

第2どころか第1を目指したいと思います。それは、新しい保守政治という観点です」などと言い捨てて会見を終えた。言い捨てで会見を終了するのが、この人のいつものパターン。

「第2どころか第1を目指したいと思います」とは、この文脈では明らかに、「第2自民党ではなく、第1自民党を目指したいと思います」という意味だ。「自民党の補完勢力視は、失礼な話。私こそが本来の自民党、アベ自民党は小池自民の補完勢力に過ぎない」と言いたいのだろう。

政党とは、結局のところ利害相対立する国民諸階層のうちのどの層の利益を代弁するかで分かれる。私は常識的に、この社会の基本構造を経済的な強者と弱者との緊張関係において見る。政治・政党とはその反映なのだから、徹底して搾取される経済的弱者の側に立つ政党と、その反対に搾取する側の経済的強者である大企業の利益擁護に徹する政党の両極が必然的に生じる。それが、日本共産党と自民党と言ってよい。この左右の両極を結ぶラインにその余の中間政党がならぶ。共産の側に近いか自民の側に近いかその立ち位置をはかられる。

民進党(民主党)は、幅が広かった。個々の議員は、雑多な政治思想や立ち位置をもっていたが、圧倒的な世論が民進党全党をして、集団的自衛権行使容認反対の運動に結集させていた。それが今、雪崩をうっての希望の党への集団的な脱落の体たらく。

民進から希望への転向派諸君は、踏み絵を踏まされて、「9条改憲反対」も「集団的自衛権行使容認反対」もあっさりと旗を降ろした。極端な右方向への集団的地滑りである。滑り落ちる先は、単に右であるだけでない。選挙公約も定まらない政党だった。党規約も組織も明確ではなく、党の意思決定過程はブラックボックスと内部から批判が出ている、そんなカオスに落ちていったのだ。

「青は藍より出でて藍より青し」という。「小池は、自民より出でて自民より保守」の立ち位置なのだ。それが、「第2自民どころか、わたしこそ第1自民」発言となるのだ。防衛政策において自民よりタカ派。改憲課題に自民以上に積極姿勢。党運営において、自民以上に不透明で非民主的。希望の党に希望の灯りは見えない。

気をつけよう。暗い夜道と希望の党。気をつけよう。オレオレ詐欺と希望の党。
反自民、反アベのつもりのあなたの票が、自民以上の保守に取り込まれぬように。
(2017年10月7日)

アベにも小池にも、ノーを。キツネにもタヌキにもだまされてはならない。

もう一度よく思い起こして、肝に銘じておこう。第194臨時国会は、森友・加計疑惑追及の国会になるはずであった。憲法53条にもとづき、その趣旨で4野党が内閣に臨時国会の招集を要求したのが6月21日。安倍内閣は、開会となれば疑惑の追及に耐えがたいとして、これを棚ざらしにしたまま放置し、ようやく9月28日開会と決定したものの、所信表明すらないままの冒頭解散となって総選挙になだれ込んだ。まさしく、「モリ・カケ疑惑隠し解散」である。

とりわけ森友学園問題では、直接の当事者である近畿財務局の担当官と籠池夫妻との国有地売買における値引き交渉の録音が公開された。これで、従前の政府説明のウソが明らかとなってきた。アベ政権は、その新たな疑惑に向きあうのは不利と見て「疑惑隠し」解散に踏み切ったのだ。後付けの解散の大義など、取って付けた大ウソである。

「丁寧に説明します」というのが、これまでのアベのウソの常套句だった。「これからは丁寧にいたします」と誓約して、これを実行したためしはない。その常套句が最近変化しつつある。「丁寧に説明した」と過去形で語るのだ。いったいぜんたい、どこでどう「丁寧に説明した」というのか。アベは国民をなめきっている。「丁寧に説明しました」などという子供だましで、国民をごまかせると思っているのだ。万が一にも、総選挙で勝つことになれば、「森友問題も、加計学園も、共謀罪も集団的自衛権行使容認問題も、もうみんな丁寧に説明しましたよね」と言いかねない。

そこで、「国民をなめてはいけない」というメディアの調査報道に期待したい。今朝(10月5日)の毎日新聞の「『衆院選2017』 政治家、言葉軽すぎ 『丁寧な説明』で冒頭解散 / 中身明かさず改憲踏み絵」というファクト・チェックの調査記事が、記者のスジの通った姿勢を示している。小国綾子、和田浩幸両記者の署名記事。

