自民党改憲草案「国防軍・審判所」とはなんだ
俄然有名になった石破茂・「軍法会議」発言。正確には、「軍事法廷」と言ったようだ。
4月21日「週刊BS?TBS報道部」での発言内容は次のようであったという。
石破「(自民党改憲案には)軍事裁判所的なものを創設するという規定がございます。『自衛隊が軍でない何よりの証拠は軍法裁判所が無いことである』という説があって、それは今の自衛隊員の方々が『私はそんな命令は聞きたくないのであります』『私は今日かぎりで自衛隊をやめるのであります』と言われたら、『ああそうですか』という話になるわけです。『私はそのような命令にはとてもではないが従えないのであります」といったら、(今の法律では)目いっぱいいって懲役7年です。
これは気をつけてモノを言わなければいけないけれど、人間ってやっぱり死にたくないし、けがもしたくない。『これは国家の独立を守るためだ』『出動せよ』って言われた時、『死ぬかもしれないし、行きたくないな』と思う人がいないという保証はどこにもない。
だからその時に、それに従え、それに従わなければ、その国における最高刑に死刑がある国なら死刑、無期懲役なら無期懲役、懲役300年なら300年(を科す)。『そんな目にあうぐらいだったら出動命令に従おう』っていうことになる。
『お前は人を信じないのか』って言われるけど、やっぱり人間性の本質から目をそむけちゃいけないと思う。…軍事法廷っていうのは何なのかっていうと、すべては軍の規律を維持するためのものです。」(赤旗から)
要するに、国防軍の軍紀維持の必要から、軍人の命令違反には「死刑、無期懲役、懲役300年」という最高の厳罰をもって臨むべきが当然。そのような刑罰法規を整備して初めて、兵士は「出動命令に従おう」という気になるものだ、と言いたいよう。
なるほど、現行自衛隊法における処罰規定の最高刑は、「防衛出動命令を受けた自衛官が3日以上職務の場所を離れた場合」の懲役7年(自衛隊法122条1項2号)に過ぎない。対して、旧陸軍刑法・海軍刑法では、「軍人軍属が、敵前において上官の命令に反抗しまたは服従しない場合には、死刑または無期もしくは10年以上の禁錮」とされていた。石破は、「自衛隊法じゃだめだ。これでは戦争などできない。これからは本気で戦争しようというのだから、旧軍並みにしなければ」と言ったわけだ。
しかし、番組の質問の趣旨は、軍事実体刑法の問題ではなく手続法の問題。石破が「軍事法廷」と呼んだ、「軍法会議まがいの国防軍・審判所」とはいったい何だろうか。この辺、石破が改憲草案の起案者かと思っていたら、石破自身がよく分かっていないようだ。質問に的確に答えることができていない。軍紀紊乱には厳罰が必要だと言いながら、その厳罰を科す「軍事法廷」の何たるかをまったく説明しようとしていない。なぜ、「軍事法廷」が必要であるかも。
現行日本国憲法では、「軍法会議」の設置は違憲である。
憲法76条1項が、「全て司法権は,最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する」とし、同2項が、「特別裁判所は,これを設置することができない。行政機関は,最終的な上訴審として裁判を行うことができない」と明記しているから。
最高裁判所の系列の外にはみ出す「軍法会議」は、憲法上の「特別裁判所」にあたり、憲法上設置が許されない。
旧憲法は、特別裁判所としての軍法会議を許す規定となっていた。
第60条「特別裁判所ノ管轄ニ属スヘキモノハ別ニ法律ヲ以テ之ヲ定ム」は、法律次第で特別裁判所の設置を認める規定となっており、特別裁判所としての軍法会議が設置された。二審制で、通常の司法裁判所からは完全に独立した存在であった。
旧軍では、軍刑法違反の犯罪があった場合、軍法会議で刑罰を科せられた。しかし、現行憲法下では、自衛隊法違反の隊員は、通常の司法裁判所(地裁・高裁・最高裁)で裁かれることになる。「これではだめだ。本気で戦争やる態勢ではない」。で、自民党改憲草案は、その9条の2第5項に、「国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため,法律の定めるところにより,国防軍に審判所を置く」という規定を新設した。
石破の口から「審判所」ということばが出てこなかった。それほど、なんたるかがよく分からない。その設置の趣旨も、構成も。ただただ、一人前の軍隊の格好をつける必要だけが、前面に出ている感がある。
