澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「浜の一揆」訴訟結審の法廷での意見陳述ー漁業の「民主化」こそが指導理念だ

本日は、盛岡地裁「浜の一揆」訴訟第10回の法廷。最終準備書面の交換があって結審した。その結審の法廷で、原告側が最終準備書面を要約した下記の意見陳述を行った。

判決言い渡しは2018年3月23日(金)15時と指定された。手応え十分とは思うが、判決は言い渡しあるまで分からない。しばらくは、まな板の上の鯉にも似た心境である。

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原告ら訴訟復代理人の澤藤大河から、訴訟の終結に際して、貴裁判所にご理解いただきたいことを、要約して陳述いたします。

原告らは、本件訴訟を「浜の一揆」と呼んでまいりました。ご存じのとおり、旧南部藩は、大規模な一揆が頻発したことで知られています。一揆は、藩政に対する領民の抵抗であり、藩政に癒着した豪農や網元あるいは大商人への抵抗にほかなりません。
原告らは、現在の県の水産行政を、一揆を招いた藩政や領内の身分支配の秩序と変わるところがないではないかと批判し抗議しているのです。
一揆の原因には、まずは生活の困窮がありました。それに藩政の非道への怒りが重なって決死の決起となったのです。本件浜の一揆も事情は同様です。今のままの漁業では食っていけない。後継者も育たない。廃業者が続出している。とりわけ3・11後は切実な状況になっている。これが、提訴の原因となっています。
さらに、どうして浜の有力者と漁協だけにサケ漁を独占させて、零細漁民には一切獲らせないというのだ。こんな不公平は許せない。という理不尽に対する怒りが、漁民100人に提訴を決意させたのです。この原告らの心情と、原告らをこのような心情に至らしめた事情について、十分なご理解を戴きたいと存じます。

 本件における原告らの請求は、憲法上の権利としての「営業の自由」を根拠とするものです。
三陸沿岸を回遊するサケは無主の動産です。井田齊証言にあったとおり、大いなる北太平洋の恵みが育てたものであって、誰のものでもありません。養殖による漁獲物とは決定的に異なるものとして、そもそも誰が採るのも自由。これが大原則であり、議論の出発点です。

 漁民が生計を維持するために継続的にサケを捕獲することは、本来憲法22条1項において基本権とされている、営業の自由として保障されなければなりません。

もちろん、憲法上の権利としての営業の自由も無制限ではあり得ません。合理性・必要性に支えられたもっともな理由があれば、その制約も可能ではあります。その反面、合理性・必要性に支えられた理由がない限り、軽々に基本権の制約はできないということになります。

 この憲法上の権利を制約するための、合理性・必要性に支えられた理由を、法は2要件に限定しています。漁業法65条1項の「漁業調整の必要あれば」ということと、水産資源保護法4条1項の「水産資源の保護培養の必要あれば」という、2要件です。
その場合に限って、特定の魚種について、特定の漁法による漁を、「県知事の許可を受けなければならない」と定めることができるとしているのです。

この法律を具体化した岩手県漁業調整規則は、サケの刺し網漁には知事の許可を要すると定めたうえ、「知事は、『漁業調整』又は『水産資源の保護培養』のため必要があると認める場合は、漁業の許可をしない。」と定めています。

ということは、申請があれば許可が原則で、不許可には、県知事が「漁業調整」または「水産資源の保護培養」の必要性の具体的な事由を提示し根拠を立証しなければなりません。

 したがって、キーワードは「漁業調整の必要」と「水産資源の保護培養の必要」となります。行政の側がこれあることを挙証できた場合に、不許可処分が適法なものとなり、できなければ不許可処分違法として取り消されなければならず、同時に、許可が義務付けられることにもなります。

このうち、「水産資源の保護培養の必要」は比較的明確な概念で、井田齊証人の解説で、この理由がないことは明確になっています。サケ資源の保護培養のためには、河川親魚の確保さえできればよく、原告らに対する本件許可がそれに影響を与えることはあり得ないからです。

なお、被告は原告らが年間10トンの上限を設けて申請していることについて、「そのような上限が守られるはずはない」と、原告らに対する不必要な不信と憎悪をむき出しにしています。しかし、生業を成り立たせ、後継者を育てるために、資源の確保にもっとも切実な関心をもっているのが、原告ら漁民自身であることは、原告尋問の結果から、ご理解いただけるところです。

一方、「漁業調整の必要」は、はなはだ曖昧な概念ですが、これを行政が曖昧ゆえに恣意的に基本権制約の根拠とすることは許されません。

 お考えいただきたいのです。現状が、極端に不公平ではありませんか。「調整」を要する一方、すなわち大規模な定置網業者がサケ漁を独占しています。一方、原告ら零細漁民には、過酷な罰則をもって、サケ漁が禁止されています。原告らは、定置網漁を禁止せよなどと言っていません。ほんの少し、自分たちにも獲らせてくれと言っているだけではありませんか。どうして頑なに、現状に固執しなければならないのか。これに対する原告らの不信がまさしく、「浜の一揆」の原因となっています。

「漁業調整」の本来の指導理念は、漁業法第1条に、「この法律は…漁業の民主化を図ることを目的とする」という、法が特別に明記した「民主化」でなくてはなりません。経済的強者に資源の独占を許し、零細漁民に漁を禁止することが、「民主化」の視点から、許されることでしょうか。

また、本件では、定置網漁業者の過半を占める漁協の経済的存立のために漁民のサケ漁を禁止することの正当性が問われています。いったい、漁協優先主義が漁民の利益を制約しうるのでしょうか。

 水産業協同組合法第4条は、「組合(漁協)は、その行う事業によつてその組合員又は会員のために直接の奉仕をすることを目的とする」。これが漁協本来の役割です。漁民のために直接奉仕するどころか、漁協の自営定置を優先して、漁民のサケ漁禁止の理由とする、これは法の理念に真っ向から反することではありませんか。

 弱い立場の、零細漁民の立場に配慮することこそが「漁業の民主化」であって、漁協の利益確保のために、漁民の営業を圧迫することは、明らかに「民主化」への逆行と言わざるを得ません。言うまでもなく、「漁民あっての漁協」であって、「漁協あっての漁民」ではありません。

貴裁判所が「漁協栄えて漁民が亡ぶ」という倒錯した被告県側の主張に与することなく、一揆の心意気で本提訴に踏み切った原告らの思いに応える判決を言い渡されるよう、お願いして、代理人陳述といたします。

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閉廷後の報告集会に、当ブログを見て参加という方が現れて驚いた。毎日書いている苦労が報われる思い。

昨日も、「「憲法日記」読んでいます」という方にお目にかかった。そのあとに、「長い文章で読むのがたいへんだけど」と付け加えられた。そうなのだ。短く、的確な表現は難しいのだ。そんな難しい技をこなせるようになるには、あと10年もかかるのではないだろうか。
(2017年12月1日)

「浜の一揆」訴訟 ― 12月1日(金)結審へ

盛岡地裁での「浜の一揆」訴訟は、いよいよ大詰め。12月1日(金)13時30分開廷の口頭弁論期日で原被告双方の最終準備書面を陳述して結審となる予定。その次の期日には判決言い渡しである。

この訴訟は、サケ漁の許可をめぐってのもの。岩手の河川を秋に遡上するサケは、三陸沿岸における漁業の主力魚種。「県の魚」に指定されてもいる。沿岸漁民がこのサケで潤っているだろうと思うのは早とちりで、実は三陸沿岸の漁民は、県の水産行政によって厳格にサケの捕獲を禁じられている。うっかりサケを網にかけると、最高刑懲役6月。漁船や漁具の没収という罰則まで用意されている。

では誰がサケを獲って潤っているのか。大規模な定置網業者なのだ。漁協であったり、漁協幹部のボスであったり、株式会社だったり。零細漁業者は閉め出されて、大規模業者だけがサケを獲っている。これっておかしくないか。

岩手沿岸の漁民の多くが、この不合理を不満として、長年県政にサケ捕獲の許可を働きかけてきた。とりわけ、3・11被災後はこの不合理を耐えがたいものと感じることとなり、請願や陳情を重ねたが、なんの進展も見ることができなかった。

そこで漁民が「浜の一揆」に立ち上がったのだ。嘉永・弘化の昔なら、「小○」のむしろ旗を先頭に藩庁を目指して押し出したところだが、今の時代のそれに代わる手段が行政手続であり行政訴訟の提起である。だから、この訴訟は「一揆」の心意気なのだ。

原告が本訴訟を「浜の一揆」と呼んでいるのは、岩手県の行政を、かつての南部藩の苛斂誅求になぞらえてのことだ。また、漁業の民主化とは名ばかりのこと、実は浜の社会構造は藩政時代の身分的秩序と変わらないではないか、との批判もある。当然に、県政にとっては面白くない批判である。県政の庇護のもと既得権益をむさぼっている浜の有力者や漁協の幹部たちにとっても愉快なことではなかろう。

このことについて、被告の最終準備書面で一言あった。やっぱり気にしているのだ。このネーミング、多少は効いているんだ。

原告らが本訴訟を「一揆」と呼んでいることについて、被告岩手県は最終準備書面において、こう述べている。
「原告は、本件訴訟を『県当局が漁民らを不当弾圧していることへの浜の一揆』だと主張している」。「仮に、原告らが『地域の漁業関係者の理解のもと固定式刺し網漁業によりサケの採捕を自由に行い地域に貢献しつつ幸せに暮らしている光景』なるものが過去に存在し、それを被告が不当な事情で踏みにじったなどという事情が存在するのなら、それを改めようという紛争は、『一揆』と表現するに相応しいのであろう。」「しかし、固定式刺し網漁業によるサケの採捕の禁止は、かつて漁民らが自由に行っていたものを禁止したのではなく、何十年も前から漁業者内部で行われるべきではないものという共通認識がなされていたものを当時の漁業者の総意を受けて明文化したものに過ぎない」

