澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「浜の一揆」訴訟控訴審の始まりに当たって ー 仙台高裁101号法廷で

控訴人ら漁民側の訴訟代理人となっている弁護士の澤藤大河です。

漁民が「浜の一揆」訴訟とネーミングした、本件サケ刺網漁不許可取消・許可義務付け請求控訴事件控訴審の審理開始に当たり、貴裁判所に控訴人らの主張をご理解いただきたく、控訴人らを代表して瀧澤英喜さんと、代理人の私から、口頭で意見を申しあげます。

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 大船渡市三陸町越喜来の瀧澤英喜です。
 私たち、この訴訟の原告は、岩手県沿岸全域の小型漁船漁業者です。東日本大震災の津波で、たくさんの漁師仲間を亡くしました。そして、原告団の漁師たちも、船や漁具・住まいなど、それぞれに大きな被害を受けました。私自身、住まいは津波をまぬがれたものの、船3艘と倉庫・養殖施設・資材がすべて被害をうけました。
 津波を機に、漁業をやめざるをえなかった漁師もたくさんいます。ですが、私たちは「復興のかなめは、沿岸の漁業だ」と考えています。船をつくり、漁具を入手して、漁を再開しています。
 私は今、ホタテ養殖を通年、そして季節ごとのカゴ漁をやっています。サケ刺網漁が認められれば刺網漁も再開したいと考えて、準備をしています。
 私たちの仲間も、同じようにカゴ漁や刺網などをやっています。春先はイサダ、5月はシラス、夏場はタコ、1月はタラ刺網など、季節ごとにかわる魚種をくみあわせて、一年間の生計をたてています。
 毎年、苦労するのが9月から11月です。獲れる魚が激減します。唯一、頼りになるのがサケです。サケのように値段がしっかりしていて、魚体が大きいものをとることができれば、漁業者の意欲にもつながります。
 ところが、岩手県では刺網でサケをとることが許可されていません。とってしまうと「6カ月以下の懲役、もしくは10万円以下の罰金」に処せられます。「漁業許可の取り消し」、「漁船・漁具の没収」といった制裁もあります。ですから、網にサケがかかれば、海に捨てなければなりません。しかも捨てれば不法投棄ということになります。
 網を入れればサケが入る時期ですので、実質的に、他の魚種をねらった刺網漁も秋はやれないというわけです。秋から冬にかけての収入が断たれてしまっています。
隣の宮城県ではサケ刺網漁が認められており、小型漁船漁業者が堂々と刺網でサケをとっており、私たちはずっと悔しい思いをしてきました。
 「サケ刺網漁を認めてほしい」という私たちの声に、県はまったく耳を貸そうとしません。サケ刺網漁を認めれば、「獲りつくされて資源がなくなる」「孵化放流と一体にすすめてきた定置網でとるはずのサケがなくなる」と言うのです。そして、その根拠としているのが「定置網に比べて、刺網漁は攻撃的な漁法だ」という誤解です。
 サケ資源をめぐって、むしろ問題が大きいのは定置網漁です。定置網は、海底から海面までを水深70mから100mぐらいにわたって覆います。長さは1㎞ぐらいに及ぶものもあります。これを、春と秋の入れ直しはありますが、基本的に数か月の間、ずっと設置しています。
 いっぽうで、刺網漁は海底に高さ5m、長さは上限でも1800mの網を立てるというものです。これを早朝に数時間入れたら引き上げるというものです。
 このように、刺網漁はまったく攻撃的な漁法ではありません。定置網のほうがはるかに大規模に長期間、海域を遮断して資源を多くとる漁法です。その結果、「本来は獲ってはならない魚種が定置網にかかっている」という話は、浜では常識となっています。定置網にかかってしまうのは、例えばサケの稚魚や、いま話題のマグロから、クジラまで、挙げればきりがありません。「それを海に捨てている」という話が、あちこちの浜できかれます。資源保護をはかるうえでは、むしろ定置網のありかたを改めることのほうが必要です。
 また、サケを狙って刺網を入れる場合、沖合の水深が深い200m前後のところに設置することになります。遡上をひかえて陸に近づいてきたサケを狙う定置網とは、獲る魚の群れも、獲る時期も異なります。定置網の漁獲を大きく損なうものではありません。
 
 刺網でサケをとりたいというのは、岩手の漁師にとって長年の悲願です。以前は、県による規制はありながらも、実態として刺網にサケがかかっても見逃されてきました。ところが徐々に規制が強まり、これに抗議して1990年11月に漁師たちがサケをいっせいに大船渡漁港にあげ、県庁に陳情するという行動を起こしました。2011年2月、震災の直前にも、「岩手県沿岸漁船漁業組合かご漁業部会」で県へ要請しました。このほかにも、何度も県に対してサケ刺網漁の許可を求めています。しかし、いずれも県からまともな回答はありませんでした。
 そもそも県の漁業政策は、現場の漁師の声をきいてつくるものになっていません。たとえば、数年前にもイカ釣り船漁業をめぐって、岩手・宮城境界の見直しがありました。漁船漁業者にとっても、漁具を壊されかねない大きな問題です。ところが、現場の漁師に対しても、漁師の集まりである「岩手県沿岸漁船漁業組合かご漁業部会」に対しても、なんのことわりもなく県は話を進めてしまいました。ことごとく、この調子なのです。
 一審の証人尋問で、県側の証人が、サケ刺網許可をめぐる論議を「水産課3人でやった」と証言しました。大事なことをそんな一部で論議しているのかと、おどろくと同時に、「やっぱり」という感じです。
 県の海区漁業調整委員会も、漁師の意見を反映してきませんでした。この間に原告団の一員である藏德平さんと菅野修一さんが入って積極的に発言していますが、それまでは漁協の代表がほとんど論議もなく議題をこなしていくというのが実態でした。
 そしてその漁協は、漁船漁業にたずさわっていない一部の幹部の意向で、多くのことを決めています。現場の漁師の声を代表する漁協になっていません。理事会や総代会で声をあげても、論議されません。漁協直営の定置網など、一部の利益を優先するものになってしまっています。そのうえ、漁船漁業にとっても定置網にとっても問題が大きい、トロール船や巻き網船による乱獲など、大きな問題に対しては声をあげられない組織になってしまっています。 
 このように、漁師の意見が反映されない県政、漁協によって、「サケ刺網漁をしたい」という私たちの要求は排除されているのです。

 東日本大震災のあと、海の様子はすっかり変わってしまいました。資源が減り、魚がとれなくなってしまっています。赤字ギリギリの漁師がほとんどです。「船は来たが魚をとれない」というのが実態です。
 サケ刺網漁をやれれば、一定の収入ができ、別の魚種・漁法にも手を付ける可能性が開けます。しかし、これがなければこのまま経営は先細りです。次世代につなぐことができません。震災前後に、決意をして浜に帰って来た若者もいます。この世代が希望をもって漁業をやれるようにする責任が私たちにはあります。
 漁船漁業がなければ浜の未来はありません。漁船漁業は、「船にのる青壮年」そして「それを岡でサポートする経験豊かな高齢者」や、「選別・加工などで活躍する女性」など、幅広い雇用を生んでいます。そして浜の環境に常に目を配っているのが漁船漁業者です。
 いま、県の漁業政策は定置網と養殖に偏っています。しかし貝毒などのリスクがある養殖だけではなく、通年で魚種・漁法をかえながら多様な資源を生かす小型漁船漁業はやはり必要です。
 岩手の漁業にいま求められているのは三陸の海の幸をアピールし、浜に活気を取り戻すことです。そのためには、量をとる定置網だけではなく、特色のある魚種,高い品質の魚をとる小型漁船漁業を育成することが欠かせません。とりわけ、サケ資源が減っていることは明らかです。だからこそ、遡上を控えたサケを定置網でとるだけではなく、よい品質のサケをとる刺網漁も活かすことが大事なのです。そうやって、高品質な岩手のサケを消費者に届けることを本気になって考えなければなりません。
 
 私たちが漁師として生きていくために、豊かな浜を次世代につないでいくために、サケ刺網漁の許可を私たちは切に求めています。裁判官の皆様の最善のご判断を心からお願いしまして、私の意見陳述といたします。

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訴訟代理人の澤藤大河です。

本件訴訟の、最大の争点は「漁業調整」のあり方です。ですから、まず何よりも「漁業調整の現状」の極端なまでの不平等・不合理を正確にご認識いただきたいのです。
本件で問われている「漁業調整」とは、三陸沿岸におけるサケの採捕について、「大規模定置網漁業者」と「控訴人ら零細な小型船漁民」との間の利害調整を行政処分庁である岩手県知事がどう判断すべきかの問題です。
被控訴人岩手県は、本件許可をすれば、「両者に摩擦が生じる」。だから、「漁業調整」のために、本件固定式刺し網によるサケ漁は許可できない、と言います。
しかし、大きな摩擦が既に生じているのです。そして、その現状は沿岸漁民に耐えきれないものとまでになって、訴訟提起となったのです。だから、本件を「浜の一揆」訴訟と形容するにふさわしいのです。
現状、岩手県では刺網でのサケ漁は厳しく禁止されています。違反には、「6月以下の懲役、もしくは10万円以下の罰金」が科せられます。「漁業許可の取り消し」「漁船・漁具の没収」といった制裁もあります。いったい、こうまでして、大規模定置網漁者を保護し、零細漁民の要求に背を向ける必要があるのでしょうか。
瀧澤さんの意見陳述にもあったとおり、3・11の被災以来、漁民の生活は苦しい。廃業者が続出し、後継者が育たないというこの現状が、到底「漁業調整」ができている状態ではあり得ません。
しかも、漁民の要求は、「刺し網漁の邪魔になるから、定置網はやめろ」などと乱暴なものではありません。本件許可をしても、定置網漁の継続は可能なのです。許可された区域での漁獲の独占になんの支障も生じません。
定置網漁と刺し網漁、大規模業者と零細漁民、その共存を図るべきこと、適正な利益配分を実現すべきが常識的な水産行政のありかたではありませんか。
ところが被控訴人は、「定置網漁の邪魔になるから、刺し網漁で一匹のサケを獲ることもまかりならん」というのです。こんな不平等・不公正が納得を得られるはずはありせん。法が予定する「漁業調整」とは到底言えない。従って、不許可処分は違法で取り消されなければならないのです。

問題は、この明らかに不平等・不公正な漁業調整の現状を合理化する何らかの理由があり得るか、と問題設定がなされることになります。結論から申しあげれば、それはあり得ない、と言わざるを得ません。

