本日(7月28日)午前。大阪地裁の門前に二つの幡(はた)が躍った。一つは「勝訴」。そしてもう一つは、「行政の差別を司法が糺す!」。大阪地裁は、司法本来の使命をよくぞ果たした。裁判所にも、この裁判を支えた原告側の関係者にも敬意を表したい。
この裁判は、2013年1月24日の提訴。原告は、東大阪市で大阪朝鮮高級学校などを運営する学校法人「大阪朝鮮学園」。被告は、国。朝鮮学校を無償化の対象から外した国の「不指定処分」の取消を求める取消請求と、指定の義務付け請求の訴訟。今月19日の、同種訴訟での広島地裁判決が原告敗訴だっただけに、本日の判決はとりわけの感動をもって受けとめられた。原告弁護団の丹羽雅雄団長は、「裁判所は良心と法の支配のもとで適正な事実認定、判断を下した。我々の全面勝訴だ」とコメントしている。
高校の授業料の無償化(就学支援金支給)制度は2010年、民主党政権時代に導入された。この制度から、朝鮮学校だけを対象から外したのが、第2次安倍政権。ブラジル学校、中華学校、韓国学校、インターナショナルスクールなど、39校の外国人学校が文部科学大臣の指定を受けているが、朝鮮学校10校だけが除外されているという。「拉致問題の進展がない」「朝鮮総連との密接な関係から国民の理解を得られない」ことを理由とするもの。高校生に何の責任もないこと。
この制度で、外国人学校が無償化(就学支援金支給)の対象となるには文部科学大臣の指定を受ける必要があり、すべての朝鮮学校がその申請をしたが、2013年2月に申請拒否の処分となった。本日の判決は、原告の請求を認容して、国の「就学支援金の不支給処分を取り消す」とともに、被告国に対して「就学支援金の支給処分をせよ」と命じた。これは、安倍内閣の民族差別政策に対する断罪でもある。
同種訴訟は全国5地裁に係属している。請求内容は、「不支給処分取消」「支給処分義務付」、そして「国家賠償」の各請求である。提訴順に以下のとおり。
2013年1月24日
大阪地裁 原告 大阪朝鮮学園 処分取消・支給義務付
2013年1月24日
名古屋地裁 原告 生徒・卒業生10名 国家賠償
2013年8月1日
広島地裁 原告 広島朝鮮学園 処分取消・支給義務付
? 原告 生徒・卒業生110名 国家賠償
2013年12月19日
福岡地裁 原告 生徒・卒業生68名 国家賠償
2014年2月17日
東京地裁 原告 生徒・卒業生62名 国家賠償
このうち、広島と大阪が判決に至った。残る3件が審理続行中だが、東京訴訟が結審し、9月13日判決の予定である。
この種の訴訟は、行政裁量との闘いである。裁判所は民主的な手続で運営されている(はずの)行政の裁量を大幅に認める。法の趣旨や理念から大きく外れる場合に限って、処分が違法となる。裁判所は民主的な手続によって構成されない。その裁判所の行政への介入は最小限度であるべきという司法消極主義が、わが国の伝統となっているのだ。広島地裁判決は、このハードルを越えられないものだった。
しかし、本日の判決は、軽々とこのハードルを越えた。原告側の主張は、「北朝鮮との外交問題を理由に不利益を与えるのは差別意識を助長し違法」という平等権(憲法14条)を骨子とするもの。本日の大阪地裁(西田隆裕裁判長)判決は、「無償化に関する法律を朝鮮学校に適用することは、『拉致問題の解決の妨げになり、国民の理解が得られない』という外交的、政治的意見に基づいて対象から排除したと認められ」「教育の機会均等とは無関係の外交的、政治的意見に基づく処分で違法、無効」と指摘して、国の処分を取り消し、無償化の対象に指定するよう命じた、と報じられている。
いま、安倍内閣が揺らいでいる。安倍内閣の憲法無視の姿勢がようやくににして批判の対象になってきているということであり、近隣諸国民や在日に対する敵意涵養政策が揺らいでいるということでもある。民族差別や憎悪を助長する政策頓挫の意味は大きい。次は、9月13日の東京地裁判決に注目するとともに、支援の声を送りつつ期待したい。
(2017年7月28日)
私、ムンフバト・ダバジャルガル。通称はダヴァ。32歳。職業は日本のプロ相撲選手。こちらでは、大相撲の力士と言うんだ。力士としての登録名は、「白鵬」。「鵬」は中国の古典に出て来るとてつもなく大きな伝説の鳥だ。一昔前に「大鵬」という強い力士がいて、それにあやかったネーミング。15歳でモンゴルのウランバートルから東京に来て、心細い思いをしながらも、我ながらよく頑張った。グランドチャンピオン(横綱)に上り詰めただけでなく、とうとう昨日(7月21日)通算1048勝という大相撲史上の新記録を樹立した。名力士「大鵬」さんもできなかったことだ。これまでの苦労を思えば、感慨一入。涙も出る。
記録達成後のインタビューの様子を、メディアは、「目を閉じて数秒間の沈黙の後に、『言葉にならないね』と喜びをかみ締めた。胸に去来するのは、努力を重ねて地位を築いた土俵人生。そして、将来の夢だ。」などと報じている。「喜びをかみ締めた」は嘘ではない。しかし、思いはもう少し複雑で微妙なんだ。
私は社会人としては若いが、現役の力士としては盛りを過ぎている。引退は先のことではない。その後は、大相撲協会の役員となり、自分の経験を生かして後輩を育成したい。そう、次の舞台の人生を描いている。日本人力士にとっては、なんの問題もないことだが、私の場合には国籍という壁が立ちはだかっている。日本相撲協会の役員として残るには、日本に帰化して日本国籍を取らねばならないとされている。しかし、日本国籍を取るということは、モンゴルの国籍を捨てるということだ。これが悩みなんだ。
私の父、ムンフバト・ジジト(76才)はモンゴル相撲の大横綱で、モンゴル人初の五輪メダリスト(1968年メキシコ五輪レスリング銀メダル)という母国の国民的英雄なんだ。その子の私にも、モンゴル民族の期待は大きい。これまで熱狂的な声援を受けてきた。私も母国の声援に応えようと、努力を重ねてきた。モンゴル国籍の離脱は、母国を裏切るものととらえられかねない。だから、かねてから父は私の帰化には反対してきた。作今、その父の体調がすぐれない。日本国籍を取得して引退に備える、という気持にはなかなかなれない。
国籍問題さえクリヤーできれば実績に文句のつけようはない。「白鵬」の名のまま相撲協会に残って、後進を指導する「年寄」になれる。そう、みんなに言っていただいている。
しかし、公益財団法人日本相撲協会の規則には、「年寄名跡の襲名は日本国籍を有する者に限る」と明示されている。現在の八角理事長(元横綱・北勝海)は「白鵬だから例外ということはない」と言っているそうだ。
私は、自分に流れるモンゴル民族の血にも、栄誉ある父の子であることにも、誇りをもっている。モンゴルの人々のこれまでの恩義も大切にしたい。モンゴルの国籍を捨てるようなことはしたくない。
また、私を育ててくれた日本という国も、大相撲も大好きだ。妻も日本人で、引退後の人生は大相撲の「年寄」として、「白鵬部屋」から立派な力士を輩出する夢を描いている。
できれば帰化などせずに、モンゴルの国籍をもったまま、「白鵬部屋」の年寄りになりたい。そう願って、この問題を考え続けてきた。
問題はふたつあると思う。一つは、大相撲協会の規則。どうして、「年寄」(親方)の資格を国籍で縛ろうというのだろうか。聞くところでは、「日本の伝統文化である以上、(規定を)変えることはありません」ということのようだが、正直のところよく分からない。伝統文化を支えているのはむしろ力士ではないだろうか。力士については日本国籍であることを要求されていない。力士として日本の伝統文化を支えた人が、年寄りになろうとすると、どうして日本の国籍が必要となるのだろうか。私の、これまでの日本の伝統や文化との関わり方を見ないで、帰化するかどうかだけが「日本の伝統文化」を大切にすることの証しなのだろうか。
大相撲は、いち早く尺貫法を捨ててメートル法に切り替えたり、伝統の四本柱をなくして釣り天井にしたり。外国人力士を受け入れたり。伝統文化を大切にしながらも、合理性は取り入れてきたと聞いている。私が帰化しさえすれば、「日本の伝統文化」が保たれたことになるというのだろうか。
私は心の底から思うのだが、私にモンゴル籍のまま力士として活躍の場を与えてくれた相撲協会のあり方こそが「日本の伝統文化」というものではないだろうか。年寄籍問題についても、もっと大らかで解放的に考えていただくことこそが「日本の伝統文化」の立場ではないだろうか。
