澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

衆議院沖縄3区補選 革新側候補統一に ー 瑞慶山茂君の出馬撤回を評価する

今年(2019年)は亥年、統一地方選と参院選が重なる「選挙の年」。7月参院選が憲法の命運を決める重大な選挙で、今年の統一地方選は地方選独自の課題だけでなく、参院選の前哨戦としての意味も大きい。その統一地方選の前半戦(4月7日)の告示日が今日となり、いよいよ選挙イヤー始動である。

ところで、同じ重要性をもつ衆議院議員の補選が二つ(大阪12区・沖縄3区)ある。なかでも、玉城デニーの沖縄県知事選挙出馬によって空位となっている衆院沖縄3区補選の成り行きが注目される。4月9日告示で、投開票が1カ月後の4月21日。

前回(17年10月22日)総選挙の開票結果は下記のとおり。
当 玉城デニー 58 無所属    前 95,517票(57.9%)
次 比嘉奈津美 59 自民(公推薦)前 66,527票(40.3%)

今回の補選では、「オール沖縄」がフリージャーナリスト(元・琉球新報記者)の屋良朝博を擁立し、自民党が島尻安伊子(元沖縄担当相)を公認して公明・維新がこれを支える。改憲推進派と護憲派、基地推進勢力と基地反対勢力との一騎打ちとなる見通し、と報道されてきた。

しかし、選挙の争点は、基地問題だけではない。中央政権がチラつかせる経済振興策というエサに対する対応も大きな争点とならざるを得ない。デニー後継の屋良圧勝とは単純にならない。それに、島尻の評判はともかく知名度の高さは大きな武器である。新人屋良の知名度はけっして高くはない。要するに、接戦は必至なのだ。

この情勢で、革新陣営にある弁護士・瑞慶山茂が立候補を表明した。彼は、沖縄戦の民間戦争被害国賠訴訟弁護団長、「南洋戦」被害国賠訴訟弁護団長として知られる。

彼は私と修習同期(23期)。同期というだけでなく、1年4か月の実務修習を、東京の同じ班でともにした。実務修習をともにしただけでなく、カリキュラム外の活動もともにして、お互い信条も心情も理解したと思っていた。彼が革新陣営の弁護士であることに疑問の余地はない。

その彼の突然の立候補表明には、戸惑わざるを得なかった。もちろん、立候補は権利である。彼の立候補が売名であるはずはない。しかし、革新が共同を求められているこの政治状況の中で、革新の票を割る、あるいは「オール沖縄」票を削ることになりはすまいか。という危惧である。やきもきしている内に、昨日(3月20日)午後、メーリングリストに彼の投稿があった。ホッとしている。

23期の皆様へ

衆院沖縄3区補選の件につきまして、本日、屋良朝博氏と政策協定を結びましたので、ご報告いたします。
協定書を添付いたしますので、ご確認下さい。
やむを得ずの出馬表明でしたが、その話はまた改めて。
今後とも宜しくお願いいたします。

その政策協定のなかに、瑞慶山茂は、支援者と自らの思いを屋良朝博に託すことにし、出馬を取りやめ、沖縄基地問題に正面から取り組み、戦争政策に反対し、今回の補欠選挙に出馬の準備を進めている屋良朝博を推して、本補欠選挙に臨み、屋良朝博の必勝に向けて支援する決意をした。」とある。潔さを印象づけた立派な下り方で、筋を通している。

政策協定全文は以下のとおりである。雨降って、地はより強固になったと理解している。
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衆議院沖縄3区補欠選挙に向けた
屋良朝博と瑞慶山茂の政策協定書

衆議院沖縄3区補欠選挙が4月9日告示、同21日投開票で実施される。弁護士・瑞慶山茂は、この間、先の大戦における沖縄戦の民間被害者および旧南洋群島・フィリピン群島などで戦禍に巻き込まれた県出身住民や遺族らに対する国の謝罪と損害賠償を求める国家賠償訴訟の弁護団長として取り組んできた。また、沖縄戦等被害者や全国の空襲被害者と遺族らの救済を国の責任において行う「空襲被害者等援護法案」及び「沖縄戦時行為等被害者等援護特別措置法案」(仮称)の制定をめざして立法活動を行ってきた。
そのため、「沖縄・平和の党」を設立し、今回の補欠選挙に出馬表明を行ったが、このたび、屋良朝博と直接会う機会があり、沖縄の困難な現状と輝かしい未来について虚心坦懐に話し合った。その結果、瑞慶山茂は、屋良朝博の人柄と深い見識に接し、支援者と自らの思いを屋良朝博に託すことにし、出馬を取りやめ、沖縄基地問題に正面から取り組み、戦争政策に反対し、今回の補欠選挙に出馬の準備を進めている屋良朝博を推して、本補欠選挙に臨み、屋良朝博の必勝に向けて支援する決意をした。
ついては、弁護士・瑞慶山茂とフリーランスライター・屋良朝博は、次のような認識を共有し、本補欠選挙に向けて、未補償のまま放置されている数多くの民間戦災者の救済措置等の実現に係る重点政策に合意するものである。

重点政策

先の大戦から74年になるが、旧軍人・軍属には総額60兆円の援護がなされている一方、多くの方々が戦災者として今なお、身体的精神的障害や後遺症に苦しみ、ご遺族への弔慰もない状況が続いている。そんな中、従来の空襲訴訟において司法は「立法を通じて解決すべきだ」との判断を下し、また、ドイツやフランスなど諸外国では民間人も軍人も分け隔てなく平等に補償していることを踏まえれば、日本政府は国の責任において民間の戦争被害者の救済措置を講じるべきであると考え、次の課題及び政策実現に共に取り組むものである。
1、国に対し、先の大戦における空襲や地上戦などの民間の被害者への謝罪とその救済および被害実態の徹底した調査を求めていく。
2、「空襲被害者等援護法を実現する議員連盟(超党派)の活動を通して、「空襲被害者等援護法案」および「沖縄戦時行為等被害者等援護特別措置法案」(仮称)の制定に全力をあげる。
3、戦争につながる米軍基地の早期撤去を求め、基地のない平和な世果報の沖縄を創り上げていく。
なお、具体的な選挙協力については、今後必要に応じて協議する。

2019年3月20日

フリーランスライター 屋良 朝博 印
弁護士        瑞慶山 茂 印

(2019年3月21日)

天皇への迎合は、日本国憲法体系の理念をないがしろにすることである。

昨日(3月19日)の毎日新聞。一面左肩に「象徴天皇としての役割『果たされている』87%」という世論調査記事。二面にも関連の解説記事。いったいなんだ、これは。

この世論調査、質問事項はわずか2項目のシンプルなもの。シンプルなだけでなく、頗る出来が悪い。これで、「象徴天皇制が国民に定着している」との世論誘導の根拠とされることには、大いに違和感がある。

主たる設問が、次の通りである。
◆憲法第1条では、「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」とされていますが、象徴として役割は十分果たされていると思いますか。

まず、一読して、こなれないヘンな文章ではないか。憲法条文の引用部分と、「と思いますか」という質問文を除いた判断対象は、「象徴として役割は十分果たされている」か否かということ。これはいったい何のことだろう。この文には主語がない。意味上の主語は「天皇(個人)」か、「天皇(職位)」か、あるいは「象徴」か、「役割」なのか。「果たされている」の「される」は、文法上の尊敬なのか受け身なのか、それとも自発なのか。

質問の意味を明瞭にしようと書き直せば、いくつも考えられる。
「現天皇(明仁)は、象徴としての役割を十分果たしていると思いますか。」
「天皇という職位は、現天皇(明仁)によって、象徴としての役割を十分果されていると思いますか。」
「天皇という職位の象徴としての役割は、十分果たされている状態と思いますか」
……
果たしてそのどれだろうか。こんな曖昧模糊とした設問への回答で、いったいなにが分かったことになるのだろうか。

