澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典の公園使用に、不当な条件の撤回を求める東弁会長声明

(2020年6月24日)

一昨日(6月22日)、東京弁護士会が素晴らしい会長声明を発表した。私は、東京弁護士会会員であることを誇りに思う。

その会長声明のタイトルは長い。「9.1 関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典のための公園占用許可につき不当な誓約書の提出を条件とすることの撤回を求める会長声明」というもの。下記に全文を掲載するが、下記URLで東京弁護士会ホームページの原文を読むことができる。
https://www.toben.or.jp/message/seimei/post-584.html

問題は、9月1日に予定されている恒例の「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」に対する小池百合子都知事の対応。端的に言えば、関東大震災朝鮮人犠牲者を追悼しようという日・韓・朝の人々に対する、小池都知事の嫌がらせをたしなめるもの。

いま、小池都知事は、追悼式典実行委員会の公園占用許可申請に対して、不当な誓約書の提出を条件として要求し、誓約書の提出がなければ公園占用許可をしないと言明している。東弁会長声明は、この態度を改めるよう強く求めている。

当ブログでは、本年5月28日に下記の記事を掲載した。

小池都知事よ、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典への嫌がらせをやめよ
http://article9.jp/wordpress/?p=14988 (2020年5月28日)

同日のブログでは、「9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会」(実行委員長 宮川泰彦)と、自由法曹団東京支部(支部長 黒岩哲彦)の声明を紹介して、小池都知事に対して追悼式典への嫌がらせをやめるよう訴えた。

周知のとおり、東京市本所区(現東京都墨田区)横網町の陸軍被服廠跡地は1923年の関東大震災による被災地として知られる。痛ましくも、推定3万8000と数えられる老若男女がこの場所で焼死した。この犠牲者を悼むために、この地が「大正震災記念公園」とされたが、1930年「震災記念堂」が建立されて公園名も「横網町公園」となった。戦後は東京大空襲による身元不明者10万人余をも合祀して、名称を「都立横網町公園」「東京都慰霊堂」と改称して現在に至っている。

1973年、この公園の一角に、「朝鮮人犠牲者追悼碑」が建立された。横網町公園のホームページには、こう解説されている。

「関東大震災時の混乱のなかで、あやまった策動と流言ひ語により尊い命を奪われた多くの朝鮮人を追悼し、二度とこのような不幸な歴史を繰り返さないことを願い、震災50周年を記念して昭和48年(1973年)に「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会」により立てられた碑です。」

 この実行委員会は、当時の都議会全会派の幹事長が参加するものだったという。その碑には、こう刻まれている。

「1923年9月に発生した関東大震災の混乱のなかであやまった策動と流言蜚語のため6千余名にのぽる朝鮮人が尊い生命を奪われました。私たちは、震災50周年をむかえ、朝鮮人犠牲者を心から追悼します。この事件の真実を知ることは不幸な歴史をくりかえさず民族差別を無くし人権を尊重し、善隣友好と平和の大道を拓く礎となると信じます。思想・信条の相違を越えてこの碑の建設に寄せられた日本人の誠意と献身が、日本と朝鮮両民族の永遠の親善の力となることを期待します。
 1973年9月 関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑建立実行委員会」

  碑 文

この歴史
   永遠に忘れず
  在日朝鮮人と固く
  手を握り
  日朝親善
   アジア平和を
  打ちたてん
        藤森成吉

 この碑の建立以降、毎年9月1日には、追悼碑前での「9・1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」が続けられてきた。「事前に都との打ち合わせを経て使用許可を得、厳粛且つ平穏な追悼式典が執り行われてきた。」ということは、実行委員会の声明にあるところ。式では、歴代の知事が追悼文を送り式で紹介されてきた。あの石原慎太郎でさえ、追悼文を欠かすことはなかった。

ところが、事態は小池百合子知事になって変わる。小池は追悼式に追悼文を送らなくなった。古賀俊昭という極右都議の議会での質疑に応えての方針変更である。そしてこの度は、ヘイト集団「そよ風」を利用しての、形式的平等取り扱いを装った、嫌がらせである。もしかしたら、本気で追悼集会を潰すつもりなのかも知れないのだ。

都市公園法という法律がある。その第6条1項に「都市公園に公園施設以外の工作物その他の物件又は施設を設けて都市公園を占用しようとするときは、公園管理者の許可を受けなければならない。」とある。これに基づいて、実行委員会は、昨年(2019年)9月以降、追悼式典のための占用許可申請(実行委員会声明では、「使用許可申請」)を重ねてきたが、東京都は3回にわたって、申請受理を拒否という。そして、12月24日には、「横網町公園において9月1日に集会を開催する場合の占有許可条件について」と題する文書を実行委に示してきた。

問題なのは、東京都が、これを遵守する旨の都知事宛ての誓約書を提出することを求めていることである。しかも、この誓約書には「下記事項が遵守されないことにより公園管理者が集会の中止等、公園管理上の必要な措置を指示した場合は、その指示に従います。また、公園管理者の指示に従わなかったことにより、次年度以降、公園地の占用が許可されない場合があることに異存ありません」とある。この当不当、あるいは違法性の有無が論じられなければならない。

東弁会長声明は、「地方自治法第244条第2項は、『普通地方公共団体は、正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない。』としているところ、判例上も、特段の事情がない限り、妨害者の存在を理由として、被妨害者の不利益を帰結するような取扱いはなされるべきではないものと解されているところである」と、上尾市福祉会館事件判決を引用している。同判決はこう言って、不許可を違法と判断した。その判決理由中に、下記の判示が見える。

 本件会館は、地方自治法244条にいう公の施設に当たるから、被上告人は、正当な理由がない限り、これを利用することを拒んではならず(同条2項)、また、その利用について不当な差別的取扱いをしてはならない(同条3項)。

 (条例は)「会館の管理上支障があると認められるとき」を本件会館の使用を許可しない事由として規定しているが、右規定は、会館の管理上支障が生ずるとの事態が、許可権者の主観により予測されるだけでなく、客観的な事実に照らして具体的に明らかに予測される場合に初めて、本件会館の使用を許可しないことができることを定めたものと解すべきである。

 また、泉佐野市民会館事件最高裁判決(最判1995(平成7)年3月7 日)はこう判示している。

被上告人(泉佐野市)の設置した本件会館は、地方自治法244条にいう公の施設に当たるから、被上告人は、正当な理由がない限り、住民がこれを利用することを拒んではならず(同条2項)、また、住民の利用について不当な差別的取扱いをしてはならない(同条3項)。

市立泉佐野市民会館条例の定める「公の秩序をみだすおそれがある場合」の危険性は、単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要である。

主催者が集会を平穏に行おうとしているのに、その集会の目的や主催者の思想、信条に反対する他のグループ等がこれを実力で阻止し、妨害しようとして紛争を起こすおそれがあることを理由に公の施設の利用を拒むことは、憲法21条の趣旨に反するところである。

 もっとも、泉佐野市民会館事件では、最終的には例外的に不許可が認められた。当時の情勢から、中核派と対立グループとの抗争による混乱は、警察力の行使によっても制止困難な「明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見される」事態の認定あってのことである。本件とは比較すべくもない。飽くまでこの原則論が尊重されなければならない。

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9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典のための公園占用許可につき不当な誓約書の提出を条件とすることの撤回を求める会長声明

