本日「国恥の日」に、あらためて虐殺された朝鮮人犠牲者を悼む。
(2021年9月1日)
8月か終わって本日より秋9月。冷たい雨のそぼ降る肌寒い日となった。9月1日の「国恥の日」にふさわしい陰鬱な天候。
1923年の関東大震災の勃発から98年となる本日、震災の被害を象徴する場所である旧陸軍被服廠跡地に建立された横網町公園(墨田区)の都慰霊堂で、都慰霊協会主催の犠牲者追悼法要が営まれた。同時に同公園で「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」(日朝協会都連などで作る実行委員会が主催)も開かれた。
都慰霊協会主催の犠牲者追悼法要では、都知事小池百合子の追悼の辞を武市敬副知事が代読した。「私たちには災害や戦争の記憶を風化させることのないよう次の世代に語り継いでいく重要な使命がある」との趣旨だったという。小池に聞きたい。「災害の何を、戦争の何を、なんのために、どう次の世代に語り継いでいくべきというのか」と。
まずは戦争である。まさか侵略の栄光や国威発揚、軍人の勇敢さや国に殉じた勲功を語り継ごうということではなかろう。全国民の体験であった戦争の悲惨さを語り合い語り継ぐことこそが、どうしたら再びの戦争とその惨禍を防止することができるかの真剣な議論の出発点である。戦争は人間が起こしたことだ、戦争の悲惨さを全国民が共有することで、戦争を防ぐことが不可能なはずはない。
そして、人間が起こした戦争には反省と責任が論じられなければならない。戦争は国家の意思として準備され、遂行され、絶望的な戦況に至ってもなお国民多数の犠牲が強いられた。戦争を語り継ぐことは、戦争を準備し起こし長引かせた者についての反省と責任を語り継ぐことでもある。
災害はどうだろうか。自然災害の悲惨な記憶を風化さずに次の世代に語り継いでいくことは、災害への備えについての教訓を忘れずに伝えることである。自然の動きを止めることはできないが、その被害を軽減することは可能なのだ。
では、1923年9月1日の震災に端を発した、軍と警察と民衆が数千人規模の朝鮮人(中国人も犠牲になっている)を虐殺した「国恥」というべき事件についてはどうだろうか。これは自然災害ではない。明らかな犯罪である。被害者と加害者が存在するのだ。被害者を追悼するだけでなく、加害の側の反省と責任を明確にしなければならない。殺害された朝鮮人被害者を震災の被害者と同列に置くことは、反省を忘れ加害者を免責することになる。
小池は、「私たちには震災の際に、無辜の朝鮮の人々を虐殺した傷ましい過去と向き合わねばなりません。その加害の事実から目を逸らさず、加害の記憶を風化させることのないよう次の世代に語り継いでいく重要な使命があります」というべきであった。
しかし、小池はそうは言わない。ならば、せめては「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」に歴代知事が寄せていた追悼文を送るべきであったが、ことさらにそれもしない。今年で5年連続となる。歴史修正主義者と面罵されて返す言葉もあるまい。
「国恥」の一面は、この冷厳な歴史的事実を認めようとせず、歴史からこれを抹消しようという策動が続いていることだ。そして、今日に至るまでその策動を克服し得ていない。あれから98年経った今なお、この歴史の隠蔽・修正という「国恥」は続いている。その現在の「国恥」を象徴する人物が小池百合子(都知事)である。小池は「朝鮮人虐殺の事実などは風化させ、できることなら忘れてしまおう」と言っているに等しい。このような人物を首都の知事にしていることこそが、現在の国民の恥辱という意味での「国恥」にほかならない。