仮に、「天皇(明仁)は、象徴としての憲法上の役割を十分に果たしていると思いますか。」という質問の趣旨であるとして、果たしてこれに正確に答えようがあるだろうか。

「象徴としての憲法上の役割」は、極めて曖昧で多義である。「象徴としての天皇の役割」という用語の選択が、既に誘導的な質問になっている。「象徴としての憲法上の役割」を特定せずしの質問に意味のある回答ができようとは思えない。

私は、憲法第1条の「象徴」を、なんの権限も権能もなく、なんの機能も作用もすべきではない、存在するだけの地位を表す用語と解している。「象徴」には積極的意味はない。だから、毎日が「天皇(明仁)は、象徴としての憲法上の役割を十分に果たしているか」という設問自体に大きな違和感があり、本来社会調査にあってはならないミスリードである。

また、天皇とは、内閣の助言と承認に従うのみの存在で、けっしてひとり歩きをしてはならない存在である。従って「象徴としての憲法上の役割を十分に果たしているか」を問うべきでも問われるべきでもない。定量的に、その役割を十分に果たしているとも、不十分であるとも、評価の対象となる立場にはない。

もう一つの設問が、次の通りである。
◆皇室との間に距離を感じますか、感じませんか。

これも、茫漠としてつかみ所のない質問。皇室との「距離を感じる」「感じない」って、いったい何のことだ。何らかの意味のある回答を引き出せるとは到底考えられない。距離も距離感も、何らかの規準や指標に照らしてのものでなくては意味がないからだ。

そんな質問の回答を集計して、毎日は二面の記事に、「『象徴』幅広い層で評価」「『皇室に距離感』5割」と見出しを打っている。記事の内容を拾えば、「(回答者の)計87%が、『象徴』の形を追求し続けてきた天皇陛下の取り組みを評価した形となった。」「一方、皇室との「距離」について「感じる」「ある程度感じる」と答えたのは合計で50%を占めた。」

あたかも、毎日はこう言いたいかのごとくである。国民は天皇(明仁)の象徴天皇のあり方追及を受容しており結構なことだ。しかし、まだまだ国民と皇室との距離感は大きい。これを縮めていくのが、今後の課題ではないか」

「天皇陛下は昨年12月の自身の誕生日に際しての記者会見で『私は即位以来、憲法の下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました』と述べ、『象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝する』と語られていた。」

毎日は、余りに無邪気に余りに無批判に、この記事を書いている。象徴とは何か、象徴天皇とはなにか、象徴天皇制とはいかにあるべきか。それは、主権者国民が決めることであって、天皇が決めることではない。具体的には主権者の意思を反映して内閣が決め、内閣の天皇に対する「助言と承認」というかたちで、天皇に指示をする。天皇が、自ら「象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を求める」などは、明らかに越権行為である。

天皇とは、日本国憲法体系の夾雑物である。例外であり、撹乱要素でもある。日本国憲法本来の理念と体系を大切にしようとすれば、例外である天皇の存在を極小化するしか方法はない。象徴天皇とは内実をもたないものなのだから、その存在はいかようにも切り縮めることが可能である。

国家の運営において、憲法の夾雑物である象徴天皇という存在を極小化することこそが、個人の尊厳を根源的価値とし民主主義を徹底する立場の日本国憲法の理念に適合する所以である。天皇の存在の拡大化は、必然的に日本国憲法のコアな理念と体系を侵蝕することにほかならない。

意識してか否かは知らず。毎日新聞の世論調査と解説記事、まさしく、例外としての象徴天皇を持ち上げることで、日本国憲法の原則をないがしろにするものと批判せざるを得ない。
(2019年3月20日)

「ホロコーストはなかった」 ― トンデモ医師のトンデモ発言の真意

本日(3月19日)の赤旗社会面に、ユダヤ人大虐殺は史実」「現地博物館が高須氏に反論」という記事。さして長いものではないので、全文を引用する。

「第2次大戦下でのナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)についてのアウシュビッツ・ビルケナウ国立博物館(ポーランド南部)が14日、美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長のアウシュビッツは「捏造(ねつぞう)」とのツイート(2015年10月)に対し、公式にツイートで「史実」だと反論しました。

 博物館は高須氏への「返信」に、異例の日本語で「アウシュビッツは世界中の人々の心に絶えず忠告する史実です。ナチス・ドイツによって造られたその強制・絶滅収容所の史跡は、人類史上最大の悲劇を象徴しています」と述べました。博物館の公式ツイートは主に英語やポーランド語です。

 博物館はナチスが推定約110万人を虐殺したアウシュビッツ強制収容所(1940?45年)を管理し、歴史教育の活動などを行っています。ホロコーストや虐殺の否定論についてはホームページで、「多くの国で社会の秩序を脅かすと認識され、法的にも処罰されている」と指摘し、虐殺者こそ虐殺を否定してきたと警戒を呼び掛けています。」

 通信社の配信記事だろうが、赤旗は掲載に値するニュースと判断したのだ。私も、この件を見過ごしてはならないと思う。

高須克弥という人物については、かつて当ブログで1度だけ取りあげたことがある。できれば、こちらもお読みいただきたい。「『落とし前をつけます』と宣告して始められた、議員に対するスラップ訴訟」という表題のもの。(2018年4月24日)
https://article9.jp/wordpress/?p=10258

この人は医師だというが、この人の発言は、およそ医学的な専門性とは無縁。自然科学的教養に裏付けられたものでもない。一市民として、政治や経済あるいは歴史や社会や文学や芸術に、傾聴に値する見識があるかといえば、その片鱗も窺うことができない。

「売られたら買います。僕はアホで馬鹿です。喧嘩強いです」というのが、この人自身の言葉だが、おそらくはその言葉のとおりなのだろう。典型的な、「トンデモ医者」の「トンデモ発言」の類なのだ。

この人はツイッターで、こんな発言をしている。
 その時代に生きていた人は真実を知っています。
 洗脳された人たちは真実がわかりません。
 誤解された父祖の名誉を回復するのは子孫の義務だと思います。
 僕はこのドイツを祖国に持つ女性に負けず、従軍慰安婦も徴用工も南京大虐殺も捏造だと勇気を持って世界に叫びます。
 投獄されてもかまいません

「このドイツを祖国に持つ女性」とは、ホロコーストを否定することで刑事訴追された人物を指している。周知のとおり、国際人権B規約(20条2項)には、「差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道は、法律で禁止する」とある。
これを具体化するかたちで、ドイツだけでなく、フランス、オーストリア、ベルギーなど10か国が、「ナチスドイツの犯罪」を「否定もしくは矮小化」したことを構成要件として刑事罰を科している。イスラエルには、「ホロコースト否定禁止法」があり、外国に対して「ホロコースト否定」の言動をした者の身柄引渡しを要求できるという法制が整備されている。

なぜ、このような犯罪類型が必要になるのか。歴史を真っ当に見ようとしない民族的偏見の持ち主が、差別の言論を繰り返すからである。夥しい証拠に目を背けて、歴史の真実を否定し、あるいは修正しようという勢力が絶えないからである。たとえば、高須克弥のごとき。

前記の高須の舌足らずのツイートは、こう読むことができる。
 ナチスの時代に生きていた人だけが、ホロコーストがなかったという真実を知っています。
 後世の史観で洗脳された、ホロコーストがあったといっている人たちには真実がわかっていないのです。
 あたかもホロコーストがあったかのごとくに誤解された父祖の名誉を回復するのは子孫の義務だと思います。
 僕はこの「ホロコーストはなかった」と言うドイツの女性に負けず、従軍慰安婦も徴用工も南京大虐殺も捏造だと勇気を持って世界に叫びます。

要するに、高須の発言は、ホロコーストの史実を言葉の上で抹殺することによって、最悪の民族差別、最大のヘイトクライムを隠蔽し、その犯人を擁護しようとするものである。のみならず、同じ手法で朝鮮や中国に対する近代日本の歴史的罪科を免責しようというものなのだ。これが、歴史修正主義者の常套手段。

