戦争法案合憲の論拠に砂川判決引用は政権の墓穴ー入江メモのインパクト
本日(9月15日)の朝日・朝刊3面に、「『集団的自衛権は砂川判決の検討外』裏付け?」「当事者の最高裁元判事、書斎文書にメモ」という記事がある。インパクトの強い、グッドタイミングのニュース。しかも、朝日(あるいはテレビ朝日)のスクープだろうに、どうして扱いがこんなにも小さいのだろう。
周知のとおり、政権与党が戦争法案を違憲でないとする唯一の根拠が砂川事件最高裁大法廷判決の引用。安倍晋三はワラをもつかむ思いでこの判決にすがっているのだが、ワラは所詮ワラに過ぎない。大舟でないと言うもおろか、筏でも丸太でさえもない。そのことが、砂川判決に関わった最高裁元判事が書き残したメモからも明らかになった、という記事。言わば、ダメ押しの戦争法案違憲記事。
にわかに時の人になったのが、既に故人となっている入江俊郎元最高裁判事。
法制局長官として日本国憲法の制定作業に関わった経歴を持ち、52年8月史上最年少の51歳で最高裁判事に就任した人。71年1月の定年退官まで、歴代最長となる最高裁判事の在任期間記録保持者だという。最高裁長官にはならなかったが、長官代理の任にはあった。この人の遺品から貴重なメモが見つかった。あたかも現時点の論争(というよりは政権側の牽強付会)を見越したような内容となっている。
朝日の記事(抜粋)は以下のとおり。
「米軍駐留の合憲性が争われた1959年12月の砂川事件最高裁判決に関し、裁判に関わった入江俊郎・元最高裁判事(故人)が「『自衛の為の措置をとりうる』とまでいうが、『自衛の為に必要な武力か、自衛施設をもってよい』とまでは、云はない」などとするコメントを書き込んだ文書が見つかった。
政府・与党側は、判決が「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうる」などと言及したことを引き、集団的自衛権を認める根拠だと主張する。しかし、入江氏の書き込みは、自衛隊が合憲か違憲かという個別的自衛権の判断を判決がしていないことを確認したもので、集団的自衛権は検討されていないことがうかがえる。
最高裁判決が触れた「自衛のための措置」について入江氏は「『自衛の為に必要な武力、自衛施設をもってよい』とまでは、云はない」と指摘し、判決も自衛隊が合憲か違憲かには踏み込まなかった。結論として、「故に、本判決の主旨は、自衛の手段は持ちうる、それまではいっていると解してよい。ただそれが、(憲法9条)二項の戦力の程度にあってもよいのか、又はそれに至らない程度ならよいというのかについては全然触れていないとみるべきであらう」と指摘した。
高見勝利・上智大教授(憲法)は「入江氏は判決の『自衛の措置』の意味内容を確認している。自衛隊の実力が憲法9条2項で禁じられた『戦力』に当たらないか否かという個別的自衛権の問題についても判決は答えを出していない。それなのに『自衛の措置』を引き合いに集団的自衛権容認の根拠とするのは明らかに無理がある」と話す。
この記事だけでは、やや分かりにくいのではないだろうか。
ポイントは、「『自衛の為の措置をとりうる』とまでいうが、『自衛の為に必要な武力、自衛施設をもってよい』とまでは、云はない。」ということだ。つまりは、判決は「自衛の為の措置」と「自衛の為に必要な武力」とを峻別した。前者は認めたが後者には言及していないと念を押しているのだ。自衛のための措置の具体的手段は幾通りもあるが、必ずしもその手段の一つとしての「自衛の為に必要な武力」保有を認めたわけではない。判決は自衛隊合憲論ではないことを、まず確認しなければならない。
ひるがえって、政府・与党側の主張はこんなものだ。
砂川判決は「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうる」と言っている。「自衛のための措置をとりうる」とは自衛権を認めること。自衛権とは、個別的自衛権だけでなく集団的自衛権を含む概念なのだから、砂川判決は集団的自衛権をも容認していることになるのだ。つまり、最高裁は集団的自衛権を認めているのだ。
まったく形式的に、「自衛のための措置をとりうる⇒判決は自衛権を認めた⇒自衛権には個別的自衛権だけでなく集団的自衛権も含まれる⇒だから判決は集団的自衛権行使を容認した」。そのように判決を読もうということだ。
政府側見解では、個別的自衛権とは自衛のために必要な恒常的武力(=自衛隊)を保有する権利であり、集団的自衛権とは日本が攻撃されていなくても同盟国が第三国から攻撃をされたときに保有する恒常的武力(=自衛隊)を発動して当該第三国に武力を行使する権利、ということになる。
ところが、入江メモは、自衛のために必要な恒常的武力(=自衛隊)を保有する権利を認めたものではないと言っているのだ。集団的自衛権を行使する手段としての恒常的武力(=自衛隊)の保有を認めていないと言うのだから、集団的自衛権行使を容認したものであるはずはない。
砂川判決を書いた判事は集団的自衛権など念頭においてなかっただけではなく、自衛権を認めるといいつつも、自衛の武力すら認めてはいないのだ。集団的自衛権の行使が武力の行使である以上、これを認めたはずはないということなのだ。
結局砂川大法廷判決とは、「日本国憲法は『自衛の為の措置をとりうる』ことを認めており、その手段につき他国への安全保障を求めてもよく、その結果としてアメリカ駐留軍がいても、それは憲法9条2項に保持を禁止されている『戦力』でないということを明らかにした」というだけのもので、自衛隊の合憲も言っていなければ、集団的自衛権の容認をしているものでもない。
入江メモによって、強引に砂川判決を引用したことの失敗は明白になった。砂川判決引用は、今や安倍政権の墓穴となっている。
(2015年9月15日・連続898回)