澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

弁護士会選挙に臨む三者の三様ー将来の弁護士は頼むに足りるか

早春は弁護士会選挙の季節。今週金曜日2月6日が、私の所属する東京弁護士会の会長・副会長・監事・常議員各選挙の投票日となっている。日本最大のマンモス単位会7000人の選挙。いま、その選挙運動がたけなわである。例年のとおり、選挙公報に目を通してみる。

弁護士会の役員たらんとする者、弁護士会運営の理念を語らねばならない。その理念とは、弁護士の使命である人権擁護をいかにして実現せしめるかを中心に据えたものでなくてはならない。現実の社会のあり方や政権の動向から遊離して人権擁護実現の課題はありえない。だから、弁護士会選挙の公約やスローガンは、現実の社会や政権と切り結ぶものとならざるを得ない。

主流会派から今回会長選に立候補している候補者のメインスローガンは、「頼りがいのある弁護士会を」というもの。弁護士にとっての頼りがいではなく、「市民にとって頼りがいのある弁護士会を」という内容である。

選挙公報で彼は次のように語っている。
「…目を国政に転じてみると、立憲主義と恒久平和主義が危機にさらされています。また市民の中には高齢者や障がいのある人などまだまだ弁護士へのアクセスが困難な方がいます。弁護士・弁護士会に期待される、憲法の基本原理を守り、さまざまな人権を擁護する活動は、このような困難な中でも若手会員の参加を得て継続・強化してゆく必要があります」
「基本的人権の擁護は、弁護士の使命です。これまで弁護士会は再審無罪事件の支援など、歴史的に数多くの社会的弱者の人権救済や、人権擁護に資する立法活動に携わってきました。この伝統を受け継ぎ、多分野の人権擁護活動に継続的に取り組んでいきます。特に戦争はあらゆる意味で多くの犠牲者を出す国家の人権侵害です。その危険を除くことも重要な弁護士の使命です。また昨今の人種差別を煽るヘイトスピーチによる人権侵害の救済にも取り組みます」

「集団的自衛権行使容認反対と憲法改正問題」との標題で次の公約もある。
「昨年の閣議決定による集団的自衛権の行使容認は認めることができません。手続き的に立憲主義に反するものであり、恒久平和主義とも相容れません。この閣議決定に基づく関連諸法の改正に対して憲法の基本原理を維持する立場から対応します。また、恒久平和主義を根底から変えようとする憲法改正の動きに対しては断固として反対いたします」
会内の保守的穏健派の良識が表明されていると見てよいだろう。

これに対立して「革新派」候補が立候補している。反権力・反政権の旗幟が鮮明である。「盗聴を容認する日弁連を東弁から変えよう」「 改憲と戦争を阻止する行動に立ち上がろう」などがメインスローガン。

彼は、情勢認識から語る。「再び世界戦争が惹き起こされようとしています。フランスの銃撃・人質殺害事件と、それに対する各国政府の「反テロ戦争」宣言は、そのことを強く危惧させます。銃撃事件の実行者は、それを「イスラム国」に対するフランスの空爆に対する報復・反撃と言っています。結局、アメリカを中心とし、フランス、イギリス、ドイツその他の国が行った中東地域の石油支配をめぐる争奪戦に起因するものであることは間違いありません。
日本も、「集団的自衛権行使」を容認する7.1閣議決定以来、こうした欧米各国に遅れまいとして突き進んでいます。安倍首相は、新たに「存立事態」などという概念を創り出し、「自衛」の名のもとに、日本の軍隊を世界のどこにでも送り込めるようにするため、今通常国会で法整備をすることを言明し、8月15日には「戦後70年談話」を発表し、日本国憲法体制を転覆するつもりです。
戦争は、それによって利益を挙げる一部の富裕層が起こすものであり、民衆にとっては、相手国の民衆との殺し合いを国家から強要され、失うものばかりで益するものは何もありません。
「政府の行為によってふたたび戦争の惨禍が起ることのないようにする」と誓った私たちは、この国の圧倒的多数を占めている労働者民衆とともに力をあわせて、政府の改憲・戦争政策と治安強化立法の制定を阻止することが、今どうしても必要です。私は、東弁会長としてその先頭に立ちます。」