「従軍慰安婦も徴用工も南京大虐殺も捏造だと世界に叫びます」が、彼の発言の本意なのだ。残念ながら、いま、歴史修正主義的発言は、「勇気を持って」言わねばならない時代ではない。むしろ、歴史的真実に基づいて、天皇の戦争責任や、9・1朝鮮人虐殺、3・1独立宣言運動大弾圧、従軍「慰安婦」、徴用工、南京大虐殺、三光作戦等々の責任に言及することの方が、ある種の覚悟を要する時代になってはいないか。

高須のホロコースト否定発言は、耳を傾けるべき根拠に基づくものではない。にもかかわらず、歴史修正主義派の有象無象がこれを持ち上げる構図が、時代の空気を物語っている。この時代の空気が、歴史修正主義派の首魁である安倍晋三を首相にまでまつりあげたのだ。この時代の空気を作ってアベを支えている連中の中に、歴史の認識において甚だしく知性に欠けた高須や、これを取り巻く無知蒙昧の輩が位置している。

赤旗は、たかが高須の言動と言わずに、社会面の記事として取りあげた。面倒ではあっても、機敏に反論することが求められている。そして、あらためて、政府の介入によらない歴史教育と、日韓や日中の民間交流の必要性を痛感する。民族差別を露わにした、トンデモ発言を許さないために。
(2019年3月19日)

自民党「改憲案(4項目)『Q&A』」徹底批判 ― 法律家6団体連絡会

2017年5月3日に始まる、アベ9条改憲」提案。これが、今は4項目の『条文イメージ(たたき台素案)』となっている。『条文イメージ(たたき台素案)』とは、なんとも締まりのないグズグズの体。今の時点で、こんなものしか示せないことが、アベとその取り巻きの苦衷をものがたっている。

この4項目の『条文イメージ(たたき台素案)』なるもの、実は、自民党内部でも手続的に確定したものとは言い難い。党内でも固まっていないこの案を与党協議にかけて、公明との摺り合わせを経なくては与党案作成には至らない。与党案の作成ができたとしても、各議院での議席数は十分ではないから、維新にも擦り寄ってもらわねばならない。自・公・維の「改憲3兄弟」の合意案ができても、ことは憲法改正である。ゴリ押しにはなじまない。野党との協議なしには、「憲法改正原案」の確定には到達しえない。改憲の実現には、迂遠な道のりが必要なのだ。

当初、アベ改憲スケジュールは、「2020年を改正憲法施行の年に」というものだった。誰の目にも、これはもう不可能といってよい。

アベ一人笛吹けど自民党議員すら踊ろうとしないのが今の事態。とりわけ、公明党は、アベと同類のイメージを警戒するに至っている。9条改憲の右翼色を前面に出して、「アベ友一味」「改憲一派」とレッテルを貼られることは、選挙戦に大きなマイナスと読んでいる。むしろ、アベ改憲に抵抗の姿勢を見せることで、「平和の党」「福祉の党」のイメージを取り戻してこそ、統一地方選と参院選を闘えるという算段。

だから、レームダック状態が進行しつつあるアベには、もはや改憲主導の力はない。アベ改憲は無理だろう。これが大方の見方。

ではあるが、安心してよいかと言えば、そうもいかない。アベは、相変わらず、ことあるごとに改憲を吹聴し続けている。もちろん、改憲断念と見られたときには、彼の支持勢力から見捨てられ政治生命が終わる宿命なのだから、「まいった」とも、「改憲方針撤回」とも言えないのだ。そのような事態ではあるが、窮鼠は猫をも噛むというではないか。手負いの猪を侮ってはならない。

窮鼠は、本年2月20日、自民党憲法改正推進本部作成による日本国憲法改正の考え方?『条文イメージ(たたき台素案)』Q&A?」を広報ツールとして、同党所属の国会議員等に配布し、改憲に向けた国民運動に活用するよう指示を出している。あわよくば、これで猫を噛もうというのだ。

窮鼠も手負猪も、侮らずにトドメを刺さなければならない。その手立ての一つとして、改憲問題対策法律家6団体連絡会が、Q&A」に対する徹底批判を末尾のとおりにまとめた。このPDFをプリントアウトすれば、22ページのパンフレットとなる。

この「徹底批判」の「Q」は、「自民党Q&A」のQをそのまますべて転載している。「A」は自民改憲案の改正がなされると実際にはこんなに変わってしまうというオーソドックスな法律家の考えを述べたもの。

昨年5月には、『〔解説〕自民党改憲案の問題点と危険性』というパンフ(100円)を刊行している。「徹底批判」の最終ページにその注文方法が掲載されているので、併せて活用をお願いしたい。このPDFは、自由にお使いいただき、ぜひとも、宣伝・拡散にご協力いただきたい。

なお、改憲問題対策法律家6団体とは、下記のとおり。

社会文化法律センター 代表理事 宮里邦雄
自由法曹団 団長 舩尾徹
青年法律家協会弁護士学者合同部会 議長 北村栄
日本国際法律家協会 会長 大熊政一
日本反核法律家協会 会長 佐々木猛也
日本民主法律家協会 理事長 右崎正博

以下に、このPDF版パンフの目次と、自衛隊明記に関する「Q4」と「Q5」の部分を摘記し、最後にPDFを添付する。

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?< 目 次 >

《総論》
Q1 なぜ、今、憲法を改正しようとしているのですか?
Q2 どのような憲法改正を考えているのですか?
Q3 条文イメージの位置付けはどのようなものですか?

《各論 1》「自衛隊の明記」について
Q4 憲法9条について、どのように考えているのですか? ・
Q5 自衛隊を憲法に明記する必要はあるのですか?・・
Q6 シビリアン・コントロール(文民統制)って何ですか?
  それについては、どのような規定を置きますか?・
Q7 徴兵制は復活するのですか?・・

《各論 2》「緊急事態対応」について
Q8 緊急事態条項ってなんですか?
  それがないと困ることがあるのですか?
Q9 どのような場合に緊急政令を定めることができるのですか?・・・・
Q10 緊急政令によって、普段よりも国民の権利が
  制限されることになるのではないですか?
Q11 緊急政令は悪用されないでしょうか?
  独裁などの危険はないのでしょうか?
Q12 大地震によって国政選挙ができない場合はどうするのですか?・・・
Q13 憲法を改正して国家議員の任期の特例を設けなくても、
今ある仕組みで対応できるのではないですか?

《各論 3》 「合区解消・地方公共団体」について
Q14 なぜ、憲法改正により、参議院の合区を解消する必要があるのですか?
Q15 投票価値の平等については、どのように考えているのですか?
  改正は、投票価値の平等との関係で問題はないのですか?
Q16 改正により、参議院議員の代表としての性格は、変わりませんか?
Q17 地方公共団体に関する改正は、どのような意味があるのですか?

《各論 4》「教育充実」について
Q18 なぜ教育に関して憲法改正が必要なのでしょうか?
Q19 憲法改正によって、教育無償化が実現されるのでしょうか?
Q20 憲法改正に伴い、教育について具体的に
  どのような措置がとられることになるのでしょうか?
Q21 私学助成って何ですか?
  私学助成に関わる規定(89条)を改正するのはなぜですか?

