澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

米軍基地を本土に「引き取る運動」について

親しい小村滋君からの【アジぶら通信 第48号】(2018年11月5日付)が届いた。相変わらず沖縄の記事が満載。彼の沖縄に対する思いが溢れている。
そのトップの記事は、「『辺野古』は普天間代替でない!? 」という見出。

こんな書き出しだ。「例えば11月2日の朝日新聞1面の辺野古新基地問題の記事は『米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画で……』で始まっていた。3面や社会面に関連の記事があるときも、書き出しはこの『ハンコ』が押されている。毎日新聞も似た表現の『ハンコ』だ。この表現が『普天間代替施設は辺野古だ』と、多くの人たちに思わせる原因の一つだろう。しかし沖縄に住む、基地問題に関心のある人で、『普天間代替』と思っている人は少ない。」

小村君らしい。古巣の朝日の記事への批判だ。その紋切り型の「ハンコ」的言い回しの不正確を衝いている。枕詞のごとくに、「辺野古」を語るのに、「普天間飛行場の辺野古への移設問題」と言ってはいけない。それが、本土の人々の考え方を誤導している、と言っている。

指摘のとおり、まずもって普天間飛行場には海がない。対して「辺野古」は海の基地でもある。多様な自然を残し工事直前までジュゴンが泳いだ海。この海を潰しての基地の建設。これが「代替」であろうはずがない。

反対派の稲嶺進・前名護市長時代に作ったパンフは普天間になかった「辺野古」の3機能を挙げる。
① 全長270㍍の護岸を持ち、ヘリを運ぶ250㍍余の大型船が接岸できる
② 約1万6000㎡の弾薬搭載エリア。辺野古には元々弾薬庫があるが、新しく建て直すという
③ 航空機用の燃料を運ぶ109㍍のタンカーを横付けできる桟橋
しかも沖縄戦後の米軍占領時代に銃剣とブルドーザーで奪い取った基地が最新鋭設備に更新されて、治外法権に近い地位協定で。日本政府が1兆円余を投じて、あと100年間は使えるという。

以上は1面の要約だが、異論のないところ。しかし、2面以後は論争的テーマを扱っている。
2面の見出しは、「沖縄の基地 全国議論なるか」「小金井市議会で陳情を採択 意見書では共産党が???」となっている。

「東京都小金井市議会で9月25日『沖縄の米軍普天間飛行場移設の候補地として本土の全自治体を対象に公正で民主的な手続きで決める』とする陳情が賛成多数で採択された。この陳情は、今年5月に発刊された『沖縄発 新しい提案 辺野古新基地を止める民主主義の実践』に基いて沖縄出身の市民が提出したものだ。米軍基地による過重な負担を沖縄に押し付けて無関心でいる本土の日本人の『沖縄差別』を乗り越える画期的な試みと思われた。しかし10月5日の同市議会でひっくり返った。陳情に賛成した共産党が、意見書を採択する段階で『本土移転を選択肢とする部分に同意できない』と反対に転じ、採択が見送られた。背景には、革新陣営に根強い『全ての基地に反対』論がありそうだ。結果として、本土と沖縄の分断を図る安倍政権の策に乗せられることにならないか。」これが問題提起だ。

この陳情は、沖縄発の「新しい提案」と言われる考え方に基づいたもの。「新しい提案」は、引き取る運動」を提起している。次のステップで問題の解決を目指す、という。
①辺野古新基地建設工事を直ちに中止し、普天間基地を運用停止にする。
②普天間基地の代替施設について、沖縄以外の全国のすべての自治体を等しく候補地とする。
③その際、米軍基地が必要か否か、普天間基地の代替施設が国内に必要か否か当事者意識を持った国民的議論を行う。
④国民的議論において普天間基地の代替施設が国内に必要だという結論になるのなら、民主主義および憲法の精神に則り、地域への一方的な押し付けとならないよう、公正で民主的な手続きにより決定する。

沖縄の現状を憂うる者にとって、「①辺野古新基地建設工事を直ちに中止し、普天間基地を運用停止にする。」ことに異論のあろうはずはない。問題は、次の「②普天間基地の代替施設について、沖縄以外の全国のすべての自治体を等しく候補地とする。」の賛否である。これは必ず分かれる。

たとえば原発を考えて見よう。福島の原発、柏崎刈羽の原発、東海第2の原発を、沖縄を含む全土で引き受けようという運動が成り立ち得るだろうか。私はあり得ないと思う。

一方、NIMBY(ニンビー)という言葉がある。“Not In My Back Yard”の略語、それは必要だが「我が家の裏庭には御免だ」というエゴの姿勢を揶揄する際に用いられる。「保育所は必要だ。しかし、我が家の隣に建てられちゃあ、やかましくてかなわん。」「児童相談所は大切な施設だ。だが、そんなものを町内に建てられたら、地価が下がってしまう。」という類のエゴ。ゴミ処理場が典型だろう。どこかに絶対に必要だ。その必要なものなら、すべての受益者の民主的な議論で、立地を決めなければならない。

米軍基地は、原発だろうか、それともゴミ処理場か。わたしは、原発同様のもので断じてゴミ処理場ではないと考えている。どこにもあってはならない、言わば絶対悪である。“Not In Any Yard”なのだ。

もちろん違う立場もあろう。安保必要論からの立場。「抑止力は有効だし必要だ」「中国や北朝鮮からの攻撃に備えた米軍基地は日本のどこかに必要だ」「沖縄だけに負担を押しつけるのではなく、全土で分担が必要だ」という立場。米軍基地必要論を前提に、その偏在を沖縄差別と突きつけられると、心優しい人々には断り切れなくもなるだろう。

おそらく小村君の考え方は、それとも違う。「『基地は、原発かゴミ処理場か』と、最初に切り分けをして本土引き受け賛成か反対かというのではなく、そのことも含めた議論誘発の提案として意味を認めてよいじゃないか。自分も含めて、本土の人間に、我がことと真剣に考えるきっかけを提供する提案だと思う。」ということなのだろう。だから、基地不要論者の小村君が、紙幅を割いてこの提案を紹介しているのだ。そう思う。

実践的な問題として私は考える。この陳情案は、もっと練り上げる必要があったのではないか。私の地元、文京区では、もっとシンプルな請願案で採択に至っている。
http://article9.jp/wordpress/?p=11263

「新しい提案」や「引き取る運動」を前面に出したのではうまくいかない。それこそ、「結果として、本土と沖縄の分断を図る安倍政権の策に乗せられる」ことになりかねない。アジぶら1面のとおり、「普天間移設先」問題としてではなく、「辺野古『新基地』建設反対」を前面に出した陳情にすれば、事情はずいぶん違ったものになったのではないだろうか。
(2018年11月7日)

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