澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

DHC・吉田嘉明 展望なき上訴 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第175弾

3月18日(水)に言い渡された「DHCスラップ『反撃』訴訟」の控訴審判決。その上訴期限最終日の昨日(4月1日・水)、DHC・吉田嘉明が最高裁に上訴した。控訴審判決の「連帯して165万円を支払え」とする命令を不服としてのもの。

高裁の控訴審判決に不服ある場合の上訴(上級審への不服申立)には、「上告提起」と「上告受理申立」の両手段がある。「上告提起」は、原判決に憲法違反や重大な訴訟手続の違法があることを理由とする場合、「上告受理申立て」は、原判決に判例違反や法令の解釈に関する重要な間違いがあることを理由とする場合に認められる。DHC・吉田嘉明は、両手段を併用して申し立てている。

「上告提起」も「上告受理申立」も最高裁宛となるが、上告状兼上告受理申立書の提出先は、原審の東京高裁第5民事部である。これから速やかに、同民事部から両当事者に「上告」「上告受理申立」の受理通知が送付される。その通知が到達後50日以内に、DHC・吉田嘉明は、「上告理由書」「上告受理申立理由書」を作成して同民事部に提出しなければならない。一件記録が最高裁にまわるのは、その後のことになる。

実務家の常識からは、このDHC・吉田嘉明の上告も上告受理申立も、無理筋の展望のない上訴というほかはない。最高裁が耳を傾けるはずもない。敗訴確定先延ばしに過ぎない無駄な努力。かくて、圧倒的な優勢のうちに、DHC・吉田嘉明と私との訴訟上の争いは、最終第6ラウンドを迎えることになった。

2014年4月16日 DHC・吉田嘉明は、私(澤藤)を被告とする訴状を東京地裁に提出した。その請求の趣旨において、私の3件のブログ記事の削除を求めるとともに謝罪を要求、さらに2000万円の損害賠償金を支払えとした。この訴状が私に届いたのが、同年5月13日。この日、私は初めてDHC・吉田嘉明から、無謀な宣戦布告があったことを知らされた。そして、DHC・吉田嘉明にその愚行を後悔させなければならないと受けて立つことを決意した。これが第1ラウンドの始まりである。

私はこの提訴を、DHC・吉田嘉明の「黙れ」「オレを批判するな」という野蛮な恫喝と理解した。絵に描いたような悪役登場の典型的スラップ訴訟である。まずは、黙ってはならないと決意し、ブログに「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズを書き始めた。

もちろん、私憤がエネルギーの原動力である。吉田嘉明ごときに、脅せば黙り込むだろうと舐められたのが腹に据えかねたのだ。もっとも、怒りは私憤ばかりでもない。スラップは表現の自由の敵である。その意味では、スラップとの闘いは大いに公共の意義をもつ。また、DHC・吉田嘉明はヘイトとデマの源泉であることも少しずつ分かってきた。この闘いのエネルギーには、私憤だけでなく公憤も加わった。

こうしてブログに「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズを書き始めたら、DHC・吉田嘉明の代理人弁護士今村憲から警告があり、続いて請求が拡張された。同年8月29日に、なんと請求額は4000万円跳ね上がった。あらためて、6000万円を支払えというのだ。DHC・吉田嘉明・今村憲が、一体となってこの訴訟提起の動機を自白しているに等しいではないか。

今は175弾に及んでいる「DHCスラップ訴訟を許さない」シリーズの最初は下記のとおりである。私のブログを検索していただければ、すべてを読むことができる。
http://article9.jp/wordpress/?cat=12

2014年7月
 13日 第1弾「いけません 口封じ目的の濫訴」
 14日 第2弾「万国のブロガー団結せよ」
 15日 第3弾「言っちゃった カネで政治を買ってると」
 16日 第4弾「弁護士が被告になって」
 18日 第5弾「この頑迷な批判拒否体質(1)」
 19日 第6弾「この頑迷な批判拒否体質(2)」
 20日 第7弾「この頑迷な批判拒否体質(3)」
 22日 第8弾「グララアガア、グララアガア」
 23日 第9弾「私こそは『幸せな被告』」
 25日 第10弾「『表現の自由』が危ない」
 27日 第11弾「経済的強者に対する濫訴防止策が必要だ」
 31日 第12弾「言論弾圧と運動弾圧のスラップ2類型」
同年8月
  3日 第13弾「スラップ訴訟は両刃の剣」
  4日 第14弾「スラップ訴訟被害者よ、団結しよう。」
  8日 第15弾「『政治とカネ』その監視と批判は主権者の任務だ」
 10日 第16弾「8月20日(水)法廷と報告集会のご案内」
 13日 第17弾「DHCスラップ訴訟資料の公開予告」
 20日 第18弾「満席の法廷でDHCスラップの口頭弁論」
 21日 第19弾「既に現実化しているスラップの萎縮効果」
 22日 番外「ことの本質は『批判の自由』を守り抜くことにある」
 31日 第20弾「これが、損害賠償額4000万円相当の根拠とされたブログの記事」
同年9月
 14日 第22弾「DHCが提起したスラップ訴訟の数々」
 15日 第23弾「DHC会長の8億円拠出は『浄財』ではない」
 16日 第24弾「第2回口頭弁論までの経過報告」
 17日 第25弾「第2回口頭弁論後の報告集会で」
(以下略、現在175弾まで)

以上のとおり、私は怒りを持続して猛烈にDHC批判のブログを書き継いで本日に至っている。その怒りが訴訟にの経過にもみなぎっているはずだ。怒りこそが、エネルギーの源泉である。今、読み直すと、このブログはなかなかに読み応えあって面白い。吉田嘉明も読んでいるだろうか。未読であれば、ぜひお読みいただきたい。感想文などいただけたら、なおありがたい。

こうして、2015年9月2日 東京地裁での請求棄却判決言い渡しがあった。当然に私(澤藤)全面勝訴であった。これが第1ラウンドの勝利

DHC・吉田嘉明はこれを不服として控訴したが、2016年1月28日控訴審は控訴棄却判決を言い渡した。再びの私の全面勝訴である。第2ラウンドの勝利

DHC・吉田嘉明は、なんの成算もないまま無意味な上告受理申立をしたが、2016年2月12日最高裁はこれを不受理とした。第3ラウンドの勝利

さらに、2017年9月4日、DHC・吉田嘉明は私を被告として、債務不存在確認請求訴訟を提起した。つまりは、スラップ提起による損害賠償債務はないことの確認を求める訴訟。これが、第4ラウンドとなった。これに、澤藤から反訴提起を行い、これを前訴と区別して「DHCスラップ『反撃』訴訟」と名付けた。2019年10月4日、反訴について一審判決言い渡しがあり、明確にスラップの違法を認め、認容額110万円とした。第4ラウンドの勝利である。

これに、DHC・吉田嘉明が控訴し、澤藤が附帯控訴したのが、第5ラウンドである。2020年3月18日東京高裁511号法廷で、DHCスラップ反撃訴訟控訴審判決言い渡しがあった。DHC・吉田嘉明の控訴を棄却し、澤藤請求の認容額を165万円に増額した。第5ラウンドにおける、赫々たる勝利である。これで、5選5勝となった

さて、第6ラウンドがどうなるか。DHC・吉田嘉明は、控訴審判決を不服として上訴するのだが、控訴審判決は手堅い。唐突にこれまでと違うことは言いようもなく、さりとて同じことを述べて判決を覆すことなどできようはずもない。

控訴審判決の核心部分は以下のとおりである。

前示のとおり、
 被控訴人(澤藤)の本件各(ブログでの)記述が、いずれも公正な論評として名誉毀損に該当しないことは控訴人ら(DHC・吉田嘉明)においても容易に認識可能であったと認められること、
 それにも関わらず控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が、被控訴人(澤藤)に対し前件訴訟(DHC・吉田嘉明によるスラップ訴訟)を提起し、その請求額が、当初合計2000万円、本件ブログ4(「DHCスラップ訴訟を許さない・第1弾」)掲載後は、請求額が拡張され、合計6000万円と、通常人にとっては意見の表明を萎縮させかねない高額なものであったこと、
控訴人吉田が自ら本件手記を公表したのであれば、その内容からして、本件各記述のような意見、論評、批判が多数出るであろうことは、控訴人ら(DHC・吉田嘉明)としても当然予想されたと推認されるところ⦅なお、前件訴訟の提訴前に、控訴人らの相談に当たった弁護士(今村憲)から、本件貸付が規制緩和目的のためなのか、私利私欲のためなのか分からない人たちから批判が出ることは当然あり得るとの意見が出ていたことが認められる(証人内海〔原審〕35頁)。⦆、

 控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が、それに対し、言論という方法で対抗せず、直ちに訴訟による高額の損害賠償請求という’手段で臨んでいること、
ほかにも近接した時期に9件の損害賠償請求訴訟を提起し、判決に至ったものは、いずれも本件貸付に関する名誉毀損部分に関しては、控訴人ら(DHC・吉田嘉明)の損害賠償請求が認められずに確定していることからすれば、

……前件訴訟(DHCスラップ訴訟)の提起等は、控訴人ら(DHC・吉田嘉明)が自己に対する批判の言論の萎縮の効果等を意図して行ったものと推認するのが合理的であり、不法行為と捉えたとしても、控訴人ら(DHC・吉田嘉明)の裁判を受ける権利を不当に侵害することにはならないと解すべきである。

 したがって、控訴人ら(DHC・吉田嘉明)の前件訴訟の提起等は、請求が認容される見込みがないことを通常人であれば容易に知り得たといえるのに、あえて訴えを提起するなどしたものとして、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものということができ、被控訴人(澤藤)に対する違法行為と認められる。」

この判決は、以上の認定において、表現の自由保障についての貴重な一石を投ずる判決となり得ていると私は満足している。私の6年間の怒りは無駄ではなかったという充実感がある。

