あの「2011年3月11日」から本日で4年になる。岩手を故郷とする私にとって、あのときの衝撃は生涯忘れることができない。「3・1・1」という数字の連なりに特別の感情が湧いて、胸が痛い。本日のブログでも、震災・津波・原発に関して何かを書かねばならないと思いつつ、筆が重い。
4年前の災害直後を思い出す。石原慎太郎の「震災は天罰」という発言に接して、私は怒り心頭に発した。石原に怒り、この社会の石原的なものの総体に対して怒り、石原ごときを都知事としている都民にも怒った。
筆を抑えつつも、その怒りのほとばしりを、石原慎太郎・天罰発言糾弾の記事として書き連ねた。当時間借りしていた日民協ホームページのブログに、である。3・11に関連した記事として、これ以上のものも、これ以外のものも書けない。当時の記事を抜粋して再録することにした。多くの方に、ぜひもう一度お読みいただきたいからだ。
再録だから、抜粋ではあっても長さに切りがない。徒然の折に、一つでも二つでも、目を通していただけたら、とてもありがたいと思う。
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石原慎太郎の「震災は天罰」発言に抗議する
敢えて一切の敬称を省略する。石原慎太郎は、東北太平洋沖大震災・津波の被災者に謝罪し、即刻すべての政治活動から身を退くべきである。
複数メディアの報ずるところによれば、石原は大震災の被害を「これはやっぱり天罰だと思う」と記者会見の場で広言した。「津波で我欲を洗い落とせ」とも言ったという。
その後記者から「『天罰』は不謹慎では」との質問に対しても、「被災者の方々はかわいそうですよ」とも述べているとして、発言の撤回も謝罪もしていない。
かつてない大災害で万を数えようという犠牲者が出ている。多くの罹災者が家族を失い、家も職も地域社会をも失って塗炭の苦しみに嗚咽の声をあげている。そのときに、石原はこの苦しみを「天罰」と言ってのけたのだ。「津波で我欲を洗い落とせ」とも。何という心ない言葉であろうか。何という思いやりに欠けた、唾棄すべき人格。
石原にとっては、この大災害の罹災者一人一人の死や離別、恐怖は、「被災者の方々はかわいそうですよ」という程度のものでしかない。
明らかに、石原はこの発言で政治家たるの資質のないことを露わにした。少なくとも、民主主義社会において、これほど人権感覚を欠如し、これほどに国民を見下した政治家に、責任ある地位を与えておくことはできない。
発言を撤回し謝罪するだけではたりない。政治家失格者としてあらゆる政治活動から身を退くよう、要求する。
(2011年03月14日)
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石原慎太郎君、君こそ「天罰」を甘受したまえ。
敢えて敬称を「君」としよう。
石原慎太郎君、知事を辞めたまえ。四選出馬を撤回したまえ。潔く、大震災・津波の被災者にたいする謝罪広告を掲出し、すべての政治活動から即刻に身を退きたまえ。
君は、大震災の被害を天罰だと記者会見の場で広言した。塗炭の苦しみを味わっている被災者を罪ある者とし、その苦しみを天罰と言ったのだ。被災者を我欲者として「津波で我欲を洗い落とせ」とも言った。その君の罪は限りなく重い。
君の「天罰発言」は、失言だとか、不用意に口が滑ったという次元の問題ではない。君の人格そのものの表出なのだ。権力者面をした君には、この大災害の被災者一人一人の死や離別の恐怖・苦悶・悲嘆に共感する能力が根本的に欠落している。このことは、民主主義社会での政治家として決定的な欠陥なのだ。
君は、いとも簡単に「言葉が足りなかった」として、「謝罪し、発言を撤回した」と報じられている。君は、自分の言葉の軽さを当然として、その撤回は可能と考えているようだが、それは心得違いも甚だしい。
君の「天罰発言」は、政治家としての君の資質の欠落を露呈させたものだ。だから、政治家失格の真実を消し去ることはできない。発言を撤回したところで、君の人権感覚の欠如、国民無視の姿勢の露呈を消し去ることはできない。
君が都知事を続けたら、不幸な都民に再度「天罰」と言うだろう。いや、既にこれまでも「天罰」として切り捨てられている都民を指摘することもできる。
このたびは、謂わば君自身が君の原罪を露わにしたのだ。天罰を甘受するよりないではないか。天罰発言を撤回して、謝罪するだけでなく、知事も辞めたまえ、四選出馬を撤回したまえ、あらゆる政治活動から身を退きたまえ。それが、民主主義と人権の進展のために、君がなし得る唯一のことなのだから。
(2011年03月15日)
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石原慎太郎君、君は「謝って済む」立場にない。
石原慎太郎君。
君は、このたびの大震災の被害を天罰だと広言し、その翌日まことにぶざまに発言を撤回して謝罪した。しかし、君には、自らの発言の罪の深さが理解できていない。君の「天罰発言」への謝罪は、到底受け容れられるものではない。君は、今さら謝罪で許される立場にはないと知るべきだ。
加害行為は、その態様と程度によっては、加害者の真摯な反省と謝罪が被害感情を慰藉することがある。その場合には、謝罪は被害者に受容される。つまりは、「謝って済む」ことになる。しかし、君の場合、到底「謝って済む」問題ではない。
尊い命を失った方、あるいは掛け替えのない家族を失って悲嘆にくれ、またあるいは恐怖と絶望に震える大震災の被災者に対して、君は「その不幸は天罰」と言ったのだ。かつて君自身が田中均外務審議官に投げつけた言葉を借りるなら、君の発言こそが「万死に値する」行為なのだ。到底許されるものではない。
私は、岩手県の出身者として知人の被災に胸を痛めているが、もとより被災者に代わって発言する資格はない。しかし、君の発言は、私の心情も大きく傷つけた。私も君の発言の被害者の一人だが、私の怒りはおさまらない。「発言の撤回と謝罪」程度で、私はけっして君を許さない。多くの被災者はなおさらのことと思う。
あらためて要求する。石原君、即刻政治家を辞めたまえ。
「万死に値する」とは、君の言葉の使い方と同様レトリックでしかない。死をもって償えなどと野蛮な要求はしない。知事を辞め、四選出馬表明も撤回し、あらゆる政治活動から身を退きたまえ。それが、今君のなし得る真摯な謝罪の方法である。
その実行があれば、私は、君の人間性と真摯さを見直し、君の発言を宥恕するにやぶさかではない。もっとも、私に比較すべくもなく大きく深く君の発言に傷つけられた被災者が、君を許すかどうか‥。それは、私の忖度の限りではない。
(2011年03月16日)
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石原慎太郎君、君は民衆の信頼を失った。
君には、「天・罰」の二文字が深く刻まれた。どのようにあがいても、もう、洗い落とすことはできない。君が人前にその姿を晒せば、人は君の額に「天・罰」の二文字を見る。君がものを書けば、人は紙背に「天・罰」の二文字を読み取る。君が、何をしゃべろうと、また書こうと、「天・罰」の二文字が君から離れることはけっしてない。
みんなが心得ている。君の「被災はやっぱり天罰」「津波を利用して我欲を洗い落とす必要がある」という言こそが君のホンネであることを。翌日の撤回と謝罪とが、選挙戦術としてのとりつくろいでしかないことを。
唾棄すべき言論にも表現の自由は保障されよう。君がその本性をむき出しに、無慈悲で無神経な心ない言論を行うことも、君の嫌忌する日本国憲法が保障するところ。君の一個人としての不愉快な言論は自由だ。しかし、政治家としての言論は自ずから別だ。限界もあり、特別の責任が伴う。
民主主義社会における政治は、選挙民である民衆の信頼を基礎に存立している。
選挙で選ばれた政治家は、選挙民の信頼に応える責任を負っている。その信頼の内容は、民衆の利益への奉仕にある。就中、最も弱い者、最も困窮している者、最も援助を必要とする者に真摯に寄り添うことにある。
震災被災者の困窮を天罰と言い、援助の手を必要とする津波の被災者に「我欲を洗え」と悪罵を投げつけた君は、弱者を切り捨てたつもりが、自分への信頼を切り捨てたのだ。民衆からの信頼を根底から洗い流した。その信頼喪失の象徴が「天・罰」の二文字である。君がいかなる美辞麗句を連ねても「天・罰」の二文字から君のホンネと本性が透けて見えるのだ。
民衆からの信頼を失った政治家は潔く身を処すしか道はない。知事の職を辞し、四選出馬を断念し、あらゆる政治活動から身を退いて、民衆を蔑視し民衆の信頼を失った政治家の身の処し方を見せてもらいたい。それがせめてもの、君ができる償いであろう。
(2011年03月17日)
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石原「震災は天罰」
石原慎太郎知事は、このたびの大震災の被害を「天罰」と言った。
天罰にせよ刑罰にせよ、罰は罪を犯した者に科せられる。知事は「天罰」という発言で、被災した無辜の被害者に対して、罪ありと指弾したのだ。「被災は自業自得」と放言したに等しい。
知事は弁明するかも知れない。「自分は日本という国の罪を考え、日本に天罰が下ったと述べたのだ」と。これもまた恥と愚の上塗りである。なにゆえに、国策の決定や遂行に遠い位置にある東北の人々が、また最も弱い立場の幼児や老人までもが、日本の罪を引き受けなければならないのか。なにゆえに、知事自身を含め、権力の中枢にある人々が天の鉄槌を免れているのか。
知事の視野には、およそ空疎な「日本」や「国家」や「民族」だけがあって、災害に苦しむ生身の人間の姿が見えていない。このような思い上がった人物に、民主主義社会は権力も権限も与えてはならない。多くの人々の運命の帰趨にかかわる地位に置くことは、都民にとって危険極まりないからだ。
言うまでもなく震災・津波の被災者に罪はない。被災は罰ではあり得ない。むしろ、知事の側にこそ大きな罪があり、厳しく罰せらるべきである。
知事の「罪」(違法)を数え上げよう。
公然と被災者を侮辱したこと。被災者の名誉を大きく毀損したこと。虚偽の風説を流布して被災者の信用を毀損したこと。罪のない者を罪ありと誣告したこと。
知事にあるまじき愚かで心ない放言によって都民に肩身の狭い思いをさせたこと‥。
なによりも、苦悶する被災者に対する情誼を著しく欠いたこと。そして、災害を非科学的に「天罰」などと言ってのけ、災害の原因把握や再発予防、そして被害救済の施策と実行について根本的に無能であることを露呈したこと‥。
以上の「罪」に対する「罰」として、まずは自発的な贖罪が期待される。自ら、知事の職を辞し、四戦出馬を取りやめること。すべての政治活動から身を退くこと。
さもなくば、天に代わって選挙民が「罰」を与えねばならない。
(2011年03月18日)
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災害を「天罰」とするオカルティズムの危険
未開の時代、人は災害を畏れ、これを天の啓示とした。個人の被災は個人への啓示、大災害は国家や民族が天命に反したゆえの天罰とされた。
董仲舒の災異説によれば、天は善政あれば瑞祥を下すが、非道あれば世に災異をもたらす。地震や洪水は天の罰としての災異であるという。洋の東西を問わず古くは存在したこのような考え方は、人間の合理的思考の発達とともに克服されてきた。
天罰思想とは、実は独善である。天命や神慮の何たるかを誰も論証することはできない。だから、歴史的には易姓革命思想において利用され、政権簒奪者のデマゴギーとして重用された。
このたびの石原発言の中に、「残念ながら無能な内閣ができるとこういうことが起きる。村山内閣もそうだった」との言葉があったのに驚いた。政権簒奪をねらうデマゴギーか、さもなくば合理的思考能力欠如の証明である。このように、自然災害の発生を「無能な内閣」の存在と結びつける、非合理的な人物が首都の知事である現実に、肌が泡立つ。
また、天罰思想は災害克服に無効である。天の罰との理解においては、最重要事は災害への具体的対応ではなく、天命や神慮の内容を忖度することに終始せざるをえない。また、災害は天命のなすところと甘受することにもならざるをえない。
本来、災害や事故に対しては、まず現状を把握して緊急に救命・救助の手を差し伸べ、復旧の方策を講じなければならない。さらに、事象の因果を正確に把握し、原因を分析し、再発防止の対策を構築しなければならない。このことは科学的思考などという大袈裟なものではなく、常識的な合理的な思考姿勢である。この常識的思考過程に、非合理的な天罰思想がはいりこむ余地はない。
アナクロのオカルト人物が、今、何を間違ってか首都の知事の座に居ることが明白となった。このままでは、都民の命が危ない。
都民は、愚かな知事をいだいていることの「天罰」甘受を拒絶する。都民の命と安全のために、知事には、即刻その座を退いていただきたい。
(2011年03月19日)
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日本国憲法の嘆きと願い
私は「日本国憲法」である。
人類の叡智の正統な承継者として1947年日本にうまれた。以後、主権者国民に育てられて地に根を下ろし、枝をひろげた大樹となっている。
私の根幹を成すものは、「人権」と「民主主義」と「平和」である。その各々は相互に関連し、相補うものとしてある。とりわけ、至高の価値である国民個人の人権を擁護するために民主主義が円滑に機能することが、私の切なる願いである。
このことを、私は、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである」と高らかに宣言した。
「人権」とは、国民の命・健康・安全・名誉・自由・財産であって、私の最も貴重とするものである。国民の代表者たる公務員・政治家は、その貴重な国民の人権を預かる者として、心して国民の福利のために献身しなければならない。