もう一つは、法律の問題だ。私は、モンゴルの国民でありたい。しかし、場合によっては日本の国籍を取得しなければならない。そのとき、どうしてモンゴルの国籍を捨てなければならないのだろうか。どうして、両方の国籍を取得してはならないのだろうか。必ず、どちらか一つだけを選ばなければならないというのは、私の場合とても難しくつらいことだ。日本とモンゴル、どちらか一方を捨てろという選択を強いられることは、私の心を裂くに等しい。本当に何とかならないものだろうか。
(2017年7月22日)
昨日(7月18日)、民進党の蓮舫代表が自身の戸籍謄本の一部を公開して、二重国籍を否定した。右翼ジャーナリズムと党内右派の悪意ある攻撃に晒されて釈明を余儀なくされてのことだ。まさかそこまですることもあるまいと思い込んでいるうちのできごと。蓮舫支持の声が弱かったことが悔やまれる。
蓮舫代表の戸籍謄本の一部公開に先だって、昨日の午前中に、民族差別問題に関わる弁護士と著名大学人の10名が、連名で「蓮舫代表のいわゆる“国籍問題”に関する民進党への申し入れ」と表題する文書を民進党に提出して、戸籍公開に反対する申し入れを行った。この申し入れに賛意と敬意を表するとともに、その全文を紹介しておきたい。
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?2017年7月18日
?「蓮舫代表のいわゆる“国籍問題”に関する民進党への申し入れ」
民進党・蓮舫代表は、このたびの都議選を総括する党内論議の中で「代表の二重国籍問題が最大の障害」との一部の議員の指摘を受けて、台湾籍を離脱したことを証明する資料を18日に公表する方針を示しています。
蓮舫代表は、参議院選挙に立候補した時点で戸籍謄本により日本国籍を有していることが確認されており、何の違法行為も行っておりません。一部の党内議論とごく一部の報道やネット世論が問題視している「二重国籍」なる問題ですが、そもそも、本当に「二重国籍」なのか、という点をまず問われなければなりません。
日本の国籍法はかつて父系血統主義を取っていたため、台湾籍の父を持つ蓮舫代表は出生時において選択の余地もなく台湾籍を持つことになりました。ところが、その後、1972年の日中国交正常化により、日本政府は中華人民共和国政府のみを唯一の政府であると認め、今日まで台湾(中華民国)政府を承認していません。そのため、蓮舫代表も中国籍とされたのです。その後、1985年に国籍法が改正され、蓮舫代表は経過措置による届け出により日本国籍を取得しました。日本政府の、中華人民共和国を正式な唯一の中国政府とする立場からすれば、日本国籍を取得した時点で中国の国籍法により自動的に中国国籍が喪失されることになります。すると、蓮舫代表についてそもそも二重国籍という問題は生じないことになります。
他方で、台湾の国籍法は外国籍の取得に伴う台湾国籍の自動的喪失を認めないため、国籍の得喪につき台湾の国籍法を適用すれば、二重国籍の問題が生じえます。ただ、台湾当局において台湾国籍の喪失手続きを行ったとしても、その喪失の効果を認めるか否かは日本政府の行政運用の問題であって、蓮舫代表個人の問題ではありません。
日本政府は、蓮舫代表の台湾籍の国籍喪失届を不受理にする一方で、台湾籍の放棄を宣言することによって行う国籍選択を行政指導したといいます(注1)。それ自体、矛盾した態度であると言わざるを得ません。また、仮に「二重国籍」であることを前提としても、国籍選択については、あくまでも法的拘束力のない「努力義務」にとどめており、これまで法務省自身が催告を行ったことがないことを認めています。そもそも、国籍選択制度自体、今日の国際色豊かな多様な社会状況からすれば、その有用性は大きな疑問です。
このように、国籍は複数の国の法制度が絡み合えば個人の意思に関わらず複雑な問題が生じ、しかも、未承認国家の国籍については、日本政府がどのような立場、対応をとるのか、ということが問題となるのです。
さらに、重国籍者の被選挙権についてもかつて国会で議論され(注2)、その被選挙権を制限する理由はないという結論が出ています。
つまり、蓮舫代表は自身の国籍に関して戸籍を含む個人情報を公開するなんらの義務も必要もありません。それにもかかわらず蓮舫代表に個人情報の開示を求めることは、出自による差別を禁じている憲法第14条(注3)及び人種差別撤廃条約の趣旨に反する行為と考えられます。
これまで日本には、戸籍に記された個人情報が差別や排除の目的で利用されてきた歴史がありました。被差別部落に出自を持つ人たちを雇用や結婚で差別するために作られた1975年の「部落地名総鑑事件」の教訓をもとに、企業による採用選考の場で応募者に戸籍謄本の提出を求めることは禁じられるようになりましたが、同様の差別がさまざまな形で残っていることは、各種調査でも明らかです。
また、日本には多くの日本生まれの外国籍者や、外国から日本に移動してきて暮らす外国籍者がいます。1万人を超える無戸籍者もおり、非嫡出子など出自にかかわるさまざまな事情を抱えた人もおります。アイヌは、明治32年に制定された北海道旧土人保護法により、日本の戸籍に編入されながら「旧土人」と分類され続けてきました。日本社会の近代化の歴史は、人権に目覚め、その尊重を訴える人たちと、差別・排除に固執する人たちとのせめぎ合いの歴史だったと言っても過言ではないでしょう。その中で、今回、蓮舫代表が戸籍開示を迫られ、その記載内容によって何らかの判断を下されるというのは、まさに上記の憲法14条違反であり、日本の人権をめぐる歴史の時計の針を100年、巻き戻そうとする愚挙でしかありません。
とりわけ近年は、路上あるいはネットでのヘイトスピーチ、沖縄での機動隊員での「土人」発言や保守を名乗る政治家による排外主義的発言の横行を見てもわかるように、特定の人種、民族、国籍などの属性に基づくマイノリティ差別が酷くなる傾向にあります。民進党はこれまで、共生社会と多様性の実現を政策理念として掲げてきました。政策集の中には、目指されるべきは「一人ひとりの基本的人権をさらに尊重する社会、多様な個性や価値観が認められる人権尊重社会」とはっきり記されています。にもかかわらず、上記の一部の風潮に同調するように党内からも蓮舫代表に「日本人であること」の証明を求める声が出るというのは、憂うべき事態と言わざるをえません。
蓮舫代表が、自身がおっしゃるように「多様性の象徴」であることは、肯定的に評価されこそすれ、いささかも批判されるものではないと考えます。
民進党が共生社会を求める市民に支持される公党たるべく、みずからの政策理念をあらためて確認されることを願うとともに、蓮舫代表には、ご自身のルーツや生きてきた道に堂々と胸を張り、不要な個人情報の開示要求は毅然として拒み、一人ひとりが大切にされる社会の実現のために力を尽くしてくださることを願ってやみません。」
佐藤学(学習院大学)、西谷修(立教大学)、山口二郎(法政大学)、中野晃一(上智大学)、香山リカ(立教大学)、伊藤和子(NGOヒューマンライツ・ナウ)、神原元(神奈川弁護士会)、原田學植(第一東京弁護士会)、小田川綾音(第一東京弁護士会、全国難民弁護団連絡会議)、金竜介(東京弁護士会、在日コリアン弁護士協会)
注1 国籍法第14条2項
日本の国籍の選択は、外国の国籍を離脱することによるほかは、戸籍法の定めるところにより、日本の国籍を選択し、かつ、外国の国籍を放棄する旨の宣言(以下「選択の宣言」という。)をすることによつてする。
注2 昭和59年5月2日、8月2日の参議院法務委員会における飯田忠夫参議院議員(公明党)と関守・内閣法制局第二部長、枇杷田泰助・法務省民事局長らとの議論
注3 日本国憲法14条
すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
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この長い文章の眼目は、「日本社会の近代化の歴史は、人権に目覚め、その尊重を訴える人たちと、差別・排除に固執する人たちとのせめぎ合いの歴史だったと言っても過言ではないでしょう。」「今回、蓮舫代表が戸籍開示を迫られ、その記載内容によって何らかの判断を下されるというのは、まさに憲法14条違反であり、日本の人権をめぐる歴史の時計の針を100年、巻き戻そうとする愚挙でしかありません。」というところにある。
