そのときどきに時代を映す訴訟というものがある。志ある若手弁護士は、その時代にふさわしい「時代を映す事件」に取り組む。それは、公害であったり、薬害であったり、大規模消費者被害であったり、情報公開請求訴訟であったり。あるいは、いじめ・体罰、過労死、基地問題、ヘイトスピーチ、天皇の代替わりにともなう政教分離訴訟…などなど。
今なら、まぎれもなく原発訴訟だろう。時代を映す問題としてこれ以上のものはない。文明論としても、人類史上の大事件としても、弁護士として取り組むに値する大事件。
とはいうものの、私には声がかからない。その余裕も力量もないからやむをえない。代わって、澤藤大河が「ふるさとを返せ 津島原発訴訟」にどっぷりと浸かっている。ずいぶんと時間も労力も使っているようだ。
弁護団はホームページを開設している。
http://www.tsushima-genben.com/
「『ふるさとを返せ 津島原発訴訟』は,2011年3月11日の福島第一原発事故に伴う放射能汚染によって「ふるさと」を追われた,浪江町津島地区の住民による集団訴訟です。
津島地区の住民は、代々培われてきた伝統芸能や先祖が切り拓いた土地を承継しながら、地区住民がひとつの家族のように一体となって、豊かな自然と共に生活してきました。
ところが、津島地区は、現在もなお放射線量の高い帰還困難区域と指定され、地区全域が人の住めない状況となっています。
津島地区の住民は、いつかはふるさとに帰れると信じながらも、いつになれば帰れるか分からないまま、放置されて荒廃していく「ふるさと」のことを遠く避難している仮住まいから想う日々です。
国及び東京電力は、広範囲の地域の放射能汚染という重大事故を起こしておきながら、原発事故に対する責任に正面から向き合おうとしません。
国及び東京電力のこのような姿勢に堪えかねた津島地区住民の約半数となる約230世帯700名の住民が立ち上がり、2015年9月29日、国及び東京電力を被告として、福島地方裁判所郡山支部に集団提訴をしました。」
そのホームページに「弁護団加入Q&A 」があって、こんな問と答がある。
「Q 弁護士の活動実費、弁護士報酬などはどう保障されるのでしょうか。
A 訴訟の弁護士報酬について
まず、着手金はありません。勝訴(確定)の場合には、弁護士報酬をその関与の度合いを勘案してお支払いすることになります。もっとも、津島訴訟のような、社会的な訴訟においては、弁護士費用獲得やその多寡が目的でありません。弁護士として社会の役に立ちたいという高い志をもった方の参加をお待ちしています。」
要するに、手弁当で活動するというのだ。これで、よく弁護団を組めるものと感心せざるを得ない。
最近の法廷は11月17日、先週の金曜日。「原告ら第27準備書面?結果回避可能性について?」を陳述し、30頁に近い準備書面の要旨を、訴訟代理人澤藤大河が口頭で述べたという。それが以下のとおり。
**************************************************************************
1.概要
本準備書面は,本件事故前に,被告らが何をしていれば結果を回避できたのか,主に甲B194号証の1「渡辺意見書」(工学博士渡辺敦雄氏が作成した意見書)に基づいて,結果回避可能性を指摘することを目的とする。
法は,不可能を要求しないため,前提として結果回避可能性が必要となる。そこで,事故の回避可能性があったことを明らかにする。
2.原子力発電所の危険性
まず,原子力発電所が原理的に内包する不可逆的かつ壊滅的危険性について,指摘しておく。原発の重大な危険性が被告らの注意義務を加重するからである。
重大事故が生じれば,広範な周辺住民の生命健康財産を侵害し,本件原告らの居住地のように,長期に渡り,立ち入りすら制限されることにもなりかねない。
このような原子力発電所が原理的にもつ危険の重大性から,絶対の安全性を確保することが,被告らに求められる。「危険が明らかな限りで対策をすればよい」のではなく,「安全と立証されない限り運転は許されない」のが,原子力発電所を運転する際に求められる基本姿勢である。
さらにすすんで,危険の見積りに不正確さがあれば,予想される幅の中で最も安全側の対策を採らねばならないし,本質的に安全であることが保証できないのなら,原子力発電所は運転してはならないはずである。
3.渡辺意見書
渡辺意見書は,工学博士渡辺敦雄氏が作成した意見書である。
渡辺敦雄氏は,東京大学工学部を卒業後に,株式会社東芝に入社し,原子力部門で基本設計を担当してきた。福島第一原発の1?3号機,5号機も担当したことがある。原子力技術者としての専門的知識は勿論,福島第一原発の現場を知る専門家である。
渡辺氏の専門分野は,機械であり,津波が襲来しても,原子炉の冷却機能を保持するために,具体的に,いかなる設備・対策を調えておくべきかが,渡辺意見書の趣旨である。
原子炉は,核燃料が内部に存在する限り,熱が発生し続けるので,冷却し続けなければならない。重大な事故を回避するための要諦は,?電力を安定的に確保すること,?冷却水を循環させること,である。
4.具体的対策工事
渡辺意見書が具体的に述べるところは,浸水高が2mの津波を想定して対策工事をしてさえいれば、2011年の実際の津波においてなお冷却機能を喪失せず,事故は避けることができたというものである。
敷地を2m浸水させる津波を想定した場合になすべきことは,建屋扉の浸水防止対策,外壁開口部の水密化,建屋貫通部の浸水防止,建屋内の重要機器室の浸水防止対策,重要機器類の高所配置,海水ポンプ室の水密強化等である。
原子力発電所の危険性を考えれば,電力が失われることに備えて,多重防護を考えることも必要である。予備の電源を確保するため,津波の影響のない高所に十分な出力の発電機と燃料を設置しておくことが考えられるし,移動式電源車を配備することも考えられる。
また,海水への最終的な熱の排出ができなくなることに備えて,淡水貯槽,空冷熱交換器を備え,熱を逃がす別の系統の整備もするべきである。冷却水の循環ポンプが動かなくなっても,冷却機能が維持できるようにするために車載式注水ポンプ車の配備も考えられる。
事故対策作業を現場において実際に行えるようにするための対策も重要である。原子炉制御室の作業環境確保,放射線エリアモニタの設置,放射線遮へい対策等の強化などをしなくては,作業員が対策のための活動を十分に行うことができない。
また,緊急時用資材倉庫の高台設置,がれき撤去用重機の配備等の対策を行うことが考えられる。
以上の対策は,全て可能で、かつ浜岡原発で現実に実施されていることでもある。
これらの工事の工期は,最長でも3年である。本準備書面で指摘した工事の項目は全部で11件となっているが,これらの対策を,遅くとも2006年に始めていれば,2011年までに十分に対策を完了させ,本件事故を回避することができたのである。
5.結論
以上のとおり,被告らの結果回避義務の前提として求められる結果回避可能性が存在していたことは明らかである。
(2017年11月20日・連日更新第1695回)
旺文社「蛍雪時代」は、私の世代には懐かしい大学受験情報誌。とりわけ、田舎の非進学高にあって国立大学進学を夢みていた私にとっては、唯一の受験情報源だった。なめるように読んだ憶えがある。世話になったという思いは強い。
だから旺文社社長の赤尾好夫の名は印象に深いが、その人となりは知らなかった。後年、右翼だったと知る。
ウィキペディアには、こう書かれている。
「戦時中に戦意高揚を煽った廉で、敗戦後は公職追放を受けた。かつて旺文社の労組で赤尾と対立した音楽評論家の志鳥栄八郎は『赤尾社長は、だいたいが右翼系で、そちらのパージになったこともある人だけに、赤いものは、赤旗はもちろんのこと、赤い腰巻きまで嫌がった』と語っている。」
「蛍雪時代」は、1932年通信教育会員の機関誌『受験旬報』(通信添削会員向けの通信誌)として創刊され、1941年10月号から、現誌名に改題されているそうだ。つまり、太平洋戦争期の受験雑誌だった。当時ライバル誌といえるほどの存在はなかったろう。
戦時下の蛍雪時代がどんな記事を載せていたか。講談社が運営するサイト「現代ビジネス」のそんな記事が興味深い。タイトルは、「大学受験が『聖戦』? 戦時下の受験生はこんな問題を解いていた。当時の受験雑誌を読んでみると…」というもの。筆者は、「不思議な君が代」の著書もある辻田真佐憲。若い(30代前半)ライター。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53490
興味深いのは、たとえば、次のような記事。
「戦時受験の主役は、旧制中学校の上級生や卒業生だった。かれらは、旧制高等学校や、陸軍士官学校、海軍兵学校など上級の学校に進むため、切磋琢磨した。旧制高校は、帝国大学につながり、エリートの登竜門だったのである。
日本最古の受験雑誌のひとつである『螢雪時代』も、現在こそ大学受験の雑誌だが、当時はこの層をターゲットとした。」
「時局ともっとも縁遠そうな数学でさえ、時代の影響をまぬかれなかった。
『螢雪時代』1943年7月の懸賞問題には、つぎのようなものもあった。
時速50粁の航空母艦が其の搭載機を以て海岸にある都市を爆撃せんとし、一直線に目標に向つて進み、途中其の搭載機を放つて直ちに逆行するものとする。搭載機は母艦より目標に向つて直進して之に到達した後30分間其の上空を飛翔して爆撃し、更に母艦の後を追つて飛行帰還するものとすれば目標から幾何の距離に於て母艦を出発したらよいか。但し搭載機の性能は時速450粁、航続時間10時間である。(出題者 旺文社数学部々長 高橋数一)
この問題は、航空母艦の機能や役割を知っていなければ答えられない。現在ならば、まずお目にかかれない出題だろう。」
「旺文社(欧文社)からは、受験参考書として「国体の本義」「臣民の道」「戦陣訓」などの解説書も盛んに刊行された。もちろんそれは、口頭試問や筆記試験に対応するためにほかならなかった。そして同社の広告も『受験生は本書の徹底的研究を絶対必要とする』『皇軍のように志望校を突破せよ!』とその狙いを隠そうとしなかったのである。」
「もっとも生々しかったのは、受験生たちの投稿欄である「読者の声」のコーナーだった。
『全国の海兵党諸賢に次ぐ。[中略]月月火水木金金などは未だ小手先の芸当で、一路海兵打倒と定めた日から、俺は夜も眠らぬことにした(とは少し大ゲサかな)。大東亜を、否全世界を真の一宇的精神に光被せしめるための海軍として、帝国海軍は今や文字通りの天来の神兵艦隊である。此の艦隊の一員たらんとする以上、我々の決意も亦至浄至雄なるものでなければならぬ。(第二の軍神)』」
著者の締めくくりは、以下のとおりである。
「受験雑誌は驚くほど時代の変化に敏感だった。戦時下もそれは変わらなかった。現代の受験雑誌や通信添削のペンネームや読者投稿欄も、実はどこよりも現代を的確に映し出しているのかもしれない。」
「受験雑誌は驚くほど時代の変化に敏感だった」は、そのとおりだろう。もう少し正確に言えば、「入学試験」そのものが時代の変化に敏感で、受験雑誌も受験生も、その変化を受けいれざるを得ないのだ。
