中学校教科書(歴史・公民)の採択状況ー歴史修正主義「育鵬社」版と、その対極の「学び舎」版と
今年(2015年)は、4年に1度の中学校教科書採択の年にあたる。2016年から19年まで使う各教科の教科書を、各地の教育委員会がほぼ決め終わった。
教科書は全15科目。注目は、社会科3科目(地理・歴史・公民)のうちの歴史と公民の両科目。ここに、今回も歴史修正主義者グループの2社が参入しているからだ。「新しい歴史教科書をつくる会」(作る会)から分裂した「教科書改善の会」が教科書の版元として設立した育鵬社(扶桑社の100パーセント子会社)から、本家の作る会は自由社(藤岡信勝らが関与)から、似たような教科書を作って検定には合格している。
もっとも、自由社版の歴史教科書は、「虚構の『南京事件』を書かず、実在した『通州事件』を書いた唯一の歴史教科書が誕生! 自由社の『新しい歴史教科書』が文科省の検定に合格! 『つくる会』教科書の役割はますます重要に」と自賛する代物。
自由社版の、前回2011年公立学校採択は、石原都政下の都教委が特別支援学校10校について100冊(公民のみ)を採択したのが全国でのすべてだった。若干の私立校の採用があって、シェアは歴史が0.07%、公民が0.05%(文科省公表による)と無視しうる数字。今回、国公立校での採択は皆無となった。私立では、常総学院中・東京都市大等々力中・八王子実践中の3校のみの模様。もっとも、私立は集計が進んでいないようで、これからの増はありうる。
これに反して、育鵬社版の前回シェアは、歴史3.7%、公民4.0%と無視しえない。育鵬社は、今回全国で10%のシェアを目指すと豪語して、採択へ向けての運動を展開した。これを阻止しようとするカウンター運動も盛り上がり、この夏は熾烈な歴史・公民教科書採択の戦いでも熱かった。
結果は、まだ全国集計が確定していないが、冊数ペースで育鵬社系教科書が前回4%から6%強にシェアを伸ばした。10%の目標から見ればアチラも不満だろうが、こちらも危機感を持たざるを得ない。育鵬社の歴史・公民教科書は、安倍晋三の歴史修正主義・改憲路線と軌を一にしているからだ。
のみならず、文科大臣が右翼の下村だ。地教行法が改悪されて、首長の意向がストレートに教委に反映する制度ともなっている。その中で6%に押さえたのは、良識派の健闘と言えるかもしれない。
4年前の衝撃は横浜市と大田区だった。この日本最大の都市と大特別区で育鵬社版が採択となった。今年の衝撃は大阪だ。リベラルなはずだった大阪が、維新にかきまわされて、まったくおかしくなってしまっている。橋下・松井らの罪は大きい。
注目地域である東京、神奈川、大阪、愛媛を順に概観する。
まず東京。石原教育行政の遺物である東京都教育行政の右翼精神はいまだ「健在」である。都立の中高一貫校、特別支援学校の歴史・公民教科書に関して、都教委は前回に引き続いて、今年もはやばやと育鵬社版を採択した。しかし、採択は4対2の評決だったとされる。もうひとりが動けば、3対3となるところ。どうにもならないガチガチの都教委体制が、多少の揺るぎを見せてきている。来期に希望をつなぐ経過ではあった。
特筆すべきは、東京23区全部の教育委員会が育鵬社を不採択としたこと。大田区(28校・3500冊)も逆転不採択となった。都教委の動向や日本会議の首長に引きずられるのではないかと懸念されながらも、その他の各区もすべて不採択となった。教員・父母・地域の真っ当な教育を願う声と運動の成果である。
もっとも、都下では武蔵村山市が前回に引き続いて、小笠原村が今回初めて育鵬社を採択した。残念ながら、東京完勝とはならなかった。
次は大阪。前回の育鵬社採択は東大阪市(公民のみ)だけだったが、今回はこれに下記の各市が加わった。
大阪市、河内長野市(公民のみ)、四條畷市、泉佐野市。
これが、市民・府民の意向の反映とは到底思えない。府政・市政を牛耳った維新勢力の教委への影響力行使の結果と見るしかない。もっとも、大阪市教委は、育鵬社版を採用しながら、帝国書院の歴史教科書と日本文教出版の公民教科書を補助教材として使うことも付帯決議している。育鵬社版の問題点や批判は意識してのことなのだろう。
