澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「日の丸・君が代」訴訟はまだまだ続く

本日(1月16日)は、東京「君が代」裁判・3次訴訟(東京地裁民事11部)の判決期日。原告50名が、56件の懲戒処分(戒告25件、減給29件、停職2件)の取り消しと、慰謝料の支払いを求めた訴訟。

いつものことながら、判決言い渡しの前は緊張する。広い103号法廷が水を打ったように静かになって、裁判長の主文朗読に耳を傾ける。

「原告らの請求をいずれも棄却する」なら全面敗訴だが、そうではない。朗読は、「東京都教育委員会が別紙『懲戒処分等一覧表』の…」と始まった。少なくとも全面敗訴ではない。処分が取消される原告の氏名が次々と読み上げられる。指折り人数を数えるが、26人の名前で止まった。そして「…の各原告に対してした各懲戒処分をいずれも取り消す」という。結局、50人の原告のうちの26人について31件の減給・停職処分が判決で取消された。

しかし、ここまで。その余の戒告処分者の取り消しはなかった。減給・停職の処分を取り消された原告についても、国家賠償としての慰謝料請求は棄却された。これまでの最高裁判例の枠内での判決。ということは、憲法論については進展がないということだ。

法廷の緊張は解けた。裁判官3名はそそくさと退廷する。満員の傍聴席から、ため息やらつぶやきやらが聞こえてくる。「最高裁判決へのヒラメか」「裁判官はどこを見てるんだ」「裁判所がしっかりしないから、都教委がつけあがる」…。

とは言え、獲得したものもけっして小さくはない。前進の期待があっただけに落胆が前面に出た本日の判決だが、都教委は処分を違法として取り消されたことの重大性を知るべきである。しかも、26人についての31件の処分取り消しである。
行政が、司法から「違法に人権を侵害した」と糾弾を受けているのだ。まずは真摯に謝罪しなければならない。そして、責任をあきらかにせよ、さらにしっかりと再発防止策を策定せよ。その第一歩が、控訴の放棄でなくてはならない。

やがて判決正本と謄本が届いて、弁護団が分担して解読を始める。「素晴らしい判決だ…」「ここが使える…」などという声は出て来ない。弁護団見解まとめ役の植竹和弘弁護士は、「最高裁判決の枠組みから一歩の前進もない判決」「控訴理由書が書きやすい判決」との総括的評価。

で、原告団・弁護団連名の声明は、次のようなものとなった。やや悲観的、否定的なトーンが見て取れるだろう。

「都教委は、2003年10月23日通達及びこれに基づく職務命令により、卒業式等における国旗掲揚・国歌起立斉唱を教職員に義務付け、命令に従えない教職員に対し、1回目は戒告、2、3回目は原則減給、4回目以降は原則停職と、回を重ねるごとに累積加重する懲戒処分を繰り返し、さらに「思想・良心・信仰」が不起立・不斉唱の動機であることを表明している者に対しても反省を迫り実質的に思想転向を迫る「服務事故再発防止研修」を強要するなどの「国旗・国歌の起立斉唱の強制」システムを実施してきた。

2012年1月16日、最高裁判所第一小法廷は、これらの処分のうち、「戒告」にとどまる限りは懲戒権の逸脱・濫用とはいえないものの、「戒告を超えてより重い減給以上の処分を選択することについては,本件事案の性質等を踏まえた慎重な考慮が必要となる」とし、原則として社会通念上著しく妥当を欠き、懲戒権の範囲を逸脱・濫用しており違法であるとした。本判決は、この最高裁判決の内容を維持したものである。本判決が、原告ら教職員の受けた減給以上の懲戒処分を違法としたことは最高裁に引き続き、「国旗・国歌強制システム」を断罪したものであって、都教委の暴走に歯止めをかける判断として評価される。

しかしながら、2006年度の規則改訂により、2007年度以降に戒告処分を受けた本訴原告らは、2006年以前に減給処分を受けた場合以上の金銭的な損害を受けているのであり、その実質的な検討をしないまま、形式的に2012年最高裁判決に従った判断を下したことは真に遺憾である。

更に、本判決は、10・23通達・職務命令・懲戒処分が、憲法19条、20条、13条、23条、26条に各違反し、教育基本法16条(不当な支配の禁止)にも該当して違憲違法であるという原告ら教職員の主張については、従前の判決を踏襲してこれを認めなかった。また、原告らの予備的主張(国家シンボルの強制自体の違憲性)には何ら言及しないまま合憲と結論づけている。さらに、原告らの精神的苦痛には一切触れることなく、都教委に国賠法上の過失はないとして、国家賠償請求も棄却した。これらの点は事案の本質を見誤るものであり、きわめて遺憾というほかはない。」