そして、「蓮舫代表が、自身がおっしゃるように『多様性の象徴』であることは、肯定的に評価されこそすれ、いささかも批判されるものではないと考えます。」が、受け容れられない社会へのもどかしさが伝わってくる。
本来は被選挙権の有無だけが問題で、氏が被選挙権を有することには一点の曇りもない。二重国籍であろうとなかろうと、なんの問題があろうか。むしろ、氏は「蓮舫」という、自己の出自を表す姓名を堂々と名乗ってこれまで選挙民の審判を受けてきたではないか。
この申入書の前半はやや煩瑣にまで、二重国籍を否定する論拠に割かれている。そうせざるを得ない現実があるのだ。
つまらんことだ。国籍や人種や民族や宗教の別にこだわることはもうやめたい。愛国心や国旗や国歌をありがたがるのも、実は差別の裏返しだ。一人ひとりを、個性を持った人間として尊重すべきだけが大切なことではないか。
ヒトの年齢を聞くことが失礼な時代にはなっている。国籍を問題することも恥ずべきことなのだ。「私の国籍がどうだって? 失礼なことを聞くもんじゃないよ」「二重国籍? それがどうした?」と言える、差別否定の常識が通用する社会でなくてはならないと思う。
(2017年7月19日)
両国駅にほど近い墨田区横網に、横網町公園がある。関東大震災(1922年)の頃は陸軍被服廠跡地として空き地であったが、震災に伴う火災でここに避難した3万8000人が焼け死んだ傷ましい大災害の現場として記憶されている。
今は、公益財団法人東京都慰霊協会が管理する東京都慰霊堂や復興記念館がある。震災・戦災の犠牲者追悼の場となっているのだ。
その公園の一角に、「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」がある。
横網町公園を管理する公益財団法人東京都慰霊協会は、この碑を「関東大震災時の混乱のなかで、あやまった策動と流言ひ語により尊い命を奪われた多くの朝鮮人を追悼し、二度とこのような不幸な歴史を繰り返さないことを願い、震災50周年を記念して昭和48年(1973)に「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会」により立てられた碑です。」と紹介している。
追悼碑には
次の碑文が刻されている。
「この歴史
永遠に忘れず
在日朝鮮人と固く
手を握り
日朝親善
アジア平和を
打ちたてん
藤森成吉」
また、追悼碑建立の経過が次のとおり、書かれている。
「1923年9月に発生した関東大震災の混乱のなかであやまった策動と流言蜚語のため6千余名にのぽる朝鮮人が尊い生命を奪われました。私たちは、震災50周年をむかえ、朝鮮人犠牲者を心から追悼します。この事件の真実を知ることは不幸な歴史をくりかえさず民族差別を無くし人権を尊重し、善隣友好と平和の大道を拓く礎となると信じます。思想・信条の相違を越えてこの碑の建設に寄せられた日本人の誠意と献身が、日本と朝鮮両民族の永遠の親善の力となることを期待します。
1973年9月 関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑建立実行委員会」
毎年9月1日に、この碑の前で関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典が行われる。日朝協会都連が事務局を務めてのもの。これに都知事からの追悼の辞の奉呈が慣例となっている。私も、昨年は参列した。今年も参加したいと思っている。
日本の植民地支配は歴史の汚点として率直に認め謝罪すべきが当然である。関東大震災時の軍民による朝鮮人に対する虐殺行為は、とりわけ恥ずべき歴史の1ページであるが、この事実を覆い隠そうとすることはさらに恥ずべき行為となる。まずは事実を知ることが繰り返さない第一歩。吉村昭『関東大震災』(文春文庫)と姜徳相著『関東大震災』(中公新書)の両書は日本人必読の書である。
右翼レイシストは、このときの自警団という名の日本人民衆が、無辜の朝鮮人(と中国人)に対して行った戦慄すべき残虐行為を認めたくない。その先頭に立っているのが、自民党の都議古賀俊昭。
本年(2017年)3月2日の東京都議会本会議において、古賀は、工藤美代子著「関東大震災 朝鮮人虐殺の真実」を論拠に、朝鮮人犠牲者の数がこんなに多いはずはないとして、次のように知事に質問した。
「小池知事は、昨年九月一日、同公園で行われた日朝協会が事務局を務める関東大震災犠牲者追悼式典に追悼の辞を寄せています。当組織の案内状には、六千余名、虐殺の文言があります。なお、この団体は、昨年は申請したようでありますけれども、過去、公園占用許可申請書を一度も提出することもなく公園を使用していたほか、都立公園条例で行為の制限条項により、改めて知事の許可を必要とする広告宣伝、物品販売を堂々と行っていました。
東京都を代表する知事が歴史をゆがめる行為に加担することになりかねず、今後は追悼の辞の発信を再考すべきと考えますが、所見を伺います。」「歴史の事実と異なる数字を記述した碑を、東京都の公共施設に設置・展示すべきではなく、撤去を含む改善策を講ずるべきと考えますが、知事の所見を伺います。」
これに対する小池の知事答弁は、次のとおり、かなり危ういものである。
「都立横網町公園におけます関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑についてのご質問でございます。この追悼碑は、ご指摘のように、昭和四十八年、民間の団体が資金を募集し、作成したものを受け入れる形で、犠牲者の追悼を目的に設置したものと聞いております。
大震災の際に、大きな混乱の中で犠牲者が出たことは、大変不幸な出来事でございます。そして、追悼碑にある犠牲者数などについては、さまざまなご意見があることも承知はいたしております。
都政におけますこれまでの経緯なども踏まえて、適切に対応したいと考えます。
そして、この追悼文についてでありますけれども、これまで毎年、慣例的に送付してきたものであり、昨年も事務方において、例に従って送付したとの報告を受けております。
今後につきましては、私自身がよく目を通した上で、適切に判断をいたします。」
「私自身がよく目を通して適切に判断」に注目せざるを得ない。これまでの慣例により毎年送付し続けてきた追悼文である。この慣例は、鈴木俊一も、青島幸男も石原慎太郎も、猪瀬直樹も舛添要一も従ってきたもの。
小池は、本来こう言うべきだった。
「犠牲者数についての議論は本質的なものではありません。傷ましい朝鮮人の犠牲があったことは確かなのですから、これを歴史の闇に葬ってはならないとするのが小池都政の基本方針です」。あるいは「これまで永年にわたって都民を代表する立場で継続してきた朝鮮人犠牲者への追悼文です。今さらこれをやめることは、却って大きな逆のメッセージを発信することになります。軽々にやめるわけにはいかないことをご了承ください。」
こう言わない小池答弁には、これまでの慣例見直しのニュアンスを含むものというほかはない。右翼勢力にも秋波を送って追悼文不送付もあり得るとのメッセージ。
いまや、小池百合子の一挙手一投足が問われている。その本質を問い質すとともに、大いに警戒しなければならない。
(2017年7月5日)
あの怒りのブログから1年。また、「保育園落ちた」の季節となった。「保活」(保育園就園活動)という言葉が定着しているそうだが、さて、深刻な保活事情は改善されているのだろうか。
毎日新聞はこう報じている。
「『日本死ね!!!』から1年 1年後も『待機ゼロ』無理 目標達成、首相『厳しい』」
「昨年2月に「保育園落ちた。日本死ね!!!」と窮状を訴える匿名ブログが共感を集めて社会問題化して1年。(2月)17日の衆院予算委員会で待機児童問題が取り上げられた。安倍晋三首相は「保育の受け皿は増やした」としつつ、政府が掲げる2017年度末の待機児童ゼロの目標達成は困難だとの見通しを示した。今年4月の入所を目指して落選した親たちには失望が広がっている。」