私流に被告の言い分を翻訳すれば、次のようなことだ。
「仮に、三陸の漁民が『漁業界のボスたちの了解のもとにサケの捕獲を自由に行い、県政からも咎められずに幸せな漁民としての暮らしを送っているという光景』なるものが過去に存在し、それを県政がぶち壊したというのなら、それを「元に戻せ」という紛争は、『一揆』と表現するに相応しい」。しかし、「そんな過去の光景はなかったではないか。」「零細漁民は、何十年も前から、ずっと漁協やボスの支配下にあって、大っぴらにはサケを獲ってはならないとされていたのだ。」「県政のサケの採捕の禁止は、それを明文化したものに過ぎない。」「だから、一揆というのは怪しからん」

また、この点についての原告最終準備書面の一節を引用しておこう。
「被告は『原告らは、固定式刺し網によるサケの採補が認められていないせいで本県の漁業後継者の育成及び漁業の継続が不可能になると主張するが、本県では従前から固定式刺し網によるサケの採補は認められていないから、原告らの主張をあてはめると本県漁業関係者はすでに壊滅的な状態になっているはずで、そうした非現実性に照らしても、原告らの主張は理由がない。』という。

しかし、被告(岩手県)作成の漁業センサス確報2013年版によれば、1988年岩手県の漁業経営体の数は8129であった。これが、10年後の1998年は6080になった。2008年には5313に、そして2013年には3365に減少している。

25年間で経営主体数の6割が減少しているのである。もはや、「壊滅的」と表現するほかはない。経営が成り立たず、後継者もいないことから、多くの漁師が毎年廃業している現実を、被告県は、全く重大視していないのである。原告らは、原告本人尋問などで、その苦しい経営状況を明らかにした。…貴裁判所には、現実を凝視した上での判断を要望する。」

かつての一揆の原因には、まず困苦があった。そして藩政の非道への怒りがあった。さらに、多数人の反骨と組織力があっての決起である。浜の一揆も同様である。今のままの漁業では食っていけない。後継者も育たない。どうして、漁協と浜のボスだけにサケを獲らせて、零細漁民には一切獲らせないというのだ。こんな不公平が許せるかとの怒りだけではない。原告らには知恵も団結力もあるのだ。こうして成立した浜の一揆なのだ。

一揆の参加者は、ちょうど100人である。沿岸漁民が、2014年に3次にわたって岩手県知事に対してサケの固定式刺し網漁の許可申請をし、これが不許可となるや所定の手続を経て、岩手県知事を被告とする行政訴訟を盛岡地裁に提起した。その提訴が2015年11月のこと。以来、2年で結審となる。

訴訟の請求の趣旨は、不許可処分の取消と許可の義務付け。許可の義務付けの内容である、沿岸漁民の要求は、「固定式刺し網によるサケ漁を認めよ」「漁獲高は無制限である必要はない。各漁民について年間10トンを上限とするものでよい」というもの。

請求の根拠は次のようなものだ。
三陸沿岸を泳ぐサケは無主物であり、そもそも誰が採るのも自由。これが大原則であり、議論の出発点である。漁民が生計を維持するために継続的にサケを捕獲しようというのだから、本来憲法22条1項において基本権とされている、営業の自由として保障されなければならない。

この憲法上の権利としての営業の自由も無制限ではあり得ない。合理性・必要性に支えられたもっともな理由があれば、その自由の制約も可能となる。その反面、合理性・必要性に支えられた理由がなければ制約はできないということになる。

この合理性・必要性に支えられた理由を法は2要件に限定している。漁業法65条1項は「漁業調整」の必要あれば、また水産資源保護法4条1項は「水産資源の保護培養」の必要あれば、特定の魚種について特定の漁法による漁を、「知事の許可を受けなければならない」とすることができるとする。それ以外にはない。

これを受けた岩手県漁業調整規則は、サケの刺し網漁には知事の許可を要すると定めたうえ、「知事は、『漁業調整』又は『水産資源の保護培養』のため必要があると認める場合は、漁業の許可をしない。」と定めている。

ということは、申請があれば許可が原則で、不許可には、県知事が「漁業調整」または「水産資源の保護培養」の必要性の具体的な事由を提示し根拠を立証しなければならない。

したがって、キーワードは「漁業調整の必要」と「水産資源の保護培養の必要」となる。行政の側がこれあることを挙証できた場合に、不許可処分が適法なものとなり、できなければ不許可処分違法として取り消されなければならない。

このうち、「水産資源の保護培養の必要」は比較的明確な概念で、この理由がないことは明確になったといってよい。問題は、「漁業調整の必要」という曖昧な理由の有無である。その指導理念は、漁業法に特有の「民主化」でなくてはならない。本件では、漁協存立のために漁民のサケ漁を禁止することの正当性が問われている。いったい、漁協優先主義が漁民の利益を制約しうるのか。

定置網漁業者の過半は漁協。被告の主張は、「漁協が自営する定置営業保護のために、漁民個人の固定式刺し網によるサケ漁は禁止しなければならない」という。県政は、これを「漁業調整の必要」と言っている。しかし、「漁業調整の必要」は、漁業法第1条が、この法律は…漁業の民主化を図ることを目的とする」という、法の視点から判断をしなければならない。

弱い立場の、零細漁民の立場に配慮することこそが「漁業の民主化」であって、漁協の利益確保のために、漁民の営業を圧迫することは「民主化」への逆行ではないか。漁民と漁協、その主客の転倒は、お国のための滅私奉公と同様の全体主義的発想にほかならない。

また、水産業協同組合法第4条は、「組合(漁協)は、その行う事業によつてその組合員又は会員のために直接の奉仕をすることを目的とする」。これが漁協本来の役割。漁民のために直接奉仕するどころか、漁協の自営定置を優先して、漁民のサケ漁禁止の理由とする、法の理念に真っ向から反することではないか。

「漁民あっての漁協」であって、「漁協あっての漁民」ではない。万が一にも、裁判所が「漁協栄えて漁民が亡ぶ」などという倒錯した主張を採用してはならない。
12月1日(金)結審の「浜の一揆」訴訟にご注目いただきたい。
(2017年11月28日・連日更新第1703回)

敬愛する坂井興一弁護士へ。ご質問にお答えします。

坂井興一弁護士から、ときおりメールをいただく。
坂井さんとは、半世紀に近い付き合い。かつては同じ法律事務所で机を並べた間柄。私より2期上の身近な先輩。弁護士としてのあり方の指導も受け、大きく感化も受けてきた。

坂井さんと言えば思い出す。かつて、旧庁舎時代の東京弁護士会講堂の正面には大きな「日の丸」の額が掲げられていた。私が東弁常議委員会において、この日の丸の掲示を外すべきだと提案をしたときの副会長が坂井さん。奔走して私の提案を上手に実現してくれた。他の理事を説得するその手並みに感服したことがある。

その坂井さんの出身地が、岩手県南の陸前高田。浜の一揆訴訟の原告が多いところ。訴訟には関心を寄せて、たびたびの質問があり、私の方もその質問に回答することで問題点の整理をしてきた。

今回は、当ブログ「沿岸漁民の暮らしと資源を守る政策を― JCFU沿岸漁業フォーラム案内」の記事についてのご質問。
http://article9.jp/wordpress/?p=9102

「頭記のことが伝えられていたので、チョット。
①結局、それ(澤藤大河弁護士の発言)は集会の趣旨に反旗乃至は疑問を呈するものなのか、
 それとも基調講演に注文付けてるだけなのか、どっちなんでしょうか。
②沖取りが漁協(プラス県)の放流事業をチャッカリ横取りしてるというのが漁協側の言い分のようですが、
イ、個別の川と取り位置に密接因果があるのか、或いはフラついてるのを獲っているのか、
ロ、待ち構えているのなら、零細側とは云え、聞こえが悪そうですが。
ハ、仮にフラついているものなら、ケシカランとする漁協側の言い分は再抗弁が必要そうだけど、どうなのか、
 ま、何分にも故郷のことなので、手隙の時にでも、よろしく。ではまた。」

お答えいたします。
問① (澤藤大河弁護士の発言)は集会の趣旨に反旗乃至は疑問を呈するものなのか、それとも基調講演に注文付けてるだけなのか。

回答:澤藤大河の発言は、集会の趣旨に反旗乃至は疑問を呈するものではなく、基調講演に注文付けてるだけのものでもありません。「なによりも漁民の生業の確保が第一義で、漁協も漁連も水産行政も、漁民の生業の利益確保のためにこそある」ことを再確認すべきことを提言したものです。

集会の趣旨は、次のようなものでした。
「家族漁業・小規模漁業を営む沿岸漁業就業者は漁民全体の96%。まさに日本漁業の主人公です。全国津々浦々の漁村の自然と経済を守るこの家族漁業・小規模漁業の繁栄無くしては『地方創生』などありえません。ここでは、沿岸漁民の暮らしと資源、法制度をめぐる問題をとりあげ、日本の漁業政策のあり方をさぐります。」

集会の基調は、「小規模漁業繁栄のためには漁協の力量をつけることが大切」というもの。しかし、「浜の一揆」訴訟では、「漁協の繁栄のために、小規模漁業をぎせいにしてはならない」ことが訴えられています。

「浜の一揆」訴訟は、行政訴訟として県知事を被告とし、県の水産行政のあり方を問うものとなっています。その訴訟での被告岩手県知事側の言い分は、詰まるところ「漁協が経営する定置網漁の漁獲を保護するために、零細漁民のサケ刺し網漁を禁じることに合理性がある」として一歩も引きません。「漁協・定置漁業権」が、零細漁業者の経営を圧迫してもよいというのです。