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Q4 憲法9条について、どのように考えているのですか?
A 憲法9条が掲げる徹底した平和主義に替えて、日米安保条約などによ
る軍事的対応の強化・拡大を考えています。
「自民党Q&A」は、憲法9条の徹底した平和主義は、「国連の集団安全保障体制の下で日本の平和が守れることを想定して」いたものであるが、「国連安保理が期待どおりに機能を果たさなくなっ」たため、自衛隊を作り、安保条約によって、日本に対する武力攻撃には日米両国が共同で対処することになったとし、これを「現実を踏まえた対応」と位置付けています。
しかし、日米安保条約は、変則的ではあるものの軍事同盟条約の一種であり、国連の集団安全保障体制とは別物の、「同盟による平和」の時代の遺物です。自民党の9条改憲案は、この日米の軍事同盟体制をより一層強固にして、自衛隊の海外での武力行使をさらに拡大することを狙うものであり、「武力によらない平和」を希求する憲法9条の精神に反するものです。

Q5 自衛隊を憲法に明記する必要はあるのですか?
A 自衛隊が今まで以上に海外で軍事活動を拡大するためには、憲法に明記
することが必要です。
「自民党Q&A」は、自衛隊明記の必要性として、以下の理由をあげています。自衛隊が「多くの国民の支持を得ているにもかかわらず、?合憲と言う憲法学者が少なく、?中学校の大半の教科書(7社中6社)が違憲論に触れており、?国会に議席を持つ政党の中には自衛隊を違憲と主張するものもあるので、「自衛隊違憲論」を解消するために憲法の改正が必要である。
しかし、こうした状況は、憲法9条の歪曲が、朝鮮戦争の勃発などによるアジアでの対立の激化、米軍の日本駐留の継続、警察予備階から保安隊を経て自衛隊の創設に至るなかで始まり、そして日米の軍事同盟体制が、今日の新「防衛計画の大綱」のように自衛隊の大軍拡を引き起こすところまで進んできたことを端的に示すものです。自民党は、現在の学界や教育界での状況や、他党の自衛隊違憲論などを苦々しく思っているかもしれませんが、そうした状況は、何ら不自然でも不正なことでもありません。こうした状況があったからこそ、これまで9条改憲は阻止されてきたのです。「自衛隊違憲論」に対する敵視は、自らの日米軍事同盟の強化のための9条改憲という企みへの注目をはぐらかし、改憲を容易にすることを狙ったものです。
また、「自民党Q&A」は、「条文イメージは、9条1項・2項を一字一句変えずにそのまま維持するとともに、自衛権行使の範囲を含め、9条の下で構築されてきたこれまでの憲法解釈についても全く変えることなく、国民に信頼されている等身大の自衛隊をそのまま憲法に位置づけるものです」などと述べていますが、これはまったくのウソでしょう。そもそも、自衛隊と自衛権行使の範囲を「全く変えない」のであれば何のための憲法改正でしょう。2015年の安保法制(戦争法)でも、従来は「違憲」としてきた集団的自衛権の行使に、一定の限定を付けながらも踏み切りました。法律でさえできることを憲法の改正で「しない」などという言い訳はとても信じることができません。安保法制をこえる集団的自衛権の行使の解禁がねらわれていると見るべきでしょう。

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「徹底批判」の全文は、下記をクリックしてください。

(完成版)自民党Q&A批判

(2019年3月18日)

 

 

 

 

辺野古新基地工期 「最短で13年」ー その間普天間は温存という不条理

「辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議」が主催した昨日(3月16日)の沖縄県民集会。集会名称は、「土砂投入を許さない! ジュゴン・サンゴを守り、辺野古新基地断念を求める3・16県民大会」と長い。長いだけに、趣旨明瞭である。那覇市おもろまちの那覇新都心公園で開かれた集会の規模は、主催者発表で1万人の参加。

本日(3月17日)の赤旗が、一面トップでこの集会を報道している。「新基地断念までたたかう」「沖縄県民大会に1万人超」の大見出し。集会の熱気をよく伝える写真がよい。

冒頭、「オール沖縄会議」の稲嶺進共同代表(前名護市長)が、新基地建設の工事には莫大な税金と最短で13年かかることを指摘。「(工事の間は)普天間基地は動かないということは、この新基地建設そのものが間違い」だと批判し、「白紙撤回させるため、力合わせて頑張りましょう」と訴えている。これは、重要な問題提起だ。

沖縄では、もっと大きな集会の開催もあるが、沖縄県の人口は140万人。1万人超の参加者規模は、東京での10万人集会に当たるのではないだろうか。参加者が一斉に掲げる民意は示された」「土砂投入をやめろ」という、メッセージボードの写真が印象的である。

採択された決議の全文を末尾に掲載するが、そのなかに、下記の一文がある。
「私たちは、故翁長前知事が命をかけて守り抜いた県民の『誇りと尊厳』を引き継ぎ、誇りある豊かさを実現させるまでたたかう。『新時代沖縄』の実現へ向け、沖縄県民の命とくらし、沖縄の地方自治と日本の民主主義と平和を守るためこの不条理に全力で抗い続ける。」

この、「誇りと尊厳」「不条理に全力で抗い続ける」というフレーズが、素晴らしい。なお、決議の宛先は、首相、外務相、防衛相、沖縄担当相、米国大統領、駐日米国大使。上京しての対政府要請行動において提出予定だという。

集会では、沖縄防衛局が今月(3月)25日にも新たな埋め立て区域に土砂投入を開始すると県に通告していることが大きな話題となった。その25日には、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前で拡大抗議行動が実施され、引き続いて、この行動にも参加するよう集会主催者から呼び掛けられた。

玉城デニー知事のあいさつ(謝花喜一郎副知事代読)は大要以下のとおり。
 「辺野古移設に反対の民意は過去2回の県知事選など一連の選挙でも示されてきたが、辺野古埋め立てに絞った投票で民意が示されたのは初めてで、極めて重要な意義がある。民主主義国家の我が国において直接示された結果は重く、何よりも尊重されなけれならない」
 「軟弱地盤は深く存在することが判明し、完成しても基地の下では地盤沈下が続く。政府が辺野古移設に固執することによって、普天間の危険性が放置されることは許されるものではない。県民の民意、思いを尊重し、日米両政府が断念するまで揺らぐことなく闘い続ける」(以上琉球新報の要約による)

なお、3月10日の琉球新報は以下の記事を報じている。これまでも言われてきたことだが、このようにまとめられると、なるほど、「(この長い工事の間)普天間基地は動かないということは、この新基地建設そのものが間違い」というとおりではないか。この訴えは、受け入れざるをえない。

「新基地工期 最短13年 軟弱地盤、問題次々 膨らむ工費 沈下恐れも
 名護市辺野古の新基地建設を巡って、軟弱地盤の問題による工事の長期化を示す事実が次々と明らかになっている。政府は地盤改良だけで工期を約5年と見込むが、そのために必要な県への計画変更申請も認められる見通しは立っていない。工期と同様に工費が膨らむことも避けられない情勢で、政府が辺野古移設を進める理由に掲げる『普天間飛行場の一日も早い返還と危険性除去』という大義名分は崩れている。
? 政府の当初予定では、埋め立て5年、その後の施設整備3年の計8年の工程が計画されていた。だが、軟弱地盤の対応が発生したことで、単純計算すると13年以上の工期がかかることになる。県が独自の試算で示した「13年」に符合する。

■計画変更
 防衛省の報告書で示された工程表によると、地盤改良工事は大きく分けて二つの段階がある。海上から大型作業船を使って地盤を固めるための砂杭(ぐい)6万3155本を打ち込む工事には約3年8カ月を見込む。それに加え、改良が必要な場所は大型船で対応できない浅瀬部分にも広がり、いったん埋め立てた後に砂杭1万3544本を打ち込む作業が計画される。この過程には約1年かかる。足し合わせると約5年になる。
 報告書では浅瀬部分について「海上工事に連続して施工する工程としている」と記載し、二つの改良工事は同時並行での実施を見込んでいない。
 これらの地盤改良は、政府が今後工事の計画変更を県に申請し、承認されてからが起点となる。2月の県民投票で辺野古新基地に「反対」の民意が改めて示され、防衛省内は「変更申請に対して知事がはんこを押すことはできないだろう」と見る。地盤改良に着手できなければその分、工期も遅れる。
?
■7・7万本
 軟弱地盤に約7万7千本の砂杭を打ち込む辺野古の改良工事に関して、防衛省の報告書には東京国際空港(羽田空港)との比較表が載っている。開会中の国会審議でも、防衛省は過去の軟弱地盤工事で羽田空港が約25万本、関西空港は1期目が約103万本、2期目が約120万本の杭がそれぞれ使われる規模だったとして、辺野古の本数の“少なさ”を強調し工事が可能だと説明している。
 だが、地盤工学が専門の鎌尾彰司日本大学准教授は「羽田空港とは埋め立て面積の規模が異なり、杭の本数が違うのは当然だ。本数よりも深さが問題で、深くなるほど工事の難度が高くなる」と語る。
 辺野古の軟弱地盤は最大で水面下90メートルの地点に達しているが、防衛省は改良が必要なのは水面下70メートルまでで、その下の地盤は「より固い粘土層」ゆえ工事は不要との立場を示している。
 ただ、関西空港の例では軟弱地盤が改良地点よりも深い場所に及び、現在でも年に10センチずつ沈下しており定期的に補修が施され莫大な費用がかかっている。辺野古についても防衛省は完成後の地盤沈下の対策を検討しており、追加的な補修により経費がかかる可能性がある。
 鎌尾教授は「長期にわたる地盤沈下の見通しを立て、適切な対応を取らなければ安全な構造物ではなくなる」と危険性を指摘した。