まず、控訴人らの請求は、憲法上の基本権として保障されている「営業の自由」を根拠とするものです。軽々に制約されてよいはずはありません。原判決には誤解があるようですが、三陸沿岸を回遊するサケは無主の動産です。井田齊証言が明らかにしているとおり、サケは大いなる北太平洋の恵みが育てたものであって、誰のものでもありません。養殖による漁獲物とは決定的に異なるものとして、そもそも誰が採捕するののも採るのも自由。これが大原則であり、議論の出発点です。
この基本権を制約しうるものとして、法が定めたのが、漁業法における「漁業調整の必要」と、水産資源保護法における「水産資源の保護培養の必要」の2点にほかなりません。
「漁業調整」の本来の指導理念は、漁業法第1条に、「この法律は…漁業の民主化を図ることを目的とする」という、漁業法が特別に明記した「漁業の民主化」でなくてはなりません。経済的強者である定置網漁業者にサケ資源捕獲の独占を許し、零細漁民にこれを禁止することは、明らかに「民主化」に逆行することではありませんか。
また、控訴人ら漁民と調整を要する関係にある87ケ統の大規模定置網業者のうち、過半は漁協が経営する自営定置です。水産業協同組合法第4条は、「組合(漁協)は、その行う事業によつてその組合員又は会員のために直接の奉仕をすることを目的とする」と定めます。これが漁協本来の役割です。定置網漁の自営はその本来の役割ではありません。漁民のために直接奉仕するどころか、漁協の自営定置を優先して、漁民のサケ漁禁止の理由とする、これは法の理念に真っ向から反することではありませんか。
では、水産資源の保護培養の必要を理由に不許可とできるか。これは、実はできないことは決着済みです。原審における専門家証人井田齊の証言とその意見書(甲12)を虚心にお読みいただけば、自ずから明らかです。孵化事業で求められる卵を採取するためには、河川親魚をどれだけ確保できるかが問題なのであって、誰がどのように成鮏を採捕するかは、サケ資源の保護培養の観点からは実は問題となりません。本件訴訟との関係で述べるならば、申請を許可することがサケ資源の保護培養に支障をきたすかどうかだけですが、支障をきたすことはありません。
残る問題は、孵化事業の主体に成鮭を採捕させることの合理性をもって本件申請を不許可とすることができるか、につきます。原判決は、結論先にありきの思い込みから、これを肯定しました。しかし、あきらかに誤っています。

判決要旨に、原審裁判所のこの点についての考え方が要約されています。
「県沖合で採捕されるサケはほぼすべて、手間と費用を要する人工ふ化事業に起因する資源であり、これを同事業と無関係の固定式刺し網漁業者が採捕することは、著しく不公平である」というのです。これは、率直に申しあげて一驚に値する判断というほかはありません。明らかに、幾重にも間違っています。
まず、原判決は養殖事業と人工増殖事業の区別を理解していません。甲12に目を通していないからです。人工増殖である孵化放流事業では、放流された以後は、太平洋の自然の恵みで育ちます。養殖ならば、自分を育てた魚を自分で捕るのは当然ですが、増殖はそうではないのです。育成全過程を人間の管理下で「養殖」とは異なり、「増殖」では人間の関与は限定的なものに過ぎません。
また、孵化放流事業とサケの採捕とはそれぞれ独立した別事業なのです。「手間と費用を要する人工ふ化事業者だけに採捕の権利がある」との理屈は立てようがありません。そもそも、現在定置網漁業の許可を得ている事業者全てが人工孵化事業に関与している訳ではありません。「人工ふ化事業」だけを行って、サケの採捕を行わない事業者もいれば、「人工ふ化事業」とは無関係の定置網漁業者もいます。
「人工ふ化事業者と無関係の者が採捕することは、著しく不公平である」もあり得ません。「人工ふ化事業者」の事業は、毎年稚魚を孵化放流することで完結します。親魚の確保から採卵し、これを孵化して稚魚を成育し、河川に放流するサイクルで事業として成立するよう経済設計ができればよいだけのことです。控訴人らは人工孵化事業にただ乗りしようとしているのではなく、水揚げに応じた分担をすることは当然だと考えています。

是非とも、貴裁判所には、虚心に丁寧に、控訴人らの主張と立証に耳を傾けていただくよう、お願いいたします。

(2018年7月24日)

なぜ、「浜の一揆」なのか

控訴理由書の冒頭に、原審での結審期日に、原審原告ら訴訟代理人(弁護士 澤藤大河)が口頭で述べた最終意見陳述を掲記しておきたい。事案の概要と、控訴人(原告)らの考え方が、よくまとめられているからである。

「原告ら訴訟復代理人の澤藤大河から、訴訟の終結に際して、貴裁判所にご理解いただきたいことを、要約して陳述いたします。

原告らは、本件訴訟を「浜の一揆」と呼んでまいりました。ご存じのとおり、旧南部藩は、大規模な一揆が頻発したことで知られています。一揆は、藩政に対する抵抗であり、同時に藩政に癒着した豪農や網元あるいは大商人への抵抗にほかなりません。
原告らは、現在の県の水産行政を、一揆を招いた藩政や領内の身分支配の秩序と変わるところがないではないかと批判し抗議しているのです。

一揆の原因には、まずは生活の困窮がありました。それに藩政の非道への怒りが重なって決死の決起となったのです。本件浜の一揆訴訟も事情は同様です。今のままの漁業では食っていけない。後継者も育たない。廃業者が続出している。とりわけ3・11後は切実な状況になっている。この危機感が、提訴の原因となっています。
さらに、どうして浜の有力者と漁協だけにサケ漁を独占させて、零細漁民には一切獲らせないというのか。こんな不公平は許せない。という理不尽に対する怒りが、漁民100人に提訴を決意させたのです。この原告らの心情と、原告らをこのような心情に至らしめた事情について、十分なご理解を戴きたいと存じます。

本件における原告らの請求は、憲法上の権利としての「営業の自由」を根拠とするものです。
三陸沿岸を回遊するサケは無主の動産です。井田齊証言にあったとおり、大いなる北太平洋の恵みが育てたものであって、誰のものでもありません。養殖による漁獲物とは決定的に異なるものとして、そもそも誰が採るのも自由。これが大原則であり、議論の出発点です。

漁民が生計を維持するために継続的にサケを捕獲することは、本来憲法22条1項において基本権とされている、営業の自由として保障されなければなりません。もちろん、憲法上の権利としての営業の自由も無制限ではあり得ません。合理性・必要性に支えられたもっともな理由があれば、その制約も可能ではあります。その反面、合理性・必要性に支えられた理由がない限り、軽々に基本権の制約はできないということになります。

この憲法上の権利を制約するための、合理性・必要性に支えられた理由を、法は2要件に限定しています。漁業法65条1項の「漁業調整の必要あれば」ということと、水産資源保護法4条1項の「水産資源の保護培養の必要あれば」という、2要件です。
その場合に限って、特定の魚種について、特定の漁法による漁を、「県知事の許可を受けなければならない」と定めることができるとしているのです。

この法律上の2要件を具体化した岩手県漁業調整規則23条1項3号は、固定式刺し網漁には知事の許可を要すると定めたうえ、「知事は、『漁業調整』又は『水産資源の保護培養』のため必要があると認める場合は、漁業の許可をしない。」と定めています。

ということは、固定式刺し網漁によるサケ採捕の許可申請があれば、許可が原則で、不許可には県知事が「漁業調整」または「水産資源の保護培養」の必要性の具体的な事由を提示し根拠を立証しなければなりません。したがって、キーワードは「漁業調整の必要」と「水産資源の保護培養の必要」となります。行政の側がこれあることを挙証できた場合に、不許可処分が適法なものとなり、できなければ不許可処分違法として取り消されなければならず、同時に、許可が義務付けられることにもなります。

このうち、「水産資源の保護培養の必要」は比較的明確な概念で、井田齊証人の解説で、この理由がないことは明確になっています。サケ資源の保護培養のためには、河川親魚の確保さえできればよく、原告らに対する本件許可がそれに影響を与えることはあり得ないからです。

なお、被告は原告らが年間10トンの上限を設けて申請していることについて、「そのような上限が守られるはずはない」と、原告らに対する不必要な不信と憎悪をむき出しにしています。しかし、生業を成り立たせ、後継者を育てるために、資源の確保にもっとも切実な関心をもっているのが、原告ら漁民自身であることは、原告尋問の結果から、ご理解いただけるところです。しかも、これを守らせる法的義務が漁民相互の間にあるわけではなく、許可の条件が守られているかどうかを監視するのは行政の責任です。その業務が煩瑣だから、一律に禁止すべきだというのは、まことに乱暴な本末転倒の論理としか言いようがありません。

一方、「漁業調整の必要」は、はなはだ曖昧な概念ですが、これを行政が曖昧ゆえに恣意的に基本権制約の根拠とすることは許されません。

お考えいただきたいのです。現状が、極端に不公平ではありませんか。けっして適切な漁業調整が行われているとは言えない事態ではありませんか。
「調整」を要する当事者の一方、すなわち大規模な定置網業者がサケ漁を独占しています。もう一方の当事者である原告ら零細漁民には、過酷な罰則をもって、サケ漁が禁止されています。原告らは、定置網漁を禁止せよなどとは言っていません。ほんの少し、自分たちにも獲らせてくれと言っているだけではありませんか。どうして行政は、こんなにも頑なに、現状に固執しなければならないのでしょうか。このことに関する原告らの不信がまさしく、「浜の一揆」の原因となっています。

「漁業調整」の本来の指導理念は、漁業法第1条に、「この法律は…漁業の民主化を図ることを目的とする」という、法が特別に明記した「漁業の民主化」でなくてはなりません。経済的強者に資源の独占を許し、零細漁民に漁を禁止することが、「民主化」の視点から、どうして許されることになるのでしょうか。

また、本件では、定置網漁業者の過半を占める漁協の経済的存立のために漁民のサケ漁を禁止することの正当性が問われてもいます。いったい、漁協優先主義が漁民の利益を制約しうるのでしょうか。

水産業協同組合法第4条は、「組合(漁協)は、その行う事業によつてその組合員又は会員のために直接の奉仕をすることを目的とする」。これが漁協本来の役割です。漁民のために直接奉仕するどころか、漁協の自営定置を優先して、漁民のサケ漁禁止の理由とする、これは法の理念に真っ向から反することではありませんか。

弱い立場の、零細漁民の立場に配慮することこそが「漁業の民主化」であって、漁協の利益確保のために、漁民の営業を圧迫することは、明らかに「民主化」への逆行と言わざるを得ません。言うまでもなく、「漁民あっての漁協」であって、「漁協あっての漁民」ではありません。

貴裁判所が「漁協栄えて漁民が亡ぶ」という倒錯した被告県側の主張に与することなく、一揆の心意気で本提訴に踏み切った原告らの思いに応える判決を言い渡されるよう、心からお願いして、代理人陳述といたします。」

当審においては、以上の「原告」を「控訴人」に置き換えて十分なご理解をいただきたい。

(2018年5月24日)