そのような圧倒的に優勢な状態で、第6ラウンド開始のゴングが鳴った。私は、もうしばらく余裕の怒りを持続しつつ、守勢に回らずDHC・吉田嘉明を攻撃し続けることができる。消費者問題としての観点から、あるいは忌まわしいデマとヘイト規制の観点から、また政治資金や選挙資金規正の視点から、そして何よりも表現の自由擁護の立場から、DHC問題・吉田嘉明問題を語ってゆきたい。
(2020年4月2日)

「緊急事態宣言」とは、かくも危険なものである。

昨日(3月13日)、新型コロナウイルス感染症を適用対象に加える「新型インフルエンザ特措法」の改正法が成立した。3月11日の審議開始からわずか3日間での成立である。内容は、新型コロナを法の適用対象に加えるだけで、ほかの規定は変えなかった。

衆参両院の決議はいずれも全会一致ではなかった。賛成は、自民・公明・維新と、立憲民主・国民民主・社民の共同会派。共産・れいわ・碧水会・沖縄の風が反対。その他の野党の中からも数人の反対・棄権・欠席があったことがせめてもの救い。

どさくさ紛れの火事場泥棒的法改正だが、新型コロナ感染症への適用に関しては、政令で対象期間を来年(2011年)1月31日までと定めた。それまで、緊急事態宣言の発動を阻止しなければならない。

言うまでもないことだが、近代憲法とは、個人の人権を権力の侵害から擁護するために、主権者が与えた権力規制の命令体系である。憲法の命ずるところに従って、権力の行使は人権侵害のないように制約される。ところが、国家緊急の事態においては、その例外がまかり通らねばならないとする考え方がある。その例外を憲法自体に書き込む例もあり、個別の法にそのような例外を設ける例もある。2012年成立の「新型インフルエンザ特措法」は、「緊急事態宣言」時には、そのような「立憲主義の例外」を安易に認める。危険な立法と言わざるを得ない。

大日本帝国憲法には、いわゆる「国家緊急権規程」が満載であった。第14条(戒厳大権)、第8条(緊急勅令)、第31条(非常大権)、第70条(緊急財政処分)などである。条文は以下のとおりである。

第14条(戒厳大権)
1項 天皇ハ戒厳ヲ宣告ス
2項 戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム

第8条(緊急勅令)
1項 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス

第31条(非常大権)
本章(第2章 臣民権利義務)ニ掲ケタル条規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ

第70条(緊急財政処分)
1項 公共ノ安全ヲ保持スル為緊急ノ需用アル場合ニ於テ内外ノ情形ニ因リ政府ハ帝国議会ヲ召集スルコト能ハサルトキハ勅令ニ依リ財政上必要ノ処分ヲ為スコトヲ得

戒厳が宣告されれば、こんなことになる。
戒厳令第十四条 戒厳地境内於テハ司令官左ニ記列ノ諸件ヲ執行スルノ権ヲ有ス
但其執行ヨリ生スル損害ハ要償スルコトヲ得ス
第一 集会若クハ新聞雑誌広告等ノ時勢ニ妨害アリト認ムル者ヲ停止スルコト
第二 軍需ニ供ス可キ民有ノ諸物品ヲ調査シ又ハ時機ニ依リ其輸出ヲ禁止スルコト
第三 銃砲弾薬兵器火具其他危険ニ渉ル諸物品ヲ所有スル者アル時ハ
之ヲ検査シ時機ニ依リ押収スルコト
第四 郵便電報ヲ開緘シ出入ノ船舶及ヒ諸物品ヲ検査シ並ニ陸海通路ヲ停止スルコト
第五 戦状ニ依リ止ムヲ得サル場合ニ於テハ人民ノ動産不動産ヲ破壊燬焼スルコト
第六 合囲地境内ニ於テハ昼夜ノ別ナク
人民ノ家屋建造物船舶中ニ立入リ検察スルコト
第七 合囲地境内ニ寄宿スル者アル時ハ時機ニ依リ其地ヲ退去セシムルコト

(口語訳)戒厳令が敷かれた地域内では、通常の立法・行政・司法は停止して、司令官が以下の専権をもつ。仮に、これによって誰かに損害が生じても、賠償はしない。
1 不都合な集会や、新聞雑誌広告の発行は停止する
2 軍が必要な諸物品を調査して、その輸出を禁止する
3 銃砲弾薬兵器火具などの危険物の所在を検査して取り上げる
4 郵便電報は開封し船舶や諸物品を検査し陸海の交通路を遮断する
5 やむを得ない場合は、人民の家屋や財産を破壊し焼却する
6 昼夜の別なく人民の住居・建物・船舶に立ち入って検査する
7 必要あれば住民を追い出すこと

関東大震災直後の1923年9月3日の関東戒厳令司令官通知万世一系なにごと以下のとおりである。
(同司令部は、9月2日緊急勅令による「行政戒厳」によって設置されたもの)
一 警視総監及関係地方長官並ニ警察官ノ施行スベキ諸勤務。
1 時勢ニ妨害アリト認ムル集会若ハ新聞紙雑誌広告ノ停止。
2 兵器弾薬等其ノ他危険ニ亙ル諸物晶ノ検査押収。
3 出入ノ船舶及諸物晶ノ検査押収。
4 各要所ニ検問所ヲ設ケ
通行人ノ時勢ニ妨害アリト認ムルモノノ出入禁止又ハ時機ニ依り水陸ノ通路停止。
5 昼夜ノ別ナク人民ノ家屋建造物、船舶中ニ立入検察。
6 本命施行地域内ニ寄宿スル者ニ対シ時機ニ依リ地境外退去。
二 関係郵便局長及電信局長ハ時勢二妨害アリト認ムル郵便電信ヲ開緘ス。

また、ヒトラーが政権簒奪の手段としてまず用いたのが、以下のワイマール憲法第48条2項である。
「ドイツ国内において、公共の安全および秩序に著しい障害が生じ、またはそのおそれがあるときは、大統領は、公共の安全および秩序を回復させるために必要な措置をとることができ、必要な場合には、武装兵力を用いて介入することができる。
この目的のために、大統領は一時的に第114条(人身の自由)、第115条(住居の不可侵)、第117条(信書・郵便・電信電話の秘密)、第118条(意見表明の自由)、第123条(集会の権利)、第124条(結社の権利)、および第153条(所有権の保障)に定められている基本権の全部または一部を停止することができる。

そして、悪名高いナチスドイツの「授権法」(全権委任法)は、わずか全5条だった。これが、ヒトラー独裁の法的根拠となった。
正式名称 「民族および国家の危難を除去するための法律」1933年3月23日成立
1.ドイツ国の法律は、ドイツ政府によっても制定されうる
2.ドイツ政府によって制定された法律は、憲法に違反することができる
3.ドイツ政府によって定められた法律は、首相によって作成され、官報を通じて公布される。特殊な規定がない限り、公布の翌日からその効力を有する。
4.ドイツ国と外国との条約も、本法の有効期間においては、立法に関わる諸機関の合意を必要としない。政府はこうした条約の履行に必要な法律を発布する。
5.本法は公布の日を以て発効する。本法は1937年4月1日までの時限立法である。

日本国憲法には一切の緊急事態条項がない。その理由を制憲国会(第90帝国議会)における政府(担当大臣金森徳次郎)答弁は、こう語っている。

緊急勅令及ビ財政上ノ緊急処分ハ、行政当局者ニ取リマシテハ実ニ調法(重宝)ナモノデアリマス、併シナガラ調法ト云フ裏面ニ於キマシテハ、国民ノ意思ヲ或ル期間有力ニ無視シ得ル制度デアルト云フコトガ言ヘルノデアリマス、ダカラ便利ヲ尊ブカ或ハ民主政治ノ根本ノ原則ヲ尊重スルカ、斯ウ云フ分レ目ニナルノデアリマス、ソコデ若シ国家ノ伸展ノ上ニ実際上差支ヘガナイト云フ見極メガ付クナラバ、斯クノ如キ財政上ノ緊急措置或ハ緊急勅令トカ云フモノハ、ナイコトガ望マシイト思フノデアリマス

「民主政治ヲ徹底サセテ国民ノ権利ヲ十分擁護致シマス為ニハ、左様ナ場合ノ政府一存ニ於テ行ヒマスル処置ハ、極力之ヲ防止シナケレバナラヌノデアリマス言葉ヲ非常ト云フコトニ藉リテ、其ノ大イナル途ヲ残シテ置キマスナラ、ドンナニ精緻ナル憲法ヲ定メマシテモ、口実ヲ其処ニ入レテ又破壊セラレル虞絶無トハ断言シ難イト思ヒマス、随テ此ノ憲法ハ左様ナ非常ナル特例ヲ以テ――謂ハバ行政権ノ自由判断ノ余地ヲ出来ルダケ少クスルヤウニ考ヘタ訳デアリマス、随テ特殊ノ必要ガ起リマスレバ、臨時議会ヲ召集シテ之ニ応ズル処置ヲスル、又衆議院ガ解散後デアツテ処置ノ出来ナイ時ハ、参議院ノ緊急集会ヲ促シテ暫定ノ処置ヲスル、…コトガ適当デアラウト思フ訳デアリマス」

70年余以前の、この日本国憲法制定の初心を、今噛みしめる必要があるだろう。新型インフル特措法改定案に反対した山添拓議員(共産)の、昨日(3月13日)参院本会議での反対討論(要旨)を紹介しておく。