ときに、この理をわきまえない不心得な政治家が現れることが心配でならない。
石原慎太郎という首都の知事、何を勘違いしてか、公僕たる立場にありながら偉そうに国民に教訓を垂れたという。「津波をうまく利用してだね、我欲を一回洗い落とす必要がある。積年たまった日本人の心のあかをね。これはやっぱり天罰だと思う」とは、私にとって聞くに堪えない悲しい暴言である。
本来石原は、被災した国民の命・健康・安全・名誉・自由・財産をいかに擁護し、いかに回復するかに心を砕かねばならない立場にある。被災を「天罰」ということは、苦しむ国民の傷に塩を塗り込むことで、私の想像を絶する。石原は、私の目の黒いうちは、知事としても政治家としても失格というほかはない。
しかし、私は寛容にできている。私には直接に石原を失脚させる物理的な力はなく、胸を痛めるしかない。首都の主権者にお願いしたい。私に代わって石原を諭して知事の座を退くよう力を尽くしていただきたい。その実現を私は待ち望んでいる。
(2011年03月20日)
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社会不安を奇貨とした妄言を許すな
大災害は社会不安をもたらす。多くの人々の不安の心理に付け込んで、妄言を吐く輩が跋扈する。牽強付会に災害の原因を解釈して見せ、都合の良いように人心を誘導しようとする。混乱のさなかには、時に大きな影響をもたらす危険ある言説として警戒を要する。石原慎太郎の「天罰発言」もその例に洩れない。
彼によれば、震災・津波の原因は、「我欲」と「ポピュリズム」にある。つまりは、国民が我欲にとらわれ、政治がポピュリズムに陥っているから、天が罰を下して、震災と津波の被害をもたらした。したがって、「津波をうまく利用して、我欲を一回洗い落とす必要がある。日本人の心のあかをね」ということになる。
彼の人心誘導の方向は、「我欲を洗い流す」ことにある。
彼のいう「我欲」の内実は必ずしも明確ではないが、「我」の「欲」とは、「全体の利益」「社会の調和」「国家の繁栄」などと対峙する個人の権利主張と理解するほかはない。「我欲を洗い落とす必要がある」とは、全体の利益ために個の抑制を求めるもの。何のことはない、滅私奉公・尽忠報国の焼き直しイデオロギーでしかない。ささやかな庶民の願いを「非国民の我欲」呼ばわりして圧殺した、ほんの少しの昔を思い起こさねばならない。
もっとも、「ささやかな」と限定することのない我欲を正当と認める立場が、経済制度としての資本主義であり、政治思想としての個人主義ないし自由主義である。国家は個人の我欲を抑圧する必要悪と位置づけられる。現行の制度は、我欲の衝突を調整する仕組みをそなえつつ、我欲を基本的に肯定している。
これに反して、個人の我欲を否定し、国家・社会・民族の利益を第一義とする立場が全体主義である。石原を「弱者に冷たい新自由主義者」とするのは、実は褒めすぎ。「全体のために個人を否定する全体主義者」と評し直さなければならない。
恐るべきは、石原の全体主義的言動に喝采を送る一定層が存在することである。
その支持のうえに、3期12年もの都政のあかがたまった。これを一気に押し流す必要がある。「天罰発言」を石原ポピュリズム清算の天恵としよう。
(2011年03月21日)
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都民は被災地の声に耳を傾けよう
本日の毎日新聞「記者の目」の欄。釜石を故郷とする、社会部記者が地元に入って、災害の惨状を生々しく報告している。
その中に、次の1節がある。
「浜町の高台にある児童公園の物置小屋で、地元の消防団員らと夜を越す。ろうそくを囲み、気付けに回す日本酒に思いが噴き出す。『石原慎太郎(都知事)のばかたれが。何が天罰だ。おだつなよ(ふざけるなの意味)』。
傍らから声が続く。『こんな時こそ、人間性や生き方が問われんだべよ』」 激しく厳しい叱正と、冷静な人間評。いずれも何という痛烈な石原批判であろうか。石原は、「馬鹿たれ」「おだつな」と怒りをぶつけられているだけではない。人間性や生き方そのものを、根底から見すかされ否定され軽蔑されているのだ。
この声は、一児童公園の物置にたまたま集まった人の声ではない。三陸全体の、いや東北関東被災地全土の声である。今は声を出すこともかなわない2万余の犠牲者の声であり、30万避難者の声でもある。日本全国の心ある人々の真っ当な声でもあろう。
今、東京都民の民度が問われている。都民は、このような恥さらしの人物を、またまた首長に選出するのであろうか。
政治家は、聖人君子である必要はない。しかし、庶民の悩みや苦しみを理解する能力のない者は、政治家失格である。苦悩する被災者に、「天罰」と悪罵を投げつける石原を知事に選出するようなことがあれば、こんどは都民が日本中に恥を晒すことになる。
首都の首長選びには、全国の目がそそがれている。とりわけ、被災地から見つめられ姿勢を問われていることを忘れてはならない。投票行動によって都民の「人間性や生き方が問わている」のだ。
石原が「馬鹿たれ」「おだつな」と酷評を受けることは当然としても、都民が石原同様の批判を受けるようなことがあってはならない。
(2011年03月22日)
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都民よ、ポピュリストを忌避しよう。
石原「天罰発言」が、ポピュリズムに触れている。「政治もポピュリズムでやっている」から天罰が下ったという文脈。「無能な内閣ができるとこういうことが起きる」という妄言と併せると、民主党政権誕生を支持した国民の動きをポピュリズムと言っているようだ。しかし、衆目の一致するところ、石原こそが典型的なポピュリストであろう。しかも、極めて質の悪いポピュリストと指摘せざるをえない。
民主主義とは、理性ある市民の意思が社会の方向を決める原則。成熟した市民の自由な意見交換によって形成された世論が、政治を動かし権力をコントロールする。しかし、石原の政治姿勢はこれに正反対である。数え上げれば限りのない差別発言と雑言を売り物とし、非理性的な衆愚の感性に訴えて集票している。イジメの先頭に立って、取り巻きから喝采を受けているいじめっ子の構図ではないか。これこそ民主主義に似て非なる衆愚の政治であり、ポピュリズム以外の何ものでもない。
被災者に「天罰」と悪罵を投げつけたのも、選挙間近で都民のウケをねらったイジメ発言なのかも知れない。しかし、今度ばかりはあまりにひどすぎて、あてがはずれたというところ。それでも懲りずに四選めざして立候補する予定と報じられている。
都民よ、衆愚となってポピュリストに権力を与えることはもうやめよう。冷静に都政の現状を見つめ直そう。
「貧困都政」(岩波書店)を著した永尾俊彦氏が鋭く指摘している。
「石原都政では、都民が切実に望んでいることはどうでもよくて、福祉や医療で削った金を知事が思いついたことに投資している。気運の盛りあがらないオリンピック招致、新銀行東京、三宅島のオートバイレース。しかも大失敗しても責任をとらない。それどころか、豪華外遊や高額接待をくり返し、築地市場を土壌汚染地に移そうとしている。『日の丸・君が代』の強制に見られるように、都の方針に従わない教師や職員は処分し、左遷し、だまらせようとしてきた」
まったく同感である。同胞の被災に涙する心をもつ都民に訴える。こんな人物を知事にしてはならない。
(2011年03月23日)
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まことのなみだはここになく‥
敬愛する郷土の詩人宮沢賢治は、奇しくも明治三陸大津波の年(1896年)に生まれ、昭和三陸大津波の年(1933年)に没している。
詩人が生前に刊行した唯一の詩集が「春と修羅」。その第二集は、構想だけで生前の発刊が実現しなかった。賢治は、発刊予定の第二集にやや長い序を書いており、その最後によく知られた次の一節がある。
「北上川が一ぺん氾濫いたしますると
百万疋のねずみが死ぬのでございますが
その鼠らがみんな
やっぱりわたくしみたいな云ひ方を
生きているうちは
毎日いたして居りまするのでございます」
言うまでもなく、鼠は、災害に翻弄される東北の農民の暗喩である。そして疑いもなく、賢治は自らの身を百万疋の鼠のうちの一匹としている。賢治は、生き方そのものにおいて、農民に身を寄せ、農民の苦悩を自らのものとした。ヒデリのときは涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩いたのだ。
岩手を郷土とする私には、鼠という賢治の比喩に、都会人や権力者の、あるいは富裕者の、要するに百万匹の鼠の外に身を置いて見下す立場にある者の、冷ややかな視線を読み取らざるをえない。
民主社会の代議政治における代表は、百万疋の鼠のうちの一匹こそがふさわしい。その外にいて見下す傲岸な人物に権力を与えてはならない。おそらく賢治もそのような思いであったに違いない。「春と修羅 第二集」を印刷する予定であった貴重な謄写版印刷機を第1回普通選挙に立候補した労農党・稗貫支部に寄付している。
津波の被害を天罰という政治家に賢治は怒るだろうか、はたまた嘆くだろうか。
「まことのことばはここになく
修羅のなみだはつちにふる」
(2011年03月24日)
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グスコーブドリの生き方
「グスコーブドリの伝記」は、賢治の生き方の理想の一面を表している。
イーハトーブの森に生まれた木樵の子ブドリは、幼くして父母を失う。寒さの夏に続く飢饉ゆえの不幸。その自然の災害に加えて、妹ネリとともに人の世ゆえの辛酸にも遭う。
長じたブドリは火山局の技師となり、火山の噴火を抑えたり、窒素肥料の雨を降らせたりと働く。イーハトーブは豊かになったが、寒さの夏の再来が予報される。
その対策として、ブドリは一計を案じる。火山島を爆発させ、大気に二酸化炭素を噴出させ温暖化効果で冷夏を克服しようというのだ。その危険な仕事はどうしても犠牲を伴うのだが、ブドリは敢えて志願してなし遂げる。ブドリの犠牲で、多くの人を不幸にした寒さの夏はなくなり、「ちょうど、このお話のはじまりのようになるはずの、たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖かいたべものと、明るい薪(たきぎ)で楽しく暮らすことができたのでした。」と、お話しは締めくくられる。
ブドリは災害を天罰とするごとき非科学的な思想のカケラも持ち合わせない。科学的な思考なくして災害を克服することができないことを知っているから。また、ブドリは災害を他人事としない。災害の克服への献身を惜しまない。自らが、災害の不幸を背負って生きてきたのだから。
ブドリを通して賢治は語っている。ブドリの自己犠牲が、「たくさんのブドリやネリと、たくさんのおとうさんやおかあさん」に幸せをもたらしたように、自分も農民に幸せをもたらす生き方をしたいと。ブドリのようなかたちの自己犠牲を肯定できるか賛否はあろう。しかし、農民の立場に身を寄せて、災害の克服に全身全霊を捧げた賢治の生き方には、誰もが襟を正さざるをえない。
これに比較するも愚かだが、被災を他人事とし被災による苦悩を天罰と言ってのける、無神経で傲岸な生き方もある。賢治の対極に位置して、醜悪そのものと指摘せざるをえない。
(2011年03月25日)
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啄木の怒り
郷土の歌人・石川啄木は、「主義者」として知られていた。
平手もて 吹雪にぬれし顔を拭く 友共産を主義とせりけり。
赤紙の表紙手擦れし 国禁の 書を行李の底にさがす日。
「労働者」「革命」などといふ 言葉を聞きおぼえたる 五歳の子かな。
友も妻もかなしと思ふらし―病みても猶、革命のこと口に絶たねば。
など、その傾向の歌はいくつも挙げることができる。
没後十年(1922年)で建立された「柳青める」の歌碑に、寄進者の名などはなく、ただ「無名青年の徒之を建つ」と刻まれているのは、その故であろう。
彼が貧者の側にあって、社会の矛盾に憤っていたことが、いたいほど伝わってくる。高みから見下す目線ではないことが、啄木の歌の魅力である。
わが抱く思想はすべて 金なきに因するごとし 秋の風吹く
はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る
友よさは 乞食の卑しさ厭ふなかれ 餓ゑたる時は我も爾りき
このような彼だから、故郷の災害を天罰という輩には、怒髪天を衝いて怒るに違いない。しかし、彼のことだ。怒りも悲しみの歌となるだろう。
頬につたふ なみだもみせず 天罰と言い放ちたる男を忘れじ
砂山の砂に腹這ひ 天罰と言われし痛みを おもひ出づる日
たはむれに天罰など口にして 軽きことばは 三日ともたず
一度でも天罰などとののしりし 人みな死ねと いのりてしこと
天罰と言いし男の 尊大な口元なども 忘れがたかり
あるいは、次の「一握の砂」所載歌などは、その輩を詠んだものではなかろうか。
くだらない小説を書きてよろこべる 男憐れなり 初秋の風
秋の風 今日よりは彼のふやけたる男に 口を利かじと思ふ
誰が見てもとりどころなき男来て 威張りて帰りぬ かなしくもあるか
かなしきは 飽くなき利己の一念を 持てあましたる男にありけり
(2011年03月26日)
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佐藤春夫・宇野浩二の石原慎太郎評
石原慎太郎は、1956年に第34回芥川賞を受賞している。受賞作品は、「太陽の季節」。選考委員は、石川達三、井上靖、宇野浩二、川端康成、佐藤春夫、瀧井孝作、中村光夫、丹羽文雄、舟橋聖一の9名。異例というべき酷評がなされている。