浜の一揆の原告たちは、けっして漁協や漁業権を敵視しているわけではありません。しかし、漁協の存立や大規模な定置網漁の収益確保を絶対視して、零細漁民の権利を認めないとなれば、漁協にも、大規模定置漁業者にも譲歩を要求せざるを得ません。日本漁業の主人公は小規模漁民にほかなりません。けっして漁協ではないのですから。

キーワードは、「漁協の二面性」です。すべての中間団体に宿命的にあるもの。横暴な大資本や国と向かい合う局面では、漁民を代表する組織としてしっかりと漁協・漁連を擁護しなければなりません。しかし、組合員個人、個別の零細漁民と向かい合う局面では漁協は強者になります。そして、零細漁民の利益と対立するのです。

浜の一揆の原告たちの要求は、「大規模な定置網漁をやめて、漁場も漁獲も自分たちに解放せよ」と言っているわけではありません。「漁協の自営定置も、大規模な業者の定置網も認める。でも、一人について年間10トン、総量にして1000トンの刺し網漁を許可してほしい」と言っているだけなのです。

これに対して、「漁協の定置網漁の漁獲高に影響があり得るから一切許可できない」というのが県の立場。これって、おかしくないですか。ひどい話ではありませんか。不公平ではありませんか。

言うまでもなく、漁協は漁民に奉仕するための組織です。
水産業協同組合法第4条は「組合は、その行う事業によつてその組合員又は会員のために直接の奉仕をすることを目的とする」と規定します。これが、漁協本来の役割なのです。漁民のために直接奉仕するどころか、漁協の自営定置を優先して、漁民のサケ漁禁止の理由とするなど、法の理念に真っ向から反することではありませんか。

9月8日法廷で、被告県側の申請による濱田武士証人も、「漁協は協同組合ですから、一人がみんなのために、みんなが一人のためにという理念の組織です」と言っています。残念ながら、この理念のとおりには漁協は運営されていません。原告漁民の実感は、「一人ひとりの漁民には漁協・漁連のために」が強制され、「漁協漁連は漁民のために何もしていない」のです。

漁民の利益を代表してこその漁協であり、漁民の生業と共存してこその漁業権であることを再確認する必要があります。それが、私たち「浜の一揆」訴訟の基本的な立場であることをご理解ください。

集会では、大河弁護士の報告のあと、「漁協の二面性の指摘は重要」「民主性が徹底してこそ、漁業の力量が発揮できる」と司会がまとめています。

問② 「沖取りが漁協(プラス県)の放流事業をチャッカリ横取りしてるというのが漁協側の言い分のようですが」

回答:その問の発し方にそもそも問題があります。定置網漁の主体が、漁協であろうと株式会社であろうと、サケを独占する権利は誰にもありません。ですから、誰が誰に対しても「チャッカリ横取り」ということはあり得ないのです。但し現状は、一般漁民のサケ漁を禁止して、漁協の定置網漁が「チャッカリ横取り」しているというべき事態であることをご理解いただきたいのです。

三陸沿岸を泳ぐサケは無主物であり、そもそも誰が採るのも自由。これが原則であり、議論の出発点です。憲法22条1項は営業の自由を保障しています。漁民がサケの漁で生計を建てることは憲法上の権利であって、原則自由なのです。

このことは、サケの孵化放流事業があろうとなかろうと、また孵化放流事業主体が誰であろうと、変わりません。孵化場内の卵や稚魚の所有権は、孵化場経営者のものです。しかし、稚魚が河川に放流されるや、無主物になります。この稚魚は、降海し、ひとまずオホーツク海に渡り、さらにベーリング海峡付近で、回遊して北太平洋の自然の恵みを得て成長し、3年魚、4年魚と性的成熟期を迎えて三陸沿岸に帰ってきます。そして、その多くが母川を見つけて産卵のために遡上します。

この北太平洋で育ったサケを、母川の近くで一網打尽にする大規模漁が定置網漁で、場所を決めずに漁師の腕で位置を決めて網を下ろし、小型漁船で獲ろうというのが刺し網漁。

三陸沿岸のサケの漁獲高は最高年に7トン。本件申請時まではほぼ年間2万トン。そのうち、「1000トンだけを刺し網で獲らせていただきたい」というのが、原告らの要求なのです。

ですから、「(刺し網漁者が)待ち構えているのなら、零細側とは云え、聞こえが悪そうですが。」というご懸念は無用なのです。もともと、誰にもサケを獲る権利がある。無制限に獲るとはいわない。せめて、「一人年間10トンまでの許可を」という行政への申請が許可されてしかるべきだと確信しています。

また、孵化放流事業は利益を生みません。インフラ整備事業に似ています。事業コストの大半は、公費の補助金。残りは成魚の漁獲者からの、漁獲量に応じた負担金です。公金による事業の成果が、一部のものだけの利益として享受されてよかろうはずはありません。

もちろん、営業の自由も無制限ではあり得ません。合理性・必要性に支えられた理由があれば、その制約は可能です。このことは、合理性・必要性に支えられた理由がなければ制約できないということでもあります。

具体的には、漁業法65条1項にいう「漁業調整」の必要、あるいは水産資源保護法4条1項の「水産資源の保護培養」。そのどちらかの必要あれば、制約は可能なのですが、県はそのような整理もできていません。「取扱方針」なる内部文書に適合しないから不許可だ。つまり、自分で決めた規則を金科玉条にしているだけ。

最終的には、「漁業調整」とは何だ。その指導理念である漁業の「民主化」とは何だということに尽きるのだと思っています。弱い立場の、零細漁民に配慮することこそが「漁業の民主化」であって、漁協の利益確保のために、漁民の営業を圧迫することは「民主化」への逆行としか考えられません。

「漁協あっての漁民」という主客の転倒は、お国のための滅私奉公と同様の全体主義的発想ではないでしょうか。「漁協も漁連も、海区漁業調整委員会も、そして行政も民主的な手続にしたがって運用されている」「だから、既に民主化は達成されているのであって、一々漁民が文句をいうな」。これが県の立場であり発想というしかありません。

未成熟な民主主義と、人権原理との葛藤の局面です。行政の不備を補う司法の出番だと、坂井さんならご理解いただけるのではないでしょうか。
(2017年9月10日)

「浜の一揆」訴訟―漁協を守るために漁民にはサケを獲らせない?

本日は、盛岡地裁「浜の一揆」訴訟の証人尋問。原告側・被告側それぞれ申請の学者証人の尋問が行われた。

原告側の証人は、サケの生態学については第一人者の井田齊さん。被告側は、漁業経済学者の濱田武士さん。原告側が自然科学者で、被告側が社会科学者。自然科学者が沿岸漁民の側に立ち、社会科学者が県政の側に立つ構図が興味深い。

今日の尋問で証拠調べは終了、次回12月1日(金)が最終弁論期日となる。

何度もお伝えしているとおり、岩手の河川を秋に遡上するサケは三陸沿岸における漁業の主力魚種。「県の魚」に指定されてもいる。ところが、現在三陸沿岸の漁民は、県の水産行政によって、厳格にサケの捕獲を禁じられている。うっかりサケを網にかけると、最高刑懲役6月。漁船や漁具の没収まである。岩手の漁民の多くが、この不合理を不満として、長年県政にサケ捕獲の許可を働きかけてた。とりわけ、3・11被災後はこの不合理を耐えがたいものと感じることとなり、請願や陳情を重ねが、なんの進展も見ることができなかった。

そのため、2014年に3次にわたって、岩手県知事に対してサケの固定式刺し網漁の許可申請をした。これが不許可となるや、所定の手続を経て、岩手県知事を被告とする行政訴訟を盛岡地裁に提起した。2015年11月のこと、その原告数ちょうど100人である。

請求の趣旨は、不許可処分の取消と許可の義務付け。許可の義務付けの内容である、沿岸漁民の要求は、「固定式刺し網によるサケ漁を認めよ」「漁獲高は無制限である必要はない。各漁民について年間10トンを上限とするものでよい」というもの。原告らは、これを「浜の一揆」訴訟と呼んでいる。苛斂誅求の封建領主に対する抵抗運動と同根の闘いとする心意気からである。

三陸沿岸を泳ぐサケは無主物であり、そもそも誰が採るのも自由。これが原則であり、議論の出発点であることは、本日の被告側証人の証言においても確認されたところ。

漁民が生計を維持するために継続的にサケを捕獲しようというのだから、本来憲法22条1項において基本権とされている、営業の自由として保障されなければならない。

この憲法上の権利としての営業の自由も無制限ではあり得ない。合理性・必要性に支えられた理由があれば、その制約は可能となる。その反面、合理性・必要性に支えられた理由がなければ制約はできないということになる。

この合理性・必要性に支えられた理由とは、二つのことに収斂される。
漁業法65条1項は「漁業調整」の必要あれば、また水産資源保護法4条1項は、「水産資源の保護培養」の必要あれば、特定の魚種について特定の漁法による漁を、「知事の許可を受けなければならない」とすることができる、とする。

これを受けた岩手県漁業調整規則は、サケの刺し網漁には知事の許可を要すると定めたうえ、「知事は、『漁業調整』又は『水産資源の保護培養』のため必要があると認める場合は、漁業の許可をしない。」と定めている。

ということは、申請があれば許可が原則で、不許可には、県知事が「漁業調整」または「水産資源の保護培養」の必要性の具体的な事由を提示し根拠を立証しなければならない。

したがって、キーワードは「漁業調整の必要」と「水産資源の保護培養の必要」となる。行政の側がこれあることを挙証できた場合に、不許可処分が適法なものとなり、できなければ不許可処分違法として取り消されなければならない。