2020(令和2)年6月22日
東京弁護士会 会長 冨田 秀実

 東京都は、今般、本年度の「9.1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」開催のため、同追悼式典の実行委員会が、東京都立横網町公園の占用許可を申請したのに対して、誓約書の提出を占用許可の条件とし、誓約書の提出がなければ、占用を許可しないと言明した。誓約書の内容は、「公園管理上支障となる行為は行わない」、「遵守されないことにより公園管理者が集会の中止等、公園管理上の必要な措置を指示した場合は、その指示に従います。また、公園管理者の指示に従わなかったことにより、次年度以降、公園地の占用が許可されない場合があることに異存ありません」などというものである。

同追悼式典は、同公園において毎年9月1日に開催されてきた式典である。関東大震災時に「朝鮮人が井戸に毒をいれた」等のデマが流布したことなどにより、自警団や軍隊、警察による殺傷事件が起きた。政府の「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書(2008年3月 内閣府中央防災会議)」は朝鮮人らの虐殺犠牲者数を、震災死者数(約10万人)の「1~数%」に当たると指摘している。こうした悲劇を踏まえ、同公園に1973年、朝鮮人犠牲者追悼碑が建立され、40年以上追悼式典が行われてきた。同追悼式典は、犠牲者を追悼するためのものであり、管理上の支障や混乱なく開催されてきた。これまで、占用許可について、上記の内容の誓約書の提出を求められたことはなかった。

しかるに、2017年以降、朝鮮人虐殺の事実を否定する団体が、同追悼式典と同時間帯に、同追悼式典と近接した場所で、「慰霊祭」を開くようになった。「慰霊祭」において、この団体は、同追悼式典を「歴史捏造」とする看板をかかげ、追悼式典の参加者を挑発するように「不逞朝鮮人」などのことばも用いて、朝鮮人に対するヘイトスピーチを行い、あからさまに同追悼式典を挑発し、同追悼式典の静謐さは破られた。

言うまでもなく、集会の自由(日本国憲法第21条第1項)は、民主政の過程を支える憲法上優越的な人権として尊重されるべきものである。これを受けて公共施設の利用について、地方自治法第244条第2項は、「普通地方公共団体は、正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない。」としているところ、判例上も、特段の事情がない限り、妨害者の存在を理由として、被妨害者の不利益を帰結するような取扱いはなされるべきではないものと解されているところである(最判平成8年3月15日・民集第50巻第3号549頁)。

その上、上記誓約書の「公園管理者の指示に従わなかったことにより、次年度以降、公園地の占用が許可されない場合があることに異存ありません」などの文言は、不許可を容認させる点で制限が強度であるだけでなく、指示の内容が具体的に示されていないため、萎縮効果をもたらすおそれがあるばかりか、前に述べた経緯を看過して、上記誓約書の提出を条件とすることは、ヘイトスピーチを用いた妨害行為を容認、助長する効果をももたらしかねない。それは、集会の自由の不当な制限であるだけでなく、人種差別撤廃条約、ヘイトスピーチ解消法、「東京都オリンピック憲章にうたわれる人権尊重の理念の実現を目指す条例」等、人種差別、ヘイトスピーチの撤廃、解消を企図する法令の趣旨にも合致しない。

当会は、東京都に対し、上記追悼式典のための占用許可にあたって、従来どおり、上記内容の誓約書の提出を条件としないことを強く求める。

《小池百合子》と《学歴詐称》は密接・密着・濃密な関係。 ー 野党にチャンス、『プランB』ではなく『プランA』の候補者を。

(2020年6月6日)
6月18日告示の都知事選が目前である。私は、差別を容認し思想・良心を蹂躙して顧みない石原慎太郎知事以来の都政に我慢がならない。小池百合子都政を変えるために有力な「勝てる候補」の擁立を心から願っている。

「市民と野党の共闘」が高揚するいま、その課題は現実的なものと考えていたのだが、どうやら期待外れになりそうだという。報じられているところでは次のような事情だという。

野党四党は当初、統一候補の擁立を目指した。立民の蓮舫参院議員や前川喜平元文部科学次官の名前が挙がったが、いずれも立ち消えになった。新型コロナの感染が拡大し、都の対策の陣頭指揮を執る小池氏の存在感が一気に高まったからだ。れいわ新選組の山本太郎代表も統一候補としての出馬を検討したが、立民と合意に至らなかった。
 立民が独自候補にこだわって小池氏に惨敗すれば、衆院選の野党共闘に痛手となることから…共産、社民との共闘の形を整えるため、無所属で出馬を表明している宇都宮氏の支援を事後に決める「プランB」(同)に落ち着いた。(東京新聞)

 「プランA」があったのだ。そのプランでは、蓮舫・前川喜平・山本太郎などの錚々たる顔ぶれがリストアップされていた。しかし、結局のところ意中の人は首を縦に振らず、「プランA」は儚く潰えた。やむなく、勝てそうにもない候補者だが、不戦敗よりはマシの形作りのために、「プランB」としての候補者選択を余儀なくされたということなのだ。「プランB」とは言い得て妙だが、意中の人ならぬ「Bクラス」「Bランク」「B面」の候補者の擁立である。

注目すべきは、「プランA」を採用できなかった理由が、「新型コロナの感染が拡大し、都の対策の陣頭指揮を執る小池氏の存在感が一気に高まったからだ」ということである。はたしてその通りだろうか。

確かに、コロナを追い風にした現職の強みは圧倒的で不戦勝に等しいというのが、つい先日までのもっぱらの下馬評だった。ところが、いま雲行き急変の様子がある。猪瀬直樹や舛添要一に対する突然のバッシングの嵐が記憶に新しい。小池百合子が「排除いたします」というたった一言でそのカリスマ性を喪失した事件もあった。この妖しい雲行き、突然の豪雨にもなりかねない。

本日(6月6日)の毎日新聞朝刊に、伊藤智永論説委員の「時の在りか=小池都知事再選を危ぶむ」が衝撃的である。その一節を引用する。なお、全文が、下記URLで読める。
https://mainichi.jp/articles/20200606/ddm/005/070/029000c

 女性評伝の名手である石井(妙子)氏が、3年半かけて取材した新著は、5月末刊行の「女帝 小池百合子」。即重版の売れ行きらしい。3カ月前から東京オリンピック延期やコロナ感染症対策で張り切る東京都知事の半生を徹底的に跡付けた力作だ。
 一読、暗たんとなる。400ページを超える長編で、何人もが次々と小池氏に同じ言葉をぶつける。
 「裏切り者! ウソつき!」
 政治家の恨み言なら同情もしないが、これが国会議員時代前半に地元だった兵庫県の阪神大震災被災者、環境相当時の水俣病認定漏れ患者、アスベスト(石綿)被害者、築地中央卸売市場の豊洲移転に反対した「築地女将さん会」メンバーの叫びなら、そうはいかない。
 政治にウソや裏切りはつきもの、といった訳知り顔にはくみしない。例えば故野中広務元官房長官は政争をいとわず、怖がられ、孤独でも、有権者からこのようにののしられることはなかった。仮にあったら、何とかしようと骨折ったはずだ。
 小池氏はほったらかす。追いすがる相手に手ひどい矢を放つ。そんなエピソードがふんだんにある。
 震災被災者の陳情を、議員会館で指にマニキュアを塗りながら顔を上げずに聞いて言ったそうだ。
 「もうマニキュア、塗り終わったから帰ってくれます?」

昨日(6月5日)の講談社のネット記事。《「学歴詐称疑惑」再燃の小池百合子…その「虚飾の物語」を検証する》 「『女帝 小池百合子』著者が真相を語った。」というインタビューも、インパクト十分である。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/73063

インタビュアー近藤大介と、石井妙子とがこんな遣り取りをしている。

近藤 小池百合子氏は、生まれてこの方、一体いくつのウソをつき続けてきたのだろうと、石井さんの本を読みながら数えていったものの、50くらいまで来てやめました。「嘘八百」という言葉があるけれど、本当にこの本には800くらいのエピソードが詰め込まれているかもしれません。まさに「虚飾の政治家」です。