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 新型コロナウイルス感染症に、多くの人が不安を感じています。今求められているのは、感染拡大を防ぎ、検査体制と医療体制をいっそう充実させるとともに、くらしと経済を守る政治責任を果たすことです。ところが政府は、本法案を通すことを最優先にしています。
 特措法の最大の問題は、緊急事態宣言の下で行政に権力を集中させ、広範な権利制限が可能となることです。
 外出自粛の要請が可能とされます。学校や保育所、介護老人保健施設など、多くの人が利用する施設の利用の制限・停止を要請し、指示できるとされます。医療施設建設のために土地や建物を同意なく使用できるとされます。
こうした多岐にわたる措置は、憲法が保障する移動の自由、経済活動の自由、集会の自由や表現の自由などの基本的人権を制約し、くらしと経済に重大な影響を及ぼします。
 特措法は、自由と権利の制限は「必要最小限度」としていますが、その保証はありません。さまざまな措置により市民に生じる経済的な損失について、補償する仕組みもありません。
 幅広い人権制限が発動されれば、市民生活と経済活動に広範な萎縮効果が及びます。
 自由と権利の重大な制約を可能とするにもかかわらず、法律上の歯止めが曖昧です。
都道府県知事にこうした強力な権限をもたせるのが、首相による「緊急事態宣言」です。ところが、その発動要件は法律上不明確です
 「重篤」とは何か、「相当程度高い」とはどの程度か、「まん延」とは何か、これらを誰が、いかなる根拠で判断するのかの定めがありません。科学的根拠について、専門家の意見を踏まえる仕組みがありません。
 「宣言」の発動や解除に際し、国会の承認は求められていません。私権制限を一時的かつ一部とはいえ行政権に集中させるのに、国会の事前承認すら求めないのは重大です。
 さらに「宣言」下では、「指定公共機関」であるNHKに対し首相が「必要な指示をすることができる」とされ、その内容や範囲に限定はありません。これでは、政府にとって都合の悪い事実は報道させないことも可能となり、国民の知る権利を脅かしかねません。
 本法案は、衆議院で3時間、本院でも参考人質疑を含め4時間20分の質疑時間で委員会採決に至り、十分な審議すら行われていません。政府は本日の質疑でも、現状は緊急事態宣言を発する状況ではないとしています。急いで審議・採決を進める必要はありません。
 憲法改定に前のめりの安倍首相の下で、自民党議員が「緊急事態条項を改憲項目に」と発言しています。安倍政権に緊急事態宣言の発動を可能とすることは容認できません。

(2020年3月14日)

首相会見がシナリオに沿った「台本営発表」では知る権利に応えられない。

松尾貴史が、絶好調である。日曜日の朝は、毎日新聞の「松尾貴史のちょっと違和感」が楽しみ。3月8日は「首相会見打ち切り、自宅直帰のワケ 聞かれてなぜ、うろたえる?」というタイトル。分かり易く、面白くて、ためになる。

ついでながら、これに比較して、月曜日の西原理恵子「りえさん手帳」がまったくつまらない。貴重な紙面の無駄だ。最近は、月曜日のこの乱暴な絵には目を背ける。ヘイト派の片割れとなり果てては、表現者はお終いなのだ。こんなものの連載を続けている毎日新聞の見識を疑う。

さて、3月8日の松尾貴史コラム。毎日新聞を読んでいない人のために、一部を引用しておきたい。

 蓮舫氏は、安倍氏がコロナウイルス問題について「会見」と称して開いた「演説会」で、記者からの質問に対する答えも用意された原稿を読む形ですすめ、まだ質問があると手をあげる記者もいる中、とっとと終えて、忙しいのかと思いきや自宅に直帰した件でもただした。

 「ジャーナリストの江川紹子さんが、『まだ質問があります』と挙手しました。なぜ答えなかったんですか」という質問に、安倍総理が「あの、これはですね、あのー、あらかじめ、えー、ま、記者あー、クラブとですね、あの、おー。ま、広報室側で、えー、あの、ある程度の、え、打ち合わせをしていると、おー、いうふうに聞いているところでございますが、ま、時間の関係で、えー、時間の関係で、ですね、あのー、お、お、おー、うちらせ(打ち切らせて?)、えー、いただいた、とまあ、こういうことでございます」としどろもどろ。何をそんなにうろたえているのか。いつもは、ことに女性議員には居丈高になる安倍氏だが、支持率が下がっているせいなのか、意外と言葉だけは低姿勢の印象だ。
そこで蓮舫氏が「いや、36分間の会見終わって、そのあとすぐ帰宅しています。そんなに急いで帰りたかったんですか」と聞くと、安倍氏は「あの、えー、いつも、えー、この、おー、総理……会見、においてはですね、ある程度の、おーこの、えーやり取り、や、やり取りについて、え、あらかじめ質問を、頂いている、ところでございますが、えー、その中で、誰に、えーこの、お答えをさしていただくか、ということについては、ですね、司会を務める、えー、広報官の方で、責任もって、対応をしているところで、えー、あります」

 もう、わらうしかない。毎度のことながら、「急いで帰りたかったのか」という聞かれたことには一切答えなかった。
とうとう蓮舫氏に、「いや会見でね、総理はね、『さまざまなご意見、ご批判、総理大臣として、そうした声に真摯(しんし)に耳を傾けるのは当然だ』と。だったら、広報官を止めて、遮らないで、会見をもっと続けて、江川さんやみんなの声に応えると、何で自らそこでリーダーシップを発揮しなかったんですか」とピシャリとやられていた。
 どうだろう、日本国のトップとしてこの体たらくは。これはコント台本ではない。

沖縄タイムスが、この首相記者会見のやり方を「台本営発表」と表現した。なるほどうまいものだ。この首相記者会見をきっかけに、事前にやり取りが決められた総理大臣の会見の在り方を変えるための署名活動が始まっている。呼びかけたのは新聞労連の南彰委員長。署名はオンラインで集めるもので、当初の予定だった1万を遙かに超えて3万余となっている。。

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十分な時間を確保したオープンな「首相記者会見」を求めます!

発信者:日本マスコミ文化情報労組会議 宛先:内閣総理大臣 安倍晋三(内閣総理大臣)

新型コロナウイルスの感染拡大防止策として、小学校、中学校、高等学校、特別支援学校の全国一斉臨時休校を打ち出した安倍晋三首相が2月29日、記者会見をしました。
安倍首相は「国民の皆さんのご理解とご協力が欠かせません」と訴えましたが、質疑に入ってからも事前に用意した原稿を読み上げるばかり。「なぜ全国一律の対応が必要と判断したのか」「ひとり親や共働きの家庭はどうすればいいのか」などについて十分な説明はありませんでした。約35分間のうち約19分間を一方的な冒頭発言に費やし、まだ質問を求めている人がいるにもかかわらず、官邸側はわずか5問で一方的に「終了」を宣言。説明責任を果たさぬまま、安倍首相は私邸に帰宅しました。立ち去ろうとする安倍首相に対し、「まだ質問があります」「最初の質問にもちゃんと答えられていません」とフリージャーナリストの江川紹子さんが上げた声は、国民・市民の率直な声です。
しかも、2月29日の会見で述べた内容すら揺らいでいます。2日後の3月2日の国会答弁では、「直接、専門家の意見をうかがったものではない」と一斉休校要請が明確な科学的根拠に基づく判断ではないことが明らかになりました。

ウイルス対策は重要ですが、生活や経済が破綻したり、市民的自由が奪われたりするリスクも考慮しなければなりません。多大な影響、痛みが生じる政策決定の根拠や効果、デメリットを抑える具体的な対策について、国民・市民にわかりやすく説明し、納得を得る必要があります。早期に日本記者クラブを活用して、再質問も行える十分な質疑時間を確保し、雑誌やネットメディア、フリージャーナリストも含めた質問権を保障した首相記者会見を行うよう求めます。
政府と同時に、内閣記者会(官邸記者クラブ)に所属している報道機関にも要請します。
現在の首相記者会見は、内閣広報官が質疑を取り仕切り、不十分な答弁に対しても再質問ができない慣例になっています。安倍首相が3月2日の参院予算委員会で、「いつも総理会見においては、ある程度のやり取りについて、あらかじめ質問をいただいている。その中で、誰にお答えさせていただくかということは、司会を務める(内閣)広報官の方で責任を持って対応している」と事前質問通告や官邸側の仕切りを公然と認める状態になっています。このことは、「運営などが公的機関の一方的判断によって左右されてしまう危険性」を指摘し、「当局側出席者、時期、場所、時間、回数など会見の運営に主導的にかかわり、情報公開を働きかける記者クラブの存在理由を具体的な形で内外に示す必要がある」とした記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解(2002年作成、2006年一部改訂)にも抵触する状況です。
国民・市民の疑問を解消できない記者会見のあり方には、内閣記者会に所属する報道機関側にも国内外から批判が向けられています。日本記者クラブでのオープンで十分な時間を確保した記者会見が実現するよう、各報道機関が首相官邸に要請し、その立場を広く社会に表明するよう求めます。
また、2011年以降、日常的に首相が記者の質問に応じる機会がなくなりました。特に例年3月末に新年度予算が成立した後は、首相が国会で説明する機会も急減します。官邸の権限が増大する一方で、説明の場が失われたままという現状は、民主主義の健全な発展を阻害しています。日常的に首相へ質問する機会を復活するよう、政府と報道機関に求めます。
国民・市民の「知る権利」を実現するため、メディアの労働組合や1人1人のジャーナリスト、市民らが共に声をあげることによって、今の状況を変えていきたいと思い、署名活動を始めました。ぜひ、ご賛同よろしくお願いいたします。
2020年3月5日
【呼びかけ人】
●日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)
(新聞労連、民放労連、出版労連、全印総連、映演労連、映演共闘、広告労協、音楽ユニオン、電算労)
議 長 南   彰(新聞労連)
副議長 是村 高市(全印総連)
副議長 土屋 義嗣(民放労連)
副議長 酒井かをり(出版労連)
副議長 瀬尾 元保(映演共闘)
副議長 土屋  学(音楽ユニオン)
●国会パブリックビューイング
代 表 上西 充子

