澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

靖國の二面性ー「上からのA面」と「下からのB面」

8月も今日でおわる。戦争と平和を語るべき月の最後には、やはり靖國を語りたい。

靖國神社には、月毎の「社頭掲示」というものがある。「多くの方々に、祖国のために斃れられた英霊のみこころに触れていただきたいと、英霊の遺書や書簡を毎月、社頭に掲示しています。社頭にこれまで掲示した遺書や書簡は、『英霊の言乃葉』に纏めて刊行、頒布していますので、是非ご覧下さい」とのこと。

今月(2016年8月)の社頭掲示は、以下のとおりの「英霊の遺言状」。
遺言状 陸軍大尉 岡研磨命
(戦死による2階級特進での「大尉」。生前は少尉であったことになる。「命」は、祭神であることの敬称で「(の)みこと」と読む。なお、霊爾簿には、祭神の氏名の外、戦没年月日・出身地・軍における階級・勲等・金鵄勲章の等級が記される)
昭和十九年九月二十一日 西部ニューギニア方面にて戦死
福井県福井市手寄上町出身 四十七歳

 人生草露の如し。
 今栄ゆる御代に会ひ、醜の御楯となる本懐これに過ぐる事なし。
 母上に対し孝養足らず。遺族の幸福を願ひつつもその及ばざりしは余の不徳なり。深くこれを謝す。
 人生の行路平坦ならず。
 一同力を合はせ御国の為勇往邁進せよ。
 吾、御身等の身辺にありて必ず守護せん
。(原文のまま)

見方によっては、紋切り型の典型というべきだが、死後に、遺族だけでなく軍にも郷里の人びとにも読まれることを意識しての遺言である。到底率直な心情をつづることはできない。末尾3行は、既に護国の神としての言葉となっている。これ以外には、書きようがなかったのだろう。

「栄ゆる御代」「醜の御楯」「本懐」「御国の為」「勇往邁進」などの常套語句の羅列の中に、「人生草露の如し」「母上に対し孝養足らず」「遺族の幸福を願ひつつ」と無念さを読み取ることもできよう。

これとは対極のものをご紹介したい。2008(平成20)年8月の靖國神社社頭掲示である。

  遺 書
 陸軍歩兵中尉 立山英夫命
 昭和十二年八月二十二日
 歩兵第四七聯隊
 支那河北省辛荘附近にて戦死
 熊本県菊池郡隈府町出身

  若し子の遠く行くあらば 帰りてその面見る迄は
  出でても入りても子を憶ひ 寝ても覚めても子を念ず
  己生あるその中は 子の身に代わらんこと思い
  己死に行くその後は 子の身を守らんこと願ふ
  あゝ有難き母の恩 子は如何にして酬ゆべき
  あはれ地上に数知らぬ 衆生の中に唯一人
  母とかしづき母と呼ぶ 貴きえにし伏し拝む
  母死に給うそのきはに 泣きて念ずる声あらば
  生きませるとき慰めの 言葉交わして微笑めよ
  母息絶ゆるそのきはに 泣きて念ずる声あらば
  生きませるとき慰めの 言葉交わして微笑めよ
  母息絶ゆるそのきはに 泣きておろがむ手のあらば
  生きませるとき肩にあて 誠心こめてもみまつれ

 お母さん お母さん お母さん
 お母さん お母さん お母さん
 お母さん お母さん お母さん
 お母さん お母さん お母さん
 お母さん お母さん お母さん
 お母さん お母さん お母さん
 お母さん お母さん お母さん
 お母さん お母さん お母さん

これは、「覚悟の遺書」ではない。母にも他人にも読まれることを想定して書いたものではない。斥候として偵察に出た初陣で戦死した若い見習い士官のポケットから出てきた母の写真の裏に書き付けられたメモである。

メモ前半の長歌は、当時よく知られていた「感恩の歌」の一部をとって、独自の創作を付け加えたもの。そして、24回繰り返された「お母さん、お母さん、お母さん……」。母を思う子の心情が溢れて胸を打つ。ここには、「大君の辺にこそ死なめ かへり見はせじ」というタテマエや虚飾が一切ない。

私は、このメモを読むたびに、不覚の涙を禁じ得ない。我が子の死の報せを聞かされた母の嘆きはいかばかりのものであったろう。

靖國神社には二面性がある。その一面は、上から見た、国家が拵え上げ国民に押しつけた側面。戦没将兵を顕彰することで、戦争を美化し国民を鼓舞して、君のため国のための戦争に国民精神を総動員する装置としての側面。飽くまでこちらがA面である。

だがそれだけではない。国家によって拵え上げられた擬似的「宗教」装置ではあっても、夥しい戦没者の遺族にとっては、故人の死を意味づけ、これを偲ぶ場となっている。確実に民衆が下から支える側面がある。こちらがB面。B面あればこそのA面という関係ができあがっている。

「醜の御楯となる本懐これに過ぐる事なし」とは、A面を代表する遺言状。「お母さん、お母さん…」のメモは、B面に徹した遺品。A面だけではなく、B面も靖國にとっては、なくてはならない存在なのだ。

私は、B面に涙する。同時に、この涙する心情をA面に利用させてはならないとの痛切の思いを新たにする。A面は宗教的に構成されているのだから、政教分離とはA面の国家利用を絶対に許さないとする法原則と理解してよい。

戦争の犠牲者は自国民だけではない、軍人軍属だけでもない。戦没者の追悼のあり方は、祭神として靖國の社頭に祀ることだけではない。「お母さん…」と書き付けて亡くなった子と母の痛切な心情を、国家や靖國に囲い込ませてはならない。

戦死者を顕彰したり戦争を美化するのではなく、再びの戦争犠牲者を絶対につくらないと決意すること。いかなる理由による、いかなる戦争も拒否すること。国際協調と平和主義を貫徹する誓約をすること。これこそが本当に戦死者を悼み、戦死者と遺族の心情を慰めることになるのだ。
(2016年8月31日)

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Published in 水曜日, 8月 31st, 2016, at 15:31, and filed under 戦争と平和, 政教分離・靖国.

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