最近の大学受験事情はよく知らない。が、とある高校教師から上智大学の今年の入試問題の紹介を受けて驚いた。「近代日本の女性と国家」についての問。18歳の受験生に課されている問題のレベルとしては、あまりに高い。最近、上智に出かける機会が多い。これまでは、なんとのんびりした学生ばかりと思っていたが、この入試の洗礼を受けてきた学生たちと思えば、見方が変わる。
その入試問題は、一問でA4・4頁。しかも9ポの2段組み。問題文を読み通すだけで一苦労のボリューム。
問題文は、「現代における女性の社会的地位は、いったいどのようなものだろうか。」から始まる。一見女性は優遇されているようで、実は敢えて優遇措置をしなければならない現実があり、女性の地位は低いまま。日本の女性たちが歩んできた過去をしっかりと見つめなければならない。という問題提起があって、3つの例題文が提示される。
《例題文1》は、家族制度と絡めた「存娼派」と「廃娼派」の論争。存娼派の代表として福沢諭吉紹介され、公娼制を必要としながら、そこで働く女性を「人類の最下等にして人間社会以外の業である」という彼の論の一節が引かれる。アジア女性センターのブックレットからの引用。
《例題文2》は、富国強兵と良妻賢母をセットの国策ととらえた文脈における「新しい女性」像の問題。貞操論争、堕胎論争、廃娼論争などの議論を紹介し、青鞜などの女性解放運動が実は後年の女性を家庭に囲い込むジェンダー規範を作り出した側面をもっていると指摘する。
そして、《例題文3》が最も長文で最も重い内容。沖縄戦での女性の悲劇を描いたもの。純潔を強要された沖縄の女性が、敵に性的暴行を受けよりはと集団自決を選んだ経緯を考えさせる内容となっている。本土の兵士のための、県内女性と朝鮮人女性の慰安婦の問題もきちんと述べられている。
上智の受験生は、この問題文と格闘したことによって、意識が変わったのではないだろうか。
つくづく思う。戦争や国家主義鼓吹の受験勉強などをしなければならない時代はまっぴらだ。「受験生は、驚くほど入学試験の傾向に敏感」なのだから、「聖戦突破」ではなく、「近代日本の女性と国家」型の普遍性ある入試問題を歓迎したい。暗い時代を繰りかえさせてはなない。
(2017年11月19日)
第48回総選挙は、形の上では「改憲派圧勝」だった。安倍政権にとっては念願の改憲実現に向けての絶好のチャンス。改憲へ具体的な一歩を踏み出さねばならない。時期を失すれば改憲世論はジリ貧となり、永遠に改憲の機会を逃すことにもなりかねない。さあ、今だ。アベ一族はそう意気込んでいるに違いない。
だが、改憲をめぐる世の中の雰囲気は、なかなかアベの思うとおりとはなっていない。明らかに安倍一強の力の衰えを世論が感じ取っているのだ。だから、これまでアベにおもねり、阿諛追従していた風見鶏の一群が、姿勢を変えてきた。いつまでもアベの下駄の雪であることに、先行きの不安を禁じえないのだ。それが、改憲問題に表れてきている。
アベの意気込みにかかわらず、改憲のハードルは高い。まずは自民党内での原案をとりまとめなければならないが、いままでのようには行かない。党内の各勢力が、ものを言い始めているではないか。次いで、連立を組む公明と摺り合わせなければならない。しかし、公明は明らかに及び腰だ。今回選挙では、公明は票も議席も大きく減らした。アベといつまでも蜜月ではさらなる退潮を余儀なくされる。さらに、野党第1党の立憲民主党を抱き込まねばならない。これが難物…のはず。残る希望と維新はたいしたことはない…だろう。共産・社民は相手にせず…に違いない。最後の難関は、国民投票。あらゆる世論調査が、けっしてアベ改憲路線を容認していない。
結局国民は改憲など望んでいない。その空気は、アベ一族以外も肌で感じている。アベ以外の政治勢力にとっては、改憲に本腰を入れる状況ではないのだ。それでも、アベとその取り巻きが焦って急げば、手痛い失敗をすることになるだろう。その失敗は取り返しがつかない。半永久的に改憲の企みは封印されることにもなる。
その第1ハードルの自民党内の意見とりまとめ。これまでの党内論議から、改憲テーマは以下の4点に絞られている。
A 憲法9条に自衛隊明記
B 緊急事態条項の整備
C 教育無償化
D 合区解消
もちろん、Aが本命。次いでB。Cは維新取り込みのトリック。Dは、関心が島根・鳥取、徳島・高知の地域限定テーマ。
総選挙直後の今、自民党がA・B・C・Dの各テーマについて、気勢を上げるのかと思いきや、どうもそのようではない。A・B・Cは、いずれも先送りだという。Dのみが残ったが、さして意気が上がる様子でもない。
昨日(11月17日)の毎日新聞一面左肩に、「自民改憲案:年内集約断念、参院合区解消は大筋了承」の見出し。
「自民党は16日、安倍晋三首相が掲げる自衛隊の明記など4項目の党憲法改正案について、年内の取りまとめを見送る方針を固めた。衆院選で議論が遅れたことなどから党内集約が間に合わないと判断した。党執行部は年明けにもまとめたい考えだが、首相が想定する「来年の通常国会で改憲原案発議」がずれ込む可能性もある。一方、自民憲法改正推進本部(細田博之本部長)は16日の全体会合で、参院選の合区を解消する憲法47条、92条改正案のたたき台を大筋了承した。」
「一方、自民の重点4項目のうち▽自衛隊明記▽教育無償化▽緊急事態対応??の3項目は党内でも意見集約のメドが立たない。首相は「丁寧」な政権運営を強調しており、他党との議論に想定以上の時間がかかる可能性もある。自民改憲推進本部の岡田直樹事務局長は16日の記者会見で党改憲案について「スケジュールありきでない。積み残した課題もある」と指摘した。」
さて、ほかの3点はダメでも、これだけはその大筋了承されたという「合区解消改憲案」。その「自民党・憲法47条・92条改正案のたたき台」とはどんなものか。
「たたき台は、国政選挙について法律で定めるとしている47条に、選挙区の区割りは行政区画などを勘案するとの条文を追加。さらに参院議員が『広域的な地方公共団体の区域から少なくとも一人が選出される』などのただし書きを加える。」という。
具体的には次のとおり。
<現行憲法47条>「選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める」
これに、次の一文を追加する案だという。
「各選挙区は、人口を基本とし、行政区画、地勢等を総合的に勘案して定めなければならない」「参議院議員の全部または一部については、改選ごとに各広域的な地方公共団体の区域から少なくとも一人が選出されるよう定めなければならない」
<現行憲法92条>「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定める」
これに次の一文を追加するという。
「地方公共団体は、基礎的な地方公共団体及びこれを包括する広域的な地方公共団体とすることを基本とし、その種類は、法律で定める」
なんだか笑っちゃいたくなる改憲案。憲法ではなく、本来は公職選挙法を改正するだけで済む問題。人口の都市部への集中で、参院選挙の定数が不均衡となった。一票の格差を是正するために、昨年(2016年)の参院選で「鳥取・島根」「徳島・高知」の2合区が導入され、一票の最大格差を3.08倍に縮小した。しかし、合区では「地方の声が届かない」「地元密着の政治家が育たない」と地元からは解消要求の声が高い。
だからと言って憲法を変えなければならない問題ではない。合区するのには公選法改正の手続だけでできた。分区することも、国会が決めればよい。もちろん一票の格差をなくする工夫と手立てをしてのこと。むしろ、改憲をしてまで一票の格差を認めようという発想がおかしい。
現行憲法は、「選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める」のだから、国会の工夫の余地は限りなく大きい。一票の格差を解消するには、地方区の定員を増やせばよい。あるいは、ブロックごとの比例代表制を採用すればよい。もちろん、比例代表の全国区だけにすれば、理想的な一票の格差解消が実現する。議員定数を増やすことに躊躇は不要である。欧米に比較して、日本の議員数は少ないのだし、費用が心配なら、議員一人あたりの歳費を削ればよいだけのこと。
さて、ようやく自民党内では具体化するかに見えた、合区解消改憲案。早くも前途多難なのだ。
今朝(11月19日)の毎日新聞第5面。「参院改革協:合区解消改憲 賛同なし」の見出し。
{参院各会派の代表者による改革協議会は17日、選挙制度専門委員会(岡田直樹委員長)を開いた。選挙区の「合区」をなくしたい自民党が都道府県単位に戻すよう主張したのに対し、公明党などは「1票の格差」是正を重視する立場を表明。自民党は現在、合区解消の憲法改正案を検討中だが、他党との隔たりは大きいままだ。」
自民党から、各会派の反応を探った形だが、うまく行かなかったようだ。
「公明党の西田実仁参院幹事長は、国会議員を『全国民の代表』と規定した43条と自民党の案は矛盾するのではないかと指摘。『参院の権限縮小には反対だ』と明言した。公明党は全国を10程度のブロックに分けた大選挙区制にして定数配分を調整し、格差是正を図るべきだと提案した。共産党も合区を解消する改憲は『14条(法の下の平等)に違反する』と反対し、全国9ブロックの比例代表制を提唱した。国会の『1院制』を目指す日本維新の会は『道州制導入による選挙制度の抜本改正』を訴え、社民党は現行憲法下での制度改正を主張した。衆院選で混乱した民進党は党内論議が進んでおらず、足立信也氏が個人的な意見として、選挙区で複数候補への投票を認める『連記制』に言及した。」
自民党のみが、「合区解消のための改憲提案」。公明も含め、他党の全てが、改憲なしの改革案か、現状のままでよいとの意見。選挙では大勝したはずの自民党が孤立しているのだ。自民党が、憲法問題に関して民意を代表しているわけではないことをよく物語っている。
(2017年11月18日)
本日の衆参各院本会議。首相の所信表明演説があった。森友も加計も、まったく触れられることはなかった。おかしいじゃないか、謙虚な姿勢で丁寧に説明すると言っていたはず、などと言っている自分の甘さが恥ずかしい。そんなのウソだと分かっていたはずではないか。
所信表明演説の結びは、次のとおりだつた。
「日本の未来をしっかりと見すえながら、今なにを成すべきか、与野党の枠を越えて建設的な政策論議を行い、ともに前に進んでいこうではありませんか。ともに知恵を出し合いながら、ともに困難な課題に答えを出していく、そうした努力のなかで憲法改正の議論も前に進むことができる、そう確信しています。
政策の実行、実行、そして実行あるのみであります。我が国が直面する困難な課題に真正面から立ち向かい、ともに日本の未来を切り開いていこうではありませんか。」
この人の言うことはいつもおかしいのだから、いまさら言い立てるのもむなしいが、まことにヘンな演説。確かに言葉はあれども、伝えるべき中身のない見本として、恰好の教材。こんな話をしてはいけませんよという戒めとして、国語の教科書に掲載してもよい。
「日本の未来をしっかりと見すえながら」→いったいどんな未来をしっかりとイメージしているのだろうか。アベ流の「未来」とは、指示と忖度によって日本中に獣医学部の校舎が林立し、小学校では直立不動で教育勅語の暗唱が行われている日本ではなかろうか。あるいは、国防軍が闊歩する日本? ちーがーうーだーろー!