佐藤春夫はこう述べている。「僕は『太陽の季節』の反倫理的なのは必ずしも排撃はしないが、こういう風俗小説一般を文芸としてもっとも低級なものとみている上、この作者の鋭敏げな時代感覚もジャナリストや興行者の域を出ず、決して文学者の物ではないと思ったし、又この作品から作者の美的節度の欠如をみてもっとも嫌悪を禁じ得なかった。これでもかこれでもかと厚かましく押しつけ説き立てる作者の態度を卑しいと思ったものである。僕にとってなんの取り柄もない『太陽の季節』を人々が当選させるという多数決に対して‥これに感心したとあっては恥ずかしいから僕は選者でもこの当選には連帯責任は負わない」
石原を「文学者ではなく興行者」と言い当て、「これでもかこれでもかと厚かましく押しつけ説き立てる作者の態度を卑しいと思った」とは、その後の石原を見抜いている。その炯眼には敬服するよりほかはない。
また、宇野浩二は「読み続けていく内に、私の気持ちは、次第に、索漠としてきた、味気なくなってきた。それは、この小説は、仮に新奇な作品としても、しいて意地悪く云えば、一種の下らぬ通俗小説であり、又、作者が、あたかも時代に(あるいはジャナリズム)に迎合するように、‥ほしいままな『性』の遊戯を出来るだけ淫猥に露骨に、書きあらわしたりしているからである」
積極的に推したのは、舟橋聖一と石川達三。
「純粋な快楽と、素直にまっ正面から取組んでいる点」を評価したという舟橋の評は論外。石川は、受賞作を「倫理性について、美的節度について問題は残っている。‥危険を感じながら、しかし私は推薦していいと思った」と述べている。『人間の壁』を著した石川達三は、石原のその後の「危険」をどう把握したであろう。差別発言を恥じずにくり返し、震災を天罰という「作家」を評価しえたろうか。
(2011年03月29日)
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死者に寄り添う気持の尊さ
「方丈記」は災害文学である。取りあげられた「災害」は、大火・旋風・遷都・ひでり・大風・洪水・飢饉・疫病、そして大地震に及ぶ。
養和年間(1181?82)の飢饉による夥しい都の餓死者について次の一節がある。
「仁和寺に隆曉法印といふ人、かずもしらず死ぬることをかなしみて、その首の見ゆるごとに、額に阿字を書きて、縁を結ばしむるわざをなんせられける。その人數を知らむとて、四五兩月を数へたりければ、‥道のほとりにある頭、四萬二千三百余りなむありける」
行路に捨てられた遺体を哀れとし、その成仏を願って額に梵語の「阿」という字を書いてまわった僧のいたことが、鴨長明には書き留めて置くべきことであった。
よく似た話が、昨日の「毎日」夕刊に。「葬儀が出せない被災遺族のために、僧侶の兄弟が火葬の度に駆け付け、ボランティアで読経している」のだという。
山田町の龍泉寺は遺体の仮安置所になった。30代の住職は、幼児の遺体を見て涙が止まらず、弟と相談して「檀家であろうとなかろうと供養を」と思い立った。以来、「隣接する斎場での火入れにほぼ毎回交代で立ち会い、遺族を前に、袈裟姿で読経している」「喪服もなく、着の身着のまま参列した遺族が『手を合わせくれるだけでもありがたい』と涙を流して感謝する場面もある」と報じられている。
「(葬式など)何もできないと思っていたので、ありがたいお経だった」という遺族の感謝のことばが痛いほどよく分かる。常は無神論者をもって任じている私も、そのような僧侶の行為に尊敬の念を抱かずにはおられない。
宗教者が死者に寄り添う行為は、生者への真摯な慰めでもある。宗教とは本来竜泉寺の若い僧が体現したように、死者と生者をともにいつくしむ営みなのだと思う。
宗教者に限らず、生を至高のものとし、その故に死を厳粛なものとして、死者に敬虔な姿勢で寄り添うことが社会の良識である。
死者へも遺族にも何の配慮もなく、軽々に「災害は天罰」と無分別な放言をする輩には、人生や社会を語る資格はない。政治に携わることなどもってのほか。
(2011年03月30日)
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失言・放言・暴言・妄言
「津波をうまく利用して『我欲』を洗い落とす必要がある」「これはやっぱり天罰」とは失言であろうか。
失言とは、「不注意に本音を漏らす」こと。つまりは、本来本音をもらしてはならないとされる場面で、うっかり本音をさらけ出してしまうことをいう。
しかし、問題のこの発言、けっして口を滑らしてのものではない。発言者には、「自分の本音を口にしてはならない場面」という認識が決定的に欠けていた。日常の用語法において、このような場合には、「うっかり本音をさらけ出した」とも、「不注意に本音を漏らした」とも言わない。傍若無人に自分の見解を述べたに過ぎないのだ。失言というよりは、放言というべきであろう。「うっかり言ってしまった」のではなく、確信犯としての発言なのだから。
彼には、自分の発言が死者を冒涜したこと、被災者に配慮を欠いたこと、言ってはならないことを言ってしまったことについての自覚がない。むしろ、エラそうに浅薄で危険な文明観のお説教を垂れたのだ。記者から「被災者に配慮を欠いた発言では」と指摘を受けて、直ちには撤回も謝罪もしなかったのはその故である。
翌日、発言を撤回し謝罪したのは、ひとえに選挙対策として。そうしておいた方が選挙に有利とアドバイスを受けた結果であることが透けて見えている。
放言が、傍に人無きがごとしという域を超え、人の心を直接に傷つけるに至った場合を暴言と呼ぶ。今回の彼の「天罰発言」はまさしく暴言というにふさわしい。あるいは、妄言というべきであろう。
失言においても、一度露わになった本音は、撤回しても謝罪しても、それこそが発言者の本心であり本性である以上、消し去ることはできない。むろん、放言でも暴言でも妄言でも事情は変わらない。
思えば彼は、これまでも数々の暴言や妄言を重ねてきた。社会の片隅で、威張り散らすのはまだ罪が軽い。天下に露わとなったこの本性のまま、責任ある地位で権力をふるうことは、もう、いい加減にしていただきたい。
(2011年03月31日)
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江戸っ子の心意気
べらんめい、江戸は町人の街よ。人口の半分は侍だというが、ありゃあ、どいつもこいつも国許からぽっと出の浅黄裏。権力はあっても、所詮は粋の分からぬヤボどもよ。リャンコが恐くて田楽が喰えるか。
「たが屋」という噺を知ってるだろう。「たがを締める」ことを商売としている職人と、むやみに威張った侍のあの話。両国の川開きのごった返しの橋の上、供を連れた騎乗の侍と、商売道具を背負ったたが屋とがぶつかる。侍は、「とも先を切った無礼者」と、たが屋を手討ちにしようとする。平謝りのたが屋が、どうにも助からないと知るや開き直って胸のすくような啖呵をきる。ここがハナシの聞き所。たが屋捨て身の大立ち回りを口先ばかりの江戸っ子が応援する。
さて、その結末。文化年間の寄席の記録では、花火が打ち上げられる中、切られたたが屋の首が飛ぶ。その首に「たがやーー」と哀惜の声がかかるのがサゲ。
ところがこれでは面白くねえやな。この話、幕末には逆転する。隅田川に落ちるのは、たが屋の首ではなく侍の首となったのよ。この侍の首に「たがやーー」という喝采がサゲとなる。今も演じられているとおりさ。
この首のすげ替え。天と地の差だろう。最初に侍の首を飛ばした噺家の名は残っちゃいない。町人の心意気が、たが屋を救って、侍の首を飛ばしたのさ。
たが屋が身分を超えて侍にこう言うんだ。「情け知らずの丸太ん棒め」「おまえなんぞは人間じゃない。このあんにゃもんにゃ」「血と涙があって、義理と人情をわきまえていてこそ人間ていうんだ」ここがこの噺の真骨頂だとおもうね。
江戸っ子だい。いつまでも、はいつくばってはいられない。威張り散らして、「災害は天罰」だの、「地方の原発推進は東京に必要」だのと言ってる御仁に、いつまでも江戸を任せるわけにはいかないね。それこそ、江戸っ子の恥じゃないか。
俺たちは一人一人が「たが屋」さ。血も涙もなく義理と人情をわきまえぬ権力者と、首をかけたやり取りを余儀なくされていることは、昔も今も変わらない。
(2011年04月01日)
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野蛮な天皇制も「天罰」とは言わなかった
関東大震災の直後に2通の詔書が出されている。天皇制政府にとって首都の震災被害からの復興がいかに重大な課題であったかを物語っている。注目すべきは、両詔書とも「天譴論」に与していないことである。震災の原因を神慮や天罰と言ったり、国民に被災の責任を求めたりする姿勢とは無縁なのだ。
まず、震災11日後の「関東大震災直後ノ詔書」(1923年9月12日)。「惟フニ天災地変ハ人力ヲ以テ予防シ難ク只速ニ人事ヲ尽シテ民心ヲ安定スルノ一途アルノミ」と、天災は飽くまで天災、全力で復興に力を尽くすしかないとの基本姿勢を示している。そのうえで、「凡(およ)ソ非常ノ秋(とき)ニ際シテハ非常ノ果断ナカルヘカラス」と、被災の救済と復興の施策は、非常時にふさわしく果断にやれと述べている。大仰な美辞麗句の修飾をはぎ取れば、中身は案外真っ当で合理的なのだ。
次いで、「国民精神作興ノ詔書」(同年11月10日)。こちらは、天皇制政府のイメージのとおり。震災後の混乱の中で人心収攬の必要もあったろうが、この事態を奇貨として、天皇制政府の国民精神誘導の意図を明確にしている。
「朕惟フニ国家興隆ノ本ハ国民精神ノ剛健ニ在リ」で始まり、国民の軽佻浮薄の精神を質実剛健にあらためなければ、国が危ういという。そのうえで、まことにエラそうに上から目線の教訓を垂れる。「綱紀ヲ粛正シ風俗ヲ匡励シ浮華放縦ヲ斥ケテ質実剛健ニ趨キ軽佻詭激ヲ矯メテ醇厚中正ニ帰シ人倫ヲ明ニシテ親和ヲ致シ公徳ヲ守リテ秩序ヲ保チ責任ヲ重シ節制ヲ尚ヒ忠孝義勇ノ美ヲ揚ケ博愛共存ノ誼ヲ篤クシ」‥当時の人々はこんな文章をすらすら読めたのだろうか。
この詔書には、「今次ノ災禍甚大」の一文はあるが、その原因を天譴・天罰とはしていない。天皇制政府が、震災を利用して国民精神の統合へと誘導をはかったことを教訓と銘記しなければならないが、震災を天罰と言うことが有効だと考えなかったという意味では、天皇制も国民を舐めてはいなかったのだ。
90年後、「震災は天罰」と言う政治家が出た。天皇制政府より格段に非合理で、愚かで、しかも国民を愚昧なものと舐めきった姿勢を曝露したというべきだろう。
(2011年04月03日)
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ばちあたり
「なんてかなしいこと」というと
「なに、てんばつさ」という。
「ほんとにてんばつ?」ときくと
「ほんとにてんばつさ」という。
「ほんとにほんと?」と、ねんをおすと
「てっかいしてしゃざいする」という。
そうして、あとでもういちど
「ほんとにしゃざいしたの?」ってきくと
「せんきょがちかいからね」って、小さい声でいう。
こだまでしょうか、
いいえ、あのひと。
「天罰」はだれにも見えないけれど
「天罰」と口にする人の品性はだれにもよく見える
「天罰」は本当はないのだけれど
「天罰という人の罪」は深い
(2011年04月04日)
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「天罰」は東北に、「福利」は首都に
「毎日」の読み始めは「万能川柳」欄から。本日の秀逸句が、「首都圏の電気 福島からと知る」(熊本・某)。東北出身者としては白けた気分とならざるを得ない。そんなこと、今ごろ知ったというのか。作句者には他人事なのだろう。
今さら言うまでもないが、東京電力の原発は、福島第一(6基)・福島第二(4基)・柏崎刈羽(7基)の3か所。いずれも、東京を遠く離れた「東電エリアの外」にある。首都の利便と安全のために、僻遠の「化外の民」が危険を引き受けているのだ。
「そもそも電力は、国民必須の需要によるものてあって、電力政策の権威は産学協同に由来し、その権力は政府がこれを行使し、その危険は東北北陸が引き受け、福利は専ら首都圏がこれを享受する。これは我が国固有の歴史的構造原理であって、東電の原発経営はかかる原理に基くものである」
だから、3月25日における、首都の知事と福島県知事の会見は、特別の意味をもつものであった。危険を東北に押しつけて利便を享受してきた首都と、リスクが顕在化した東北との、本来であれば火花を散らすべき対決である。そこで、首都の知事は「私は今でも原発推進論者」と言ってのけたのだ。私には、「今後とも首都の利便のために原発を推進する。電力供給は必要なのだから、被災は東北の天罰として甘受していただきたい」との、彼の本音と聞こえる。
ところが、3日のフジテレビ系公開討論会の席上、「小池(晃)氏が、石原(慎太郎)氏が福島県で『私は原発論者』と発言したことを批判すると、石原氏は『そんなことは言っていない』」と反論、「小池氏は『いやいやハッキリ報道されてます。ごまかさないでください』と言い返した」と報道されている。また、席上「慎太郎氏は都の防災服姿。『フランスは原子力発電をうまくやっている』『何も、原子力一辺倒と言ってるわけじゃない』などと主張し」たとも報じられている。何も分かっちゃいない。何も反省してはいないのだ。
首都圏の心ある人々よ。数多の蝦夷の末裔たちよ。こんな人物を知事にしておいてよいのか。恥ずかしくないのか。
(2011年04月05日)
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東北の鬼
私の父方のルーツの地は黒沢尻である。今は、岩手県北上市。
この地方には、郷土芸能の鬼剣舞(おにけんばい)が伝わる。宮沢賢治の「原体剣舞連」に農民の誇りとして高らかに歌い上げられている、あの異形の舞である。
私の従兄がその面を作っていることもあって愛着は一入。そのリズムと動きの激しさに、普段はもの静かな東北の民衆の魂の叫びを聞く思いがする。まつろわぬ鬼は、私自身の精神のルーツでもある。