石割り桜の開花は遠く ー 「浜の一揆」判決報告

本日、盛岡地裁にて、「浜の一揆」訴訟の判決言い渡し。残念ながら、思いもかけない「完敗」である。裁判所構内の石割り桜、蕾も堅く開花は遠かった。

事案は、「サケ」「刺し網」許可申請を不許可とした岩手県知事の行政処分に対する取消請求訴訟である。判決は、訴訟の形式面では、原告側の言い分をほぼ全面的に認めた。被告が「そのような許可の制度は想定されていない」とした、原告らの「年間漁獲量を年間10トンに限定した」「サケ」「刺し網」漁業許可申請を適法なものと認めた。つまり、門前払いとはせずに、適法な訴えとして行政訴訟(取消請求訴訟)の土俵には乗っけたのだ。

その上で、裁判所は、本件申請を不許可とする実質的理由が認められるとして、取消請求を棄却した。

固定式刺し網漁業によるサケの採捕を禁止することについては,
(1) 漁業調整上の必要性が認められる。
(2) サケ資源の保護培養上の必要性も認められる。
というのだ。

到底納得しがたく、原告らとともに控訴審を闘う決意だが、本日の感想のいくつかを述べておきたい。

原告らは「浜の一揆」の心意気でこの訴訟を提起した。このネーミングは、幕末の南部三閉伊一揆を意識したものである。三閉伊一揆は、「弘化の一揆」と「嘉永の一揆」の2度の蜂起からなる。「弘化の一揆」は大きな成果を上げて収束したかに見えたが、やがて南部藩は、一揆衆への約束を反故にする。弘化の一揆を「失敗」と総括した農民たちが、再度結集し作戦を練り上げて7年後に「仙台藩への強訴」を敢行し、今度は一揆の犠牲者を出すことなく、49か条の要求のほとんどを実現させたという。いわば、「弘化の失敗を嘉永で挽回した」のだ。

また、思い出す。私は、岩手靖国訴訟を担当して盛岡地裁で敗訴した。「最悪にして最低」の判決だった。あの敗訴判決には足が震える思いをした。その後、2年を経て、仙台高裁で「天皇や内閣総理大臣の靖国神社公式参拝は違憲」という、実質勝訴の判決を得た。「盛岡の仇を仙台で討った」のだ。

あのときもそうだったが、幸いにも、原告らが代理人の無念と失意を慰めて意気軒昂である。再び、「盛岡の仇を仙台で返したい」と思う。

「弘化の一揆」の指導者として知られるのが、浜岩泉村牛切の牛方・弥五兵衛(またの名を万六)。彼は、老齢の身を押して三閉伊一帯を再度の蜂起のために単身オルグして歩く途上で、身元が割れて捕らえられる。藩都盛岡の牢内で、法によらず斬首されたと伝えられている。「嘉永の一揆」の指導者として知られるのが、田野畑村の太助。彼は明治期になって、維新政府に再び蜂起を試みて失敗。新政府に拷問され、自ら命を断っている。

文字どおりに命を懸けた、彼ら一揆指導者の決意の凄まじさに、たじろがざるを得ない。原告たちは、まさしくその子孫である。今の時代、裁判に負けても命に関わることはないが、「浜の一揆」と言うにふさわしい、気合いのはいった控訴審にしなくてはならない。
(2018年3月23日)

「浜の一揆」訴訟結審の法廷での意見陳述ー漁業の「民主化」こそが指導理念だ

本日は、盛岡地裁「浜の一揆」訴訟第10回の法廷。最終準備書面の交換があって結審した。その結審の法廷で、原告側が最終準備書面を要約した下記の意見陳述を行った。

判決言い渡しは2018年3月23日(金)15時と指定された。手応え十分とは思うが、判決は言い渡しあるまで分からない。しばらくは、まな板の上の鯉にも似た心境である。

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原告ら訴訟復代理人の澤藤大河から、訴訟の終結に際して、貴裁判所にご理解いただきたいことを、要約して陳述いたします。

原告らは、本件訴訟を「浜の一揆」と呼んでまいりました。ご存じのとおり、旧南部藩は、大規模な一揆が頻発したことで知られています。一揆は、藩政に対する領民の抵抗であり、藩政に癒着した豪農や網元あるいは大商人への抵抗にほかなりません。
原告らは、現在の県の水産行政を、一揆を招いた藩政や領内の身分支配の秩序と変わるところがないではないかと批判し抗議しているのです。
一揆の原因には、まずは生活の困窮がありました。それに藩政の非道への怒りが重なって決死の決起となったのです。本件浜の一揆も事情は同様です。今のままの漁業では食っていけない。後継者も育たない。廃業者が続出している。とりわけ3・11後は切実な状況になっている。これが、提訴の原因となっています。
さらに、どうして浜の有力者と漁協だけにサケ漁を独占させて、零細漁民には一切獲らせないというのだ。こんな不公平は許せない。という理不尽に対する怒りが、漁民100人に提訴を決意させたのです。この原告らの心情と、原告らをこのような心情に至らしめた事情について、十分なご理解を戴きたいと存じます。

 本件における原告らの請求は、憲法上の権利としての「営業の自由」を根拠とするものです。
三陸沿岸を回遊するサケは無主の動産です。井田齊証言にあったとおり、大いなる北太平洋の恵みが育てたものであって、誰のものでもありません。養殖による漁獲物とは決定的に異なるものとして、そもそも誰が採るのも自由。これが大原則であり、議論の出発点です。

 漁民が生計を維持するために継続的にサケを捕獲することは、本来憲法22条1項において基本権とされている、営業の自由として保障されなければなりません。

もちろん、憲法上の権利としての営業の自由も無制限ではあり得ません。合理性・必要性に支えられたもっともな理由があれば、その制約も可能ではあります。その反面、合理性・必要性に支えられた理由がない限り、軽々に基本権の制約はできないということになります。

 この憲法上の権利を制約するための、合理性・必要性に支えられた理由を、法は2要件に限定しています。漁業法65条1項の「漁業調整の必要あれば」ということと、水産資源保護法4条1項の「水産資源の保護培養の必要あれば」という、2要件です。
その場合に限って、特定の魚種について、特定の漁法による漁を、「県知事の許可を受けなければならない」と定めることができるとしているのです。

この法律を具体化した岩手県漁業調整規則は、サケの刺し網漁には知事の許可を要すると定めたうえ、「知事は、『漁業調整』又は『水産資源の保護培養』のため必要があると認める場合は、漁業の許可をしない。」と定めています。

ということは、申請があれば許可が原則で、不許可には、県知事が「漁業調整」または「水産資源の保護培養」の必要性の具体的な事由を提示し根拠を立証しなければなりません。

 したがって、キーワードは「漁業調整の必要」と「水産資源の保護培養の必要」となります。行政の側がこれあることを挙証できた場合に、不許可処分が適法なものとなり、できなければ不許可処分違法として取り消されなければならず、同時に、許可が義務付けられることにもなります。

このうち、「水産資源の保護培養の必要」は比較的明確な概念で、井田齊証人の解説で、この理由がないことは明確になっています。サケ資源の保護培養のためには、河川親魚の確保さえできればよく、原告らに対する本件許可がそれに影響を与えることはあり得ないからです。

なお、被告は原告らが年間10トンの上限を設けて申請していることについて、「そのような上限が守られるはずはない」と、原告らに対する不必要な不信と憎悪をむき出しにしています。しかし、生業を成り立たせ、後継者を育てるために、資源の確保にもっとも切実な関心をもっているのが、原告ら漁民自身であることは、原告尋問の結果から、ご理解いただけるところです。

一方、「漁業調整の必要」は、はなはだ曖昧な概念ですが、これを行政が曖昧ゆえに恣意的に基本権制約の根拠とすることは許されません。

 お考えいただきたいのです。現状が、極端に不公平ではありませんか。「調整」を要する一方、すなわち大規模な定置網業者がサケ漁を独占しています。一方、原告ら零細漁民には、過酷な罰則をもって、サケ漁が禁止されています。原告らは、定置網漁を禁止せよなどと言っていません。ほんの少し、自分たちにも獲らせてくれと言っているだけではありませんか。どうして頑なに、現状に固執しなければならないのか。これに対する原告らの不信がまさしく、「浜の一揆」の原因となっています。

「漁業調整」の本来の指導理念は、漁業法第1条に、「この法律は…漁業の民主化を図ることを目的とする」という、法が特別に明記した「民主化」でなくてはなりません。経済的強者に資源の独占を許し、零細漁民に漁を禁止することが、「民主化」の視点から、許されることでしょうか。

また、本件では、定置網漁業者の過半を占める漁協の経済的存立のために漁民のサケ漁を禁止することの正当性が問われています。いったい、漁協優先主義が漁民の利益を制約しうるのでしょうか。

 水産業協同組合法第4条は、「組合(漁協)は、その行う事業によつてその組合員又は会員のために直接の奉仕をすることを目的とする」。これが漁協本来の役割です。漁民のために直接奉仕するどころか、漁協の自営定置を優先して、漁民のサケ漁禁止の理由とする、これは法の理念に真っ向から反することではありませんか。

 弱い立場の、零細漁民の立場に配慮することこそが「漁業の民主化」であって、漁協の利益確保のために、漁民の営業を圧迫することは、明らかに「民主化」への逆行と言わざるを得ません。言うまでもなく、「漁民あっての漁協」であって、「漁協あっての漁民」ではありません。

貴裁判所が「漁協栄えて漁民が亡ぶ」という倒錯した被告県側の主張に与することなく、一揆の心意気で本提訴に踏み切った原告らの思いに応える判決を言い渡されるよう、お願いして、代理人陳述といたします。

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閉廷後の報告集会に、当ブログを見て参加という方が現れて驚いた。毎日書いている苦労が報われる思い。

昨日も、「「憲法日記」読んでいます」という方にお目にかかった。そのあとに、「長い文章で読むのがたいへんだけど」と付け加えられた。そうなのだ。短く、的確な表現は難しいのだ。そんな難しい技をこなせるようになるには、あと10年もかかるのではないだろうか。
(2017年12月1日)

「浜の一揆」訴訟 ― 12月1日(金)結審へ

盛岡地裁での「浜の一揆」訴訟は、いよいよ大詰め。12月1日(金)13時30分開廷の口頭弁論期日で原被告双方の最終準備書面を陳述して結審となる予定。その次の期日には判決言い渡しである。

この訴訟は、サケ漁の許可をめぐってのもの。岩手の河川を秋に遡上するサケは、三陸沿岸における漁業の主力魚種。「県の魚」に指定されてもいる。沿岸漁民がこのサケで潤っているだろうと思うのは早とちりで、実は三陸沿岸の漁民は、県の水産行政によって厳格にサケの捕獲を禁じられている。うっかりサケを網にかけると、最高刑懲役6月。漁船や漁具の没収という罰則まで用意されている。