本日の原告側証人は、サケの専門家として、孵化放流事業の実態を語って、本件申請を許可しても「水産資源の保護培養」に何の影響もない、と結論した。また、水産学者として、三陸沿岸の自然環境の多様性に即した多様な漁業形態があってしかるべきだという立場から、大規模な漁協の自営定置も零細漁民の刺し網漁も共存することが望ましいとして、定置網漁のサケ漁獲独占を批判した。

本日の被告側証人は、漁協の存立を重要視する立場から、漁協が孵化放流事業を行い、自営定置で漁獲することを不合理とは言えないとして、本件不許可処分を是認した。しかし、「漁業調整の必要」の存在を具体的に述べることには成功しなかった。そして、「漁業調整」の指導理念であるべき漁業法上の「民主化」を援用すれば、漁協存立のために漁民のサケ漁を禁止することは不当ではないか、という立論にむしろ理解を示したように見受けられた。

問題は漁協優先主義が漁民の利益を制約しうるか、という点に絞られてきた感がある。
定置網漁業者の過半は漁協です。被告の主張は、「漁協が自営する定置営業保護のために、漁民個人の固定式刺し網によるサケ漁は禁止しなければならない」ということに尽きるもの。県政は、これを「漁業調整の必要」と言っている。
しかし、「漁業調整の必要」は、漁業法第1条が、この法律は…漁業の民主化を図ることを目的とする」という、法の視点から判断をしなければならない。

弱い立場の、零細漁民の立場に配慮することこそが「漁業の民主化」であって、漁協の利益確保のために、漁民の営業を圧迫することは「民主化」への逆行ではないか。

漁民あっての漁協であって、漁協あっての漁民ではない。主客の転倒は、お国のための滅私奉公と同様の全体主義的発想ではないか。

また、水産業協同組合法第4条は、「組合(漁協)は、その行う事業によつてその組合員又は会員のために直接の奉仕をすることを目的とする。」これが、漁協本来の役割。漁民のために直接奉仕するどころが、漁協の自営定置を優先して、漁民のサケ漁禁止の理由とする、法の理念に真っ向から反することではないか。

訴訟の進行は、本日まですこぶる順調である。11月10日までに原被告双方が最終準備書面を提出し、12月1日が最後の口頭弁論期日となる。勝訴を確実なものとするために、もう一踏ん張りしなければならない。
(2017年9月8日)

沿岸漁民の暮らしと資源を守る政策を― JCFU沿岸漁業フォーラム案内

明日(9月1日)午後、参議院議員会館1階講堂で、全国沿岸漁民連絡協議会(JCFU)がシンポジウムを開催する。その趣旨は、以下のとおりだ。

■開催趣旨:家族漁業・小規模漁業を営む沿岸漁業就業者は漁民全体の96%。まさに日本漁業の主人公です。全国津々浦々の漁村の自然と経済を守るこの家族漁業・小規模漁業の繁栄無くしては「地方創生」などありえません。ここでは、沿岸漁民の暮らしと資源、法制度をめぐる問題をとりあげ、日本の漁業政策のあり方をさぐります。

その趣旨や良し。経済の目的は効率でも生産性でもない。ましてや、市場での支配者に過剰な利益を与えるためのものでもない。多くの人々が安心して、健康で文化的な生活を持続していくことではないか。漁業にあっては、「全国津々浦々の漁村の自然と漁民の生計」を守らねばならない。漁民の暮らしを支える「家族漁業・小規模漁業の繁栄」が必要なのだ。そのためには、漁民一人ひとりの営業が成り立ち、後継者が育つ展望が持てなければならない。そのための、行政でなくてはならず、その目的に適う経済政策でなくてはならない。

大資本や中央資本の規制改革に対決する局面では、漁協も漁連も自治体も極めて重要である。しかし、漁協も漁連も自治体も、それ自体が価値を持つものではない。漁民を代表し、漁民に奉仕する存在であることが、その発言権や正当性の根拠である。漁協は飽くまでも漁民に奉仕する立場の存在である。漁民あっての漁協であって、漁協のための漁民ではない。漁協の経営のためとして、漁民を切り捨てるようなことは絶対にあってはならない。いま、岩手県の水産行政は、この倒錯の事態にある。

沿岸漁業フォーラムのプログラムと、岩手からの報告「サケの定置網独占と沿岸漁民の権利」のレジメをご紹介する。

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■JCFU沿岸漁業フォーラム■
「規制改革会議と漁業権を考える」―沿岸漁民の暮らしと資源を守る政策を

共 催: JCFU全国沿岸漁民連絡協議会・NPO法人21世紀の水産を考える会
と  き: 2017年9月1日(金)13:00~17:00
ところ: 参議院議員会館1階講堂

コーディネーター:二平 章(茨城大学人文学部客員研究員)
山本浩一(21世紀の水産を考える会理事長)

<プログラム>
●特別講演
「亡国の漁業権開放論~資源・地域・国土の崩壊」
鈴木宣弘 (すずき・のぶひろ)
(東京大学大学院農学生命科学研究科国際環境経済学 教授

●第2部 「各地の沿岸漁民の生活と権利をめぐる諸問題」              
1 クロマグロの漁獲規制と漁民の生活権   
  高松幸彦  (北海道留萌海区漁業調整委員会委員)
  宇津井千可志(長崎県対馬市曳き縄漁業協議会会長)
  本吉政吉  (千葉県沿岸小型漁協副組合長)
2.沿岸カツオ漁業の危機と熱帯まき網漁獲規制
  杉本武雄(和歌山県漁業調整委員会委員・和歌山東漁協副組合長)
  福田 仁(ジャーナリスト・高知新聞)
3.サケの定置網独占と沿岸漁民の権利
    澤藤大河(弁護士:岩手県「浜の一揆訴訟」弁護団)
4.震災復興と水産特区の問題点        
    綱島不二雄(復旧・復興支援みやぎ県民センター代表世話人)
5.原発事故後の福島漁業と汚染水問題
    林 薫平 (福島大学特任准教授)
6.「開門」は有明海漁業の生命線
    堀 良一(弁護士:よみがえれ!有明訴訟弁護団)

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                                                              2017年9月1日
「サケの定置網漁独占と沿岸漁民の権利」ー岩手からの報告
                                                        報告者 弁護士 澤藤大河
1.「漁協・漁業権」の二面性
基調講演のテーマが、草案段階では、「危機にさらされる漁協・漁業権」となっていました。当然に「漁協・漁業権」擁護の趣旨。ところが、三陸の沿岸漁民が起こしている行政訴訟では、被告岩手県知事側が、「漁協・漁業権」を擁護する立場から零細漁民にはサケ刺し網漁を禁じるとして一歩も引きません。「漁協・漁業権」が、零細漁業者の経営を圧迫しているのです。
三陸の沿岸漁民は、けっして漁協や漁業権を敵視しているわけではありません。しかし、漁協の存立や漁業権漁業の収益確保を絶対視して、零細漁民の権利を認めないとなれば、「漁協・漁業権」に譲歩を要求せざるを得ません。
「漁協・漁業権」の二面性を見極めなければならないと思います。横暴な大資本や国と向かい合う局面では、漁民を代表する組織としてしっかりと漁協・漁業権を擁護しなければなりません。しかし、組合員個人、個別の零細漁民と向かい合う局面では漁協は強者です。零細漁民の利益と対立するのです。
言うまでもなく、漁協は漁民に奉仕するための組織です。漁民の利益を代表してこその漁協であり、漁民の生業と共存してこその漁業権であることを再確認する必要があります。それが、私たちの基本的な立場であることをご理解ください。

2.「浜の一揆」訴訟の概要
岩手の河川を秋に遡上するサケは岩手沿岸における漁業の主力魚種です。「県の魚」に指定されてもいます。
ところが、現在の三陸沿岸の漁民は、県の水産行政によって、厳格にサケの捕獲を禁じられています。うっかりサケを網にかけると、最高刑懲役6月となります。岩手の漁民の多くが、この不合理を不満として、長年県政にサケ捕獲の許可を働きかけてきました。とりわけ、3・11の被災後はこの不合理を耐えがたいものと感じることとなり、請願や陳情を重ねてきました。しかし、なんの進展も見ることができなかったのです。
そのため、2015年11月100人の沿岸漁民が岩手県(知事)を被告として、盛岡地裁に行政訴訟を提起しました。要求は「固定式刺し網によるサケ漁を認めよ」「漁獲高は無制限である必要はない。各漁民について年間10トンを上限として」。原告らは、これを「浜の一揆」訴訟と呼んでいます。苛斂誅求の封建領主に対する抵抗運動と根は同じだと考えているからです。
訴訟の進行は、最終盤に近づいています。本年6月22日の法廷で、原告4名と県職員1名の尋問が行われ、次回9月8日には、原被告がそれぞれ申請した学者証人お二人が証言します。おそらく、年内に結審して、来春判決言い渡しの見通しです。