石井 この政治家(小池百合子)は、ウソにウソを塗り重ねたことで現在があるということが、次第にはっきりとわかってきたんです。ある時は自己顕示欲を満たすため、ある時は自己防衛のためにウソをつく。その後、それを隠そうと土を掘って埋めるけれど、隠そうとするあまり、土をかぶせすぎてしまうので、かえって、土が盛り上がり、そこにあるウソが透けて見える。そんなイメージでした。

具体的問題は、小池百合子の学歴詐称「カイロ大学首席卒業」の嘘である。実は、「首席」が嘘というだけではない。そもそも「卒業」が嘘というのだ。

近藤 「(小池氏は)カイロ大学は1976年の進級試験に合格できず、従って卒業はしていません」はっきりとこう述べている。これが事実なら、小池氏は完全な公職選挙法違反です。

石井は、この点の取材の様子を詳細に語って説得力十分である。

石井と並んで、これまで小池百合子の学歴詐称問題を追及してきたのが、作家の黒木亮。5月30日に、ネットに以下の記事を出している。これも、説得力十分である。

カイロ大学の深い闇…小池百合子が卒業証書を「出せない」理由 「捏造」が当たり前の驚くべき実態
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72912

この二人の調査を前提に、6月2日元検事の郷原信郎がこんな記事を書いている。

小池百合子氏「卒業証明書」提示、偽造私文書行使罪の可能性
https://news.yahoo.co.jp/byline/goharanobuo/20200606-00182101/
「都知事選、小池百合子氏は「学歴詐称疑惑」を“強行突破”できるか」
その記事の中で、郷原はこう語っている。

 「カイロ大学卒」の学歴が虚偽である疑いが、石井氏の著書、黒木氏のネット記事で、改めて指摘されている中、疑問に答えることなく、これまでどおり・選挙公報の経歴欄に「カイロ大学卒」と堂々と記載することができるのだろうか。
 しかし、それを記載しないで、「正直」に、「カイロ大学中退」などと記載した場合、それまで、「カイロ大学卒業」としてきたことの虚偽性を認めることになる。小池氏にとって、それは政治生命の終焉を意味する。
 小池氏にとっての選択肢は、何らかの理由を付けて再選出馬を断念するか、立候補し、従前どおり「カイロ大学卒業」の学歴を選挙公報に記載して都知事選「強行突破」を図るかの、いずれかである。

 わずか4日前のこの指摘が、今にわかに注目度を上げている。小池百合子はこの都知事選に、いかなる学歴を記載して立候補するつもりだろうか。どのように学歴を記載しても、小池百合子と学歴詐称とは、密接・密着・親密・濃密な関係として定着するだろう。

かつて、立花隆の調査報道になる「田中角栄研究 その金脈と人脈」が、田中角栄を退陣に追い込んだ事件を思い出す。既に、この書を引いての小池百合子の学歴詐称追及が始まっている。もしや、と思わせる展開である。

そこで、申し上げたい。今や、小池百合子はけっして強い候補者ではない。「プランAの候補者」であれば十分に勝機はある。まだ、時間はのこされている。せっかくの勝機をみすみす逃すことのないよう、市民運動と野党の皆さんには賢明な再考を願う。

《呼びかけ人会議》に申しあげる。「宇都宮健児君を野党共闘の都知事選候補者として推薦することはお控えください」

(2020年5月31日)
共産党都委員会のホームページに昨日(5月30日)アップされた記事の一部を転載する。

【都知事選】臨戦態勢/革新都政の会が方針

革新都政をつくる会は29日、代表世話人会を東京都豊島区で開きました。告示まで20日に迫った都知事選(6月18日告示、7月5日投開票)で、市民と野党の共闘で都政を転換するため、臨戦態勢の確立を進める方針を確認しました。

日本共産党の田辺良彦都委員長が発言し、野党間の協議の現状を報告。元日弁連会長の宇都宮健児氏が立候補を表明したことについて、「基本政策は私たちと共有できる。たたかい方について、よく話し合っていこう」と語りました。また、野党統一候補の実現に努力するとしました。

同会の中山伸事務局長は、都政転換に向けた「呼びかけ人会議」(浜矩子・同志社大学大学院教授ら)の訴えに応え、草の根で呼びかけ人・賛同人を増やす活動に取り組んできたと報告。

新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言が解除された下で、呼びかけ人会議主催の「変えよう東京」会合(6月3日)を成功させるとともに、「パンフレット『都知事選挙 私たちの提案』『都民の目で見た小池都政黒書』の普及を軸に、職場・地域・団体の臨戦態勢を確立しよう」と述べました。6月8日に臨時総会を開くことを提起しました。

共産党都委員長が語る、「(宇都宮君の)基本政策は私たちと共有できる。たたかい方について、よく話し合っていこう」「野党統一候補の実現に努力する」とは何とも、不可思議な表現。保守には、こういう明晰さを欠いた政治的表現が目につくが、共産党にはこんな物言いは似合わない。

「たたかい方について、よく話し合っていこう」は、いったい誰と誰との、どのようなたたかいについて、何を目指しての「話し合い」を呼びかけているのだろうか。

まさかとは思うが、宇都宮君を意中の候補として「彼を野党統一の候補者とするたたかい方について、つくる会内でよく話し合っていこう」「宇都宮の野党統一候補の実現に努力する」ということと読めなくもない。

仮に、共産党主導で宇都宮君の野党統一候補(ないしは野党共闘候補)実現があればという仮定の話だが、そんなことになれば2020都知事選は革新陣営にとっての形づくりだけの消化試合でしかなくなる。彼を統一候補とした途端に、多くの都民は革新側に都知事選を本気で闘う意欲がないとみるだろう。事実上の選挙戦放棄である。

過去2度の都知事選に出馬して、惨敗した候補者である。負け馬の3度目の出馬に勝利の目はない。誰が見ても、本気で勝ちに行く選挙にふさわしい候補者ではないのだ。

彼の過去の2度の知事選の得票は、2012年97万票(当選した猪瀬直樹は434万票)、14年98万票(当選した舛添要一は211万票)である。いずれも、100万に届かない。前回都知事選では、あのバッシングの嵐の中で鳥越俊太郎は135万票(当選した小池百合子は290万票)を得ている。

東京の基礎票が弱いのでやむを得ないのかと言えば、そんなことはない。参院東京選挙区(6議席)では、蓮舫一人で171万票(2010年)を得票した実績がある。同氏は2016年の選挙でも112万票を獲得している。これには及ばないものの、共産党の参院東京選挙区での得票数も、以下のとおりなかなかのもの。
2013年(吉良佳子)71万票、16年(山添拓)67万票、19年(吉良佳子)70万票。

2014年総選挙の東京ブロックでの野党各党の得票数は、以下のとおりである。
民主党94万票、共産党89万票、社民党12万票。合計では195万票になる。この基礎票あって、宇都宮(統一)候補では100万に届かないのである。

野党共闘が成立して、基礎票に共闘効果としてのプラスアルファの上積みを期待し、これに魅力的な候補者と目玉になる政策の押し出しがあれば、…都知事選はけっして勝てないたたかいではない。

何よりも、都民の目から見て「革新共闘が今度は本気で勝ちを狙っている」と感じさせるだけの清新で有力な候補者の擁立が不可欠である。宇都宮君には、最初の出馬表明時にはその片鱗があった。しかし、選挙戦進展の中で、候補者としての資質の欠如、魅力の欠如を露わにして歴史的な惨敗をした。いま、政党が宇都宮を推薦するとなれば、都民の目には「この選挙捨てたな」と見られるしかない。

