香港の二人の枢機卿、深刻な立場の違い。
(2020年7月9日)
本日(7月9日)の毎日新聞朝刊8面右肩に、「教皇講話、香港に触れず」の見出しで大きな記事。「急きょ変更、中国にそんたく?」という小見出しがある。
日曜日恒例の教皇講話。事前に配布された予定原稿には、「香港における自由の重要性」に触れる部分があって注目されていた。しかし、直前にこの記述は撤回され、その朗読は省かれたという。この教皇講話の直前の内容変更が、中国への忖度によるものではないのかという、なんとも不愉快な話題なのだ。
このことは、複数のカトリック系メディアが伝えている。教皇は中国との関係改善に前向きで、「中国に配慮した」と失望する声が上がっている、という。
バチカン専門記者のマルコ・トザッティ氏のブログによると、5日の講話に向け、記者に事前配布された原稿では、教皇が香港問題への関心を表明し、「私は社会的な自由、特に宗教の自由が、さまざまな国際文書に記されているように、完全な形で表現されることを願っている」と述べるはずだった。
ところが、教皇が窓に姿を現す直前に、バチカン側から「香港の部分には言及しない」と記者団に通告があり、実際、教皇は読まなかった。具体的な理由の説明はなかったという。トザッティ氏は「中国が教皇に猿ぐつわをかませた」と表現し、政治的配慮があったとの見方を示した。他のカトリック系メディアも同様に報じている。
以上は5日(日曜日)の事実についての報道。毎日記事は、その背景事情を次のように解説している。
教皇はアジア布教の伝統を持つ「イエズス会」の出身で、中国への接近を図ってきた。バチカンと中国は1951年に断交状態となり、バチカンは台湾と外交関係を保持してきた。だが、2018年9月、長年の懸案だった司教の任命方式を巡って互いの関与を認める暫定合意に達し、歴史的な和解を果たした。
暫定合意は今年9月、2年間の期限を迎える。合意締結に関わったカトリックの高位聖職者は6月、イタリアメディアの取材に「期限後に、もう1、2年延長すべきだ」と述べ、双方が協議中であると明かした。こうした微妙な時期だけに、教皇に批判的な保守派の聖職者やメディア関係者を中心に、「教皇は中国の圧力に屈し、香港問題で沈黙している」との推測を呼んでいる。
教皇は、中国への接近を図っている。では、中国はどうか。
一方、中国の習近平指導部は「宗教の中国化」を掲げ、キリスト教やイスラム教、仏教などへの統制を強化している。バチカンとの和解後も、教会からの十字架の撤去や聖職者の拘束などが報告されている。中国の宗教政策を厳しく批判するカトリック香港教区の枢機卿、陳日君氏は「まさか中国共産党から本当に金でももらったのか」とブログでバチカンを痛烈に批判。国安法の施行について「香港が自由を失えば、教会も逃れることはできず、(宗教の)自由を失う」と危機感を示した。
この陳日君氏の反中国の立場からの苛烈な教皇批判に驚く。ヒエラルキーという言葉は、もともとがローマカトリック教会における聖職者群の序列や階層秩序をさすのだという。そのヒエラルキーで、教皇に次ぐ位置にある枢機卿(カージナル)が、「中国共産党から金でももらったのか」と教皇を批判する事態の深刻さと、覚悟のほどを知らねばならない。もっとも、香港教区には、もうひとりの枢機卿がいるという。その人は、徹底した反中国の立場ではなさそうだ。毎日はこう伝えている。
中国当局は国安法施行前の6月下旬、中国に近い立場にある香港の宗教指導者らを対象に説明会を開いて「宗教の自由」への配慮をアピールした。香港メディアによると、出席した香港教区のもう一人の枢機卿、湯漢氏は「(国安法の施行は)理解できる。宗教の自由に影響はないと信じている」と述べた。香港の宗教界が国安法という「踏み絵」を前に分断される実情がうかがえる。
陳氏も、湯氏も、中国共産党の横暴に晒されて、厳しい選択を迫られている。陳氏は、いささかの妥協も潔しとせず、たとえ弾圧を受けようとも信仰を枉げてはならない、とする立場。湯氏は、一定の妥協はやむを得ないとする宥和の立場。「国安法が施行されても宗教の自由に影響はないと『信じている』」というのは、中国当局への宥和のメッセージであろう。
毎日記事は、カソリックのみならず、香港の宗教界全体が「国安法という『踏み絵』を前に分断される実情がうかがえる」と記事を結ぶ。この比喩を借りるならば、『踏み絵』を拒絶する立場と、踏むこともやむなしとする立場とが対比されている。
もちろん、踏み絵を迫っているのは中国共産党である。その罪は深い。