「今なにを成すべきか」→いったい安倍晋三は首相として「何をなすべき」と考えているのか。今さら、「なにを成すべきか議論を行おう」ですって? ちーがーうーだーろー!
「与野党の枠を越えて建設的な政策論議を行い、ともに前に進んでいこうではありませんか。」→いったい、「前」ってどちらなの? アメリカの方? 大日本帝国の方? どっちも、ちーがーうーだーろー!
「ともに知恵を出し合いながら、ともに困難な課題に答えを出していく、そうした努力のなかで憲法改正の議論も前に進むことができる、そう確信しています。」→あたかも憲法改正を認める方向に議論が進むことを、与野党共通の課題といわんばかり。ちーがーうーだーろー!
「政策の実行、実行、そして実行あるのみであります。」→中身がない。具体性がない。分析がない。過程がない。段取りがない。聞き手への配慮がない。だから説得力がない。
「我が国が直面する困難な課題に真正面から立ち向かい、ともに日本の未来を切り開いていこうではありませんか。」→具体性ないだけじゃない。気持ちが悪い。こんな首相とともに日本の未来を切り開いていくなんて、まっぴらご免だ。
毎日の夕刊はこう解説した。
「安倍晋三首相の17日の所信表明演説は、安倍内閣では最も短い。学校法人「加計学園」「森友学園」を巡る問題への言及はなく、6月に内閣支持率が急落した時から繰り返してきた「丁寧な説明」「謙虚さ」の言葉もない。今後の国会論戦に臨む真摯さが問われる。」
朝日は、志位和夫・共産党委員長の言葉を紹介した。
「(安倍晋三首相の演説は)一言で言って中身がない、空疎な、嫌々やっているような演説だった印象だ。この国会はまず何よりも、森友・加計疑惑、一連の国政私物化疑惑の問題が大きなテーマ。総理はこの森友・加計疑惑について、丁寧に説明すると言いながら所信(表明演説)では一言も、「(森友の)も」の字も、「(加計の)か」の字もなかった。…全体として国民に語るべきものが全くない。まともに野党と議論していこうという姿勢がない演説だった。大変大きな問題だと思って聞いた。」
そう。「(森友の)も」の字も、「(加計の)か」の字もなかった。「(謙虚の)け」の字も、「(丁寧の)て」の字もである。もう、みそぎは済んだ、いまさら謙虚や丁寧のふりをする必要もあるまい、という露骨な態度。完全に国民がなめられている。あるいは、こんな首相を戴くにふさわしい国民の民度だということなのだろうか。
ところで、11月14日朝日川柳欄に次の2句。
権力の岩盤のごと校舎建つ(滋賀県 松浦武夫)
なるほど、岩盤とは既得権益やそれを守るための規制のことではない。岩盤とは権力そのものなのだ。安倍晋三その人が岩盤。加計学園の校舎が象徴する権力が岩盤。ドリルで穴を穿つべき厚く固い岩盤とは、安倍政権自身であり、安倍に私物化された行政そのものではないか。
顔出さず「万感迫る」とケロリ加計(鳥取 安田和文)
安倍の腹心の友という加計孝太郎。まさしく、ケロリと言ってのけるというイメージ。
森友学園の籠池夫妻は、学校経営の夢破れただけでなく、逮捕されて身柄は拘置所にある。それに比べて、加計孝太郎は陰でケロリなのだ。籠池夫妻の思想は、唾棄すべきものだが、この両人は逃げ隠れしない。メディアにも向き合い、国会でも自分の信じるところを堂々と披瀝した。加計孝太郎はずっと陰に隠れたままだ。
「政治家」に対して、「政治屋」という蔑称がある。政治家としてもつべき理念も理想もなく、金儲けのために政治の舞台にいる「似非政治家」のことだ。籠池夫妻はともかく、加計孝太郎を教育者ではなく「教育屋」と呼ぶにふさわしい。あるいは、「教育ビジネスマン」「教育商売人」であろうか。類は友を呼ぶ。同病相哀れむ。安倍晋三と腹心の友というのか。なるほどピッタリだ。
(2017年11月17日)
DHCスラップ2次訴訟(反撃訴訟)の口頭弁論期日は12月15日(金)。ぜひ、多数の方の傍聴をお願いいたします。
閉廷後の報告集会の場所が決まりました。東京弁護士会504号室(5階)です。
報告集会では、木嶋日出夫さん(長野弁護士会)に、伊那太陽光発電スラップ訴訟の教訓について、ご報告いただきます。
以下は当日のスケジュールです。
13時30分 東京地裁415号法廷(民事第1部)
反撃訴訟訴状(反訴状)の陳述
光前弁護団長が反訴の要旨を口頭陳述
澤藤が反訴原告本人として意見陳述
閉廷後 14時?16時 報告集会
東京弁護士会504号室(5階)
光前さん・小園さんから、訴状の解説。
木嶋日出夫さん 伊那太陽光発電スラップ訴訟代理人報告と質疑
澤藤(反訴原告本人)挨拶
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伊那太陽光発電スラップ訴訟概要
(長野地裁伊那支部・2015(平成27)年10月28日判決)
原告(反訴被告)片桐建設
被告(反訴原告)土生田さん
被告(反訴原告)代理人 弁護士木嶋日出夫さん
本訴請求額 6000万円 請求棄却
反訴請求額 200万円 50万円認容
双方控訴なく確定
☆長野県伊那市の大規模太陽光発電所の建設計画が反対運動で縮小を余儀なくされたとして、設置会社が住民男性(66)に6000万円の損害賠償を求めた事件。
長野地裁伊那支部・望月千広裁判官は本訴の請求を棄却し、さらに男性が「反対意見を抑え込むための提訴だ」として同社に慰謝料200万円を求めた反訴について、「会社側の提訴は裁判制度に照らして著しく正当性を欠く」と判断し、同社に慰謝料50万円の支払いを命じた。
☆判決は、最高裁判決の論理を前提とし、「(片桐建設の)本件訴えの提起は、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものと認められる」「本件訴えの提起が違法な行為である」と判示して慰謝料50万円を認容した。
また、「少なくとも、通常人であれば、被告の言動を違法ということができないことを容易に知り得たといえる」「原告において、真に被害回復を図る目的をもって訴えを提起したものとも考えがたいところである」との判示が注目される。
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木嶋日出夫弁護士紹介。
1969年 – 司法研修所入所(23期・澤藤と同期)
1971年 – 司法研修所卒業 弁護士登録(長野県、旧林百郎事務所)
1974年 – 自由法曹団長野県支部事務局長
1976年 – 日本弁護士連合会公害対策委員
1979年 – 長野県弁護士会副会長
1990年 – 第39回衆院選当選(日本共産党公認・旧長野3区・1期目)
1996年 -第41回衆院選当選(日本共産党公認・長野4区・2期目)
2000年 – 第42回衆院選当選(日本共産党公認・長野4区・3期目)
(2017年11月16日)
一昨日(11月13日)奈良で、心許す仲間だけの同期会を開いた。
参加者は、1969年4月から71年4月までの修習をともにした23期の13人。当時の修習生活動をともにした仲間。最初の出会いが、48年前のことである。当時はみんな二十代。今は、全員古稀を超えている。
幹事役から、「弁護士13名が元気で参加できたことは現地幹事としてうれしい限り」「恒例の通り、大声で、楽しく、笑い、茶化しながらの同窓会が終了しました」というメーリングリストへの報告があった。話が尽きない。時間が足りない。あとは次回への持ち越し。
昔の仲間と会うことは、あの頃の自分と出会うこと。あの頃の自分を思い出し、あの頃の志と向かい合うことでもある。
確かに、みな髪は薄くなり、白くはなったが、話を始めるとすぐにあの頃に戻る。みんな、昔と少しも変わっていない。その変わりのなさに驚ろかざるを得ない。
13人のうちの11人は、弁護士ひとすじで今年が47年目となる。2人が裁判官として任官して今は弁護士。あの頃の志を頑固に職業生活に生かし続けてこられたということは、恵まれたことであり、贅沢なことでもあると思う。
皆、清貧に生きてきたとも見えないが、富貴を望まず、名利を求めずの姿勢を貫いてきたことがよく分かる。政権にも資本にも迎合することなく、弱者の立場で強者に抵抗を試みてきた弁護士たちだ。
参加者の気持を代弁した発言があった。
「あの頃、司法行政は我々の運動を弾圧して、7人の裁判官希望を拒否し、さらにその抗議の声をあげた阪口徳雄君の罷免までした。しかし、同時にそれは我々を鍛え、団結させることでもあった。」「23期が初志を貫いてこられたのは、政権と一体になった反動石田和外や最高裁当局のお陰でもある。」
私も、そう思い続けてきた。もう50年に近い昔のことなのに、あの頃のことを思うと、新たな怒りが吹き出してくる。理不尽なものへの憤り。負けてなるものかというエネルギーの源泉。
事後に、こんなメールもいただいた。
「憲法改悪が具体的日程にのぼっているなかで、私たちのこれまでのあり方の真価(進化)が問われているように思います。防戦では無く「安倍政治」に決着をつけるときが迫っていると思うと、少しドキリとしませんか?ドキリこそ若返りの秘訣です。」「具体的な話題をわかりやすく提供していくこと、「老害」と言わせないためにも、いつまでも「青春」でいるためにも、心がけたいものです。」
その通り。今は、怒りのエネルギーを安倍改憲阻止に向けなければならない。
さて、先日ご紹介した1000年前の同窓会の詩を、あらためてもう一度。本当にこのとおりだったという事後の感想を込めて。
同榜同僚同里客
班毛素髪入華筵
三杯耳熱歌声発
猶喜歓情似少年