3.何が争われているのかー本日のテーマに即して
☆現状
* 三陸沿岸の海の恵みであるサケは、主として各漁協が自営する大型の定置網漁によって漁獲されています。漁協は定置漁業権を得て、定置漁業を行っています。
* 原告ら漁民はサケ漁から閉め出されています。サケの延縄漁は可能なのですが、とうていペイしません。「刺し網によるサケ漁を認めろ」というのが、原告らの切実な要求ですが、漁協の自営定置漁業に影響あるからとして、許可されません。
* 原告ら漁民は、漁協や漁連の民主的運営には懐疑的な立場です。社会的強者と一体となった、零細漁民に冷たい県政への挑戦として、「浜の一揆」の心意気なのです。
☆法的構造
* 三陸沿岸を泳ぐサケは無主物であり、そもそも誰が採るのも自由。これが原則であり、議論の出発点です。
* 憲法22条1項は営業の自由を保障しています。漁民がサケの漁をすることは原則として自由(憲法上の権利)なのです。
* とはいえ、営業の自由も無制限ではあり得ません。合理性・必要性に支えられた理由があれば、その制約は可能です。このことは、合理性・必要性に支えられた理由がなければ制約できないということでもあります。
* 具体的には、
漁業法65条1項は、「漁業調整」の必要あれば、
水産資源保護法4条1項は、「水産資源の保護培養」の必要あれば、
特定の漁には、「知事の許可を受けなければならない」とすることができます。
* これを受けた岩手県漁業調整規則は、サケの刺し網漁には知事の許可を要すると定めたうえ、「知事は、『漁業調整』又は『水産資源の保護培養』のため必要があると認める場合は、漁業の許可をしない。」と定めています。
* ということは、申請があれば許可が原則です。不許可には、県知事が「漁業調整」または「水産資源の保護培養」の必要性の具体的な事由を提示しなければなりません。
☆キーワードは「漁業調整」と「水産資源の保護培養」です。
* 「水産資源の保護培養の必要」は、科学的論争として問題はありません。
本件許可をしても、水産資源の保護培養に影響はあり得ません。
* 問題は、極めて不明瞭な「漁業調整の必要」です。そもそも何を言っているのさえよく分かりません。

4.漁協優先主義は漁民の利益を制約しうるか
☆定置網漁業者の過半は漁協です。被告の主張は、「漁協が自営する定置営業保護のために、漁民個人の固定式刺し網によるサケ漁は禁止しなければならない」ということに尽きるものです。県政は、これを「漁業調整の必要」というのです。
☆ しかし、「漁業調整の必要」は、漁業法第1条が、この法律は…漁業の民主化を図ることを目的とする」という、法の視点から判断をしなければなりません。
弱い立場の、零細漁民の立場に配慮することこそが「漁業の民主化」であって、漁協の利益確保のために、漁民の営業を圧迫することは「民主化」への逆行です。
☆ 漁民あっての漁協であって、漁協あっての漁民ではない。
主客の転倒は、お国のための滅私奉公と同様の全体主義的発想ではないでしょうか。
☆ 被告岩手県は、最近になってこんなことを言い出しています。
・各地漁協などが多大な費用と労力を投じた孵化放流事業により形成されたサケ資源をこれに寄与していない者が先取りする結果となり、漁業調整上の問題が大きい
・解禁に伴い膨大な漁業者が参入し一挙に資源が枯渇するなどの問題が生じる
☆ これは、定置網漁業完全擁護の立論です。少しでも、定置網漁業の利益を損なってはならないとする、行政にあるまじき偏頗きわまる立論と言わねばなりません。
☆ 「漁協が孵化事業の主力になっているから、成魚の独占権がある」というのは、暴論です。むしろ、孵化事業の大半は公金の補助でまかなわれているのですから、その成果を独占する権利は誰にもありません。漁協も漁民も。定置も刺し網も。そして漁果を得た者は平等に応分の負担を。というのが、あるべき姿です。
☆ 軽々に、漁民の切実な漁の自由(憲法22条の経済的基本権)が奪われてはならないのです。
(2017年8月31日)

サケは誰のものかーサケ漁をめぐる法廷闘争はアメリカに先例

「浜の一揆」訴訟を受任して以来、サケに関心をもたざるを得ない。サケの切り身の味も変わってきた…ような気がする。サケの生態やサケ漁の話題を追って、佐藤重勝著の「サケー作る漁業への挑戦」(岩波新書)を読んでいる。やや古い(1986年)著作だがとても面白い。

この書のなかで、「サケは誰のものか」という問いかけが繰り返される。自然の恵みであるサケは、誰のものだろうか。著者の結論はこういうことだ。
「サケは、とる人だけのものでなく、地域社会のもの、みんなのものであり、地域社会全体のものとして殖やすのが、サケを殖やす途だ」

民事的な所有権の帰属を論じているのではない。社会や行政がサケやサケ漁とどう関わるべきかという原則論を述べているのだ。著者の結論に、私もまったく異存はない。というよりは、我が意を得たり、という感想だ。

興味深い幾つかの実例が紹介されている。たとえば…。
「岩手県津軽石川のサケ漁について、元禄9年(1696)から20年ほどの事件を記述した『日記書留帖』には、こう書いてある。川にさけが急にのぼるようになったため、その漁獲をめぐって、毎朝村中が喧嘩していたのが、当時の領主であった津津石一戸氏の耳に入り、『とにかく思いがけず上ってきたサケであるから、誰のものというわけにはいかない』という裁定が下された。村では、漁業権を村民の持高に応じ、村役人から水呑百姓にいたるまで細分して割付け、地付支配を仰せつけられたという。(略)
 これによれば、サケは地元の『総有』、つまり“みんなのもの”という形で、領主に上納金を納める形であったことがわかる。」

封建領主でさえ、サケを一部有力者のものとはしなかった。「地元の『総有』、つまり“地元民みんなのもの”」と観念し、具体的にサケの取り分を「村民の持高に応じ、村役人から水呑百姓にいたるまで細分して割付けた」という。当時から、「サケは地元民みんなのもの」と考えられていたというわけだ。

「サケは誰のものか(米国の場合)」という一節がある。
「米国で…ヨーロッパから渡来した白人が、現地人であるアメリカ・インディアンからサケをとる権利を奪ってゆく様子は、ブルース・ブラウンの『雲の峰鮭の川』(池央耿訳、昭和59年新潮社刊)にくわしく書かれている。

 1912年、白人入植者が、クゥィリュート族の保留地からクウィラユート川を1キロ半ほど遡った支流の川尻に、サケ缶詰工場を建設した。そしてサケをとりまくった。インディアンの抗議は、この川の権限は陸軍省に属するという口実でしりぞけられ、彼らは川とサケを奪われた。
 その後、間もなく、ワシントン州議会は、サケ漁業者はすべて州から鑑札を受けなくてはならないことを法制化した。そしてインディアンは合衆国民ではないという理由で、彼らに鑑札を交付することを拒んだ。
 これでインディアンたちは、完全にクウィラユート水系から締出されることになったが、さすがにインディアン保護局がみかねて、州の法律施行に「待った」をかけた。しかし、彼らへの圧迫はなおも続けられたので、彼らは早い時期にこれを、権限のより大きい連邦裁判所に持ちこむ戦術をとった。1946年、裁判所はインディアンの権利を認める判決を下し、彼らは限られた範囲ながら白人の手から漁場を奪回した。裁判所は、ラ・プッシュの保留地、2・6平方キロの内で、この川を管理する権限を全面的に認めた。

 

しかし、保留地を一歩出れば、州政府の締めつけは厳しかった。同じようなことが、米国とカナダのいたるところで起こっていたが、インディアンを漁場から一掃しようとしたのは、ワシントン州が最初であった。こうして州対インディアン7部族に代わった連邦裁判所の裁判がはじまる。そして、3年間の論戦の後、合衆国地方裁判所判事のジョージ・ボルトは判決を下した。
 まず彼は、サケ資源減少の原因はインディアンの無軌道な乱獲であるという州側の主張をきっぱりとしりぞけ、インディアンたちが当然の権利によってサケを確保するために、ワシントン州に対し、条約を結んでいる部族が古来の習慣にしたがってサケやスチールヘッド(ニジマスの降海型)をとれるよう、漁獲量の50パーセントをインディアンに譲ることを命じた。」

この記事を読んで嬉しくなった。「おれたちにもサケを獲らせろ」という裁判の先例はアメリカにあったのだ。まずは、クゥィリュート族の提訴。そして続いた先住民7部族対ワシントン州の訴訟。いずれも、先住民側が勝訴したのだ。訴訟の詳しい内容は分からない。しかし、州政府は「サケ資源減少の原因はインディアンの無軌道な乱獲である」と主張して敗れたのだ。資源の保護培養を通じての漁業の持続性が争点となった訴訟であったようだ。先住民の勝訴、州の敗訴が嬉しい。

しかし、問題はこれで終わらなかった。
「この判決にもかかわらず白人漁業者は増えつづけ、1975年には、州魚類狩猟局は、インディアンは州のふ化場が育てた魚をとる権利はないという理由で、インディアンがスチールヘッドをとることを禁止した。この年の6月、第9回巡回控訴裁判所は、ボルト判決を全面的に支持する判決を下した。」

サケの孵化場が出てきて、孵化事業がインディアンをサケ漁から排除する理屈にされたのだ。「浜の一揆」訴訟と、ますます似てきた。そして、ここでも、先住民側が勝訴している。

「しかし、白人漁業者の違法操業は続いた。こうして紆余曲折をへながら、ボルト判決は、ワシントン州で徐々に効果をあらわしはじめた。年々インディアン各部族の水揚は増加して、州全体の20~35パーセント、時には50パーセントを上廻るサケが、インディアンの手に渡るようになった。それにもかかわらず、ピュージェット湾岸の一部のインディアンの漁獲量が事実上ゼロになる事態が発生した。1977年、合衆国が200カイリ法を宣言すると、商務省は、日本への輸出のため増えた需要に応じて、トロール船団にギンザケとマスノスケをとりたい放題とらせた。1980年には、ホー族のインディアンは、1尾の秋サケにも恵まれなかったという。つまり、船団はギンザケをとりつくしてしまい、産卵のためホー川を遡るギンザケはいなくなってしまったのである。ホー族は、商務省を相手に提訴した。1981年、ホー族は勝訴したが、肝腎の資源はそれによって減少がくいとめられるものではなかった。」

先例としての教訓に満ちている。訴訟が万能でないことは明らかだ。資源保護のための施策が不可欠なのだ。

ひるがえって、公的資金による孵化事業が軌道に乗っているわが国の今、サケは“生産者・消費者を含むみんなのもの”という根拠はより強くなっている。みんなのものであるということは、特定の事業者にサケを独占させてはならないということであり、地域・生産者・消費者・行政をあげての資源の保護育成が必要だということなのだ。定置の業者にサケ漁を独占させる合理的な根拠はありえない。

