澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「南無十万の火の柱」 - 東京大空襲70周年

本日の東京新聞「平和の俳句」を心して読む。
    三月十日南無十万の火の柱

70年前の今日、東京が地獄と化した惨状をつぶさに目にした古谷治さん(91歳)の鎮魂の一句。
東京新聞は、古谷さんを取材して、「黒焦げの骸 鎮魂の一句」「戦争を知る世代の使命」という記事を掲載している。その記事の中に、「古谷さんは戦後、中央官庁の役人として働き、政治家を間近で見てきた。今、戦争を知らない世代の政治家たちが国を動かすことに『坂道を転げ落ちていくような』不安を覚える。」とある。そして、古谷さん自身の次の言葉で結んでいる。

「戦争を知っているわれわれが、暴走しがちな『歯車』を歯を食いしばって止めないとどうなるのか。その使命の重大さ、平和のありがたさをかみしめて、鎮魂の一句をささげた」

日露戦争後、3月10日は陸軍記念日であった。1945年の陸軍記念日の早暁、テニアン・サイパンから飛来した325機のB29爆撃機が東京を襲った。超低高度で人家密集地に1600トンの焼夷弾の雨を降らせた。折からの春の強風が火を煽って、人と町とを焼きつくした。死者10万、消失家屋27万、被災者100万に上ったと推計されている。これが、3時間足らずのできごとである。防空法と隣組制度で逃げれば助かった多くの人命が奪われた。

東京大空襲訴訟の証言で、早乙女勝元さんが甚大な被害の理由をこう解説している。
「1番目は退路のない独特の地形です。東京の下町は荒川放水路と、隅田川に挟まれて無数の運河で刻まれた所。2番目はその夜の気象状況にあったと思います。春先の猛突風が9日の夜から吹き荒れていて、火が風を呼び、風が火を呼ぶという乱気流状態になったことが挙げられましょう。そして3番目は防空当局のミスであります。ミスといいますのは、空襲警報が鳴らないうちに空襲が始まっております。4番目は‥、昭和18年に内務省が改訂版で『時局防空必携』というのを各家庭に配りました。それを守るべしということですが、1ページ目を開きますとこう書いてあります。『私たちは御国を守る戦士です。命を投げ出して持ち場を守ります』と。国は東京都民を戦士に仕立てあげたんではないのでしょうか。そういうことが大きな人的被害を生む理由になったのではないかと考えます。」

多くの都民が、命令され洗脳されて、文字どおり「持ち場を守って命を投げ出した」のだ。

同じ証言で、早乙女さんはこうも述べている。
「3月10日の正午になりますと、焼け残りの家のラジオは大本営発表を告げました。公式の東京大空襲の記録といっていいのですが、翌日の新聞にももちろん出ております。その中でたいそう気になりますのは、次の1節であります。『都内各所に火災を生じたるも宮内省主馬寮(しゅめりょう)は2時35分其の他は8時頃までに鎮火せり』。100万人を超える罹災者とおよそ10万人の東京都民の命は、『其の他』の三文字でしかありませんでした。戦中の民間人は民草と呼ばれて、雑草並みでしかなかったと言えるかと思います。残念ながら、大本営発表の、『其の他』は戦後に引き継がれまして、今、被災者遺族の皆さんは私を含めて高齢ですけれども、旧軍人、軍属と違って、国からの補償は何もなく、今日のこの日を迎えています。国民主権の憲法下にあるまじき不条理であります。法の下に平等の実現を願っております。」

大日本帝国の公式発表は、10万の都民の命よりも皇室の馬小屋の方に関心を示したのだ。こうして、1945年の陸軍記念日は、「我が陸軍の誉れ」の終焉の日となった。それでも、この日軍楽隊のパレードは実行されたという。

無惨に生を断ち切られた10万の死者の無念、遺族の無念に、黙祷し合掌するしかない。空襲の犠牲者は、英霊と呼ばれることもなく、顕彰をされることもない。その被害が賠償されることも補償されることもない。それどころか、戦後の保守政権はこの大量殺戮の張本人であるカーチス・ルメイに勲一等を与えて、国民の神経を逆撫でにした。広島・長崎の原爆、沖縄の地上戦、そして東京大空襲‥。このような戦争の惨禍を繰り返してはならないという、国民の悲しみと祈りと怒りと理性が、平和国家日本を再生する原点となった。もちろん、近隣諸国への加害の責任の自覚もである。2度と戦争の被害者にも加害者にもなるまい。その思いが憲法9条と平和的生存権の思想に結実して今日に至っている。安倍政権がこれに背を向けた発言を繰り返していることを許してはならない。今日は10万の死者に代わってその決意を新たにすべき日にしなければならない。

たまたまドイツのメルケル首相が来日中である。共同記者会見でメルケルと安倍がならんだ。同じ敗戦国でありながら、罪を自覚し徹底した謝罪によって近隣諸国からの信頼を勝ち得た国と、しからざる国の両首相。それぞれが国旗を背負っている。

1940年、日独伊三国同盟が成立したとき、並んだ旗はハーケンクロイツと日の丸であった。戦後、ドイツは、ハーケンクロイツから黒・赤・金の三色旗に変えた。日本は、時が止まったごとくに70年前の「日の丸」のままである。変えた旗と変えない旗。この旗の差が、日独両国の歴史への対峙の姿勢の差を物語っている。

さて、東京大空襲70年後のこの事態である。火の柱となった十万の魂は鎮まっておられるのだろうか。
(2015年3月10日)

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