澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

安倍晋三流改憲「手口」と、それゆえの孤立

安倍晋三流改憲手法の特徴は「薄汚さ」の一言に尽きる。正々堂々と国民に信を問おうという姿勢に欠けるのだ。彼の辞書にはフェアプレイという語彙がない。

その薄汚い姿勢は、彼の人間性に根差してもいるのだろうが、むしろ彼の自信のなさを物語るものとして理解すべきであろう。彼には、堂々と国民に語りかけ、説得し、手続きを踏んだ憲法改正を実現する自信がない。だから、「薄汚い」と言われても、「姑息」「邪道」と批判されても、奇手・奇道に走らざるを得ないのだ。

その薄汚い「手口」の典型が、96条先行改正論であり、内閣法制局長官のクビのすげ替えによる集団的自衛権行使容認の解釈改憲である。志を同じくする「薄汚い」連中が、同志として合い寄り、助け合って姑息な「手口」の実現をはかろうとしている。しかし、政界も官界も、ましてやジャーナリズムも学界も、当然のことながら国民も、けっして「薄汚さ」を容認する者ばかりではない。むしろ、「薄汚さ」には反発を感じる潔癖派が大勢を占めていると見るべきだろう。改憲の是非や集団的自衛権行使の可否以前に、まずはこの「手口」の汚さが問われなければならない。

おそらくは、安倍はその手口の汚さ故に、孤立を深めることになる。「兵は詭道なり」と衒って策を弄した安倍は、結局は策に溺れて改憲に失敗することになろう。

本日毎日夕刊「特集ワイド」の次の記事が目を引く。
「批判は身内からも上がる。『目指すところは安倍さんと同じ』という山崎拓・元自民党副総裁は解釈改憲を否定する。『長官を代えて解釈を変える手法は、スポーツの試合で自分に有利なように審判を代えるようなもの。集団的自衛権を行使したいのなら憲法改正手続きに沿って国民投票を行い、堂々と民意を問うべきだ。そうではなく、歴代政権の解釈が間違いというなら何が間違いだったのか、あるいは時代がどう変わったのかをきちんと説明する。本質的な議論なしに解釈改憲に向かえば国民は反発し、政権は揺らぐ。そうなれば憲法改正はできずに終わる』」
山崎拓は、「改憲派」ではあるが「薄汚い派」ではない。安倍流「薄汚い手口」には賛同できないし、この手口は結局失敗すると見ているのだ。

安倍流の改憲手口を容認していると見られることは、「薄汚い派」のレッテルを貼られていること。これは誰もが望むところではない。その表れが、本日(8月20日)の山本庸幸氏の記者会見発言である。

以下の共同の配信記事が、要点をとらえている。
「内閣法制局長官から最高裁判事に就任した山本庸幸氏が20日、最高裁で記者会見し、憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認する考え方について『法規範そのものが変わっていない中、解釈の変更で対応するのは非常に難しい。実現するには憲法改正が適切だろう』と持論を述べた。」

さすがに品の良い最高裁判事の言を補えば、
「憲法そのものが変わっていないのに、解釈の変更で実質的に憲法そのものを変えてしまうのは、本来やってはいけないこと」「集団的自衛権の行使容認を実現したいのなら、正々堂々と国民に信を問う手続を踏んで、憲法改正をやるのが筋というもの」
ということなのだ。言外に、姑息なやり口に対する批判がある。

各紙が、「憲法判断をつかさどる最高裁判事が、判決や決定以外で憲法に関わる政治的課題に言及するのは、極めて異例」と指摘しているとおりである。しかし、黙っていれば、氏は「薄汚い派」の仲間だと誤解されかねない立ち場にあった。懐柔されて、「栄転」した元長官と見られてもやむを得ない立ち場。「自分はこの薄汚い策動にコミットしていない」と明確に宣言しておきたかったのだろう。安倍流手口が孤立する側面を表している。

朝日の報道では、「氏は『集団的自衛権は、他国が攻撃された時に、日本が攻撃されていないのに戦うことが正当化される権利で、従来の解釈では(行使は)難しい』と述べた」という。

さらに、詳報では次のとおりである。
Q 憲法9条の解釈変更による集団的自衛権の行使容認について、どう考えるか
A 前職のことだけに私としては意見がありまして、集団的自衛権というのはなかなか難しいと思っている。というのは、現行の憲法9条のもとで、9条はすべての武力行使、あるいはそのための実力の装備、戦力は禁止しているように見える。
しかし、さすがに我が国自身が武力攻撃を受けた場合は、憲法前文で平和的生存権を確認されているし、13条で生命、自由、幸福追求権を最大限尊重せよと書いてあるわけだから、我が国自身に対する武力攻撃に対して、ほかに手段がない限り、必要最小限度でこれに反撃をする、そのための実力装備を持つことは許されるだろうということで、自衛隊の存立根拠を法律的につけて、過去半世紀ぐらい、その議論でずっと来た。 従って、国会を通じて、我が国が攻撃された場合に限って、これに対して反撃を許されるとなってきた。
だから、集団的自衛権というのは、我が国が攻撃されていないのに、たとえば、密接に関係があるほかの国が他の国から攻撃されたときに、これに対してともに戦うことが正当化される権利であるから、そもそも我が国が攻撃されていないというのが前提になっているので、これについては、なかなか従来の解釈では私は難しいと思っている」
これは、理論的根拠にまで踏み込んだ発言として、インパクトが大きい。元内閣法制局長官であり現最高裁判事である人の、世人がもっとも関心を寄せている点での発言なのだから。

