澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「最高裁裁判官の国民審査、投票棄権の権利について」補論

(2021年10月29日・その2)
 昨日(10月28日)の当ブログ「最高裁裁判官の国民審査、投票棄権の権利について」の記事に、Blog「みずき」の東本さんからのコメントをいただいた。

 最高裁裁判官国民審査についての投票棄権の選択に関して…「投票所まで出向いて投票棄権の意志を告知するとどうやら『信任』にはカウントされないらしい(この点について澤藤さんははっきりと書いていないので『らしい』としか言えない)」というもの。

 「この点について澤藤さんははっきりと書いていない」とのご指摘に責任を感じて、投票日が迫っているので、急遽追加の記事を掲載する。

 選挙における棄権は投票所に足を運ばないだけのことで、「棄権の権利」とか、「投票棄権の選択」などを意識する必要もない。ところが、最高裁裁判官国民審査(以下、「国民審査」)の投票用紙は衆議院議員選挙の投票用紙と一緒に交付される。多くの人にとって、衆議院議員の選挙投票の目的で出向いた投票所で、国民審査の投票用紙の交付を受けることになる。従って、国民審査の投票棄権は、意識的にしなければならないことになる。

 目の前には国民審査の投票箱のみがあって棄権票入れの箱はない。投票用紙を受領した有権者(法律では「審査人」という)が、この状況をしつらえた選管の思惑のとおりに、そのまま何も書きこむことなく投票用紙を投票箱に投入すれば、「全裁判官信任」という取り扱いになる。この点、生活感覚と整合しないこととして違和感を禁じえない。

 「それは本意ではない。自分はすべての最高裁裁判官について、信任も不信任もしたくないのだ」という人が、少なからずいるはずである。この人たちについて、その意のとおり正確に取り扱いされるよう、国民審査投票「棄権の権利」を語る意味がある。

 国民審査投票の棄権は次の方法で可能である。
 (1) 投票所に足を運ぶことなく、総選挙投票とともに棄権する。
 (2) 総選挙の投票はするが、投票所での国民審査投票用紙交付の際に受領を拒否する。
 (3) いったん受領した国民審査投票用紙を投票箱に投入せず、選挙管理の職員に返還する。

 だから、「投票所まで出向かず総選挙の投票とともに国民審査投票を棄権すれば『信任』とも『不信任』ともならない」「しかし、投票所まで出向いて総選挙の投票をすれば、その機会に押し付け同然に国民審査投票棄用紙を交付される。このとき国民審査だけを棄権しようと思えば、国民審査の投票用紙を突っ返すしかない」「突っ返さずに漫然とそのまま投票用紙を国民審査の投票箱に入れてしまうと、『全裁判官信任』となってしまうからご注意」ということになる。なお、投票用紙を破棄したり持ち帰ることは、お勧めしない。

少し、法の定めを整理しておきたい。
最高裁裁判官国民審査は憲法上の制度である。

憲法第79条第2項 最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。
同条第3項 前項の場合において、投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される。
同条第4項 審査に関する事項は、法律でこれを定める。

79条3項の「投票者」に棄権者は含まれない。
同条4項によって「最高裁判所裁判官国民審査法」が制定されている。必要な条文を摘記する。

第6条 審査は、投票によりこれを行う。
? 投票は、一人一票に限る。

第15条(投票の方式)審査人は、投票所において、罷免を可とする裁判官については、投票用紙の当該裁判官に対する記載欄に自ら×の記号を記載し、罷免を可としない裁判官については、投票用紙の当該裁判官に対する記載欄に何等の記載をしないで、これを投票箱に入れなければならない。

第22条(投票の効力)審査の投票で次の各号のいずれかに該当するものは、無効とする。
一 所定の用紙を用いないもの
二 ×の記号以外の事項を記載したもの
三 ×の記号を自ら記載したものでないもの

棄権は、そもそも票数に数えられない。○やら△を書き込んだ投票は法22条2号によって無効。「×だけを付けた(罷免を可とする)投票」と、「何も付けない(罷免を可としない)投票」だけが有効で、前者が後者を上回れば、当該裁判官は罷免されることになる。

 国民が裁判官の適格性を判断するとすれば、A適格・B不適格・Cどちらとも言えない(あるいは判断しがたい)の3選択肢が必要になろう。しかし、法は2択しか認めていない。×を付けない「AとC」とは区別されることなく結果として裁判官信任の意思表示として扱われることになる。通常人の生活感覚とは明らかに齟齬がある。

 従って、「適格・不適格のどちらとも言えない(あるいは判断しがたい)」という場合には積極的に棄権を選択するしかないし、棄権票の数が、×の投票に準ずる最高裁への批判として意味のあるものにもなる。

 但し、棄権は(今回は11人の)審査対象裁判官全員一括でしかできない。そのうちの何人かを積極的に信任し、あるいは不信任にして、その余についてだけ棄権するという方法は用意されていない。これは明らかに欠陥法の欠陥と言えよう。技術的には簡単なことで、各裁判官ごとに信任・不信任・棄権(○・×・△)の3択とすればよいだけのことなのだから、いずれ法改正を考えなければならない。

念のためだが、私は棄権をお勧めしているのではない。どうすればよいのかよく分からないとおっしゃる方には、全裁判官に「×」を付けるようにお勧めしたい。比較的マシな裁判官には、「×」をつけたくない、とおっしゃる方は、宇賀克也裁判官にだけは「×」を付けずに、他の10裁判官に「×」を付けて投票していただきたい。
 
各裁判官の具体的な評価については、下記のURLを参照願いたい。

国民審査リーフレット
https://www.jdla.jp/shinsa/images/kokuminshinsa21_6.pdf

第25回最高裁国民審査に当たっての声明
https://www.jdla.jp/shiryou/seimei/211020.html

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