澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

戦争法案を廃案に。戦争法を支える教育行政の暴走にも歯止めを。

「安倍政権の教育政策に反対する会」を代表して開会のご挨拶を申し上げます。月曜日の正午スタートという、ご都合つきにくい日程にもかかわらず、参議院議員会館での教育を考える集会に多数ご参集いただきありがとうございます。

本日の集会のメインタイトルは、『いま、教育に起っていること』であります。
まことにさまざまなことが、いま、教育に起こっております。到底見過ごすことができないことばかり。ひとつひとつのできごとをしっかりと見つめ、見極めなければなりません。この教育分野のできごとは、けっして教育分野独自の問題として独立して生じているわけではありません。当然のことながら、教育問題も政治的・経済的・社会的な全体状況の一側面であります。他の政治や経済や社会状況と切り離して論じることはできません。そのような問題意識が、サブタイトル『戦争法とも言われている安保法制下での教育、ふたたび』として示されています。

国会の内外は、戦争法案審議の成否をめぐって、いま騒然たる状況にあります。その騒然たる状況は、全国津々浦々の教育現場の状況と密接に関連しています。初等中等教育に、政権が、あるいはその意を受けた地方権力が、乱暴な介入をしているだけでなく、いよいよ大学教育にも政権の介入が及ぼうとしています。

その政権が、昨年7月1日の集団的自衛権行使容認の閣議決定に続いて、いま戦争法案を国会に上程しました。衆議院での審議は紛糾し、政府与党は本日にも大幅な会期延長で、なんとか今国会での法案の成立を画策しています。これまでは我が国の外交にも内政にも、戦争・参戦という選択肢はありませんでした。自衛隊ありといえども、専守防衛の原則を厳守するというタテマエから踏み出すことはできなかったのです。ところが、いま、世界のどこにでも日本の武装組織が出かけていって戦争をする、戦闘に参加する、そういう選択肢をもつ、国に変えようというたくらみが強引に推し進めらようとしています。

もし、政権の思惑通りにことが成就するとすれば、まさしく憲法の平和主義からの大きな逸脱であり、これこそ「戦後政治の総決算」であり、「戦後レジームからの脱却」というほかはありません。この政権の動きと軌を一にして、教育も、そのような政策に奉仕する人材を育成する内容に変更されようとしている、と考えざるをえません。

戦争を政策選択肢とする国とは、いつもいつも効率よく戦争を遂行できるよう、万全の準備を怠らない国です。いざというときには、政権の呼びかけに応じて全国民が一丸となって戦争に参加しなければなりません。そのような国を支える教育とは、いったいどんなものなのでしょうか。

自らものを考え行動する自立した主権者を育てる教育とは対極にある教育。権力が望む批判精神を欠いた国民を育成する教育。結局のところ、権力の意思を子どもたちに刷り込み、国家の言いなりに動く人材を育成する教育。その政策の根底には、国民個人を軽んじる国家主義ないしは軍事大国化の志向があり、大企業の利益に奉仕する新自由主義があります。

本日は、何よりも教育の分野総体が、いったいどうなっているかを正確に把握したいと思います。そして、その背景を煮詰めて考える手がかりを得たいと思います。冒頭に総論として世取山洋介さん(新潟大学教授)の基調講演をお願いしています。「教育情勢全般の状況について」という世取山さんならではのご報告に耳を傾けたいと思います。そのあと、各論として、まず俵義文さん(子どもと教科書全国ネット21)から重大な局面を迎えている教科書採択状況についてのご報告。また、近時新たに大きな問題となってきました政権の大学の自治への攻撃をめぐる問題について岩下誠さん(学問の自由を考える会事務局長・青山学院大学准教授)から、さらには教育の歪みの端的な表れである学校でのいじめ問題について武田さち子さん(ジェントルハート理事)に、それぞれ20分ずつのご報告をいただき、その後ご参加いただける議員や会場の皆さまを交えての意見交換をいたしたいと存じます。

目指すところは、戦争法案と同じ根っこから顔を出している政権の全面的な教育介入に対する摘発です。戦争法案とともに、政権の教育への不当な介入も吹き飛ばすにはどうすればよいのか。教育を「ふたたび」戦前に戻してしまうような愚かさを繰り返すことのないよう自覚しなければならないと思います。そのために、本日の集会が充実した実りある議論の場となりますように、皆さまのご協力をよろしくお願いいたします。
(2015年6月22日)

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