自民党改憲草案は、76条にはほとんど手を付けていない。その2項は、「特別裁判所は,設置することができない。行政機関は,最終的な上訴審として裁判を行うことができない」となっている。国防軍の審判所は、「特別裁判所」ではあり得ず、最高裁系列からはみ出した「軍法会議」ではない。
軍法会議でないとすると、家庭裁判所や知財高裁のような「下級裁判所」の一形態であるのか、労働委員会や公害審査会、海難審判所のごとき、裁判的機能をもつ行政機関であるのか、実はよく分からない。
石破はTBS番組の発言では、「軍事法廷」の非公開を明言している。もしかしたら、「下級裁判所」との位置づけだと、非公開での審理がしにくいと考えたのかも知れない。問題は残るが、非公開での「審判所」の審理のあとの審級を、最高裁への上告審だけとするシステムが狙いなのかもしれない。事実審は、すべて行政機関としての「審判所」において非公開で行い、上告審だけを法律審である最高裁に行わせる。こんなことを考えているのではないだろうか。
軍隊は、人権擁護とはもっとも疎遠な場所である。軍人勅諭も、戦陣訓も、およそ人権とは無縁の思想で形づくられている。なによりも、国防軍を設置すると明言する改憲を許してはならない。
石破発言は、9条改憲によって現実化する人権の危うさを垣間見せたもの。本来、いかなる犯罪にも、被告人には防御の権利が保障されなければならない。軍隊とても、私刑は許されず、軍紀違反に対する制裁は裁判の手続を採らねばならない。しかし、「軍法会議」設置の思想は、「被告人に面倒な人権保護手続きを保障していたのでは戦争にならない」「軍隊なのだから、一般社会のとおりの人権保障重視ではなく簡易迅速重視。即決即断せざるを得ない」というものである。
軍隊は恐ろしい。軍隊の設計をたくらむ人は、もっと恐ろしい。
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『兵士たちの戦後史』(吉田裕著)より2?講和条約の発効と「逆コース」
戦後の、軍人たちの巻き返しは早かった。1950年朝鮮戦争が勃発すると、東側陣営との対決のためにアメリカは対日占領政策を明確に転換した。前線基地をおく地理的好条件を備えた下位の同盟者として、日本を利用する必要があった。また、日本自身も渡りに舟と、親米保守政権を作ってアメリカの期待にこたえた。51年にはアメリカ主導のサンフランシスコ講和条約を締結した。ソ連や中華人民共和国などが調印しない片面講和で、戦後に難問を残すこととなった。
憲法9条の制約をかいくぐって、50年には、警察予備隊、52年には保安隊・警備隊、54年には自衛隊と軍事力を整備した。こうして旧軍人が大手を振って活躍できる舞台ができた。政治的、社会的に民主化、非軍事化にストップをかける「逆コース」の動きは、いろんな面で素早かった。51年の靖国神社例大祭に内閣総理大臣吉田茂が参拝し、52年には天皇が「親拜」した。また、52年には国の主催で全国戦没者追悼式が行われ、戦没者慰霊の機運が盛り上がった。それに応える旧軍人の結集も着々と準備された。53年になると、日本各地で多くの「戦友会」がつくられ、英霊の顕彰を目的とする「日本遺族会」「旧軍人恩給復活連絡会」が結成された。戦犯の復権も国会議決された。こうして、53年8月には軍人恩給も復活した。200万人以上の旧軍人に、56年には国家予算の8.6%、889億円が支払われた。
「危険な思いをしたり、陛下のために不利益を受けたのは軍人だけじゃない。戦争犠牲者は国民の全部であり、中でも未亡人や戦災孤児が最も痛ましい。軍人に恩給をやるくらいなら戦禍を受けた国民のひとり残らずが、国家から何らかの補償を受けていい筈だと考えるのも尤も千万である。・・既得権益とか国家との契約だとかは敗戦という未曾有の出来事で一応キレイにすっかり忘れて白紙に還って、困る人を国家が扶けるという社会保障の中に包含するのが一番穏当だというのが、今日の私の考え方である」(久富通夫『職業軍人』1956年採光社)。こんなまともな考えの元陸軍中佐がいたのには驚きである。
恩給額は旧軍の階級や年齢で差がある。ちなみに、中佐の恩給最高額は年額8万5120円であった。小学校の教員の初任給が年額9万3600円であった時代のことである。
(2013年8月19日)