澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「被爆者である私は、日本政府の姿勢に心が裂ける思いです。」

世の中には、落ちついて耳を傾けると「なるほどそういうことだったのか。よく聞いてみて初めてわかった」と納得できることがある。しかし、その反対に、聞けば聞くほど「さっぱり分からん。やっぱりおかしい」と思うこともある。日本政府の核兵器禁止条約に反対という理屈は、「いくら聞いても分からない」「聞けば聞くほど、やっぱりおかしい」の典型というほかはない。

この日本という国の政府は、確かに私たち日本の国民が作ったはずの政府なのだが、本当はだれの政府なのだろうか、そしてどこを向いているだれのための政府なのだろうか。何とも釈然としない。その思いは、被爆者の熱い訴えと、政府を代表しての軍縮会議代表部大使の冷たいスピーチを対比させるときに、ますます募ることとなる。

ニューヨークの国連本部で、昨日(3月27日)から「核兵器禁止条約」制定に向けての交渉会議が始まっている。核兵器の存在を違法とし、法的に禁止しようという試みである。その会議の冒頭、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)を代表して、藤森俊希事務局次長が壇上から訴えた。「1945年8月6日、米軍が広島に投下した原爆に被爆した一人です」と自己紹介してのことである。以下、その内容を抜粋して紹介する。

 被爆者は「ふたたび被爆者をつくるな」と国内外に訴え続けてきました。被爆者のこの訴えが条約に盛り込まれ、世界が核兵器廃絶へ力強く前進することを希望します。

 被爆した時の私は、生後1年4カ月の幼児でした。母に背負われ病院に行く途中、爆心地から2・3キロ地点で母とともに被爆しました。私は、目と鼻と口だけ出して包帯でぐるぐる巻きにされ、やがて死を迎えると見られていました。その私が奇跡的に生き延び、国連で核兵器廃絶を訴える。被爆者の使命を感じます。米軍が広島、長崎に投下した原爆によって、その年の末までに21万人が死亡しました。キノコ雲の下で繰り広げられた生き地獄後も今日3月27日までの2万6166日間、被爆者を苦しめ続けています。

 同じ地獄をどの国のだれにも絶対に再現してはなりません。私の母は、毎年8月6日子どもを集め、涙を流しながら体験を話しました。辛い思いをしてなぜ話すのか母に尋ねたことがあります。母は一言「あんたらを同じ目にあわせとうないからじゃ」と言いました。母の涙は、生き地獄を再現してはならないという母性の叫びだったのだと思います。 

 ねばり強い議論、声明が導き出した結論は「意図的であれ偶発であれ核爆発が起これば、被害は国境を超えて広がり」「どの国、国際機関も救援の術を持たず」「核兵器不使用が人類の利益であり」「核兵器不使用を保証できるのは核兵器廃絶以外にあり得ない」ということでした。多くの被爆者が、万感の思いをもって受け止めました。

 核兵器国と同盟国が核兵器廃絶の条約をつくることに反対しています。世界で唯一の戦争被爆国日本の政府は、この会議の実行を盛り込んだ決議に反対しました。被爆者で日本国民である私は心が裂ける思いで本日を迎えています。しかし、決して落胆していません。会議参加の各国代表、国際機関、市民社会の代表が核兵器を禁止し廃絶する法的拘束力のある条約をつくるため力を注いでいるからです。法的拘束力のある条約を成立させ、発効させるためともに力を尽くしましょう。

核廃絶こそは民意だ。広島・長崎、そして第五福竜丸の悲劇に戦慄した日本国民は、全国民的な規模で原水爆禁止運動を巻き起こし、切実に核兵器のない世界の実現を願い、行動を積み重ねてきた。今回の国連を舞台とした核兵器禁止条約交渉会議も、その成果の一端ではないか。被爆者の発言に表れたこの思いは、日本国民全体のものと言ってよい。

ところが同じ日に、日本政府を代表する立場で、高見沢将林軍縮会議代表部大使は、核兵器禁止条約への交渉不参加を表明する演説をしたのだ。棄権ではない、明確な反対の立場。被爆者の心を逆撫でにし、「心が裂ける」までにすることを承知の上でのことである。

日本政府は、昨年以来このような立場で一貫してきた。その理由とするところに耳を傾けてみるのだが、およそ理解し難い。

「交渉には核軍縮での協力が不可欠な核兵器保有国が加わっておらず、日本が『建設的かつ誠実に参加することは困難』」、「核保有国抜きの禁止条約は実効性がないばかりでなく、『核兵器国と非核兵器国、さらには非核兵器国間の分裂を広げ、核なき世界という共通目標を遠ざける』」あるいは、「核軍縮と安全保障は切り離せない」「禁止条約がつくられたとしても、北朝鮮の脅威といった現実の安全保障問題の解決に結びつくとは思えない」「実際に核保有国の核兵器が一つも減らなくては意味がない」「日本は核拡散防止条約(NPT)強化や核実験全面禁止条約(CTBT)早期発効に努力する」などなど…。理解可能だろうか。

外務行政のトップである岸田文雄外相(広島一区選出!!)も本日(28日)午前、東京での記者会見で、「我が国の主張を満たすものではないことが明らかになった。日本の考えを述べたうえで今後この交渉に参加しないことにした」「核兵器国と非核兵器国の対立をいっそう深めるという意味で逆効果にもなりかねない」と弁明したという。さて、はたしてこれも理解できるだろうか。

政府も国民と同じく、核廃絶あるいは核軍縮という目標を共通にしているはずという前提でものを考えるから、理解ができないのかも知れない。「核は、安全保障に有効だから、どこの国にも保有の権利がある。」「核あってこそ平和が保たれるのだから、核あってもよい。いや、核はこの世にあった方がよい」。そう政府が考えているのなら、政府の発言はストンと腹に落ちるのだ。

核保有国が、易々と核兵器違法という条約に賛成するはずはない。いやいやながらも、賛成せざるを得ない条件を作っていくしかない。今回の条約交渉は、そのような努力の一つである。「核保有国が賛成しないから実効性を欠く」「だから反対」では、百年河清を待つに等しい。この日本政府の姿勢では、核兵器の違法化、核廃絶の目標に一歩も進まない。

昨年12月国連総会で、核兵器禁止条約の制定を目指す交渉会議開催が決議された。その決議を受けて、昨日から交渉会議が始まり、日本はこれに不参加の態度をとったのだ。昨年12月決議の提案者となったのは、オーストリアなど核兵器を保有しない50余りの国々。決議での賛否の内訳は、賛成113、反対35、棄権13という票差だった。被爆の歴史をもち今なお被爆者を抱える日本は、提案国にならないばかりか、賛成にもまわらなかった。棄権ですらなく、核廃絶を求める世界の世論に敢えて敵対する立場をとったのだ。日本の政府は、核廃絶を求める国際運動の妨害者として批判されている。

ある被爆者が怒りを込めてこう語っている。
「核保有国に抗議するのではなく、アメリカの側に立って非核保有国と敵対するという恥知らずな姿勢に怒りを感じる。安倍首相は“自主憲法を”といって憲法改定まで主張しているが、どこに自主性があるのか。広島出身の岸田外相は市民の前に出てきて説明すべきだ」

「核兵器禁止条約」制定に向けての交渉会議の前半スケジュールは3月27日から31日まで。その後5月ごろに最初の条約案を作成し、6月15日から7月7日までの後半の交渉スケジュールで条約を作り上げる見通しだという。核保有国や、日本政府の妨害に負けることなく、世界の反核勢力が力強い成果を生み出すことを期待して、見守りたい。
(2017年3月28日)

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