では誰がサケを獲って潤っているのか。大規模な定置網業者なのだ。漁協であったり、漁協幹部のボスであったり、株式会社だったり。零細漁業者は閉め出されて、大規模業者だけがサケを獲っている。これっておかしくないか。

岩手沿岸の漁民の多くが、この不合理を不満として、長年県政にサケ捕獲の許可を働きかけてきた。とりわけ、3・11被災後はこの不合理を耐えがたいものと感じることとなり、請願や陳情を重ねたが、なんの進展も見ることができなかった。

そこで漁民が「浜の一揆」に立ち上がったのだ。嘉永・弘化の昔なら、「小○」のむしろ旗を先頭に藩庁を目指して押し出したところだが、今の時代のそれに代わる手段が行政手続であり行政訴訟の提起である。だから、この訴訟は「一揆」の心意気なのだ。

原告が本訴訟を「浜の一揆」と呼んでいるのは、岩手県の行政を、かつての南部藩の苛斂誅求になぞらえてのことだ。また、漁業の民主化とは名ばかりのこと、実は浜の社会構造は藩政時代の身分的秩序と変わらないではないか、との批判もある。当然に、県政にとっては面白くない批判である。県政の庇護のもと既得権益をむさぼっている浜の有力者や漁協の幹部たちにとっても愉快なことではなかろう。

このことについて、被告の最終準備書面で一言あった。やっぱり気にしているのだ。このネーミング、多少は効いているんだ。

原告らが本訴訟を「一揆」と呼んでいることについて、被告岩手県は最終準備書面において、こう述べている。
「原告は、本件訴訟を『県当局が漁民らを不当弾圧していることへの浜の一揆』だと主張している」。「仮に、原告らが『地域の漁業関係者の理解のもと固定式刺し網漁業によりサケの採捕を自由に行い地域に貢献しつつ幸せに暮らしている光景』なるものが過去に存在し、それを被告が不当な事情で踏みにじったなどという事情が存在するのなら、それを改めようという紛争は、『一揆』と表現するに相応しいのであろう。」「しかし、固定式刺し網漁業によるサケの採捕の禁止は、かつて漁民らが自由に行っていたものを禁止したのではなく、何十年も前から漁業者内部で行われるべきではないものという共通認識がなされていたものを当時の漁業者の総意を受けて明文化したものに過ぎない」

私流に被告の言い分を翻訳すれば、次のようなことだ。
「仮に、三陸の漁民が『漁業界のボスたちの了解のもとにサケの捕獲を自由に行い、県政からも咎められずに幸せな漁民としての暮らしを送っているという光景』なるものが過去に存在し、それを県政がぶち壊したというのなら、それを「元に戻せ」という紛争は、『一揆』と表現するに相応しい」。しかし、「そんな過去の光景はなかったではないか。」「零細漁民は、何十年も前から、ずっと漁協やボスの支配下にあって、大っぴらにはサケを獲ってはならないとされていたのだ。」「県政のサケの採捕の禁止は、それを明文化したものに過ぎない。」「だから、一揆というのは怪しからん」

また、この点についての原告最終準備書面の一節を引用しておこう。
「被告は『原告らは、固定式刺し網によるサケの採補が認められていないせいで本県の漁業後継者の育成及び漁業の継続が不可能になると主張するが、本県では従前から固定式刺し網によるサケの採補は認められていないから、原告らの主張をあてはめると本県漁業関係者はすでに壊滅的な状態になっているはずで、そうした非現実性に照らしても、原告らの主張は理由がない。』という。

しかし、被告(岩手県)作成の漁業センサス確報2013年版によれば、1988年岩手県の漁業経営体の数は8129であった。これが、10年後の1998年は6080になった。2008年には5313に、そして2013年には3365に減少している。

25年間で経営主体数の6割が減少しているのである。もはや、「壊滅的」と表現するほかはない。経営が成り立たず、後継者もいないことから、多くの漁師が毎年廃業している現実を、被告県は、全く重大視していないのである。原告らは、原告本人尋問などで、その苦しい経営状況を明らかにした。…貴裁判所には、現実を凝視した上での判断を要望する。」

かつての一揆の原因には、まず困苦があった。そして藩政の非道への怒りがあった。さらに、多数人の反骨と組織力があっての決起である。浜の一揆も同様である。今のままの漁業では食っていけない。後継者も育たない。どうして、漁協と浜のボスだけにサケを獲らせて、零細漁民には一切獲らせないというのだ。こんな不公平が許せるかとの怒りだけではない。原告らには知恵も団結力もあるのだ。こうして成立した浜の一揆なのだ。

一揆の参加者は、ちょうど100人である。沿岸漁民が、2014年に3次にわたって岩手県知事に対してサケの固定式刺し網漁の許可申請をし、これが不許可となるや所定の手続を経て、岩手県知事を被告とする行政訴訟を盛岡地裁に提起した。その提訴が2015年11月のこと。以来、2年で結審となる。

訴訟の請求の趣旨は、不許可処分の取消と許可の義務付け。許可の義務付けの内容である、沿岸漁民の要求は、「固定式刺し網によるサケ漁を認めよ」「漁獲高は無制限である必要はない。各漁民について年間10トンを上限とするものでよい」というもの。

請求の根拠は次のようなものだ。
三陸沿岸を泳ぐサケは無主物であり、そもそも誰が採るのも自由。これが大原則であり、議論の出発点である。漁民が生計を維持するために継続的にサケを捕獲しようというのだから、本来憲法22条1項において基本権とされている、営業の自由として保障されなければならない。

この憲法上の権利としての営業の自由も無制限ではあり得ない。合理性・必要性に支えられたもっともな理由があれば、その自由の制約も可能となる。その反面、合理性・必要性に支えられた理由がなければ制約はできないということになる。

この合理性・必要性に支えられた理由を法は2要件に限定している。漁業法65条1項は「漁業調整」の必要あれば、また水産資源保護法4条1項は「水産資源の保護培養」の必要あれば、特定の魚種について特定の漁法による漁を、「知事の許可を受けなければならない」とすることができるとする。それ以外にはない。

これを受けた岩手県漁業調整規則は、サケの刺し網漁には知事の許可を要すると定めたうえ、「知事は、『漁業調整』又は『水産資源の保護培養』のため必要があると認める場合は、漁業の許可をしない。」と定めている。

ということは、申請があれば許可が原則で、不許可には、県知事が「漁業調整」または「水産資源の保護培養」の必要性の具体的な事由を提示し根拠を立証しなければならない。

したがって、キーワードは「漁業調整の必要」と「水産資源の保護培養の必要」となる。行政の側がこれあることを挙証できた場合に、不許可処分が適法なものとなり、できなければ不許可処分違法として取り消されなければならない。

このうち、「水産資源の保護培養の必要」は比較的明確な概念で、この理由がないことは明確になったといってよい。問題は、「漁業調整の必要」という曖昧な理由の有無である。その指導理念は、漁業法に特有の「民主化」でなくてはならない。本件では、漁協存立のために漁民のサケ漁を禁止することの正当性が問われている。いったい、漁協優先主義が漁民の利益を制約しうるのか。

定置網漁業者の過半は漁協。被告の主張は、「漁協が自営する定置営業保護のために、漁民個人の固定式刺し網によるサケ漁は禁止しなければならない」という。県政は、これを「漁業調整の必要」と言っている。しかし、「漁業調整の必要」は、漁業法第1条が、この法律は…漁業の民主化を図ることを目的とする」という、法の視点から判断をしなければならない。

弱い立場の、零細漁民の立場に配慮することこそが「漁業の民主化」であって、漁協の利益確保のために、漁民の営業を圧迫することは「民主化」への逆行ではないか。漁民と漁協、その主客の転倒は、お国のための滅私奉公と同様の全体主義的発想にほかならない。

また、水産業協同組合法第4条は、「組合(漁協)は、その行う事業によつてその組合員又は会員のために直接の奉仕をすることを目的とする」。これが漁協本来の役割。漁民のために直接奉仕するどころか、漁協の自営定置を優先して、漁民のサケ漁禁止の理由とする、法の理念に真っ向から反することではないか。

「漁民あっての漁協」であって、「漁協あっての漁民」ではない。万が一にも、裁判所が「漁協栄えて漁民が亡ぶ」などという倒錯した主張を採用してはならない。
12月1日(金)結審の「浜の一揆」訴訟にご注目いただきたい。
(2017年11月28日・連日更新第1703回)

敬愛する坂井興一弁護士へ。ご質問にお答えします。

坂井興一弁護士から、ときおりメールをいただく。
坂井さんとは、半世紀に近い付き合い。かつては同じ法律事務所で机を並べた間柄。私より2期上の身近な先輩。弁護士としてのあり方の指導も受け、大きく感化も受けてきた。

坂井さんと言えば思い出す。かつて、旧庁舎時代の東京弁護士会講堂の正面には大きな「日の丸」の額が掲げられていた。私が東弁常議委員会において、この日の丸の掲示を外すべきだと提案をしたときの副会長が坂井さん。奔走して私の提案を上手に実現してくれた。他の理事を説得するその手並みに感服したことがある。

その坂井さんの出身地が、岩手県南の陸前高田。浜の一揆訴訟の原告が多いところ。訴訟には関心を寄せて、たびたびの質問があり、私の方もその質問に回答することで問題点の整理をしてきた。

今回は、当ブログ「沿岸漁民の暮らしと資源を守る政策を― JCFU沿岸漁業フォーラム案内」の記事についてのご質問。
http://article9.jp/wordpress/?p=9102

「頭記のことが伝えられていたので、チョット。
①結局、それ(澤藤大河弁護士の発言)は集会の趣旨に反旗乃至は疑問を呈するものなのか、
 それとも基調講演に注文付けてるだけなのか、どっちなんでしょうか。
②沖取りが漁協(プラス県)の放流事業をチャッカリ横取りしてるというのが漁協側の言い分のようですが、
イ、個別の川と取り位置に密接因果があるのか、或いはフラついてるのを獲っているのか、
ロ、待ち構えているのなら、零細側とは云え、聞こえが悪そうですが。
ハ、仮にフラついているものなら、ケシカランとする漁協側の言い分は再抗弁が必要そうだけど、どうなのか、
 ま、何分にも故郷のことなので、手隙の時にでも、よろしく。ではまた。」

お答えいたします。
問① (澤藤大河弁護士の発言)は集会の趣旨に反旗乃至は疑問を呈するものなのか、それとも基調講演に注文付けてるだけなのか。

回答:澤藤大河の発言は、集会の趣旨に反旗乃至は疑問を呈するものではなく、基調講演に注文付けてるだけのものでもありません。「なによりも漁民の生業の確保が第一義で、漁協も漁連も水産行政も、漁民の生業の利益確保のためにこそある」ことを再確認すべきことを提言したものです。