しかも、彼は前回都知事選にも革新共闘の協議を無視して3度目の立候補をし、告示直前に立候補を断念したものの、革新共闘には背を向け続けている。今回また、革新共闘とは距離を置くことを公言して憚らない。到底、革新共闘が一致して押すことのできる候補ではない。

まさかとは思うが、念のために「呼びかけ人会議」に申しあげたい。
真に革新陣営の共闘を大切する立場を貫くならば、市民と野党の共闘に背を向けてフライングの立候補宣言をした宇都宮健児君を共闘候補として推薦してはならない。共産党が、「基本政策は私たちと共有できる」と、さらにフライングを重ねたこの事態では、なおさらのことである。

仮に宇都宮君を共闘候補として推薦するようなことになれば、市民運動が主導して野党共闘を作るという、いま、成功しつつある貴重な枠組みに大きな傷を残すことになる。くれぐれも、よくお考えいただきたい。

そして、共産党にも一言申しあげたい。
無理をしてまで、今回都知事選に形だけの野党共闘にこだわる必要があるのだろうか。この時期、野党共闘にふさわしい候補者を得られないとすれば、共産党が単独推薦できる、清新で魅力的な候補者は何人もいるではないか。ことここに至って、やむなく宇都宮君で都知事選をということではなんとも虚しい。本気になって、党の政策を独自候補で押し出すたたかいを組むべきではないだろうか。

宇都宮健児フライングに続いた志位和夫フライング

(2020年5月29日)
都知事選が目前である。6月18日(木)の告示まで3週間を切った。既に、具体的な選挙運動準備が始動していなければならないこの切迫した時期に、革新陣営の予定候補者が未定である。

これまで、「市民と野党共闘」という枠組みでの統一候補の擁立が模索されてきた。その動静は、「東京革新懇」や「革新都政を作る会」、あるいは「九条の会」などを通じて公式・非公式に伝えられて来た。そして、現在は「市民と野党の共闘の実現で都政の転換をめざす呼びかけ人会議」がその任務を担っている。アベ政治や小池都政を容認しがたいとする多くの都民の期待は大きい。

国政レベルでの「市民と立憲野党の共闘」が大きく進展し、安倍改憲を阻止し、国政私物化のアベ政権を追い詰める成果を上げている。今、その都政レベルでの、「市民と野党の共闘」という枠組みの設定が重要なことが自明である。そのうえで、その枠組みにふさわしい候補者の擁立が必要なのだ。

これまで、期待を込めて見守ってきた。予定候補者として、何人もの有力な人の名前が上がっては消えた。水面下の事情についてはまったく知らないから、もしかしたら完全には消えていない人がいるのかも知れない。おそらくは、ギリギリの段階で、しかるべき人が出てくるのだろうとの希望は捨てていない。

そんな中で、宇都宮健児君が立候補を表明し、一昨日(5月27日)出馬の記者会見をした。もちろん、「市民と野党共闘」の候補ではない。その意味ではフライングである。まだ間に合う。宇都宮君、立候補はおやめなさい、と申しあげたい。

言うまでもなく、「出たい人より、出したい人」が候補者としてふさわしい。これまで、都知事選に「出たがっている」人としては、宇都宮君を措いてない。しかし、到底彼が、「市民と野党の共闘」候補者としてふさわしいとは考え難い。2020年都知事選の共闘候補として、これまで彼が考慮の対象であったことはない。

半年ほど前のこと、ある集会後の懇親会の席上、都レベルでの野党共闘と統一候補擁立に努力をされている方から、意見を聞かれたことがある。「宇都宮さんは、野党共闘からの要請がなくても、立候補したいんだろうか?」「私は彼の動静についてはまったく知りません。それでも、出たいんだろうと推測はしています」「それが困るんだ。共闘の立場から出したい人を説得して決意させることはなかなか難しい。宇都宮さんに先に手を挙げられると、余計に困難になる。何とかならないでしょうかね」

なんともならないうちに、憂慮が現実となった。5月27日記者会見で、彼は記者の質問に答えてこう発言したそうである。

 「私が立候補(表明)するまでに政党との関係はないし、今まで政党に支援要請はしていない」「今回は、どういう候補が出てきても降りるつもりはない」「それ(山本氏が出馬しても立候補を断念しないこと)は、もう当然。(宇都宮氏以外の候補者で)野党共闘ができても、降りないわけだから」(括弧内は、J-CASTの記者による)

むくつけなまでの野党共闘拒否の宣言である。もちろん、そのような考え方があってもよかろう。しかし、誠実に社会進歩を望む人の発言ではない。日本の首都の首長選挙である。市民や野党間の共闘あっての候補者でなければならない。市民と野党の共闘が先行して、一致して「出したい人」が候補者として擁立されねばならない。「出たい人」に引き摺られての形だけの共闘は無意味である。今後への弊害が大きい。

問題は、野党の対応である。何より注目されるのは共産党の姿勢。本日(5月29日)の赤旗が、志位和夫委員長の以下の発言を報じている。

昨日(27日)の宇都宮さんの会見を拝見しましたが、基本的な政治姿勢、基本政策は私たちと共有できると思います。日本共産党として宇都宮さんの出馬表明を歓迎します。今後のたたかいについては、よく話し合っていきたい」と語りました。
志位氏はまた「この間、野党の党首間では、都知事選挙で統一候補を立ててたたかうことを何度も合意しています。わが党としては野党共闘でたたかう体制をつくるために努力したい」と語りました。

その見出しが、「東京都知事選で志位委員長 宇都宮氏の出馬表明を歓迎 野党共闘の体制づくりへ努力」というもの。まことに思慮に欠けた発言と指摘しなければならない。

《野党共闘拒否宣言の宇都宮出馬表明歓迎》と《野党共闘の体制づくりへ努力》が、両立するわけはない。これでは、共産党が、野党共闘を壊しているとの批判を避けがたい。

問題は、それだけではない。市民運動としての「呼びかけ人会議」に対する背信行為というべきだろう。「市民と野党の共闘の実現」を目指す活動は、有力野党の共産党の特定候補者評価できわめて難しくなる。共闘を否定しての宇都宮健児出馬表明がフライングであり、これを容認するかのごとき志位和夫発言もフライングというほかはない。

本来、共産党はこう言うべきだった。「呼びかけ人会議のお骨折りによる候補者選定の成果を待ちたい」「白紙の立場で野党共闘による候補者擁立の努力を重ねたい」「宇都宮候補への評価は、今は控えたい」

私は、水面下の動きは知らない。まさか、とは思うが、同会議が宇都宮健児の推薦をするようなことになれば、だまし討ちに等しい。さまざまな憶測を呼ぶことになるだろう。私も、「呼びかけ人会議」の呼びかけ人の一人だが、そのときは即刻下りることにしよう。

市民と野党の共闘実現による都知事選候補者擁立に期待する。

小池百合子都政にはガマンがならない。その政策の差別性、歴史修正主義、そしてオリンピック開催のためのコロナ感染隠し。自分ファーストの姿勢。これなら舛添都政の方がよっぽどマシだった。

しかし、これまでの政治状況下、容易に対抗候補者が見つからなかった。革新共闘の予定候補者不在のまま、6月18日告示7月5日投開票の日程が目前に切迫である。今のままでは、目くそを選ぶか、鼻くそを選ぶかしか、選択肢がない。アベ政権への批判の民意高まるこの時期に、である。