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こちらは、パロディである。「週刊金曜日」3月13日号、戯作者・松崎菊也のなんと達者な「緊急事態宣言」。これも、その一部の引用。全部をお読みいただくには、ぜひ同誌の定期購読を。

総理「非常事態宣言というのは、いわばですね、まさに非常事態を、宣言することにおいて、ですね。非常事態である、ということをご理解いただき、その上において、さらにですね、いわゆる、非常事態であるということを、いち早く、え〜、宣言すること、お〜、において、え〜、政府与党のみならずですね、ま、いわば、野党のみなさまのご理解をいただいた上において、え〜、国としても、ま、やってるんだということをですね、ご理解いただく、とともにですね、さらにですね、感染拡大の、防止という事態をですね、…先手先手のみならず、後手後手になってもいいように、みなさま方と、責任を分担する上において、私の独断で、え〜、実効性のある対策を、実効性のある無しにかかわらず、実行するべくですね。と同時に、専門家の知見、等も踏まえ、ですね。専門的な知見に惑わされることなく、非常事態を宣言する、と同時にですね。国民のみなさまお一人お一人に寄り添い、…なりふりかまわず、徹底的な防止策を推し進め、国民の生命と私の政権を守る延命策、をですね、政権としても、募集するというよりは、募りたい、という観点から、え〜、寒天から、トコロテン」

(2020年3月13日)

本日「DHCスラップ『反撃』訴訟」控訴審結審。判決言い渡しは3月18日(水) ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第172弾

 本日(1月27日)、DHCスラップ「反撃」訴訟の控訴審が、第1回口頭弁論で結審となった。
 判決言い渡しは、3月18日(水)13時15分から。東京高裁511号法廷で。
DHC・吉田嘉明の控訴を棄却し、私からの附帯控訴では一審の110万円を上回る損害賠償命令が期待される。

 本日の進行は以下のとおり。
  DHC・吉田嘉明側 控訴状・控訴理由書の陳述
  澤藤側       控訴答弁書の陳述
  澤藤側       附帯帯控訴状の陳述
  DHC・吉田嘉明側 附帯控訴に対する答弁書の陳述
  DHC・吉田嘉明側 1点の書証提出
  澤藤側       4点の書証提出
  被控訴人(附帯控訴人)本人 口頭での意見陳述
  当事者双方とも新たな人証や追加の証拠提出の予定はなく、
 結審して判決言い渡し期日の指定

私の意見陳述は、以下のとおり。

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2020年1月27日

意見陳述要旨

東京高裁第5民事部御中

澤 藤 統一郎    

 2014年5月、私は突然に不法行為損害賠償訴訟の被告とされました。吉田嘉明という人物が、私のブログでの批判を快く思わぬことからの提訴で、2000万円の慰謝料を支払えというものです。

 裁判官の皆様には、違法とされた私の3本のブログの全文に改めて目を通していただきたいのです。万が一にも、私のこのような言論が違法とされるようなことがあれば、誇張ではなく民主主義は死滅してしまいます。また、このような言論を民事訴訟を道具として攻撃することが許されてはならないことをご確認いただきたいのです。

前件提訴が、私を恫喝して批判の言論を封殺しようという典型的なスラップ訴訟であることは明らかというべきです。私は、大いに怒りました。こんな訴訟を起こす人物にも、そしてこんな訴訟提起の代理人となる弁護士にも、です。
そして、怒るだけでなく徹底して闘うことを決意しました。これは私一人の問題ではない。けっして、この恫喝に屈してはならない。この提訴が違法であることを法廷で明らかにしなければならない。DHC・吉田嘉明のスラップ提訴の試みを失敗させ、反省させなければならない。まさしく、表現の自由を守るために。

私は、自分のブログに、「DHCスラップ訴訟を許さない」というシリーズを猛然と書き始めました。そうしたら、代理人弁護士からの警告に続いて、DHC・吉田嘉明は請求を拡張しました。2000万円の請求を6000万円にです。DHC・吉田嘉明も代理人弁護士も、言論封殺の目的を自白しているに等しいと指摘せざるを得ません。

当然のことながら、前件訴訟は請求棄却の判決となり確定しました。そして、前件訴訟の提訴を違法とする本件訴訟の提起となり、その一部認容の原判決を得るに至っています。原判決の責任論に異存はありません。吉田嘉明のスラップ提訴を明確に違法と断じた判断には、半分までは提訴の目的を果たし得たとの感慨があります。

しかし、問題は損害論です。経済的強者によるスラップを違法とする判決の認容額がわずか110万円では、ペナルティとしてあまりにも低廉で、十分な違法行為の抑止効果を期待し得ません。とりわけ、応訴費用をまったく認めていない点は、原判決の誤りとして是正されなければなりません。これには、最近の「N国」という政党関係者のスラップに対する判決例が参考になります。N国側がNHKを被告として提起した《10万円請求のスラップ訴訟》に対して、東京地裁は応訴のための弁護士費用54万円満額を損害として認容しているのです。こうした判断あってこそ、DHC・吉田嘉明らスラップ常習者に対する適切なペナルティとなり、スラップ防止の実効性のある判決となりえます。

スラップの本質は「民事訴訟という《市民の公器》を、《強者の凶器》として悪用する」ことにあります。司法が毅然たる態度で、公共的言論をして「不当な裁判から免れる権利」を保障しなければなりません

まさしく、本件において司法の役割が問われています。控訴審判決が、スラップの害悪を防止し、表現の自由を保障するものとなるよう期待してやみません。

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これまでの経過概要は以下のとおり。

2020年1月27日

DHCスラップ訴訟・反撃訴訟経過の概略

 発端は、吉田嘉明自身の週刊新潮手記の掲載である。
自らの渡辺喜美への8億円裏金提供を暴露する記事となっている。その直後に、私がブロクで吉田嘉明を批判する3件のブログ記事を書いた。この「言論」を封殺する意図で、吉田嘉明と株式会社DHCの両名が原告となって、私を被告とする名誉毀損損害賠償請求訴訟を提起した。これが先行の「DHCスラップ訴訟」。同訴訟の請求額は提訴時2000万円だったが、提訴直後に請求が拡張されて6000万円となった。
DHCスラップ訴訟では、東京地裁一審判決が請求を全部棄却し、東京高裁の控訴審が控訴を棄却、さらにDHC・吉田嘉明は最高裁に上告受理を申立てたが不受理となって私の勝訴が確定した。
確定後、私からDHC・吉田嘉明の両名に、スラップ提起を違法として訴訟外で600万円の損害賠償請求をしたところ、この両名から債務不存在確認請求訴訟が提起され、再び私は被告の座に着くこととなった。
「反撃」訴訟はその反訴としてなされたもので、「DHCスラップ訴訟」の提起を違法として、私からDHC・吉田嘉明に損害賠償請求を求めたのもの。判決は、手堅くきっぱりとスラップの違法性を認定した。
なお、私の吉田嘉明批判は、吉田自身の週刊誌の手記の内容を対象とするもので、同様の批判の言論は数多くあった。吉田は、そのうちの10件を選んで、同時期にスラップの提訴をしている。時系列での経過は下記のとおり。

2014年3月27日 吉田嘉明手記掲載の週刊新潮(4月3日号)発売
2014年3月31日・4月2日・4月8日 違法とされた3本のブログ掲載
2014年4月16日 DHCスラップ訴訟提起(請求額2000万円)
7月13日 ブログ「『DHCスラップ訴訟』を許さない」開始
8月29日 請求の拡張(2000万円から6000万円に増額)
2015年9月 2日 請求棄却判決言い渡し 被告(澤藤)全面勝訴
2016年1月28日 控訴審控訴棄却判決言い渡し 被控訴人全面勝訴
2016年2月12日 最高裁DHC・吉田嘉明の上告受理申立に不受理決定
2017年 9月 4日 DHC・吉田嘉明が債務不存在確認請求訴訟を提起
2017年11月10日 澤藤から反訴提起。その後、吉田嘉明ら本訴取り下げ
2019年10月 4日 反訴について判決言い渡し。スラップの違法を認める。
2019年10月15日 反訴被告ら控訴。
2020年1月14日 澤藤側、附帯控訴状提出
2020年1月27日 (本日)控訴審口頭弁論期日 結審
2020年3月18日 控訴審判決(予定)

(2020年1月27日・連続更新2492日)

市民運動が公の施設を利用する権利について

暮れから正月にかけて、市民団体の機関紙や活動報告が夥しく郵送されてくる。草の根で地道に活動している多くの人々がいることに、この上ない心強さを覚える。
その中の,いかにも手作りの一通が提起している問題をご紹介したい。

「学校と地域をむすぶ板橋の会」という市民団体がある。略称は「むすぶ会」。公立校における「日の丸・君が代」強制を、地域の問題として受けとめようという貴重な運動体。その機関紙が、「手と手 声と声」という。不定期の刊行なのだろうが、そのN0.19が暮れに届いた。

その中に、板橋区男女平等推進センターでチラシ配架を拒否される」という看過しがたい記事がある。チラシ「配架」とは、来館者の誰もが取っていけるよう「棚にチラシを置いておく」ことだという。市民運動用語では、「置きビラ」である。

「政治的なチラシは、配架して便宜をはかることができない」と拒否されたという。これは、地域に訴えようという市民団体には、切実な問題である。おそらく全国のあちらこちらで,同様の問題が起こっているのではないだろうか。行政が市民運動を「政治的」と色づけて、「政治的な活動には一切の協力お断り」というありがちな構図。これは、考えさせられる。やや長文だが、全文転載させていただく。