読み下しは以下のとおりかと思う。
同榜 同僚 同里の客
班毛 素髪 華筵に入る
三杯 耳熱くして歌声発す
猶お喜ぶ 歓情の少年に似たるを
(註 「同榜」は合格掲示板に名を連ねた同窓。「素髪」は白髪頭。「班毛」はごま塩頭。いずれも老人を指す。「華筵」はにぎやかな饗宴のこと)
拙訳はころころ変わる。今は、こんなところ。
口角に泡を飛ばした若き日の
同期の友らと宴の席に
飲んではしゃいで語って熱い
おれもおまえも変わらない
気持は変わらない。しかし、志においては、北宋の詩人よりも我々の方が格段に高い。それは誇るにたりることだ。
(2017年11月15日)
本日は定例の「本郷・湯島九条の会」の街頭宣伝行動の日。だが、あいにく、私は東京にいない。代わって、澤藤大河がマイクを握った。下記の内容であったという。
ご通行中の皆さま。恒例の「本郷・湯島九条の会」からの訴えです。
安倍首相は、今年の5月以来憲法9条改正を明言しています。
どのような形になるか、具体案はまだ明らかになってはいませんが、現行の憲法9条の1項と2項をそのままにして、9条に第3項を付け加える意向と伝えられています。たとえば「前項の規定にかかわらず、自衛隊を違憲と解釈してはならない」などという第3項案が漏れ聞こえてきます。
安倍首相のねらいは、国民の改憲に対する抵抗感をできるだけ小さくすること。そして、それでいて国政の選択肢をしっかりと拡げることにあります。はっきり言えば戦争という選択肢をもつ国家を作ること。自衛隊を戦争のできる組織に変えようということなのです。
国民の抵抗感を薄めるために、安倍首相は、「9条を改憲しても、自衛隊の実態は変わらない」とか、「国ができることは同じまま」などと言っています。しかし、本当に、「変わらない」のでしようか。「同じまま」なのでしょうか。
改正しても、政府のできることが今と全く同じなのであれば、巨額の費用をかけて憲法改正など行う必要はないはずです。安倍首相の言葉の裏には、今の憲法ではどうしてもできないことを、何とかできるようにしたいという、狙いが隠されています。安倍首相の言葉をそのまま信じてしまうことは危険です。この隠された政権側の強い衝動を見抜かなければなりません。
憲法とは、国家に対する規範です。
国がしてはいけないことを規定することで国の暴走を止め、そのことによって国民を守るための規範です。憲法9条も、「国は絶対に戦争をしてはならない」、「戦争をしないたいための保証として、軍隊を持ってはならない」という規範なのです。
しかし、9条は戦後保守政権の度重なる解釈改憲によって、危機にさらされてきました。日本には巨大な米軍基地と強大な自衛隊があります。そして、安保法制のなかで集団的自衛権の行使までが認められるに至っています。
それでも憲法9条が歯止めとして働いて、許していないことは大きいのです。なによりも、憲法9条がある限り、米軍基地や強大な自衛隊の存在を違憲として批判できます。集団的自衛権の行使を認める安保法制を違憲とする訴訟が進行中です。
また、安保法制が集団的自衛権の行使を認めるに至ったとはいえ、それは「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」という「存立危機事態」に限定されています。安倍政権としては、日本が米軍とともに世界に出て行って戦争をすることに、フリーハンドがほしいのです。
憲法9条に、安保法制によって性格を変えた自衛隊を明記することは、原理的に集団的自衛権行使を任務とする軍事組織を憲法上の存在として認めることにほかなりません。結局は、米軍の弾よけにされ、世界中で戦争をすることができるようになるのです。けっして、9条改憲を許してはならないと思うのです。
これに対して、現実には自衛隊が存在しているのだから、自衛隊を憲法に書き込むことで、政府の統制をしっかりと自衛隊に及ぼすべきだと主張する人もいます。自衛隊を憲法に根拠を有する組織とすることで、立憲主義的統制ないし文民統制を及ぼすべきだというのです。
しかし、これは、本末転倒の議論です。
法律というのは、規範であり、規範というのは現実を規律するものです。
現実に妥協して、規範を現実に合わせてしまっては、規範の意味がありません。
たとえば、刑法199条は殺人罪を定めて、人が殺されることを防止しようとしています。しかし、残念ながら殺人はそれでもなくなりません。そんなとき、私たちは、社会から殺人がなくならない現実に合わせて、殺人罪をなくし、殺人を合法化しようとするでしょうか。
法は理想を追求し、現実をリードし規律するものです。法が、現実に屈してあきらめてはならないのです。平和の理想を捨てることは、現実をさらに危険な方向に動かすことになります。
あるいはまた、日本の軍事力を強化することで、平和を守るべきだという人もいます。そのために9条が邪魔だというのです。
しかし、これは戦争を違法化する国際法の努力を見過ごした議論です。
国際法上、戦争は基本的に違法であり、特に侵略戦争は絶対に違法化されています。
戦争を憎み平和を愛する諸国民の国際世論や、戦争を違法化する国際法の到達点を無視し、軍事的な威圧が平和をもたらすというのは、あまりに偏った見方です。
現に、日本には、毎年5兆円の防衛費をかけ、20万人以上公務員を有する巨大組織である自衛隊が存在していますが、それが軍事的均衡や平和をもたらしているのでしょうか。北朝鮮のミサイル開発を止めることができたのでしょうか。
これでは、足りないというのであれば、あと、何兆円かけ、何万人の定員の組織にすれば、ミサイルを止められるというのでしょうか。
憲法9条は、日本に軍隊を持たせず、戦争をさせないための規範です。
軍隊を持たず、交戦権もなければ、戦争を起こせるはずがないからです。
他国からの侵略を防ぐためにも、憲法9条は、有効なのです。他国を軍事的に威圧しなければ、他国から脅威と思われないからです。
9条を遵守し、本当に他国に脅威を与えなければ、日本が標的にされることはありません。
今、日本の外交は、トランプに寄り添い、トランプに追随するばかりです。
真に平和を目指すのであれば、9条を遵守し、積極的に軍事的緊張を緩和すべく、あらゆる地域で平和外交を進めるべきです。
日本が第二次世界大戦後戦争をしていないことは、外交上とても大きな財産です。
さらに、唯一の被爆国として、また、戦争を放棄し軍備の不保持を宣言した平和国家として、世界的な権威を獲得することが可能です。そうすれば、平和外交による自国の平和も維持できます。それが、本来の憲法9条の理念にほかなりません。
この憲法9条の平和主義の理念は、けっして空想的なものではなく、現実的な平和維持の手段として理解すべきなのです。
(2017年11月14日)
池田眞規さんが亡くなられたのは、昨年の今日・2016年11月13日。
池田さんをご存じない方は、当ブログの下記記事(2016年11月16日)をご覧いただきたい。
池田眞規さんを悼む
https://article9.jp/wordpress/?p=7705
没後1年の今日(2017年11月13日)を発行日付とする下記の書が日本評論社から発刊された。
「核兵器のない世界を求めてー反核平和をつらぬいた弁護士 池田眞規」
池田眞規著作集刊行委員会の編になるもの。反核平和をつらぬいた、一人の弁護士の人生とその情熱がこの一冊に凝縮されている。没後一年をかけて、反核法協を中心とする後輩弁護士が中心となって編集したもの。
一昨日(11月11日)、この書物の出版記念会があった。被爆者・反核運動・弁護士・医療者等々の多彩な関係者の集いだった。湿っぽさのない「楽しい集会」と言って不謹慎でないのは、池田さんの人徳だろう。
会の冒頭に池田さんの生涯がスライドで紹介された。朝鮮の大邱で生まれ、釜山の中学生だった池田さんがどのように敗戦を迎え、どのように戦後を生きたか。なぜ、何を目指して弁護士となり、どのようにして「反核」弁護士となったのか。どのように人との輪を作り、繋げていったのか。よくできたナレーションだった。
資料を集めてこのスライドを作った佐藤むつみさん、この書物の中で「池田眞規小伝」を書いた丸山重威さんらが、「さながら、戦後史を見るような人生」と言っていたのが印象に深かった。
個人的には、懐かしい顔ぶれとも出会うことができ、文字には残せないエピソードの数々も聞けて、楽しいひとときだった。眞規さん、ありがとう。
(2017年11月13日)
日本民主法律家協会の秋の行事として定着している司法制度研究集会(「司研集会」)が、今年で48回目となる。今回のテーマは、「憲法施行70年・司法はどうあるべきか―戦前、戦後、そして いま」。
憲法施行70年というスパンで日本の司法制度を俯瞰しようという試み。よく知られているとおり、戦後民主化の過程で裁判官にパージはなかった。天皇の名による裁判に従事した戦前の裁判官が、そのまま戦後の日本国憲法の砦と位置づけられた司法を担ったのだ。昨日までは不敬罪を裁き治安維持法で有罪を宣告し、あるいは京城の裁判所で朝鮮独立運動弾圧に一役買っていた裁判官たちが、人権の守り手たるべき地位に就いた。昨日までは国体の護持のために、今日からは基本的人権擁護のために…。この転身はどのくらい成功したのだろうか。
それから70年。戦後の司法は何をし、何をしなかったのか。この70年、憲法の理念に照らして、ふさわしい司法であったであろうか。政権によって露骨な憲法攻撃が行われている今、司法はどうすれば憲法理念の守り手としての本来の使命を達成できるのだろうか。この実践的課題に興味をもつ方のご参加を呼びかけたい。
