参院選・投票日は明後日ー平和を願う有権者の皆様に
戦争こそ最大の悲劇、戦争こそ最大の犯罪、戦争こそ最大の人権侵害。そして、戦争こそ、人類の生存の基盤を根こそぎ奪う最悪の環境破壊。とりわけ、核兵器とハイテクノジーのこの時代において、戦争は人類の生存そのものを脅かす。
我が日本国憲法9条は、人類の非戦思想を徹底して、戦争放棄を宣言しただけでなく、その保障として「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」と明記した。人類の悲願が一国の実定憲法に結実した、歴史的な偉業と言ってよい。紛れもなく、「日本国憲法9条は世界文化遺産」に相当する。
当然に、反対の意見がある。9条改憲派の中心には好戦派が位置している。まずは、「戦争こそ、この上ないビジネスチャンス」ととらえる勢力。その周囲に「戦争こそ国威発揚のチャンス」「戦争こそ不況脱出の切り札」「戦争こそ、閉塞状況の中でのうっぷん晴らし」という積極支持派があり、これと距離を置いて「戦争はしたくないが丸腰は不安」「武器を持たなくては外交交渉もうまく行かないのではないか」という消極支持派までバラエティはさまざま。
1950年、日本はアメリカから命じられて急遽「警察予備隊」を作った。「押し付け憲法」ではなく、「押し付けられた軍備」である。9条支持派と9条改憲派との対峙の歴史の中で、警察予備隊は保安隊となり、さらに自衛隊となって今日に至っている。自衛隊という武力組織が存在することで9条は死文化したのか、実はそうではない。戦後長く続いた保守政治と言えども、さすがに憲法無視の態度はとれない。自衛隊を合憲と解する理論として、国家の自衛権を持ち出した。
「もとより、わが国が独立国である以上、この規定(憲法9条)は主権国家としての固有の自衛権を否定するものではありません。政府は、このようにわが国の自衛権が否定されない以上、その行使を裏付ける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法上認められると解しています。このような考えの下に、わが国は、日本国憲法の下、専守防衛をわが国の防衛の基本的な方針として、実力組織としての自衛隊を保持し、その整備を推進し、運用を図ってきています。」と言わざるを得ない。したがって、「自衛のための必要最小限度の実力」を超えれば、9条違反となる。「専守防衛をわが国の防衛の基本的な方針」とせざるを得ないのだ。
いま、安倍自民党は、この政府解釈を桎梏として、「自衛のための必要最小限度を超える実力」を備え、「専守防衛のくびきから解き放された」軍事力を持つことを広言している。その軍事力こそが、もはや「自衛隊」ではない、「国防軍」なのだ。そうでなくては9条改憲の必要はない。また、自民党改憲草案は、開けっぴろげにそのような意図を隠そうともしていない。
今、9条をめぐる問題の焦点は、憲法の文言を厳密に実行して自衛隊を解散するか否かにあるわけではない。安倍自民党の改憲案は、「自衛のための必要最小限度を超える実力」を蓄え、「専守防衛などと縮こまっていないで」日本の領土外での戦闘行為を可能とする軍隊を持つという方針を明示している。
まやかしのアベノミクスに幻惑された国民の自民党への一票は、海外で戦争のできる軍隊を持つことへの賛同票と数えられる危険性を孕んでいる。平和を愛する有権者よ、自民党に投票してはならない。
自民党の改憲草案は、「自衛隊」を「国防軍」と名称を変えるだけのものではない。日本が本気で戦争をするために、戦争をする国家機構に作りかえるものとなっている。憲法に、国家への忠誠(国民の領土保全義務、日の丸・君が代尊重義務)、軍事機密保護、軍法会議(国防軍の審判所)設置までを書き込んでいる。
本日の赤旗にも掲載されているとおり、自民党の石破茂幹事長は、「国防軍」命令に従わなければ軍法会議で「死刑」と発言している。この石破発言は4月21日放映の「週刊BS―TBS報道部」でのもの。
「自衛隊が軍でない何よりの証拠は軍法裁判所が無いことである」という説があって、それは今の自衛隊員の方々が「私はそんな命令は聞きたくないのであります」「私は今日かぎりで自衛隊をやめるのであります」と言われたら、「ああそうですか」という話になるわけです。「私はそのような命令にはとてもではないが従えないのであります」といったら、(今の法律では)目いっぱいいって懲役7年です。