板橋区男女平等推進センターには、私たち登録団体が依頼すれば窓口のラックにチラシを置けることになっています。来館者が自由にチラシを取ることができます。
会は、7月に日比谷で開催された「日の丸・君が代」問題等全国学習・交流集会に賛同し、この集会チラシに「むすぶ会は賛同団体です」と連絡先を明記したシールを貼り、7月8日にラックに置いてほしいと依頼しました。しかし、センターから「政治的なものはダメ。登録団体連絡会のルールにもある」と拒否の電話がありました。

私たちは忙しくて直ぐ話に行けないが、判断した責任者と話したいと返事をしました。9月5日に担当の係長と話をすることになりました。係長の見解は課長も当然承知している内容とのことです。

区の判断
板橋区男女平等推進センター「スクエア・I(あい)」のチラシ類の取り扱い基準(登録団体用)の「3 配架をお断りするもの(3)政治的なもの」にあたると判断した。

区として、地方公務員法36条(政治的行為の制限)の「2 職員は、特定の政党その他の政治団体又は特定の内閣若しくは地方公共団体の執行機関を支持し、又はこれに反対する目的をもって、あるいは公の選挙又は投票において特定の人又は事件を支持し、又はこれに反対する目的をもって、次に掲げる政治的行為をしてはならない。(略)四、文書又は図画を地方公共団体又は地方独立行政法人の庁舎(略)、施設等に掲示し、又は掲示させ、その他地方公共団体又は特定地方行政法人の庁舎、施設、資材又は資金を利用し、又は利用させること。」とあり、地方公務員として、行なってはならないことであるから断った。

私たちの反論
チラシ裏面に「安倍政権下で教育は危機から崩壊へ」と書かれていますが、「安倍政権という言葉をもって拒否するのはおかしい。」「特定の政権を言葉に出すと政治的となるのか。政治的で問題とされるのは選挙のことではないか。現政権の施策について考えようというのは全く問題ない。」「職員の政治的行為の制限の規定を住民にまで及ぼすのはおかしい。」「公務員は憲法に基づき全体の奉仕者だ。表現の自由を保障すべきだ。」「板橋区は政権が推進しているオリンピックパラリンピックを推し進めている。実際の仕事はどちらかの立場で行っている。」「政治的とは何か? 社会生活の何にでも関係する。」「仮に、オリンピックを成功させよう、とか憲法を考えようとかでも政治的だからダメというのか。」「区は、反対しているからダメと言っているに過ぎない」「9条俳句の裁判で公民館は負けた」「勝手な判断で団体の活動に介入するべきでない」
等と抗議しました。

2014年にも区は、区民祭り時に男女平等推進センター掲示の登録団体紹介用に提出した会のポスターに対して、「議員の目にとまる可能性があり、」政治的と捉えられる心配があるから」と文章中の「『日の丸・君が代』強制反対!を掲げた活動紹介として添付した講演写真の「『日の丸・君が代』強制に反対!板橋のつどい」との文字をボカシてほしいと言ってきました。その時は期間が追っており他の部分でも趣旨は伝わると判断し掲示を優先しました。ところがその後の話合いの場では、「男女平等に関係ないから」と言い方を変えてきました。それ以降は、このような問題は起きませんでした。

今回、区は、一貫して「政治的」を理由に 「区施設の管理責任を持つ必要がある」「会の活動を否定している訳ではない」と言い私たちの意見について「弁護士に確認してみます」と答えました。私たちは、今後、配架依頼した時の対応を見ていく、ということでこの日の話し合いを終えました。

その後、会が実行委員として参加している「わいわい祭り」のチラシ(戦争させない!なくそう原発!と記載)は、何の問題もなく配架されました。今回同封の「板橋つどいのチラシ」は、これから配架依頼しますが、区の対応によっては速やかな話し合いを要求し、配架を獲得したいと考えます。ご注目ください。

理不尽な行政側の言い分に、活動家が位負けすることなく頑張って抗議し反論している様子が彷彿とする。できれば、このような場合には行政側の文書が欲しい。問題のチラシの何が「政治的なもの」なのか理由を確認したいところ。

ややはっきりしないが、板橋区の言い分は、次のように整理できるだろう。
(1) 「男女平等推進センター・チラシ類の取り扱い基準(登録団体用)」に、「配架をお断りするもの」として「政治的なもの」と規定されているところ、当該のビラはその「政治的なもの」に当たるので配架をお断りする。

(2) 地方公務員法36条(政治的行為の制限)2項・四号を根拠に、地方公務員として、「政治的活動に庁舎を利用させてはならない」とされているから、配架お断り。

言うまでもなく、この問題のベースには、憲法がある。「むすぶ会」の会員には、思想・良心の自由(19条)があり、思想・良心に従って表現する自由(21条)が基本権として保障されている。板橋区には、区民の基本的人権を尊重し、その施設を区民に利用させるに際して、一切の差別的取り扱いをしてはならない。これが大原則である。

法律レベルで問題とすべきは、地方自治法第244条社会教育法第23条である。
(1)「男女平等推進センター・チラシ類の取り扱い基準」の内容は詳らかにしないが、係長が言うような内容であれば、明らかに両法に違反している。違憲・違法で無効である。早急に取り扱い規準を作りかえなければならない。

(2)問題は、区民の権利の有無なのだから、職員の地位を定める地方公務員法の規定を持ち出すのは筋違いである。しかも、担当職員の地公法36条解釈は、明らかに間違っている。

地方自治法第244条を確認しておこう。市民運動が行政施設を利用する際の大原則である。お上に、施設を使わせてもらっているのではない。私たち主権者・住民の権利としての公の施設の合理的使用方法を条文化したものである。

第1項 普通地方公共団体は、住民の福祉を増進する目的をもつてその利用に供するための施設(これを公の施設という。)を設けるものとする。
第2項 普通地方公共団体は、正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない。
第3項 普通地方公共団体は、住民が公の施設を利用することについて、不当な差別的取扱いをしてはならない。

市民運動活動家は、地方自治法第244条2項を暗記しておくとよい。板橋区は、むすぶ会のセンター利用を拒否してはならない」のだ。

もう一つは、社会教育法第23条である。いわゆる「公民館」に関する法的根拠。
関連条文を引用しておこう。

社会教育法「第五章 公民館」
第20条(目的) 公民館は、市町村その他一定区域内の住民のために、実際生活に即する教育、学術及び文化に関する各種の事業を行い、もつて住民の教養の向上、健康の増進、情操の純化を図り、生活文化の振興、社会福祉の増進に寄与することを目的とする。

第22条(公民館の事業) 公民館は、第20条の目的達成のために、おおむね、左の事業を行う。
五 各種の団体、機関等の連絡を図ること。
六 その施設を住民の集会その他の公共的利用に供すること。

第23条(公民館の運営方針)
第1項 公民館は、次の行為を行つてはならない。
一 もつぱら営利を目的として事業を行い、特定の営利事務に公民館の名称を利用させその他営利事業を援助すること。
二 特定の政党の利害に関する事業を行い、又は公私の選挙に関し、特定の候補者を支持すること。
第2項 市町村の設置する公民館は、特定の宗教を支持し、又は特定の教派、宗派若しくは教団を支援してはならない。

これで十分だろう。問題は、社会教育法第23条1項2号である。公民館の運営において禁止されているのは、「特定の政党の利害に関する事業を行い、又は公私の選挙に関し、特定の候補者を支持すること。」に限定されている。市民運動における安倍政権批判が、「特定の政党の利害に関する事業」になろうはずはない。

手と手 声と声」の主張はまことにもっともなのだ。
「安倍政権という言葉をもって拒否するのはおかしい。」「特定の政権を言葉に出すと政治的となるのか」「政治的で問題とされるのは選挙のことではないか」「現政権の施策について考えようというのは全く問題ない」「職員の政治的行為の制限の規定を住民にまで及ぼすのはおかしい」「公務員は憲法に基づき全体の奉仕者だ」「表現の自由を保障すべきだ」「板橋区は政権が推進しているオリンピックパラリンピックを推し進めている。実際の仕事はどちらかの立場で行っているのか」「政治的とは何か? 社会生活の何にでも関係する。」「仮に、オリンピックを成功させよう、とか憲法を考えようとかでも政治的だからダメというのか。」「区は、反対しているからダメと言っているに過ぎない」「9条俳句の裁判で公民館は負けた」「勝手な判断で団体の活動に介入するべきでない」
すべて、自信をもっていただきたい。

ほとんど無関係だが、地方公務員法36条2項にも触れておきたい。その条文は以下のとおりである。
36条2項
職員は、
・特定の政党その他の政治的団体又は特定の内閣若しくは地方公共団体の執行機関を支持し、又はこれに反対する目的をもつて、
・あるいは公の選挙又は投票において特定の人又は事件を支持し、又はこれに反対する目的をもつて、
次に掲げる政治的行為をしてはならない。

四 文書又は図画を地方公共団体庁舎、施設等に掲示し又は掲示させ、その他地方公共団体の庁舎、施設、資材又は資金を利用し、又は利用させること。

一見して明らかなとおり、これは公務員の規律の問題である。本件に関係するとすれば、「職員が、特定の目的をもって、庁舎、施設を利用させること」という禁止規定に触れるか否かである。重要なのは、36条2項の目的である。下記のどちらかがなければならない。

1 特定の政党その他の政治団体・特定の内閣・地方公共団体の執行機関を支持又は反対するという目的
2 公の選挙・投票において特定の人または事件を支持または反対するという目的

注意すべきは、目的をもつ主体は職員である。「むすぶ会」のチラシが、そのような職員の目的を推認させることになるとは、到底考え難い。「安倍政権下で教育は危機から崩壊へ」と記載されていたとしても、その配架を許可した職員が、安倍内閣に反対する目的で配架したことになろうはずはない。

のみならず、同法36条には次の第5項の規定がある。

5 本条の規定は、職員の政治的中立性を保障することにより、地方公共団体の行政及び特定地方独立行政法人の業務の公正な運営を確保するとともに職員の利益を保護することを目的とするものであるという趣旨において解釈され、及び運用されなければならない。