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日本民主法律家協会(日民協)では,次のとおり,「第48回司法制度研究集会」を開催します。
日時:11月23日(木・祝)午後1時?5時
場所:全国町村会館ホールA(地図は下記URLをご覧下さい)
http://www.jdla.jp/shihouseido/2017.pdf
テーマ:憲法施行70年・司法はどうあるべきかー戦前・戦後,そしていま
基調講演:内田博文先生(九州大学名誉教授・神戸学院大学教授)
プログラム
受付開始 ………… 12 :30
開 会 ………… 13 : 00
開会の挨拶?? 右崎正博(日本民主法律家協会理事長)
■基調報告…………………13 : 10?1 4 : 40
内田博文(九州大学名誉教授/神戸学院大学教授)
…………休憩…………
■特別発言 ………………………14 : 55~15 : 40
内田先生の基調報告をうけ、花田政道先生(元裁判官・弁護士)、岡田正則先生(早稲田大学教授・行政法研究者)などからの特別発言を予定しています。
■質疑応答・討論……………15 : 40~16 : 45
■集会のまとめ………………16 : 45~17 : 00
新屋達之(日本民主法律家協会司法制度委員会委員長)
今年は,憲法施行70周年の年です。
安倍首相の9条改憲案,共謀罪の強行採決,臨時国会招集請求の放置,突然の解散総選挙,与党3分の2の議席獲得等々,あまりにも反憲法的な動きがあわただしく,忘れられているようですが……。
このような情勢の下,今年の日民協の司法制度研究集会は,戦前の司法制度・治安維持法,そして戦後の法制史の研究者でもある内田博文先生をお招きして,いまの状況が戦前と似ていないか,そもそも戦前の司法の責任が果たして新憲法下で反省・克服されてきたのだろうかという視点から,憲法施行後の70年の日本の司法を振り返っていただき,人権の砦としての司法を国民の手に取り戻すにはどうしたらよいかという問題提起をしていただきます。
元裁判官や行政法学者にもコメントをいただいた上で,会場からの質疑応答やご意見にもたっぷり時間をとる予定です。
どなたでも参加できますので,ぜひご参加下さい。
なお,資料準備などのため前記URLを開いて添付の申込み用紙で事前に参加申込をいただければ有り難いのですが,事前申込みがなくても自由にご参加いただけます。
みなさまのご参加を心からお待ちしております。
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日本民主法律家協会・第48回司法制度研究集会
「憲法施行70年・司法はどうあるべきか―戦前、戦後、そして いま」おさそい
日本国憲法施行70年の今年は、安倍首相による憲 法9条改憲のメッセージ、共謀罪法の強行採決、臨時国会冒頭での衆議院解散、与党が再び3分の2を維持と激動の年になり、私たちはまさに9条の改憲・戦争への道を許すのかどうかの岐路に立たされています。
こうした情勢の下、昨年の辺野古訴訟の高裁・最高裁判決などを見ると、司法が「政治」に積極的な支持を与えており、トランプ政権下のアメリカの司法と比べても、日本の司法の「弱さ」を痛感させられます。
そこで、今年の司法制度研究集会は、戦前・戦後の司法制度に詳しい内田博文教授(神戸学院大学・九州大学名誉教授)をお招きして、旧憲法下の「戦時司法」が、戦後、日本国憲法の制定により、果たして反省・総括され克服されたのかという視点から、憲法施行後70年の日本の司法を振り返っていただくと共に、人権保障の砦としての司法を国民の手に取り戻すにはどうしたらよいかという問題提起をしていただきます。
また、講演を受けて、元裁判官、行政法研究者等の方々からそれぞれの視点でご発言をいただくことを予定しております。
どなたでも参加できます。ふるってご参加下さい。
内田博文先生略歴
(九州大学名誉教授/神戸学院大学教授)
九州大学法学部教授を経て、2010年より神戸学院大学法科大学院教授。日本刑法学会、ハンセン病市民学会(共同代表)等を歴任。著書に「刑法と戦争 戦時治安法制のつくり方」(2015年 みすず書房)、「治安維持法の教訓 権利運動の制限と憲法改正」(2016年 みすず書房)、「治安維持法体制を問う―刑事法の戦後」(近刊予定岩波書店)等多数。
日 本 民 主 法 律 家 協 会
〒160-0022 東京都新宿区新宿1-14-4 AMビル2階
TEL 03-5367-5430 FAX 03-5367-5431
(2017年11月12日)
昨日(11月10日)、DHCスラップ第2次訴訟弁護団は、東京地裁民事第1部に損害賠償請求の反訴状を提出した。平成29年(ワ)第30018号債務不存在確認請求事件(原告DHC及び吉田嘉明・被告澤藤)を本訴とする反訴であるが、これでようやく攻守ところを変えて、私(澤藤)が反訴原告、DHCと吉田嘉明の両名が反訴被告となった。反スラップ訴訟の水準を示す内容の訴状となっている。
この反訴を、とりあえず「DHCスラップ反撃(リベンジ)訴訟」とネーミングしておこう。この反撃の経過をしっかりと公開して、あらゆるスラップ訴訟被害者の参考に供したい。この反訴状は本文20頁、訴状としては簡潔なものとしたが、全文掲載にはやや長文なので、抜粋して紹介する。
請求原因に記載の一連の経過は、DHC・吉田嘉明の前件スラップ提訴が言論の萎縮を狙ったものであることをあらためて浮き彫りにしている。この典型的なDHCスラップに対する反撃訴訟での勝訴は、スラップの抑止に大きな役割を果たすことになる。弁護団の意気込みと力量も十分で、私にも勇気と闘志が湧いてくる。
(2017年11月11日)
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第1 請求の趣旨
1 反訴被告ら(DHCと吉田嘉明)は,反訴原告(澤藤)に対し,連帯して660万円及びこれに対する2014年8月29日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え
2 訴訟費用は反訴被告らの負担とする
3 仮執行の宣言
第2 請求の原因
1 当事者
(1) 反訴原告
反訴原告は,東京弁護士会に所属する弁護士である。1971年に弁護士登録し,これまで日本民主法律家協会事務局長,日弁連消費者問題対策委員長,東京弁護士会消費者委員長などを務めてきた。
2013年3月からインターネット上に「澤藤統一郎の憲法日記」と題するウェブサイト(以下「本件ウェブサイト」という。)を開設し,現在に至るまで1日も欠かすことなく,市民の基本的人権にかかわる様々な社会問題についての意見をブログに掲載している。
(2) 反訴被告ら
反訴被告株式会社ディーエイチシー(以下「反訴被告DHC」という。)は,化粧品の製造販売等を目的とする,資本金33億7729万円の会社であり、反訴被告吉田嘉明(以下「反訴被告吉田」という。)は,反訴被告DHCの代表取締役会長である。
2 反訴被告らによる前訴提起と請求の拡張
(1) 反訴被告吉田の告白事実に対する反訴原告のブログによる批判
反訴原告は、2014年3月27日発売の雑誌「週刊新潮」に掲載された反訴被告吉田の手記(反訴被告吉田が、「みんなの党」の党首であった渡辺喜美衆議院議員(当時。以下「渡辺議員」という。)に密かに8億円余りを貸し付けていたこと等を暴露し、同議員の不明瞭な貸付金使途や変節等を批判するもの。以下「本件手記」という。乙1)や、これに反論した同議員の「ヨッシー日記」と題するウェブサイト上に掲載された同年3月31日付のブログ(乙2)、さらには、同議員の「みんなの党」の党首辞任を取り上げた同年4月8日付の全国紙6社の社説について、本件ウェブサイトに以下の3本のブログ記事を掲載した(乙3の1?3)。
? 2014年3月31日付けの「『DHC・渡辺喜美』事件の本質的批判」と題するもので、反訴被告吉田が渡辺議員に密かに8億円ものカネを貸し付けた行為は、政治を金で買おうとしたものであり、渡辺議員とともに反訴被告吉田の行為も徹底的に批判すべきであるとし、政治資金・選挙資金を透明化する必要性を訴えたもの(乙3の1。以下「本件ブログ1」という。)。
? 同年4月2日付の「『DHC8億円事件』大旦那と幇間 蜜月と破綻」と題するもので、渡辺議員が「ヨッシー日記」に記載した反訴被告吉田からの金銭受領に関する種々の弁明を批判するとともに、政治家とこれを金で操る資本家(スポンサー)との関係を批判したもの(乙3の2。以下「本件ブログ2」という。)。
? 同月8日付の「政治資金の動きはガラス張りでなければならない」と題するもので、渡辺議員が党代表を辞任したことに関する全国紙の各社説が、政治家とそのスポンサーの密かな金のやり取りの問題や、政治資金規正法の不備について論じないことを批判したもの(乙3の3。以下「本件ブログ3」という。)。
(2) 反訴被告らによる訴訟の提起
2014年4月16日、反訴被告らは、別紙訴状を東京地方裁判所に提出して反訴原告に対する訴訟を提起し(乙4)、反訴原告の本件ブログ1ないし3における記述が反訴被告らの名誉を毀損するとして、反訴原告に対し、反訴被告各自に対する1000万円(計2000万円)の支払いと、名誉毀損部分の記述削除、謝罪広告等を求めた(同裁判所平成26年(ワ)第9408号。以下「前件訴訟」という。)。
