「困難なときに、沈黙しなかったこと。それが闘ったことの意義」
話題の韓国映画「共犯者たち」。今日(1月4日)ようやく観る機会を得ての感想を記しておきたい。
そのドキュメンタリーの迫力に圧倒された。隣国でのこの大きな出来事について、あまりに無知だったことを悔いている。韓国の社会に対する親近感を新たにするとともに、権力の横暴と闘う多くの人々に敬意を表したい。そして、もっと大きな劇場で、もっと多くの人々に観てもらえないかと思う。
映画の内容は、李明博・朴槿恵と続いた保守政権による、テレビ放送への露骨な権力的介入と、それに抗して闘う記者たちの実録である。「共犯者たち」とは、李明博・朴槿恵という「主犯」の意を体して、これに追随した各テレビ局(KBS、MBC)の首脳たちを指す。彼らは、政権の意を受けて社長や副社長などに天下りし、あるいはその地位に抜擢された。この「共犯者たち」は政権の意向のとおりに、報道の内容を曲げ、抵抗する硬骨の記者たちを解雇した。報道の自由を守れ、という放送局従業員労組のいくつもの大きなストライキがあり、そのストライキの責任者が相次いで解雇された。被解雇者は200人以上にもなったという。
解雇されたひとりである崔承浩(チェ・スンホ)が、自ら監督となり、自らの闘いを撮影したドキュメントがこの映画。全編に怒りのエネルギーが満ちている。
この映画を観る日本人は、日本の政権によるメディア介入の構造との余りの酷似に驚き、日本の放送界に重ねてこの映画を観ざるを得ない。もちろん、主犯は安倍晋三である。そして、共犯はNHKの首脳たち。とりわけ、官邸と意を通じていると指さされている人物。
韓国で起こった政権による言論介入の事態は、当然に日本でも起こりうる。そのとき、「私は、私たちは、あんな風に闘えるだろうか…」。そう、ジャーナリストのひとりがコメントを寄せている。ジャーナリストだけではない。平和や人権、民主主義のために、政権の横暴と対峙しなければならないと思うすべての人の課題だ。「あんな風に」闘わねばならないと思う。
惜しむらくは、日本の観衆には韓国のテレビ放送事情がよく呑みこめない。そのため、目まぐるしく展開する事態の理解に消化不良の感が残る。
幸い、2018年12月25日朝日のWEBRONZAに、朴晟済(パク・ソンジェ)氏が、この間の事情を分かり易く解説している。その一部を抜粋して紹介させていただく。
https://webronza.asahi.com/journalism/articles/2018121100003.html
なお、同氏はMBCの記者。2012年労組委員長時代に170日間ストライキで解雇され、17年末に復職して、現在はMBC報道局長の任にある。
韓国の地上波放送局のうち、ニュースを報じるのは3社である。日本のNHKと似ている第1公営放送KBSと第2公営放送MBC、民放SBSである。このうちKBSとMBCは、政府と国会で推薦する人たちが理事会を構成するように法律で定められている。当然、半数以上の理事たちが青瓦台(大統領府)と与党の推薦を受けて任命される。このように構成された理事会が社長と経営陣を選出する。
金泳三、李明博、朴槿恵など権威主義的な保守政党の大統領在任中は、青瓦台が意図した人物がKBSとMBCの社長に任命されるのが当然の慣行だった。韓国ではこのように政府与党が決めて送り込まれる社長を「落下傘」と呼ぶ。保守政権時代のテレビニュースは、政権に親和的であると同時に、「朝中東」(「朝鮮日報」「中央日報」「東亜日報」の保守3紙)の論調と大きく変わらない保守的な色合いを帯びたものであった。
反対に、金大中、盧武鉉と現在の文在寅など1980年代の野党出身の?相対的に?進歩志向の大統領在任中には、放送局は権力の影響から比較的自由な社長を得ることができた。3人とも生涯を民主化と人権のために生きてきた政治家だったので、言論の自由に対する認識と理解も格別だった。この時期の放送局理事会は、青瓦台や政府与党の顔色をそれほど窺うことなく社長を選出してきた。そうして選出された社長は、記者やプロデューサーにも取材と報道の自由を十分に保障してもくれた。
2007年12月、李明博候補が大統領に当選し、韓国の放送界は激変を経験することになる。李明博大統領とハンナラ党は、KBSとMBCの報道の論調に対し、深刻な不満を持っていた。とくにMBCのニュースと時事番組には、「実権を握ったら黙っていない」というような発言を公然と言ってはばからなかった。08年春、BSE(牛海綿状脳症)に感染した危険がある米国産牛肉の輸入を許可した政府を批判するMBC時事番組「PD手帳」(PDはプロデューサーの意)が放映され、李明博政権を糾弾する大規模なろうそく集会がはじまった。大統領は政権初期に支持率が10%台に急落するという切迫した危機にさらされる。
李明博政権が危機突破のために選んだカードは、過去の独裁政権が行ったように放送を掌握することだった。まず検察を動員して「PD手帳」製作陣を逮捕し、名誉毀損罪を適用して裁判所に引き渡した。そして、KBSとMBCの社長を解任してしまい、大統領と親密な関係にあったジャーナリストらを落下傘社長として送り込んだ。
こうして、李明博政権・朴槿恵政権の約9年にわたるメディアへの介入、これに迎合するKBSやMBC上層部と、これに抗う記者たちの闘争が始まる。
いま、この映画を作った崔承浩(チェ・スンホ)は、MBCの社長に迎えられている。しかし、映画は困難な闘いのさなかで終わっている。
最終盤、解雇された仲間の記者が癌だと知って、チェ・スンホが見舞いに行く場面がある。田舎の粗末な家に住む彼にチェが質問をする。「苦しい中で何年も闘ってきた意義をどう考えている?」。これに、彼が真剣な面もちで答える。「困難なときに、沈黙しなかったこと。それが闘ったことの意義」。思わず涙が出そうになった。
そうだ、人は、苦しくとも、口を開かねばならないときがある。困難と知りつつも、闘わねばならないことがある。それが譲れない自分の生き方であり、自らの矜持を守ることなのだ。怯懦をよしとせず、報道の自由のために闘った人々のすがすがしさに、拍手を送りたい。
(2019年1月4日)