集会の趣旨は、次のようなものでした。
「家族漁業・小規模漁業を営む沿岸漁業就業者は漁民全体の96%。まさに日本漁業の主人公です。全国津々浦々の漁村の自然と経済を守るこの家族漁業・小規模漁業の繁栄無くしては『地方創生』などありえません。ここでは、沿岸漁民の暮らしと資源、法制度をめぐる問題をとりあげ、日本の漁業政策のあり方をさぐります。」

集会の基調は、「小規模漁業繁栄のためには漁協の力量をつけることが大切」というもの。しかし、「浜の一揆」訴訟では、「漁協の繁栄のために、小規模漁業をぎせいにしてはならない」ことが訴えられています。

「浜の一揆」訴訟は、行政訴訟として県知事を被告とし、県の水産行政のあり方を問うものとなっています。その訴訟での被告岩手県知事側の言い分は、詰まるところ「漁協が経営する定置網漁の漁獲を保護するために、零細漁民のサケ刺し網漁を禁じることに合理性がある」として一歩も引きません。「漁協・定置漁業権」が、零細漁業者の経営を圧迫してもよいというのです。

浜の一揆の原告たちは、けっして漁協や漁業権を敵視しているわけではありません。しかし、漁協の存立や大規模な定置網漁の収益確保を絶対視して、零細漁民の権利を認めないとなれば、漁協にも、大規模定置漁業者にも譲歩を要求せざるを得ません。日本漁業の主人公は小規模漁民にほかなりません。けっして漁協ではないのですから。

キーワードは、「漁協の二面性」です。すべての中間団体に宿命的にあるもの。横暴な大資本や国と向かい合う局面では、漁民を代表する組織としてしっかりと漁協・漁連を擁護しなければなりません。しかし、組合員個人、個別の零細漁民と向かい合う局面では漁協は強者になります。そして、零細漁民の利益と対立するのです。

浜の一揆の原告たちの要求は、「大規模な定置網漁をやめて、漁場も漁獲も自分たちに解放せよ」と言っているわけではありません。「漁協の自営定置も、大規模な業者の定置網も認める。でも、一人について年間10トン、総量にして1000トンの刺し網漁を許可してほしい」と言っているだけなのです。

これに対して、「漁協の定置網漁の漁獲高に影響があり得るから一切許可できない」というのが県の立場。これって、おかしくないですか。ひどい話ではありませんか。不公平ではありませんか。

言うまでもなく、漁協は漁民に奉仕するための組織です。
水産業協同組合法第4条は「組合は、その行う事業によつてその組合員又は会員のために直接の奉仕をすることを目的とする」と規定します。これが、漁協本来の役割なのです。漁民のために直接奉仕するどころか、漁協の自営定置を優先して、漁民のサケ漁禁止の理由とするなど、法の理念に真っ向から反することではありませんか。

9月8日法廷で、被告県側の申請による濱田武士証人も、「漁協は協同組合ですから、一人がみんなのために、みんなが一人のためにという理念の組織です」と言っています。残念ながら、この理念のとおりには漁協は運営されていません。原告漁民の実感は、「一人ひとりの漁民には漁協・漁連のために」が強制され、「漁協漁連は漁民のために何もしていない」のです。

漁民の利益を代表してこその漁協であり、漁民の生業と共存してこその漁業権であることを再確認する必要があります。それが、私たち「浜の一揆」訴訟の基本的な立場であることをご理解ください。

集会では、大河弁護士の報告のあと、「漁協の二面性の指摘は重要」「民主性が徹底してこそ、漁業の力量が発揮できる」と司会がまとめています。

問② 「沖取りが漁協(プラス県)の放流事業をチャッカリ横取りしてるというのが漁協側の言い分のようですが」

回答:その問の発し方にそもそも問題があります。定置網漁の主体が、漁協であろうと株式会社であろうと、サケを独占する権利は誰にもありません。ですから、誰が誰に対しても「チャッカリ横取り」ということはあり得ないのです。但し現状は、一般漁民のサケ漁を禁止して、漁協の定置網漁が「チャッカリ横取り」しているというべき事態であることをご理解いただきたいのです。

三陸沿岸を泳ぐサケは無主物であり、そもそも誰が採るのも自由。これが原則であり、議論の出発点です。憲法22条1項は営業の自由を保障しています。漁民がサケの漁で生計を建てることは憲法上の権利であって、原則自由なのです。

このことは、サケの孵化放流事業があろうとなかろうと、また孵化放流事業主体が誰であろうと、変わりません。孵化場内の卵や稚魚の所有権は、孵化場経営者のものです。しかし、稚魚が河川に放流されるや、無主物になります。この稚魚は、降海し、ひとまずオホーツク海に渡り、さらにベーリング海峡付近で、回遊して北太平洋の自然の恵みを得て成長し、3年魚、4年魚と性的成熟期を迎えて三陸沿岸に帰ってきます。そして、その多くが母川を見つけて産卵のために遡上します。

この北太平洋で育ったサケを、母川の近くで一網打尽にする大規模漁が定置網漁で、場所を決めずに漁師の腕で位置を決めて網を下ろし、小型漁船で獲ろうというのが刺し網漁。

三陸沿岸のサケの漁獲高は最高年に7トン。本件申請時まではほぼ年間2万トン。そのうち、「1000トンだけを刺し網で獲らせていただきたい」というのが、原告らの要求なのです。

ですから、「(刺し網漁者が)待ち構えているのなら、零細側とは云え、聞こえが悪そうですが。」というご懸念は無用なのです。もともと、誰にもサケを獲る権利がある。無制限に獲るとはいわない。せめて、「一人年間10トンまでの許可を」という行政への申請が許可されてしかるべきだと確信しています。

また、孵化放流事業は利益を生みません。インフラ整備事業に似ています。事業コストの大半は、公費の補助金。残りは成魚の漁獲者からの、漁獲量に応じた負担金です。公金による事業の成果が、一部のものだけの利益として享受されてよかろうはずはありません。

もちろん、営業の自由も無制限ではあり得ません。合理性・必要性に支えられた理由があれば、その制約は可能です。このことは、合理性・必要性に支えられた理由がなければ制約できないということでもあります。

具体的には、漁業法65条1項にいう「漁業調整」の必要、あるいは水産資源保護法4条1項の「水産資源の保護培養」。そのどちらかの必要あれば、制約は可能なのですが、県はそのような整理もできていません。「取扱方針」なる内部文書に適合しないから不許可だ。つまり、自分で決めた規則を金科玉条にしているだけ。

最終的には、「漁業調整」とは何だ。その指導理念である漁業の「民主化」とは何だということに尽きるのだと思っています。弱い立場の、零細漁民に配慮することこそが「漁業の民主化」であって、漁協の利益確保のために、漁民の営業を圧迫することは「民主化」への逆行としか考えられません。

「漁協あっての漁民」という主客の転倒は、お国のための滅私奉公と同様の全体主義的発想ではないでしょうか。「漁協も漁連も、海区漁業調整委員会も、そして行政も民主的な手続にしたがって運用されている」「だから、既に民主化は達成されているのであって、一々漁民が文句をいうな」。これが県の立場であり発想というしかありません。

未成熟な民主主義と、人権原理との葛藤の局面です。行政の不備を補う司法の出番だと、坂井さんならご理解いただけるのではないでしょうか。
(2017年9月10日)

「浜の一揆」訴訟―漁協を守るために漁民にはサケを獲らせない?

本日は、盛岡地裁「浜の一揆」訴訟の証人尋問。原告側・被告側それぞれ申請の学者証人の尋問が行われた。

原告側の証人は、サケの生態学については第一人者の井田齊さん。被告側は、漁業経済学者の濱田武士さん。原告側が自然科学者で、被告側が社会科学者。自然科学者が沿岸漁民の側に立ち、社会科学者が県政の側に立つ構図が興味深い。

今日の尋問で証拠調べは終了、次回12月1日(金)が最終弁論期日となる。

何度もお伝えしているとおり、岩手の河川を秋に遡上するサケは三陸沿岸における漁業の主力魚種。「県の魚」に指定されてもいる。ところが、現在三陸沿岸の漁民は、県の水産行政によって、厳格にサケの捕獲を禁じられている。うっかりサケを網にかけると、最高刑懲役6月。漁船や漁具の没収まである。岩手の漁民の多くが、この不合理を不満として、長年県政にサケ捕獲の許可を働きかけてた。とりわけ、3・11被災後はこの不合理を耐えがたいものと感じることとなり、請願や陳情を重ねが、なんの進展も見ることができなかった。

そのため、2014年に3次にわたって、岩手県知事に対してサケの固定式刺し網漁の許可申請をした。これが不許可となるや、所定の手続を経て、岩手県知事を被告とする行政訴訟を盛岡地裁に提起した。2015年11月のこと、その原告数ちょうど100人である。

請求の趣旨は、不許可処分の取消と許可の義務付け。許可の義務付けの内容である、沿岸漁民の要求は、「固定式刺し網によるサケ漁を認めよ」「漁獲高は無制限である必要はない。各漁民について年間10トンを上限とするものでよい」というもの。原告らは、これを「浜の一揆」訴訟と呼んでいる。苛斂誅求の封建領主に対する抵抗運動と同根の闘いとする心意気からである。

三陸沿岸を泳ぐサケは無主物であり、そもそも誰が採るのも自由。これが原則であり、議論の出発点であることは、本日の被告側証人の証言においても確認されたところ。

漁民が生計を維持するために継続的にサケを捕獲しようというのだから、本来憲法22条1項において基本権とされている、営業の自由として保障されなければならない。

この憲法上の権利としての営業の自由も無制限ではあり得ない。合理性・必要性に支えられた理由があれば、その制約は可能となる。その反面、合理性・必要性に支えられた理由がなければ制約はできないということになる。

この合理性・必要性に支えられた理由とは、二つのことに収斂される。
漁業法65条1項は「漁業調整」の必要あれば、また水産資源保護法4条1項は、「水産資源の保護培養」の必要あれば、特定の魚種について特定の漁法による漁を、「知事の許可を受けなければならない」とすることができる、とする。

これを受けた岩手県漁業調整規則は、サケの刺し網漁には知事の許可を要すると定めたうえ、「知事は、『漁業調整』又は『水産資源の保護培養』のため必要があると認める場合は、漁業の許可をしない。」と定めている。

ということは、申請があれば許可が原則で、不許可には、県知事が「漁業調整」または「水産資源の保護培養」の必要性の具体的な事由を提示し根拠を立証しなければならない。

したがって、キーワードは「漁業調整の必要」と「水産資源の保護培養の必要」となる。行政の側がこれあることを挙証できた場合に、不許可処分が適法なものとなり、できなければ不許可処分違法として取り消されなければならない。