(3) 前件訴訟に対する反訴原告による批判
反訴原告は、前件訴訟は、反訴被告吉田に対する批判的な言論を封じることを目的とする、いわゆる「スラップ訴訟」であるとして、以下の3本のブログを本件ウェブサイトに掲載した(乙5の1?3)。
? 2014年7月13日付の「いけません 口封じ目的の濫訴ー『DHCスラップ訴訟』を許さない・第1弾」と題するもので、前件訴訟の提訴対象となったブログ1?3の内容を紹介し、民主主義社会における言論の自由、批判の自由の重要性を述べた上で、反訴被告らによる前件訴訟の提起が反訴原告の言論を封殺しようとしたものであると批判したもの(乙5の1。以下「本件ブログ4」という。)。
? 同月14日付の「万国のブロガー団結せよ?『DHCスラップ訴訟』を許さない・第2弾」と題するもので、市民ブログによる情報発信の今日的意義や重要性を説き、経済的強者が市民の意見表明の委縮させる意図をもって行うスラップ訴訟への反対表明を呼びかけたもの(乙5の2。以下「本件ブログ5」という。)。
? 同月15日付の「「言っちゃった 金で政治を買ってると」?『DHCスラップ訴訟』を許さない・第3弾」と題するもので、毎日新聞の読者川柳欄に投稿・掲載された「言っちゃった 金で政治を買ってると」という句(乙5の4)や丸山眞男の著述を引用しながら、前件訴訟の本質と、市民の政治的権力が一部の経済的権力によって蹂躙されないための批判の自由の重要性、その批判を封じようとするスラップ訴訟への批判の重要性を述べたもの(乙5の3。以下「本件ブログ6という」。)。
(4) 反訴被告らによるブログによる批判活動中止の要求と請求額の増額
ア 反訴原告の本件ブログ4ないし6について、反訴被告らは、前件訴訟の2014年7月16日付第1準備書面(乙6)において、反訴原告は反訴被告らへの名誉毀損を繰り返し、前件訴訟が不当提訴である旨を一般読者に訴えかけ、反訴被告らの損害を拡大させているとして、反論は裁判で述べれば足りると主張し、本件ブログによる批判の中止を求めた。
イ これに対して反訴原告は、反訴被告らの要求は言論(批判)の自由を封殺するものであるとの意見を前件訴訟において述べるとともに、本件ブログにおける反訴被告らへの批判を継続した。
同年8月8日には「『政治とカネ』その監視と批判は主権者の任務だ?『DHCスラップ訴訟』を許さない・第15弾」と題するブログ記事を掲載して、改めて政治資金規正法の立法趣旨を説き、反訴原告吉田から渡辺議員に密かに交付された8億円は政治資金でありながら届出がなされない点において「裏金」であり、その授受を規制できないとする解釈は政治資金規正法をザル法に貶めることにほかならないと批判し、さらに、この批判は主権者として期待される働きであり反訴被告らが前件訴訟を提起したのは間違っている、と論じた(乙7。以下「本件ブログ7」という。)。
ウ そうしたところ、反訴被告らは、同年8月29日、別紙訴えの追加的変更申立書を裁判所に提出し、本件ブログ4及び7における記述が反訴被告らの名誉を毀損するなどとして請求の原因を追加するとともに、反訴原告に対する従前の請求額を三倍増し、請求金額を反訴原告各自につき3000万円(計6000万円)に拡張した(乙8の1。以下「本件請求拡張」という。)。
なお、本件請求拡張後の請求の原因については、同日付の「原告第2準備書面」(乙8の2)が全面的に引用されている。
3 前件訴訟の経過と顛末
(1) 反訴被告らの敗訴確定
2015年9月2日、東京地方裁判所は、反訴原告の訴え却下の申し立ては斥けた上で、反訴被告らの請求を全面的に棄却する判決(甲1。以下「本件一審判決」という。)を下した。
反訴被告らは、本件一審判決を不服として、2015年9月15日、東京高等裁判所に控訴を申し立てた。
2016年1月28日、東京高等裁判所は、反訴被告らの控訴を棄却する判決(甲2。以下「本件控訴審判決」という。)を下した。
2016年2月12日、反訴被告らは、本件控訴審判決を不服として最高裁判所に上告受理申立書を提出した。
最高裁判所は、同年10月4日付で上告不受理決定(甲3)をなした。これにより、前件訴訟における反訴被告らの敗訴が確定した。
(2) 関連訴訟等
ア 反訴被告らは、前件訴訟の提起と同時期に、反訴被告吉田の告白記事を契機としてなされた反訴被告らの言動を批判するブログもしくは雑誌記事に対し、反訴原告が知り得たものだけでも9件の名誉毀損訴訟を提起している。これら訴訟は、概ね反訴被告らが敗訴している。
イ また、反訴被告らは、前件訴訟の控訴審判決が出るや、2016年2月12日、反訴被告DHCのウェブサイト上に、反訴被告吉田が執筆した「会長メッセージ」と題する文章を掲載した。
上記文章において、反訴被告吉田は、政界、官僚、マスコミ、法曹界には在日が多く、裁判官も在日、被告側も在日のときには提訴したこちら側が100%の敗訴になる、と主張した(乙9の1)。
ウ さらに、同月21日には、反訴被告らは、反訴被告DHCのウェブサイト上に、反訴被告吉田が執筆した「スラップ訴訟云々に関して」と題する文章を掲載した。
上記文章において、反訴被告吉田は、反訴原告を「虚名の三百代言ごとき」「反日の徒」などの侮辱的表現を用いて罵倒したうえ、「どこの国の人かわからないような似非日本人が跳梁跋扈している世の中には私は断固反対します」と述べていた(乙9の2)。
4 前件訴訟提起と本件請求拡張の違法性
(1) 最高裁判所の判例
最高裁1988(昭和63)年1月26日判決(民集42巻1号1頁)は、訴訟提起が違法となる場合について、以下のとおり判示している。
「民事訴訟を提起した者が敗訴の確定判決を受けた場合において、右訴えの提起が相手方に対する違法な行為といえるのは、当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係(以下「権利等」という。)が事実的、法律的根拠を欠くものであるうえ、提訴者が、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知りえたといえるのにあえて訴えを提起したなど、訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られるものと解するのが相当である。」
(2) 前件訴訟等の違法性
前件訴訟において反訴被告らが主張した権利が事実的、法律的根拠を欠くものであったことは、すでに反訴被告らの請求を棄却する判決が確定したことによって明らかであるが、反訴被告らの前件訴訟の提起及び本件請求拡張(以下、両者を合わせて「前件訴訟等」という。)は、わが国の判例法理を無視した正当な論評に対する不合理(敗訴必然)な訴訟行為であり、通常人であれば、反訴被告らの主張する権利等が事実的、法律的根拠を欠くものであることを、容易に知り得たものである。
また、仮にそうでないとしても、反訴被告らの前件訴訟等は、勝訴判決により権利を回復することを主たる意図としたものではなく、反訴被告らに対する批判者を被告の席に座らせること、また、その可能性を示すことによる批判言論の封殺を意図してなされたものであり、上記最高裁判決が言うところの「裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く」違法な行為に当たるものである。とりわけ、本件請求拡張による請求額の増額は、この点が顕著である。
以下、詳述する。
(3) 反訴被告らの主張する権利等が根拠を欠くことを容易に知り得たこと
ア 本件ブログ1ないし3を対象とする請求について
(ア)本件ブログ1ないし3が論評であること
本件ブログ1は、反訴被告吉田が本件手記により週刊誌に自ら告白した事実をもとに、反訴被告吉田の行為は政治を金で買おうとしたものであり、渡辺議員とともに反訴被告吉田の行為も徹底的に批判されなければならない、との意見を表明したものである(乙3の1)。
また、本件ブログ2及び3は、本件手記の内容と関連のある渡辺議員の「ヨッシー日記」や全国紙の社説の論評について反訴原告の意見を表明するとともに、これに付随して、本件ブログ1で述べた反訴被告吉田の告白事実に対する批判を再述したものに過ぎない(乙3の2?3)。
本件ブログ1ないし3が、いずれも、主に反訴被告吉田が本件手記により自ら週刊誌に告白した事実を前提とする、反訴原告の意見を表明した論評であり、反訴被告吉田の告白事実とは無関係な事実の一方的な摘示や、告白された事実とは無関係な事実を前提になされた批判でないことは、本件ブログの一般的な読者において容易に認識しうるものであった。
(イ)公正な論評の法理が確立した判例となっていること
意見表明による名誉毀損の場合には、その目的が専ら公益を図るものであり、かつ、その前提としている事実が主要な点において真実であるときには、論評の範囲を逸脱したものでない限り、違法性はなく、むしろ健全な民主主義の発展にとっては必要不可欠な行為だとするのが「公正な論評の法理」であり、わが国における確立した判例(最高裁1989(平成元)年12月21日判決(民集43巻12号2252頁など)となっているところである。
(ウ)権利等が根拠を欠くことを容易に知り得たこと