わらび座の十八番の一つ、歌舞劇「東北の鬼」では、幕末の三閉伊一揆を題材に鬼剣舞の群舞が観衆を圧倒する。鬼は、圧政に虐げられた農民そのものであり、剣舞は解き放たれた怒りの象徴である。
「百姓の腹ん中には、一匹ずつの鬼が住んでいるんだ」というのが主題。古来、東北の民は、「蝦夷」として「征伐」の対象とされた。鎌倉・室町・江戸期の最高権力者の官名は「征夷大将軍」である。坂上田村麻呂に抵抗したアテルイの時代から、前九年・後三年、藤原三代、九戸政実、戊辰戦争、明治の藩閥政治にいたるまで、勇猛にして高潔な東北は、奸悪な中央に敗れ虐げられ続けてきた。その名残と怨念はいまだに消えない。だから、東北の民は、時として鬼になる。地方権力にも中央政権にも、その矜持を賭けて徹底してたたかいを挑む。その心意気が弘化・嘉永の三閉伊一揆に遺憾なく表れているのだ。
そのような東北の民衆の矜持を、首都の知事が踏みにじった。
「なに。震災は天罰だと?」「津波で積年の垢を洗い落とせだと?」
さらに、追い打ちをかけたのが原発問題。危険な原発の立地を東北に追いやり、安全な場所で電力の恩恵に与るのが中央。東北の民には、そのような図式がありありと見える。「この期に及んでなお、『私は今も原発推進論者』だと?」
賢治のことばを借りよう。「いかりのにがさまた青さ 四月の気層のひかりの底を つばきし はぎしりゆききする おれはひとりの修羅なのだ」
都民よ。東北の鬼を怒らせまいぞ。
(2011年04月06日)
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再び、民主主義とは何なのだろう
私は、1971年4月に弁護士となった。実務法律家としてちょうど40年の職業生活を送ったことになる。この間の私の幸運は、日本国憲法とともに過ごしたことである。人権・平和・民主主義を謳った実定憲法を武器に職業生活を送ることができたことは、なんという僥倖。
しかし、私の不運は日本国憲法の理念に忠実ならざる司法とともに過ごしたことにある。憲法に輝く基本的人権も、恒久平和も、民主主義も、法廷や判決では急に色褪せてしまうのだ。何という不幸。
裁判所が、毅然と「日の丸・君が代」強制を許さずとする明確な判決を言い渡すのなら、石原教育行政の出番はない。裁判所に、「歌や旗よりも子どもが大切」、「国家ではなく人権こそが根源的価値」という教科書の第1ページの理解があれば、そもそも行政が憲法を蹂躙する暴挙を犯すことはないのだ。
もうひとつ、右翼の知事に出番を提供したのは都民である。震災は天罰と言ってのけ、思想差別を敢行するこの右翼的人物に知事の座を与えたのは都民である。恐るべきは石原個人ではなく、敢えて石原に権力を与えた都民の意思であり、日本の民主主義の成熟度と言わねばならない。
それにしても石原4選である。東京都の人権と教育は、あと4年もの間危殆に瀕し続けねばならない。「人権や憲法に刃を突きつける民主主義とは、いったい何なのだ」と問い続けなければならない。問い続けつつも、他にこれと替わり得る制度がない以上、絶望することも、あきらめることも許されない。心ある人々とともに、東京都の反憲法状態を糾弾し続け、都民に訴え続ける以外にはない。
そのような決意を自分に言い聞かせて、しばし擱筆する。
最後に。
自分の心情を託すには啄木が、気持を浄化し決意を確認するには賢治がぴったりだ。
新しき明日の来るを信ずといふ 自分の言葉に嘘はなけれど
地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつゝ秋風を聴く
人がみな同じ方角に向いて行く。それを横より見てゐる心。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニワタシハナリタイ
(2011年04月11日)
昨年(2014年)2月の選挙で舛添要一都政が発足して1年が経過し、今初めての舛添予算案が都議会に上程されて審議を受けている。メディアからの評判はなかなかのものとなっている。産経の記事が「共産党も高評価」と見出しを打った。酷すぎた石原慎太郎・猪瀬直樹都政に較べれば多少はマシになった、というレベルを超えた積極評価がなされている。
自・公の推薦を受けた候補者ではあったが、都議会内各派とはそれぞれに折れ合いは良いようだ。何よりも、不必要に居丈高で威圧的だった石原・猪瀬に較べて、人と接する姿勢のソフトさに好感が持てる。
着任早々の定例記者会見で、記者に対して次のように呼びかけたことが話題となった。
「みなさん(記者)も、都民、国民の代表として、外からごらんになっていただいているんで、いつも申し上げるように、どんな質問でも全く構わないんで、自由に、この会見の場で意見をいただくということが、都民の声を反映することになると思いますので、ぜひ、そのことをお願いしたいと思います」
知事本人による、「私は、石原・猪瀬とは違う」という意識的アピールとみるべきだろう。
また、次のような発言も各紙が話題にした。
「初登庁して一日仕事をしただけで、この役所は大丈夫か、とんでもないことになっているのではないかと、心配が先立ってきた。
都庁では、職員が恐る恐る知事に説明に伺ってもよいかと、私に不安げに尋ねてきた。これは驚きで、知事に対する説明などは当然行うべきである。‥これまでの知事たちが、どういう職務姿勢であったのかが、よく分かる。週に2?3回しか職場に来ないのなら、職員からレクを受ける機会も少なくなるであろうし、重要な来客とのアポも入れられないであろう。まともな仕事もせずに、権威主義的に怒鳴り散らしていたのではないかと想像してしまう。これでは、部下の士気も減退するであろう。」
(「現代ビジネス 舛添レポート」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38397?page=2)
言うまでもなく、「まともな仕事もせずに権威主義的に怒鳴り散らして、この役所をトンデモナイものにしてしまった」のは、石原・猪瀬の前任者である。舛添はこれをまともな役所にする、と宣言したわけだ。
その後も、「ぬるま湯につかった過去3代の知事の20年間は忘れていただきたい。トップがサボっていると職員に感染しますね」(昨年5月9日)や、「終わった人のことをいろいろ言う暇があったら都民のために一歩でも都政を前に進める、そういう思いでいる」(12月16日、引退を表明した石原元知事について)などの記者会見発言が続いた。
こうして舛添都政1年。公平な目で、功罪の「功」が優るというべきだろう。
2020年オリンピック準備では、「招致段階から施設整備費が大幅に膨らむことが分かり、舛添知事は『都民の理解が得られない』と競技会場計画の見直しに着手。三施設の新設を中止して既存施設の活用などを決めた。一時は4584億円に上った試算から「2千億円を削減した」と話す。」(東京)と報じられている。これは都民に好意的に迎えられている。
産経の記事を紹介しておきたい。
「舛添知事が熱心に取り組み、独自色が鮮明になったものの一つとして『都市外交』が挙げられる。これまで6回の海外出張をこなし、計5カ国に訪問。五輪への協力要請などに取り組んだ。
ただ、就任直後から続いた外遊の連続に、昨年9月の都議会本会議で、自民党の村上英子幹事長は『知事の海外出張が、それほど優先順位が高いとは思えない』と苦言を呈した。北京、ソウルの訪問では歴史認識に関する発言への対応をめぐり、『なぜ地方自治体が外交をやるのか』と都に2万件を超える意見が寄せられ、その大半が批判的となるなど、独自色がむしろ“裏目”に出る事態を招いた。
舛添知事が初めて編成を手がけた来年度の当初予算案についても、共産党が重視する非正規雇用の正社員転換や保育・介護分野の拡充に向けた予算付けがされたことから、共産は大型開発などを一部批判しつつも、『都民の要求を反映した施策の拡充が図られている』とするコメントを出した。『共産からこれほど前向きなコメントが出るのは異例だ』と、議会事務局のベテラン職員も驚くほどの内容という。」
右派メディアが右からの批判をおこなっている。最も気になるのは、知事の北京・ソウルへの訪問を、安倍政権の外交失策を補う自治体外交としての輝かしい成果と評価せず、「裏目に出た事態」としていることだ。「2万件を超える意見」の殆どは、嫌韓・嫌中を掲げる排外主義右派の組織的な運動によるものであったろうが、これを口実に自らの見解としては言いにくいことを記事にしているのだ。この点、リベラル側からの都知事応援のメッセージがもっとあってしかるべきだったと思う。わたしも都政に関心を持つ者の一人として反省しなければならない。
このところ、護憲勢力は、野中広務(国旗国歌法制定の立役者)、古賀誠(元・みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会会長、天皇の靖国参拝推進論者)、山崎拓(元自民党副総裁)、小林節(「憲法守って国亡ぶ」の著者)など保守派との共闘に熱心である。自民党改憲草案を明確に批判している舛添だって十分に改憲反対の共闘者として考慮の余地がありそうではないか。賛否いずれにせよ、誰か真剣に論じてみてはいかがか。
さて、私が最も関心を持つのは、東京都の教育行政である。とりわけ、都立校の教科書採択問題と「日の丸・君が代」強制について。明らかに、石原慎太郎という極右の政治家が知事になって東京都の教育を変えてしまった。舛添知事に交替して、正常な事態に戻る兆しがあるか。残念ながら、今のところ良くも悪くもこの点についての知事の積極的発言はなく、教育現場に目に見える変化はない。
2月24日都議会本会議の共産党代表質問で、松村友昭都議が「日の丸・君が代」強制問題を取り上げた。10・23通達に基づく教職員の大量処分についての最高裁判決が、「起立・斉唱を強制する職務命令が間接的にではあれ思想良心の制約となっていることを認め、減給と停職処分を取り消す判決を言い渡している。また、異例のこととして多くの裁判官の補足意見が都教委に対して、自由で闊達な教育現場を取り戻すよう要望を述べている」と指摘したうえ、「この最高裁判決と補足意見をどう受け止めるか」と舛添知事に見解をただした。
これに対して、知事は答弁しなかった。逃げたと言ってよい。比留間英人教育長が知事に代わって答弁し、「最高裁判決で職務命令は違憲とは言えないとされた。国旗・国歌の指導は教職員の責務だ」と強弁した。いかにも噛み合わない無理な答弁。都教委は少しも変わっていないことを印象づけた。松村都議はこの答弁に納得せず、再質問で再び知事の答弁を求めたが、またもや比留間教育長が同じ答弁を繰り返すだけで終わった。
傍聴者の報告によると、居眠りしていた保守派の都議が、教育長答弁の時だけ、にわかに活気づいて大きな拍手を送っていたという。この点について継続的に都政をウォッチしている元教員らの意見だと、舛添知事自身には「日の丸・君が代」強制の意図はなさそうだが、敢えて自民党都議団との衝突を覚悟しての「10・23通達」体制見直しの意図はなさそうだという。知事の最関心事はオリンピックの成功にあって、そのためには自民党都議団との摩擦を招く政策はとり得ないのだという解説。なるほど、そんなものか。
結局は都民の責任なのだ。石原に308万票を投じて驕らせたことが「10・23通達」を発出させた。今は、保守派の自民党都議に票を投じて、教育現場の自由闊達はなくてもよいとしているようだ。地道に世論を変えていく試みを継続する以外に、王道も抜け道もなさそうである。そうすれば、次の教育委員人事や教育長人事では、少しはマシな人物に交替できるかも知れない。あるいは、その次の次にでも‥。
石原教育行政が「10・23通達」を発したのは、初当選から4年半経ってのことだった。舛添都政における教育行政の変化ももう少し長い目で見るべきだろう。それを見極めて、私の舛添都政に対する最終評価をしたい。
(2015年3月9日)
西川公也農相の政治献金問題がおさまりつかず辞任にまで発展した。これに安倍首相の「ニッキョーソはどうした!」ヤジ事件のおまけまでついて、政権への震度は思った以上に大きくなりつつある。
これまで何度も聞かされた言葉が繰り返された。「法的には問題ないが道義的責任を感じてカネは直ぐに返還した」「あくまで法的に問題はないが、審議の遅滞を招いては申し訳ないので辞任することにした」。要するに、「カネを返せば問題なかろう」「些細なミス、訂正すれば済むことだ」「やめて責任を取ったのだからこれで終わりだ」。終わりのはずを蒸し返し執拗に追求するのは、些細なことを大袈裟にしようという悪意あってのこと、という開き直りが政権の側にある。
しかし、既視感はここまで。今回は、世論もメデイアも野党も、この「カネを返したから、訂正したから、辞めたから、一件落着」という手法に納得しなくなっている。トカゲのシッポを切っての曖昧な解決を許さない、という雰囲気が濃厚に感じられる。問題の指摘を続ける野党やメディアへのバッシングも鳴りをひそめている。
本日(2月24日)の各紙夕刊に「首相の任命責任、国会で追及へ」「野党首相出席要求」「衆院予算委が空転」の大見出し。野党各党の国対委員長が国会内では、「西川氏辞任の経緯や、首相の任命責任をただす考えで一致した」と報じられている。何が起こったのかを徹底して明らかにし、問題点を整理して、不祥事の再発防止策を具体化する。刑事的制裁が必要であればしかるべき処分をし、制度の不備は改善し、責任の内容と程度とを明確にして適正な世論の批判を可能とする。そのような対応がなされそうな雰囲気である。
今朝の朝刊6紙(朝・毎・読・東京・日経・産経)の社説がこの問題を取り上げている。世間の耳目を集める問題では、おおよそ「朝・毎・東京」対「読売・産経」の対立となり、日経がその狭間でのどっちつかずという図式になる。ところが今回は違う。産経の姿勢がスッキリしているのだ。少し驚いた。
まず標題をならべてみよう。
朝日「農水相辞任 政権におごりはないか」