担当職員は、安心してビラの配架を認めてよい。うっかり禁止すると大ごとになる。板橋区は憲法と法の趣旨立ち返って、言いがかりに等しい社会教育施設の濫用的運用を改めるべきである。

なお、この通信の最終ページには、次の集会案内が掲載されている。このビラの配架がどうなったか。興味津々である。

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「日の丸・君が代」強制反対!
2020板橋のつどい

【開催要項】
2020年2月1日 開場17:30 開会18:00 閉会20:30
場所:板橋グリーンホール601号室
東武東上線大山駅・都営地下鉄三田線板橋区役所前駅共に下車5分
講演:現代の教育政策とこれからの課題
講師:現代教育行政研究会代表 前川喜平さん
1955年奈良県生まれ。東京大学法学部卒業後、79年文部省(現・文部科学省)入省。文部大臣秘書官、初等中等教育局財務課長、官房長、初等中等教育局長、文部科学審議官を経て、2016年文部科学事務次官。17年同省の天下り問題の責任をとって退官。現在は、自主夜間中学のスタッフとして活動する傍ら、執筆活動などを行う。

報告:CEART(セアート、国連の合同専門委員会)報告を生かす取り組み
「日の丸・君が代」ILO/ユネスコ勧告実施市民会議 準備会
2014年、アイム89東京教育労働者組合は、東京都教育委員会が発した10・23通達が、国際労働機関(ILO)と国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「教員の地位に関する勧告」(1966年発出)に違反していると申し立てました。その結果、19年春「日の丸・君が代」強制に対する、是正勧告が両機関で承認され、公表されました。国際機関からのこの問題に関しての是正勧告が出されたのは初めてのことだそうです。
しかし、文科省は日本語訳を行おうともせず、できるだけ知られずに忘れ去られることを願う姑息な対応をしています。それに対して、勧告の拡散・実現を求め、「日の丸・君が代」ILO/ユネスコ勧告実施市民会議を組織し、3月1日に発足集会を開催する準備が進められています。
つどい当日には、勧告内容、今後の取組みについてのアピールが市民会議準備会メンバーから行われます。

報告:八王子「天皇奉迎」に子どもたちは動員されなかった
元東京教組八王子支部役員 水谷 辰夫さん
4月23日に天皇が退位の報告に昭和天皇の墓を訪れた際、二小、横山二小、浅川小の子どもたちが「日の丸」の小旗を振らされ「天皇奉迎」に駆り出された。それに対して……。

(2020年1月13日)

「天皇は日本国の言論不自由の象徴であり、この地位は保守政権の思惑と蒙昧な一部日本国民との合意に基づく」

今の日本に、はたして「表現の自由」の保障は機能しているものだろうか。とうてい、脳天気に肯定はできない。表現の自由の障害物を象徴するものが、天皇・皇室にほかならない。天皇・皇室についての「表現の不自由」が世にはびこっていることは、「あいちトリエンナーレ」でも証明された。

いっぱしの大人が、天皇に「陛下」という敬称をつけて語るという愚にも付かないことは、私の子どもの頃にはなかった。少なくも、私の周りにはなかった。それが、今は様変わりである。こんな復古の現象はいったいいつから,どのようにして生じたのだろうか。

まさしく今、天皇は日本国の言論不自由の象徴であり、日本国民の言論自主統制の象徴でもあって、この地位は、天皇を政治の道具として重宝に使おうという保守政権の思惑と、無批判無自覚に天皇を崇拝する蒙昧な一部日本国民との合意に基づく。」

この時代状況で、冷静に天皇や天皇制を語る人には敬意を表せざるを得ない。その代表の一人が、原武史だろう。

12月7日朝日「(歴史のダイヤグラム)変わらない『奉迎』のかたち」は、さりげなく天皇制の過去と現在を語ってその不易の本質をよく表現している。以下、抜粋しての引用である。

 1922年11月、皇太子裕仁(後の昭和天皇)は東海道本線を走る御召列車に乗って東京を出発した。目的は香川県で行われる陸軍特別大演習の統裁と四国4県などの視察。これは摂政として初めての本格的な地方訪問でもあった。
 病気で引退させられた大正天皇に代わる若くて健康な皇太子を、四国の人々は初めて見ることになる。そうした人々に対して、皇太子はどう振る舞うべきか。同行した宮内大臣の牧野伸顕は、11月12日にこう記している。
 「四国辺の如き質朴の民俗には相当すべき御態度可然。此方面にては只々玉体を拝する丈けにて無上の光栄とす。一々御答礼の如きは勿論ない。奉迎者間に最も多く聞く言葉は能くおがめたと云ふ事なり。此一言にて人心の一班[斑]を推知すべし」(『牧野伸顕日記』)

 坂口安吾は、48年に発表された「天皇陛下にささぐる言葉」で、「地にぬかずき、人間以上の尊厳へ礼拝するということが、すでに不自然、狂信であり、悲しむべき未開蒙昧の仕業であります」「天皇が人間ならば、もっと、つつましさがなければならぬ」などと述べている。安吾の言う「未開蒙昧」は、牧野の言う「質朴の民俗」と見事なほど重なっている。

 それはどうやら、天皇制イデオロギーなどというものとは関係がないらしい。このことが、11月10日に天皇と皇后が自動車でパレードした「祝賀御列の儀」でも証明されたのではないか。

 牧野伸顕とは、大久保利通の次男であり吉田茂の岳父に当たる、藩閥政治家の一人である。薩摩出身の牧野が四国の人民を馬鹿にしているのだ。

四国辺の如き質朴の民俗」「只々玉体を拝する丈けにて無上の光栄とす」「一々御答礼の如きは勿論ない」「最も多く聞く言葉は能くおがめたと云ふ事なり」。
「(裕仁において)一々御答礼の如きは勿論(必要)ない」とも読める一文を、原は「引用文中の『勿論ない』は『勿体ない』だろう」と解している。どちらにしても、「臣民は玉体を拝むだけのもの。拝むに任せておけばよい。いちいちの答礼などは不必要」という、天皇制権力の中枢に位置する人物の思い上がりがよく表れている。摂政裕仁は、この宮内大臣牧野の言のままに行動したのだろう。

他方、原が引用する坂口安吾の言はさすがに鋭い。「人間以上の尊厳へ礼拝するということが、すでに不自然、狂信であり、悲しむべき未開蒙昧の仕業」というのだ。今、なかなかこのように,ズバリとものが言いにくい雰囲気がある。

安吾の言う、「不自然・狂信・悲しむべき未開蒙昧」は今に続いている。11月10日「祝賀御列の儀」パレードに参加した,あの11万余の「質朴の民俗」こそ、「テンノーヘイカ・バンザイ」を叫ぶ政権に煽られた、「狂信者」であり「悲しむべき未開蒙昧」の輩。この輩が、天皇を「日本国の言論不自由の象徴」に仕立て上げているのだ。「政権」と「未開蒙昧の輩」。どちらが主犯で、どちらが従犯であるかは定かでない。
(2019年12月11日)

「法と民主主義」2019年11月号・特集「『表現の不自由展・その後』中止問題」購読のお願い

「法と民主主義」2019年11月号【543号】が好評発売中である。
本号の特集は、「あいちトリエンナーレ 『表現の不自由展・その後』中止問題を考える」。この問題を考える上での基本論稿が並んでいる。

また、特集冒頭に前川喜平氏のロングインタビューがある。「あいトリ」問題を入り口に、教育行政のあり方を縦横に語って、これは読ませる。特集以外も充実している。

その概要は、下記URLをご参照いただきたい。
https://www.jdla.jp/houmin/index.html

お申し込みは、下記URLから。
https://www.jdla.jp/houmin/form.html
「法と民主主義」(略称「法民」)は、日民協の活動の基幹となる月刊の法律雑誌です(発行は年10回)。毎月、編集委員会を開き、全て会員の手で作っています。憲法、原発、司法、天皇制など、情勢に即応したテーマで、法理論と法律家運動の実践を結合した内容を発信し、法律家だけでなく、広くジャーナリストや市民の方々からもご好評をいただいています。定期購読も、1冊からのご購入も、上記のURLから可能です(1冊1000円)。

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目  次

特集●あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」中止問題を考える
◆特集にあたって … 編集委員会・小沢隆一
◆インタビュー●文科省は教育、文化、学術を護る砦に
目に余る政治の介入 トリエンナーレ問題と「表現の自由」 … 前川喜平
◆あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」中止問題とは何だったか
─「その経過」と「これから」 … 飯島滋明
◆「表現の自由」を改めて考える ─ 表現の自由の保障の意味 … 市川正人
◆「芸術の自由」をめぐる憲法問題 ─ 支援の中の「自由」とは … 志田陽子
◆あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」は
どのようにして再開されたのか … 中谷雄二
◆資料「表現の不自由展・その後」の中止と補助金不交付問題についての声明

◆連続企画●憲法9条実現のために〈25〉
市民連合と立憲野党の政策合意13項目を生かし広げるための法律家懇談会 … 大山勇一
◆司法をめぐる動き(52)
「スラップ違法の方程式」─ DHCスラップ「反撃」訴訟一審判決 … 澤藤統一郎
・10月の動き … 司法制度委員会
◆利谷信義先生を偲んで … 戒能通厚/戒能民江
◆メディアウオッチ2019●《書かなくてはいけないことが多すぎる》
公選法、政治資金、憲法審、桜を見る会…「臭いものにフタ」の政権と闘いを … 丸山重威
◆あなたとランチを〈No.50〉
「きよし、たかし」弁護士ブログ … ランチメイト・細川潔先生×佐藤むつみ
◆改憲動向レポート〈No.19〉
憲法改正を「必ずや皆さんとともに成し遂げる」と発言する安倍首相… 飯島滋明
◆BOOK REVIEW●改憲策動に抗する市民運動へ知恵と活力を与えてくれる書
─ 清水雅彦 著『9条改憲 48の論点』(高文研) … 神保大地
◆インフォメーション
◆時評 司法の希望を語りたい。 … 梓澤和幸
◆ひろば 中谷弁護士と目が合って~「表現の不自由展」中止問題の真っ直中に遭遇してしまいました~ … 北村 栄