「保育園落ちた日本死ね!!!」という、このブログの衝撃は大きかった。意図したかどうかはともかく、市井の人の言語的表現がこれほどの社会的インパクトを獲得し、政権をうろたえさせた例は稀だろう。
当「憲法日記」では、昨年(2016年)3月15日に、「『保育園落ちた日本死ね』怒りのブログに、曾野綾子の『大きなお世話』」を書いた。今読み直してみて、書き換えなければならないところはない。目を通していただけたら、ありがたい。
https://article9.jp/wordpress/?p=6578
当時、「日本死ね!!!」という表現に違和感をもつという意見があった。いまだに散見される。「『死ね』は、人格否定の最たる表現」「いかなる場合にも禁句」という批判である。
だが、「日本死ね!!」の表現がなければ、このブログがこれほどのインパクトを持つことはなかった。そして、私自身は、「日本死ね!!」にさしたる違和感をもたなかった。このブログが大きな共感を呼んだのは、私のように違和感をもたなかった読み手が多かったからに違いない。むしろ、「日本死ね!!」という表現の過激に藉口した「日本」「国家」への批判抑制の論調の方に違和感をもった。自分の感性が鈍麻しているのかとも思ったが、そうではなさそうだ。
何よりも、このブログは弱者の悲鳴である。通常の言葉遣いでは到底気持が通じないという切羽詰まった状況が、このような強い言葉を選ばせている。強者が弱者に対して放つ、人格否定の文脈ではない。
しかも、日本人が日本人を対象に、自分も属している日本という国家の政策批判を展開しているというシチュエーションが重要なのだ。他者、他国、他グループに対する悪罵とは決定的に違っている。
他国に対する批判も、自国に対する批判も、表現の自由の範疇として保障の対象になることは当然である。当然ではあるが、自国に対する批判の方が、遠慮は要らない。他国に対する批判の言論には、慎重な配慮が必要との立論にはそれなりの理があろうかと思う。刑法は、第4章「国交に関する罪」の中に、第92条「外国国旗損壊罪」を設けている。「外国に対して侮辱を加える目的で、国旗を損壊する」ことが犯罪とされ、自国の国旗についての損壊を犯罪とはしていない(器物損壊が成立しうることは別として)。
また、「死ね」と言葉を投げつけられたのは、「日本」である。「日本」という国家は、組織であり機構であり制度であって、死ぬことはない。しかも、公権力の主体として最も辛らつな国民からの批判に晒されるべき存在といわねばならない。そのうえ、国家は人権享有主体ではない。「日本死ね」は、飽くまで、制度の不合理に対する怒りの比喩的な表現に過ぎないことが、一見明瞭なのだ。
仮に、このブログの表現が、「日本人死ね」であったとしたら、印象は相当に変わっていたはずである。私も違和感をもったかもしれない。さらに、特定の人名を出しての「○○死ね!!」であったら、このブログがこれほどの共感をもって受けとめられることはなかったに違いない。
昨年5月、在日への差別的表現を禁止した、ヘイトスピーチ対策法(フルネームは、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」)が成立し、6月施行となった。同法第2条は、ヘイトスピーチを「差別的意識を助長・誘発する目的で、生命、身体、自由、名誉、財産に危害を加えると告げることや、著しく侮蔑するなどして、地域社会からの排除をあおる差別的言動」と定義している。同法は、差別解消のための努力を国の責務とし、自治体にも同様の努力義務を課している。
法の定義だけでは分かりにくいとして、法務省人権擁護局は、各自治体にヘイトスピーチの典型を例示した文書を提供している。そのヘイトスピーチの典型例が、許されない他への打撃的言論の限界を考察するための参考になりそうである。
報道によると、その「典型例」はヘイトスピーチ対策法の定義規定(第2条)の条文から、差別的言動を下記の3種に分けている。
?「生命、身体、自由、名誉、財産に危害を加えると告げるもの」
?「著しく侮蔑するもの」
?「地域社会からの排除をあおるもの」
?の脅迫的言動としては、「〇〇人は殺せ」「〇〇人を海に投げ入れろ」といった殺害を含め、危害を加えることの扇動に当たるもの。
?の著しく侮蔑する言動としては、特定の人種、民族、出身国・地域の人について『ゴキブリ』などの虫、動物、物に例えることや隠語や略語を用いたり一部伏せ字にして罵るパターンも含まれる。
?の地域社会からの排除を扇動する言動としては、「〇〇人を叩き出せ」「〇〇人は国へ帰れ」「〇〇人を強制送還しろ」など、日本もしくは地域からの排除の扇動。
というものである。
ひるがえって、日本人による「日本死ね」発言。対外的には、国交に関する「差別的意識を助長・誘発する目的」もなければ、外国への侮辱にもあたらない。対内的にも、だれに対する関係でも危害の煽動になっていない。侮蔑の意味もなく、誰かを排除する意図もない。「被害」は、日本ないし国家という抽象的存在に限定されて、人権享有主体のだれをも傷つけてはいない。
「日本死ね」の表現はことさらに非難をするにはあたらない。これを非難することが結局は政権や国策の擁護になっていることに留意されなければならない。
(2017年2月19日)
本日(1月20日)の赤旗社会面トップに、「DHC」の大見出しが踊った。
見出しを順序立てれば、「デマ・差別放送流した東京MX」「DHC(化粧品製造販売)が最大スポンサー」「『ニュース女子』制作も子会社」「極右論客登場番組作り続け」となる。その見出しの文字のうち、右肩トップの位置に大きく「DHC」なのだ。赤旗よ、よくぞ書いた。
「ニュース女子」批判も「東京MX」批判も重要ではある。しかし、最も批判を集中すべき元凶は、DHCなのだ。枝葉ではなく、根と幹を叩かねばならず、そのためにはDHCの名前を出さなければならない。これを遠慮しているようでは、真っ当なジャーナリズムとはいえない。
1月18日朝日夕刊に続いて、本日(1月20日)の朝刊で、毎日も東京新聞も、「東京MX」と「ニュース女子」批判の記事を掲載している。毎日の見出しは、「MX『偏見報道』に波紋」『(反対運動参加者は、年金をもらっているから)逮捕されても影響ない集団』『(地元の住民の)大多数は基地に反対でない』というもの。
リードと本文の冒頭を引用する。
「沖縄県の米軍北部訓練場のヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)建設に対する抗議活動を取り上げた東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)の番組を巡り、波紋が広がっている。番組は『こんなやつらが反対運動をしている』などと報じ、市民らは19日、『沖縄に対する誤解や偏見をあおる』『事実関係が誤っている』とMXに抗議した。
MXは1995年に開局した東京ローカルの地上波。問題の番組は月曜午後10時のバラエティー情報『ニュース女子』で、大手化粧品会社の子会社が制作。」
毎日も朝日と同様に、「大手化粧品会社」と言ってDHCの名を出さない。「大手化粧品会社の子会社」と言って、DHCシアターの名を出さない。何を遠慮しているのか。
本日の東京新聞「こちら特報部」は、情報量としては最大だ。その筋の通った批判の姿勢もよい。見出しは、「『ニュース女子』の誹謗中傷に高まる批判」「高江市民特派員『やゆされ悔しい』」というもの。
リードだけ引用する。
「沖縄県東村高江周辺の米軍ヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設に反対する人たちを誹謗中傷した東京メトロポリタンテレビジョン(東京MX)の番組『ニュース女子』への批判が一段と高まっている。中でも怒り心頭に発しているのが、名指しされた市民団体『のりこえねっと』だ。カンパで捻出した資金から交通費相当の金銭を支給し、現地の様子を発信する『市民特派員』を派遣したが、番組は『基地反対派に日当』などとデマを垂れ流した。特派員が語る『放送されない真実』とは?。」
『ニュース女子』では、長谷川幸洋・東京新聞論説副主幹が司会を務めている。自社の幹部が関係する番組を真っ向批判する紙面の姿勢は立派なものだ。しかし、この批判の姿勢もDHCの責任追及までには及んでいない。