本件ブログ1ないし3において反訴原告が行った論評は、政治家と規制の厳しい健康食品を製造・販売する大企業の代表者との不明朗で多額な金銭貸付の違法性、政治資金規正法を厳格化する必要性の有無など、いわゆる「政治とカネ」の問題に関係する、民主主義の根幹に関わる極めて公共性の高いテーマに関する主張であった。これが公益目的の論評であることは、その内容からしても、また、本件ウェブサイトがこれまでに取り上げてきたテーマとその真っ当な論述内容からしても、疑う余地のないところである。
そして、反訴原告が論評の前提とした事実は、反訴被告吉田が本件手記により自ら週刊誌に告白した事実や、公刊されている新聞紙上に掲載された記事、反訴被告DHCにおいて過去に存在した事実、又は公知の事実であったから、論評の前提事実の真実性については、前件訴訟等においてそもそも検討する必要のないものであった。
このように、本件ブログ1ないし3は、公益目的であること、前提事実に真実性があることがいずれも明らかであったから、公正な論評の法理により違法性が否定されることも明らかであった。
したがって、反訴被告らの、前件訴訟等における、本件ブログ1ないし3が反訴被告らの名誉を毀損する旨の主張は、事実的、法律的根拠を欠くものであることを、通常人であれば容易に知ることができた。
(エ)反訴被告らがあえて前件訴訟を提起したこと
反訴被告らは、本件ブログ1ないし3が反訴被告吉田の告白事実を邪推して誤った事実を摘示するものだと主張し、その表現の一部を捉えて反訴被告らの名誉を侵害しているとし、さらに加えて、各論評は公共の事実に関するものではなく、公益目的でもないとまで強弁して、前件訴訟を提起した。
反訴被告らは、その主張する権利等が根拠を欠くものであることを通常人であれば容易に知り得たにもかかわらず、あえて前件訴訟等を行ったものである。
イ 本件ブログ4及び7を対象とする請求について
(ア)本件ブログ4及び7が論評であること
本件ブログ4は、反訴被告らが前件訴訟を提起したことを前提事実として、民主主義社会における言論の自由、批判の自由の重要性を述べるとともに、前件訴訟の提起は反訴原告の言論を封殺しようとするものだと批判する意見を表明したものである(乙5の1)。
本件ブログ7は、政治資金規正法の立法趣旨から、反訴原告吉田から渡辺議員に8億円もの貸付を行った行為が規正できないのでは政治資金規正法をザル法に貶めることになると批判し、さらに、そのような批判の声を挙げることは主権者として期待される働きであり、これに対して反訴被告らが前件訴訟を提起したことはスラップであり間違っている、との意見を表明したものである(乙7)。
本件ブログ4及び7が、いずれも反訴被告らが前件訴訟を提起した事実や反訴被告吉田の告白事実を前提とする、反訴原告の意見を表明した論評であることは、本件ブログの一般的な読者において容易に認識しうるものであった。
(イ)権利等が根拠を欠くことを容易に知り得たこと
本件ブログ4及び7において反訴原告が行った論評は、本件ブログ1ないし3でも論じた政治とカネの問題に加え、そのような問題について批判し声を上げることが重要であることや、経済的強者が批判を封じる目的で提起するスラップ訴訟が許されるべきでないという、表現の自由と裁判制度のあり方の問題に関するものであり、いずれも公共性の極めて高いテーマに関する主張であって、その内容に照らし、公益を目的とする論評であることは明らかであった。
また、反訴原告が論評の前提とした事実は、反訴被告吉田が本件手記により自ら週刊誌に告白した事実に加え、反訴被告らが前件訴訟を提起した事実であり、真実性に疑いの余地はなかった。
このように、本件ブログ4及び7は、公益目的であること、前提事実に真実性があることがいずれも明らかであったから、公正な論評の法理により違法性が否定されることも明らかであった。
したがって、反訴被告らの、前件訴訟等における、本件ブログ4及び7が反訴被告らの名誉を毀損する旨の主張は、事実的、法律的根拠を欠くものであることを、通常人であれば容易に知ることができた。
(ウ)反訴被告らがあえて本件請求拡張を行ったこと
反訴被告らは、前件訴訟はスラップ訴訟であり訴権を濫用するものだとした反訴原告の本件ブログ4ないし6による論評に対して、反訴被告らの名誉侵害を拡大するもので許されないとしてその中止を求め、反訴原告がこれに異議を述べて批判を継続するや、本件ブログ4及び7に反訴被告らの名誉を棄損する部分があるとして、従前の請求額を三倍増する本件請求拡張を行った。
反訴被告らは、その主張する権利等が根拠を欠くものであることを通常人であれば容易に知り得たにもかかわらず、あえて本件請求拡張を行ったものである。
ウ 小括
以上のとおり、反訴被告らの前件訴訟等は、権利等が根拠を欠くものであることを通常人であれば容易に知り得たにもかかわらず、あえてなされたものであるから、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く違法なものというべきである。
(4) 前件訴訟等の主たる目的が批判的言論の封殺にあったこと
ア 十分な検討を行った形跡がないこと
反訴被告らの請求に事実的、法律的根拠があるか否かについて、反訴被告らが十分な検討を行った形跡はない。
反訴原告が本件ブログ1ないし3を掲載したのは、それぞれ、2014年3月31日、同年4月2日、同月8日のことであった。これに対して、反訴被告らが前件訴訟を提起したのは同月16日、本件ブログ3の掲載からわずか8日後であった。
また、反訴原告が本件ブログ4及び7を掲載したのはそれぞれ同年7月13日、同年8月8日であったが、反訴被告らが本件請求拡張を行ったのは同月29日であり、本件ブログ7の掲載から21日後であった。
このように、反訴原告が本件各ブログを掲載してから反訴被告らが前件訴訟等を行うまでの期間は極めて短かった。
また、この種の事案においては、訴訟提起前に本件各ブログの削除を求める通知を送付するなどして事前交渉を行うことが通常となっているが、反訴被告らは、事前交渉を経ることなく、突然前件訴訟を提起している。
反訴被告らが十分な検討を行った形跡がないことは、前件訴訟等が反訴被告らの権利救済を目的とするものではなく、反訴原告を提訴による精神的、経済的負担によって威嚇し、反訴原告の批判的言論を封殺する目的のものであったことを裏付けるものである。
イ 本件請求拡張を行ったこと
反訴被告らは、前件訴訟の提起後、前件訴訟はスラップ訴訟であって裁判の濫用であるとした反訴原告の論評(本件ブログ4ないし6)に対して、反訴被告らの名誉侵害を拡大するもので許されないとしてその中止を求め、反訴原告がこれに異議を述べて批判を継続するや、本件ブログ4及び7が原告の名誉を毀損するなどとして、従前の請求額を三倍増する本件請求拡張を行った。
しかし、本件ブログ4及び7における吉田の告白事実に対する批判部分は、本件ブログ1ないし3の再述(要約)にすぎず(反訴原告はブログ中にこのことを明記している)、論旨の中核はスラップ訴訟批判である。
しかるところ、前件訴訟がスラップ訴訟に当たるという指摘は、論評以外の何物でもない。この論評の前提事実に真実性が備わり、論評の公共性、公益目的性の各要件を充足していることも論を待たない。
結局、反訴被告らは、反訴原告のスラップ訴訟に関する論評を封じる目的だけの理由から、その請求額を、名誉毀損の裁判では到底容認される見込みのない6000万円にまで増額し、反訴原告を威圧しようとしたのである。
ウ 反訴被告らが前件訴訟等を含め合計10件の訴訟を提起していたこと
反訴被告らは、本件名誉毀損訴訟を提起した際、これとほぼ同時に、反訴被告らに対する批判的言論を行った者に対する9件の名誉毀損訴訟を提起していた。
この事実は、反訴被告らが、反訴被告らに対する批判的な言論を許容しないという姿勢をとり、批判的言論の具体的内容いかんにかかわらず名誉毀損訴訟を提起する方針をとっていたことを示している。
エ 本訴における反訴被告らの主張
反訴被告らの前件訴訟等の目的が反訴原告の言論封殺にあったことは、本訴の訴状における文言の端々にも現われている。
例えば、反訴被告らは、本訴訴状の請求の原因第5項において、反訴原告の本件ブログについて「このような事実無根の誹謗中傷をネットに書き散らす行為が許容される事態は社会的に問題である」と主張しているが、この主張は、正当な論評とそれによる社会的評価の低下に関する判例法理に対して反訴被告らが未だに無理解であることを露呈させており、今後も反訴被告らを批判する正当な論評に対して反訴被告らが名誉棄損訴訟を提起するおそれのあることが懸念される。
さらに、請求の原因第7項には、反訴原告が「自身のブログにおいて、性懲りもなく、未だに原告らの提訴がスラップ訴訟である旨主張し続けており」との記載がある。前件訴訟等がスラップ訴訟であるか否かに関する本件ブログの記載が適法な論評であったことは、すでに判決において正当に認定されたところであるが、「性懲りもなく」との表現は、あたかも反訴原告の方が違法な行為をしているかのように示唆するものである。
これら請求の原因の記載は、反訴被告らが、反訴被告らに対する論評が適法なものであるか否かに関わらず許容する意志がなく、「事実無根の誹謗中傷」として提訴対象とする姿勢を有していることを示している。
なお、反訴原告は、健全な司法制度の維持、発展のためには、弁護士として、引き続きそのことを主張し続ける必要があると考えている。その内容の妥当性は、賢明な読者が判断するものである。
オ 小括