そのような折も折、「九条の会東京連絡会議」が主催する6月15日としま区民センター大集会の呼びかけが注目されている。その宣伝のチラシは下記URLのとおり。

http://www.9jo-tokyo.jp/plus/chirashi615.pdf

目を引くのは、3人の講演予定者。五十嵐仁と小森陽一、そしてもう一人が「都知事選候補者」である。都政に関係するメーリングリストには、「都知事選の統一候補者も参加の予定です。よろしくお願いします。」と案内されている。6月18日告示の直前だが、この6月15日までに野党の統一候補が決まる模様なのだ。

統一候補選びは、「市民と野党の共闘の実現で都政の転換をめざす呼びかけ人会議」が担っている。その代表呼びかけ人は、浜矩子・五十嵐仁・永山利和の3名。私も1000人に近い呼びかけ人の一人に加わっている。

同「会議」は、次のアピールを発している。

“市民と野党の共闘”で小池都政の転換を” -呼びかけ-

都民の生活と都政の未来、ひいては日本の将来にも重大な影響をもたらす東京都知事選挙が間近にせまりました。
いま、4年目を迎えた小池都政は安倍政権がすすめる戦争をする国づくり、社会保障の連続的改悪、消費税増税、アベノミクスの推進などと呼応しつつ、保育など若干の分野での対応は見られるものの、大局的にはトリクルダウン政策を柱にすえ、福祉や医療、中小企業対策などの切実な都民要求に背を向ける姿勢をとり、他方、超高層ビルを林立させる石原都政以来の「都市再生」、開発行政を推進してきました。また、オリンピックの見直し、築地市場の存続など都知事選挙にあたって掲げた公約を放棄し、都民の信託を裏切ったことも記憶に新しいところです。
一方、国政、地方政治においては、市民と野党の共闘がおおきく前進しており、東京においても市民と野党の共闘の実現と都民の願いに応える都政への転換が期待されるところです。
こうしたもとで私たちは、東京での市民と野党の共闘の前進と小池都政の転換をめざして「都政を考える夕べ」を開催。また、幅広い呼びかけ人・賛同人の参集をうけ、呼びかけ人会議を起ちあげとりくみをすすめています。
都政転換を願うみなさん。連帯し共同のたたかいをすすめようではありませんか。
2020年3月

呼びかけ人: 浜 矩子(同志社大学大学院教授)
五十嵐仁(法政大学名誉教授)  
永山利和(元日本大学教授)   
呼びかけ人一同          

この代表呼びかけ人3氏は個性的な以下のメッセージを発している。
(「全国革新懇ニュース」に掲載されたもの)

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毒瓜を退治し、東京を民主主義の共同体に なんと素敵な闘いでしょう

   浜 矩子さん(同志社大学大学院教授)

 今の日本は、国政と都政の両レベルで下心政治の餌食になっている。都知事選が近づいて来る中で、改めて、つくづく、そう感じます。
人々のためにあるはずの政策と行政。それらを、自分たちの野望達成のために手段化する。私物化する。この由々しき姿勢、許し難き行動原理において、安倍政治と小池政治は全く瓜二つです。
我々は、この毒瓜を丸ごと、叩き潰して行かなければいけません。今回の都知事選が、そのための第一撃となることを期待し、確信するところです。善良にして賢明なる市民たちの力と魂をもってすれば、毒瓜の一つや二つ、何のそのです。野党各党にも、団結して市民と魂を一つにしてもらわなければいけません?
小池都政の下で、東京はどんどん、人々が住む街、人々のための街ではなくなって来ました。下心政治のモンスターが、その目立ちたがり願望を満足させるためのパフォトマンス会場。それが今の東京です。こんな東京はあまりにも悲しい。
地方自治は民主主義の要です。人々に最も近いところで、人々の意向に
従っ政策決定が行われる。その舞台が地方自治体です。国家権力の横暴から人々を守る守護神。それが地方自治体であるはずです。
東京を再び地方自治体にしなければいけません。民主主義のための共同体にしなければいけません。街にしなければなりません。東京を市民の手に奪還しなければいけません。今回の都知事選はそのための闘いです。なんと素敵な闘いでしょう。

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都政を変えれば日本は変わる

    五十嵐 仁さん(法政大学名誉教授)

 新型コロナウイルスの脅威が高まり、都民の健康と命、生活を守ることが緊急の課題となっています。五輪・パラリンピックも延期になりました。損害は多岐にわたり、莫大ですが、そのツケは都民に回って来ることになります。
このような情勢の下で実施される都知事選挙は、首都東京の政治決戦として特別の意義を持っています。
その第1は、最大の地方自治体のトップを決める選挙として、「いのちとくらしを守る」行政のモデルを提示することです。とりわけ、公社・都立病院の独法化、羽田新ルート、カジノ誘致の問題は急速に浮上してきた重大争点です。
また、小池知事が掲げていた「築地を守る」などの公約がどれだけ実現されたかという検証も欠かせません。
第2は、モリ・カケ、桜を見る会、検事長人事での疑惑、公文書管理のずさんさ、政治の私物化などで国民の信を失っている安倍政権に審判を下すチャンスだということです。
都知事選で「ノー」を突きつけ、東京を変えれば日本は変わります。
第3は、解散・総選挙を間近に控えた時期での大型政治戦としての意義があります。都知事選は共闘の試金石であり、誰が候補者になっても勝てる枠組みを草の根から作っていかなければなりません。「市民と野党の共闘」を確固たるものすることが必要です。
石原・猪瀬・舛添・小池と続いた不毛な都政の連鎖を断ち切るチャンスです。住民無視の荒れ野となった都政を立て直し、都民の手に取り戻そうではありませんか。

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オリ・パラ会場攬乱、築地潰し、臨海カジノヘ向かう都政はご免だ

永山 利和さん(元日本大学教授)

 先代、先々代の都知事は身から出た錆で小池百合子知事に17兆円を超える財政規模を誇る〝都政城〟を明け渡した。汚名を着た歴代都政城の跡目を小池知事が継いだ。当初、オリ・パラのボート、水泳など開催予定の競技場問題、築地移転予定の豊洲市場の環境・衛生問題などで、先々代の前の石原知事の不始末まで遡るかと見せた、が…。
顧みれば小池都政4年の功績は何だったろう。
築地のネズミ退治に何らかの戦果を挙げたろうか。小池百合子戦法は、初発は撹乱が効くかに見えた。衆議院選挙では「分断と排除」戦法で、国政への野望もご開帳に及んだ。思えば、都民ファーストはまさに初発だけだった。3代前の石原都政を引継ぎ、〝都民ラスト〟・〝デベロッパー・ファースト都政〟へ見事に立ち戻った。
首都東京は、オリンピック選手村開発=「晴海フラッグ」の〝大出血サービ〟に象徴されるように、臨海部にカジノも誘致し、中央、港、千代田の都心区、さらに大崎、新高輪、渋谷、新宿、池袋など主要ターミナル開発を大手金融・不動産・ゼネコンなどデベロッパー軍団がオリ・パラ開催リズムに合わせ、〝濡れ手に粟〟宜しく。〝開発ロンド〟を舞う。
都政は都営交通、上・下水道などの都民インフラを都開発軍団のインフラに衣替えされる。内開府も特区開発メニューを拡げ、都民の声を聴く術すら奪う。
こんな都政はご免だ。

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同会のホームページは、下記URL。同会の中心メンバーが、地道に各野党をまわって、統一候補の擁立に努力している様子がよく分かる。

https://www.yobikakenintokyo.com/

傍観しているだけでなく、ぜひあなたも下記のURLから、野党共闘候補者の擁立に賛同の意思表示を。

https://www.yobikakenintokyo.com/ご賛同のページ/

(2020年5月26日)