次いで神奈川である。ここは、松沢成文知事(つい先日次世代を離党)、中田宏横浜市長(これも次世代)という保守政治家の影響下に教育委員が選任されたところ。前回は、県立高2校と、横浜市、藤沢市で育鵬社版が採択されていた。
今回、県教委は県立高の歴史・公民についてともに新たに東京書籍版を採用した。教科書使用部数において日本最大の選択地域である横浜市教委では、今回無記名投票で3対3の同数となり岡田優子教育長の職権で育鵬社版を採択したという。藤沢市も前回に引き続いての採択となった。
次いで、以前から問題の愛媛県。今回は、県都松山市と新居浜市が初めて歴史のみ採択となった。四国中央市と上島町が前回に引き続いての歴史・公民の採択。しかし、今治市は、8月28日歴史・公民とも前回の育鵬社版から変更して東京書籍版を採択している。以上、一進一退のせめぎ合いが続いているとの印象が深い。
なお、都県レベルでの採択は、東京・千葉・埼玉・山口・福岡・香川・宮城(歴史のみ)に及んでいる。神奈川が、逆転不採択となったのは前述のとおり。
また、前回に続いて栃木県大田原市、沖縄県石垣市・与那国町(公民のみ)、広島県呉市、山口県岩国市・和木町、防府市の採択があり、今回新規の採択として、石川県の金沢市(歴史のみ)・小松市・加賀市がある。
一方、逆転して両科目不採択となったのが大田区と今治市だが、島根県益田市では歴史だけについて逆転、広島県尾道市では公民についてだけ逆転不採択となった。
なお、私立での採択は清風中(公民のみ)・浪速中・同志社香里中と、これまでのところいずれも大阪府内の学校のようだ。
全国の公立校の採択地区数は580を数えるという。その内、確認される育鵬社版の採択地区数は、30に満たない。微々たるもののようだが、横浜市・大阪市の比重が圧倒的に大きい。冊数単位では、両市だけで4.1%になるそうだ。それあっての全国シェア6%強である。次回の採択は、自ずから横浜・大阪決戦とならざるを得ない。
もう一つ、今年の特徴として「学び舎」の歴史教科書が出たことがある。「学び舎」版歴史教科書とは何か。下記の産経記事が雄弁に語っている。
「来春から中学校で使われる教科書の検定結果が4月6日に公表された。今回の検定では安倍政権の教科書改革が奏功し、自国の過去をことさら悪く描く自虐史観の傾向がやや改善された。だが、そんな流れに逆行するかのような教科書が新たに登場した。『学び舎』の歴史教科書である。現行教科書には一切記述がない慰安婦問題を取り上げ、アジアでの旧日本軍の加害行為を強調する?。」
産経がそう言っているのだから、よい教科書であることは折り紙付き。太田尭さんが推薦し、教育現場からの評価が高い。残念ながら、今年の公立中学校の採択はならなかったようだが、国立の筑波大付属駒場中、東京学芸大付属世田谷中、私立では、麻布中・獨協中・上野学園中・田園調布学園中等部・青稜中・東京シューレ葛飾中・金蘭会中・建国中・大阪桐蔭中・広島女学院中・活水中が「学び舎」版を採択したという。健闘しているといってよいだろう。こちらは教育委員会ではなく、校長が採択の権限をもっている。この動向が大いに注目される。
「フジサンケイグループ育鵬社こそが正統保守教科書です」という育鵬社系のブログでは、「筑駒、麻布といえばわが国有数の進学校で、国家公務員などのエリートを送り出しています。そこが想像以上に左翼体質にむしばまれているのです。教科書改善運動の新たなテーマは学び舎教科書の放逐です」と言っている。彼らなりの危機感である。
4年後の次回採択は、大阪・横浜の大都市地区の奪回と、学び舎版の進出が争点になってくるだろう。教科書が教育のすべてではない。しかし、教科書に何が書かれているかは、すこぶる重要だ。とりわけ、育鵬社の教科書採択運動は、歴史修正主義勢力拡張の運動としてなされていることから、無視し得ない。憲法や民主主義に関心をもつ者にとって、いよいよ歴史教科書・公民教科書の採択は注目すべき運動分野となっている。
(2015年9月3日)