毎日「西川農相辞任 政権自体の信用失墜だ」
東京「西川農相辞任 返金で幕引き許されぬ」
産経「西川農水相辞任 改革に水差す疑惑を断て」
日経「農相辞任で政策停滞を招くな」
読売「西川農相辞任 農業改革の体制再建が急務だ」
標題はほぼ内容と符合している。朝日・毎日・東京が、徹底した疑惑の解明を求め、安倍政権の責任を論じている。それぞれ的確に問題点を指摘し、首相の責任の具体化を求める堂々たる内容。読売と日経が明らかに立場を異にし、「切れ目のない政策継続」に重点を置き、安倍政権を擁護してその傷を浅くする役割を演じようとしている。
産経の「改革に水差す疑惑を断て」という標題だけが、「改革の継続」と「疑惑を断て」のどちらに重点が置かれているのかわかりにくい。ところが、その内容は、安倍政権に手厳しい。「改革や農業政策の継続」の必要は殆ど語られていない。普段の安倍晋三応援団の姿勢とはまったく趣を異にしている。この産経の論調は、日経・読売2紙の安倍政権ベッタリ姿勢を際立たせることになっている。これは、一考に値するのではないか。
以下、主要な部分を抜粋する。
「国の補助金を受けた会社から寄付を受けてはならないことなど、政治家としてごく基本的なルールを軽視していた。その結果、職務遂行に支障を来す事態を自ら招いたのであり、辞任は当然だ。安倍晋三首相の任命責任も重い。…閣僚らに厳格な政治資金の管理を求めるのはもとより、『政治とカネ』の透明化へ具体的措置をとるべきだ。
問題視されたのは、日本が環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉に参加する直前、砂糖業界の関係団体から西川氏が代表の政党支部に100万円が寄付されたことなどだ。西川氏は自民党TPP対策委員長だった。しかも、業界団体である精糖工業会は国から補助金を受けていた。政治資金規正法は1年間の寄付を禁止しており、別団体からの寄付の形がとられた。こうした行為に対し、脱法的な迂回献金との批判が出るのは当然だろう。同支部は補助金を受けた別の会社からも300万円の寄付を受けた。
首相や西川氏の説明は『献金は違法なものではない』ことを主張するばかりで、不適切さがあったとの認識がうかがえない。砂糖は日本にとってTPPの重要品目であることからも、政策判断が献金でゆがめられていないか、との疑念を招きかねない。
形式的には別の団体が寄付を行っても、実質的に同一の者の寄付とみなされるものは、規制をかける必要が出てくるだろう。脱法的な寄付を封じる措置を、政治資金規正法改正などを通じてとるべきだ。」
おっしゃるとおり。まことにごもっとも、というほかはない。とりわけ、「脱法的な寄付を封じる措置を、政治資金規正法改正などを通じてとるべきだ」には、諸手を挙げて賛成したい。8億円もの巨額の裏金を、明らかに政治資金として政治家に交付しておいて、「献金なら届けなければ違法だが、貸金なら届出を義務づける法律はない」と開き直っている大金持ちがいる。このような「脱法を封じる法改正」を実現すべきは当然ではないか。
各紙の社説を通読して、その全体としての批判精神に意を強くしたが、いくつかコメントしておきたい。
東京新聞は、次のようにいう。
「業界との癒着が疑われる政治献金はそもそも受け取るべきではなく、返金や閣僚辞任での幕引きは許されない。与野党問わず『政治とカネ』をめぐる不信解消に、いま一度、真剣に取り組むべきだ」「カネで政策がねじ曲げられたと疑われては、西川氏も本望ではなかろう」
具体的事例を通して、政治資金規正法の精神を掘り下げようとする論述である。
「業界との癒着が疑われる政治献金は受け取るべきではない」というのは、もちろん正論である。「カネで政策がねじ曲げられてはならない」とする民主主義社会の大原則がある。「業界との癒着が疑われる政治献金」は、「カネで政策がねじ曲げられているのではないか」という疑惑を呼び起こすものである。つまりは、政治の廉潔性や公正性に対する信頼を傷つけるものとして、授受を禁ずべきなのだ。
企業や金持ちから政治家に渡されるそのカネが、現実に廉潔なものか、あるいは政治をねじ曲げる邪悪なものであるかが問題なのではない。国民の政治に対する信頼を傷つける行為として禁止すべきなのだ。「私のカネだけは廉潔なものだから、献金も貸金もなんの問題ない」という理屈は、真の意味で「いくら説明してもわからない」人の言い分でしかない。
なお、「カネで政策がねじ曲げられているのではないか」という疑惑を呼び起こす政治献金は、「業界との具体的な癒着が疑われる政治献金」に限らない。企業や団体、富裕者の献金は、すべからく財界や企業団体の利益となる政治や政策への結びつきをもたらすものとして、政治の廉潔性や公正性に対する社会の信頼を傷つけるものである。献金にせよ、融資にせよ、本来一般的に禁ずべきが本筋であろう。少なくも、上限規制が必要であり、透明性確保のための届出の義務化が必須である。
毎日が、社説の文体としては珍しい次のような一文を載せている。
「『いくら説明をしてもわからない人はわからない』。自ら疑惑を招いての辞任にもかかわらず、まるで問題視する方が悪いと言わんばかりに開き直って記者団に語る西川氏の態度に驚いてしまった。」
私も、自らの体験として、「まるで問題視する方が悪いと言わんばかりに開き直って語る態度」に思い当たる。
2012年12月都知事選における宇都宮候補の選挙運動収支報告書を閲覧して、私は明らかな公選法違反と濃厚な疑惑のいくつかを指摘した。当ブログで33回にわたって連載した「宇都宮君立候補はおやめなさい」シリーズでは、この公選法違反の指摘は大きな比重を占めている。「自らの陣営に法に反する傷がある以上、君には政治の浄化などできるはずもない。だから宇都宮君、立候補はおやめなさい」という文脈でのことである。
この指摘に対して、2014年1月5日付で、宇都宮陣営から「澤藤統一郎氏の公選法違反等の主張に対する法的見解」なるものが発表された。中山武敏・海渡雄一・田中隆の3弁護士が、まさしく「まるで問題視する方が悪いと言わんばかりに開き直って」の居丈高な内容だった。
同「見解」は、まことに苦しい弁明を重ねた上、「選挙運動費用収支報告書に誤った記載があることは事実であるが、この記載ミスを訂正すれば済む問題である」と開き直った。3弁護士は、「陣営に違法はなかった」ことを主張するばかりで、自ら資料収集ができる立場にありながら、具体的な説明を避け、資料の提示をすることもなかった。
宇都宮君も、中山・海渡・田中の3弁護士も、もちろん違反の当事者である上原公子選対本部長(元国立市長)も熊谷伸一郎選対事務局長も、今、野党とメディアが政権に求めているとおりに、経過を徹底して明らかにして自浄能力の存在を示し、謝罪すべきである。そのうえで、「2014年1月5日・3弁護士見解」を撤回しなければ、選挙の公正や政治資金規制について語る資格はない。
私は、「保守陣営についてだけ厳格に」というダブルスタンダードを取らない。宇都宮君らが選挙についてどう語るかについてこれからも関心をもち、その言動に対しては保守陣営に対するのと同様に、批判を展開したいと思っている。
自浄能力のない政権へは、野党とメディアの批判が必要である。革新陣営が広く社会的な信頼を勝ちうるためにも、私の批判が有用だと信じて疑わない。
(2015年2月24日)
趙顕娥(チョ・ヒョンア・前大韓航空副社長)という名前は日本では覚えられにくい。誰のことだかわかりにくくもある。失礼ながら、分かり易く「ナッツ姫」で通させていただく。
昨日(2月12日)ナッツ姫にソウルの地方裁判所が、懲役1年の実刑判決を言い渡した。航空保安法における「航空機航路変更罪」と、業務妨害罪の観念的競合を認めたとのことだ。実刑を選択した裁判所の「量刑理由」の説示が興味深い。
韓国の(保守系)有力紙「中央日報(日本語版)」の見出しが、韓国民の関心のありかをよく伝えている。「大韓航空前副社長に懲役1年…裁判所『職員を奴隷のように働かせた』」というのだ。以下は、その記事の抜粋である。(大意であって、原文のママではない)
「ナッツ・リターン事件で逮捕され起訴された趙顕娥(チョ・ヒョンア、41)前大韓航空副社長に懲役1年の実刑が宣告された。
ソウル西部地方裁判所刑事12部(オ・ソンウ部長)は12日、航空保安法上の航空機航路変更などの罪で起訴された趙前副社長に対して『被告人が本当の反省をしているのか疑問』として上記刑を言い渡した。」
「裁判所は量刑の理由の説示において、趙前副社長が提出した反省文の一部を公開した。趙前副社長は反省文で『すべてのことは騒動を起こして露骨に怒りを表わした私のせいだと考え、深く反省している。拘置所の同僚がシャンプーやリンスを貸してくれる姿を見て、人への配慮を学んだ。今後は施す人になる』と話したという。続けて、オ・ソンウ部長判事は『この事件は、お金と地位で人間の自尊心を傷つけた事件で、職員を奴隷のように働かせていなかったら決して起きなかった』と述べ、さらに当時のファーストクラス席の乗客の『飛行機を自家用のように運行させて数百人の乗客に被害を与えた』という陳述も引用して、実刑の宣告理由を明らかにした。また『趙前副社長は、乗務員と事務長から許しを受けることができていない』とも述べ、『趙亮鎬(チョ・ヤンホ)韓進(ハンジン)グループ会長(66)が、事務長の職場生活に困難がないようにすると言ったが、同事務長には「背信者」のレッテルが貼り付けられていると思われる』と付け加えた。」
「パク事務長」とは、パーサーあるいはチーフパーサーの職位に当たる人なのだろう。2か月前の中央日報日本語版が次のとおりに伝えている。
「『ナッツ・リターン』事件当事者の一人、パク・チャンジン大韓航空事務長(41)が(2014年12月)12日、口を開いた。5日(現地時間)に米ニューヨーク発仁川行きの大韓航空KE086航空機に搭乗し、趙顕娥(チョ・ヒョンア)前大韓航空副社長(40)の指示で飛行機から降ろされた人物だ。
パク事務長はこの日、KBS(韓国放送公社)のインタビューで、マカダミアナッツの機内サービスに触発された『ナッツ・リターン』事件当時、『趙顕娥前副社長から暴言のほか暴行まで受け、会社側から偽りの陳述も強要された』と主張した。
放送に顔と実名を表したパク事務長は『当時、趙前副社長が女性乗務員を叱責していたため、機内サービスの責任者である事務長として許しを請うたが、趙前副社長が激しい暴言を吐いた』とし『サービス指針書が入ったケースの角で手の甲を数回刺し、傷もできた』と話した。また『私と女性乗務員をひざまずかせた状態で侮辱し、ずっと指を差し、機長室の入口まで押しつけた』と当時の状況を伝えた。」
以上で、事件と裁判の概要は把握できると思う。刑事裁判であるから、罪刑法定主義の大原則に則って、あくまで起訴事実の存否とその構成要件該当性が主たる審理の対象となる。しかし、本件についての主たる審理対象は、むしろ情状にあったのではないか。ナッツ姫のパーサーやキャビンアテンダントに対する「人間としての自尊心を傷つけた行為」が断罪されたという印象が強い。両被害者からの赦しを得ていないことが実刑判決の理由として語られていることが事情をよく物語っている。実質において、一寸の虫にもある「五分の魂」毀損罪の成立であり、これに対する懲役1年実刑の制裁である。
それにしても思う。偽証まで強要されたこの被害者2名が勇気ある告発をせず、長いものに巻かれて泣き寝入りしていればどうだったであろうか。何ごともなかったかのごとく、ナッツ姫は、わがままに優雅な生活を送っていたのではないだろうか。財閥一家の傲慢さ横暴さが曝露されることもなく、韓国社会の健全な世論の憤激も起こらなかったであろう。勇気ある内部告発は、公益に資する通報として社会に有用なのだ。
日本の上原公子元国立市長の名は、覚えにくいわけではない。しかし、その行為を弾劾する意味で、失礼ながら敢えて「ナッツ上原」と言わせていただく。事情が、日韓まさしく同様なのだから、その方が分かり易い。ナッツ上原の「五分の魂毀損」事件の顛末は既に詳しく書いたから繰り返さない。かなりの長文だが、下記のブログをお読みいただきたい。
「韓国のナッツ姫と日本のナッツ姫ーともに傲慢ではた迷惑」
(2015年1月31日)
https://article9.jp/wordpress/?p=4305
「宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその6」
(2013年12月26日)
https://article9.jp/wordpress/?p=1776
「宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその7」
(2013年12月27日)
https://article9.jp/wordpress/?p=1783
ナッツ上原にも、肝に銘じていただきたい。「あなたの行為は、自分に権限あるものとのトンデモナイ勘違いによって、上から目線で人間の自尊心を傷つけたもの。ボランティアとして選挙運動に誠実に参加した仲間を大切にする気持ちが少しでもあれば、決して起きなかったこと」なのだ。もちろん、ナッツ上原の行為は、陣営の選挙運動に具体的な支障をもたらしている。そして、主犯熊谷伸一郎ともども、いまだもって五分の魂を傷つけられた二人に謝罪もしていなければ赦しを受けてもいない。
私は、自浄能力のない組織における内部告発(公益通報)は、その組織や運動にとっても、社会全体に対しても有益なものであると信じて疑わない。本日の記事を含め、当ブログは、公共的な事項に関して、公益をはかる目的をもって、貴重な情報を社会に発信し、革新共闘のあり方に有益な問題提起をなしえているものと確信している。
私が宇都宮陣営に「宣戦布告」をしたのは、2013年12月21日である。
「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい。」
https://article9.jp/wordpress/?p=1742