以上に述べた事実に加え、反訴被告らが前件訴訟等において本件ブログの公共性や公益目的性に関して行った不合理な強弁などに照らせば、反訴被告らは、批判的な言論を行った反訴原告を訴訟の被告とすることによって精神的、経済的その他の負担をかけることによる威圧効果を狙って前件訴訟等を提起したものと考えられる。
すなわち、前件提訴等は反訴原告の言論を封殺することを主たる目的としてなされたものであり、反訴被告らの権利救済を意図したものではなかった。
このような裁判の利用は、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものであり、前掲の1988(昭和63)年最高裁判決が違法と判示するところである。
なお、反訴被告らは、本訴の訴状において、前件訴訟が不適法却下されなかったことをもって前件訴訟等の違法性を否定する主張をしているが、訴訟の却下要件と違法提訴の判断基準は異なるものである。
そもそも、裁判所が反訴原告のスラップ訴訟の主張を容れず実体判断に至った理由には、わが国でのスラップ訴訟に関する裁判例が乏しいことも一因としてあったと考えられるが、何よりも、(スラップ訴訟を規制する立法により訴訟却下の要件が法律により定められている諸外国の場合とは異なり)原告の請求がスラップ訴訟に該当するかどうかを判断するためには結局のところ本案の実体判断に入らざるを得ないというわが国の訴訟法の構造上の問題がある。
本件一審判決における実体判断の説示内容は、反訴被告らが名誉毀損に当たると主張した記述は反訴被告らに関係のない記述か、又は、反訴被告吉田の告白事実に関する意見であった、ということで一環しており、本件が、勝訴の見込みのないスラップ訴訟であったことを十分に窺わせるものとなっている。本件高裁判決の説示は、この点がなお一層顕著である。
(5) 本件提訴等は条理(「裁判を受ける権利」に優越する「言論の自由」)に違反する行為であったこと
仮に、反訴被告らに反訴原告の言論を封殺しようという目的があったとまでは認められないとしても、以下に述べるとおり、前件訴訟等は、「高度に公共的な事項や公人・経済的強者に対する批判的な意見ないし論評については、前提事実に明らかな誤りがある場合でなければ名誉毀損訴訟を提起することは許されない」というという条理に違反してなされた違法な行為(「裁判を受ける権利」に優越する「言論の自由」の侵害)であった。
ア 条理の存在
(ア)高度に公共的な事項や公人に対する批判的な意見ないし論評の重要性
憲法21条1項は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定めている。
表現の自由を支える社会的価値として、?個人が言論活動を通じて自己の人格を発展させるという個人的な価値(自己実現の価値)と、?言論活動によって国民が政治的意志決定に関与するという民主政に資する社会的な価値(自己統治の価値)があり、これによって表現の自由は、他の諸権利よりも優越的な地位にあるものと位置付けられている。
さらに、表現の自由の意義として、各人が自己の意見を自由に表明し競争することによって真理に到達することができる、という「思想の自由市場論」が提唱されており、ここからも表現の自由の優越的地位を導くことができる。
高度に公共的な事項や公人・経済的強者に対する批判的な意見ないし論評は、権力者や社会的強者に対して主権者たる市民が世論を喚起して対抗するための重要な手段であり、表現活動の中でも特に「自己統治の価値」の側面を強く有するものである(本件ブログ6で引用されている丸山眞男の著述参照)。
したがって、高度に公共的な事項や公人・経済的強者に対する批判的な意見ないし論評は、表現行為の中においても特に重要なものとして手厚い保障を与えるべきとされる。
(イ)名誉毀損訴訟が表現活動を抑圧し萎縮させる効果を持つこと
公共的な言論に対して名誉毀損訴訟が提起されると、表現活動を行った者は否応なく被告の立場に置かれ、応訴を強いられることになる。訴訟を提起されることは、弁護士であるか否かを問わず、万人にとって極めて不快なことであり、応訴のために費やさなければならない金銭、時間、労力は決して小さなものではない。
さらに、提訴された当事者に限らず、社会一般の表現活動に萎縮効果をもたらすことも重大である。被提訴者がいわば見せしめとなり、同様の見解を持っていたマスコミや市民は「同じ目には遭いたくない」と思いから萎縮し、公共的な言論を控えることで世論は不活性化し、市民は共同体意識を失って民主主義は衰退するのである。
(ウ)小括
健全な民主主義を維持、発展させるためには、高度に公共的な事項や公人・経済的強者に対する批判的な意見ないし論評は表現行為の中においても特別に保護される必要があるが、他方、裁判制度にアクセスし易い公人や経済的強者は、自己の批判を名誉毀損訴訟で封ずる誘惑に駆られることが多い。しかし、このような訴訟の提起を常に容認することは、表現者に過酷な応訴負担、マスコミを始めとした社会一般に言論萎縮の効果をもたらす結果となり、個人の自己統治、自己統治された個人の参加による民主主義の実現を失わせることとなる。
ここから、「高度に公共的な事項や公人・経済的強者に対する批判的な意見ないし論評については、前提事実に明らかな誤りがある場合でなければ名誉毀損訴訟を提起することは許されない」との条理が導かれるものである。
イ 前件訴訟等の対象がいずれも高度に公共的な事項や公人に対する批判的な意見ないし論評であったこと
本件ブログ1ないし3は、反訴被告吉田が週刊誌に公表した手記(国会議員に対する8億円という巨額資金の密かな貸付)を題材に、政治の過程における政治と金銭、いわゆる「政治とカネ」の問題について反訴原告の批判的な意見ないし論評を記載したものである。
「政治とカネ」の問題は、民主政の根幹に関わる重大なテーマであり、高度に公共的な事項といえる。
また、反訴被告DHCは、健康食品業界におけるトップ企業の一つとして社会に広く知られ、反訴被告吉田はそのオーナーかつ代表者で、政治家に対して8億円もの貸付けを行ったことを週刊誌に公表した者なのであるから、いずれも公人ないし公人に準ずる者であり、政治をその資金力で左右する可能性を持つ経済的強者である。
本件ブログ4及び7は、反訴被告らの本件提訴等について、これが言論封殺の効果を有するいわゆる「スラップ訴訟」に当たるとの観点から、批判的な意見ないし論評を記載したものである。
スラップ訴訟は、裁判制度のあり方や、表現の自由と裁判制度の関わり方に関するものであり、高度に公共的な事項に当たる。
ウ 前件訴訟等が条理に違反すること
以上のとおり、反訴原告の本件各ブログは、いずれも高度に公共的な事項や公人・経済的強者に対する批判的な意見ないし論評であったところ、前件訴訟等は、この批判的な意見ないし論評に対して提起された名誉毀損訴訟である。
反訴原告の本件各ブログの前提事実は、反訴被告吉田が本件手記により自ら告白した事実や、前件訴訟が提起された事実などであり、いずれも真実性は明らかであった。
したがって、本件提訴等は、「高度に公共的な事項や公人・経済的強者に対する批判的な意見ないし論評については、前提事実に明らかな誤りがある場合でなければ名誉毀損訴訟を提起することは許されない」という条理に違反してなされたものであり、違法な行為であった。
5 反訴原告の損害
(1) 前件訴訟等に応訴するための弁護士費用:500万円
反訴被告らが前件訴訟を提起し、さらに本件請求拡張を行ったことにより、反訴原告は、弁護士を代理人として反訴被告らの請求を争わなければならなかった。本件名誉毀損訴訟では、計110名の弁護士が反訴原告の代理人に就任しているが、これら代理人に対する弁護士費用の支払いは、前件訴訟等の提起がなければ発生することのなかった費用である。
(旧)日弁連報酬等基準規程によれば、経済的利益の額が6000万円の場合における弁護士費用の標準額は、着手金249万円、報酬金498万円とされている(いずれも税別)。上記規定は2004年4月1日に廃止されたが、適正な弁護士費用を算定するための基準として、現在も広く用いられている。
本件名誉毀損訴訟では、反訴被告らの請求額6000万円が経済的利益の額となるから、記述の削除や謝罪広告等の請求を考慮しない場合でも、標準的な弁護士費用は着手金249万円、請求を排斥したことによる報酬金498万円(いずれも税別)である。
したがって、本件名誉毀損訴訟に応訴するための弁護士費用として反訴被告らの不法行為と相当因果関係のある損害は、少なくとも500万円を下るものではない。
(2) 精神的損害:500万円
反訴被告らが不当な前件訴訟等を行ったことにより、反訴原告は、応訴による肉体的、時間的、精神的負担を余儀なくされた。しかも、請求額が6000万円という高額なものだったことから、反訴原告の精神的負担は極めて大きなものとなった。
この反訴原告の精神的損害に対する慰謝料の額は500万円を下らない。
(3) 本訴訟提起のための弁護士費用:100万円
反訴被告らの不法行為に対する損害賠償請求のため、反訴原告は本件反訴を提起せざるを得なかった。反訴被告らの不法行為と相当因果関係のある弁護士費用は100万円を下らない。
9 結語
よって、反訴原告は、不法行為に基づき、反訴被告らに対して、上記損害の一部請求として、連帯して660万円及びこれに対する反訴被告らが本件名誉毀損訴訟における請求を拡張した日である2014年8月29日から支払済みまで年5%の割合による遅延損害金の支払いをもとめる。
以上