少し、噛み砕いて説明しておきたい。
10・23通達とこれにもとづく職務命令・懲戒処分によって、教職員に、国旗・国歌への起立・斉唱およびピアノ伴奏を強制することについては、これまで、「予防訴訟」、「君が代」裁判、同2次訴訟という大型集団訴訟において争われ、最高裁は一応の判断を示している。「懲戒処分の違憲性は否定しつつも、戒告を超えてより重い減給以上の処分を選択することについては,事案の性質等を踏まえた慎重な考慮が必要となる」とした。原則として「減給」及び「停職」処分は重きに失して社会通念上著しく妥当を欠き、懲戒権の範囲を逸脱・濫用するものとし、原則違法として取り消してきた。

本件の審理もこの点に集中し、「戒告を超える処分についてこれを正当化する特別の事情があるか」が攻撃防御の焦点となった。結果的には、すべてそのような特別の事情はないとされて、31件の減給・停職事案全部が取り消された、その成果は強調されてしかるべきである。

3次訴訟で最も注目されたのは、戒告処分を受けた原告の懲戒権逸脱濫用の違法がないかということである。実は、規則の変更によって、1次・2次訴訟の減給処分者よりも、3次訴訟の戒告処分者の方が経済的不利益が大きいという逆転が生じていたのだ。

最高裁は、1次・2次訴訟の減給処分者の経済的不利益に着目して「重きに失する」とし、それゆえ「減給は処分権の逸脱または濫用に当る」と判断したのだ。ならば、それ以上の経済的不利益を科されている3次訴訟の戒告処分者についても処分権の逸脱または濫用と判断されるべきが当然ではないか。

これについて、本日の判決は次のように言っている。
「確かに,本件規則改訂の結果,本件規則改訂後においては,戒告処分により,昇給及び勤勉手当について,本件規則改訂前に減給処分を受けた場合よりも大きな不利益を受けていることが認められる。

しかしながら,これらの昇給及び勤勉手当の不利益は,戒告処分自体による不利益ではなく昇給及び勤勉手当について定めた規則上の取扱いによるものであり,当該事情が,戒告処分の選択に係る都教委の裁量権の逸脱・濫用を基礎付けるものとはいえないことは,本件規則改訂前と同様であり,これに反する原告らの前記主張は採用することができない。」

なんという冷たい形式論であろうか。権利濫用論とは、可能な限りのあらゆることを考慮要素とした実質的な総合判断でなければならない。規範的に除外すべき考慮要素がありうるとしても、被処分者に不利益となる経済的事情を除外してよいはずはない。これでは教委のお手盛りで、いかようにも戒告処分の不利益を過酷化できることになるではないか。

また、期待されていたのが、国家賠償請求の認容である。処分取消の違法よりは国家賠償の違法のハードルは高いとされている。それでも、停職処分取消とともに慰謝料の支払いが命じられた前例がある。2件の停職処分取り消しとともに、55万円の慰謝料請求の認容があってしかるべきだった。

これを否定して、判決は次のように言っている。
「原告らは,違法な本件各処分を受けたことにより精神的苦痛を披ったとして,これに対する国家賠償法1条1項に基づく慰謝料の支払を求めている。しかしながら,本件各処分のうち,戒告処分については,前述のとおりこれを違法であると認めることはできない。また,減給処分以上の本件各処分については,…それらについての処分量定に係る評価・判断に問題のあることを確実に認識したのは本件各処分のされた後であると考えられること等からすれば,減給処分以上の本件各処分を行った時点において,都教委がこれらの本件各処分を選択したことについて,職務上尽くすべき注意義務を怠ったものと評価することは相当ではなく,この点について都教委に国家賠償法上の過失があったとは認められない。」

この判断も納得しがたい。国賠法1条1項は、「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる」と定めている。
賠償の責任が生じるためには、「違法性」と「故意又は過失」が必要とされているところ、判決は「過失がない」(もちろん故意もない)と言って切って捨てたわけだ。

過失とは、注意義務違反ということである。都教委には管轄下にある教員に対して、各教員がそれぞれの思想や良心・信仰を貫徹することができるように環境を整え、各教員に「自分の思想や良心あるいは信念や信仰を貫徹すること」と「職務命令違反としての処分の不利益を免れること」との二律背反に陥って葛藤することのないよう十分な配慮をすべき注意義務があるのに、これを怠った。と言えばよいだけのことなのだ。「最高裁判決を知ったあとでなければ過失がない」などと言うことはあり得ない。「最高裁判決で違法を知ったあとでの減給以上の処分」があれば、過失ではなく故意が成立するというべきであろう。

憲法論のレベルではまったく見るべきもののない判決となった。この点、最高裁の呪縛下の下級審裁判官は、管理者に縛られて自由や裁量を剥奪されている教員の悲哀に思いをいたして判決を書くことができなかったのだろうか。

「日の丸・君が代」訴訟は、まだまだ続く。4次訴訟も係属中であるし、5次訴訟も予定されている。都教委の違憲違法な教育支配の続く限り、闘いも訴訟も続いていくことになる。
(2015年1月16日)

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