澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

国立大学は、安倍政権の国旗国歌押しつけに屈してはならない

「国立大学の入学式や卒業式に国旗掲揚と国歌斉唱を」という参院予算委での安倍首相答弁(4月9日)に驚いた。下村文科相も「各大学で適切な対応がとられるよう要請したい」と具体的に語っている。「安倍右翼政権の粛々たる壊憲プログラムの進行の一つでしかない。今さら驚くにも当たるまい」という見解もあるのだろうが、あまりにも唐突だ。

朝日と毎日が、素早く本日の社説に取り上げた。いずれも明確な批判の論調。朝日は「政府による大学への不当な介入と言うほかない。文科省は要請の方針を撤回すべきである」とし、毎日は「判断や決定は大学の自主性に委ね、(国旗国歌実施の)『要請』は見送るべきだ」と結論している。両紙の姿勢に敬意を表しつつも、驚きとおぞましさが消えない。

安倍政権のスローガンが戦後レジームからの脱却である以上は、国民主権や民主主義を支えるすべての制度を敵視していることは明らかだ。安保防衛問題だけでなく、学問の自由も大学の自治も、国民の思想良心の自由も、すべてを押し潰して「富国強兵に邁進する日本を取り戻したい」と考えているだろうとは思っていた。

しかし、安倍とて愚かではない。そうは露骨になにもかにもに手を付けることはできなかろう。そのような甘い「常識」を覆しての「国立大学に適切な国旗国歌を」という意向の表明である。やはり驚かざるを得ない。

安倍晋三の頭のなかは、「いつ、いかなる事態においても、時を移さず武力を行使しうる国をつくらねばならない」「いざというときには、躊躇なく戦争のできる日本としなければならない」という考えで凝り固まっているのだ。「強い国家があって初めて国民を守ることができる」。「平和も人権も、実際に戦争ができる国家体制なくては画に描いた餅となる」。単純にそう考えているのだろう。

そのためには法律の制定だけでは足りない。「戦争のできる国作り」のためには、何よりも国民をその気にさせなければならない。国民意識を統合し、挙国一致して国運を隆昌の方向にもっていかなくてはならない。安倍政権にとって、ナショナリズムの鼓舞は大きな課題なのだ。国民こぞって、自主的に国旗を掲揚し、国歌を斉唱する国をつくらねばならない。これにまつろわぬやからは非国民と排斥されてしかるべきだ。そのようにして初めて、戦争を辞さない精強な国民と国家ができあがる。強い国日本を中心としたる新しい国際秩序をつくることができる。祖父岸信介が夢みた五族共和の東洋平和であり、八紘一宇の王道楽土だ。

政権が根拠とする理屈は、結局のところ、「国立大学が国民の税金で賄われている」ということ。「国がカネを出しているのだから、国に口も出させろ」「スポンサーの意向は、ご無理ごもっともと、従うのが当然」という理屈。これは経済社会の常識ではあっても、こと教育には当てはまらない。教育行政は教育の条件整備をする義務を負うが、教育への介入は禁じられている。このことは、戦前天皇制権力が直接教育を支配した苦い経験からの反省でもあり、世界の常識でもある。

問題は、安倍・下村の醜悪コンビがこの非常識な発言を恥ずかしいと思う感性に欠けていることだ。なりふり構わずスポンサーの意向を押しつけ、「要請」に従わない大学には国からのイヤガラセが続くことになるだろう。

「国旗掲揚国歌斉唱の実施要請に法的な根拠はありません。ですから飽くまでお願いをしているだけで、文科省の意見に従えとは口が裂けても申しません。とはいえ、予算を握っているのは私どもだということをお忘れなく。要請に対する、貴大学の協力の姿勢次第で、どれだけの予算をお回しできるか、変わってくることはあり得るところです。『魚心あれば水心』というあれですよ。よくおわかりでしょう」

もう一つ、安倍第1次内閣が改悪した新教育基本法の目的条項が根拠とされている。
第2条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
第5号 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

ここに、「我が国と郷土を愛する」がある。だから、「入学式や卒業式では、日の丸・君が代を」というようだ。国を愛するとは、「国旗に向かって起立し、口を大きく開いて国歌を斉唱する」その姿勢に表れる、という理屈のようだ。

国家の権力から強く独立していなければならないいくつかの分野がある。教育、ジャーナリズム、司法などがその典型だ。弁護士会の自治も重要だが、大学の自治はさらに影響が大きい。国立大学は、けっして安倍政権の不当な介入に屈してはならない。

もう、いかなる国立大学も、政権の方針に従うことができない。この件は大学の自治を擁護する姿勢の有無についての象徴的なテーマとなってしまった。政権への擦り寄りと追従と勘ぐられたくなければ、学校行事の日の丸・君が代は、きっぱり拒絶するよりほかはない。そうでなくては、際限なく日本は危険な方向に引きずられていくことになってしまう。
(2015年4月11日)

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