あらためて思う。幕府と松前藩は徹底してアイヌを弾圧して彼らのサケ漁の権利を取り上げたが、アメリカは訴訟で先住民の権利を認めたのだ。明らかな、文明度の差と言えよう。アメリカ先住民の怒りを共有する心意気で、三陸沿岸の漁民も法廷闘争を勝ち抜きたい。
(2017年8月23日)

「浜の一揆」訴訟第8回法廷(6月22日)・案内

2017年6月20日
岩手・県政記者クラブ各社殿
同 ・県警記者クラブ各社殿
弁護士 澤藤統一郎
同   澤藤 大河

「浜の一揆」訴訟第8回法廷(6月22日)・案内

6月22日、盛岡地裁「浜の一揆」訴訟の第8回法廷のご案内をいたします。
この日、原告漁民4人と担当の県職員1名の尋問で、審理はヤマ場を迎えます。
この訴訟は、注目され話題になってしかるべき大型訴訟です。
行政のあり方を問い、民主主義を問い、震災後の地域復興の問題でもあります。
社会的意義のある訴訟としてご注目いただき、ぜひとも、取材をお願いします。

第1 事案の概要
岩手の河川を秋に遡上するサケは岩手沿岸における漁業の主力魚種である。1992年2月、岩手県は三陸の海の恵みを象徴する「南部さけ」を「県の魚」に指定している。古くから三陸沿岸の漁民は、秋に盛漁期を迎えるサケ漁を生業としてきた。
ところが、三陸沿岸の漁民は、県の水産行政によって、厳格にその捕獲を禁じられている。うっかりサケを網にかけると、最高刑懲役6月となる。漁船や漁具の没収の規定もある。岩手の漁民の多くが、この不合理を不満として、長年県政にサケ捕獲の許可を働きかけてきた。とりわけ、3・11の被災後はこの不合理を耐えがたいものと感じることとなり、これまで岩手県の水産行政に請願や陳情を重ねてきたがなんの進展も見ることがなかった。
そのため、2015年11月100人の沿岸漁民が岩手県(知事)を被告として、盛岡地裁に行政訴訟を提起した。要求は「固定式刺し網によるサケ漁を認めよ」「漁獲高は無制限である必要はない。各原告について年間10トンを上限として」。原告らは、これを「浜の一揆」訴訟と呼んでいる。
訴訟における請求の内容は二つ、「漁民がした『固定式刺し網によるサケの採捕の許可申請』に対する不許可処分を取り消せ」。そして、「県知事は、『固定式刺し網によるサケの採捕の許可』をせよ」というもの。
では、三陸沿岸の海の恵みは誰が手にしているか。二つの類型がある。一つは浜の有力者が経営する定置網業者である。そして、もう一つの類型が漁協の自営定置である。いずれも、大型定置網による漁獲。その漁獲に影響あるからとして、小型漁船で零細な漁業を営む漁民にはサケ漁が禁止されているのだ。
だから、「おれたちにもサケを獲らせろ」という漁民の切実な要求は、社会構造の矛盾に対する挑戦という意味を持っている。社会的強者と一体となって、零細漁民に冷たい県政への挑戦でもある。だから、「浜の一揆」なのだ。
個々の漁民にとって、「零細漁民の漁業を保護して、漁業の生計がなり立つ手立てを講じよ」という切実な要求である。そして、漁民が高齢化する中で、「後継者が育つ希望ある漁業」をという地域の切実な願いを背景にするものでもある。
本件訴訟は県の水産行政のあり方を問うとともに、地域の民主主義のあり方を問う訴訟でもある。また、3・11被災後の沿岸漁業と地域経済の復興にも、重大な影響をもってもいる。
原告ら漁民は、岩手県民の理解を得たいと願う立場から、県内メティアの取材を希望するものである。

第2 当日の日程
1 法廷
午前10時 開廷(盛岡地裁301号法廷)午前中2名尋問
原告藏さん   主尋問20分 反対尋問20分
サケ漁許可を求める運動の経過について
原告瀧澤さん 主尋問30分 反対尋問30分
漁民が主張する資源保護のあり方(IQ)について

午後1時 再開廷午後3名尋問
原告熊谷さん  主尋問20分 反対尋問20分
漁民の生計の実態、サケ漁許可を求める理由の切実さについて
原告菅野さん 主尋問20分 反対尋問20分
宮城との県境海域で宮城の漁民はサケを獲っていること
海区漁業調整委員会運営の実態
被告側証人 県漁業調整課長  主尋問40分 反対尋問40分

2 法廷終了後の記者会見と報告集会
閉廷後直ちに、報告集会
場所 岩手県公会堂 2階講堂(21号室)
冒頭の訴訟経過説明のあと 記者会見
その後 意見交換

第4 これまでの経過概要
1 県知事宛許可申請⇒小型漁船による固定式刺し網漁のサケ採捕許可申請
2014年9月30日 第1次申請
2014年11月4日 第2次申請
2015年1月30日 第3次申請
2 不許可決定(102名に対するもの)
2015年6月12日 岩手県知事・不許可決定(277号・278号)
*277号は、固定式刺し網漁の許可を得ている者  53名
*278号は、固定式刺し網漁の許可を得ていない者 49名
3 審査請求
2015年7月29日 農水大臣宛審査請求(102名)
2015年9月17日 県側からの弁明書提出
2015年10月30日 審査請求の翌日から3か月を経過
4 提訴と訴訟の経過
2015年11月5日 岩手県知事を被告とする行政訴訟の提起
2016年1月14日 第1回法廷
2017年4月20日 第7回法廷 証拠決定
2017年6月22日 第8回法廷 原告本人4名・被告側証人1名尋問
2017年9月 7日 第9回法廷(予定)学者証人2名尋問予定

第3 訴訟の内容
1 当事者 原告 三陸沿岸の小型漁船漁業を営む一般漁民100名
(すべて許可申請・不許可・審査請求の手続を経ている者)
被告 岩手県(処分庁 岩手県知事達増拓也)
2 請求の内容
*知事の不許可処分(277号・278号)の取消し
*277号処分原告(既に固定式刺し網漁の許可を得ている者) 51名
*278号処分原告(固定式刺し網漁の許可を得ていない者)  49名
*知事に対するサケ漁許可の義務づけ(全原告について)
「年間10トンの漁獲量を上限とするサケの採捕を目的とする固定式刺網漁業許可申請について、申請のとおりの許可をせよ。」

第4 争点の概略
1 処分取消請求における、知事のした不許可処分の違法の有無
(1) 手続的違法
行政手続法は、行政処分に理由の付記を要求している。付記すべき理由とは、形式的なもの(適用法条を示すだけ)では足りず、実質的な不許可の根拠を記載しなければならない。それを欠けば違法として取消理由となる。ましてや、本来国民の自由な行為を一般的に禁止したうえ、申請に従って個別に解除して本来の自由を回復すべき局面においては、飽くまでも許可が原則であって、不許可として自由を制約するには、合理性と必要性を備えた理由が要求される。その具体的な理由の付記を欠いた本件不許可処分はそれだけで手続的に違法である。
本件不許可処分には、「内部の取扱方針でそう決めたから」というだけで、まったく実質的な理由が書かれていない。
(2) 実質的違法
法は、申請あれば許可処分を原則としているが、許可障害事由ある場合には不許可処分となる。下記2点がサケ採捕の許可申請に対する障害事由として認められるか。飽くまで、主張・立証の責任は岩手県側にある。
①漁業調整の必要←漁業法65条1項
②水産資源の保護培養の必要←水産資源保護法4条1項
2 義務づけの要件の有無 上記1と表裏一体。

第5 義務付けについての原告主張の概要
1 基本的な考え方
*三陸沖を泳ぐサケは、無主物であり、そもそも誰が採るのも自由。
これが原則であり、議論の出発点。
*憲法22条1項は営業の自由を保障している。
⇒漁民がサケの漁をすることは原則として自由(憲法上の権利)
⇒自由の制限には、合理性・必要性に支えられた理由がなくてはならない。
*漁業法65条1項は、「漁業調整」の必要あれば、
水産資源保護法4条1項は、「水産資源の保護培養」の必要あれば、
「知事の許可を受けなければならないこととすることができる。」
*岩手県漁業調整規則23条
「知事は、「漁業調整」又は「水産資源の保護培養」のため必要があると認める場合は、漁業の許可をしない。」
⇒ということは、許可が原則。
県知事が「漁業調整」「水産資源の保護培養」の必要性について
具体的な事由を提示し、証明しなければならない。
2 ところが、被告(県知事)は、不許可事由として、「漁業調整」「水産資源の保護培養」の必要性にまったく触れるところがない。
不許可の理由は形式的に「庁内で作成した「取扱方針」(2002年制定)にそう書いてあるから」というだけ。

第6 漁協中心主義は漁民の権利を制約しうるか。
1 漁業法にいう、漁業の民主化とはなにか。
零細の個々の漁民の権利にこそ配慮することではないか。漁協の営業のために、漁民の営業を圧迫することは「民主化」への逆行である。
2 漁民あっての漁協であって、漁協あっての漁民ではない。
主客の転倒は、お国のための滅私奉公と同様の全体主義的発想ではないか。
3 結局は、浜の有力者に奉仕する漁業行政の「カムフラージュの理論」ではないか。