卒業式は、日の丸掲揚・君が代斉唱儀式ではない。

本日(3月31日)は、「日の丸・君が代」強制に抵抗する諸運動体による、恒例の「卒業式総括集会」だった。

悪名高い「10・23通達」が発せられて以来、17度目の憂鬱な春である。本来胸おどる卒業式・入学式の希望の季節が、日の丸・君が代強制と思想弾圧の季節と化して17星霜を数える。

当初は、極右の知事石原慎太郎の特異なキャラクター故の暴走と考え、この知事さえ交替すればと思っていたのが甘かった。石原後継の知事も、保守の中では良識派と見えたその次の知事も、そして、ダイバーシティを口にする自分ファースト現知事もこの異様な事態をなんとも考えてはいないのだ。精神の自由についても、教育が権力の支配に服してはならないとする基本理念にも、なんの関心もない。歴代の凡庸なお飾り教育委員たちも同様なのだ。

そうこうしているうちに、安倍晋三が国政に君臨するようになった。こういう歴史修正主義者であり復古主義者でもあり、憲法に敵意を剥き出しにする輩を国政のトップに押し上げる勢力が幅を利かせる時代なのだ。次第に、日の丸・君が代を強制している、われわれが闘う相手の大きさが見えてきた。

日の丸・君が代強制勢力にとっは、大きな抵抗にぶつかって、思うようにはその思惑の進捗はない。しかし抵抗するわれわれも、日の丸・君が代強制を阻止し得ていない。事態が膠着した状況で17年目の春を迎えている。

本日の集会での現場からの報告によれば、今年の都立校の卒業式はコロナ対応に追われたものだったという。それでも、知事と教委は、「国歌斉唱」の実行にこだわった。

2月26日に、各校長に対して、「新型コロナウィルス感染症に関する学校における対応について(通知)」が教育長名で出された。以下のとおり、卒業式に関しては、「参列者の制限及び時間短縮」が述べられている。

1 令和元年度卒業式の実施
(1)参列者の制限及び時間短縮
 ア 参列者の制限
   附属中学校、中等教育学校及び高等学校においては、保護者及び来賓は参加せず、教職員、卒業生及び式に関係する在校生とする。
   特別支援学校においては、来賓は参加せず、教職員、卒業生及び関係する在校生並びに介助を必要とする児童生徒等の保護者とする。
 イ 時間の短
   知事メッセージと都教育委員会挨拶は校内に掲示するとともに、卒業生に配布する。なお、卒業式の挨拶業務に係る都教育委員会からの派遣は行わない。
   祝電は掲示のみとし、祝電の披露は行わない。

翌27日には、都教委から各校に卒業式の式次第からカットする項目の例示がメールで送信され、各校では都教委からの指示に基づき、式次第の手直しがされた。

更に28日、都教委は「更なる感染防止拡大」のため卒業式は「参列者の制限や時間の短縮により実施」とする「新型コロナウイルスに関する都内公立学校における今後の対応(第49報)」を発表するとともに、「卒業式における国旗・国歌に関する調査の実施」に関わって、同日立て続けに二つの事務連絡を各学校長宛に出した。

この経過と「二つの事務連絡」については、下記の当ブログを参照されたい。

生徒たちへのコロナ感染防御よりも、「日の丸・君が代」強行が大切なのか。
http://article9.jp/wordpress/?p=14522(2020年3月19日)

国旗を「式典会場内掲揚せず」や国歌「斉唱せずメロディも流さず」を不適切な状況として取り扱わない」とした「事務連絡①」と、「都立高校における国旗国歌の取り扱いについては『国旗掲揚の下に、体育館で実施する。』『国歌斉唱を行う。』という方針に変更ありません。」という「事務連絡②」は明らかに矛盾している。コロナ対応に追われる中で、都教委の職員の間に認識の違いや混乱があったことは間違いない。

このような都教委の指示によって、都立高校では様々な式次第で卒業式が実施された。
保護者代表謝辞、都教委挨拶、祝電披露は全ての学校でカットされた。
校歌斉唱、卒業生代表答辞、在校生代表送辞、式歌(卒業の歌)斉唱については、各学校の判断に任された。
結局、①国歌斉唱、②校長式辞、③卒業証書授与だけは、カットを許されず、この3点のみに縮小して式を実施した学校が多くあった。中には、卒業証書授与の際の呼名までカットした学校もあった。

 コロナ対策としての飛沫感染防止を目的に校歌や式歌をカットしながら、国歌だけは斉唱するという異様な式が行われた。今年の卒業式は、生徒や教職員の命や健康よりも国旗掲揚や国歌斉唱を優先する都教委の異常さを浮き彫りにした。

卒業式は、国旗を掲揚したり国歌を斉唱したりするために行われるわけではない。生徒のための卒業式を取り戻すために、「10・23通達」を撤回させる取り組みを今後もあきらめず続けていかなければならない。そのような決意を新たにした集会だった。
(2020年3月31日)

都教委よ。なによりも大事なものが「日の丸・君が代」だというのか

いつもながらの安倍晋三「やってる感」演出の印象操作。この度のパフォーマンスは国民生活への影響多大な全国一律休校要請。そのテンヤワンヤの影響が、全国各校の卒業式にも及んでいる。しかし、この期に及んでなお、東京都内での「日の丸・君が代」強制へのこだわりぶりが恐ろしい。

東京都教育委員会は、先月(2月)28日、「新型コロナウイルスに関する都内公立学校における今後の対応」を公表した。

これによると、「1 都立学校の基本方針」を次のように言う。

「先般、都としては、今後、3週間程度を集中対策期間とし、更なる感染防止拡大に向け、時差通学の実施や春季休業期間の前倒しなどに取り組むこととしたところである。
 この度、国が方針を変更し、全国一斉の休校を行うこととしたため、都としても、これを踏まえ、原則として3月2日から春休みまでの間、休校とする。」

まったく自主性に欠けた、情けない中央追随主義。そして、その故に安倍の場当たり方針変更に振り回されるみじめな実態というほかはない。その基本方針のもと、「2 休校に伴う課題への対応」が記されているが、卒業式については以下の2行のみである。

「(2)卒業式
 参列者の制限や時間の短縮により実施」

可及的に感染の機会を低減しようとするなら、授業だけでなく卒業式も取りやめればよい。そうすれば、政権への忖度の姿勢を見せるメリットもある。とは言うものの、教育の役割や児童・生徒の心情に思いをいたせば、卒業式をやめるとまでは言いにくい。それ故の「参列者の制限や時間の短縮による卒業式実施」なのであろう。それはそれで、理解できなくもない。問題はその具体化だ。

「参列者の制限」としては、議員や地域の名誉職を呼ぶのはやめよう。教育委員会事務局からの指導主事など「日の丸・君が代」実施の監視要員も不要だ。「時間の短縮」のためには、まずは君が代斉唱をやめよう。紋切り型の式辞の類も一切不要だ。生徒が学窓の想い出と将来への決意を語り、教員がそれを励ます、生徒と教員を中心とした簡素な集いでよい。3年間の教育の成果を確認する感動的な卒業式は、「参列者の制限と時間の短縮」でより濃密になるだろう。

ところが、現実にはそうなっていない。公表の限りでは、「休業中の卒業式は『31教総務第2347号』に基づいて実施する」とされているが、この通達は見あたらない。

複数の友人からの報告によれば、以下のとおり東京都教育委員会は、「式次第から校歌、卒業生の歌、保護者式辞などを省いても『君が代』斉唱だけはやる」との方針であるという。生徒のための式ではなく、国家のための卒業式の色彩が濃くなっている。本末転倒も甚だしい。