記者は読者に、いや日本の民主主義にこう問いかけている。
「政治家の言葉が軽すぎやしませんか。決めたことや言ったことが数日でひっくり返る。安倍晋三首相の『自己都合』と批判される衆院解散で政治が混乱し、政治家たちが右往左往する。今回の選挙では何を信じ、何を基準に投票すればよいのか。」それを検証しようというのだ。

「『森友・加計学園問題隠し』と批判される安倍首相は、解散表明時に選挙を通じて国民に説明するとしたが、これまでの街頭遊説で言及はない。政権公約に掲げている憲法改正にも言及していない。

民進党の前原誠司代表は希望者全員合流を請け合ったが、希望の党の小池百合子代表は「(リベラル派を)排除する」と宣言。前原氏も「想定内だ」と述べ、周囲を驚かせた。

現状をどうみるか。識者2人に聞いた。
政治アナリストの伊藤惇夫さんは、首相が解散表明時、森友・加計問題について「丁寧に説明する努力を重ねてきた」と発言した点に注目する。「あぜんとした。それが大して問題にならないのも不思議です」北朝鮮情勢を踏まえ首相が不在時、東京で待機するとしていた菅義偉官房長官が地方遊説に出たことについても「はっきり言って虚言。そんなことが許されていいのか」とあきれている。

映画作家で米国在住の想田和弘さんは、政治家の言葉の変遷について「確信犯的なウソに見える」と言う。「首相は森友・加計問題で全然『丁寧な説明』をしていない。説明するつもりなら冒頭解散はありえない。結局は疑惑逃れでしょう」
返す刀で希望を批判する。「党綱領に『立憲主義と民主主義に立脚し』と盛り込む一方、憲法改正の中身を明らかにしないまま政策協定書で候補の“踏み絵”に使う。どこが立憲主義ですか」。想田さんは希望の唱える政権選択選挙に疑惑の目を向ける。「小池氏は選挙後の自民党との連立を否定していない。安倍政権にノーと言うつもりで希望に投票しても、ふたをあけたら自公と大連立ということになりかねません」(以下略)

「政治家の言動、どうなっているの?」と題する表が付けられている。
幾つかの項目を選んで、自民党と希望・民進の各トップの発言と、現実を対比したもの。「こうなるはずだったのが…」「こうなってしまって…」と、まとめられている。

まずは、自民党。
「(森友、加計学園問題では)批判も受けとめながら、国民のみなさまにご説明もしながら選挙を行う。(9月25日記者会見で安倍首相)」はずだったのが、現実には⇒「首相はこれまでの遊説で、森友・加計問題に言及せず」

菅義偉官房長官らは北朝鮮情勢に備え衆院選期間中も東京都内で待機し危機管理にあたる(9月26日に安倍首相が指示)」のはずが、⇒「10月1日に菅官房長官が北海道遊説。『官房副長官が待機し、万全の態勢であることに変わりはない』(2日の記者会見で菅氏)」

憲法改正(自衛隊明記、教育無償化、緊急事態対応など)の原案を国会に提案、発議(政権公約)」のはずが、⇒「安倍首相はこれまでの遊説で憲法改正に言及せず」

そして、希望や民進党も。
小池代表が国政に出ることもあり得る(希望の党の若狭勝氏が1日、NHKの番組で)」が、⇒「(衆院選には)出ない(2日の毎日新聞インタビューで小池氏)」

「(政権交代は)次の次(の衆院選)くらい(若狭勝氏・NHK)」が、⇒「今回の選挙で政権を狙いたい。まずは単独政権(毎日新聞・小池氏)」

「(希望への合流では)誰かを排除するわけではなく、みなさんと一緒に進む」(9月28日の民進党両院議員総会で前原誠司代表)」のはずが、⇒「(リベラル派は)排除する。(9月29日記者会見で小池氏)」「現時点では全てが想定内(10月3日前原氏)」

消費税が2~3%高くなっても安心して過ごせる社会を(安倍政権への)対立軸として示したい。(8月20日、上尾市での代表戦遊説で前原氏)」だったが⇒「民進党から合流した前職らに希望の党が示した政策協定書は『消費税の10%引き上げ凍結容認』」