☆これに対して、被告岩手県は、訴訟進行後ようやく「固定式刺し網によるサケ漁」を許可しない実質的な理由を整理して述べてきた。
以下のとおりである。
①岩手県の長年に亘るサケ産業(水産振興)政策とそれに基づく関係者の多大な尽力を根本的に損ねてしまうこと
②種卵採取というサケ資源保護の見地からも弊害が大きいこと
③各地漁協などが多大な費用と労力を投じた孵化放流事業により形成されたサケ資源をこれに寄与していない者が先取りする結果となり、その点でも漁業調整上の問題が大きいこと
④解禁に伴い膨大な漁業者が参入し一挙に資源が枯渇するなどの問題が生じること
⑤沖合で採捕する固定式刺し網漁業の性質上、他道県との漁業調整上の摩擦も看過できないこと
⑥近年、県内のサケ資源が深刻な減少傾向にあること

以上の各理由は一応なりとも、合理的なものとは到底考えがたい。こんなことで漁民の切実な漁の自由(憲法22条の経済的基本権)が奪われてはならない。
☆各理由に通底するものは、徹頭徹尾定置網漁業完全擁護の立論である。およそいささかなりとも定置網漁業の利益を損なってはならないとする、行政にあるまじき偏頗きわまる立論として弾劾されてしかるべきでもの。利害対立する県民当事者相互間の利益を「調整」するという観念をまったく欠いた恐るべき主張というほかはない。
☆しかも、利害対立の当事者とは、一方は原告ら生身の零細漁民である。20トン以下の小型漁船で生計を立てる者で、法的には経済的基本権の主体である。そして対立するもう一方が、大規模な定置網漁業者である。その主体は、漁協単独の経営体であり、漁協と複数個人の共同経営体であり、株式会社であり、有限会社であり、定置網漁業を営む資本を有する経済力に恵まれた個人である。「浜の有力者」対「一般漁民」のせめぎあいなのである。
☆定置網漁業者の過半は、漁協である。被告の主張は、「漁協が自営する定置営業保護のために、漁民個人の固定式刺し網によるサケ漁は禁止しなければならない」ということに尽きる。
☆漁民の繁栄あっての漁協であって、その反対ではない。飽くまで「漁民優先」が当然の大原則。漁協の健全経営維持のために漁民の操業が規制される筋合いはない。
☆以下は、被告が「近年、県内のサケ資源が深刻な減少傾向にあること」を不許可の理由として挙げていることに対する批判の一節である。

「近年のサケ資源の減少傾向」が、固定式刺し網漁業不許可の理由とはなりえない。これを理由に掲げる被告の主張は、いわゆる「獅子の分け前」(Lion’s Share)の思想にほかならない。
漁協は獅子である。獅子がたっぷり食べて余りがあれば、狐にも分けてやろう。しかし今はその余裕がないから、狐にやる分け前はない。被告岩手県は無邪気に、傲慢な差別を表白しているのである。
行政は平等で、公正でなくてはならない。漁協を獅子とし、漁民を狐として扱ってはならない。原告ら漁民こそが人権の主体であり、漁協は原告ら漁民の便益に奉仕するために作られた組織に過ぎないのだから。」

(2017年6月20日)

 

「浜の一揆」訴訟、次回法廷で5人が証言ーいよいよ山場に

盛岡地裁での「浜の一揆」訴訟。三陸沿岸の漁民100人が、岩手県知事を被告として、「大規模定置網事業者だけにサケ漁を独占させるのは不公平で不合理だ」「おれたち零細漁民にも、1人年間10トンの枠でサケ漁を許可せよ」という請求。本日(4月20日)の法廷で、原告(漁民)側5人、被告(岩手県)側2人の人証採用が決まった。被告の「一人の採用も必要ない」との意見を斥けてのことである。

次回6月22日には、原告本人4人と被告申請の岩手県漁業調整課長(当時)の合計5人の尋問が行われる。そして、次々回(日程調整中)には、原被告が各申請の専門家証人2人の尋問予定で、この2回廷が審理のヤマ場となる。

大いに満ち足りた気持で法廷を出ると、はからずも盛岡地裁前庭の石割桜が満開。開廷前には眺める余裕もなかったが、閉廷後には青空に映えたその見事な姿を心から楽しんだ。

証人尋問採用に至る経緯の概略は次のようなもの。
原告は1月10日付で7人の人証申請をした。原告本人が4人、証人が3人である。まず専門家(魚類特にサケの生態と漁法の研究者)一人。加えて漁民組合顧問と県漁連会長。この2人の証言を対置することによって三陸沿岸のサケの漁獲をめぐる社会的な対立構造が見えてくる。また、漁連や有力者と県政との癒着構造も見えてくる。と、いうのが原告側の証人採用を求める理由。

裁判所の求めに応じて3月30日に、県漁連会長を除く人証予定者の各陳述書を提出した。その後の4月14日に、被告から人証をすべて不採用とすべしとの意見書が出てきた。被告も、一応は2人(専門家証人と担当課長)の証人申請をしているのだが、「本来、原被告双方の申請人証の採用が必要ない」という。

この被告県知事の、人証申請に対する攻撃的な姿勢は、異例であるばかりでなく異様で異常というべきだろう。本件許可申請以前の原告漁民の要求を頑なに拒否し続けてきた行政の姿勢が、そのまま本件訴訟における応訴態度として示されているというほかはない。

4月18日付でその反論を提出し、漁民組合顧問と県漁連会長の2人については採否の決定留保となったが、その余はすべて採用となった。

その経過での裁判長とのやり取りのなかで、裁判所が考える本件訴訟における争点が見えてきた。原告側と同一ではないものの、ほとんど齟齬はない。結局は、岩手県漁業調整規則23条1項3号に定める「水産資源の保護培養の必要」と「漁業調整の必要」の2点が、認められるか否かだけなのである。証拠調べはこの点に関して行われることになる。

原告ら漁民がサケの漁獲で生計を立てようとすることは、憲法22条1項に基本権として定められた「営業の自由」に属するものである。これを制限して、申請を不許可とするためには、高い合理性に裏付けられた要件を充足しなければならない。

漁業法と水産資源保護法から授権を受けた岩手県漁業調整規則23条1項本文は、「知事は、次の各号のいずれかに該当する場合は漁業の許可をしない」としたうえで、同項の3号に、「漁業調整又は水産資源の保護培養の必要があると認める場合」と定めている。つまり、「漁業調整又は水産資源の保護培養の必要があると認める場合」に限って「許可をしない」こととなり、原則は許可をすべきものなのである。裁判所は、以上の2点を根拠づけるための人証採用を決めたのだ。

争点の一である「水産資源の保護培養の必要」の有無は、自然科学的な根拠の証明に馴染むものである。この点に関して、原告は主として専門家証人によって、本件許可にかかる原告らの固定式刺し網によるサケ漁が「サケ資源の保護培養」に影響するものではないことを立証する。

もう一つの争点である「漁業調整の必要」は、必ずしも定義明確ではない理念的な概念であるところ、究極的には、「現状のとおり、漁協と経済的有力者を主とする大規模定置網業者へのサケ漁の独占を許し、その漁獲高を確保するために原告ら漁民にサケの採捕を禁じることが、憲法や漁業法が掲げる法的正義に適うか」という判断に帰着する。

この判断を左右する幾つかの具体的論点がある。
漁協の自営定置経営の漁獲高確保のために零細漁民にはサケを獲らせないとすることが、「民主化」を掲げる漁業法の理念のもとで許されるのか。また、漁協の運営は真に漁民の利益のために、漁民の意思に基づいてなされているのか。その実態が問われなければならない。

被告が漁業調整における民主的手続の中心にあるとする「海区漁業調整委員会」の運営の実態についても証拠調べを欠かすことができない。この組織が、本当に民主的に運営されているのだろうか。

さらに、原告らは漁業者の立場から、「水産資源の保護培養の必要」と「漁業調整の必要」とを連結する試みとして、TAC(総量規制)とIQ(個別割当)の制度を提唱してきた。本件における各原告の年間10トンを限度とする許可申請は、その制度設定を意識してのものである。原告ら小型漁船漁業者こそが、後継者の育つ漁業の永続を願う立場にあり、水産資源の維持に最も切実な関心をもっている。その原告らが、けっして乱獲による資源の枯渇を招くことはありえない。

ようやく、「浜の一揆」訴訟は山場を迎える。次回6月22日は、盛岡地裁301号法廷で10時から午後いっぱい。誰でも傍聴が可能だが、満席になれば入廷できないことになる。本日なればこそ、法廷に入れなければせめて石割り桜を愛でる眼福にあずかれたが、次回も桜満開というわけにはいかない。また、残念ながら、石割り桜のサクランボは、見応えあるものではない。
(2017年4月20日)

クロマグロ捕獲規制と民主主義

最近、漁業・漁民との関わりの機会が増えている。

本日(3月9日)午後、お誘いを受けて参議院会館1階講堂で行われた「沿岸漁民の視点からクロマグロの漁獲規制を考える」シンポジウムに参加した。「全国沿岸漁民連絡協議会」(JCFU)と、NPO法人「21世紀の水産を考える会」の共催。北海道から、壱岐・対馬までの沿岸漁民が参加して盛会だった。

シンポジウムのタイトルは、「クロマグロの漁獲規制を考える」だが、内容は、「規制による漁民の悲鳴」と、「漁民の怒り」が噴出した集会であった。沿岸漁民の水産行政への不信は根深い。

シンポジウム開催の趣旨は、次のように述べられている。
「現在、沿岸漁業にクロマグロ漁獲の半減規制がすすめられていますが、各地漁村では様々な混乱が生じています。水産庁のプレスリリース、それをベースにした中央マスコミの報道を見る限り沿岸漁民が違反者・悪者になっています。しかし、そもそもこの混乱を引き起こしている原因は沿岸漁民にあるのでしょうか? 漁獲規制の仕組み、実行体制そのものに問題なしといえるのでしょうか?
各地の沿岸漁民は、『規制をやるなら混乱が生じない内容でやってほしい。規制中にはきちんとした所得補償対策を実施してほしい。このままのマクロ規制では沿岸漁民の経営は成り立たない』と言ってきました。日本の沿岸漁家は近年減少を続けていますが、クロマグロ漁獲規制が沿岸漁家経営を一層困難にさせ、経営体減少に拍車をかけてしまうのでは、真の水産政策とはいえないでしょう。
本フォーラムでは沿岸漁民の立場からより良いクロマグロ漁獲規制になるよう現在の施策の問題点をさぐります。」

