澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

天皇への迎合は、日本国憲法体系の理念をないがしろにすることである。

昨日(3月19日)の毎日新聞。一面左肩に「象徴天皇としての役割『果たされている』87%」という世論調査記事。二面にも関連の解説記事。いったいなんだ、これは。

この世論調査、質問事項はわずか2項目のシンプルなもの。シンプルなだけでなく、頗る出来が悪い。これで、「象徴天皇制が国民に定着している」との世論誘導の根拠とされることには、大いに違和感がある。

主たる設問が、次の通りである。
◆憲法第1条では、「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」とされていますが、象徴として役割は十分果たされていると思いますか。

まず、一読して、こなれないヘンな文章ではないか。憲法条文の引用部分と、「と思いますか」という質問文を除いた判断対象は、「象徴として役割は十分果たされている」か否かということ。これはいったい何のことだろう。この文には主語がない。意味上の主語は「天皇(個人)」か、「天皇(職位)」か、あるいは「象徴」か、「役割」なのか。「果たされている」の「される」は、文法上の尊敬なのか受け身なのか、それとも自発なのか。

質問の意味を明瞭にしようと書き直せば、いくつも考えられる。
「現天皇(明仁)は、象徴としての役割を十分果たしていると思いますか。」
「天皇という職位は、現天皇(明仁)によって、象徴としての役割を十分果されていると思いますか。」
「天皇という職位の象徴としての役割は、十分果たされている状態と思いますか」
……
果たしてそのどれだろうか。こんな曖昧模糊とした設問への回答で、いったいなにが分かったことになるのだろうか。

仮に、「天皇(明仁)は、象徴としての憲法上の役割を十分に果たしていると思いますか。」という質問の趣旨であるとして、果たしてこれに正確に答えようがあるだろうか。

「象徴としての憲法上の役割」は、極めて曖昧で多義である。「象徴としての天皇の役割」という用語の選択が、既に誘導的な質問になっている。「象徴としての憲法上の役割」を特定せずしの質問に意味のある回答ができようとは思えない。

私は、憲法第1条の「象徴」を、なんの権限も権能もなく、なんの機能も作用もすべきではない、存在するだけの地位を表す用語と解している。「象徴」には積極的意味はない。だから、毎日が「天皇(明仁)は、象徴としての憲法上の役割を十分に果たしているか」という設問自体に大きな違和感があり、本来社会調査にあってはならないミスリードである。

また、天皇とは、内閣の助言と承認に従うのみの存在で、けっしてひとり歩きをしてはならない存在である。従って「象徴としての憲法上の役割を十分に果たしているか」を問うべきでも問われるべきでもない。定量的に、その役割を十分に果たしているとも、不十分であるとも、評価の対象となる立場にはない。

もう一つの設問が、次の通りである。
◆皇室との間に距離を感じますか、感じませんか。

これも、茫漠としてつかみ所のない質問。皇室との「距離を感じる」「感じない」って、いったい何のことだ。何らかの意味のある回答を引き出せるとは到底考えられない。距離も距離感も、何らかの規準や指標に照らしてのものでなくては意味がないからだ。

そんな質問の回答を集計して、毎日は二面の記事に、「『象徴』幅広い層で評価」「『皇室に距離感』5割」と見出しを打っている。記事の内容を拾えば、「(回答者の)計87%が、『象徴』の形を追求し続けてきた天皇陛下の取り組みを評価した形となった。」「一方、皇室との「距離」について「感じる」「ある程度感じる」と答えたのは合計で50%を占めた。」

あたかも、毎日はこう言いたいかのごとくである。国民は天皇(明仁)の象徴天皇のあり方追及を受容しており結構なことだ。しかし、まだまだ国民と皇室との距離感は大きい。これを縮めていくのが、今後の課題ではないか」

「天皇陛下は昨年12月の自身の誕生日に際しての記者会見で『私は即位以来、憲法の下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました』と述べ、『象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝する』と語られていた。」

毎日は、余りに無邪気に余りに無批判に、この記事を書いている。象徴とは何か、象徴天皇とはなにか、象徴天皇制とはいかにあるべきか。それは、主権者国民が決めることであって、天皇が決めることではない。具体的には主権者の意思を反映して内閣が決め、内閣の天皇に対する「助言と承認」というかたちで、天皇に指示をする。天皇が、自ら「象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を求める」などは、明らかに越権行為である。

天皇とは、日本国憲法体系の夾雑物である。例外であり、撹乱要素でもある。日本国憲法本来の理念と体系を大切にしようとすれば、例外である天皇の存在を極小化するしか方法はない。象徴天皇とは内実をもたないものなのだから、その存在はいかようにも切り縮めることが可能である。

国家の運営において、憲法の夾雑物である象徴天皇という存在を極小化することこそが、個人の尊厳を根源的価値とし民主主義を徹底する立場の日本国憲法の理念に適合する所以である。天皇の存在の拡大化は、必然的に日本国憲法のコアな理念と体系を侵蝕することにほかならない。

意識してか否かは知らず。毎日新聞の世論調査と解説記事、まさしく、例外としての象徴天皇を持ち上げることで、日本国憲法の原則をないがしろにするものと批判せざるを得ない。
(2019年3月20日)

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