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?辺野古新基地建設断念を求める3・16県民大会決議<全文>

 政府は2月24日の県民投票で示された圧倒的な沖縄県民の民意を尊重し、埋め立て工事を中止し、野古への新基地建設を即時、断念せよ。

? 沖縄県知事が県民投票の結果を政府に通知した直後、政府は新たな護岸工事に着工し、さらに3月25日には新たな区域で埋め立てを行うとしている。県民の民意を無視して辺野古新基地建設を強行することは、民主国家として恥ずべき行為であり、断じて許すことはできない。日本が民主国家ならば国策の遂行が民意と無関係であってはならない。

? 国土の約0・6%の沖縄県に米軍専用施設の約70%が集中していることは異常事態である。沖縄県民の負担軽減を行うならば、県民投票の結果を受けて、政府は米国政府と直接交渉し、辺野古新基地建設を断念し、オスプレイ配備撤回、世界一危険な普天間基地は即時運用停止を行い閉鎖返還すべきだ。

? 私たちは、故翁長前知事が命をかけて守り抜いた県民の「誇りと尊厳」を引き継ぎ、誇りある豊かさを実現させるまでたたかう。「新時代沖縄」の実現へ向け、沖縄県民の命とくらし、沖縄の地方自治と日本の民主主義と平和を守るためこの不条理に全力で抗い続ける。

? 今県民大会において、以下、決議し、日米両政府に対し、強く抗議し要求する。

? 記

? 1、県民投票で示された圧倒的な民意を尊重し、埋め立てを中止し辺野古への新基地建設を即時、断念すること。
? 2、大浦湾側には活断層があり、その付近の海底には、超軟弱地盤が存在する。米国の安全基準である高さ制限にも抵触している。環境を著しく破壊している赤土混じりの埋め立て土砂を全て撤去すること。
? 3、欠陥機オスプレイ配備を撤回し、米軍普天間基地を即時運用停止し、閉鎖・撤去すること。

?以上

?宛先 内閣総理大臣 外務大臣 防衛大臣 沖縄担当大臣 米国大統領 駐日米国大使

2019年3月16日

?辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議

(2019年3月17日)

「王侯将相いずくんぞ種あらんや」「生きとし生けるもの、万世一系にあらざるはなし」

いつの時代の、どこでのことかは定かでない。こんな会話が聞こえてきた…ような気がする。

 ボクの主人は人でなしさ。朝から晩まで人をこき使ってさ。人の汗で、肥え太って、いばりくさっている。

 私のご主人様は、ちょっと格が違う。高貴なお生まれなんだ。私だって鼻が高い。私のことにまで目をかけて、優しい言葉をかけてくれるんだ。

 ボクは、生涯をかけて仕返しをしてやる。あいつにも、この世の中にも。

 あら、私は恩返しをしなくてはと思っているの。あの方にも、この国にも。

 バッカじゃないの。何をありがたがってんだ。主人が高貴な生まれだからって、使用人は使用人。身分の差が縮まる分けないだろう。

 でもね。高貴な方って、近くにいるだけでステキなの。なんてったって高貴なお方だもの。

 下賎なわれわれがいるから、一握りの人が高貴になるんだろう。誰かが、都合よく高貴と下賎を分けたんだ。

 そうじゃないと思う。高貴なお生まれは、神さまがお決めになったんだと思うけど。

 そんな差別を作るヒドイ神さまがいるものか。「王侯将相いずくんぞ種あらんや」だ。

 そうかな。ご主人様は神さまのご子孫なの。だから、オオミココロで、私たちを自分の子どものように可愛がってくださる。ありかたくて、涙がこぼれるわ。

 キミって、欺され易いタイプなんだね。ちょっと心配だな。

 それにね。ご主人様は、「万世一系」なんですってよ。すごいでしょ。なんてったって「万世一系」なんですもの。

 なあに、オケラだってミミズだって、生きとし生けるものは、みんな「万世一系」だよ。キミだって、先祖からつながって今のキミがいるから「万世一系」。

 ちょっと違うようにも思うけど。そういわれればそうかもね。

 高貴なお方にお仕えすると、待遇はいいのかな?

 いえ、別に。ただ、ありがたい「おことば」をときどきいただけるの。それが、とてもステキなの。なにがどうステキか説明には困るけど。みんながそう言うの。

 お宅のご主人、もうすぐ代替わりっていうじゃない。代替わりってなにするの?

 やっぱり神さまだから、儀式が必要なんですって。みんなのお金を集めて、うんとお金を使って、うんと人を集めて、ハデハデにやるみたいね。

 ボクの主人は、鉱山掘ったり、工場経営したりしてるけど、キミのところのご主人様って何をしている人なの?

 昔は、国を運営していたみたい。でも今は、そういう権限はなくなって、言われたとおりに、原稿を読みあげたり判を押したりすることがお仕事みたい。それと、手を振ったり、お祈りしたりするんですって。

 ふうん。それで、暮らしに困ることはないんだ。

 だって、万世一系で神さまですもの。神さまが暮らしに困るなんて、ちょっとおかしいでしょう。

 神さまだって、万世一系だって、役に立たなきゃ暮らしていけないのが今の時代だろう。はて、どんな役に立っているのかな。

 そこが、問題ね。ご主人様も考え込んで悩んでいるみたい。

 人間は皆平等のはずじゃないか。高貴も下賎もあるものか。ボクの主人がボクに威張り散らすのも我慢ができない。何とかならないものかね。いや、何とかしなけりゃね。

(2019年3月16日) 

森友文書 虚偽の情報不開示に慰謝料認容判決

大阪地裁が、昨日(3月14日)「森友文書 国の不開示違法の判決」を言い渡したと、話題になっている。森友事件はまだ終わっていないのだ。

この訴訟は、「国有地低額譲渡の真相解明を求める弁護士・研究者の会」(略称真相解明の会」)の活動の一端としてのもの。周知のとおり、近畿財務局が学校法人森友学園に、鑑定価格9億5600万円の国有地をわずか1億3400万円で売却した。ごみ撤去費用8億1900万円を控除するという名目での値引きであるが、これを信用する者はない。その真相とは、安倍晋三・昭恵夫妻の関与があればこその違法な値引き以外には考えがたい。地道にこれを究明しようという目的で設立されたのが、「真相解明の会」。

この会の設立に関する事情は、下記URLを参照いただきたい。
http://kokuyuuti-sinsoukaimei.com/purpose/
私も、その呼びかけ人の一人となっている。2017年4月21日付の当ブログ「『森友への国有地低額売買をうやむやにしてはならない』ー そのための具体的提案」も、併せてご覧いただきたい。
https://article9.jp/wordpress/?p=8476
「真相解明の会」が、昨日の判決について、以下の報告をアップしている。これを引用しておきたい。判決文の全文も、問題の公開請求対象文書も引用されている。「森友問題でやっと国民の常識が通用した判決がでました。」というタイトル。
http://kokuyuuti-sinsoukaimei.com/7695/2019年3月14日
原告・弁護団一同