本日の原告側証人は、サケの専門家として、孵化放流事業の実態を語って、本件申請を許可しても「水産資源の保護培養」に何の影響もない、と結論した。また、水産学者として、三陸沿岸の自然環境の多様性に即した多様な漁業形態があってしかるべきだという立場から、大規模な漁協の自営定置も零細漁民の刺し網漁も共存することが望ましいとして、定置網漁のサケ漁獲独占を批判した。

本日の被告側証人は、漁協の存立を重要視する立場から、漁協が孵化放流事業を行い、自営定置で漁獲することを不合理とは言えないとして、本件不許可処分を是認した。しかし、「漁業調整の必要」の存在を具体的に述べることには成功しなかった。そして、「漁業調整」の指導理念であるべき漁業法上の「民主化」を援用すれば、漁協存立のために漁民のサケ漁を禁止することは不当ではないか、という立論にむしろ理解を示したように見受けられた。

問題は漁協優先主義が漁民の利益を制約しうるか、という点に絞られてきた感がある。
定置網漁業者の過半は漁協です。被告の主張は、「漁協が自営する定置営業保護のために、漁民個人の固定式刺し網によるサケ漁は禁止しなければならない」ということに尽きるもの。県政は、これを「漁業調整の必要」と言っている。
しかし、「漁業調整の必要」は、漁業法第1条が、この法律は…漁業の民主化を図ることを目的とする」という、法の視点から判断をしなければならない。

弱い立場の、零細漁民の立場に配慮することこそが「漁業の民主化」であって、漁協の利益確保のために、漁民の営業を圧迫することは「民主化」への逆行ではないか。

漁民あっての漁協であって、漁協あっての漁民ではない。主客の転倒は、お国のための滅私奉公と同様の全体主義的発想ではないか。

また、水産業協同組合法第4条は、「組合(漁協)は、その行う事業によつてその組合員又は会員のために直接の奉仕をすることを目的とする。」これが、漁協本来の役割。漁民のために直接奉仕するどころが、漁協の自営定置を優先して、漁民のサケ漁禁止の理由とする、法の理念に真っ向から反することではないか。

訴訟の進行は、本日まですこぶる順調である。11月10日までに原被告双方が最終準備書面を提出し、12月1日が最後の口頭弁論期日となる。勝訴を確実なものとするために、もう一踏ん張りしなければならない。
(2017年9月8日)

沿岸漁民の暮らしと資源を守る政策を― JCFU沿岸漁業フォーラム案内

明日(9月1日)午後、参議院議員会館1階講堂で、全国沿岸漁民連絡協議会(JCFU)がシンポジウムを開催する。その趣旨は、以下のとおりだ。

■開催趣旨:家族漁業・小規模漁業を営む沿岸漁業就業者は漁民全体の96%。まさに日本漁業の主人公です。全国津々浦々の漁村の自然と経済を守るこの家族漁業・小規模漁業の繁栄無くしては「地方創生」などありえません。ここでは、沿岸漁民の暮らしと資源、法制度をめぐる問題をとりあげ、日本の漁業政策のあり方をさぐります。

その趣旨や良し。経済の目的は効率でも生産性でもない。ましてや、市場での支配者に過剰な利益を与えるためのものでもない。多くの人々が安心して、健康で文化的な生活を持続していくことではないか。漁業にあっては、「全国津々浦々の漁村の自然と漁民の生計」を守らねばならない。漁民の暮らしを支える「家族漁業・小規模漁業の繁栄」が必要なのだ。そのためには、漁民一人ひとりの営業が成り立ち、後継者が育つ展望が持てなければならない。そのための、行政でなくてはならず、その目的に適う経済政策でなくてはならない。

大資本や中央資本の規制改革に対決する局面では、漁協も漁連も自治体も極めて重要である。しかし、漁協も漁連も自治体も、それ自体が価値を持つものではない。漁民を代表し、漁民に奉仕する存在であることが、その発言権や正当性の根拠である。漁協は飽くまでも漁民に奉仕する立場の存在である。漁民あっての漁協であって、漁協のための漁民ではない。漁協の経営のためとして、漁民を切り捨てるようなことは絶対にあってはならない。いま、岩手県の水産行政は、この倒錯の事態にある。

沿岸漁業フォーラムのプログラムと、岩手からの報告「サケの定置網独占と沿岸漁民の権利」のレジメをご紹介する。

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■JCFU沿岸漁業フォーラム■
「規制改革会議と漁業権を考える」―沿岸漁民の暮らしと資源を守る政策を

共 催: JCFU全国沿岸漁民連絡協議会・NPO法人21世紀の水産を考える会
と  き: 2017年9月1日(金)13:00~17:00
ところ: 参議院議員会館1階講堂

コーディネーター:二平 章(茨城大学人文学部客員研究員)
山本浩一(21世紀の水産を考える会理事長)

<プログラム>
●特別講演
「亡国の漁業権開放論~資源・地域・国土の崩壊」
鈴木宣弘 (すずき・のぶひろ)
(東京大学大学院農学生命科学研究科国際環境経済学 教授

●第2部 「各地の沿岸漁民の生活と権利をめぐる諸問題」              
1 クロマグロの漁獲規制と漁民の生活権   
  高松幸彦  (北海道留萌海区漁業調整委員会委員)
  宇津井千可志(長崎県対馬市曳き縄漁業協議会会長)
  本吉政吉  (千葉県沿岸小型漁協副組合長)
2.沿岸カツオ漁業の危機と熱帯まき網漁獲規制
  杉本武雄(和歌山県漁業調整委員会委員・和歌山東漁協副組合長)
  福田 仁(ジャーナリスト・高知新聞)
3.サケの定置網独占と沿岸漁民の権利
    澤藤大河(弁護士:岩手県「浜の一揆訴訟」弁護団)
4.震災復興と水産特区の問題点        
    綱島不二雄(復旧・復興支援みやぎ県民センター代表世話人)
5.原発事故後の福島漁業と汚染水問題
    林 薫平 (福島大学特任准教授)
6.「開門」は有明海漁業の生命線
    堀 良一(弁護士:よみがえれ!有明訴訟弁護団)

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                                                              2017年9月1日
「サケの定置網漁独占と沿岸漁民の権利」ー岩手からの報告
                                                        報告者 弁護士 澤藤大河
1.「漁協・漁業権」の二面性
基調講演のテーマが、草案段階では、「危機にさらされる漁協・漁業権」となっていました。当然に「漁協・漁業権」擁護の趣旨。ところが、三陸の沿岸漁民が起こしている行政訴訟では、被告岩手県知事側が、「漁協・漁業権」を擁護する立場から零細漁民にはサケ刺し網漁を禁じるとして一歩も引きません。「漁協・漁業権」が、零細漁業者の経営を圧迫しているのです。
三陸の沿岸漁民は、けっして漁協や漁業権を敵視しているわけではありません。しかし、漁協の存立や漁業権漁業の収益確保を絶対視して、零細漁民の権利を認めないとなれば、「漁協・漁業権」に譲歩を要求せざるを得ません。
「漁協・漁業権」の二面性を見極めなければならないと思います。横暴な大資本や国と向かい合う局面では、漁民を代表する組織としてしっかりと漁協・漁業権を擁護しなければなりません。しかし、組合員個人、個別の零細漁民と向かい合う局面では漁協は強者です。零細漁民の利益と対立するのです。
言うまでもなく、漁協は漁民に奉仕するための組織です。漁民の利益を代表してこその漁協であり、漁民の生業と共存してこその漁業権であることを再確認する必要があります。それが、私たちの基本的な立場であることをご理解ください。

2.「浜の一揆」訴訟の概要
岩手の河川を秋に遡上するサケは岩手沿岸における漁業の主力魚種です。「県の魚」に指定されてもいます。
ところが、現在の三陸沿岸の漁民は、県の水産行政によって、厳格にサケの捕獲を禁じられています。うっかりサケを網にかけると、最高刑懲役6月となります。岩手の漁民の多くが、この不合理を不満として、長年県政にサケ捕獲の許可を働きかけてきました。とりわけ、3・11の被災後はこの不合理を耐えがたいものと感じることとなり、請願や陳情を重ねてきました。しかし、なんの進展も見ることができなかったのです。
そのため、2015年11月100人の沿岸漁民が岩手県(知事)を被告として、盛岡地裁に行政訴訟を提起しました。要求は「固定式刺し網によるサケ漁を認めよ」「漁獲高は無制限である必要はない。各漁民について年間10トンを上限として」。原告らは、これを「浜の一揆」訴訟と呼んでいます。苛斂誅求の封建領主に対する抵抗運動と根は同じだと考えているからです。
訴訟の進行は、最終盤に近づいています。本年6月22日の法廷で、原告4名と県職員1名の尋問が行われ、次回9月8日には、原被告がそれぞれ申請した学者証人お二人が証言します。おそらく、年内に結審して、来春判決言い渡しの見通しです。

3.何が争われているのかー本日のテーマに即して
☆現状
* 三陸沿岸の海の恵みであるサケは、主として各漁協が自営する大型の定置網漁によって漁獲されています。漁協は定置漁業権を得て、定置漁業を行っています。
* 原告ら漁民はサケ漁から閉め出されています。サケの延縄漁は可能なのですが、とうていペイしません。「刺し網によるサケ漁を認めろ」というのが、原告らの切実な要求ですが、漁協の自営定置漁業に影響あるからとして、許可されません。
* 原告ら漁民は、漁協や漁連の民主的運営には懐疑的な立場です。社会的強者と一体となった、零細漁民に冷たい県政への挑戦として、「浜の一揆」の心意気なのです。
☆法的構造
* 三陸沿岸を泳ぐサケは無主物であり、そもそも誰が採るのも自由。これが原則であり、議論の出発点です。
* 憲法22条1項は営業の自由を保障しています。漁民がサケの漁をすることは原則として自由(憲法上の権利)なのです。
* とはいえ、営業の自由も無制限ではあり得ません。合理性・必要性に支えられた理由があれば、その制約は可能です。このことは、合理性・必要性に支えられた理由がなければ制約できないということでもあります。
* 具体的には、
漁業法65条1項は、「漁業調整」の必要あれば、
水産資源保護法4条1項は、「水産資源の保護培養」の必要あれば、
特定の漁には、「知事の許可を受けなければならない」とすることができます。
* これを受けた岩手県漁業調整規則は、サケの刺し網漁には知事の許可を要すると定めたうえ、「知事は、『漁業調整』又は『水産資源の保護培養』のため必要があると認める場合は、漁業の許可をしない。」と定めています。
* ということは、申請があれば許可が原則です。不許可には、県知事が「漁業調整」または「水産資源の保護培養」の必要性の具体的な事由を提示しなければなりません。
☆キーワードは「漁業調整」と「水産資源の保護培養」です。
* 「水産資源の保護培養の必要」は、科学的論争として問題はありません。
本件許可をしても、水産資源の保護培養に影響はあり得ません。
* 問題は、極めて不明瞭な「漁業調整の必要」です。そもそも何を言っているのさえよく分かりません。