その日のブログに書いたとおり、私の闘いは「数の暴力」への言論による対抗手段としての事実の公開である。典型的な内部告発であり、公益通報である。力のない者が不当・無法と闘うための王道は、何が起こったかを広く社会に訴え多くの人に知ってもらうこと以外にない。幸いに、私にはささやかなブログというツールがあった。「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」シリーズは、33回を毎日連載して望外の読者の反響を得た。もちろん、覚悟した反発もあったが、その内容は説得力に乏しいお粗末なもので、その規模は事前の想定よりも遙かに小さなものだった。むしろ、多数の方から予想を遙かに超える熱い賛意をいただいて、「私憤」だけでない公益通報の公益的な意義を確信した。
「念のために申し上げれば、開戦は私の方から仕掛けたものではありません。宇都宮君側から、だまし討ちで開始されました。だから、正確には私の立ち場は「応戦」なのです。しかし、改めて私の覚悟を明確にするための「宣戦布告」です。」これが、シリーズ冒頭の一節。その宣戦布告はいまだに講和に至っていない。
(2015年2月13日)
大韓航空前副社長の趙顕娥(チョ・ヒョナ)被告の「ナッツリターン事件」に興味津々である。もちろん、韓国財閥事情への関心ではなく、国は違えど同じようなことはよく起こるものだという身近な事件に引きつけての興味である。「ナッツ姫の横暴ぶり」は、権力や金力を笠に着た傲慢で品性低劣な人間に往々にしてある振るまい。ところで、世の中には、なんの権力も権限もないのに、自分には人に命令する権限があると勘違いで思い込む、愚かで横暴なはた迷惑な人物もいる。こちらの手合いも始末に悪い。
共同通信など複数のメディアが、韓国紙京郷新聞が起訴状を基に事件を再現した記事を転載している。その中の次の部分が目を惹いた。
「趙被告は乗務員がナッツを袋のまま出すと『ひざまずいてマニュアルを確認しろ』と激怒。客室サービス責任者に『この飛行機をすぐ止めなさい。私は飛ばさない』と迫った。責任者が『既に滑走路に向かっており、止められません』と答えると『関係ない。私に盾突くの?』と激高した。」
「私に楯突くの?」という言葉は、聞き捨てできない。かつての都知事選宇都宮選対本部長上原公子(元国立市長)が2012年12月11日午後9時過ぎに、四谷三丁目の選対事務所に私の息子を呼びつけて投げつけた「この人、私の言うことが聞けないんだって」という言葉と瓜二つ、いやナッツ二つなのだ。
私の息子は宇都宮けんじ候補の随行員として、およそ1か月間献身的によく働いていた。選挙戦をあと4日残すだけの最終盤のこの時、ナッツ上原はなんの理由も告げずにいきなりその任務を取り上げたのだ。もうひとりの随行員だった誠実な女性ボランティアともどもに。秘密のうちに二人の後任が準備されていた。
このことへの抗議に対して、ナッツ上原は、熊谷伸一郎選対事務局長(岩波書店社員)と顔を見合わせて冷笑したうえ、「この人、私の言うことが聞けないんだって」というナッツフレーズを吐いたのだ。
その傲慢さ、人格の尊厳への配慮のなさ、品性の低劣さにおいて、日韓両国のナッツ姫は甲乙つけがたい。もっとも、韓国のナッツ姫は一応は労働契約上の労務指揮権を持っている。リターン命令はその労務指揮権の「権限の逸脱・濫用」にあることになる。一方、日本のナッツ上原は、革新陣営の選挙活動にボランティアで集う仲間に対して調整役の責務を負う立場にあって、なんの権力も権限も持つわけではない。ナッツ上原は、より民主的でなければならない立場にありながら、その理念に反する点で際立っており、見方によっては韓国のナッツ姫よりもタチが悪い。
このような事件が起きたときに、関係者の人権感覚と対応能力が浮き彫りになる。宇都宮健児君は任務外しについて上原や熊谷との共犯者ではなかった。しかし、この横暴を知りながら事後に黙認したことにおいて、人権感覚・対応能力ともにまったく評価に値する人物ではないことを露呈して、私は友人としての袂を分かつことにした。
なお、私の息子は、ナッツ上原に対して、「対等な関係のボランティア同士。権力関係にはない。あなたに私に対する命令の権限があるはずはない。ましてやまったく不合理な命令は聞けない」と抗議している。
ところが、その後公開された選挙運動収支報告書において、上原が「労務者」として報酬10万円を受領していると届け出ていることが判明した。「労務者」とは「選挙運動員」の指示を受けて機械的な業務のみに従事する立場。ボランティアとして一銭の報酬も受けとっていない選挙運動員である私の息子と対等ではない。ところが、この局面では労務者上原が、選挙運動員に権力的な指示を押しつけている。あり得ないはなしなのだ。
もっとも、選対本部長が「労務者」であろうはずはない。この10万円は選対本部長としてのお手盛り選挙運動報酬と考えざるをえず、明らかな公選法違反に当たるものである。
この私の指摘に「反論」した三弁護士(中山・海渡・田中)による「澤藤統一郎氏の公選法違反等の主張に対する法的見解」(1014年1月5日付)の中身が、真摯さを欠いたお粗末極まるものだった。およそ「法的見解」などと言える代物ではない。もっと真剣に事実に肉薄し、自陣営のカネの動きの不透明さについて明確化する努力と謝罪をしていれば、自浄能力の存在を証明して、「三弁護士」の権威を貶めることもなかったと思われるが、結局は「何らの違法性もないものである」「記載ミスを訂正すれば済む問題である」とごまかしの論理に終始した。繰り返される保守陣営の公選法違反が摘出される度に聞かされてきたことと同じセリフしか聞くことができなかった。
当ブロクでの公選法違反の指摘に、宇都宮陣営は報告書の当該記載の抹消をしただけでこと終われりとしている。もちろんそれでは、添付書類と辻褄が合わないことになる。いまだに、放置されたままだ。その他にも、宇都宮選挙には多々問題があった。詳細は、このプログに「宇都宮君、立候補はおやめなさい」シリーズとして33回連続して掲載したので、是非ご覧いただきたい。
https://article9.jp/wordpress/?cat=6
そのほか、選対内部で随行員二人の任務外しに加担した労務屋同然の働きをした人物が何人もいる。何が正しいかではなく、なりふり構わず何が何でも組織防衛を優先する、「革新」を標榜する人々の常軌を逸した行動パターンを思い知った。さらに驚くべきことに、このブラック選対で労務屋同然のダーティーな働きをした人々が、「ブラック企業大賞」選考企画の中心にいたようだ。深刻なブラックジョーク現象というほかはない。
聞くところによると、「今年、宇都宮健児が大きく運動を展開させる注目のテーマ」を「選挙制度」としているそうだ。ちょっと信じがたい。仮に宇都宮君が選挙制度について語るのであれば、何よりも都知事選でのカネの動きの不透明さや、明らかに合理性あるルールに違反したことへの反省と謝罪から始めなければならない。それなくして、彼が公職選挙法の不備や不当について語る資格はない。
ところで、韓国のナッツ姫。現地の報道では、大弁護団が話題となっているようだ。「趙前副社長が雇った弁護団は数十億ウォン(数億円)を受け取っているはず」「執行猶予を勝ち取れば、弁護団は大富豪になるだろう」などと揶揄されている。
ナッツと弁護士。日韓両国において切っても切れない縁のようだが、けっして美しい縁ではない。腐ったナッツに集まるハエと悪口を言われるような関係となってはならない。
(2015年1月31日)
共同通信などの複数メディアが伝えるところによると、
「江渡聡徳防衛相の資金管理団体(「聡友会」)が2009年と12年、江渡氏個人に計350万円を寄付したと政治資金収支報告書に記載していたことが9月26日に分かった。江渡氏は同日の閣議後記者会見で『事務的なミスだった』と述べ、既に訂正したと明らかにした」「江渡氏や訂正前の報告書などによると、09年に100万円を2回、12年5月と12月にも100万円と50万円を寄付したことになっていた」
という。
明らかな政治資金規正法違反。条文上は、法第21条の2「何人も、公職の候補者の政治活動(選挙運動を除く)に関して寄附(政治団体に対するものを除く)をしてはならない」に違反する。個人及び政党以外の政治団体は、公職の候補者(国会議員や首長など現職を含む)に対して、選挙運動に関するものを除き、金額にかかわらず政治活動に関する寄附を行うことが禁止されている。
ましてや、資金管理団体とは政治家個人の政治資金を管理するために設置される団体である。法は、政治家を代表とする資金管理団体を一つだけ作らせて、政治家個人への政治資金の「入り」も「出」も、この団体を通すことによって、透明性を確保し量的規制を貫徹しようとしている。だから、資金管理団体から政治家個人への寄付などという形で資金の環流を認めたのでは、政治資金の取り扱い権限を個人から資金管理団体へ移行しようとする制度の趣旨を没却することになってしまう。
総務省のホームページで、「政治資金収支報告書及び政党交付金使途等報告書」を検索してみた。残念ながら09年の報告は期限が切れて掲載されていない。12年の報告だけは閲覧可能である。
http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/131129/1306400032.pdf
確かに、「聡友会」(代表者江渡聡徳)の収支報告書の支出欄に、
2012年5月25日 「江渡あきのり」への寄付100万円
2012年12月28日 「江渡あきのり」への寄付 50万円
と明記されていたものが、本年9月2日に「願により訂正」として、抹消されている。これに辻褄を合わせて、「支出の総括表」における「寄付」の項目が150万円減額となり、人件費が150万円増額となっている。これも、「9月2日 願により訂正」とされている。
記者会見による弁明の内容については、「江渡氏は『350万円は寄付ではなく、聡友会の複数の職員に支払った人件費だった』と説明。担当者が領収書を混同し、記載をミスしたとしている」(共同)と報じられている。
弁明の内容については、朝日の報道がさらに詳しい。
「江渡氏は『私から職員らに人件費を交付する際、私名義の仮の領収書を作成していたため、(報告書を記載する)担当者が(江渡氏への)寄付と混同した』と説明。人件費は数人分で、江渡氏が仮領収書にサインするのは『お金の出し入れの明細がわかるようにするため』と述べた」という。
この江渡弁明を理解できるだろうか。弁明が納得できるかどうかの以前に、どうしてこのような主張が弁明となり得るのかが理解できないのだ。
人件費としての支出には、その都度に受領者からの領収証を徴すべきが常識であろう。政治団体の場合は常識にとどまらない。政治資金規正法は、刑罰の制裁をともなう法的義務としている。
「第11条(抜粋) 政治団体の会計責任者又は、一件五万円以上のすべての支出について、当該支出の目的、金額及び年月日を記載した領収書を徴さなければならない。ただし、これを徴し難い事情があるときは、この限りでない。」
この領収証を徴すべき義務の対象において人件費は除外されていない。そして、その領収証について3年間の保管義務も法定されている。例外を認める但し書きはあるものの、職員への人件費の支払いに関して「領収証を徴し難い事情」はおよそ考えられるところではない。この11条の規定に違反して領収書を徴しない会計責任者には、3年以下の禁錮又は50万円以下の罰金に処せられる(24条3号)。政治資金規正法をザル法にしないための当然の規定というべきだろう。
江渡弁明を報告書訂正の内容と合わせて理解しようとすれば、職員に支払った人件費の支出を事務的ミスで江渡個人への寄付による支出と混同したということになる。しかし、いったいどのような経過があってどのような事情で、混同が生じたというのだろうか。職員に支払う際の義務とされている領収証を受領しておきさえすれば「混同」は避けられたはずではないか。それすらできていなかったということなのか。
なによりも、「私から職員らに人件費を交付する際、私名義の仮の領収書を作成した」ということが意味不明だ。「仮」のものにせよ、人件費の支払いを受けた資金管理団体の職員の側ではなく、支払いをした資金管理団体の代表が「領収証」を作成したということが理解できない。
政治資金収支報告書の届け出によれば、同年の「聡友会」の支出のうち、「寄付」はわずかに16件である。問題の2件を除けば14件。そのうち12件は、毎月定期的に行われる、各月ほぼ100万円の地元「江渡あきのり後援会」への寄付(合計1260万円)が占めている。他は、自民党青森県連へのものが1件と、靖国神社へ1件だけ。「江渡あきのり・個人」への2件150万円は、異色の寄付として目立つものとなっている。たまたま紛れがあって、事務的ミスが原因で報告書に記載されたとはとうてい考えがたい。直ぐには目にすることができないが、きちんと作成され保管されていた「江渡聡徳名義の領収証」があったに違いない。これを、苦し紛れに「仮の領収証」と言い訳をしたものとしか考えられない。これだけの疑惑が問題となっている。
この「事務的なミス」とする弁明は不誠実でみっともない。きちんと誤りを認めて謝罪し、再発防止を誓約することこそが、政治家としての信頼をつなぎ止める唯一の方策であろう。問題の「仮領収証」を公開することもないまま、「報告書を訂正したのだから、もう済んだ問題」として収束をはかるなどはとうてい認められない。
よく似た例はいくらでもある。たとえば、2012年都知事選がそうだった。
「上原氏の‥交通費や宿泊費など法的に認められる支出の一部にすぎない10万円の実費弁償に何の違法性もないことは明らかである」「上原さんらの上記10万円の実費弁償が選挙運動費用収支報告書に誤って『労務費』と記載されていることは事実であるが、この記載ミスを訂正すれば済む問題である」
とは、江渡弁明とよく似た言い分。
