澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

集団的自衛権とは「先制攻撃」と「海外派兵」の権利だ

たまたま、「軍事研究」という月刊誌の最新号(2014年7月号)に目を通した。
普段は私に縁のない異界の専門誌だが、水島朝穂さんの愛読誌なのだそうだ。水島さんが、もう10年も前の「直言」に次のように記載している。

「私は、『朝雲』よりも1年早く『軍事研究』の定期購読を始めた。自宅書庫には、‥創刊号(1966年4月号)からの‥38年分がぎっしり詰まっている。‥一時期、正確には1973年7月号から1979年2月号まで、表紙の題字の下に『戦争のあらゆる要因を追求して人類恒久の平和を確立する』という言葉が掲げられていた。まるで『平和研究』誌である。軍事を語ることにそれだけイクスキュースが必要だったのだろう。

ところで、この雑誌で毎号まっさきに読むのがイエローページ、『市ヶ谷レーダーサイト』である。防衛庁が六本木にあったので、長らく「六本木レーダーサイト」といった。筆者は『北郷源太郎』。小名孝雄(『軍事研究』創設者)のペンネームと言われている。この人物は、北海道で『北方ジャーナル』というブラックジャーナルを主催。憲法学の世界では周知の『北方ジャーナル事件』の当事者である。この事件で最高裁判所大法廷は、『人格権としての名誉権』を基礎として、権利侵害を予防するための差止め請求権を承認し、これにより表現行為(この場合は雑誌という出版物)に対して差止めを行うことを一定の条件のもとで許容するという注目すべき判決を出している(1986年6月11日)。『市ヶ谷レーダーサイト』は、その小名の経験とセンスを遺憾なく発揮して、将官人事の動向から次期幕僚長候補、内局の人事異動まで異様に詳しい。」
水島さんにこれだけ論じてもらえれば「軍事研究」も本望だろう。私も、水島解説に大いに興味をそそられる。

最近号は、特集記事「ウクライナ侵攻作戦&中国原子力空母」で手にしてみたのだが、件のイエローページ「市ヶ谷レーダーサイト」に目が行った。タイトルは「安倍総理の防衛知識は大丈夫なのか?」。結論は、「姑息な手段に逃げないで、堂々と憲法改正をすべきである」だが、その過程になかなか注目すべきことが書いてある。

注目すべき第1点は、「安倍総理の防衛知識は大丈夫なのか?」の内容。
「安倍総理は5月15日の記者会見で、集団的自衛権行使容認の必要性とその為の憲法解釈の変更の必要性を、自らパネルを使い熱弁をふるって説明した。‥驚くべきは二つに絞ったパネルの内容である。一つは避難邦人を乗せた米輸送艦を日本の護衛艦が護衛できないというもの。もう一つは海外派遣されている自衛隊がテロリストに襲撃されたNGOを救援できないというもの。小保方先生の実験ノートにも驚かされたが、このパネルはそれに匹敵するほどお粗末な代物だ。‥隣国で有事となり逃げ遅れた邦人を救出しなければならない場合で、米輸送艦を護衛するための護衛艦を派遣できる環境と余裕があるのなら、なにも米輸送艦に頼む必要など最初からないのであって、海自の輸送艦やチヤーター船を派遣すればいいのではないだろうか。そもそも米輸送艦が邦人を輸送するというケースなどあるのだろうか。少なくとも日米安保条約上の義務として米軍がそうする義務はまったくないし、軍事的合理性から見てもそのようなことはしないだろう。次のNGO救援も然り。‥また良く喧伝されるグレーゾーンについても治安出動や海警行動で対処できるものばかりである。」

注目すべき第2点が、軍事研究専門家から見た、集団的自衛権概念の捉え方である。
「巷の意見を聞いても、集団的自衛権の行使ができなければ日本の防衛が心配だという声となって来る。しかしそれは集団的自衛権を、日米が集団となって自衛しようという権利とでも誤解しているに違いない。集団的自衛権とはあくまで集団になって防衛する権利ではなく、『武力攻撃を受けた国が自国と密接な関係にある場合に、これをもって自国の平和と安全を侵害するものと認め、被攻撃国を援助して共同防衛に当たる権利』である。平たく言えば自ら攻撃されてなくても侵略国を攻撃する権利だ。即ち憲法9条で禁止された戦力にはできても防衛力にはできない『先制攻撃』と『海外派兵』をすることなのである」

敢えて繰り返す。集団的自衛権を、「日米が集団となって自衛しようという権利」などと誤解してはいけない。集団的自衛権とは、「武力攻撃を受けた国が自国と密接な関係にある場合に、これをもって自国の平和と安全を侵害するものと認め、被攻撃国を援助して共同防衛に当たる権利」なのである。ここまでは、平凡で平板な記述。目を惹くのは、「平たく言えば」以下の底意。「自ら攻撃されてなくても侵略国を攻撃する権利だ」。もっと具体的には、「憲法9条で禁止された戦力にはできても防衛力にはできない『先制攻撃』と『海外派兵』をすること」だという。つまるところ、集団的自衛権とは現行憲法では認められない『先制攻撃』と『海外派兵』をする権利なのだ。

少し、コメントを加えたい。「自ら攻撃されてなくても侵略国を攻撃する権利」は不正確であろう。集団的自衛権行使の相手国は、「侵略国」である必要はない。「武力攻撃を受けた国」で十分なのだ。ベトナムがアメリカに対する侵略国だから、わが国がベトナムに対して集団的自衛権としての武力行使が可能となるわけではない。アフガン、イラクについても同様。集団的自衛権行使が、「侵略国」を相手にする場合にだけ認められるというロジックはありえない。

集団的自衛権とは、具体的には「憲法9条で禁止された戦力にはできても防衛力にはできない『先制攻撃』と『海外派兵』をすること」と喝破しているのは炯眼というべきである。水島さんが、筆者の「経験とセンスが遺憾なく発揮」されていると言うのもむべなるかな。

憲法9条(2項)は「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」と定めている。憲法によって保持を禁じられた「戦力」とは、「自衛権行使のための最小限度」を超過する実力を意味する。集団的自衛権の行使を容認するとは、「自衛のため」の実力という制約を取り払うこと。それは、自衛力(この記事では「防衛力」)ができなかったことを可能とすること。現行憲法では禁止された「戦力」を保持することであり、自衛力では突破できなかった『先制攻撃』と『海外派兵』を可能とすることなのだ。

筆者北郷源太郎は「だから、今の憲法のもとではできない。堂々と国民に信を問う手続を踏んで憲法改正をすべきだ」と言う。
私は、「今の憲法のもとではできない。姑息な解釈改憲は許されない」点には同意する。しかし、「だから、堂々と、明文改憲をすべきだ」という見解には、到底賛成できない。「先制攻撃」も「海外派兵」も許さぬ憲法を守り抜こう。
(2014年6月19日)

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Published in 木曜日, 6月 19th, 2014, at 20:02, and filed under 集団的自衛権.

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