澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

安倍クン見苦しい。孟子の引用はやめたまえー老漢文教師の嘆き

アベ君。私は恥ずかしい。キミに漢文を教えたのは私だ。「昔々ある学校で」のことだ。キミの漢文理解の素養が貧弱なことには、教師である私にも大いに責任がある。なんとも悲しく、お恥ずかしい限りだ。

キミは、強行採決で幕を閉じた7月15日衆議院平和安全法制特別委員会の質疑において、長妻昭議員の質問に答える中でこう言っている。

「当然批判もあります。しかしその批判に耳を傾けつつ、みずから省みてなおくんばという信念と確信があればしっかりとその政策を前に進めていく必要があるんだろう、こう思うわけであります。」

有名な、「孟子」公孫丑編の一節「自反而縮 雖千萬人 吾往矣」(自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖も吾往かん)を引用しての信念の披瀝なのだろう。この孟子の一節は、キミの座右の銘と聞いている。これまでも、何度も答弁で引用されたとのことだ。キミの公式ホームページには、キミの政治信条として、この言葉が次のように掲げられている。

「自らかえりみてなおくんば、一千万人といえどもわれゆかん」
村田清風もまた吉田松陰も孟子の言葉をよく引用されたわけでありますが、自らかえりみてなおくんば、一千万人といえどもわれゆかんと、この自分がやっていることは間違いないだろうかと、このように何回も自省しながら、間違いないという確信を得たら、これはもう断固として信念を持って前に進んでいく、そのことが今こそ私は求められているのではないかと、このように考えております。

だが、この引用は私には理解できない。むしろ、不適切極まるものと言ってよい。ホームページから削除し、今後は一切この名句の引用は辞めたがよい。強くそう願う。君自身のためにも、孟子の名誉のためにもだ。そして私の教員人生の汚点を消していただきたいのだ。

私がキミに孟子を講義したときには、真っ先に孟子の革命思想をお話ししたはずだ。貝塚茂樹説を引用して、「孟子」という書物は永く異端思想を含むものとしてとり扱われてきたことをよく教えた覚えがある。

孟子は、周の武王が殷の紂王に反旗をひるがえして討滅し、ついに天下をとったことを正面から是認している。暴虐な君主は民意を失い、そのことによって天命を失い、天子としての統治の正統性を喪失してしまったのだ。これに対して、周の武王は人民の与望をにない、したがって天の命を受けて、天子としての統治の資格を得たのだ。人民の意志にもとづいて武王が紂王を殺しても弑逆の罪を構成しない。そう唱えたのだ。これは、万世一系の国体思想に敵対する危険思想ではないか。

要するに孟子にあっては、天子の天子たる所以は、民意に基づくところにある。天命とは、実は人民の意志にほかならない。政権は民意に背いてはならない。政権が民意に背けば、天がこれを見放し、人民は専制政府に対して抵抗し革命を起こす権利をもっている。「孟子」はそう宣言したのだ。「孟子」には、このようなラジカルな民主主義的政治思想が含まれている。

キミは、このことを理解しようとしていない。
「孟子」が「自反而縮 雖千萬人 吾往矣」というとき、これが為政者の言と想定されているはずはない。為政者の言とすれば、「民がなんと言おうとも、為政者の信念を貫いて、民意を踏みつぶす」という意味になってしまうではないか。まさしく、それが今の君の立場だ。だから、私は、悲しくもあり、恥ずかしくもある、というのだ。

キミは、民意から離脱しているというだけでなく、真っ向から批判されていることを自覚している。孟子なら、厳しくキミを叱責して、為政者としての資格喪失のレッドカードを突きつけるところだ。ところがキミは、孟子の言葉を引いて「自らかえりみてなおくんば、一千万人といえどもわれゆかん」と開き直っている。キミが闘おうと言っている一千万人とは、キミに為政者としての資格を授けた民そのものではないか。キミのいうことは筋が通らない。キミの論理はすっかり混乱している。キミは武王でなく、既に紂王の立場なのだ。だからもう、天はキミの側にない。無理してその地位に留まろうとする悪あがきはやめた方がよい。紂王のごとき悲惨な最期を遂げる前にだ。

私は政治家の座右の銘とすべき名句についても、キミに教えたことがあるが、こちらはキミにはお気に召さなかったようだ。もし、キミがもう一度、政治家として再出発する機会があれば、座右の銘を次の一節に換えたまえ。

子貢、政を問う。子の曰わく、「食を足し兵を足し、民をしてこれを信ぜしむ」。子貢が曰わく、「必らず已むを得ずして去らば、斯の三者に於いて何れをか先きにせん」。曰わく、「兵を去らん」。曰わく、「必ず已むを得ずして去らば、斯の二者に於いて何れをか先きにせん」。曰わく、「食を去らん。古えより皆な死あり、民は信なくんば立たず」。

愛弟子である子貢の問に答えて、孔子が政治の要諦を語っている、よく知られた一節。ここには、「食・兵・信」という政治の3価値が並べられて、その価値の序列が話題となっている。いろんな解釈が乱立しているが、私は君にこう教えたはずだ。

「『食』とは経済のこと、あるいは国民の福祉を意味している。『兵』とはいうまでもなく軍事である。そして、『信』とは為政者と人民との信頼関係、すなわち民主主義にほかならない。為政者は、戦争も軍備も撤廃して差し支えない。国民の福利さえも場合によっては削減せざるを得ない。しかし、民主主義だけはけっして捨てる去ることができない」
それが、今の世にまで通ずる孔子の教えなのだ。

アベ君、キミはいま、「『兵』をとって、『信』を捨てた」。民主主義を捨てて、戦争と軍備を選択した。孔子の教えを投げ捨てたのだ。さぞや孔子も嘆いていることだろう。孔子だけではなく、私もだ。そして、日本国憲法も、なのだ。
(2015年7月22日)

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