タイのクーデターは他人事ではない
このところ政情不安定だったタイで、軍が全土を戒厳下においたのが5月20日。22日にはクーデター宣言となって憲法が停止された。タイでは8年前にも同様の事態があって、タクシン政権が倒れた。8年前には、「他人事に眉をひそめる事態」に過ぎなかったが、安倍政権下で軍事国家への萌芽を危惧せねばならない昨今、日本にもあり得ないことではないと深刻に受けとめざるをえない。
選挙ではなくクーデター。国民の合意形成の手順と面倒を省いた軍事力での秩序回復。手っ取り早い秩序と治安維持の担い手として軍が前面に出て来る危険な事態の進行。それが決して他人事ではない。
タイでは、国王の権威に関するものを除いて、憲法全条項の停止が宣言されているという。デモと集会は一切禁止、夜間外出禁止令も出されている。メディアの自由は一切なくなった。放送局は、軍の厳重な管理下にある。ソーシャルネットワークの規制まで行われているようだ。その状況下で、前首相を含む政治家の拘束が報じられている。
これが他人事でないのは、2012年4月に公表された「自民党憲法改正草案」が戒厳と実質を同じくする事態までは想定しているからだ。もちろん、クーデターは憲法が想定する範囲を超える非合法なできごとだが、戒厳からクーデターまでは、ほんの一歩の距離でしかないことを今回のタイの実例が教えている。
いまさら言うまでもないが、自民党改憲草案は自衛隊とは基本性格を異にする「国防軍」を創設することを公言している。国防軍の秘密保持を憲法事項とし、国防秘密漏示の裁判は国防軍内の軍法会議で行おうというのだ。さらに、「公の秩序を維持」することを国防軍の憲法上の任務として明記する。その国防軍は、草案第9章に新設される「緊急事態」において、秩序維持のために重要な任務を遂行することになる。
「緊急事態」が宣言されれば、国会の機能が停止される。戒厳と同様なのだ。国会に代わって、「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」「内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い」「地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる」と改正案に明記されている。緊急事態とは、名を変えた戒厳と読み込まざるをえない。
大日本帝国憲法第14条は、1項で「天皇ハ戒厳ヲ宣告ス」とし、2項で「戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム」とした。憲法にはこれだけの定めがあれば良い。あとは法律を制定することになる。また、第31条(非常大権)は「本章ニ掲ケタル條規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ」。この規定は当時の多数説において、戒厳とは別に臨機応変の処分を為すことができるとの解釈がなされていた。少数説は戒厳の結果として軍の権能を定めたものと解していたとのことである。
自民党改正草案は、「内閣総理大臣は、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる」ことを定めている。これは、現行日本国憲法には存在しない規定。大日本帝国憲法第14条と31条の復活なのだ。「天皇」が「首相」となり、「戒厳」・「戦時又ハ国家事変」が「緊急事態」に変わっている。これだけで十分なのだ。あとは法律の書きぶり次第で、災害やテロを口実に「緊急事態宣言」が可能となる。緊急事態となれば、治安の維持のために国防軍が前面に出て来る。そして、状況次第で、軍が政治の実権を掌握する事態を生じかねない。クーデター誘発のお膳立てと言わねばならない。
「戸締まり論」華やかなりしころ、「ソ連が攻めてきたらどうする」「北海道に上陸したらどうする」「それでも、無防備でよいというのか」「そんなとき9条で国民を守れるのか」いう問が発せられた。今なら、「北朝鮮がミサイルを撃ってきたら…」「中国が先島の離島に上陸したら…」となるのだろう。
その発問自体の胡散臭さが問われなければならないのだが、タイの現実を見せつけられると、「国防軍がクーデターを起こしたらどうなる」「国防軍が政権を掌握するようなことになったらどうなる」「国防軍こそ民主主義に政治への敵対者として危険な存在ではないのか」と発問せざるをえない。
前田朗さん(東京造形大学・憲法)に、「軍隊のない国家ー27の国々と人びと」という著書(日本評論社)がある。初稿は「法と民主主義」連載だった。その中で、クーデター防止のために軍を廃絶した国の実例が載っている。軍隊が度々のクーデターを起こしてきた歴史をもつ国では、軍隊こそが政情不安の元凶であり、民主主義の敵でもある。また安全な国民生活の障害物でもある。だから、その根本的な解決のために直接の元凶である軍隊を解散させた。コスタリカやハイチ、ドミニカなどがこれにあたるという。
軍が強ければ本当に国民は安心なのだろうか、自国の軍は侵略戦争を起こさないのだろうか、自国の軍の強大化は近隣諸国の軍事力の強大化と軍事的緊張関係を呼び起こさないのだろうか。軍は国内の政治的安定の攪乱要因とならないのだろうか。
経済関係緊密で人的交流も頻繁なタイの動向に無関心ではおられない。到底他人事ではない。
(2014年5月24日)