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特集のリード(抜粋)から。

企画展「表現の不自由展・その後」は、「ごあいさつ」で次のように述べている。
「いま、日本社会で「あること」が進んでいます。自由に表現や言論を発信できなくなっているのです。… 本展では、この問題に特定の立場からの回答は用意しません。自由をめぐる議論の契機を作りたいのです。そして憂慮すべきなのは自由を脅かされ、奪われた表現の尊厳です。」

ここで語られている「表現の自由をめぐる議論の契機を作りたい」という切なる思いは、この展示が被った「受難」によって、なかば阻まれながら、他方ではそれをもって、皮肉にも叶えられることとなった。ただし、そこではしなくも「展示」されたのは、この国における「表現の不自由」の現在形である。

憲法に根ざした文部科学行政の重要性を説く前川喜平氏のロングインタビュー、市川正人、志田陽子両氏による憲法論からの考察、飯島慈明、中谷雄二両氏の現地からのリポートをお寄せいただいた。
資料として掲載した本協会の声明も含め、ぜひ熟読いただきたい。
(編集委員会・小沢隆一)

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また、表紙裏の「時評」。私と同期の梓澤和幸君が、いつもながらの高いボルテージで書いている。その書き出しが以下のとおり。

司法研修所を卒業するその日に、同期の仲間の一人が罷免された。23期の法律家はその刻印を背負って法律家としての日々を歩むことになった。
阪口徳雄君が、「裁判官を志望して任官を拒否された7名の拒否理由を明らかにしてほしい」と卒業式で発言したことを理由に罷免されたのは、1971年4月5日夕方のことである。これは石田和外長官が率いる最高裁裁判官会議の決定による処分であった。…

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私も、寄稿している。

「司法をめぐる動き」に、下記の記事。
「スラップ違法の方程式」─ DHCスラップ「反撃」訴訟一審判決
あれもこれも、お読みいただけたらありがたい。

(2019年12月1日)

表現の自由を錆び付かせない努力を。

今振り返って、「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」に対する妨害問題は衝撃だった。結果として妨害行為に反撃する世論の健在が示されたとは言え、表現の自由を貫徹するにはある種の覚悟が必要な時代にあることを痛感させられた。右派・右翼に支えられた安倍一強の長期存続は、この明るくはない時代を象徴するできごとなのだ。

今はまだ、権力批判の声を出すことができる。今ならまだ、表現の自由の妨害を跳ねのける力量がある。表現の自由の旗はまだ色褪せていない。表現の自由は、画に描いた餅ではなく、現実の社会の中で確かに機能している。しかし、いつまでもこのままであろうか。表現の自由は、次第に侵蝕されつつあるのではないか。危機感をもたざるを得ない。

表現の自由を錆び付かせてはならない。そのためには、意識的に表現の自由を行使しなければならない。表現の自由の保障を「廃用性機能障害」に陥らせてはならないのだ。政権批判の言論も、天皇制廃止の見解も、資本主義の弊害についての叙述も、遠慮のない表現がなくてはならない。

身近なところでの表現の自由妨害には果敢に発言しなければならない。とりわけ、身近な自治体の表現の自由との関わり方を監視し的確に問題化しなければならない。

私は、自分も多少関わった、この夏の「平和を願う文京戦争展-村瀬守保写真展」の後援申請を却下した文京区教委のありかたの追及が不十分であったことに、忸怩たる思いでいる。

経過は、下記のブログをご覧いただきたい。

文京区教育委員会の見識を問う ― なぜ「日本兵が撮った日中戦争」写真展の後援申請を却下したのか
http://article9.jp/wordpress/?p=13106

「平和を願う文京戦争展」総括会議ご報告
http://article9.jp/wordpress/?p=13261

私が接しうる資料を見る限り、主たる問題は教育委員諸氏の事なかれ主義の姿勢にある。「平和を願う文京戦争展」の展示物の中には、南京事件被害の現場写真もある、トラックに乗せられた従軍慰安婦の生々しい写真もある。これが戦争の現実なのだ。その現実を伝える貴重な写真であればこそ、「平和のための戦争展」の展示たりうる。文京区民に戦争の悲惨を伝え、考えてもらうインパクトをもった、意義のある画像。

ところが、教育委員会としては、そんなものを展示して面倒に巻き込まれるのはまっぴらなのだ。右翼が押しかけてでもきたらたいへんだ。教育委員会が矢面に立つのはまっぴらだ。敬して遠ざくに越したことはない。この逃げ腰の態度、当たらず障らずのこの消極姿勢が結局表現の自由を痩せ細らせることになり、戦争の惨禍と平和の尊さを考える機会を失してしまうことになる。このことが、この時代をさらに暗くすることにもなる。このような教育委員会の態度を指弾することなく傍観してしまうことも同様というべきだろう。

いま、文京区教育委員会のメンバーは以下のとおりである。
文京区教育委員会教育長    加藤 裕一
同教育委員          清水 俊明(順天堂大学医学部教授)
同              田嶋 幸三(日本サッカー協会会長)
同              坪井 節子(弁護士)
同              小川 賀代(日本女子大学理学部教授)

教育委員とは、お飾りの名誉職ではない。「教育基本法」の下、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」に基づき、「人格高潔で、教育行政ないし教育・学術及び文化に関し識見を有する」という資格要件を備えていることになっている。あるときには身を挺してでも、教育の自由や独立、民主主義を守らなければならない。政府や東京都の行政から毅然と独立した立場を堅持して職務を全うしなければならない。

公開された議事録によると、当初、事務方(文京区教育局・教育推進部長)からは、「後援名義等使用承認要綱の規定に照らし、後援名義の使用を承認したいと考えるものでございます」と承認を可とする提案であったが、出席委員から慎重論の発言がなされて続会となり、逆転の結論となった。

その議論の中には、「この南京虐殺とか慰安婦問題というのは、確かに政治的な対立が背景にある中で、事実があったかなかったかというのはわからなくなってしまっているという問題になっております」という無茶苦茶な発言がある。このような認識を前提に、「教育委員会は中立・公正の立場に立つべき」だから、「南京虐殺とか慰安婦問題があった」とする《一方の立場》の企画を後援することはできないとの結論に至っている。

これは、「人格高潔で、教育行政ないし教育・学術及び文化に関し識見を有する」者のとるべき態度ではない。

もともと、文京区は、非核平和都市宣言都市である。平和首長会議の加盟都市でもある。政府の立場如何にかかわらず、反核・平和・環境保護には積極姿勢を示してきた。どうして現教育委員会がこんなに後退した姿勢を見せたのか、理解に苦しむ。

いま国にはびこっている歴史修正主義の勢力に、文京区教育委員会が屈している、あるいは迎合しているのではないかと危惧せざるを得ない。

行政が、脅迫や暴力に屈するところから、民主主義も平和も崩れる。面倒なことを避けたいから問題に向き合おうとせずに、最も安易な選択をしようとするときの逃げ口上として「政治的中立」や「公正」が使われる。

ことは小さいようで,実は普遍性が高く重要な問題なのだ。どこにでも生じている小問題への看過が積み重なって、後戻りのできない大問題となる。これも、看過してはならない問題だと思う。

(2019年11月29日)

「表現の不自由展・その後」の中止と補助金不交付問題についての声明

日民協は、「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」をめぐる一連の問題について、一度は権力を持つ者などからの圧力によって中止に追い込まれたこと、そしていったんは決まったはずの補助金交付が事後的に不交付とされたことについて、看過できないとして下記の声明を出した。ことは、憲法の定める表現の自由に関わる。やや長文であるが、ぜひお読みいただきたい。できれば、拡散もしていただくようにお願いしたい。
なお、「法と民主主義」11月号は、この「表現の不自由展・その後」の問題を特集として取りあげる。タイムリーというだけでなく、興味深く読んでいただける内容になるはず。楽しみにしていただきたい。

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2019年11月7日

日本民主法律家協会

8月1日から愛知芸術文化センターで開催された国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の一部を成す企画展「表現の不自由展・その後」について、翌2日に会場を視察した河村たかし名古屋市長は、展示物のなかに〈平和の少女像〉などが含まれていたことを理由に、「日本国民の心を踏みにじるもの」などと発言して展示の中止を求め、それを受けて同日、菅義偉官房長官も、「あいちトリエンナーレ」が文化庁の助成事業であることに言及し、「審査の時点では具体的な展示内容の記載はなかったことから、補助金交付の決定にあたっては事実関係を確認、精査して適切に対応したい」と述べ、補助金交付の是非など対応を検討する考えを示しました。
これと前後して、インターネット上で企画展に対する批判や攻撃が数多くなされ、主催者側に対しては抗議の電話やメールが多数寄せられるとともにテロ予告や脅迫が相次ぎ、わずか3日間で企画展が中止されるに至りましたが、その後、企画展は、再開を望む多くの声を受けて、入場制限を課し、観覧方法を変更したうえで、10月8日、再開されました。
ところが、文化庁は、企画展の再開の方向性が決まった翌日の9月26日、円滑な運営に対する懸念があったにもかかわらずそれを申告していなかったという「手続上の不備」を理由として「あいちトリエンナーレ」への補助金、約7800万円の全額の不交付を決定しました。
私たちは、これら一連の出来事は憲法21条が保障する「表現の自由」を侵害する重大な問題を含むものであると考え、以下のとおり意見を表明いたします。