4.漁協優先主義は漁民の利益を制約しうるか
☆定置網漁業者の過半は漁協です。被告の主張は、「漁協が自営する定置営業保護のために、漁民個人の固定式刺し網によるサケ漁は禁止しなければならない」ということに尽きるものです。県政は、これを「漁業調整の必要」というのです。
☆ しかし、「漁業調整の必要」は、漁業法第1条が、この法律は…漁業の民主化を図ることを目的とする」という、法の視点から判断をしなければなりません。
弱い立場の、零細漁民の立場に配慮することこそが「漁業の民主化」であって、漁協の利益確保のために、漁民の営業を圧迫することは「民主化」への逆行です。
☆ 漁民あっての漁協であって、漁協あっての漁民ではない。
主客の転倒は、お国のための滅私奉公と同様の全体主義的発想ではないでしょうか。
☆ 被告岩手県は、最近になってこんなことを言い出しています。
・各地漁協などが多大な費用と労力を投じた孵化放流事業により形成されたサケ資源をこれに寄与していない者が先取りする結果となり、漁業調整上の問題が大きい
・解禁に伴い膨大な漁業者が参入し一挙に資源が枯渇するなどの問題が生じる
☆ これは、定置網漁業完全擁護の立論です。少しでも、定置網漁業の利益を損なってはならないとする、行政にあるまじき偏頗きわまる立論と言わねばなりません。
☆ 「漁協が孵化事業の主力になっているから、成魚の独占権がある」というのは、暴論です。むしろ、孵化事業の大半は公金の補助でまかなわれているのですから、その成果を独占する権利は誰にもありません。漁協も漁民も。定置も刺し網も。そして漁果を得た者は平等に応分の負担を。というのが、あるべき姿です。
☆ 軽々に、漁民の切実な漁の自由(憲法22条の経済的基本権)が奪われてはならないのです。
(2017年8月31日)

サケは誰のものかーサケ漁をめぐる法廷闘争はアメリカに先例

「浜の一揆」訴訟を受任して以来、サケに関心をもたざるを得ない。サケの切り身の味も変わってきた…ような気がする。サケの生態やサケ漁の話題を追って、佐藤重勝著の「サケー作る漁業への挑戦」(岩波新書)を読んでいる。やや古い(1986年)著作だがとても面白い。

この書のなかで、「サケは誰のものか」という問いかけが繰り返される。自然の恵みであるサケは、誰のものだろうか。著者の結論はこういうことだ。
「サケは、とる人だけのものでなく、地域社会のもの、みんなのものであり、地域社会全体のものとして殖やすのが、サケを殖やす途だ」

民事的な所有権の帰属を論じているのではない。社会や行政がサケやサケ漁とどう関わるべきかという原則論を述べているのだ。著者の結論に、私もまったく異存はない。というよりは、我が意を得たり、という感想だ。

興味深い幾つかの実例が紹介されている。たとえば…。
「岩手県津軽石川のサケ漁について、元禄9年(1696)から20年ほどの事件を記述した『日記書留帖』には、こう書いてある。川にさけが急にのぼるようになったため、その漁獲をめぐって、毎朝村中が喧嘩していたのが、当時の領主であった津津石一戸氏の耳に入り、『とにかく思いがけず上ってきたサケであるから、誰のものというわけにはいかない』という裁定が下された。村では、漁業権を村民の持高に応じ、村役人から水呑百姓にいたるまで細分して割付け、地付支配を仰せつけられたという。(略)
 これによれば、サケは地元の『総有』、つまり“みんなのもの”という形で、領主に上納金を納める形であったことがわかる。」

封建領主でさえ、サケを一部有力者のものとはしなかった。「地元の『総有』、つまり“地元民みんなのもの”」と観念し、具体的にサケの取り分を「村民の持高に応じ、村役人から水呑百姓にいたるまで細分して割付けた」という。当時から、「サケは地元民みんなのもの」と考えられていたというわけだ。

「サケは誰のものか(米国の場合)」という一節がある。
「米国で…ヨーロッパから渡来した白人が、現地人であるアメリカ・インディアンからサケをとる権利を奪ってゆく様子は、ブルース・ブラウンの『雲の峰鮭の川』(池央耿訳、昭和59年新潮社刊)にくわしく書かれている。

 1912年、白人入植者が、クゥィリュート族の保留地からクウィラユート川を1キロ半ほど遡った支流の川尻に、サケ缶詰工場を建設した。そしてサケをとりまくった。インディアンの抗議は、この川の権限は陸軍省に属するという口実でしりぞけられ、彼らは川とサケを奪われた。
 その後、間もなく、ワシントン州議会は、サケ漁業者はすべて州から鑑札を受けなくてはならないことを法制化した。そしてインディアンは合衆国民ではないという理由で、彼らに鑑札を交付することを拒んだ。
 これでインディアンたちは、完全にクウィラユート水系から締出されることになったが、さすがにインディアン保護局がみかねて、州の法律施行に「待った」をかけた。しかし、彼らへの圧迫はなおも続けられたので、彼らは早い時期にこれを、権限のより大きい連邦裁判所に持ちこむ戦術をとった。1946年、裁判所はインディアンの権利を認める判決を下し、彼らは限られた範囲ながら白人の手から漁場を奪回した。裁判所は、ラ・プッシュの保留地、2・6平方キロの内で、この川を管理する権限を全面的に認めた。

 

しかし、保留地を一歩出れば、州政府の締めつけは厳しかった。同じようなことが、米国とカナダのいたるところで起こっていたが、インディアンを漁場から一掃しようとしたのは、ワシントン州が最初であった。こうして州対インディアン7部族に代わった連邦裁判所の裁判がはじまる。そして、3年間の論戦の後、合衆国地方裁判所判事のジョージ・ボルトは判決を下した。
 まず彼は、サケ資源減少の原因はインディアンの無軌道な乱獲であるという州側の主張をきっぱりとしりぞけ、インディアンたちが当然の権利によってサケを確保するために、ワシントン州に対し、条約を結んでいる部族が古来の習慣にしたがってサケやスチールヘッド(ニジマスの降海型)をとれるよう、漁獲量の50パーセントをインディアンに譲ることを命じた。」

この記事を読んで嬉しくなった。「おれたちにもサケを獲らせろ」という裁判の先例はアメリカにあったのだ。まずは、クゥィリュート族の提訴。そして続いた先住民7部族対ワシントン州の訴訟。いずれも、先住民側が勝訴したのだ。訴訟の詳しい内容は分からない。しかし、州政府は「サケ資源減少の原因はインディアンの無軌道な乱獲である」と主張して敗れたのだ。資源の保護培養を通じての漁業の持続性が争点となった訴訟であったようだ。先住民の勝訴、州の敗訴が嬉しい。

しかし、問題はこれで終わらなかった。
「この判決にもかかわらず白人漁業者は増えつづけ、1975年には、州魚類狩猟局は、インディアンは州のふ化場が育てた魚をとる権利はないという理由で、インディアンがスチールヘッドをとることを禁止した。この年の6月、第9回巡回控訴裁判所は、ボルト判決を全面的に支持する判決を下した。」

サケの孵化場が出てきて、孵化事業がインディアンをサケ漁から排除する理屈にされたのだ。「浜の一揆」訴訟と、ますます似てきた。そして、ここでも、先住民側が勝訴している。

「しかし、白人漁業者の違法操業は続いた。こうして紆余曲折をへながら、ボルト判決は、ワシントン州で徐々に効果をあらわしはじめた。年々インディアン各部族の水揚は増加して、州全体の20~35パーセント、時には50パーセントを上廻るサケが、インディアンの手に渡るようになった。それにもかかわらず、ピュージェット湾岸の一部のインディアンの漁獲量が事実上ゼロになる事態が発生した。1977年、合衆国が200カイリ法を宣言すると、商務省は、日本への輸出のため増えた需要に応じて、トロール船団にギンザケとマスノスケをとりたい放題とらせた。1980年には、ホー族のインディアンは、1尾の秋サケにも恵まれなかったという。つまり、船団はギンザケをとりつくしてしまい、産卵のためホー川を遡るギンザケはいなくなってしまったのである。ホー族は、商務省を相手に提訴した。1981年、ホー族は勝訴したが、肝腎の資源はそれによって減少がくいとめられるものではなかった。」

先例としての教訓に満ちている。訴訟が万能でないことは明らかだ。資源保護のための施策が不可欠なのだ。

ひるがえって、公的資金による孵化事業が軌道に乗っているわが国の今、サケは“生産者・消費者を含むみんなのもの”という根拠はより強くなっている。みんなのものであるということは、特定の事業者にサケを独占させてはならないということであり、地域・生産者・消費者・行政をあげての資源の保護育成が必要だということなのだ。定置の業者にサケ漁を独占させる合理的な根拠はありえない。

あらためて思う。幕府と松前藩は徹底してアイヌを弾圧して彼らのサケ漁の権利を取り上げたが、アメリカは訴訟で先住民の権利を認めたのだ。明らかな、文明度の差と言えよう。アメリカ先住民の怒りを共有する心意気で、三陸沿岸の漁民も法廷闘争を勝ち抜きたい。
(2017年8月23日)

「浜の一揆」訴訟第8回法廷(6月22日)・案内

2017年6月20日
岩手・県政記者クラブ各社殿
同 ・県警記者クラブ各社殿
弁護士 澤藤統一郎
同   澤藤 大河

「浜の一揆」訴訟第8回法廷(6月22日)・案内

6月22日、盛岡地裁「浜の一揆」訴訟の第8回法廷のご案内をいたします。
この日、原告漁民4人と担当の県職員1名の尋問で、審理はヤマ場を迎えます。
この訴訟は、注目され話題になってしかるべき大型訴訟です。
行政のあり方を問い、民主主義を問い、震災後の地域復興の問題でもあります。
社会的意義のある訴訟としてご注目いただき、ぜひとも、取材をお願いします。