本日(3月14日)大阪地裁で判決があり、原告は勝訴しました(資料1判決)森友問題では官邸、政府与党、財務省官僚達、検察庁まで安倍総理に忖度し、国民の大多数がおかしいという批判にまともに対応せず、うやむやに終わらせようとしていました。やっと今回、国民の大多数がおかしいという常識が通用した判決がでました。

本件事件の概要です

原告は2017年5月に森友問題の発端となった「小学校設置趣意書」の情報公開請求を近畿財務局にしたら、同年7月に近畿財務局長が真っ黒な文書を開示してきました(資料2)。不開示の理由は森友学園の経営上のノウハウが記載されているからという理由でした。そこで原告はマスキングした内容の情報公開請求裁判を提訴したところ国は敗訴確実と思い、真実の文書(資料3)を開示してきました。4ヶ月も真実の文書を隠蔽した近畿財務局の責任を追及した訴訟です。裁判所は、本件文書にはおよそ「経営上のノウハウ」の記載がないのに、漫然と不開示にしたということで国家賠償上も違法であり、国に損害賠償を認容しました。認容金額の多い、少ないことは論点ではなく近畿財務局の違法行為の確認が目的であったので、森友問題でやっと国民の常識が通用した判決に満足しています。

現在、私達は森友問題で検察庁が不起訴にした財務省の官僚達の背任、公文書変造、毀棄罪について大阪の検察審査会に審査申立をしているところです。近いうちに議決が出ると思われます。これらの刑事事件も裁判所という公開の法廷で審理するならば、今回のように公正な判断がなされることは確実です。

検察審査会の各委員は森友問題をうやむやにした検察官の不起訴処分を許さず、「起訴相当議決」の英断をしてくれるものと期待しています

以上のとおり、この訴訟はやや特異な経過で、提訴されている。
まずは、上脇博之さん()の近畿財務局に対する情報公開請求から始まっている。上脇さんご自身の報告を中心にまとめると、以下のとおりである。
(1)森友学園小学校設置趣意書の情報公開請求(2017年3月14日)
(2)一部開示(事実上ほぼ全部非開示)(同年7月10日)
(3)非開示処分の取消を求めて大阪地裁に提訴(同年10月2日)
(4)近畿財務局長、「開成小学校設置趣意書」を全部開示(同年11月24日)
(5)国家賠償請求の訴訟を大阪地裁に提起(同年11月30日)
(6)大阪地裁認容判決(認容額55000円)(2019年3月14日)

以上のとおり、まず国は公開請求の文書(小学校の設立趣意書)を事実上不開示とした。不開示の理由は「設置趣意書に小学校名や教育理念などの『経営上のノウハウ』があるから、というのである。納得できない、上脇さんは「不開示処分取消」の行政訴訟を提起した。

ところが提訴間もなく、観念した国は、当該文書を全面公開した。その公開文書の内容は、不開示の理由とされた『経営上のノウハウ』などとはまったくの無関係なものだった。

普通、ここで追及はやめることになる。公開請求した文書が出てきたのだから、これで満足となる…はず。ところが、上脇さんと、阪口徳雄君を団長とする弁護団は、追及の手を緩めなかった。「なぜ、素直に文書の公開をしなかったのか」「なぜ、ウソをついてまで文書公開を拒否したのか」を問題にして、慰謝料の国家賠償請求訴訟を提起した。ここらが、真似のできないところ。そして、昨日の勝訴判決である。森友事件は未解決だ、と大きく世論アピールすることにもなり、情報公開制度の重要性再認識の機会ともなった。

裁判長は判決理由の要旨を読み上げ、設置趣意書に小学校名や教育理念などの「経営上のノウハウ」があるとして不開示にした財務省近畿財務局の判断について、「(趣意書の)教育理念は概括的かつ抽象的で、実質的に公になっている。同じ校名を使用した学校は他にも存在し、独自性はない。近畿財務局長はなんら合理的根拠がないのに誤った判断をした」と、述べた旨報じられている。

結局は安倍夫妻の関与あればこその不開示決定としか考えられないところ。この一連の情報公開手続で、森友問題の真相解明はまた半歩前進した。

いま、森友事件解明の鍵は、大阪検察審査会の手中にある。11人の審査委員のうち8人が「起訴相当議決」に賛意を表明すれば、強制起訴の道が開ける。

今回の判決は、検察審査委員を励ますものとなったと思いたい。
(2019年3月15日)

裁判官にも、私生活の場では表現の自由がある。

産経の記事を引用しなければならない。昨日(3月13日)の、「判事が『反天皇制』活動 集会参加、裁判所法抵触も」との見出しの報道。ある裁判官の行為が「積極的政治活動に当たる可能性がある」とする内容である。

 名古屋家裁の男性判事(55)が昨年、「反天皇制」をうたう団体の集会に複数回参加し、譲位や皇室行事に批判的な言動を繰り返していたことが12日、関係者への取材で分かった。少なくとも10年前から反戦団体でも活動。一部メンバーには裁判官の身分を明かしていたとみられ、裁判所法が禁じる「裁判官の積極的政治運動」に抵触する可能性がある。昨年10月にはツイッターに不適切な投稿をしたとして東京高裁判事が懲戒処分を受けたばかり。裁判官の表現の自由をめぐって議論を呼びそうだ。

 関係者によると、判事は昨年7月、東京都内で行われた「反天皇制運動連絡会」(反天連、東京)などの「なぜ元号はいらないのか?」と題した集会に参加。今年6月に愛知県尾張旭市で開催され、新天皇、皇后両陛下が臨席される予定の全国植樹祭について「代替わり後、地方での初めての大きな天皇イベントになる」とし、「批判的に考察していきたい」と語った。

 昨年9月には反戦団体「不戦へのネットワーク」(不戦ネット、名古屋市)の会合で「12月23日の天皇誕生日に討論集会を開催し、植樹祭を批判的に論じ、反対していきたい」と発言。さらに「リオ五輪の際、現地の活動家は道を封鎖したり、ビルの上から油をまいたりしたようだ。日本でそのようなことは現実的ではないが、東京五輪に対する反対運動を考えていきたい」とも語っていた。

 判事は昨年2月と5月、不戦ネットの会報に「夏祭起太郎」のペンネームで寄稿し、「天皇制要りません、迷惑です、いい加減にしてくださいという意思表示の一つ一つが天皇制を掘り崩し、葬り去ることにつながる」「世襲の君主がいろいろな動きをする制度は、やっぱり理不尽、不合理、弱い立場のものを圧迫する」と記していた。

判事は集会などで実名でスピーチしていたほか、団体の一部メンバーには「裁判所に勤務している」と話していたという。

 判事は平成5年に任官。名古屋家裁によると、現在は家事調停や審判事件を担当している。判事は産経新聞の複数回にわたる取材に対し、何も答えなかった。

いささか眩暈を禁じえない。いったい、いまは21世紀だろうか。日本国憲法が施行されている時代なのだろうか。時代が狂ってしまったのか。それとも、私の時代感覚の方がおかしいのか。

1945年までは、治安維持法があった。「國体ヲ變革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入」することが犯罪とされた。「國体」とは天皇制のことである。当該の結社に加入していない者についても、その結社の目的遂行に寄与する行為が際限なく犯罪とされた。これと並んで、不敬罪もあった。天皇や皇室の神聖性を侵すことは許されなかった。国体や天皇への批判の言論を取締り監視するために特高警察が置かれた。いま、その特高警察の役割を、産経が買って出ている。

産経が引用するこの判事の言論は、「天皇制要りません、迷惑です、いい加減にしてくださいという意思表示の一つ一つが天皇制を掘り崩し、葬り去ることにつながる」「世襲の君主がいろいろな動きをする制度は、やっぱり理不尽、不合理、弱い立場のものを圧迫する」というもの。日本国憲法を判断の基準として、至極真っ当な言論ではないか。