各紙が、大広告主DHCの名指しの批判を躊躇する中で、さすがに赤旗は、DHCの宣伝媒体となっていない強みを遺憾なく発揮している。本日の記事は、もっぱらDHC批判に貫かれたもの。やや長いが、主要部分を引用する。
「沖縄県東村高江の米軍ヘリパッド建設に反対している人は『金で雇われている』などとデマを放送して批判が殺到している東京の地上波テレビ局・MXテレビの最大のスポンサーが、デマを流した番組『ニュース女子』を提供した化粧品・健康食品製造販売のDHC(ディーエイチシー、吉田嘉明会長)で、同局の売り上げの1?2割超にのぼっていることが19日、本紙の調べで明らかになりました。
MXテレビの有価証券報告書によると2015年(16年3月決算)での総売り上げは164億7千万円。主な相手先ではDHCが23億5900万円(14・3%)で1位、2位のテレビ通販会社・インターワールド11億1100万円(6・7%)を大きく引き離す大口スポンサーになっています。
10年には総売り上げ75億300万円で、大口先は1位が東京都8億5700万円(11・4%)、2位DHC8億2400万円(11%)、3位インターワールド8億600万円(10・8%)と横並びの状態でした。
ところが11年にDHCが18億300万円(19・2%)へと急激に増やし、それ以降不動の1位に。もはやDHC抜きのMXテレビはありえないほど、いびつな収益構造になっています。
DHCの吉田会長は14年3月、当時みんなの党代表だった渡辺喜美氏(維新の会参院議員)に8億円を提供したと暴露して大問題になりました。
吉田氏は同年、CSチャンネル『シアター・テレビジョン』を子会社とし、翌15年には『DHCシアター』と改称。『日本最高クラスの知性を結集した日本国民のテレビ局』(通販顧客向けパンフレット)とうたい、極右論客を登場させる番組を作り続けています。
このうちの一つである「ニュース女子」が、MXテレビの時間枠をDHCが買いとる形で地上波でも放映されています。
MXテレビは自主的に定めている『放送番組の基準』で『すべての人の人権を守り、人格を尊重する。個人、団体の名誉、信用を傷つけない。差別・偏見の解消に努め、あらゆる立場の弱者、少数者の意見に配慮する』としています。
2日放送の「ニュース女子」のデマ、差別表現がこれに抵触することは明らかであり、MXテレビは訂正、取り消しの放送、再発防止に取り組むべきだと批判があがっています。」
「ニュース女子」の番組の中では、「(反対派は)中国人や朝鮮人をどんどん連れてきている」と煽り、百田尚樹が「とにかく反日活動なんですけど」などと説明を行っている(リテラ)。この番組の姿勢は、吉田嘉明自身の次の言葉と符合する。「時々とんでもない悪(わる)がいたりします…。純粋な日本人でない人も結構います」「本物、偽物、似非ものを語るとき在日の問題は避けて通れません」「いま日本に驚くほどの在日が住んでいます」「問題なのは日本人として帰化しているのに日本の悪口ばっかり言っていたり、徒党を組んで在日集団を作ろうとしている輩…」。
吉田嘉明・渡辺喜美事件を思い出す。スポンサー吉田嘉明が、政治を動かそうと渡辺喜美に薄汚い8億円の裏金を提供したのだ。メディアは、挙って政治家渡辺喜美を批判したが、吉田嘉明批判を控えた。それはおかしいと、私は当ブログで、吉田嘉明を批判した。それが下記の3本。
2014年3月31日 「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判
2014年4月2日 「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
2014年4月8日 政治資金の動きはガラス張りでなければならない?
この3本が、私に対するスラップ訴訟提起の根拠とされたのだ。
今またメディアはDHC批判に何を遠慮しているのか。元凶を指し示せ。根幹を批判せよ。さもなくば、DHCは懲りずに極右番組のスポンサーととして、デマとヘイトを垂れ流し続けるだろう。消費者のDHC商品不買による抗議の運動も不十分なものになる。
(2017年1月20日)
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「DHCスラップ」勝利報告集会にご参加を
弁護士 澤藤統一郎
私自身が訴えられ、6000万円を請求された「DHCスラップ訴訟」。
その勝訴確定報告集会のお知らせです。
この問題と勝訴の意義を確認するとともに、攻守ところを変えた反撃訴訟の出発点ともいたします。ぜひ、集会にご参加ください。
日程と場所は以下のとおりです。
☆時 2017年1月28日(土)午後(1時30分?4時)
☆所 日比谷公園内の「千代田区立日比谷図書文化館」4階
?「スタジオプラス小ホール」
☆進行
弁護団長挨拶
田島泰彦先生記念講演(「言論の自由」の今日的意義)
常任弁護団員からの解説
テーマは、
「名誉毀損訴訟の構造」
「サプリメントの消費者問題」
「反撃訴訟の内容」
☆会場発言(スラップ被害経験者+支援者)
☆澤藤挨拶
・資料集を配布いたします。反撃訴訟の訴状案も用意いたします。
・資料代500円をお願いいたします。
言論の自由の大切さと思われる皆さまに、集会へのご参加と、ご発言をお願いいたします。
「DHCスラップ訴訟」とは
私は、ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」を毎日連載しています。既に、連続1400日になろうとしています。
そのブログに、DHC・吉田嘉明を批判する記事を3本載せました。「カネで政治を操ろうとした」ことに対する政治的批判の記事です。
DHC・吉田はこれを「名誉毀損」として、私を被告とする2000万円の損害賠償請求訴訟を提起しました。2014年4月のことです。
私は、この提訴をスラップ訴訟として違法だとブログに掲載しました。「DHCスラップ訴訟を許さない」とするテーマでの掲載は既に、90回を超します。そうしたら、私に対する損害賠償請求額が6000万円に跳ね上がりました。
この訴訟は、いったい何だったのでしょうか。その提訴と応訴が応訴が持つ意味は、次のように整理できると思います。
1 言論の自由に対する攻撃とその反撃であった。
2 とりわけ政治的言論(攻撃されたものは「政治とカネ」に関わる政治的言論)の自由をめぐる攻防であった。
3 またすぐれて消費者問題であった。(攻撃されたものは「消費者利益を目的とする行政規制」)
4 さらに、民事訴訟の訴権濫用の問題であった。
私は、言論萎縮を狙ったスラップ訴訟の悪辣さ、その害悪を身をもって体験しました。「これは自分一人の問題ではない」「自分が萎縮すれば、多くの人の言論の自由が損なわれることになる」「不当な攻撃とは闘わなければならない」「闘いを放棄すれば、DHC・吉田の思う壺ではないか」「私は弁護士だ。自分の権利も擁護できないで、依頼者の人権を守ることはできない」。そう思い、自分を励ましながらの応訴でした。
スラップ常習者と言って差し支えないDHC・吉田には、反撃訴訟が必要だと思います。引き続いてのご支援をお願いいたします。
友人からのメールで教えられた。「DHCの会長吉田嘉明が、おどろくべきヘイトスピーチを自社のホームページに掲載しています」というのだ。
そのURLが下記のとおり。
http://top.dhc.co.jp/company/image/cp/message1.pdf
是非、多くの人にこの全文をお読みいただきたい。まさしく、「おどろくべきヘイトスピーチ」なのである。吉田嘉明とはいかなる人物であるか、自らが雄弁に語って余すところがない。
昨年(2016年)2月12日付の記事で、「会長メッセージ」と標題があり、「株式会社ディーエイチシー 代表取締役 吉田嘉明」との肩書記名がある。今どき、このような差別的文章を人目にさらす人物の存在自体が信じがたいが、まさか「なりすまし」ではないだろう。
この人物、このような差別的文章を書くこと自体が、いかに道義的非難に当たることであるか、自らの品位を貶める恥ずべき行為であるのかの自覚に欠けている。一面滑稽ではあるが、他面このような人物が大手を振ってまかり通っているこの社会を恐ろしいものと感じざるを得ない。