自らの手の内にあるはずの根拠となる資料を示すことなく、「この記載ミスを訂正すれば済む問題」とし、今は「既に訂正したのだから、もう済んだ問題」として押し通そうとしている。このようにして収束をはかろうなどはとうてい認められない。
誤りを認めず、反省せず、真摯に批判に耳を傾けようとしない。こういう体質は改めなければならない。でなければ、この陣営に参集した者には、石原宏高や猪瀬直樹、渡辺喜美、そして江渡聡徳らを批判する資格がないことになるのだから。
(2014年10月6日)
今日の毎日川柳欄に、次の一句。
管理職経験生きぬ町内会 (のびた)
企業にせよ役所にせよ、部下との関係では管理職は気楽なものだ。上司としての管理職には、業務命令だの職務命令だのという武器が与えられている。この強力な武器を振りかざして、部下には専制君主として振る舞うことができるのだ。
長く管理職をやっているうちに錯覚に陥る人がある。「自分には、生来他人に命令をする力が備わっているのだ」と。誰かに命令できるのが当然だと勘違いし、それに従わない人間を「けしからぬ奴」と見ることになる。
だから、元管理職氏が町内会の役員になると往々にしてギグシャグが生じる。人を説得し納得ずくでことを運ぶことが非能率としか考えられない。そんな面倒なことをしてはおられないと、長年なじんだ強権をふるうことにもなる。これでうまくいくはずはない。上命下服で動くはずのない町内会では、元管理職の肩書きが生きないばかりか、その強権体質が町内会運営の邪魔になるのだ。結局は、会員の参集を蹴散らすこととなる。
元市長などが、ボランティアチームのリーダーになって悪かろうはずはない。しかし、たまたまこの人物が、「自分には他人に命令をする力がある」という錯覚派だと、悲惨なことになる。共通の理念に賛同して、運動に参加した仲間を対等な人格とみることができない。同じボランティア仲間に、命令ができると大きな勘違いをしてしまう。さらには、「事務局長と目を合わせて、にやにやしながら、『この人、私の命令を聞けないんだって』」などと、傲慢な態度をとることにもなる。
「民主的」選対の本部長や事務局長が、権力や企業内の組織にいるのと同じ発想であることが恐ろしい。しかも、周囲が、このような本部長や事務局長をたしなめることさえせず、自浄能力の欠如をさらけ出したことはいっそうの悲惨と言わざるを得ない。
もっとも、取締役であれ首長であれ、「管理職」は部下との関係では気楽だが、所属する企業や自治体との関係では責任は大きい。第三者との関係でも、ときには身銭を切って責任を全うしなければならない。そのときには、管理職はつらい立場となる。「管理職」に違法があって、被害者に損害を与えれば管理職個人の責任が追求される。企業や自治体が目をつぶっても、違法を見逃せないとするたった一人の株主あるいは市民の提訴の権利を法は認めている。「管理職」が、会社や自治体に開けた穴について、「違法をおかした責任者に身銭を切って埋めさせる」という責任追及の制度である。これが、株主代表訴訟であり、住民訴訟なのだ。
今日の毎日川柳欄から、もう一句。
手は打つが行政指導と云う無力 (岩田規夫)
この句が指摘するとおり、行政指導とは本来強制力のない無力なものなのだ。公権力の行使が強制力をもつためには、厳格に定められた法的根拠をもたなければならない。また、無力であればこそ、法的根拠のない行政指導も許される。しかし、市長が公約に掲げたテーマだからとか、市民の支持のある問題だからとかの理由で、強引な行政指導が許されることにはならない。市長に行き過ぎた行政指導があって第三者に損害を与えた場合には、まず市が損害を賠償しなければならない。次いで、市長に故意または重過失あれば、市長個人が市の財政に開けた穴を埋めなければならない。そのような文脈で国立市の住民が住民訴訟を提起し、2010年12月22日東京地裁判決(確定)は、「被告国立市は、元市長に対し、3123万9726円及びこれに対する遅延損害金の支払を請求せよ」と命じた。国立市は、この判決に従って、元市長に対する請求の訴訟を提起した。
ところが、その3年後、国立市議会は市が有する元市長に対する損害賠償請求権を放棄する決議をしたのだ。14年9月25日東京地裁判決は、この決議の効果を認め、国立市から元市長に対する請求を棄却した。この判決は、貴重な住民訴訟制度の機能を無にしかねないという意味で、悪しき前例になりかねない。。
市町村長や知事の横暴は、あちこちにあふれている。ところが、通常彼らは議会内多数派とは親密な関係にある。大阪府や大阪市の首長と、議会との関係を想起するとわかりやすいのではないか。せっかくの住民訴訟で、首長の責任が確定しても、議会の多数派が請求権放棄の議決をしてしまえば、元の木阿弥になってしまう。それでよいのだろうか。
ダブルスタンダードはいただけない。これまでは住民訴訟の機能を大切にし、活用を心がけていた人ならば、今回の判決のこの論点について、納得できるはずがないと思うのだが。
(2014年10月4日)
昨日(9月2日)の定例記者会見で舛添要一都知事は、現在支給されていない朝鮮学校への補助金の支給について、「万機公論に決すべし」との考えを披瀝した。この言を「一歩前進」と評価すべきであろう。ときあたかも、国連差別撤廃委員会からの勧告がこの問題に言及している。差別を撤廃して朝鮮学校にも補助金を支給し授業料無償化を実現すべく「公論」を興そう。知事は、聞く耳を持っているようなのだから。
この点は、2014年都知事選における重要な争点ではなかったが、政策対決点の一つではあった。都は、2010・11年度と続けて予算に計上した2千万円の朝鮮学校補助金支給を「凍結」し、2012年度以降は予算の計上自体を取りやめている。この事態においての選挙戦で、舛添候補は、田母神候補と同様に、石原・猪瀬都政が布いたレールに乗って補助金不支給の「現状維持」を「公約」とした。昨日の記者会見発言は、この公約に固執するものではないことを明らかにしたのだ。石原都政の継承に与するものではないことの表明としても注目に値する。石原元知事は、田母神陣営応援団の立場。舛添知事は、石原・猪瀬承継に縛られる必要はない。
朝鮮学校補助金支給の「万機公論」発言は、予定されたものではないようだ。都のホームページでの広報によれば、共同通信記者の質問に答えてのもの。その質問と回答の要点は以下のとおり。
「【記者】先日、国連の人種差別撤廃委員会で対日審査会合の最終見解が公表されたのですけれど、その中で地方自治体による朝鮮学校への補助金の凍結などについて何か懸念が示されていたようなのですけれど、東京都では2010年度から補助金の支出、朝鮮学校に対して凍結してまして、昨年、支給しないことを決めて発表されてるのですが、知事はこの政策、どのようにしていくべきだと思いますか。」
「【知事】こういうのはやはり万機公論に決すべしでですね。要するに国益に沿わないことはやはり良くないということは片一方でありますけれども、しかし、どこの国の言葉でも、どこの国の子供でも教育を受ける権利はあるわけですから、そういうものを侵害してはいけない。そのバランスをどうとるのかなということが問題だと思います。
だから、私が今問題にしているヘイトスピーチにしても、これが言論弾圧に使われるということであってはいけませんけれども、人種差別を助長するということであれば、国連の理念にも、我が日本国憲法の理念にもそぐわないので、そこのところをバランスをとってやる。そのためにはやはり皆さん方のメディアを含めて、広く議論をしていくということが必要だと思いますので。…検討したいと思います。」
確認をしておこう。知事の言のとおり、「どこの国の言葉でも、どこの国の子供でも、教育を受ける権利はある」「そういうものを侵害してはいけない」。このあと、「権利は当然に平等を要求する」と続くことになろう。補助金支給に差別があってはならない。石原慎太郎元知事からは、とうてい期待しえない発言。石原後継の猪瀬前知事からも、無理だろう。舛添知事がサラリと言ってのけたことを無視せず無駄にせずに、政策転換の一歩とする世論形成の努力をするべきだろう。
ところで、舛添知事会見の記録を読んでも、知事自身が国連人種差別撤廃委員会の対日最終見解に目を通していたのか否かが判然としない。8月29日採択のこの見解に既に目を通していたとすればその関心は見識と評価しえようし、この見解を読まずして政策転換を示唆したとすればこれもなかなかのものではないか。
国連人種差別撤廃委員会の対日最終見解は35項目。ヘイトスピーチ、慰安婦問題、外国人労働者問題、在日外国人の公務就労制限、外国人女性に対する暴力、アイヌ民族差別、沖縄への差別、朝鮮学校の無償化問題、部落差別問題等々にも触れている。グローバルスタンダードからみれば、日本には差別問題満載なのだ。
共同記者が質問で引用した朝鮮学校差別問題の「第19パラグラフ」を文意が通る程度に訳してみた。もちろん私の語学力だから正確ではない。大意以下のとおりである。
「〔19〕当委員会は朝鮮出身の子どもたちの教育の権利を妨げる立法と政府の以下の行為について懸念している。
(a)高等学校授業料補助からの朝鮮学校の除外
(b)朝鮮学校への地方自治体財政からの支給停止や継続的な減額
当委員会は、「市民権を持たない居住者に対する差別についての一般的勧告」(2004年)を再記して、教育の機会についての法規に差別があってはならないこと、その国に永住する子どもたちが学校の入学に当たって妨害を受けてはならないこと、これらを当事国が保障するという先の勧告を繰り返す。
当委員会は、日本に対し、朝鮮学校が高等学校授業料財源からの支出を受給できるように立場を変えること、同時に地方自治体に対して朝鮮学校への補助金支出を回復するように指導することを勧奨する。
当委員会は日本が1960年の「教育における差別撤廃のユネスコ条約」に加入するよう勧告する。」
国連の委員会勧告は、差別問題に意識の低い日本政府を諭すがごとく、なだめるがごとくである。安倍政権には聞く耳なくとも、せめて舛添都政には国連の良識に耳を傾けてもらいたい。そのような声を上げよう。もしかしたら、「東京から日本が変わる」かも知れない。
(2014年9月3日)
東京都知事選は、とうとう明日が告示日。明日から選挙運動期間である。
念のために、今日また東京都選挙管理委員会に足を延ばした。2012年12月16日施行の東京都知事選挙における宇都宮健児候補の選挙運動資金収支報告書を閲覧してきたが、本日(1月22日)午後の時点で、何の訂正も変更もなされていないことを確認した。宇都宮陣営は、前回選挙における選挙運動収支報告書の重大な届出ミスを認めながら、これを放置して次の選挙に突入しようとしている。
上原公子選対本部長(元国立市長)の労務者報酬10万円受領の届出も、添付の選挙運動報酬受領証も何の変更もなくそのままであった。服部泉出納責任者についても同じこと。合計29名に及ぶ疑惑の「労務者」「事務員」についての届出訂正もない。宇都宮陣営の1月5日付文書「法的見解」では、随分と簡単に「記載ミスを訂正すれば済む問題である」と言っておきながら、何の訂正もせずに次の選挙に突っ込もうというのだ。誰の目にも、「コンプライアンス意識に問題あり」が明白ではないか。あるいは、「記載ミスを訂正すれば済む問題」と言ってはみたが、実は「労務者報酬受領」と届出を脱法しての運動員買収の事実は訂正のしようがないということなのであろうか。
私が指摘した数々のリスクを抱えながら、それでもなお宇都宮君には、立候補を断念する気配が見えない。私は、「宣戦布告」直前に、いくつかのメーリングリストに、「宇都宮君への批判を始めるからには徹底してやる」と宣言した。宇都宮君への警告を意識してのこと。その上で、今日まで33日間にわたって「宇都宮君、おやめなさい」と言い続けてきた。宇都宮君を立候補断念に追い込むことはできなかったが、その宣言のとおり、本日まで私のできる限りでの言論による批判は、やり通した。
この「おやめなさい」シリーズを書き始めた当初の覚悟は相当なものだった。以前にも書いたとおり、悲壮感をもってルビコンを渡るの心境だった。宇都宮君とともに自分も傷つくことは重々承知の上でのこと。だが、ルビコンを渡った向こう岸にも、広々とした天地があることを知った。花は咲き、鳥も歌っている。真摯にものを考える、新たな友人との出会いもあった。驚くべきことに、このブログをきっかけに、新たな業務の依頼さえあったのだ。私は、感動している。この世には、「自分の他に主人を持つまい」とし、「民主主義的理性」を磨こうとしている多くの真っ当な人々がいるのだ。
「悲しき玩具」の啄木の歌を思いおこす。
人がみな
同じ方角に向いて行く。
それを横よりみてゐる心。
私は、隊列を組むがごとくして皆と同じ方角に向かっていくことが苦手なのだ。啄木もそうだったのだろうが、自らの歌を「悲しき玩具」と言った啄木には、皆と同じ方角に向かっていくことができない自分を哀れむ心があったのではないか。
私は違う。人みなと違う方角に歩き出したことを、今は爽快に思っている。
もちろん、私に反省すべき点があるのは明らかだ。まずは、「徹底した批判」に踏み切るのが遅きに失したこと。私自身が「人にやさしい東京をつくる会」の情報開示と運営の透明性の徹底に鈍感だったこと。もっと以前に、問題が起こる都度、躊躇することなく、徹底批判に踏み切るべきだった。そうしていれば、問題がここまでこじれる以前に、宇都宮選対や「人にやさしい東京をつくる会」の体質を、修正できた可能性があった。
学んだことは、組織原則としての民主主義のあり方である。とりわけ、批判の言論の大切さ。組織の幹部は、自分の耳に痛い批判の言論に寛容でなくてはならない。これを、鬱陶しいからと強権を発動して報復に出たり、それへの抗議を問答無用でだまし討ちに切り捨てるなどしてはならない。
昔から英語が達者だった次弟が、私のブログを読んで、次のようにメールをくれた。
「昔、英語の参考書の中で覚えたヴォルテールの言葉が思い出されます。
I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it.