報告その1
卒業式は時間短縮で、保護者、在校生、来賓は感染防止のため出席させないにもかかわらず、式次第に『国歌斉唱』だけはある。校長も、通達があるからどうしようもないと言っている。都民の声として挙げてもらえたら。

報告その2
卒業式の件ですが、私の勤務校では「短縮化」と言いながら、「国歌斉唱」のみ従来通り強行という内容です。何だかんだで「君が代」だけやればいいという教委の目的が浮き彫りになった感じです。
管理職はセンターの担当に「証書の授与だけではよくないのか?」と質問したそうだが、「(国歌斉唱は)必ずやってください」と言われたとのこと。
式の進行概要は以下の通りで、前日の予行は中止です。
① 卆業生入場、②「君が代」斉唱、③証書授与(呼名+代表生徒への授与)、④校長式辞、⑤卒業生退場

報告その3
以下の内容で、都民の声にメールしました。
————————–
都立高校の卒業式は、新型コロナウイルス対策のために、校歌斉唱や式の歌を省略して実施することになりましたが、君が代の斉唱は行うことになっています。感染防止のために斉唱を取り止めたのなら、君が代の斉唱も取り止めるべきではないでしょうか。卒業生の健康や命より、君が代の方が大事にされるのはどう考えても間違いだと思います。
なぜ君が代斉唱を行わなければならないか、理由を教えてください。説明を求めます。

都民の声の窓口の FAX 03-5388-1233
ハガキ 〒163-8001 東京都庁「都民の声総合窓口」
都民の声課
https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/iken-sodan/otoiawase/madoguchi/koe/tominnokoe/index.html

(2020年3月7日)

嫌いな言葉は「愛国心」。「真の愛国者」はなおさらいけない。

嫌いな言葉は山ほどある。なかでも、「愛国」「愛国者」「愛国心」はその最たるもの。憂国・国士・祖国・殉国・忠義・忠勇など、類語のすべてに虫酸が走る。「真の愛国者」は、なおいけない。生理的に受け付けない。

パトリオティズムやナショナリズムと横文字に置き換えても同じことだ。パトリオティズムは理性の香りあるものとして肯定的に、ナショナリズムは泥臭く否定的に語られることが多いが、大した変わりはない。どちらも胡散臭さに変わりはない。どちらも、個人よりも国家や民族などを優越した存在として美化するもの。まっぴらご免だ。

辟易するのは、「愛国」とは倫理的に立派な心根であると思い込んでいる多くの人びとの押し付けがましい態度である。この愛国信仰者の愛国心の押し売りほど嫌みなものはない。夫婦同姓の強制、LBGTへの非寛容などとよく似ている。要するに、過剰なお節介なのだ。

国家や社会にゆとりがあるときには、「愛国」を叫ぶ者は少なく、邪悪な思惑による愛国心の鼓吹は国民の精神に響かない。愛国心の強制や強調が蔓延する時代には、国家や社会にゆとりがなくなって、個人の尊厳が危うくなっているのだ。とりわけ、政治権力が意図してする愛国心の鼓吹は、国家や社会が軋んでいることの証左であり警告なのだ。まさしく今、そのような事態ではないか。

為政者にとって最も望ましい国民とは、その精神において為政者と同一体となった国民,それも一つの束となった国民である。為政者は国家を僭称して、国民を愛国心の紐で、ひとつの束にくくろうと試みる。それさえできれば、為政者の望む方向に国民を誘導できる。そう。戦争の準備にも。場合によっては開戦にも。

国民の「愛国心」は、易々と為政者の「国家主義」に取り込まれる。あるいは、国家主義が愛国心を作り出す。愛国心に支えられた国家主義は、容易に排外主義ともなり、軍国主義ともなる。結局は、大日本帝国のごとき対外膨張主義となるのだ。愛国心とはきわめて危険なものと考えざるを得ない。

もうすぐ東京五輪である。ナショナリズムとナショナリズムが交錯して昂揚する一大イベント。どの国の為政者も、この場を利用しようとする。国旗国歌が輻輳 する空間が生まれる。旗や歌がもつ国民統合の作用を最大限利用しない手はない。どの為政者もそう考えて実行する。

日の丸が打ち振られる。あの戦争のときのように。今度は旭日旗までがスタジアムに登場するという。形を変えた、擬似戦争であり、ミニ戦争である。

今のままでは、安倍政権下、小池百合子都政が、東京五輪の主催者となる。世が、あげて東京都五輪礼賛であることが、まことに不愉快極まりない。

山ほどある嫌いな言葉に、もう少し付け加えよう。「東京五輪」「日本選手を応援しよう」「日本チームの奮闘が素晴らしい」「日本の活躍が楽しみですね」…。
(2019年9月16日)

1923年住民による国恥と、2019年都知事による国恥と。

本日(9月1日)、は「防災の日」であるとともに、私が名付けた「国恥の日」。
東京都墨田区・横網町公園において、しめやかに「関東大震災96周年 朝鮮人犠牲者追悼式典」が挙行された。同公園内の「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」前に、心ある多くの人が参集して、理不尽な非業の死を余儀なくされた朝鮮人・中国人虐殺犠牲者の無念を思い、しめやかに追悼の意をあらわした。

恒例の行事ではあるが、我が国の世論が政権とメディアによって、いびつな「反韓・嫌韓」の方向に煽動されているこの時期、日韓関係の根底をなす歴史を想起するために格別の意味づけをもった式典となった。

「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」は、1973年に都議会全会派の賛同で設置されたものである。以来、追悼式典は毎年行われ、歴代知事が追悼文を送付してきた。あの右翼・石原慎太郎でさえも、である。しかし小池百合子現知事は、就任翌年の2017年追悼文送付を意識的に中止した。そのきっかけは、「朝鮮人虐殺はデマ」派の極右・古賀俊昭都議(日野)による、都議会での追悼文送付やめろという質疑だった。悪質極まりない、デマとヘイト本をネタにしてのものである。

知事の追悼文送付拒否の理由は、「毎年9月と3月に全ての犠牲者への哀悼を表明している」ということにあるが、なぜこれまで続けてきた追悼文送付を突然にやめたのかの理由になっていない。

震災による自然災害死と、おぞましい民族差別感情の赴く結果としての虐殺被害とを、「全ての犠牲者」として、ことさらに同一視し相対化してはならない。その意味も、教訓も、対策もまったく異なるのだ。

小池知事の追悼文送付拒否の理由には、これまで当然のこととして意識されてきた、「住民の自然災害死」と「在日朝鮮人・中国人の虐殺被害」との大きな落差をことさらに糊塗しようという意図が透けて見える。関東大震災時におけることの重大性は、官民一体となっての他民族虐殺にある。とりわけ、自警団という名の住民組織が殺人者集団となって、民族差別意識のもと、朝鮮人・中国人を故なく拘束し、拷問し、あるいは刺殺し、あるいは撲殺したのである。このおぞましい歴史的事実を、我々は負の記憶として忘れてはならない。

だから、1923年9月1日は「国恥の日」として記憶され続けなければならない。これを忘却の彼方に追いやろうというのが、おぞまいしい小池知事の姿勢なのだ。この知事の言動は、明らかに過去から現在にまでつながる我が国の対朝鮮、対中国の民族差別を糊塗し、虐殺・加害の歴史を風化させようと意図するものというほかはない。このような人物を首都の知事としていること自体が、過去の国恥ではなく、現在の国恥というべきではないか。東京都知事を変えたい。変えねばならない。常識的な歴史感覚を持つ人物に。あらためて強くそう思う。

