澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

舞の海秀平の珍説ーこれは外国人力士への差別発言だ

今日(5月10日)から大相撲夏場所が始まった。結びの一番に、逸の城が白鵬を突き落としで破って座布団が舞った。外国人力士の活躍が大いに土俵を沸かせている。ところが、これを不愉快とヘソを曲げている一群の人々がいる。「日本人の活躍がない「国技」を面白いなどとは不届き千万」、「そのような輩は自虐ファンだ」というわけだ。国籍・人種・民族の違いに過度にこだわる人々。その多くが、すべての人を平等と見る日本国憲法の嫌いな人たちに重なる。

憲法記念日には、憲法が嫌いな人たちも寄り合って集会を行う。憲法を攻撃するために集会を開く権利も、憲法を貶める言論の自由も、懐広く憲法の認めるところだから堂々となし得る。この人たちも憲法の恩恵に浴しているのだ。

今年の5月3日には、東京・平河町の砂防会館別館で開かれた公開憲法フォーラム「憲法改正、待ったなし!」が、そのめぼしいものだった。
主催は、「民間憲法臨調」と「美しい日本の憲法をつくる国民の会」。この集会の登壇者は次のとおりである。さすがに公明党関係者はいない。
 古屋 圭司(衆議院憲法審査会幹事)
 礒崎 陽輔(自民党憲法改正推進本部事務局長)
 松原  仁(民主党、元国務大臣・拉致問題担当)
 柿沢 未途(維新の党政調会長)
 中山 恭子(次世代の党参議院会長)
 森本 勝也(日本青年会議所副会頭)
 舞の海秀平(大相撲解説者)
 細川珠生(政治ジャーナリスト)
 櫻井よしこ(両主催団体代表)
 西 修(民間憲法臨調運営委員長)

相も変わらぬ顔ぶれの中で、人目を引いたのが舞の海の発言。この人は、現役時代は器用な相撲を取っていた。きっと世渡りも器用なのだろう。現役を退いてからは器用に相撲解説をし、右翼の政治集会でも器用に「珍説」を披露して期待に応えている。

舞の海の珍説は、嗤ってばかりでは済まされない。かなりきわどい内容。これは外国人力士に対する差別発言ではないか。ヘイトスピーチと言ってもおかしくはない。

以下が、産経の報じる舞の海の発言内容。
日本の力士はとても正直に相撲をとる。「自分は真っ向勝負で戦うから相手も真っ向勝負で来てくれるだろう」と信じ込んでぶつかっていく。ところが相手は色々な戦略をしたたかに考えている。立ち会いからいきなり顔を張ってきたり、肘で相手の顎をめがけてノックダウンを奪いに来たり…。あまりにも今の日本の力士は相手を、人がいいのか信じすぎている。

「これは何かに似ている」と思って考えてみたら憲法の前文、「諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」に行きついた。逆に「諸国民の信義」を疑わなければ勝てないのではないか。

私たちは反省をさせられすぎて、いつの間にか思考が停止して、間違った歴史を世界に広められていって、気がつくとわが日本は国際社会という土俵の中でじりじり押されてもはや土俵際。俵に足がかかって、ギリギリの状態なのではないか。

今こそしっかり踏ん張って、体勢を整え、足腰を鍛えて、色々な技を兼ね備えて、せめて土俵の中央までは押し返していかなければいけない。憲法改正を皆さんと一緒に考えて、いつかはわが国が強くて優しい、世界の中で真の勇者だといわれるような国になってほしいと願っている。

言っていることが余りにせこくて情けない。論理が無茶苦茶なのは責めてもしょうがないだろう。なんでも日本国憲法のせいにするのも、右翼集会に出てきてのリップサービスとして目をつぶろう。しかし、外国人力士に対する差別には目をつぶれない。魅力ある相撲には拍手を惜しまない一般の相撲ファンにも失礼ではないか。

「日本の力士はとても正直に相撲をとる」とは、「外国人力士は正々堂々とした相撲を取らない」との中傷である。「相手は色々な戦略をしたたかに考えている」の「相手」とは文脈上外国人力士のことである。「外国人力士は立ち会いからいきなり顔を張ってきたり、肘で相手の顎をめがけてノックダウンを奪いに来たり…」とは、問題発言だ。こんなことを集会でおしゃべりする輩は相撲解説者として不適格と言わねばならない。

舞の海の発言は、明らかに民族的な差別意識からの発想である。力士を、「日本人力士」と「日本人以外=外国人力士」に分類して、「日本人力士」を「正々堂々と相撲をとる力士グループ」、「外国人力士」を「いきなり顔を張ってきたり、肘で相手の顎をめがけてノックダウンを奪いに来たりする」力士グループというのだ。力士個人に着目するのではなく、カテゴリーでレッテルを貼る。これが差別の手法である。

なお、相撲ファンの一人としての異論も言っておきたい。舞の海は、「今の日本の力士は相手を信じすぎて勝てない」「相手を疑わなければ勝てないのではないか」というが、勝負よりも相撲の美学に惹かれるファンは多いはずだ。「相手を疑っても、相撲の品格を落としても勝て」と聞こえる舞の海説の言は相撲の美学を否定するものとして愚か極まる。右翼とは、伝統の美学を重んじる立場のはず。この集会参加者で苦々しく聞いた人も多かったのではないか。

また、日本人力士が外国人力士の席巻を許している理由を「相手を信じすぎて勝てない」などと言っているのは見当違いも甚だしい。「相手を疑ってかかれば互角の勝負が可能」などと負け惜しみを言っているのではお話にならない。番付通りの歴然たる実力差を潔く認めなければならない。その上で、日本人力士の活躍を期待するのであれば、この実力差のよって来たるところを見極め、克服する努力をする以外にない。大相撲関係者が、憲法の悪口でお茶を濁している限り、日本人力士の巻き返しは難しそうだ。

なお、彼の考える憲法改正とは、「諸国民の公正と信義に信頼することは愚かだ。諸国民の公正と信義を疑え」という一点。それが、「強くて優しい、世界の中で真の勇者」であろうか。堂々たる正直相撲の美学を否定して、「ともかく勝つ方法を考えよ」という相撲解説者に、国際的な「真の勇者」を語る資格などない。

迷解説者の妄言を吹き飛ばして、国籍や民族にこだわりのない、夏場所にふさわしいさわやかな土俵を期待したい。
(2015年5月10日)

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