「圧倒的多数を占めている労働者民衆とともに力をあわせて、政府の改憲・戦争政策と治安強化立法の制定を阻止することが、今どうしても必要」だという認識が、革新派たる所以。個別政策テーマでは、刑事司法のあり方に過半の紙幅を割いて、日弁連の妥協的姿勢を厳しく叱正している。

この対向関係が弁護士選挙の基本パターンといってよい。定員6名に7名が立候補した副会長選挙でも大方がこの基本パターンに属する。保守中道的な姿勢で在野精神と反権力を語るか、革新的に明確な政権批判運動へのコミットを口にするか、なのだ。

ところが、副会長候補者の一人だけが、まったく色合いを異にする「マニフェスト」を掲げている。弁護士や弁護士会の理念を語るところがない。むしろ、理念を払拭することをもって、「新たなる弁護士会の幕開け」「『新』世代が起ち上がる、時が来た」という。64期・36歳だという。

彼のいう「弁護士会の変革」とは、「弁護士をサラリーマン化し、弁護士会を会社化すること」にほかならない。公益活動から手を引いて、徹底して会財政をスリム化して、会費を半減しようという。さらに、「任意加入制でよいではないか。弁護士会から受ける利益よりも参加することの負担が大きい人には、弁護士会に参加しない権利も認められるべきです」という。一昔前までは、恥ずかしくてとても公の場では言えないことを、あっけらかんと言ってのけている。彼のいう「新たなる弁護士会の幕開け」は、「恐るべき弁護士会の幕開け」にほかならない。

政治信条が保守であろうと革新であろうと、拠って立つ基盤が財界であろうと労働者であろうと、弁護士は弁護士である。弁護士が弁護士である所以は、在野性にある。権力に縛られることがなく、仲間以外の誰からも監督も指導も受けることはない。その意味では、弁護士会は公的存在でありながら、監督官庁からの指揮監督を受けない国内唯一の組織である。弁護士の懲戒権を弁護士会が有していることの意義を軽んじてはならない。

「あっけらかんマニフェスト」の文中に、こんな言がある。
「現在、弁護士会は強制加入の団体です。しかし、既存の弁護士会には高すぎる会費の問題や政治性の高い活動を行っていることなど強制加入の団体にふさわしくない点があります。懲戒や公益活動についても裁判所や行政の関与で代替可能であり、弁護士会が自ら行う必要はありません」「所得の二極化が進んでいると言われている現状では、若手弁護士は、弁護士会に所属する意味を見出すことができません」「会員利益にならない活動、公益上必要不可欠でない活動、強制加入団体にそぐわない過度に政治的な活動について廃止・縮小を検討し、会費や会務活動の無駄を省きます」

彼が、積極的に何かの課題に取り組むという言及は皆無である。刑事司法制度についても、民事司法制度についても関心があるようには見受けられない。関心は、ただひとつ、弁護士自身が喰っていけるようにせよ、ということ。

なるほど、弁護士会の人権活動や公益活動を費用の無駄と考え、弁護士自治に関心なく、稼ぎに汲々としている若手弁護士が群をなして存在しているのだ。志のない弁護士たち、会社員と同じノリで法律事務所に就職したとの意識の弁護士たち。こんな弁護士が増えつつあることは、保守政権や財界にとっては、確かに「希望の幕開け」といってよい。彼らは、つべこべ言わずに、ひたすら高額の稼ぎを求めて、強者の利益のために働くことを恥と思わない弁護士となるのだろうから。

歌を忘れたカナリヤのごとく、公益性も志も忘れた「資格だけの弁護士群」の拡大は、由々しき問題だと思う。国民から「後ろの山に棄てましょか」とされかねない。いま、人権や平和などの憲法理念の有力な担い手としての弁護士層の役割を頼もしいと思う立場からは、志を失った弁護士の将来像を思うとき、暗澹たる気分とならざるをえない。
(2015年2月2日)

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Published in 月曜日, 2月 2nd, 2015, at 22:41, and filed under 司法制度, 弁護士.

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