澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

憲法と落語(その2) ― 「帯久」にも公正な裁判を受ける権利がある

「帯久」という演目は寄席では聞けない。なにしろ長い噺だ。くすぐりや笑いは殆どない。サゲも面白くない。これを聞かせるのが、話者の力量。

もとは上方噺。米朝が得意としていたという。これを享保年間の江戸の噺に移し替え、名奉行大岡越前の裁きとしたのは圓生(六代目)だという。いま、志の輔や円窓が独演会で演るそうだが、私は圓生百席のCDでしか聞いたことがない。

このCDの語り口が実にみごとで、ついつい聴きほれてしまう。聞き手の心理は、圓生の意図のとおりに操られて、それがまた心地よい。結末の大団円に違和感なく、後味の良さまで感じさせるのが名人芸。だが、ストーリーを反芻してみると、これは実にイヤな噺なのだ。ルールなきお白州の裁き。奉行の思い込みによる強引な訴訟指揮と判決。法にも証拠にも基づかない、およそ公正さを欠いた偏頗な結論なのだ。

この噺、別名を「指政談」という。「政談」とは訴訟を題材にした話のことだが、まさしく本格派政談。刑事事件と民事事件とがごっちゃになったお白州もの。圓生の噺のなかには、「民権のなかった時代のことでございます。原告・被告が砂利の上に控えております」などという描写が出てくる。

なぜ「指」か。自白強要の手段として指への細工が施される。奉行は紙片で帯屋久七の人差し指と中指を結んで糊付けて封印し、「この封印を破れば死罪」と脅して、自白を強要する。その奉行の「知恵」から名付けられた「指政談」。ここが一番イヤなところ。

この噺は、「享保五年の春、日本橋本町四丁目に和泉屋与兵衛という呉服店があり、二丁目には、帯屋久七さんという呉服屋さんがございました。」から始まる。「帯久」とは、帯屋久七という呉服屋。これがスコブル付きのいやな奴、悪玉という設定。対する和泉屋与兵衛が、これ以上はないという善人。

この二人の商売の盛衰と人間関係の葛藤が語られた後に、犯罪が起こる。「火付け」である。現住建造物放火(但し、未遂)の重罪。犯行に及んだのは、悪玉の帯久ではなく善人の与兵衛である。悪玉帯久は火を付けられた被害者の側。「善人」の犯罪をどう裁くか。何ゆえに刑罰が必要か、刑罰の本質とはなにかを考えさせる素材でもある。

火付けの動機に長い話しがある。当初は、和泉屋が繁盛を極め、帯屋は「売れず屋」と異名をとるほどの窮状。帯久は、与兵衛に金を借りに来る。最初は20両。これを返済した後30両、次いで50両、70両と金額は増えるが、与兵衛はいやな顔をせずに無利子で金を貸し、酒肴のもてなしまでする。そして11月、貸金の額は100両となった。

その年の大晦日。帯久は和泉屋に返済金100両を持参する。しかし、忙しい年の瀬、100両の金は与兵衛に見せはするが、与兵衛は受けとる前に座を外し、結局帯久はこれを懐にして帰宅する。この100両、与兵衛は自分の落ち度として、帯久への追求を断念する。

年が明けて享保六年、この二人の運が逆転する。帯久は、浮いた100両を使って売り出しの景品として、繁盛のきっかけをつかむ。一方、与兵衛は娘を失い、妻を亡くし、大火で店を失い、大病を患う。そして10年。与兵衛は零落した身で、帯屋の戸を叩いて、いささかなりともの借金を申し込む。自分を世話している元番頭の商売の元手を都合していただきたいという要請。ここが悪役帯久の見せどころ。にべもなく断るだけでなく、キセルで与兵衛の額を割って表に放り出す。

絶望した与兵衛は、死ぬつもりで帯屋の庭の松の枝ぶりを探しているうちに、普請場の鉋屑が目にとまる。ええい腹いせにと、これに火を付けたが大騒動の始まり。さいわい、火は消し止められるが、与兵衛は取り押さえられる。昔を知る町方は、内々に済ませようとするが、帯久が町奉行に訴え出て、ようやくにお白州の場面となる。事件を語らずして訴訟は語れないのだ。

訴え出たのが帯久だがこれは、被疑者与兵衛に対する火付けの告発のようなもの。火付けの動機についての調べの中で、百両のカネの返済の有無が問題となる。この民事事件に関しては、帯久は被告の立場。

大岡越前は、いたく権高い。エラそうなのだ。再三、帯久に「そちは、100両返したつもりで、実は返し忘れたのであろう」と誘導するが、帯久は断固として否認する。そこで、奉行は「思い出すためのマジナイ」として、右手の指2本を括って封印するのだ。

これでは、箸も持てない。眠れない。帯久は三日目に音を上げて「思い出しました。10年前、確かに100両借りて返し忘れていたに相違ありません」。で、100両返済することになった。だけでなく10年分の利息150両も支払えと命じられる。合計250両のうち、即金での支払いが200両、残額50両については、毎年1両、50年の年賦での支払いと和解成立し、その旨の証文が交わされる。

これで民事事件は終了。その上で、刑事事件の判決言い渡し。「和泉屋与兵衛。その方の火付けの罪軽からず。火あぶりの刑を申しつくる」「但し、刑の執行は奉行が仲立ちした50両の年賦支払いが完了した後とする」で、お開き。なお、このとき与兵衛は61歳という設定。50年先は111歳となる。

民事事件で、裁判官が被告に自白を強要するなどは言語道断。しかも、そのやり方がムチャクチャ。裁判の公正などはない。刑事事件としては、適正手続の観念がない。法治を曲げて、人治の極み。

本来、事実認定は、小さな間接事実を積み上げることで行われる。本件では、問題の大晦日のあとの帯屋の財務状況好転の原因に関心がもたれなければならない。暮れまであれ程苦しかった帯屋の台所が、新春には一転して豊かになった。そのカネの出所の追求が重要。裁きは、事実に謙虚でなくてはならない。

すべての人がもつ人権だが、もともと弱いもの。権力によっても経済力によっても社会的な多数派によっても、容易に傷つけられる。傷ついた人権を救済するのが、裁判の役割である。憲法32条は「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」と定める。ここには、人権の砦としての裁判所が想定されているのだ。「帯久は悪人だから人権はない」などと言ってはならない。火付けの与兵衛ともども公正な裁判を受ける権利が保障されなければならない。

大岡越前は、本来が行政官僚。江戸の治安行政のトップという立場にある。これでは、権力によって傷つけられた人権を救済することはできない。また、裁判の過程で、裁判官が人権侵害をしてはならない。刑罰を定める法も、訴訟手続の法も厳格に守られなければならない。

個別事例の具体的妥当性で、結果オーライとしてはならない。「帯久」がよくできた噺だけに、強くそう思わせられる。
(2018年8月30日)

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