主要な部分を抜き書きしてみよう。
「時々とんでもない悪(わる)がいたりしますので、この点は注意が必要です。純粋な日本人でない人も結構います」
「本物、偽物、似非ものを語るとき在日の問題は避けて通れません。この場合の在日は広義の意味の在日です。いわゆる三、四代前までに先祖が日本にやってきた帰化人のことです。そうい意味では、いま日本に驚くほどの在日が住んでいます。」
「問題なのは日本人として帰化しているのに日本の悪口ばっかり言っていたり、徒党を組んで在日集団を作ろうとしている輩」
「政界(特に民主党)、マスコミ(特に朝日新聞、NHK、TBS)、法曹界(裁判官、弁護士、特に東大出身)、官僚(ほとんど東大出身)、芸能界、スポーツ界には特に多いようです」
「問題は、政界、官僚、マスコミ、法曹界です。国民の生活に深刻な影響を与えます。」
「私どもの会社も…法廷闘争になるときが多々ありますが、裁判官が在日、被告側も在日の時は、提訴したこちら側が100%の敗訴になります。裁判を始める前から結果がわかっているのです。似非日本人はいりません。母国に帰っていただきましょう。」
この文章には、論理も論証もない。「法曹界には、日本人として帰化しているのに日本の悪口ばっかり言っていたり、徒党を組んで在日集団を作ろうとしている輩が特に多い」「私どもの会社(DHC)が裁判に負けるのは、裁判官がそのような在日だから」という、無茶苦茶な没論理。
論理的にものを考える能力に欠け支離滅裂な文章を綴る輩がいることには少しの不思議もない。しかし、解せないのはこのような公然たる民族差別、あるいは排外主義の情念が、何ゆえにどこから来るものなのかということである。
かつての日本にとっては、中国も朝鮮も、学ぶべき先進の文化大国であった。ところが、明治維新後の日本が近隣諸国への膨張政策をとるようになると、根拠のない優越民族意識の醸成が国策となる。国策に操られた国民の選民意識と差別感情が、植民地支配や侵略戦争への積極的加担に大きな役割を果たした。この差別意識は、敗戦とともに表向きは消滅する。国民が国家による意識的な精神動員に乗せられたことを反省したのだ。民衆の意識の底流に、差別感情の残滓が払拭しきれずにあるとしても、社会の良識は、この吉田嘉明の文章の如き表現を許さないはずであった。いつの間に、私たちの社会は劣化してしまったのだろう。
私は、天皇制のあり方には辛口だが、天皇(明仁)の発言に、少数ながらも評価すべきものがあることは否定しない。たとえば、2001年12月の天皇誕生日に際してのコメントである。「天皇家には朝鮮の血が流れている」発言として知られているもの。
下記URLの宮内庁ホームページから引用する。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h13e.html
問 …歴史的,地理的にも近い国である韓国に対し,陛下が持っておられる関心,思いなどをお聞かせください。
天皇(明仁) 日本と韓国との人々の間には,古くから深い交流があったことは,日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や,招へいされた人々によって,様々な文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には,当時の移住者の子孫で,代々楽師を務め,今も折々に雅楽を演奏している人があります。こうした文化や技術が,日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは,幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に,大きく寄与したことと思っています。私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く,この時以来,日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また,武寧王の子,聖明王は,日本に仏教を伝えたことで知られております。
しかし,残念なことに,韓国との交流は,このような交流ばかりではありませんでした。このことを,私どもは忘れてはならないと思います。
天皇(明仁)もいうとおり、日本人も朝鮮・韓国人も、純粋・純血ということはありえない。明らかに血は混じりあっており、優越も劣等もあり得ない。吉田の言う「純粋な日本人」などは存在しないのだ。天皇もその例外ではない。にもかかわらず、空虚な差別感情を誇示する者の絶えないことが、「残念なこと」であり、同胞として恥ずかしい限りというほかはない。
差別には、もう一つの政治的な側面がある。
霍見芳浩ニューヨーク市立大学名誉教授が、「法と民主主義」1月号に寄稿している。トランプを「欠陥人間」大統領と表現して、トランプ現象をヒットラー現象になぞらえている。
「その昔、ナチス独逸を創り上げたアドルフ・ヒットラーは、第一次世界大戦に敗れて過大な賠償金の重圧にあえぐドイツ国民に『すべてがユダヤ人のせいだ』と叫ぶ、これにドイツ国民の大半が「そうだ」と飛びついた」。今、アメリカでよく似た事態がおきているのだ。
日本では、吉田嘉明の如き人物が、「すべてが在日のせいだ」と叫んでいる。「政界も、マスコミも、法曹界も、官僚も、芸能界も、スポーツ界も在日だらけ」「とりわけ、政界、官僚、マスコミ、法曹界の在日が、国民の生活に深刻な影響を与えている」「国民生活の不都合は在日に由来する」というのだ。
これに、「そうだ」と飛びついてはならない。こんな支離滅裂の煽動に乗せられてはならない。このようなレイシストを、徹底して批判し孤立させなければならない。DHCスラップ訴訟とその反撃訴訟は、新たな意味づけを獲得したようである。
(2017年1月17日)
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「DHCスラップ」勝利報告集会にご参加を
弁護士 澤藤統一郎
私自身が訴えられ、6000万円を請求された「DHCスラップ訴訟」。
その勝訴確定報告集会のお知らせです。
この問題と勝訴の意義を確認するとともに、攻守ところを変えた反撃訴訟の出発点ともいたします。ぜひ、集会にご参加ください。
日程と場所は以下のとおりです。
☆時 2017年1月28日(土)午後(1時30分?4時)
☆所 日比谷公園内の「千代田区立日比谷図書文化館」4階
「スタジオプラス小ホール」
☆進行
弁護団長挨拶
田島泰彦先生記念講演(「言論の自由」の今日的意義)
常任弁護団員からの解説
テーマは、
「名誉毀損訴訟の構造」
「サプリメントの消費者問題」
「反撃訴訟の内容」
☆会場発言(スラップ被害経験者+支援者)
☆澤藤挨拶
・資料集を配布いたします。反撃訴訟の訴状案も用意いたします。
・資料代500円をお願いいたします。
言論の自由の大切さと思われる皆さまに、集会へのご参加と、ご発言をお願いいたします。
「DHCスラップ訴訟」とは
私は、ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」を毎日連載しています。既に、連続1400日になろうとしています。
そのブログに、DHC・吉田嘉明を批判する記事を3本載せました。「カネで政治を操ろうとした」ことに対する政治的批判の記事です。
DHC・吉田はこれを「名誉毀損」として、私を被告とする2000万円の損害賠償請求訴訟を提起しました。2014年4月のことです。
私は、この提訴をスラップ訴訟として違法だとブログに掲載しました。「DHCスラップ訴訟を許さない」とするテーマでの掲載は既に、90回を超します。そうしたら、私に対する損害賠償請求額が6000万円に跳ね上がりました。
この訴訟は、いったい何だったのでしょうか。その提訴と応訴が応訴が持つ意味は、次のように整理できると思います。
1 言論の自由に対する攻撃とその反撃であった。
2 とりわけ政治的言論(攻撃されたものは「政治とカネ」に関わる政治的言論)の自由をめぐる攻防であった。
3 またすぐれて消費者問題であった。(攻撃されたものは「消費者利益を目的とする行政規制」)
4 さらに、民事訴訟の訴権濫用の問題であった。
