澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

ヘイトスピーチ批判の記者への奇妙な判決。「私は少しも萎縮しない」

(2023年2月2日)
 一昨日(1月31日)、横浜地裁川崎支部で、やや奇妙な判決の言い渡しが報じられている。この奇妙な判決、統一地方選を目前にした今、軽視し得ない。

 「選挙ヘイト」という言葉は以前からあったのかも知れないが、4年前の統一地方選挙戦で大きな問題となった。差別を専らにする団体が候補者を立て、選挙運動の名を借りて、大っぴらに差別をあおるヘイトスピーチが行われた。選挙制度が想定してこなかった事態である。我が国の民主主義の成熟度が劣化していることを象徴する現象と言ってよい。

 差別的言動で知られる桜井誠を党首とする「日本第一党」なる政党が、2019年4月の統一地方選挙に、12の地方議会議員選に候補者を擁立した。当然のごとく全員落選ではあったが、彼らはけっして当選を目指して立候補したわけではない。彼らの目的は、選挙による言論の形式を借りて、差別的言論を有権者に発信しようということなのだ。ヘイトスピーチの場の獲得を目的とした立候補と言ってよい。

 このとき、「日本第一党」は、川崎市議選に公認候補は立てなかったが、佐久間吾一という人物を大っぴらに支援した。この人、2回目の立候補。選挙公報に「保守系政党の主催する政治塾の塾生として政治に関する勉強と人脈を広げてきました」とある。そして「不法占拠池上町の解決」「表現の自由弾圧条例絶対反対」などを公約に掲げている。彼が反対する「表現の自由弾圧条例」とは、民族差別のヘイトスピーチ規制条例のこと。要するに、「ヘイトスピーチを規制するな」というのだ。

 この選挙での佐久間の得票は959票で落選だった。最下位当選者の得票の約4分の1で、得票率は1・4%。ヘイトに反対する立場の市民団体からは、「(佐久間候補は)第一党と組んだことで差別する目的がはっきりし、当て込んだ保守層の支持も得られなかったのでは」とみられている。

 この選挙が終わった後に、名誉毀損損害賠償請求の提訴があった。日本第一党の支援を受けた佐久間のヘイトスピーチ被害者が裁判を起こしたのではない。佐久間が原告となって、佐久間のヘイトスピーチを批判した新聞記者(神奈川新聞の石橋学記者)を被告とした裁判である。しかも、提訴は2件起こされ、併合して審理され判決になった。新聞社は被告にされていない。

 併合前の各事件の請求金額はいずれも140万円で、併合されて合計280万円となった。1件は石橋記者が執筆した神奈川新聞の記事が、もう1件は街頭での選挙演説現場における石橋記者の発言が、原告の名誉を毀損したと主張されている。

 判決の結論は、「神奈川新聞記事」の正当性を認めて請求棄却としたが、「選挙演説現場における記者の発言」の一部は違法とされ15万円の支払を命じた。これは信じがたい、表現の自由に対する裁判官の感覚を疑わざるを得ない。

 この点について、東京新聞の記事を引用する。
 「判決などによると、佐久間氏は19年2月の集会で川崎区池上町について『旧日本鋼管の土地をコリア系が占拠』『共産革命の拠点』などと発言。記事は(この発言を)『悪意に満ちたデマによる敵視と誹謗(ひぼう)中傷』と断じた。判決は、記事は公益目的であり重要な部分について『真実』として請求を退けた」

 「一方、同年5月の街頭演説中に石橋記者が『デタラメを言っている』などと指摘した発言については、『虚偽やデタラメと一方的に断じることはできない』として請求を認めた」

 石橋記者の『デタラメを言っている』は、もとより同記者の意見ないし見解である。その発言が名誉毀損に当たるか否かは、背景事情や具体的な状況によって左右される。仮に、名誉毀損に当たるとしても、その意見の前提となる事実の真実性の立証は十分に可能ではないか。

 「石橋記者の弁護団は『判決は記者の批判の正当さを認めた。池上町の住民の名誉は守られた』と評価。その上で演説中の名誉毀損の認定は『取材や批判を萎縮させ、表現の自由を揺るがす』として東京高裁に控訴する方針を示した」という。控訴審に期待したい。

 2013年から川崎市内でヘイトデモが激化。これに対抗する反差別の運動が高まり、国のヘイトスピーチ解消法や市条例の制定につながったという。

 「石橋記者は『外国人には選挙権もない。法律や社会を変えられるのは(われわれ)多数派だけだ』と確信し、取材を続けている。判決を受けて『声を上げてくれたマイノリティーの勇気と犠牲によって、差別を批判し、命を守る記事を書いてきた。私は少しも萎縮させられないし、萎縮しない』と話した」(東京新聞記事より)

 「私は少しも萎縮しない」という石橋記者。その意気や良し、である。この記者の意気に応えて、高裁判決も「その理念や良し」「その憲法感覚や良し」となってほしいものである。

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