こうしてファクトチェックしてみると、「言葉軽すぎおじさん」と「リセットおばさん」。その無責任さかげんにおいて、竜虎相譲らない。いや、両名とも徹底して国民をだまそうとしているのだ。有権者はしっかりと見極めなければならない。政治家の言葉の軽さの裏に意図的なダマシがあることを。キツネにもタヌキにもだまされてはならない。でなければ、待ち受けるものは改憲翼賛体制なのだから。
(2017年10月5日)

希望の党に未来はないー「新しい独裁者はいらない」「選別こざかしい」

言葉は生き物だ。言葉の発するイメージは、成長もすれば老化もする。あるときは輝き、そしてまたあるときは枯渇し色褪せる。

「希望」という言葉が、ごく最近突如として生まれ輝いた。いっときその輝きはどこまで大きくなるかと思わせたが、また突如として失速した。今やその輝きは失われ、その言葉のイメージが人々を引きつけた力は既にない。「緑」という色についても、同様である。そして、その二つの類縁にあった「都民ファースト」も。

「希望」は失せ、「緑」はタヌキになった。都民ファーストにも前途はない。東京オリンピックのイメージも大きく傷ついた。あのエンブレムが、肩身が狭いと嘆いている。

転機は明らかに、小池百合子の「私たちの政策に合致するか、さまざまな観点から絞り込みをしたい。全員を受け入れることは、さらさらない」、「(リベラル派が)排除されないということではなく、排除いたします。」と言い切ったときだ。

小池百合子を見る人々の視線が、ここで明らかに変わった。希望の党への評価も変わった。「ああ、狙いはリベラル潰しだったのか」「第2自民党を作ろうとしているんだ」「そんなにエラそうにしたいのか」「いったい何様?」。

百合子伝も辛口となった。もとの職場では同僚からヒラメと異名をとっていたそうだ。上のご機嫌取りに忙しい人だったからだという。その人が、今は上から目線で、多くの人をヒラメと見下しているのだ。

希望の党の公認を得るには、「協定書」という表題の踏み絵を踏まなければならない。常識的な語感では、「協定」とは対等者間の合意だが、これはちがう。小池百合子への一方的な無限の忠誠を求めるものとして、まさに「踏み絵」だ。プライドを持ったものに、署名かできる代物ではない。

踏み絵の効果は、なによりも踏み絵を踏ませることによって、屈辱感を味合わせ、その矜持を砕くことにある。

踏み絵は10項目。たとえば以下の通り。
☆安保法制の合憲性を認めること。現実的な安保政策を支持すること。
☆憲法改正を支持し、憲法改正論議を幅広く進めること。
☆外国人に対する地方参政権の付与に反対すること。
☆党の公認候補になるに当たり、党に資金提供をすること。
☆党が選挙協力する他党への批判禁止
これって、保守というよりは右翼ではないか。

阿部知子が、「新しい独裁者はいらない」とボードに書き込んで掲げたのは、まったく適切ではないか。うっかりするとポピュリズムが独裁者を生み出すことになるのだ。

今朝(10月3日)の毎日が、「細川護熙元首相 『選別 こざかしい』 小池知事を批判」というインタビュー記事を載せている。これは痛烈で、影響は大きい。

細川はこう言っている。
「(安倍政権を倒す)倒幕が始まるのかと思っていたら、応仁の乱みたいにぐちゃぐちゃになってきた。政権交代までいかなくとも、せめて自民党を大敗させて、安倍晋三首相の党総裁3選阻止まではいってもらわないと」。

「同志として小池氏を手助けしたいと考えてきたが、排除の論理を振り回し、戸惑っている。公認するのに踏み絵を踏ませるというのはなんともこざかしいやり方『寛容な保守』の看板が泣く」「首相を目指すのであれば、保守やリベラルにこだわらず、器量の大きい人でいてもらいたい」

また、連合も希望の党への応援はしないとした。これも、小池百合子のつまずきの結果。選挙実務への影響は大きかろう。

せっかくアベ政権を切り崩しても、第2のアベが登場するのでは元の木阿弥。そのような観点からの小池百合子批判だが、たとえ党の公認候補者数が200を越えようとも、「希望」の輝きが失せた今、先が見えた感がある。やはり、原点に戻って、アベ政権批判に集中しなければならない。
(2017年10月3日)

澤藤統一郎の憲法日記 © 2017. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.