私は、言論萎縮を狙ったスラップ訴訟の悪辣さ、その害悪を身をもって体験しました。「これは自分一人の問題ではない」「自分が萎縮すれば、多くの人の言論の自由が損なわれることになる」「不当な攻撃とは闘わなければならない」「闘いを放棄すれば、DHC・吉田の思う壺ではないか」「私は弁護士だ。自分の権利も擁護できないで、依頼者の人権を守ることはできない」。そう思い、自分を励ましながらの応訴でした。
スラップ常習者と言って差し支えないDHC・吉田には、反撃訴訟が必要だと思います。引き続いてのご支援をお願いいたします。
最近、毎日新聞の連載小説「我らがパラダイス」(林真理子)が朝の楽しみ。ストーリーは、いよいよ佳境。真っ先にここから読み始める。
何年か前の同じ著者の「下流の宴」も面白かった。こちらもテーマは社会の格差。経済格差が学歴格差と重なる実態を描きつつ、「下流」の心意気と「上流」の虚栄とを描いて痛快だった。
実直に働いている沖縄出身の高卒女性が、恋人の母親から結婚に反対される。そのときのセリフが、「ウチは医者の家系なのよ」というものだった。これに、この若い女性が猛反発する。「医者って、そんなにえらいんですか」「私医者になってみせる」。
ここからが、作家の力量だ。日本で一番はいりやすい医学部を特定して、その入試に合格するために、どのように勉強するか。ノウハウの提供者が現れて、彼女の勉強ぶりがリアルに描かれる。本人の努力や恋人の助力もあって目出度く合格する。しかし、その合格によって幸せがつかめるかどうか…、これはまた別のはなし。
ともかく、「医者って、そんなにえらいんですか」の名セリフは、いろいろに置き換えられる。
「大学出って、そんなにえらいんですか」「東大卒って、本当にえらいんですか」「金持ちって、そんなに立派なことですか」「社長ってなんぼのものですか」「上司って、そんなに威張れる身分ですか」「政治家って、どうしてそんなに大きな顔ができるんですか」「皇族って、なぜ税金で暮らせるんですか」…。
「医者」に置き換えられるものは無限にある。「日本人」「尊属」「男性」「公務員」「正社員」「健常者」「都会人」「アスリート」…。もろもろの差別構造の優越者に対する「下流」からの告発。私も気をつけよう。「弁護士さんって、どうして依頼者の気持ちが分からないのですか」と言われぬように。
「下流の宴」では、「下流」の側が「上流」に対して、一寸の虫にも五分の魂があることを見事に示して共感を呼んだ。が、下流の闘いは個人レベルのもので終わっている。それに比較して、「我らがパラダイス」は、高齢者介護における格差をテーマに、もっと社会性を意識した作品となっている。
それぞれに自分の親の介護問題に深刻に悩む3人の女性が、超高級老人ホームに勤務する。ここで至れり尽くせりの入居者を見ているうちに、自分の親にも同じようなケアを受けさせたいとの思いが募ってくる。そして、それぞれの親をこっそりとこの施設の空き部屋にいれての「親孝行」を実行する。このくわだては、単独にはできない。仲間の協力を得てのこと。
しかし、このくわだての束の間の成功と幸福は続かない。ことは露見して、「ここは貧乏人の来るところではない」と罵倒される。この3人は追い詰められて一矢報いようと決意する。「上流の走狗」二人を人質に、施設の一角にバリケードを築いての立て籠もりを始めようというのだ。
この3人の「決起」に、他の「下流」が連帯する。「上流」に属する入居者の中からも協力者が出てくる。バリケードの組み方を指導する学生運動の元闘士まで現れる。この連帯が、前作にはないところ。さて、これからどうなることか。
本日(12月1日)のストーリー展開は、籠城のための食糧確保だ。3人のうちのひとりが厨房に駆け込んでチーフに依頼する。ここで、次のように「下流同士の連帯」が描かれる。
「食べ物を分けてくれない。二、三日分」
「そっちは何人いるんだ」
「えーと、みんな合わせて十五人ぐらいかな」
「オッケー、パンと乾麺、冷凍のもん、いろいろ持ってきな。上の階には確か電子レンジとガスコンロあるはずだよ」
あまりにもあっさりと承諾してくれたので、さつきはとまどってしまったほどだ。
「オレが上に運んでやってもいいよ。なんだか面白そうだし」
「いや、いや、チーフに迷惑はかけられない。それにエレベーターも階段も封鎖してる。今裏口のエレベーターだけが使えるけど、そこもすぐに封鎖するって」
「なんだか本格的だねえ」
チーフはうきうきとした口調になった。
「よし、オレが段ボールに入れてここに置いとく。すぐに取りに来な」
さあ、明日からの展開が目を離せない。格差社会の中の「我らがパラダイス」は、束の間のバリケード内にとどまるのだろうか。それとも、バリケードの外まで拡がりをもつことになるのだろうか。
この小説は、確実にこの社会の断面を鋭く抉っている。格差社会の下流には、不満のマグマが渦を巻いている。このマグマは、いつかは噴出することになる。地震と同じでいつとは言いがたく、その規模も予想しがたい。しかし、年金をカットし、介護保険料を上げ、金持減税・庶民増税を繰り返していては、確実にその噴出の時期は早まるばかり。そしてその噴出のマグニチュードは大きくなる。心してあれ、「上流」の諸君。そして自・公・維の走狗たちよ。
(2016年12月1日)
韓国の朴槿恵大統領批判の運動がすさまじい。印象的なのは、デモ参加者の数だけではなく、抗議行動の整然さである。過激に走って暴徒化するなどの行動は見えない。これなら、老若男女誰もが参加可能だ。韓国の民衆の成熟度と政権の未熟さのコントラストが際立っている。これでは、政権はもたないだろう。
韓国の現政権は出だし順調に見えたが、その未熟さで今瓦解しようとしている。さて、注目のトランプ次期政権だが、発足以前から前途は多難である。これも、任期のまっとうを待たずに瓦解するのではないか。滑り出す前から順調ならざる予感。
問題は、2点ある。まず何よりも、多民族・多人種・価値多元のアメリカを否定して大統領選に勝利したトランプである。国民の亀裂ではなく、統合に意を用いなければならないことが当然なのに、この人の直情径行はそれができないのだ。彼に大統領選勝利をもたらした、その彼の性格が結局は国民の分断を煽ることなって、政権の維持が困難となることが予想される。
本日伝えられた下記の事件は、将来の不安を予測させる象徴的なできごとである。
やや、微妙な問題なので、CNNの報道をそのまま全文を転載する。
ドナルド・トランプ次期大統領は19日、ニューヨークで上演中のミュージカル「ハミルトン」のキャストらに対してツイッター上で謝罪を要求した。前夜の舞台でキャストの1人が、観劇に訪れたマイク・ペンス次期副大統領にステージ上から呼び掛け、「米国の価値観を守って」と訴えたことが「嫌がらせ」に当たるとの見方からだ。
「ハミルトン」は米建国の父の1人、アレクサンダー・ハミルトンの生涯を描いたミュージカル。ヒップホップの歌と踊り、そして出演者のほとんどが非白人という配役が話題を呼んでいる大ヒット作だ。
その客席に19日、ペンス氏が姿を見せた。終演後のカーテンコールでキャストの1人、ブランドン・ディクソンさんはペンス氏に歓迎の言葉を述べた後、人権擁護に関する新政権の意向に懸念を抱いていると発言。「あなたがこの作品に感化されて米国の価値観を守り、私たち全員のために力を尽くしてくださることを願っています。私たち全員のために」と語り掛けた。観客からは大きな拍手と歓声が上がった。
これに対してトランプ氏は19日朝、ペンス氏がキャストから「無礼」な「嫌がらせ」を受けたとツイートし、謝罪を求めた。
ディクソンさんはツイッター上でトランプ氏に向け、「会話は嫌がらせではありません。ペンス氏が耳を傾けてくださったことに感謝しています」と返した。
ペンス氏が劇場に入った時、客席からは少数の拍手と同時にブーイングが起きていた。ディクソンさんはカーテンコールで、ブーイングをしないよう観客に呼び掛けた。
「ハミルトン」の広報担当者によると、ペンス氏は終演後、会場から出ようとしていたが、立ち止まってディクソンさんの言葉に耳を傾けたという。
朝日デジタルは、ほぼ同旨を報道しているが、次の記事が目を惹く。
「トランプ氏はこれまでも、自分への批判などに敏感に反応し、ツイッターなどを通して反撃をしてきた。大統領になることが決まってからも、行動パターンは変わらないようだ。」
