「《壁を橋に》プロジェクト」 ― 「表現の不自由展」再開に向けて
一昨日(9月17日)の夕刻、「表現の不自展・実行委員会」が主催する「《壁を橋に》プロジェクト 今こそ集会(in東京)」に足を運んだ。200人の参加で、盛会だったことに安堵の思いである。
仮処分申立報告と支援要請を中心とした、事実上の東京版提訴決起集会。法的手続が常に望ましい解決方法でないことは共通の理解の上で、時期を失すれば展示再開が不可能になるという懸念の中でのやむを得ない選択であることが強調された。
「〈壁を橋に〉プロジェクト」とは、耳に馴染まないネーミング。このネーミングに込められた思いが、配布されたリーフに次のように語られている。
いまもなお、「表現の不自由展・その後」の入り口は巨大な壁で塞がれています。これは検閲というかたちで、真実の開示と表現の自由を阻もうとする、人の心がつくり出した隔たりです。美術の検閲を主題とした不自由展に強いられたこの状況は、まさしく日本社会の現実そのものではないでしょうか。
しかし、人の心がつくった壁は歴史上すべて壊されてきました。不特定多数の市民の自発的かつ勇気ある行動は、冷戦の象徴であったベルリンの壁を倒壊させました。いまアメリカとメキシコに立てられた「排外主義」の象徴である「壁」も、アーティストの創意と想像力によって風穴が開けられつつあります。私たち不自由展実行委員会は、自由を求める人の心の力を信じています。
目の前に立ちはだかる「壁」を壊すべく、新たなステップに歩み出したいと思います。司法の良識を信じ、多くの人の応援を拠り所に、壁を打ち倒す。
「壁が横に倒れると、それは橋だ」(アンジェラ・デーピス)という言葉があります。ここから、私たち不自由展実行委員会は、再開を求める行動を「〈壁を橋に〉プロジェクト」と命名しました。
なるほど。「壁」は人と人との断絶の象徴であり、「橋」は人と人との連帯の象徴。今、「表現の不自由展・その後」の入り口を塞ぐ巨大な壁を倒すことは、差別という人と人との断絶を克服すること。そして、倒された壁は、表現の自由から民主主義に通じる橋となるのだ。
いまある厚い堅固な壁は、実は民衆に支えられている。一握りの攻撃的な右翼活動家は、歴史修正主義者・安倍晋三の政権を支持する少なからぬ民衆の中から生まれている。〈壁〉を倒すには、対話あるいは説得によることが望ましい。しかし、状況がそれを許さず、時間の制約もあるからには、法的手続によることを躊躇する理由はない。その法的手続の具体的な手段が、9月13日の仮処分命令申立である。
弁護団長・中谷雄二さんの説明によれば、その申立の趣旨は、「展示会場入り口の壁を撤去し、『表現の不自由展・その後』を再開せよ。」というもの。立ちはだかる『壁』の撤去がまずもっての具体的な獲得目標となっている。
この仮処分命令申立の債権者は5人(アライ=ヒロユキ・岩崎貞明・岡本有佳・小倉利丸・永田浩三)からなる「表現の不自由展」実行委員会。債務者は「あいちトリエンナーレ実行委員会」(権利能力なき社団)とのこと。この両当事者間に詳細な「作品出品契約」が締結されているという。
被保全権利の構成は、第1に「人格的利益にもとづく差し止め請求権」であり、第2に「作品出品契約にもとづく展示請求権」というもの。いずれも、その請求権を根拠付ける事実の疎明は容易である。問題はその先、債務者が当該債務の履行は事実上不可能となっているという疎明に成功するか、である。債務者が、警察力の庇護のもと最大限の防衛策を講じてもなお、展示の再開が不可能と言えるか否か、自ずから争点はこの一点に絞られる。
この局面で、講学上の「敵意ある聴衆の法理」や「パブリック・フォーラム」論の適用妥当性が争われることになる。判例に照らしてみる限り、申立が却下となることは考え難い。
9月13日の申立当日のうちに、係属裁判所は9月20日と27日の2回の審尋期日と指定したそうだ。また、具体的に追加すべき疎明資料の提出も求めたという。裁判所の「やる気」を感じさせるに十分と言ってよい。表現の自由のために、朗報を待ちたい。
なお、この日関係者からの印象的な発言がいくつも重ねられた。永田浩三さんが言ったことだけをご紹介しておきたい。
この16人の展示作品は、いずれも闇夜でマッチを擦るような意味をもつことになりました。それぞれの作品が灯すマッチの火が、闇の深さを照らし出しています。この火が照らし出した今の社会の闇の深さ、あるいはジャーナリズムの闇の深さにたじろがずにはおられません。あらためて、この闇を克服する「表現の自由」の大切さを思い、また、その自由を求めて闘い続けてきた先人たちからのバトンをいま手渡されているのだという責任の重さを感じます。
「表現の不自由展」再開の可否が日本の自由や民主主義についての将来を占うものとなっている。
(2019年9月19日)