もっとも、氏は次のようにバランスをとる発言はしている。
「しかしながら、最近、国際情勢はますます緊迫化しているし、日本をめぐる安全保障関係も環境が変わってきているから、それを踏まえて、内閣がある程度、決断をされ、それでその際に新しい法制局長官が理論的な助言を行うことは十分あり得ると思っている。」
しかし、こちらには理論的な根拠付けがない。通り一遍の、リップサービスと見るしかない。

私には、氏の異例の発言には、これまで心血を注いで積み上げてきた整合性ある憲法解釈をゆがめられようとしていることに対する怒りが感じられる。怒りの源には、官僚としてのプライドと、人としての良心がある。安倍は、心ある人を敵に回して孤立しつつあるのだ。

なお、本日の毎日「特集ワイド」。標題は、「集団的自衛権行使の容認 憲法解釈変更は『脱法行為』」というもの。メインの取材対象者は浦田一郎教授。次のように、胸のすくような切れ味の名言が並んでいる。
「他国での武力行使に道が開かれれば、戦争放棄を貫いてきたこの国の形が変わる。それを解釈変更でやってしまおうなんて卑しい脱法行為だ」
「法に基づいて政治を行う『法治主義』の観点からすると、法は政治より優位性を持つ。集団的自衛権の解釈も何十年も論争を重ねて『できない』と確認したもの。閣議決定で済む話ではない。政治家がやりたくてもできないことをまとめた『足かせ』が憲法。政治家が何でもできるようになったら立憲主義でなくなる」

内閣法制局長官のクビのすげ替えの日に、中央紙がこれだけの特集記事を書ける状況が心強い。そしてその日の、異例の山本記者会見発言である。安倍は、手口の薄汚さで、確実に墓穴を掘っている。96条先行改憲に続いて、集団的自衛権行使容認論でも、これを封じ込める展望が開けつつある。秘密保全法も、国家安全保障基本法も、国家安全保障会議(日本版NSC)関連法案についても同様ではないか。

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 『兵士たちの戦後史』(吉田裕著)より〔3〕 高度経済成長の企業戦士と戦記物
「青春といわれる時期にあの大戦争に直面し、その最も悲惨であった末期に、もはやほとんど何も選ぶこともできず、その第一線に骨身を削り、多くの友を失い、いわば戦争が日常であった大正二桁生まれを中心とする世代をさして、一般に戦中派と呼んでいる。」(小野田正之「落日の群像」)

その戦中派が「神武景気(56?57年)」、「岩戸景気(59?61年)」を経て、戦後の高度経済成長を担った。「(罪責型は)戦闘に直接参加して、生き残った者に多かった。死んだ戦友にすまないという気持ちの現れである。・・多くの場合、このすまないという気持ちは、死んだ戦友に代わって、祖国の再建のために努力しようという方向に変わっていった。この祖国の再建のためにという一種のナショナリズムは、高度成長期の労働エートスを、大きく特徴づけていた。」(間宏「経済大国を作り上げた思想」)

「戦士」だった男たちは、そのまま「企業戦士」に変身した。彼らは社会の中堅層になり、自信と自負心を回復しようとした。忘れようとしても忘れられない、戦死した戦友の慰霊に努め、一方で、敗戦や戦争の記憶を作り替えて傷痕を繕い、自分の心に受け入れられるものにしたいと願った。その時代気分が作りあげたものが、「戦記もの」ブームである。

「戦記の種別は、空戦記と海戦記、とりわけ空戦記が多い。陸戦記は極めて少なく中国戦線の戦記は全く登場しない。空戦記が多いのは、読者が無意識のうちに、暗く凄惨な戦闘の現実と向き合うことを回避し、勇壮で華々しい読み物としての『戦記もの』を求めていることの反映だと考えられる。戦記そのものの内容も、大部分の戦記は、戦争の性格や位置づけについての問いかけを全く欠いたままに、その戦争の中で、日本軍の将兵がいかに勇敢に戦い、自らに与えられた任務を忠実に実行したかを強調するものとなっている。(吉田裕)」。こうした戦争の肯定的な取り上げ方に対する批判は多くあったけれど、「戦記もの」はベストセラーになったと吉田裕は書いている。

その戦記作家の代表が伊藤桂一である。人気作家であった。中国に2度、計7年間、異常なほど出世しない一兵卒としての経験をもつ。自身の中国出兵中の駐屯地で起きた出来事を書いた「蛍の河」で1961年の直木賞を受賞した。1917年(大正6年)生まれの95歳で、現在も同人誌を主宰し、詩や短歌を発表されている。
明日は伊藤桂一さんについて。
(2013年8月20日)

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Published in 火曜日, 8月 20th, 2013, at 23:45, and filed under 未分類.

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