朝日が報じるトランプの送信内容に関する記事は以下のとおり。
「19日朝になって、トランプ氏はツイッターで『私たちの素晴らしい将来の副大統領が、ハミルトンの俳優によってハラスメントを受けた。これは起きてはならない』『劇場は常に安全で特別な場所でなければならない。ハミルトンの俳優たちはとても失礼だった。謝れ!』と発信し、痛烈に批判した。
なんとも、大人げない政治家がいたものだ。これが次期大統領である。世界中がその行動を注視していることが分かっているのに、一俳優に「謝れ!」というのだ。しかも、CNNや朝日の報道のとおりであれば、俳優側に非礼はなく、トランプの激昂ぶりは尋常でない。
ペンスの対応ぶりは、単に彼の無能を表している。この素晴らしい舞台設定の機会を生かして、どうしてこう言えなかったのか。
「ディクソンさん。そして観客の皆さん。なんのご心配にも及びませんよ。次期トランプ政権は、必ず米国の価値観を守ります。肌の色や母語を異にしても、国民誰もが幸せとなる国を目指して全力を尽くすことを約束いたします。ですから、皆さん。これから発足するトランプ政権を暖かくご支援ください」と。
こう言わなかったトランプ陣営幹部の無能さが、今後の心配のタネのひとつ。しかし、トランプの言動は、無能ということではおさまらない。最悪のオウンゴールだ。将棋に「バカ詰め」というものがある。通常の詰め将棋は、どうすれば相手の玉を王手の連続で詰めるかを考える。最善手の連続が要求される。バカ詰めは、どうしたら最悪手の連続で最短で自分の玉が詰まされるかを考えるゲームなのだ。言わばオウンゴールの連続手を考えるのだ。
トランプのやったことは、この「バカ詰め」に等しい。挽回の機会はあつたのに、最悪手を連続して、俳優と観劇者だけでなく、CNNの視聴者やアメリカ世論に、「このトランプという男、差別と排外主義の政策を本気でやりかねない」というイメージを深く刻印した。
第2点は、政治とビジネスの混同、そして私物化である。
日刊ゲンダイの記事を引用する。
就任前の異例のトランプ・安倍会談。ドナルド・トランプがそこに、娘・イバンカとその夫・ジャレッド・クシュナーを同席させたことに、米国内で「政治の私物化」だと批判が上がっている。米経済誌「フォーチュン」(電子版)が18日伝えた。
イバンカはトランプが経営する不動産会社の副社長。会談に同席したことで、安倍首相が同社を優遇しかねず、国益と個人的な利益が相反する恐れが指摘されている。
イバンカ夫妻が機密情報に接する権限を持っていないことも問題視されているという。
一方、トランプは新政権の3人の人事を発表。司法長官にジェフ・セッションズ上院議員、中央情報局(CIA)長官にマイク・ポンペオ下院議員、国家安全保障担当の大統領補佐官にマイケル・フリン元国防情報局長官を指名する。いずれも、共和党内の反発をよそに、早期にトランプ支持を表明したことから、“論功行賞”とみられている。
加えて3人ともガチガチのタカ派。セッションズは人種差別発言で裁判官の任命を拒否されたことがある。フリンは「イスラム教徒を恐れるのは理にかなう」とツイートしている。この人選では、米国内の反トランプデモがますます激化しそうだ。
いま、米国内の反トランプデモは、新政権の土台を揺るがすほどのものではない。しかし、以上の2点は、トランプには修復不可能で、直情径行ツィートも、身内優遇も政権内非宥和も、これから「ますます激化しそう」ではないか。政権発足前に早くも危機の予感。これは珍しい政権と言わねばならない。
(2016年11月20日)
松井一郎や。これでも、府民の人気で立っている大阪府知事。
ああ、確かに言うたがな。おとつい(10月19日)の夜や。ツイッターでな。「表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様」や。そのとおりやんけ。
そりゃあ、「土人」も「シナ人」も、言われた方は怒るわな。翁長はんが湯気立てて抗議をするのももっともやで。けどな、それも立場の違いや。翁長はんは翁長はんの立場で怒ったらええ。わいはわいで府民の立場で、警官を弁護せなならんのや。
こないだ民進党の蓮舫に、「行革は我々の原点。『まがい物』のようなところに持っていかれてはいけない」と、維新が「まがい物」扱いをされたやろう。これに対して、「どっちがまがい物なのか。『偽物』にまがい物と言われとうない」と言い返したった。ああ言いかえさなアカンのや。沖縄県民に大阪の機動隊員がポロカスに言われたら、言いかえさなアカン。言い返しにバッシングあったら、擁護せなアカンのや。
政治家は人気商売や。維新はとりわけそうなんや。口にはせんものの府民がホンマのところ何を考えているかを読まんなならん。タテマエばかりで行儀ようしていたら、たちまち見捨てられる。オモロイこともようけあるけど、所詮は因果な商売や。前任の橋下かてそうや。「風俗活用せえ」て、あんなこと言い続けて目立たなアカンのや。アメリカのトランプやて、そうやろ。あれだけ、突っ張っているからここまで持ちこたえてんのや。
大阪人の気質てのはこうやな。ひとつは東京への対抗心や。敵愾心いうてもええ。これが地元限定タイガース人気の秘密や。対東京・対中央の叛骨。もう一つは、準中央意識の地方見下し優越感や。この二つの感情を、いつも勘定に入れて、算段せなアカンのや。
今回は、本土意識で沖縄への差別感がもろに出てきたんや。突発的なことやあらへんし、きれいごとではおさまらん。タテマエだけで差別発言は許されんなどと言ってはおられんのや。そんな様子を見せたら、途端に維新の人気はがた落ち、府民から見離される。多くの府民の心の奥にあるどろどろとした感情を上手にすくいとらねばならんのや。
だから、昨日(10月20日)も記者団に「沖縄の人の感情はあるので言ったことには反省すべきだと思う」とタテマエを言いつつも、「そのことで(警察官)個人を特定され、あそこまで鬼畜生のようにたたかれるのはちょっと違うんじゃないか。相手もむちゃくちゃ言っている」とゆうたとおり、警官の肩をもたなならんのや。
しかしや、若い大阪の機動隊員が「ぼけ、土人が」「帰れ、シナ人」などとは、よう言うたもんやな。なんと言えば、相手を侮辱することができるのか、日ごろから考えておったんやろうな。「ぼけ、沖縄県人が」「ぼけ、琉球人が」「ぼけ、ウチナンチューが」では悪口にならへん。相手の胸に突き刺さらんのや。「土人」は、単なる未開野蛮の一般名詞やあらへんで。戦前のアイヌや、占領した南方諸島の人々に対する固有の歴史にもとづく立派な差別用語や。一億総差別主義に浸った大日本帝国臣民とその末裔に根強く残る差別の語感を見事に表現して、相手を侮辱する言葉になったんや。「おまえんとこは、日本やない。未開の蛮地やんけ。その未開のボケの土人がえらそうなことを言うな」というわけやな。これをつづめて「ぼけ、土人が」。見事なやっちゃ、あっぱれなやっちゃ。ほとぼり過ぎたら、大阪府民栄誉賞を考えんないかんとちゃうか。
「帰れ、シナ人」は、もっと政治性の高い発言やな。日本の仮想敵国に中国があって、中国の大国化が日本の脅威で、そのための日米安保強化が必要で、安保のための辺野古と高江だ。それを妨害する奴らは、中国の手先に違いない。さすが大阪府警の機動隊員。ものごとを深く見ているやん。なんてったって本土を守るための沖縄の基地や。四の五の言わずに、沖縄はみあいのカネだけもろうて基地の建設に協力すればええやんか。それに楯突く沖縄県民は中国の手先や。だから「帰れ、シナ人」。整然たる論理やんか。沖縄差別と中国差別を兼ねたダブル差別。
でもな。本音を言えば、こんなことになっているのはアベ内閣の責任や。本当の責任者が口を拭って涼しい顔をしてはるのはおかしいんやないか。これは、大阪対沖縄の戦闘とはちゃうが、明らかに大阪府民と沖縄県民の衝突や。こんな具合に衝突させている元凶は、アベさんあんたの無策や。失敗や。そのとばっちりを沖縄と大阪が受けている。
それを他人事と知らん顔とは、殺生やんか。ええ、アベ晋三はん。
それとももしや、この大阪府警機動隊員の差別発言が大きな話題となって、辺野古だけでなく、高江で何が起こっているのか、世間の耳目を集めたことを苦々しく思ってはると言わはんのかね。
(2016年10月21日)