この to the death と言うところが味噌です。フランス語は知らず、英語では『あくまで』ということが『死をかけてでも』と同義語になっているわけです。『死をかけてでも』言論の自由を守るべき立場の人々の行動としては、まあ何とも『懐の狭い』を通り越して『滑稽さ』まで感じられます。大方の人がそう思ったことでしょう。」
そうだ、民主主義とは、「命をかけても」他の人の言論の自由を守ることなのだ。宇都宮君と宇都宮君につながる向こう岸の人々には、それが分からなかったのだ。次弟が即座に深い理解を示してくれたことが本当に嬉しかった。
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ところで、昨日話題にしたメルマガ「宇都宮けんじニュース」は「希望のまち東京をつくる会」から配信されている。おそらく今回の選挙では「希望のまち東京をつくる会」が宇都宮候補を擁立する確認団体となるのだろう。しかし、「希望のまち東京をつくる会」とは何なのか、誰がどのように関わり、誰が決定権をもって会の運営に携わっているのか、外からは分からない。「会」のホームページには記載がない。念のため、「宇都宮けんじニュース」を第1号(1月1日)から本日付の22号まで全部目を通してみたが、ここにもなんの記載もない。私は、今にして思う。市民選挙の主宰団体がブラックボックスであってはならない。きちんと公表すべきではないか。著しく、公共性も公益性も高い事項なのだから。公表されて困ることでもあるまい。
前回選挙の確認団体となったのは、「人にやさしい東京をつくる会」だった。
その意思決定機関(運営会議)のメンバーは以下のとおりである(敬称略)。
宇都宮健児(候補者)
中山武敏(会代表)
上原公子(選対本部長)
熊谷伸一郎(事務局長)
岡本厚
海渡雄一
河添誠
澤藤統一郎
高田健
豊田栄一郎(会計責任者)
服部泉(出納責任者)
渡辺治
以上の「人にやさしい東京をつくる会」の運営会議委員は、選挙期間中は選対委員となった。選挙終了後は4回の運営会議(2012年12月23日・2013年1月6日・2月28日・12月20日)が開催されている。その最後の2013年12月20日第4回運営会議において、宇都宮君は「運営会議全員解任」「再任は宇都宮・中山に一任」という、澤藤追放の「だまし討ち」決議をやってのけた。議事録上は、私以外の全員の賛成でのこととなっているはず。
しかし、「人にやさしい東京をつくる会」の解散決議はされていない。520万7907円のカンパ残額の処理をどうするかをうやむやにしたまま解散はできない。
しかも、第2回運営委員会(2013年1月6日)の議事録では、次のとおりに確認されている。
「6.会の今後の方向性について
・会として、次回の都知事選挙の母体とはならないこと、また今夏の参議院選挙を含む選挙運動に関わらないことを確認した。
・会計の問題もあるために、会としては当面存続させる。3月31日のシンポジウムと、その後の期間(一年程度)をおいての集会を経て、活動自体は休止状態にしていく。完全に解散するか、解散するとして現在のメンバーで何らかの運動を展開していくかは、今後検討していく。」
もちろん、この確認は私も参加した席でのこと。問題の選挙カンパは、2012年都知事選についてのものだったのだから、次回都知事選挙や他の選挙への「流用」は筋が違うとの考えによるもの。「人にやさしい東京をつくる会」が、「次回の都知事選挙の母体とはならない」「今夏の参議院選挙を含む選挙運動に関わらない」ことを正式に確認している以上、今回選挙でこの前回選挙カンパの残金520万円に手を付けることは許されない。
なお、「人にやさしい東京をつくる会」の政策には次のとおりのことが明記されている。
「尖閣諸島購入のために集めた寄付金は返却します。
1. 都が集めた寄付金は寄付者に返金します。寄付者が不明の場合には、早急に検討します。
2. 返金作業にかかる経費については、当時の都の責任者に請求します。」
ダブルスタンダードは望ましくない。「人にやさしい東京をつくる会」は、前回選挙でカンパに応じた人にだけでなく、社会に納得を得るような残金の処理をしなければならない。
前述の決議がある以上、「人にやさしい東京をつくる会」は、今回都知事選挙の母体とはなりえない。新たに登場した「希望のまち東京をつくる会」が今回選挙の確認団体となるのだろうが、最低限次のことを明確にすべきだろう。
1 「希望のまち東京をつくる会」は、「人にやさしい東京をつくる会」とはどのような関係になるのか。「人にやさしい東京をつくる会」の残余財産は、どう処理される予定なのか。
2 「希望のまち東京をつくる会」の代表者は誰なのか。どのようなメンバーが、意思決定に参画しているのか。会の規約などはどうなっているのか。
3 「希望のまち東京をつくる会」と「支援・支持の関係にある政党や政治団体」との間に政策協定その他何らかの共闘についての取り決めはあるのか。あるとすれば、どのような内容なのか。ないとすれば、支援・支持の具体的な内容はどのようなものか。
私は、開かれた市民選挙を標榜して、広く市民に賛同を求め、寄付を募る以上は、「希望のまち東京をつくる会」には上記3点について回答すべき道義的責任があるものと考える。私自身が、「人にやさしい東京をつくる会」の運営に関わりながら、積極的に情報を開示し会の運営の透明性を高める努力をしなかったことを自己批判しなければならないと思っている。
もっとも、宇都宮陣営が、「市民に開かれた選挙など標榜していない」「情報公開も運営の透明性の確保も、私的な組織には無縁なこと」というのであれば、それはそれでやむを得ない。しかし是非、そのようなお考えを社会にあきらかにすべきだろう。
(2014年1月22日)
宇都宮陣営のメルマガ、「宇都宮けんじニュース」が私にも配信されている。その第14号(2014年1月18日号)に、「宇都宮けんじ・一本化で吠える!」と標題した下記の記事が掲載されている。1月16日(木)の拡大選対会議での発言とのこと。
「普段は温厚な宇都宮さんが、この日は半ば涙を浮かべながら、『(細川氏が)橋下徹みたいに変節したら、どうするのか』『知事選は人気投票ではいけない』『(細川氏に会って)どの程度の人間なのか確かめることもせず、降りろとはふてえ考えだ』『とにかく政策論争を!』『これは、勝てる選挙だ』と、あらためて決意と覚悟を語りました」
宇都宮君が吠えたのか泣いたのか、この記事ではよく分からないが、とにもかくにも、陣営にとっての動揺がよく伝わって来る。確認しておくべきは、宇都宮君自身も「一本化とは、宇都宮降ろしと同義」と心得ていること。つまりは、細川を降ろしての一本化はあり得ないという認識なのだ。だから、「降りろとはふてえ考えだ」という品性を欠いた表現になっている。「ふてえ考えだ」と言われたのは、「脱原発都知事を実現させる会」(共同代表 鎌田慧・河合弘之氏)の面々。後の報道で、瀬戸内寂聴・広瀬隆・村上達也・村田光平・柳田眞・湯川れい子・吉岡達也・宮台真司・木村結・三上元・高木久仁子・高野孟・川村湊などの諸氏が含まれていることを知った。宇都宮君のような、「3・11後の脱原発運動参加者」ではない。これまでの人生を脱原発運動に懸けて来た筋金入りの方々。これまで、脱原発運動の中核を担ってきた人々と言っても間違っていない。やはり、インパクトは大きい。
これも「宇都宮けんじニュース」第12号(1月16日)によれば、「実現させる会」は両陣営に宛て、「脱原発を明確に掲げる候補が二人いるということで脱原発票が分散し、結果として原発推進候補を利するのではないか」「お二人が虚心坦懐にお話合いになり、脱原発候補を統一してくださるよう申し入れます」と文書を発したとのこと。「会」の顔ぶれに品性を欠く人物はまったく見えない。長期にわたって真摯に運動を支えて来た人ばかり。申し入れの内容にも格別に礼を失しているところはない。これに対して、「ふてえ考えだ」との言葉の乱暴さは際立っている。宇都宮陣営の苛立ちを表しているのだろうが、こんな言葉を投げつけられて、「実現させる会」の諸氏はさぞ驚いたことだろう。
有権者は多様だ。命と健康を守るためになによりも脱原発が最重要課題と考える人は少なくない。脱原発だけが重要課題とは考えないが、現在の政治や社会の矛盾を象徴するものとしてこの一点を争点化すべきと考える人もいる。また、極右勢力としての安倍自民に政治的打撃を与える格好のテーマとして、「良心的保守層」を巻き込んだ幅広い勢力結集のために「脱原発都知事を実現」させたいという人もいるだろう。宇都宮君は、そのような人々の「脱原発候補統一」の申し入れを拒否しただけでなく、「ふてえ考えだ」と悪罵を投げつけた。その意味は小さくない。
「一本化」が不調となれば、脱原発を願う有権者は残った2候補のどちらかの選択を迫られる。「ふてえ考えだ」と悪罵を投げつけられた人々は、既に宇都宮君に背を向けて細川支持を明確にした。情勢のしからしむるところ。
前回惨敗の惨めな候補でなければ、脛に傷持つダーテイーな候補でなければ、事態は大きく違ったものとなっていただろう。革新共闘選挙の候補にふさわしい清新で魅力溢れる候補が力強く脱原発を含む運動をつくっていたら、反原発を看板とする細川の出る幕はなかっただろう。たとえ細川が出たとしても、こんなに右往左往することはなかったはず。革新側の拙速な候補者選びが今日の事態を招いたのだ。
宇都宮君、きみは、当初は「推す人があれば出馬する」と言いながら、その直後、推す人もないままに、他を制して都知事候補者として手を上げて飛び出した。その君のあさはかな行為の責任は大きい。告示まではもう少しの時間がある。やはり、立候補はやめた方がよかろう。
(2014年1月21日)