第一に、私たちは、河村名古屋市長や菅官房長官などの自治体や政府の主要ボストにある政治家による展示会中止に向けての圧力は、憲法21条の保障する「表現の自由」を侵害する重大な問題であると考えます。
憲法による「表現の自由」の保障の中心的意味は、政府に対する自由な批判を保障することにあります。政府や政治家が抽象的な理由で制限を加えることが看過されるならば、表現の自由の中心的な意味が失われ、民主主義が形骸化してしまうおそれがあります。
表現の自由が広く国民に認められ、国民が自由に表現を行うためには、その機会を提供することも重要です。政府や自治体が文化的な催しを後援することは、国民が表現する機会を豊かにし、多様な表現を確保するのに役立ちます。そのために公的な助成が行われる場合、表現の内容に介入しないことが前提になります。そのような態度を貫くことで、国民の表現の自由が実質的に確保されることになるからです。
また、「表現の自由」には「知る権利」の保障も含まれています。他者が表現したことを「受け取る」ことも「表現の自由」の一部です。多数者の表現だけが許され、少数者の表現が締め出されるならば、国民は多数意見にしか接することができなくなります。政府や自治体は多様な表現の機会を保障し、多様な少数意見にも接することができるようにすることが求められます。
このような観点からみると、河村名古屋市長や菅官房長官の企画展への介入は、憲法21条1項によって保障されている「表現の自由」を踏みにじる行為にほかならず、多くの観客が作品を目にすることを阻止しようとしたものとして、憲法21条2項によって禁止されている「検閲」に相当する効果を持つものです。
現在の日本に「表現の自由」があるのかを問い直そうという「表現の不自由展・その後」が攻撃を受けて中止されるという異常事態は、民主主義の根幹である「表現の自由」が奪われたことを意味します。表現者や表現行為に対する脅迫行為は決して許されてはなりません。政府や自治体には、表現の自由を妨害する行為を阻止し、「表現の自由」と「知る権利」を擁護することこそが求められます。一連の出来事の経過を振り返ってみると、名古屋市や政府の対応は、少数者が表現する機会を著しく狭め、多様な表現を「知る権利」を制限するものであったといわざるを得ません。

第二に、私たちは、文化庁による補助金不交付決定について、何よりもその理由が展示内容を理由としたものではないという言い分に疑問をもちます。
8月3日時点での菅官房長官の発言は、河村市長の発言に連動し、「具体的な展示内容」に言及した上で、「事実関係を精査して補助金交付の是非を検討する」としていました。一連の経過からみて、9月26日の文化庁の補助金不交付決定は、8月3日の菅官房長官の発言に呼応し、再開が決まった企画展の「表現内容」を理由として、いったん交付が事実上決まっていた補助金を不交付とすることにより企画展の再開を妨害する意図があったことが強く推測されるものであり、「検閲」と同視すべき違憲・違法な決定であった疑いがあります。
この点で、文化庁が「あいちトリエンナーレ」への補助金の不交付決定をするに際して、その意思決定に至る過程の記録を何も残していないことには重大な疑義があります。公文書管理法4条は、各行政機関に文書作成義務を課し、経緯も含めた意思決定に至る過程や行政機関の事務・事業の実績を合理的に跡付け、検証することができるよう、処理に係る事案が軽微なものである場合を除いて、文書を作成しなければならないとしています。
この規定をうけた文科省の文書管理規則では、文書作成義務に加えて、地方公共団体等を含む公私の団体に補助金等を交付する場合には、「交付の要件に関する文書」や「交付のための決裁文書その他交付に至る過程が記録された文書」については、交付に係る事業が終了する日から5年間保存しなければならないとしています。
「あいちトリエンナーレ」に対する補助金の交付は、専門家から成る審査委員会に諮って4月に補助金事業として採択する旨の通知がなされ、事実上決められていました。ところが、10月15日の参議院予算委員会における宮田亮平文化庁長官の答弁では、宮田長官自身は不交付の決裁をしておらず、文化庁側の答弁によれば、不交付については審査委員会に諮らず、審議官が9月26日に決裁したことも明らかにされています。
文科省も文化庁も、あくまで「手続上の不備」が不交付決定の理由であり、「表現の内容」に基づくものではないと主張していますが、不交付の決定に至る過程の記録が全く残されていないために、その適否を検証する手掛かりがないという不合理な事態に至っています。モリカケ疑惑の再現を思わせる文科省と文化庁の公文書管理法の趣旨を無視した対応に重大な疑問があることを指摘せざるを得ません。
すでに採択通知により補助金交付が実質的に決定され、それを前提として文化芸術事業が行われた後になって、補助金全額の不交付を決定するなどという事態が前例となれば、表現の自由に対する重大な萎縮効果をもたらすことは明白であり、絶対に許されてはなりません。補助金不交付決定は直ちに撤回されるべきです。まして、こうした異常な決定に至る意思決定過程が隠され、検証不能とされることは、看過できない暴挙というほかありません。

私たちは、「表現の不自由展・その後」の中止と補助金不交付問題が、憲法21条の保障する「表現の自由」の核心に関わるものであることを深刻に受け止め、上記のとおり意見を表明するとともに、すべての関係者に対して、一連の経過を振り返り、「あいちトリエンナーレ2019」が提起した問題を改めて検証し直すよう、求めます。
(2019年11月8日)

晩秋の不忍池をめぐりながら、考えた。

今の時代、はたして「表現の自由」というものが保障されているのだろうか。忌憚なく、誰もが必要な表現をしているのだろうか。

いつの時代にも、完全な「表現の自由」の保障は夢想に過ぎず、「表現の自由」とは常に不自由を強いる様々な勢力とのせめぎ合いの渦中にある。そのように理解はしているが、ほかならぬ今が、表現に覚悟が必要な時代となってしまっているのではないか。個人の言論についても、メディアの報道についても。そして、報道の自由を通じての国民の知る権利も危ういのではないか。

今さらいうまでもないが、表現の自由とは、毒にも薬にもならぬことを述べる自由ではない。「天皇と皇后の笑顔がステキでした」とか、「安倍首相のリーダーシップで日本経済は活況を取り戻した」「掲揚台の日の丸に感動しました」「日本チームのメダル獲得を祝します」「うちの社長は、日本一」などのおべんちゃらを述べることの「自由」を、「権利」として保障する必要はない。それは、安全地帯でのおしゃべりに過ぎず、法が関わることではない。

表現の自由が保障されるべきは、「天皇は、無数の無辜の民を死に至らしめたことの責任に無自覚ではないか」、「元徴用工問題についての、安倍政権の請求権協定解釈は根本的にまちがっている」「日の丸・君が代は、皇国日本の軍国主義・侵略主義の象徴としてとうてい受容できない」「うちの社の宣伝は大ウソだ。効かないサプリをさも効くように印象操作している」という、権威や権力あるいは社会的強者に対する批判の言論である。謂わば、毒を含む言論。批判される対象にとっての毒であればこそ、社会にとっての薬にもなり得る。

河村たかし名古屋市長は、「どう考えても日本人の心を踏みにじるもの」と「表現の不自由展・その後」の展示を非難した。しかし、まさしく「日本人の心を踏みにじる表現」こそが、権利としての自由を保障されなければならない。

天皇という権威、内閣という権力、与党という政治権力、企業という社会的権力、圧倒的多数派の同調圧力…。これら強者に対する批判が、貴重であり不可欠であるがゆえに、その自由が保障されなければならない。

とは言うものの、そのような言論には、ビビリがつきまとう。ビビリを断ち切っての、ある種の覚悟がなければ,真に必要な表現ができない。なにしろ、今の世の言論状況は、天皇・皇族に対する歯の浮くような,あるいは舌を噛みそうな過剰敬語が氾濫し、ナショナリズムの昂揚にも歴史修正主義の横溢にも無批判で、「日本素晴らしい」一色。明らかに、権威や権力批判をビビらせる状況が蔓延しているのだ。

しかし、今ビビってはならない。ビビって一歩を譲ることは、ビビらねばならない状況をさらに一歩分拡大することになる。生理学に、廃用性機能障害という概念がある。生体の使わない機能も臓器も衰退するのだ。同様に、表現の自由を行使しないことは、表現の自由に、廃用性の機能障害をもたらす。だから、ビビらずに表現を続けねばならない。

昨日(11月5日)の朝日が「主戦場、上映中止覆した叫び『ビビリは検閲加担と同じ』」という記事を出した。「ビビリは検閲加担と同じ」とは、厳しい言葉。

KAWASAKIしんゆり映画祭は4日夜、ドキュメンタリー「主戦場」が上映され、閉幕した。川崎市の懸念を受け、開幕時点では上映が見送られることになっていたが、映画関係者らから抗議の声が上がったため、一転して上映する運びとなった。上映に先立ちあいさつしたミキ・デザキ監督は「日本の表現の自由の大勝利だと思っている」と語った。

ジャーナリストで映画監督の綿井健陽氏が「(恐怖による)『ビビリズム』が中止の理由にどんどん使われている。それは検閲に加担することと同じだ」と指摘。また、映画監督のジャン・ユーカーマン氏は自粛が繰り返されることによる危険性を指摘、「自己検閲や忖度というかたちで制作側が空気を読むようになってしまう」と訴えた。

ビビリが高じると忖度となる。忖度に慣れて、長いものに巻かれていれば気は楽だ。逆に、意地を通せばまことに窮屈だ。表現の自由を行使するとは、敢えて意地を通して窮屈を求めることでもある。とかくに住みにくい人の世を、これ以上に窮屈で過ごしにくくせぬように、いま、ビビリと忖度を克服して表現しなければならない。そのように実践している人びとも少なくないのだ。

そう考えたら、足下の落ち葉がかさこそと鳴って返事をした。「そうだよ。そうだよ。そのとおりだよ」と。
(2019年11月6日)

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