株主代表訴訟と住民訴訟、明と暗の二つの判決
誰もが自分の権利・利益を保護するために裁判を申し立てる権利を持つ(憲法32条)。とはいえ、裁判は自分の権利・利益の保護を求めてのもの。自分の権利の保護を離れての訴訟提起は法が想定するところではない。正義感から、公益のために、世の不正や違憲の事実を裁判所に訴えて正そうと、裁判を提起することは原則として許されない。
もっとも、これにはいくつかの例外がある。自分の権利保護を内容としない訴訟を「客観訴訟」と言い、客観訴訟が認められる典型例が地方自治法上の「住民訴訟」。地方自治体の財務会計上の行為に違法があると主張する住民は、たった一人でも、住民監査を経て訴訟を提起することができる。住民であるという資格だけで、全住民を代表して原告となり、自治体コンプライアンスの監視役となって訴訟ができるのだ。
よく似た制度が「株主代表訴訟」。これも、取締役らの不正があったと主張する株主は、たった一人で裁判所に提訴ができる。各取締役個人を被告として、「会社に与えた損害を賠償せよ」という内容になる。原告にではなく、会社に支払えという裁判。住民訴訟同様に、原告となる株主個人が、全株主を代表して損なわれた会社の利益を回復する仕組みであり、この制度あることによって取締役の不正防止が期待されている。
株主代表訴訟と住民訴訟、両者とも私益のためではなく、「公益」のために認められた特別の訴訟類型。はからずも本日(9月25日)東京地裁で、両分野で、注目すべき判決が言い渡された。
まずは、株主代表訴訟。西松建設事件である。
「旧経営陣に6億円賠償命令 西松建設の株主代表訴訟
西松建設の巨額献金事件で会社が損害を受けたとして、市民団体「株主オンブズマン」(大阪市)のメンバーで個人株主の男性が、旧経営陣10人に総額約6億9千万円の損害賠償を求めた株主代表訴訟の判決で東京地裁は25日、6人に対し総額約6億7200万円を西松建設に支払うよう命じた。
事件では、会社が設立したダミーの政治団体に幹部社員らが寄付し、賞与の形で会社が穴埋めするなどの方法で政治献金が捻出されていた。10人は、献金当時に役員を務めていた。
大竹昭彦裁判長は、うち社長経験者ら6人が『役員としての注意義務違反があった』と指摘した。」(共同通信)
西松建設は、実体のない政治団体を使って国会議員に裏金を献金していた。2008年から東京地検特捜部が本社を捜索し、2009年に事件は「偽装献金事件」として政界に波及した。自民党や民主党の多数政治家に大金が流れていた。
西松建設幹部と国会議員秘書など計5人が、政治資金規正法違反として起訴され、4人が執行猶予付きの禁錮刑となり、1人が略式手続きによる罰金刑となって、刑事事件は確定した。
刑事事件は確定しても、会社から違法に流出した政治献金の穴は残ったまま。各取締役個人に対して、これを賠償せよというのが、今回の株主代表訴訟の判決。
たった一人の株主が、会社の不正を質した判決に到達したすばらしい実践例。「株主オンブズマン」(大阪市)の日常的な活動があったればこその成果といえよう。
もう一つは、住民訴訟関連の判決。報道の内容は次のとおり。
「高層マンション建設を妨害したと裁判で認定され、不動産会社に約3100万円を支払った東京都国立市が、上原公子元市長に同額の賠償を求めた訴訟の判決が25日、東京地裁であり、増田稔裁判長は請求を棄却した。
増田裁判長は『市議会は元市長に対する賠償請求権放棄を議決し、現市長は異議を申し立てていないので、請求は信義則に反し許されない』と指摘した。」(時事)
先行する住民訴訟において、東京地裁判決(2010年12月22日)が、元市長の国立市に対する賠償責任を認め、この判決は確定している。元市長は任意の支払いを拒んだので、国立市は元市長を被告として同額の支払いを求める訴訟を提起した。
ところが、その判決の直前に新たな事態が出来した。市議会が、11対9の票差で裁判にかかっている国立市の債権を放棄する決議をしたのだ。今日の判決は、この決議の効果をめぐっての解釈を争点としたものとなり、結論として国立市の請求を棄却した。
こちらは、せっかくの住民訴訟の意義を無にする判決となって、高裁、最高裁にもつれることになるだろう。
問題は、たった一人でも行政の違法を質すことができるはずの制度が、議会の多数決で、その機能が無に帰すことになる点にある。
たとえば、総務省の第29次地方制度調査会「今後の基礎自治体及び監査・議会制度のあり方に関する答申」(2009年6月16日)は、次のように述べている。
「近年、議会が、4号訴訟(典型的な住民訴訟の類型)の係属中に当該訴訟で紛争の対象となっている損害賠償請求権を放棄する議決を行い、そのことが訴訟の結果に影響を与えることとなった事例がいくつか見られるようになっている。
4号訴訟で紛争の対象となっている損害賠償又は不当利得返還の請求権を当該訴訟の係属中に放棄することは、住民に対し裁判所への出訴を認めた住民訴訟制度の趣旨を損なうこととなりかねない。このため、4号訴訟の係属中は、当該訴訟で紛争の対象となっている損害賠償又は不当利得返還の請求権の放棄を制限するような措置を講ずるべきである。」
私は、この答申の考え方に賛成である。首長の違法による損害賠償債務を議会が多数決で免責できるとすることには、とうてい納得し難い。国立市はいざ知らず、ほとんどの地方自治体の議会は、圧倒的な保守地盤によって形成されている現実がある。首長の違法を質すせっかくの住民訴訟の機能がみすみす奪われることを認めがたい。
とはいえ、現行制度では、自治体の権利の放棄ができることにはなっており、その場合は議会の議決が必要とされている。問題は、議会の議決だけで債権の放棄が有効にできるかということである。
最高裁は、古くから「市議会の議決は、法人格を有する市の内部的意思決定に過ぎなく、それだけでは市の行為としての効力を有しない」としてきた。高裁で分かれた住民訴訟中の債権放棄議決の効力について、最近の最高裁判決がこれを再確認している。
2012(平成24)年4月20日と同月23日の第二小法廷判決が、「議決による債権放棄には、長による執行行為としての放棄の意思表示が必要」とし、これに反する高裁判決を破棄して差し戻しているのだ。
国立市の現市長は、「長による執行行為としての放棄の意思表示」をしていないはず。最高裁判例に照らして、「現市長は異議を申し立てていないので、請求は信義則に反し許されない」は、すこぶる疑問であり、不可解でもある。
首長の行為の違法を追求可能とするのが住民訴訟の制度の趣旨。この判決では、市長派が議会の過半数を味方にすれば責任を逃れることが可能となる。さらに、前市長・元市長の違法を追求しようという現市長の意図も、議会の過半数で覆されることになる。
このままでは、せっかくの住民訴訟の制度の趣旨が減殺される。上級審での是正の判断を待ちたいところではある。
(2014年9月25日)