澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

8億円授受への批判の自由は最大限保障されねばならない ー 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第32弾

本日は、DHCスラップ訴訟の第5回(第1回は被告欠席なので、実質第4回)口頭弁論期日。多数の被告弁護団やご支援の皆様に法廷に詰めかけていただき、心強いことこのうえない。私への応援ではなく、言論の自由や民主主義へのご支援であることは重々心得つつも、まことにありがたいと思う。

次回第6回期日は、来年の2月25日(水)午前10時30分(631号法廷)と指定された。今度も、満席の傍聴をぜひともお願いしたい。僭越ながら、言論の自由や民主主義に成り代わってのお願いを申しあげる。

次回の法廷では原告が準備書面を提出する番となる。おそらくは、これで原被告双方の主張が基本的に出尽くすことになるだろう。しかも、DHC吉田が原告となっている、別件の「8億円授受事件」批判記事についての名誉毀損損害賠償請求訴訟についての第1号判決が1月15日に出ることになっている。当事者双方も裁判所も、これを参考にしながら審理を急ぐことになるだろうと思われる。

もっとも、今のところ裁判所の審理の進め方はこまかな技術面にこだわるものとなって、やむを得ないかと思いつつも、私にはやや不満の残るところ。この事件は、政治的言論の自由の問題として、そのシチュエーションの理解がもっとも大切なところではないか。私のブログのDHC・吉田への批判の記事は、「政治とカネの問題」に関する典型的な政治的言論なのだ。その政治的言論において批判の対象とした人物は、単なる「私人」ではない。まずは一企業のオーナーで大金持ちという社会的な強者である。サプリメントや化粧品という人の健康に関わる商品の製造販売に携わる事業者として社会が関心をもたざるを得ない立場にもある。さらに、公党の党首に巨額の政治資金を注ぎこむという態様で政治や行政に強く深くコミットした「公人」なのである。しかも、自らの事業が厚生行政の監督下にあることを意識して、行政規制の厳しさに不平を募らせている人物。それだけではない。手記を発表して、みんなの党・渡辺喜美への巨額の金員提供を自ら曝露した人物なのだ。その人物が、政治資金規正法に基づく届出のない巨額の金員を、人に知られることなく有力政治家に提供していたというのだ。カネを出す方も受けとる方も、政治理念は「規制緩和」「官僚勢力打倒」で一致していたという。批判を甘受せざるを得ないとするこれだけの舞台装置が整うことも珍しいのではないだろうか。

このように整えられた舞台に立って、私はDHC吉田の渡辺喜美への8億円の提供を批判したのだ。「金の力で政治を歪めるもの」「より大きく儲けるためのもの」との表現はすこぶる真っ当な批判の表現ではないか。何らの論理の飛躍もなく、経験則に違反するところもない。むしろ、民主主義社会の主権者がなすべき適切で必要な言論と言ってよい。当然のこととしてDHC吉田は、この批判を甘受しなければならない。

裁判所には大局を見ての判断を求めたい。政治にまつわるカネの動きを批判する典型的な政治的言論が問題になっていることを十分に認識のうえ、憲法21条の趣旨に立脚した審理を願いたい。

今回の法廷では被告準備書面(4)が提出され、光前弁護団長から要旨が陳述された。今回に限らず、毎回の被告準備書面がとても充実している。言論の自由の問題にしても、政治とカネの問題にしても、被告準備書面はよく書き込んでいると思う。法廷と報告集会とが、憲法理念の教室になり得ているという充実感がある。ここまでの書面提出で、私はゆったりと安心の気持になっている。私は、大船に乗った気持で、よい正月を迎えることができそうだ。
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         DHCスラップ訴訟被告準備書面(4)要約

第1 「事実の摘示」と「論評」の区別についての総論
1 政治批判に関する言論の自由の重要性
  本件に好個の参考判例として陸山会報道事件東京地裁判決を引用して論じる。
  「憲法21条1項が保障する言論、出版その他一切の表現の自由は、基本的人権のうちでも特別に重要なものであり、特に、国政に関わる国会議員の政治的姿勢、言動等に関しては、国民の自由な論評、批判が十二分に保障されなければならないことは、民主国家の基本中の基本である。不法行為としての名誉毀損は、人の社会的評価に係る問題であるが、個人の立場には様々なものがあるのであり、特に政治家、とりわけ国会議員は、単なる公人にすぎないものではない。議員は、芸能人や犯罪被疑者とは異なるのであり、その社会的評価は、自由な表現、批判の中で形成されなければならないのであって、最大限の自由な論評、批判に曝されなければならない。このことは、論評としての域を逸脱していないかどうかについての判断に際しても、特に留意すべき事柄であり、いやしくも裁判所が、限定のない広範な情報の中で形成されるべき自由な政治的意見の形成過程に介入し、損害賠償の名のもとにこれを阻害することはあってならない」
  本件ブログは、富裕者による政治家に対する多額の裏資金提供という、よりダイレクトに「政治とカネ」という民主主義制度の根幹にわたる問題に関する記事の正当性、公益性が論じられている事案である。政治家への裏資金の授受をテーマとしたブログであるから、批判の対象は、金銭の提供を受けた政治家とともに、政治家に巨額の資金を交付して国の政策を左右しようとする富裕者である。しかも、行政の規制を桎梏と表明している大企業のオーナー経営者である。
  公人たる政治家にかかわり、多額の資金を交付して国の政策を左右しようとする実業家や資本家にも、国民の自由な表現による批判が最大限保障されなければならないことは理の当然というべきである。政治家への批判の言論の自由を「民主国家の基本中の基本」として、これを手厚く保障すべきとする理由は、そのまま本件にも当てはまる。
2 ブログ全体の記載をふまえて違法性が判断されるべきこと
  また、同東京地裁判決は、違法性の判断方法について次のとおり述べている。
 「雑誌記事が名誉毀損の不法行為を構成するかどうか、それが違法であるかどうかを検討するに際しては、当該記事全体を読んだことを前提として、一般の正常な読者の普通の注意と読み方とを基準に判断すべきものであり、これを読まないまま、断片的な文言を偶々目にした者による迂闊な印象いかんを想像して、このような感じ方をする者がいるかもしれないというだけで名誉毀損の成否を判断することは許されないというべきである。」
3 名誉毀損における事実の摘示と論評の区別について
 「摘示された事実による名誉毀損と一定の事実に基づく意見、論評による名誉毀損とは、社会的評価を低下させると認められる表現が摘示された事実自体によるものであるか、それとも意見、論評部分によるものであるかによって区別されるべきであり、上記区別は、一般の読者の普通の注意と読み方によって当該記事を解釈することにより行うべきものであると解するのが相当である。」
  主張対照表の記載に明示したとおり、原告らが「原告らの社会的評価を低下させる」と主張する被告ブログの表現のすべては、「一般の読者の普通の注意と読み方によって当該記事を解釈」する限り、「摘示された事実自体」ではなく、真実もしくは真実相当性を具備した事実に基づく、きわめて常識的で合理的な「意見、論評」であることは明らかというべきである。
  以上を前提として、当該各意見論評の前提となる事実及びその証拠方法について以下のとおり特定する。(以下略)
(2014年12月24日)

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