格差社会の中の「我らがパラダイス」
最近、毎日新聞の連載小説「我らがパラダイス」(林真理子)が朝の楽しみ。ストーリーは、いよいよ佳境。真っ先にここから読み始める。
何年か前の同じ著者の「下流の宴」も面白かった。こちらもテーマは社会の格差。経済格差が学歴格差と重なる実態を描きつつ、「下流」の心意気と「上流」の虚栄とを描いて痛快だった。
実直に働いている沖縄出身の高卒女性が、恋人の母親から結婚に反対される。そのときのセリフが、「ウチは医者の家系なのよ」というものだった。これに、この若い女性が猛反発する。「医者って、そんなにえらいんですか」「私医者になってみせる」。
ここからが、作家の力量だ。日本で一番はいりやすい医学部を特定して、その入試に合格するために、どのように勉強するか。ノウハウの提供者が現れて、彼女の勉強ぶりがリアルに描かれる。本人の努力や恋人の助力もあって目出度く合格する。しかし、その合格によって幸せがつかめるかどうか…、これはまた別のはなし。
ともかく、「医者って、そんなにえらいんですか」の名セリフは、いろいろに置き換えられる。
「大学出って、そんなにえらいんですか」「東大卒って、本当にえらいんですか」「金持ちって、そんなに立派なことですか」「社長ってなんぼのものですか」「上司って、そんなに威張れる身分ですか」「政治家って、どうしてそんなに大きな顔ができるんですか」「皇族って、なぜ税金で暮らせるんですか」…。
「医者」に置き換えられるものは無限にある。「日本人」「尊属」「男性」「公務員」「正社員」「健常者」「都会人」「アスリート」…。もろもろの差別構造の優越者に対する「下流」からの告発。私も気をつけよう。「弁護士さんって、どうして依頼者の気持ちが分からないのですか」と言われぬように。
「下流の宴」では、「下流」の側が「上流」に対して、一寸の虫にも五分の魂があることを見事に示して共感を呼んだ。が、下流の闘いは個人レベルのもので終わっている。それに比較して、「我らがパラダイス」は、高齢者介護における格差をテーマに、もっと社会性を意識した作品となっている。
それぞれに自分の親の介護問題に深刻に悩む3人の女性が、超高級老人ホームに勤務する。ここで至れり尽くせりの入居者を見ているうちに、自分の親にも同じようなケアを受けさせたいとの思いが募ってくる。そして、それぞれの親をこっそりとこの施設の空き部屋にいれての「親孝行」を実行する。このくわだては、単独にはできない。仲間の協力を得てのこと。
しかし、このくわだての束の間の成功と幸福は続かない。ことは露見して、「ここは貧乏人の来るところではない」と罵倒される。この3人は追い詰められて一矢報いようと決意する。「上流の走狗」二人を人質に、施設の一角にバリケードを築いての立て籠もりを始めようというのだ。
この3人の「決起」に、他の「下流」が連帯する。「上流」に属する入居者の中からも協力者が出てくる。バリケードの組み方を指導する学生運動の元闘士まで現れる。この連帯が、前作にはないところ。さて、これからどうなることか。
本日(12月1日)のストーリー展開は、籠城のための食糧確保だ。3人のうちのひとりが厨房に駆け込んでチーフに依頼する。ここで、次のように「下流同士の連帯」が描かれる。
「食べ物を分けてくれない。二、三日分」
「そっちは何人いるんだ」
「えーと、みんな合わせて十五人ぐらいかな」
「オッケー、パンと乾麺、冷凍のもん、いろいろ持ってきな。上の階には確か電子レンジとガスコンロあるはずだよ」
あまりにもあっさりと承諾してくれたので、さつきはとまどってしまったほどだ。
「オレが上に運んでやってもいいよ。なんだか面白そうだし」
「いや、いや、チーフに迷惑はかけられない。それにエレベーターも階段も封鎖してる。今裏口のエレベーターだけが使えるけど、そこもすぐに封鎖するって」
「なんだか本格的だねえ」
チーフはうきうきとした口調になった。
「よし、オレが段ボールに入れてここに置いとく。すぐに取りに来な」
さあ、明日からの展開が目を離せない。格差社会の中の「我らがパラダイス」は、束の間のバリケード内にとどまるのだろうか。それとも、バリケードの外まで拡がりをもつことになるのだろうか。
この小説は、確実にこの社会の断面を鋭く抉っている。格差社会の下流には、不満のマグマが渦を巻いている。このマグマは、いつかは噴出することになる。地震と同じでいつとは言いがたく、その規模も予想しがたい。しかし、年金をカットし、介護保険料を上げ、金持減税・庶民増税を繰り返していては、確実にその噴出の時期は早まるばかり。そしてその噴出のマグニチュードは大きくなる。心してあれ、「上流」の諸君。そして自・公・維の走狗たちよ。
(2016年12月1日)