日本国憲法は個人主義・自由主義を基本とする近代憲法の体系を備えている。この憲法体系からはみ出たところに、天皇という体系とは馴染まない存在がある。

近代憲法としての日本国憲法体系の純化を徹底してゆけば、天皇制否定に行き着くことは理の当然である。ただ、現在のところは、憲法に「権限も権能もない天皇」の存在が明記されている。だから、天皇の存在自体を違憲とも違法とも言うことはできないが、「世襲の君主がいろいろな動きをする制度は、やっぱり理不尽、不合理、弱い立場のものを圧迫する」というのは、法を学んだ者のごく常識的な見解といってよい。健全な憲法感覚といっても、主権者意識と言ってもよい。

その上で、「天皇制要りません、迷惑です、いい加減にしてくださいという意思表示の一つ一つが天皇制を掘り崩し、葬り去ることにつながる」とは、憲法改正論議の方向として、まことに正しい。一つひとつの言論行為によって、主権者国民の天皇制廃絶の世論を形成し、その世論の内容での憲法改正をなし遂げようというのがこの判事の見解。傾聴に値する意見であり、非難するには当たらない。

問題は、同判事の表現行為が裁判官としての制約に服する結果として違法にならないか、という一点にある。もちろん、産経報道を前提としてのこと。当事者の言い分を確認せずに、事実関係についての速断は慎まなければならない。

すべての国民に基本的人権が保障されている。もちろん、公務員にも公務を離れれば私生活があり、私生活においては表現の自由が保障されなければならない。この点についての古典的判例は猿払事件大法廷判決だが、いま堀越事件判決がこの判例を修正し揺さぶっている。

一般職公務員ではなく、裁判官についてはどうだろうか。憲法には、「良心」という言葉が2個所に出て来る。「思想・良心の自由」(19条)と、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」(76条3項)という、「裁判官の良心」である。

原理主義的クリスチャンである教員も、教室では聖書のとおりに天地創造説を史実として教えることは許されない。信仰とは別次元の「教員としての客観的良心」に基づいて、確認された自然科学的真理とされている進化論を教えなければならない。職業人としての、「主観としての信仰」と「教育者としての客観的良心」の分離は、原理主義的宗教者も教員としての適格性を損なわないという根拠でもある。

憲法76条の「裁判官の良心」も客観的な良心である。主観的な信念とは別に、憲法を頂点とする法体系に従った「客観的な良心」の保持が、裁判官としての任務を全うすることになる。

裁判所法第52条は、「裁判官は、在任中、左の行為をすることができない。」として、その一号の後文に「積極的に政治運動をすること」を挙げる。「一般的に政治運動をすること」が禁じられているのではなく、「積極的に政治運動をすること」が禁じられている。

最高裁判所事務総局総務局編『裁判所法逐条解説 中巻』(法曹会、1969年)には、裁判所法52条のこの点について、「国民の一員として当然果たすべき義務としての政治的行動(たとえば、各種の選挙において選挙権を行使したり、公務員の解職請求の署名をしたりする行為)は、もとより積極的に政治運動をすることにあたらないし、単に特定の政党に加入して政党員になつたり、一般国民としての立場において政府や政党の政策を批判することも、これに含まれないと解すべきである。」と解説されている。裁判官が政党に入党することも良し、政府や政党の政策を批判しても良し、というのだ。

むしろ、市民的な表現の自由を奪われ萎縮を余儀なくされた裁判官に、表現の自由の現実化を求める訴訟での適切な判断を望むことができるだろうか。一般の市民と同様に、市民としての権利や自由を行使できる裁判官にこそ、基本的人権擁護の判断が可能ではないか。

私には、産経の報じる裁判官が、裁判所法52条に違反した行為をしているとは考えがたい。この判事の考えや言論は、憲法のコアな部分に忠実ではないか。この人が、自分の思想と裁判官としての良心の葛藤に苦しむことはなさそうである。

裁判官とて、当然にその思想は多様である。その多様性は貴重でもある。法廷においては、憲法と法と「客観的な良心」に従えば良い。むしろ、最高裁がその人事権をもって全裁判官を統制する弊害をこそ避けなければならない。
(2019年3月14日)

DHCとは、デマとヘイトとスラップの三位一体企業。法廷と市場での懲罰が必要だ。 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第150弾

ほう、DHC・吉田嘉明に関する取材。ご苦労様。私は、産経・読売は大嫌いだが、お宅の紙面には親近感を持っている。報道も社説の姿勢もまことに真っ当。もちろん、取材大歓迎。協力いたしますよ。どこからお話ししましょうか。まずは、スラップ訴訟の効果から。

DHC・吉田嘉明の狙いは、自分を批判する者には、スラップを掛けて自分を批判する言論を封殺することにある。つまり、自分の権利救済のためというよりは、高額請求の民事訴訟を提起して批判者の言論を威嚇する。訴訟に負けようと、威嚇の効果は残ることになる。DHC・吉田嘉明を批判すると訴訟に巻き込まれて、たいへん面倒なことになる。面倒なことは避けておいた方が無難だ。だから、DHC・吉田嘉明を批判するのは止した方が賢明だ。こういう空気が、この社会にできてしまう。これが恐い。

私は、このようなDHC・吉田嘉明の不当な意図とは、徹底的に闘う覚悟を決めた。それが、弁護士としての私の倫理でもあり、使命でもあると思っている。

そのような立場で、いまDHC・吉田嘉明に対する反撃訴訟を闘っているし、ことあるごとに、私は次のように口にしている。筆でも書いている。

皆様に、この場をお借りして三つのお願いを申しあげる。
 一つ、DHCという会社の商品をけっして買わないこと。
 二つ、DHCという会社の商品をけっして買うことのないよう、お知り合いに広めていただくこと。
 そして三つ目が、DHCという会社の不当・違法をことあるごとに話題にしていただくこと。

ときに、「それって営業妨害になりませんか」と、おそるおそる聞く人がいる。そのとおり。私は、「みんなで、DHC・吉田嘉明の営業を妨害しましょう」と、呼びかけている。ぜひ皆様、DHC・吉田嘉明が、「デマやヘイトやスラップは、社会から反撃を受けることになって、商売上まずい」「やっぱり、真っ当な商売に徹しないと売り上げに響く」と反省するまで、できることなら、心を入れ替えるまで、その営業を徹底して妨害しようではありませんか。

サプリにせよ、化粧品にせよ、DHCの製品を買うか買わないかは、消費者の選択の自由に任されている。DHCの商品を買わなければ困ることなんてない。外の会社の製品で、間に合わない物などあり得ない。消費者の市場での購買行動は、通常は商品の性能と価格、そしてブランドイメージなどで、決まることになる。

しかし、これだけを動機とする消費行動は、賢い消費者のものとは言えない。さらに、民主主義社会の主権者としての消費者行動でもない。消費生活に、社会的な公正の視点を保持していただきたいのだ。

たとえば、価格は低廉であっても、環境問題を無視した製法による商品、少年労働によって作られた製品などは買ってはならない。同じく、パワハラやセクハラが横行している企業、政治資金規制法の脱法をしている企業の製品を購入することは、そのような体質の企業を応援することになり、社会の公正を損なうことになる。

私は、この経済社会の消費者が、同時に政治構造の主権者でもあることの自覚が大切だと思う。企業の側の自覚を呼びかけるときには、企業倫理や、企業の社会的責任が論じられるが、それは消費者の自覚なければ実現できない。それが国連の提唱するSDGsの精神でもある。

消費者としての行動の積み重ねによって、反社会的な企業を駆逐することができる。必ずしも駆逐する必要はないが、企業の反社会的な行為に反省を迫り、やめさせることができる。それが、特定企業に対する商品ボイコットである。不買運動と言った方が分かり易いかも知れない。

不買運動のその本質は、まさしく「営業妨害」である。しかし、実力(威力)やデマ(偽計)を用いる営業妨害ではない。堂々と言論を行使して、多くの消費者の理性に訴えて、行動を呼びかけようというものである。その合法性に一点の疑念もない。

