澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「フードファディズム」とサプリメント広告規制ー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第56弾

先日、私の母校である私立の高等学校が創立60周年を迎え、記念の同窓会を催した。久しぶりに懐かしい友人たちと旧交を温め、それぞれが近況を報告することになった。私はもっぱらDHCスラップ訴訟の経過を話題にした。もちろん、私の旧友は私の味方だ、口を揃えて「吉田嘉明とはひどい奴だ」「DHCがそんな会社とは知らなかった」と大いに憤慨してくれた。この友たちが、またどこかでDHCの所業を口コミで伝えてくれるに違いない。

その場に居合わせたなかに、国立大学で食品科学を教えていた旧友がいた。「調理を科学する」という幸せな研究生活を送って今は名誉教授になっている。私は彼に、「DHC・吉田が私を提訴したのは、健康食品・サプリメント販売の規制緩和問題が絡んでいる」ことを説明した。「吉田嘉明が渡辺喜美に対して、8億円ものカネを提供したのは、DHCのサプリメントを規制なく売って儲けを拡大したいからだ」と私はブログに書いた。そのことが吉田の疳に障って、6000万円の慰謝料請求の原因にされていることを話した。

その彼から、このことに関連した基礎的概念として「フードファディズム」という用語と、その提唱者である高橋久仁子群馬大学教授の存在を教えられた。不明にも、私はこの言葉自体を知らなかった。不思議なもので、教えられると「フードファディズム」なる用語にはその後たびたびお目にかかるようになっている。

「フードファディズム」とは、特定の食べ物や栄養が、健康や病気に与える影響を過大に評価したり信じたりする社会心理現象を言うようだ。巷に溢れる「あやしい食の情報」に消費者の食生活が振り回されている現象を否定的に捉えて、こんなことのないようにと警告を発するために提唱された概念と考えられる。

「納豆を食べるとやせられる」「ココアが高血圧や貧血に効く」「ニガウリが血糖値を下げる」「バナナがよい」「○○が△△に効く」という類の過剰な似非科学情報に踊らされる消費者に、しっかりした消費者マインドと広告リテラシーを持てと警告を発する際に、これは「フードファディズム」だ、という言葉が用意されていることはたいへんに説明に便利なのだ。ちょうど、DHC・吉田嘉明の私に対する提訴を「スラップ訴訟」と表現することで、説明の手間が省け明確なイメージが浮かぶようにである。

「フードファディズム」という概念提唱の前提には、「適当な量を守り適切な食事法を行っていれば、ある特定の食品を摂取した結果、急激に体によい状態、あるいは悪い状態になることはない」という経験科学の知見がある。

高橋久仁子・群馬大学教授によれば、フードファディズムとはアメリカで育った概念なのだそうだが、日本の社会には、フードファディズムが容易に蔓延する土壌が調っているという。まったく同感だ。

当然のことであるが、多くの人の健康志向や美容願望に付け込んでフードファディズムを煽るのは、これを売って儲けようという輩である。そして、一部のメディアがその提灯を持つ。企業の利益のために消費者の食生活に無用無益の混乱をもたらすもの、それがフードファディズムという現象なのだ。

これも当然のことながら、フードファディズムは、狭義の食品だけを問題にしているのではない。健康食品・栄養補助食品・サプリメントと言われる食品関連商品をも警告の対象としている。もしかしたら、こちらの方が弊害が大きく、それゆえメインターゲットなのかも知れない。

健康食品・サプリメントなるものが、気休め以上の効果のないことは常識と言ってよいだろう。少なくとも、科学的検証に堪える効果が確認できて、金を払っても摂取すべきほどの効果はあり得ない。

下記は、手近で手頃な情報源としてのウイキペディアからの引用である。
「健康食品は、健康の保持増進に役立つものであると機能が宣伝され販売・利用されることで、学術的な認識とは独立して社会的な認識においては他の食品と区別される一群の食品の呼称である。健康食品の一部は行政による機能の認定を受け『保健機能食品』と呼ばれるが、それ以外では効果の確認及び保証はなされない。また業界団体である日本健康・栄養食品協会は(旧)厚生省の指導により規格基準を設定し、1986年より『健康補助食品』の認定マーク(JHFAマーク)を発行している。『いわゆる健康食品』や『健康志向食品』などの用語も使用される。『サプリメント』も健康食品に含まれるが、2013年12月にはアメリカのジョンズ・ホプキンス大学の教授をはじめとする医師らが医学誌アナルズ・オブ・インターナル・メディシン誌上にビタミンやミネラルなどのサプリメントは健康効果がなく、十分な栄養を取っている人にはむしろ害になる可能性があるという研究結果を発表した。」

要するに、健康食品には、限定された「行政による機能の認定を受けた保健機能食品」以外に健康によいというエビデンスはない。むしろ、「サプリメントは健康効果がなく、十分な栄養を取っている人には害になる可能性がある」とエビデンスがあるというのだ。

そのエビデンスとは、下記のとおりである。
「2013年12月にはアメリカのジョンズ・ホプキンス大学の教授をはじめとする医師らが医学誌アナルズ・オブ・インターナル・メディシン誌上に栄養不足のない人にはビタミンやミネラルのサプリメントをとっても慢性疾患の予防や死亡リスクの低減効果はなく、一部の疾患リスクを高める可能性があるという研究結果を発表した。論文によれば、栄養が十分な人においては、心臓血管疾患、心筋梗塞、ガン、認知症、言語記憶、そのいずれに対してもビタミンやミネラルのサプリメントは予防効果はなく、ベータカロチンが肺がんリスクをむしろ高める可能性や、ビタミンEや高容量のビタミンAの摂取が死亡率を高める可能性などを示唆し、それらのサプリメントに明確な利益はなく、有害であるかもしれないとした。ビタミンDに関しては、不足している人にとっては有意な効果がある可能性もあるが、現在は利益が害を上回るという確かな根拠に基づかずに使用されているとした」

以上のとおりサプリメントに効能のエビデンスはない。むしろ害になる可能性さえある。にもかかわらず、あたかも大きな効能ある如き誇大な宣伝がメディアに満ち満ちているのが現実であることは周知の事実。

どの宣伝も、まずは「具体例の効能」を写真入りで大書する。そして、小さな字で、「※コメントは個人の感想です。効果・実感には個人差があります。」(DHCのホームページより)と書き加えるのが定番の手法。

さらに、こんなことも、小さな字で書き加えられる。
「※お名前はご本人の希望により仮名にしてあります。」(DHCのホームページより)

このような宣伝手法にどう対処すべきか。消費者の立場から規制を強化すべきか、あるいは企業の立場に立って規制を緩和すべきなのか。これは優れて消費者問題なのだ。

発達した大量消費社会においては、個々の消費者は大企業に欲望までもが操られた存在となる。高度な企業戦略によって洗練された広告の手法は、消費者の消費意欲を喚起し、不要な商品まで買わされる。場合によっては害になる可能性さえある商品までもなのだ。健康食品・サプリメントはその典型といえよう。

薬事行政・食品行政、そして消費者行政は、恣意に流れると危険であるがゆえに、健康食品・サプリメント企業の行為を規制しなければならない。それは経済的規制とは区別された、弱い立場にある国民の生命・健康や財産を護るために必要な社会的規制である。規制は悪、官僚と闘う、などとして、この必要な規制を緩和してはならないのだ。

DHCスラップ訴訟は、企業の利潤追求の立場から、私のような消費者サイドに立つ意見を封殺しようという側面を持っている。消費者問題としても、私はDHCスラップ訴訟に負けてはならないのだ。
(2015年12月6日・連続第979回)

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