本日の追悼式の次第は以下のとおりであった。
司     会         日朝協会東京都連合会 墨田支部長 小島 晋
開式のことば   関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員長
          日朝協会東京都連合会会長 宮川泰彦
読     経         浄土真宗本願寺派僧侶・東京宗教者平和の会事務局長
          小 山 弘 泉
鎮 魂 の 舞  韓国無形文化財第92号太平舞保存会日本東京支部長
         金順子韓国伝統芸術研究院代表 金 順子
各界追悼の辞
         関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会
          事務局長 田中 正敏
亀戸事件追悼会実行委員会副実行委員長 榎本喜久治
         朝鮮総連東京都本部 副委員長 李 明宏
         日本共産党東京都議団 畔上三和子
         日本平和委員会 事務局長 千坂  純

追悼メッセージ
         元衆議院議長         河野 洋平
         カトリック東京大司教区大司教 菊地  功
         法政大学総長         田中 優子
黙    祷
閉式のことば
        日本中国友好協会東京都連合会理事長 中川太
献    花

 

本日、参列者に配布された実行委員会の式次第には日朝の友好とアジアの平和と安定のために」とのタイトルで、解説記事が記載されている。その一部を引用しておきたい。

あの時 何が起きたかー関東大震災に乗じた虐殺
「1923年9月1日の関東大震災では、その直後から『朝鮮人が井戸に毒を流した』、『朝鮮人が攻めてくる』などの流言が人々の恐怖心をあおりました。朝鮮人への差別や、三・一運動以後の民族運動の高揚に対する恐怖が流言発生の背景であったといわれています。政府は直ちに軍隊を出動させ朝鮮人を検束し、『不逞』な朝鮮人に対し『取締』や『方策』を講ずるように指令を出し、流言を広げました。軍隊や民衆などによって多くの朝鮮人や中国人等、社会主義者をはじめとした日本人が虐殺されました。」

真相究明と謝罪求め
「自警団など民間人による虐殺については型どおりの裁判が行なわれたのみで、軍隊など国家が関わった虐殺は不問に付されています。戦後に調査研究と追悼の運動が進められ、2003年には日弁連が真相究明と謝罪を国家に勧告しましたが無視されています。国家が調査と謝罪を行ない、虐殺事件への真の責任を取ることが、いま求められているのです。」

追悼碑建立の経過 ※1973年当時石版に刻んだもの
「1923年9月に発生した関東大震災の混乱のなかであやまった策動と流言蜚語のため6千余名にのぽる朝鮮人が尊い生命を奪われました。私たちは、震災50周年をむかえ、朝鮮人犠牲者を心から追悼します。この事件の真実を知ることは不幸な歴史をくりかえさず民族差別を無くし人権を尊重し、善隣友好と平和の大道を拓く礎となると信じます。思想・信条の相違を越えてこの碑の建設に寄せられた日本人の誠意と献身が、日本と朝鮮両民族の永遠の親善の力となることを期待します。
1973年9月 関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑建立実行委員会」

  碑 文
  この歴史
   永遠に忘れず
  在日朝鮮人と固く
  手を握り
  日朝親善
   アジア平和を
  打ちたてん
        藤森成吉
(2019年9月1日)

この悲劇 繰り返しはせぬ ― 朝鮮人犠牲者追悼式典にご参加を

関東大震災96年 朝鮮人犠牲者追悼式典
日時 2019年9月1日(日) 午前11時~
都立横網町公園(東京都墨田区横網2丁目3番25号)
 交通 JR総武線「両国駅」西口 徒歩7分 
    都営地下鉄・大江戸線「両国駅」A1出口 徒歩2分

 1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災による大混乱・不安の中で「暴動が引き起こされている」「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が襲ってくる」などといった流言飛語が飛び交い、軍・警察・自警団など人の手によって多くの朝鮮人・中国人そして日本の社会運動家が虐殺されました。
 しかし、政府は今もなおこの事実を明らかにせず、加害責任を自覚さえしていません。アジアの平和と安定に寄与することを願い、震災における犠牲者の追悼とこのような歴史を繰り返さない決意をこめて追悼式典を開きます。

 主催 9・1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会
     (事務局 日朝協会東京都連合会)

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 9月1日に東京都内で営まれる関東大震災(1923年)の朝鮮人犠牲者の追悼式典をめぐり、実行委員会が8日、小池百合子東京都知事に宛てて、式典に追悼文を送るよう求める要請文を提出した。小池氏は2年続けて送付を見送っており、取材に対して「昨年と同じ」と話し、今年も送付しない考えを示した。(8月9日 朝日)
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今年も9月1日が近づいている。私が名付けた「国辱の日。1923年9月の関東大震災後に、日本人が無辜・無抵抗の朝鮮人・中国人を集団で虐殺した、その虐殺事件を国辱と呼んでいる。今なお、「そのような虐殺事件はなかった」「朝鮮人の暴動が先行した」という歴史修正主義者たちが、国辱の上塗りをしているのが情けない。

その国辱上塗りグループに加担しているのが小池百合子・東京都知事。今年も、9月1日の朝鮮人慰霊式典に知事は追悼文を送らないという。このポピュリスト政治家は、追悼文など送らなくても次の知事選には影響がない、そう高をくくっているのだ。

東京・横浜だけでなく、関東全域に無数に組織された「自警団」という「普通の日本人集団」が、無抵抗の人々を撲殺したり刺殺したのだ。この無理無体は、到底文明人のできることではない。その野蛮極まる集団虐殺行為を「国辱」と言わざるを得ないではないか。

先日、この件について詳しいジャーナリスト・加藤直樹氏の講演を聞いた。語り口が明快で分かり易く説得力に富む内容だった。その彼が、講演の最後に、なぜ当時の日本人が朝鮮人を殺せたかについて、「三つの論理」を述べた。これが印象に深い。

三つの論理とは、差別の論理」「治安の論理」「軍隊の論理」だという。
「差別の論理」とは、当時の日本人が抱いていた朝鮮人に対する差別観である。日本人の根拠のない優越意識、謂われのない蔑視の感情が、容易に朝鮮人の人格の否定にまでつながる社会心理を醸成していた。

次いで、治安の論理」である。このとき、朝鮮現地での3・1独立運動の大きな盛り上がりから4年後のこと。日本人は、蔑視だけでなく、朝鮮人に対する「反抗者」としての恐怖の感情も併せ持っていたであろう。朝鮮人に対する、過剰な警戒心をもっていたであろう。

さらに、軍隊の論理」である。市井の人が殺人を犯すには、あまりに高いハードルを越えなければならない。しかし、軍隊の経験を経ている者は、人を殺すハードルを乗り越えている。自警団の中心にいたのは、実は在郷軍人会など元軍人であった。しかも、彼らは、シベリア出兵(1918~)、3・1独立運動弾圧(1919~)、間島出兵(1920)など、ゲリラ掃討の名目で住民虐殺を経験してきたのだという。

あらためて、次の言葉を噛みしめる。

 一人一人の兵士を見ると、みんな普通の人間であり、家庭では良きパパであり、良き夫であるのです。戦場の狂気が人間を野獣にかえてしまうのです。このような戦争を再び許してはなりません。(村瀬守保)

 いったん戦場の狂気に囚われた多くの人が、戦場から離れて日常生活に戻ったあとに、非常時の「狂気」によって再びの「野獣」に化したということなのだろう。

 「差別の論理」「治安の論理」「軍隊の論理」は、いずれも戦争を準備する「論理」として、平和のために克服しなければならない。とりわけ、日韓関係が軋んでいる今なればこそ。

心ある人びとに、9月1日の朝鮮人犠牲者追悼式典ご参加を呼びかけたい。
(2019年8月21日)

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