問題は深刻であり解決は難しい。当然のことながら水産行政は「国際条約による規制だ。しかも、水産資源保護のための合理的な規制なのだから、やむをえない」という姿勢。これに漁民が苛立っている。

水産資源の保護に必要と納得できれば、現場の漁民が受け入れないはずはない。資源を保護して漁業の存続を願うのは、だれよりも漁民自身である。漁業の持続のために、今は我慢せざるを得ないとするのは、当然と考えるはず。しかし、現在の規制のあり方に苛立ちがあるのは、水産資源の保護の必要という根拠に納得できないものを感じているからであり、何よりも規制の公平性に不満を持っているからだ。

いくつもの不満が噴出している。「マグロを漁獲制限されたら、私たちに代わりの魚種はない」「漁民の生活を守ってもらいたい」「生活のための漁と儲けのための漁を同視するようでは困る」「自分たちの零細な釣り漁法はけっしてマグロを捕りすぎることはない」「乱獲して資源を減らしたのは、大規模な巻き網業者ではないか」「規制は大規模な巻き網漁からにしてもらいたい」…。

中に、こんな報告があった。
「水産庁交渉のさなかに、漁民の一人が職員の態度に思わず大声を上げた。『何をエヘラエヘラ笑っているんだ』」「私には、この漁民の気持ちが良く分かる。水産庁の役人にとっては所詮他人事。自分の給料が減ることはない」「しかし、マグロ漁で食っている漁民にとっては、職員が給料を半減されるのと同じ目に遭っている。本当に笑っていられるような場合ではないのだ」

マグロの規制に関連して、印象に残った報告があった。千葉勝浦のキンメ漁師からのもの。
「我々キンメ漁師は、父親の時代からキンメ資源を漁師自ら大事にしてきました。40年前から勝浦沖キンメ漁場では、7月、8月、9月の3か月間を自主的に禁漁期としています。この3か月はキンメの産卵期と重なることから禁漁とすることで漁民全体の納得を得ているのです。そのほかにも、操業時間の短縮、釣数の制限など、現在まで30数回も自主的に規則を作りかえてきました。この会議は全員一致を原則としています。反対の船団があっても、多数決にはしません。反対の船団に説明に行き、その人たちの意見も聞いて、しこりを残さぬよう解決して、全員一致の規約づくりをしています。みんなで決めたルールですから、みんなが守ることになります」

行政による上からの押しつけ規制に対する、この上ない批判となっている。なるほど、これが民主主義というものか。少数意見者に多数決を押しつけることなく、全員一致を目指しての話し合いの継続。その姿勢が結実しているのだ。

先日、まったくのその反対の事例に接した。岩手県では、大規模定置網漁者の利益を損ねてはならないとして、零細漁民の小規模サケ漁が禁じられている。「これが民主的な漁業調整のあり方か?」という、「浜の一揆訴訟」における原告からの問に、被告岩手県(知事)側はこう答えている。「民主的手続は、海区漁業調整委員会という場で保障されている」。問題はその海区漁業調整委員会の運営の実態である。

会議で、議長が少数派の委員二人にこう言うのだそうだ。「あんた方はどうせ採決で負ける。だからムダな発言はしない方が良い。それが民主主義だ」。そして、実際少数派委員二人以外の発言はない。有識者委員が一度だけ、「県が提案した原案に一字の間違いがある」と言ったのが印象に残っている、とのこと。

多数決で押し切る「民主主義」とは行政の道具となっているまがい物。全員の一致点を見極めようという話し合いこそが、有効な本物の民主主義。案外分かり易いのではないか。アベ政権に、民主主義の片鱗やある。
(2017年3月9日)

事件名提案ー「豊中アベ疑惑事件」・「国有地払下げ・アベ友疑惑事件」ではどうだろう

言葉は大切だ。用語の選び方次第で、同じものを逆にも見せることができる。そう考えて、自民党は11本の戦争法案を、「国際平和支援法」(1本)と「平和安全整備法」(10本一括)と命名した。「国際平和」であり、「平和安全」である。これが、集団的自衛権行使や海外での自衛隊の武器使用を可能とする戦争法なのだ。そのほかにも、「積極的平和主義」だの、「一般的には戦闘だが法的には衝突」だの、枚挙に暇がない。自民党に倣って、ネーミングには工夫をしよう。

今、ようやく話題となりつつあるあの事件。正確にいえば、「安倍晋三夫婦関与疑惑の極右学校法人新設予定小学校敷地の国有地ただ同然払い下げ事件」をどうネーミングするか。この問題に火をつけた朝日は、「森友学園問題」といっているが、随分と腰の引けたネーミング。「森友学園」は覚えにくいし、覚えるに値しない。これではダメだ。毎日の本日の朝刊は、「大阪市の学校法人『森友学園』が小学校用地として大阪府豊中市の国有地を鑑定額より大幅に安く取得した問題」だ。これも長すぎて使えない。運動の中で使えるような事件名作りに、知恵を寄せ集めよう。

ネーミングは、この事件のどこをどのように主要問題点として把握するかによる。問題点が多岐にわたるとき、そのすべてを盛りこむことはできない。ネーミングに盛りこむべき要素を書き出してみよう。

その1 「アベ関与疑惑」
これが本質的なメインファクターだ。アベが極右勢力と親密で、極右復古主義教育に賛辞を呈していることが何よりの問題。国会でも「学園の教育への熱意は素晴らしいと聞いている」とまで述べている。国有財産ただ同然払い下げという、国からの不当きわまる極右学校法人に対する便益供与。その原因としてアベの関わりが疑われるところ。アベ疑惑として徹底した解明を要するところだ。

その2 「アベ妻疑惑」
臆面もなく、右翼幼稚園教育礼賛を繰りかえし、その広告塔となることで、アベと極右学校法人との橋渡しとなっていたのがアベ妻。「こちらの教育方針は、たいへん主人(安倍晋三)も素晴らしいと思っている。(卒園後)公立小学校の教育を受けると、せっかく芯ができたものが揺らいでしまう」として、新設予定とされた小学校の名誉校長就任を引き受けた。これが、近畿財務局や航空局に影響なかったはずはない。

一昨日(2月23日)に森友学園のホームページから削除された記事では、アベ妻が名誉校長として「理事長の教育への熱い思いに感銘を受け、(名誉校長に)就任させていただいた」「優れた道徳教育を基として、日本人としての誇りを持つ子どもを育てます」と記していた。疑惑を追及されて「名誉校長」の任を放棄して逃げ出したのは不可解。右翼勢力との関係を究明するとともに、アベの取引への関わりの有無について徹底して疑惑を解明しなければならない。

その3 「極右学校法人」疑惑
森友学園が経営する塚本幼稚園の極右復古主義教育の内容はすさまじい。理事長の個人的な政治的主張のために、子どもたちに皇室や自衛隊礼賛の旗振りをさせて手駒として使っている。また、極右にふさわしいヘイト文書や、児童虐待等々が報道されている。その一つ一つを徹底して事実究明していくことが必要だ。すなわち、アベ夫妻が共鳴し褒めたという教育の実態を明らかにしなければならない。

その4 「国有財産ただ同然払い下げ」疑惑
当初は右翼法人が定期借地権を設定して国から借地し、土地の汚染除去を理由に1億3200万円を国に支払わせ、次いで埋設ゴミ除却費用分8億円を値引かせて1億3400万円で払い下げを受けたという。結局のところ、この右翼法人は、わずか200万円で9億5000万円相当の不動産を手に入れた。当初は、隠蔽されていたこのような国有財産管理のからくりの究明が必要だ。アベの存在あればこそ、このような破格の、あるいは通常は考えられない馬鹿げた不当取引が実現したのだろうと考えざるをえない。何らかのかたちでアベが口を利いたのか、あるいは、学校側がアベの存在をチラつかせたか、それとも近畿航空局側が勝手にアベの意向を忖度したか。徹底して洗い出す必要がある。

その5 「私立小学校設立認可(予定)」疑惑
財政状態劣悪な森友学園がどうして、私学審で「認可適当」となったのか。この点も、きちんと解明されなければならない。また、入学希望予定生徒の保護者は、広告塔として利用された安倍夫妻の推薦によってこの学校を選択したのか否か。そして、既に入学金や寄付金を支払っているのかどうか。

その6 その他にも、豊洲同然の校地土壌汚染問題あり、南スーダンPKO同然の書類破棄問題あり、公開請求に棄却決定の問題まである。

これらの「疑惑点」を繋げると、寿限無の如く、「安倍晋三夫婦関与疑惑の極右学校法人新設予定小学校敷地の国有地ただ同然払い下げ・その他付随疑惑事件」となる。思い切ってハサミを入れよう。

飽くまで中心のテーマは、学校法人が右翼的思想で安倍首相と通じていたから、特別のはからいを受けたのではないか。それでなくては、こんなに安くし、こんなに秘密にした理由の説明はつかない、という政治的な疑惑。

当ブログでは、最初「学校法人『森友学園』の『アベ友疑惑小学校』設立認可問題」とし、その後「『アベ疑惑小学校』設立問題」とした。最終的には、学校認可問題と思ったのだが、修正しなけばならない。

「国有地ただ同然払い下げアベ友疑惑事件」ではどうだろうか。長すぎるのなら、「国有地払い下げアベ関与疑惑」。これでも長ければ、「豊中アベ疑惑事件」「国有地払下げ・アベ友疑惑事件」ではどうだ。
(2017年2月25日)

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