澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

韓国にもあったスラップ訴訟ーカンジョン村の海軍基地反対闘争に学ぶ

済州島(チェチュド)は東西に広い楕円の形をなしている。その島の北半分が済州(チェジュ)市であり、南半分が西帰浦(ソギポ)市となっている。この島の最南部に、韓国海軍が大きな軍港を建設した。軍艦だけでなく、15万トンの超大型客船2隻が同時に寄港できるという規模の「軍民複合型観光美港」との触れこみだった。この基地建設に地元の反対運動が息長く続いている。しかも激しく。

地図を見ても、この軍港は書き込まれていない。元来が軍事基地とはそのようなもので、うっかり基地の写真を撮るとトラブルになると教えられた。この基地が建設されたところ、そして反対運動の拠点が、カンジョン(江汀)村である。必ずしも水に恵まれないこの島で、水が豊富なことが地名のゆかりだという。農業にも漁業にも恵まれた土地柄。行政区分は、済州道(チェチュド)西帰浦市(ソギポ)カンジョン村である。

2007年4月に、突然この地が基地の候補地とされたのは、ここなら抵抗運動もあるまいと侮られたからのようだ。同年8月村民は、当時の村長を解任し、基地建設に反対の立場のカン・ドンギュン氏を新村長に選任した。その直後の海軍基地建設の是非を問う住民投票では、賛成36、反対680だったという。以来、村民の反対運動は粘り強く継続されている。にもかかわらず、政府と軍は、基地建設を強行した。この点、辺野古とよく似ている。

建設現場の海岸には、住民の心のよりどころだったクロンビ岩という自然の名物があった。長さ1.2kmにもおよぶ巨大な玄武岩の一枚岩。20カ所もの泉が湧き出し、様々な絶滅危惧種などが生息する貴重な生態系があるとして、韓国の天然記念物保護区域やユネスコの生物圏保全地域に指定されていた。またここは住民たちの祈りの聖地として大切にされてきたところであり、貴重な歴史的文化遺産の場所でもあった。ここがダイナマイトで爆破され、海軍基地となったのだ。

地元住民や全国の平和団体が熾烈な反対運動を繰り広げたが、2016年2月、基地は完成した。政府は住民や団体員9人を「北朝鮮を利する行為」として国家保安法で起訴した。

それだけではない。政府は運動体にスラップ訴訟を提起した。工事遅延による損害賠償として34億ウォンを要求して民事訴訟を提訴したのだ。このことが私の最大の関心事。以下は、昨年(2017)年1月31日付ハンギョレ新聞記事の日本語訳である。

「竣工当時、朴槿恵(パク・クネ)大統領は「地域社会と共生し和合する意味深い契機となることを願う」と述べた。しかし、海軍はサムスン物産が工事遅延による損失賠償金を要求すると、273億ウォン(約27億円)を弁償し竣工式から1カ月後に住民と村会など個人116人と5団体を相手に34億5千万ウォン(約3億4千万円)の求償権を請求し、住民たちに不意打ちを食わせた。

 海軍基地建設過程で住民たちに大きな傷を負わせた政府は、葛藤の解消どころか住民の怒りをさらに膨らませている。与野党国会議員165人が昨年10月、「政府が国民との訴訟を通じて主権者である国民を苦痛の崖っぷちに追いやることがあってはならない」とし、求償権の撤回を要求する決議案を提出した。ウォン・ヒリョン済州道知事と済州道議会はもちろん、済州地方弁護士会まで立ち上がり求償権の撤回を建議・要求したが、政府の態度は微動だにしない。「国策事業に反対するとどうなるのか見ておけ」と、国民に“警告”するかのようにだ。」

「『国策事業に反対するとどうなるのか見ておけ』と、国民に“警告”する」提訴がまさしく、スラップ訴訟なのだ。これが朴槿恵政権下の事態であった。

文在寅(ムン・ジェイン)政権となってから、空気は大きく変わっている。昨年(2017年)12月、国はこのスラップ訴訟を取り下げた。また、個人加盟の平和団体「平和と統一を開く人々」の、国家保安法違反で起訴事件は、昨年12月、最後の一人が無罪判決を勝ち取り、9人全員の無罪が確定したという。

反対運動は、まだ続いている。このことがすごい。3月27日正午、私たちピース・ツアー一行も参加して、基地前の路上で集会が開かれ、デモ行進が行われた。人数は、50?60人くらいだろうか。女性が多い。子ども連れもけっこういる。白人もイスラム教徒も混じっている。大きな音響で音楽を流し、大声で歌を唱い、幟を振り、踊るような行進。そして、基地のゲートの真ん前で、みんなが踊り始めた。弾けるような明るいリズムの踊り。これはいったい何なのだ。面食らうような雰囲気。私は、大きな赤いカニを描いた旗を振りながら、踊りの輪を見つめているだけ。基地の警備は、じっとこちらを見ているが、何も言わない。何もしようとはしない。ひとしきりの平和を願う歌と踊りの後、デモは引き上げた。

ひとりの女性が、片言の英語で話しかけてきた。「私たちは、日曜を除く、毎日毎日このパフォーマンスを続けてきました」「これまで、もう何年も。そしてこれからも」。なんと返事をすればよいのだろうか。「あなた方を支持します」「平和のために連帯しましょう」。お互い英語は下手だが、気持は通じ合ったように思う。

なるほど、歌と踊りなのだ。長い闘争だ。難しいことばかり、苦しいことばかりの運動では続かない。はじけるように、唱って踊ることが大切なのだ。自分を励まし、仲間との連帯を確認するのだ。今は、基地の拡張や、関連施設を作らせない闘いが方針だという。ここに、着実に粘り強く闘い続ける人たちがいる。
(2018年4月5日)

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