澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

NHK 会長の居座りが国民の信頼回復へのネックだ

毎日新聞の投書欄に、NHK受信料についての投稿が続けて取り上げられている。NHKに対する不審・不満の人々の気持ちを反映したものであろう。これがおそらくは氷山の一角。

5月2日に宮崎市の66歳無職氏が、「NHK(BS)受信料徴収について」、その不合理・理不尽に抗議している。

「先日から、頻繁にNHKのBS受信料を支払えと言って職員が来ます。ケーブルテレビなどBSが受信できるようになっていれば、視聴しようがしまいが、支払ってもらうということなのです。
 これは、頼みもしないのに一方的に商品を送ってきて支払いを強制するのと同じことではないでしょうか。

 NHKが公共放送というのなら、本来、だれでも視聴できるべきではないでしょうか。そうでなければ、受信料を徴収する方向ではなく、受信料を支払っていないところは、視聴できないようにしたらいかがでしょうか。デジタル化された今、可能でしょう。徴収する職員の人件費も節約できますよ。」

この投稿者のケーブルテレビ利用はNHKのBS受信のためではない。おそらくは、NHKBSの視聴には興味もないのだろう。それなのに、「視聴しようがしまいが、受信料は支払ってもらう」というのがNHKの高飛車な姿勢。これは不合理だ。世の中の常識では、欲しいものは吟味して、欲しいだけの量を購入して、それだけの代金を支払う。ところが、欲しくもないもの、使わぬものにまで金を支払えとは、理不尽極まる。「頼みもしないのに一方的に商品を送ってきて、支払いを強制する悪徳商法と同じではないだろうか」と率直な感想が述べられている。もっとも至極。健全な消費者感覚ではないか。

とりあえず、この請求には断固拒否すればよい。NHKとご当人との間には、「地上契約」(地デジ受信だけを内容とする契約)だけが存在していて、「衛星契約」(BS受信も内容とする契約)は未締結だと思われるからである。契約未締結では高額な衛星契約受信料支払いの義務は生じない。

もっとも、放送受信規約取扱細則6条2項は、「地上契約を締結している者が、衛星系によるテレビジョン放送を受信できる受信機を設置したときは、衛星契約について所定の契約手続を行うものとする」となっている。「契約手続を行うものとする」は微妙な表現だが、少なくも、契約締結が擬制されるわけではなく、自動的に受信料支払い債務が発生するわけでもない。飽くまで、任意の契約締結が原則なのだ。

この請求を拒否し続けていれば、NHK側の対抗手段としては訴訟の提起をするしかない。視聴者に対して衛星受信契約締結を求め、その契約成立の日以後の契約に基づく受信料を請求するという訴え。NHKにとってかなり難しい面倒な訴訟である。この訴訟における判決の確定までは、受信料支払い義務は生じない。

そもそも、契約とは締結するもしないも自由である。この投稿者の感覚こそが、法常識に適っているのだ。ところが、放送法64条が、本来自由であるはずの受信契約について、「契約をしなければならない」とする不思議な規定を置いた。「協会(NHK)の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。」というもの。

BS受信だけのことではない。地上波受信の基本契約についても同様に、受信契約締結があってはじめて、受信料支払い義務が発生することになっている。これは、NHKの放送内容やその姿勢に国民が共鳴して、公共放送としてのNHKを国民が自発的に支えることを期待しての制度にほかならない。

仮に最終的には面倒な訴訟手続を経てNHKが受信料を強制徴収できるにせよ、法は国民のNHKに対する信頼を基礎とした任意を支払いを期待しているのだ。だから、普通の感覚からは「そこまでやるの?」「NHKやり過ぎじゃない?」「悪徳商法並みの請求」などと批判されるような請求は控えるべきが当然であろう。

次いで、5月4日「NHK受信料、見た分だけに」という、横浜の主婦66歳の投書が掲載された。
「私はNHKのテレビ番組はほとんど見ません。見るのは天気予報、ニュース、地震速報くらいです。それもNHKだけに頼っているのではなく、民放との見比べです。
 歌やサスペンスは好きなので民放では結構見ていますが、NHKの歌番組やドラマはBSを含めてもまず見ません。
 昭和時代は、テレビといえばNHKでした。あの頃の番組にはNHKらしい品格、安心感がありました。今でも懐かしく思い出します。
 NHKのテレビ番組はほとんど見ない今、2カ月4560円の受信料は年金生活の我が家にとっては、最大の出費です。
 私はプリぺイドカードの導入を希望します。電気、ガス、水道、電話のように使用した分だけの料金にしてほしいと思います。」

これも、まことにまっとうな経済感覚ではないか。「必要なものを必要なだけ買いたい」というのが消費者としてのあまりに当然の要求。電気、ガス、水道、電話、みな代金は従量制ではないか。野菜を買っても、魚を買っても、余計なものまで買わせられることはない。抱き合わせで不必要なものまで渡されて、食べても食べなくても代金だけは支払え、などと理不尽なことは言われない。NHKだけがなぜかくも不合理・理不尽を主張できるのか。

2日の投稿者は、「受信料を支払っていないところ(BS)は、視聴できないようにしたらいかがでしょうか」と言い、4日の投稿者はより積極的に、「プリぺイドカードの導入を希望します。使用した分だけの料金にしてほしいと思います」と言う。それがあるべき方向ではないか。

何よりも大切なことは、契約にもとづく受信料支払いの制度の基本が、視聴者にとって魅力のあるNHK、信頼される公共放送であることなのだ。視聴に値する魅力に乏しく、政権への迎合を疑われるジャーナリズムにあるまじき報道姿勢で、しかも人格識見まことに不適格な会長や経営委員人事が実態となれば、国民が任意には受信料を支払いたくないと思うのも当然ではないか。

強制によって受信料の徴収をはかろうというのは邪道なのだ。何よりも、視聴者の信頼を勝ち得なくてはならない。これ以上の不適格はないという現会長を解任し、政権の息のかかった経営委員を交代させ、権力から独立した公共放送としての信頼を取り戻すことが喫緊の最重要課題だと知るべきである。公共放送としての信頼の回復こそが、NHKの経済的な充実の鍵であり、その最大のネックが不適格会長の居座りなのだ。
(2015年5月9日)

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