澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「『平成天皇制』ーこれはむき出しの権力だ。」

8月も終わりに近い。8月は戦争を語り継ぐときだが、同時に天皇制を論ずべきときでもある。71年前の敗戦は、軍国主義と戦争の時代の終焉であったが、同時に野蛮な神権天皇制の終焉でもあった。しかし、軍国主義と臣民支配の道具であった天皇制が廃絶されたわけではない。日本国憲法下、象徴として残された天皇制は、はたして平和や人権や国民の主権者意識に有害ではないのだろうか。

今年(2016年)の7月から8月にかけて、天皇の「生前退位発言」が象徴天皇制の問題性をあぶり出した。歯の浮くような、あるいは腰の引けた俗論が続く中、8月も終わりに近くなって、ようやく本格的な論評に接するようになった。

本日(8月26日)の毎日新聞朝刊文化欄の「原武史・北田暁大対談」は、そのような本格的論評の代表格というべきだろう。
ネットでは、下記URLで読める。これは、必見と言ってよい。
  http://mainichi.jp/articles/20160827/ddm/014/040/015000c(上)
  http://mainichi.jp/articles/20160827/ddm/014/040/018000c(下)

この時期、この二人に対談させた毎日の企画に敬意を表するが、見出しはいただけない。「中核は宮中祭祀と行幸 象徴を完成させた陛下」「踏み込んだ『お気持ち』 天皇制を再考する時期」。この見出しでは読者を惹きつけられない。しかも、対談の真意を外すものだ。もとより、原も北田も「陛下」などと言うはずもないのだ。見出しは、対談の毒を抜いて砂糖をまぶして、読者へのメニューとした。しかし、対談の中身はそんな甘いものではない。歯ごたえ十分だ。

全文を読んでいただくとして、私なりに要約して抜粋を紹介したい。

対談者の関心は、まずは今回の天皇発言の政治性にある。このような政治的発言を許してしまう、象徴天皇制というものの危うさと、これに的確な批判をしない時代の危うさに、警鐘を鳴らすものとなっている。

冒頭の北田発言がその要約となっている。
北田「天皇の『お言葉』で皇室典範改正につながるかもしれません。実質的に天皇が法を動かすということは日本国憲法の規定に反する明確な政治的行為でしょう。しかし右も左もマスコミも、心情をくみ取らないわけにはいかないという論調。立憲主義の根幹にかかわることなので、もっと慎重に議論が進むと思っていたのですが……。」

さらに、中心的なテーマは、象徴天皇制がもはや憲法をはみ出すものになっているという批判である。

原は、今回の天皇発言を「玉音放送」に擬してこう言う。
原「今回のお言葉の放送は、いろんな意味で1945年8月15日の『玉音放送』と似ています。玉音放送は臣民という言葉が7回出てくる。今回も国民という言葉が11回出てきた。…昭和天皇が強調したのは、ポツダム宣言を受諾しても、天皇と臣民が常に共にある『君民一体』の国体は護持されるということ。今回も『常に国民と共にある自覚』という言葉が出てきます。
 玉音放送の終わり方は「爾(なんじ)臣民其(そ)レ克(よ)ク朕(ちん)カ意ヲ体(たい)セヨ」、つまり臣民に向かって自分の気持ちを理解してもらいたい、と。今回も「(私の気持ちが)国民の理解を得られることを、切に願っています」で終わっています。」

これに、北田が共鳴し、さらに原が敷衍する。
北田「政治・立法過程を吹っ飛ばして国民との一体性を表明する。今、天皇が憲法の規定する国事行為を超えた行動ができることについて、世の中が何も言わないというのは、象徴天皇制の完成を見た思いがします。」

原「今回衝撃的だったのは、憲法で規定された国事行為よりも、憲法で規定されていない宮中祭祀と行幸こそが『象徴』の中核なのだ、ということを天皇自身が雄弁に語ったことです。

北田「憲法に書かれていないことが私の使命なんだ、と。相当に踏み込んだな、よく宮内庁は止めなかったなと驚きました。止められなかったのか。天皇の記号としての機能は今、より純化され、強固になっています。多くの国民が政治的な存在と思っていないことが最も政治的なわけで……。」

北田「天皇の政治的な力を見せつけられました。『空虚な中心』どころではない。」
原「より能動的な主体として立ち上がってきた。」

対談者の批判は、左派・リベラルにもおよぶ。
北田「左派リベラル系の人の中にも、天皇制への視点が抜け落ち『この人なら大丈夫』と属人化されている。それほど見事に自らを記号化してきた成果が今回の肯定的な世論に表れているのでは。」

原「実は国体が継承されているんじゃないか。昭和との連続性を感じます。イデオロギッシュだった国体の姿が、より一人一人の身体感覚として染み渡っていくというか、強化されているのではないか。こうした行幸啓を続けることで、いつの間にかそれが皇室の本来の姿のように映るようになった。

北田「すごい発明ですよね。平成天皇制。自戒を込めていえば、私も天皇について断片的に本を読むくらいで、強い関心を持っていませんでした。しかし今回のお言葉で目が覚めました。『これはむき出しの権力だ』と。天皇家、天皇制とは何なのかを徹底的に再考する時期だと思います。」

若い北田の「すごい発明。平成天皇制」「これはむき出しの権力だ」という感性を私も共有したい。そして、原にも北田にも、世論を覚醒せしめる本格的な論稿を期待する。
(2016年8月27日)

Comments are closed.

澤藤統一郎の憲法日記 © 2016. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.