これは気をつけてモノを言わなければいけないけれど、人間ってやっぱり死にたくないし、けがもしたくない。「これは国家の独立を守るためだ」「出動せよ」って言われた時、「死ぬかもしれないし、行きたくないな」と思う人がいないという保証はどこにもない。
だからその時に、それに従え、それに従わなければ、その国における最高刑に死刑がある国なら死刑、無期懲役なら無期懲役、懲役300年なら300年(を科す)。「そんな目にあうぐらいだったら出動命令に従おう」っていうことになる。
「お前は人を信じないのか」って言われるけど、やっぱり人間性の本質から目をそむけちゃいけないと思う。今の自衛官たちは服務の宣誓というのをして、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえる」っていう誓いをして、自衛官になっているんです。でも、彼らのその誓いだけがよすがなんです。本当にそれでいいですかっていうのは問わねばならない。軍事法廷っていうのは何なのかっていうと、すべては軍の規律を維持するためのものです。(赤旗から引用)
今の国家機構は戦争をしない原則でつくられている。ところが、これを戦争のできる国家機構に変えるためには、最低限軍事機密法制を整備し、軍法会議を整備しなければならない。石破発言は、ここまでを露骨に口にしている。それだけではない。教育の統制も、マスコミの統制も、スポーツ行政も、文化政策も、そして経済政策も、外交も、地方自治も…。戦争のできる国家作りのためには、あらゆる部門で基本政策が転換が必要である。一言で言えば、全面的な軍国主義国家の創造である。
「戦争は教場から始まった」という戦前教育への反省の名言がある。しかし、学校教育だけが、戦争の始まりではなかった。「戦争は新聞社と放送局から始まった」とも言えようし、「戦争は神社参拝から始まった」「戦争は不況脱出を願う民衆の声から始まった」「戦争は近隣諸国民への差別意識と行動から始まった」「戦争は民主々義政党への弾圧から始まった」「戦争は天皇への非合理な崇敬から始まった」などとも言えよう。
戦前と現在と、似ているところもあり、明らかに相違するところもある。今ならまだ、主権者の意思で「9条改憲から戦争のできる国家へ」の道を投票で確実に阻止できる。「自民党圧勝」「改憲勢力3分の2超」などという危険な事態を回避しなければならない。
平和を愛する有権者に心から訴えたい。
自民党への投票は、戦争に通じる危険な一票となりかねない。
ぜひとも、その対極に位置する政党、日本共産党への支援をお願いしたい。
まだ、今なら間に合うのだから。
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『若者よ、軍法会議まで考えている自民党に投票してはいけない』
さすがの軍事オタクの石破さんでも、「国家の独立を守るため」に、戦場へ死にに行く若者がいるとは、とうてい思えないらしい。その認識は、なかなかに正確だ。体を傾けて、三白眼でねめつけながら、いまいましそうにネチネチ語る石破さんの姿が目に浮かぶ。「だから軍法会議が必要だ」という石破さんも、すぐにはそんな法律を作ることができない。まずは憲法を改正してからの話しとなる。
若者よ、騙されるな。愛や恋や美や生命を生き生きと語って、軍事オタクのオッサンの世迷い言など、鼻の先で笑ってやれ。母さんはお前を、恋愛したり、唄を歌ったり、おいしいものを腹一杯食べたり、美しいものをみて感動し、珍しいものを見てびっくりするように、心から願って育てたんだ。「国家」や「国益」や「天皇」のためになんぞ、その命を捧げてはいけない。絶対に、そんなもののために死んではいけない。
お前は、「ことに臨んでは、危険を顧みず・・国民の負託にこたえる」誓いをたてた自衛隊員だろうといわれたら、「そんな給料もらっていません。そこまでの義理はありません。」と堂々と言ってやれ。「戦場へ行ってけがしてこい。死んでこい。」と言われたら、「冗談も休み休み言ってください。マジッスか。」と丁寧に言ってやろう。
憲法第13条は「すべて国民は、個人として尊重される」とし、「生命、自由、及び幸福追求に対する国民の権利」が保障されている。憲法は自衛隊法より上位にあるのだ。
だから、若者よ、自民党に投票するな。
憲法を変えたい自民党に。若者を軍法会議にかけたい自民党に。
若者よ、自分で自分の首を絞めてはいけない。
(2013年7月19日)