DHCという企業は、MXテレビに「ニュース女子」という番組を提供して俄然有名になった、天下に悪名とどろくあのDHC。あれ以来、「デマ(D)とヘイト(H)のカンパニー(C)」として、全国に知られるようになっ。

DHCのデマとヘイトとは、沖縄の平和運動と在日に対するもの。韓国民に対するウソと差別感情にまみれた不当な攻撃を意味する。DHCのブランドイメージは、いまや、「デマ(D)とヘイト(H)のカンパニー(C)」だが、DHCのやっていることは、デマとヘイトだけではない。スラップの常習犯であることを付け加えなければならない。デマとヘイトとスラップ。DHCはこの三拍子を揃えた、三位一体の反社会的な体質をもった企業なのだ。

消費者の一人が、なんとなく無意識のうちにDHC製品を買えば、デマとヘイトとスラップの三拍子に加担して、社会悪を蔓延させることになる。うっかりとDHCの製品を購入することがないよう訴えたい。貴重なお金の一部が、DHCに回れば、この社会における在日差別の感情を煽り、沖縄の基地反対闘争を貶めることになる。このことは、安倍改憲の旗振りに寄与することでもある。さらに、言論の自由を抑圧するスラップ訴訟の資金となり、こんな訴訟を引き受ける弁護士の報酬にまわることにもなる。

DHCという企業のオーナーが、今どき珍しいヘイトの言動を露わにして恥じない吉田嘉明という人物。この人は、狭量極まりなく、自分を批判する言論を極端に嫌う。そして、自分を批判する言論に対して、高額の損害賠償請求訴訟を提起する。「オレを批判すると面倒なことになるぞ。」「だから黙れ」という民事訴訟の提訴。これがスラップ。

この吉田嘉明が、渡辺喜美という政治家に裏金8億円を渡していたことが明らかになった。メディアが取材してスクープしたのではない。自分で、週刊新潮に手記を書いたのだ。自分で暴露されたことを批判されたら、吉田嘉明はスラップを提起した。少なくとも10件。そのうちの1件が私に対するもの。

以下の経過は、今日まで150回にわたって書き続けている私のブログの以下のURLをご覧いただきたい。
https://article9.jp/wordpress/?cat=12

DHC・吉田嘉明の私に対する6000万円請求のスラップ訴訟は最高裁まで争って彼らの敗訴が確定した。しかし、吉田嘉明が意図した、「オレを批判すると面倒なことになるぞ」という社会に対する威嚇の効果はなくなっていない。そこで、今は私が原告になって、DHCと吉田嘉明を被告とする「反撃訴訟」が進行中。

その訴訟では、4月19日(金)午後1時半から、東京地裁415号法廷で、私と吉田嘉明が当事者本人として法廷で対決することになっている。ところが、吉田嘉明は、本人としての尋問採用が決定し、裁判所から呼出しがなされているのに、出廷したくないと言っている。

裁判所が必要あって、尋問のために出頭せよと命じているのに出てこなければ、これは証明妨害として、敗訴を覚悟しなければならない。それでも吉田嘉明は出たくないというのか。

DHC・吉田嘉明の記事を書くからには、当然吉田嘉明に取材を申し込まれることでしょうね。なぜ彼が、韓国民に対する差別感情を持っているのか。企業イメージを傷つけてまで、敢えてヘイト感情を露わにしているのか、切り込んでいただきたい。私も、本当にその理由を知りたいのですから。
(2019年3月13日)

国旗・国歌(日の丸・君が代)強制の撤回に関する都教委への申し入れ

われわれは、教育長を筆頭とする都の教育委員に面会を申し入れているが実現しない。テーマによっては、教育庁の人事部長や指導部長との直接交渉もしたいのだが、教育情報課長段階でブロックされる。やむなく、情報課長の背後にある、教育委員や知事に意見を申し上げる。

「10・23通達」発出以来16回目の春、卒業式・入学式の季節である。国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明の強制はもう止めて、学校現場を生き生きとした本来の教育現場を取り戻していただきたい。このことに関して、個別の課題はいくつもあり、「『日の丸・君が代』不当処分撤回を求める被処分者の会」や、「五者卒業式・入学式対策本部」から質問や要請は多岐に渡っているが、私からは総論的な意見を2点だけ申しあげたい。

われわれは日本国憲法のもとで、日本国憲法に守られて生活している。言うまでもなく権力機構には憲法遵守の義務がある。もちろん、都教委にも。まずは、このことを肝に銘じていただきたい。

日本国憲法は、文明が構築した近代憲法の典型として、「人権宣言」部分と人権を擁護すべく設計された「統治機構」の二部門から成り立っている。憲法は個人の尊厳の確立を究極的な目的価値として、いくつもの人権のカタログをならべるている。その中の精神的自由といわれるものが、思想・良心の自由であり、信仰の自由であり、表現の自由であり、学問の自由等々である。人が人であるための、そして自分が自分であるための自由であり権利が保障されている。

近代憲法は、人権を損なうことがないように統治機構を設計し、運用を命じている。国家に人権を損なうような行為は許されない。ここには、個人の人権と、国家が持つ公権力との緊張関係が想定されていて、その価値序列において、個人の人権が国家に優越する。

国家とは主権者である国民が創設したものである。まず個人があり、その集合体としての国民が形成され、国民が国家に権力を与える。慎重に、憲法が授権する範囲においてのことである。個人・国民の利益に奉仕するために国家が存在するのであって、その反対ではない。

この個人と国家との緊張関係において、国旗・国歌(日の丸・君が代)は、その関係を象徴する存在となる。国旗国歌は、国家と等値と考えられるシンボルなのだから、国旗国歌への敬意表明とは国家に対する敬意表明にほかなならない。公権力が国民に対して、国旗国歌への敬意表明を強制することは、国家が主権者である国民に対して「オレを尊敬しろ」と強制していることにほかならない。

主権者国民によって作られた国家が国民に向かって「オレを尊敬しろ」と強制することなどできるはずがない。それは、憲法の論理の理解において背理であり倒錯以外のなにものでもない。

本来、公権力が国民に対して、国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明の強制はなしえないというほかはない。とりわけ、教育部門が国民の育成に国家主義を鼓吹するようなことかあってはならない。

二つ目。これまでの国旗・国歌(日の丸・君が代)強制に関する最高裁判決の理解について、都教委の立場は牽強付会と言わざるを得ない。詳細は措くとしても、けっして最高裁は都教委のこの野蛮を褒めてはいない。我が国の裁判所は、三権分立の理解において、司法の行政府の行為に対する役割を極めて謙抑的に理解する、司法消極主義の立場をとっている。よくよくのことのない限り、司法が行政の行為を違憲として断罪することはない。

都教委の国旗・国歌(日の丸・君が代)強制は、その行政に甘い司法からも、批判を受けていることを自覚しなければならない。地裁レベルでは明確な違憲判決もある。高裁段階では戒告まで含んですべての処分を懲戒権の濫用とする判決もある。最高裁レベルでも、反対意見もあり、多数の補足意見もある。最高裁裁判官総体からは、不正常な教育現場となっていることについての批判を受けていることを自覚しなければならない。

一つでも、そのような都教委に対する全面批判の判決のあることを恥だと思わなければならない。違憲、あるいは違法と紙一重のぎりぎりのところでの無理な教育行政を行っていることは、苟も教育に携わるものとしての見識を疑われていることとして、反省あってしかるべきである。

2003年秋に「10・23通達」が発出されたとき、極右の知事石原慎太郎のトンデモ通達だととらえた。いずれトンデモ知事さえ交代すれば、こんなバカげた教育行政は元に戻る、そう思い込んでいた。

しかし、石原退任後も石原教育行政は続いて今日に至っている。この問題が、教育右傾化の象徴となっている。今年こそ、方向転換の年となるよう願ってやまない。
(2019年3月12日)

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