澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「浜の一揆」に集う皆様へ(集会メッセージ)

本日(10月18日)三陸沿岸・山田町で開催される「フォーラム 復興と漁業の展望を探る」は、事実上サケ刺し網漁の許可を求める集団申請運動の決起集会であろうと思います。それは、とりもなおさず「浜の一揆」の旗挙げの集会でもありましょう。
残念ですが私は出席できませんので、「浜の一揆」に寄せる思いをメッセージとしてお届けいたします。

今から160年ほど前のこと。世は幕末の動乱が始まる直前。ちょうどアメリカの提督ペリーが軍艦4隻を引き連れて、浦賀沖に投錨していた頃。南部藩では、藩を揺るがす大事件が起こっていました。もしかしたら、ペリー来航よりももっと大きくその後の歴史に影響したと考えられる大事件。ご存じ、南部三閉伊大一揆です。

嘉永6(1853)年6月3日、野田通(どおり)の田野畑村から一揆は押し出しました。「小〇」と大書した幟旗(のぼりばた)を先頭に、槍隊・棒隊、あるいはマタギの鉄砲隊など、それぞれの隊列を組んで浜通りを南下しました。一揆勢はどんどん膨らんで田老・宮古・山田の各村を通過するにつれ大群衆となり、大槌通りから釜石に集合した一揆の人数は1万6千余人に達したと歴史書に記されています。当時の三閉伊の総人口が6万人ほどでしたから、総人口の4分の1が、文字どおり立ち上がって行動を起こしたのです。一揆勢は篠倉峠の藩境を越えて、仙台領気仙郡唐丹村へ越訴(おっそ)しました。そして、仙台藩当局に政治的要求3ヵ条と、「百姓共一統、迷惑の事」についての具体的改善要求49ヵ条を提出しました。仙台藩を仲立ちとした南部藩との粘り強い交渉の結果、基本的にその全部を勝ち取ったと伝えられています。しかも、一人の弾圧犠牲者も出さないことまで南部藩に約束させ、その「安堵(あんど)状」まで書かせています。一揆は大成功でした。

一揆とは、難しい字を書きますが、元々の意味は、物事を成し遂げるためにみんなが心をひとつにすることだそうです。今の言葉を当てはめれば、「協力」・「協同」あるいは「団結」・「連帯」ということになるのでしょう。三閉伊の一揆では、農民だけでなく漁民も猟師も、鍛冶屋や大工も商人も、支配階級だった武士以外は、心を一つにして団結固く押し出したのです。しかも、周到に準備を重ね作戦を練って要求を勝ち取った、見事な勝利でした。

幕末期の南部藩では大規模な一揆が繰り返されています。農民や漁民を団結させたのは、バカ殿とその取り巻きの無能さでした。藩は、その財政逼迫(ひっぱく)の対策として領民から過酷に年貢・税金を取り立てました。まず、農民・漁民の生活を安定させ、そのあとに無理なく税金を課して藩財政を潤すという発想はなかったのです。だから、農民・漁民は果敢に藩政と闘わざるを得なかったのです。

160年を経た今、国政を見、県政を見るとき、基本的な構図に変わりのないことに驚かざるを得ません。政治や行政は、一人一人の労働者・農民・漁民の生活の安定にきめ細かな目配りをしているでしょうか。南部藩のバカ殿や無能な取り巻きとの違いがどこにあるでしょうか。

沿岸の漁民が東日本大震災・大津波による深刻な打撃にあえいでいるこのときに、「漁民が秋サケを獲ることはまかりならぬ」とは、血も涙もない何たる過酷さ。南部のバカ殿の無能なお触れとまったく同じではないでしょうか。私たちは、この県の水産行政の理不尽に対して、今一度「小〇」の幟旗を立てて、浜の一揆を起こして勝ちぬかねばならないと思うのです。

もちろん、今の時代。力だけでは勝てません。理屈でも勝ち、世論の支持の獲得でも勝たねばなりません。

まずは、「漁民がサケを獲ってはならない」という行政側の理屈の2点をつぶすことです。第1点は、「漁民にサケを獲らせると乱獲となってサケの資源が枯渇する」ということのウソを徹底して暴くことです。宮城でも青森でも漁民が固定式刺し網でサケを獲っていて枯渇などしていないではないか。むしろ、宮城は岩手よりもはるかに成魚の回帰率がよいではないか。定置網漁に比重を置きすぎている岩手の現状にこそ問題があることを立証していく努力を重ねたいと思います。

さらに、資源保護のために「各漁民に漁獲高を割当る制度」(IQ)創設の提案をしてきたのが、県ではなく漁民組合であることを声を大にして強調しましょう。

もう1点は、漁民にサケの採捕を許可すれば、漁民間の公平を崩すことになるという県側の「理屈」です。これはあきらかにおかしい。今の県の水産行政が、浜の有力者にばかり目を向けた不公平になっているのです。一方では岩手の漁民に秋サケを獲るなといって生活苦を押しつけ、一方で一握りの有力者の巨大な利益を擁護しているではありませんか。

私たちの要求は、道理に基づく切実なものです。とりわけ、震災・津波による生業と生計が破壊された現在、この状態からの自力での再生を果たすための切迫した要求なのです。この要求が、生存権を保障し、権利の平等を掲げている日本国憲法のもとにおいて、通らないはずはありません。

まさしく、「秋サケ捕獲禁止のお触れは漁民ども一統まことに迷惑の事」なのです。嘉永の三閉伊一揆に負けずに、現代の「浜の一揆」を押し出しましょう。
私も、勝利を手にするまで、皆様と一緒に隊列を組んで歩き続ける覚悟です。
(2014年10月18日)

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Published in 土曜日, 10月 18th, 2014, at 14:00, and filed under 浜の一揆.

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