第1 事案の概要
岩手の河川を秋に遡上するサケは岩手沿岸における漁業の主力魚種である。1992年2月、岩手県は三陸の海の恵みを象徴する「南部さけ」を「県の魚」に指定している。古くから三陸沿岸の漁民は、秋に盛漁期を迎えるサケ漁を生業としてきた。
ところが、三陸沿岸の漁民は、県の水産行政によって、厳格にその捕獲を禁じられている。うっかりサケを網にかけると、最高刑懲役6月となる。漁船や漁具の没収の規定もある。岩手の漁民の多くが、この不合理を不満として、長年県政にサケ捕獲の許可を働きかけてきた。とりわけ、3・11の被災後はこの不合理を耐えがたいものと感じることとなり、これまで岩手県の水産行政に請願や陳情を重ねてきたがなんの進展も見ることがなかった。
そのため、2015年11月100人の沿岸漁民が岩手県(知事)を被告として、盛岡地裁に行政訴訟を提起した。要求は「固定式刺し網によるサケ漁を認めよ」「漁獲高は無制限である必要はない。各原告について年間10トンを上限として」。原告らは、これを「浜の一揆」訴訟と呼んでいる。
訴訟における請求の内容は二つ、「漁民がした『固定式刺し網によるサケの採捕の許可申請』に対する不許可処分を取り消せ」。そして、「県知事は、『固定式刺し網によるサケの採捕の許可』をせよ」というもの。
では、三陸沿岸の海の恵みは誰が手にしているか。二つの類型がある。一つは浜の有力者が経営する定置網業者である。そして、もう一つの類型が漁協の自営定置である。いずれも、大型定置網による漁獲。その漁獲に影響あるからとして、小型漁船で零細な漁業を営む漁民にはサケ漁が禁止されているのだ。
だから、「おれたちにもサケを獲らせろ」という漁民の切実な要求は、社会構造の矛盾に対する挑戦という意味を持っている。社会的強者と一体となって、零細漁民に冷たい県政への挑戦でもある。だから、「浜の一揆」なのだ。
個々の漁民にとって、「零細漁民の漁業を保護して、漁業の生計がなり立つ手立てを講じよ」という切実な要求である。そして、漁民が高齢化する中で、「後継者が育つ希望ある漁業」をという地域の切実な願いを背景にするものでもある。
本件訴訟は県の水産行政のあり方を問うとともに、地域の民主主義のあり方を問う訴訟でもある。また、3・11被災後の沿岸漁業と地域経済の復興にも、重大な影響をもってもいる。
原告ら漁民は、岩手県民の理解を得たいと願う立場から、県内メティアの取材を希望するものである。

第2 当日の日程
1 法廷
午前10時 開廷(盛岡地裁301号法廷)午前中2名尋問
原告藏さん   主尋問20分 反対尋問20分
サケ漁許可を求める運動の経過について
原告瀧澤さん 主尋問30分 反対尋問30分
漁民が主張する資源保護のあり方(IQ)について

午後1時 再開廷午後3名尋問
原告熊谷さん  主尋問20分 反対尋問20分
漁民の生計の実態、サケ漁許可を求める理由の切実さについて
原告菅野さん 主尋問20分 反対尋問20分
宮城との県境海域で宮城の漁民はサケを獲っていること
海区漁業調整委員会運営の実態
被告側証人 県漁業調整課長  主尋問40分 反対尋問40分

2 法廷終了後の記者会見と報告集会
閉廷後直ちに、報告集会
場所 岩手県公会堂 2階講堂(21号室)
冒頭の訴訟経過説明のあと 記者会見
その後 意見交換

第4 これまでの経過概要
1 県知事宛許可申請⇒小型漁船による固定式刺し網漁のサケ採捕許可申請
2014年9月30日 第1次申請
2014年11月4日 第2次申請
2015年1月30日 第3次申請
2 不許可決定(102名に対するもの)
2015年6月12日 岩手県知事・不許可決定(277号・278号)
*277号は、固定式刺し網漁の許可を得ている者  53名
*278号は、固定式刺し網漁の許可を得ていない者 49名
3 審査請求
2015年7月29日 農水大臣宛審査請求(102名)
2015年9月17日 県側からの弁明書提出
2015年10月30日 審査請求の翌日から3か月を経過
4 提訴と訴訟の経過
2015年11月5日 岩手県知事を被告とする行政訴訟の提起
2016年1月14日 第1回法廷
2017年4月20日 第7回法廷 証拠決定
2017年6月22日 第8回法廷 原告本人4名・被告側証人1名尋問
2017年9月 7日 第9回法廷(予定)学者証人2名尋問予定

第3 訴訟の内容
1 当事者 原告 三陸沿岸の小型漁船漁業を営む一般漁民100名
(すべて許可申請・不許可・審査請求の手続を経ている者)
被告 岩手県(処分庁 岩手県知事達増拓也)
2 請求の内容
*知事の不許可処分(277号・278号)の取消し
*277号処分原告(既に固定式刺し網漁の許可を得ている者) 51名
*278号処分原告(固定式刺し網漁の許可を得ていない者)  49名
*知事に対するサケ漁許可の義務づけ(全原告について)
「年間10トンの漁獲量を上限とするサケの採捕を目的とする固定式刺網漁業許可申請について、申請のとおりの許可をせよ。」

第4 争点の概略
1 処分取消請求における、知事のした不許可処分の違法の有無
(1) 手続的違法
行政手続法は、行政処分に理由の付記を要求している。付記すべき理由とは、形式的なもの(適用法条を示すだけ)では足りず、実質的な不許可の根拠を記載しなければならない。それを欠けば違法として取消理由となる。ましてや、本来国民の自由な行為を一般的に禁止したうえ、申請に従って個別に解除して本来の自由を回復すべき局面においては、飽くまでも許可が原則であって、不許可として自由を制約するには、合理性と必要性を備えた理由が要求される。その具体的な理由の付記を欠いた本件不許可処分はそれだけで手続的に違法である。
本件不許可処分には、「内部の取扱方針でそう決めたから」というだけで、まったく実質的な理由が書かれていない。
(2) 実質的違法
法は、申請あれば許可処分を原則としているが、許可障害事由ある場合には不許可処分となる。下記2点がサケ採捕の許可申請に対する障害事由として認められるか。飽くまで、主張・立証の責任は岩手県側にある。
①漁業調整の必要←漁業法65条1項
②水産資源の保護培養の必要←水産資源保護法4条1項
2 義務づけの要件の有無 上記1と表裏一体。

第5 義務付けについての原告主張の概要
1 基本的な考え方
*三陸沖を泳ぐサケは、無主物であり、そもそも誰が採るのも自由。
これが原則であり、議論の出発点。
*憲法22条1項は営業の自由を保障している。
⇒漁民がサケの漁をすることは原則として自由(憲法上の権利)
⇒自由の制限には、合理性・必要性に支えられた理由がなくてはならない。
*漁業法65条1項は、「漁業調整」の必要あれば、
水産資源保護法4条1項は、「水産資源の保護培養」の必要あれば、
「知事の許可を受けなければならないこととすることができる。」
*岩手県漁業調整規則23条
「知事は、「漁業調整」又は「水産資源の保護培養」のため必要があると認める場合は、漁業の許可をしない。」
⇒ということは、許可が原則。
県知事が「漁業調整」「水産資源の保護培養」の必要性について
具体的な事由を提示し、証明しなければならない。
2 ところが、被告(県知事)は、不許可事由として、「漁業調整」「水産資源の保護培養」の必要性にまったく触れるところがない。
不許可の理由は形式的に「庁内で作成した「取扱方針」(2002年制定)にそう書いてあるから」というだけ。

第6 漁協中心主義は漁民の権利を制約しうるか。
1 漁業法にいう、漁業の民主化とはなにか。
零細の個々の漁民の権利にこそ配慮することではないか。漁協の営業のために、漁民の営業を圧迫することは「民主化」への逆行である。
2 漁民あっての漁協であって、漁協あっての漁民ではない。
主客の転倒は、お国のための滅私奉公と同様の全体主義的発想ではないか。
3 結局は、浜の有力者に奉仕する漁業行政の「カムフラージュの理論」ではないか。

☆これに対して、被告岩手県は、訴訟進行後ようやく「固定式刺し網によるサケ漁」を許可しない実質的な理由を整理して述べてきた。
以下のとおりである。
①岩手県の長年に亘るサケ産業(水産振興)政策とそれに基づく関係者の多大な尽力を根本的に損ねてしまうこと
②種卵採取というサケ資源保護の見地からも弊害が大きいこと
③各地漁協などが多大な費用と労力を投じた孵化放流事業により形成されたサケ資源をこれに寄与していない者が先取りする結果となり、その点でも漁業調整上の問題が大きいこと
④解禁に伴い膨大な漁業者が参入し一挙に資源が枯渇するなどの問題が生じること
⑤沖合で採捕する固定式刺し網漁業の性質上、他道県との漁業調整上の摩擦も看過できないこと
⑥近年、県内のサケ資源が深刻な減少傾向にあること

以上の各理由は一応なりとも、合理的なものとは到底考えがたい。こんなことで漁民の切実な漁の自由(憲法22条の経済的基本権)が奪われてはならない。
☆各理由に通底するものは、徹頭徹尾定置網漁業完全擁護の立論である。およそいささかなりとも定置網漁業の利益を損なってはならないとする、行政にあるまじき偏頗きわまる立論として弾劾されてしかるべきでもの。利害対立する県民当事者相互間の利益を「調整」するという観念をまったく欠いた恐るべき主張というほかはない。
☆しかも、利害対立の当事者とは、一方は原告ら生身の零細漁民である。20トン以下の小型漁船で生計を立てる者で、法的には経済的基本権の主体である。そして対立するもう一方が、大規模な定置網漁業者である。その主体は、漁協単独の経営体であり、漁協と複数個人の共同経営体であり、株式会社であり、有限会社であり、定置網漁業を営む資本を有する経済力に恵まれた個人である。「浜の有力者」対「一般漁民」のせめぎあいなのである。
☆定置網漁業者の過半は、漁協である。被告の主張は、「漁協が自営する定置営業保護のために、漁民個人の固定式刺し網によるサケ漁は禁止しなければならない」ということに尽きる。
☆漁民の繁栄あっての漁協であって、その反対ではない。飽くまで「漁民優先」が当然の大原則。漁協の健全経営維持のために漁民の操業が規制される筋合いはない。
☆以下は、被告が「近年、県内のサケ資源が深刻な減少傾向にあること」を不許可の理由として挙げていることに対する批判の一節である。

「近年のサケ資源の減少傾向」が、固定式刺し網漁業不許可の理由とはなりえない。これを理由に掲げる被告の主張は、いわゆる「獅子の分け前」(Lion’s Share)の思想にほかならない。
漁協は獅子である。獅子がたっぷり食べて余りがあれば、狐にも分けてやろう。しかし今はその余裕がないから、狐にやる分け前はない。被告岩手県は無邪気に、傲慢な差別を表白しているのである。
行政は平等で、公正でなくてはならない。漁協を獅子とし、漁民を狐として扱ってはならない。原告ら漁民こそが人権の主体であり、漁協は原告ら漁民の便益に奉仕するために作られた組織に過ぎないのだから。」

(2017年6月20日)

 

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