澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

靖國神社への参拝も真榊奉納も、そりゃ違憲だ。

普段は静かな靖國神社だが、春秋の例大祭と8月15日には格別の賑やかさを見せる。いま、その春季例大祭のさなかで、境内の賑わいよりは政治との関わりが喧しい。

靖國神社によれば、次の通りだ。
「靖国神社で最も重要な祭事は、春秋に執り行われる例大祭です。春の例大祭は4月21日から23日までの3日間で、期間中、清祓・当日祭・第二日祭・直会の諸儀が斎行されます。‥当日祭では、生前、お召し上がりになっていた御饌神酒や海の幸、山の幸などの神饌50台をお供えして神霊をお慰めし、平和な世の実現を祈ります。また、この日には、天皇陛下のお遣いである勅使が参向になり、天皇陛下よりの供え物(御幣物)が献じられ、御祭文が奏上されます。」

靖國に天皇の参拝は途絶えて久しいが、それでも同神社と天皇とはいまだに関係が切れていない。そして、靖國神社自らも「平和な世の実現を祈る」としていることが印象的である。軍国神社も平和を祈るのだ。

春期例大祭の初日に当たる昨日(4月21日)、高市早苗総務相が靖国神社を参拝した。私的な参拝なら、社頭で礼拝して賽銭をあげることで十分だろう。春の例大祭にこだわるのなら、土曜・日曜でも参拝は可能だ。にもかかわらず、この人の参拝は、ウィークデイの日中11時50分頃だったという。その時間帯からは、おそらくは公務の時間を割いての公用車での乗り付けだったに違いない。正式にこれ見よがしの昇殿参拝をして、「総務大臣・高市早苗」と記帳している。これが公式参拝でなくてなんなのだ。

「3年前に総務大臣に就任して以降、春と秋の例大祭の期間中や、8月15日の終戦の日に靖国神社に参拝しています」というのが、この人のコメント。玉串料は私費で納めたというが、どうやら、「総務大臣となった以上は、靖國神社参拝が責務」と思い込んでいるごとくである。

参拝を終えたあとの記者団に対する談話の内容が、「1人の日本人として、国策に殉じられた方々の御霊に対し、尊崇の念を持って、感謝の誠をささげ、ご遺族の皆さまのご健康と、平和を祈って参りました」と、報じられている。また、「中国や韓国の反発が予想されることには『国策に殉じられた方々の慰霊のあり方は外交問題であるべきではない』と強調した」という。

「1人の日本人として」の参拝というのはわかりにくい。まさか、「日本人2人分」の参拝はできまい。大臣あるいは公人としての参拝ではなく、普通の日本人としての、つまりは私人としての参拝という主張なのかも知れないが、そう端的には言わないところに含みがある。突っ込まれれば、公的資格における参拝、私的参拝、どちらにも言い逃れできる余地を意識的に残した表現のつもりなのだろう。

「国策に殉じられた方々の御霊に対し、尊崇の念を持って感謝の誠をささげ」は、常套句のようではあるが、やはりよく分からない。

まず確認すべきは、「靖國神社には戦没将兵の霊魂が存在する」という宗教観念をこの人が承認しているということ。憲法20条3項の政教分離原則は、行為者本人の認識に関わりはなく問題となるが、ここまで本人が宗教性を認識していることは、重要なファクターとなり得る。

戦没将兵を「国策に殉じられた方々」と言っているのは、なかなかに微妙な表現。「国に殉じた」のではなく「国策に殉じた」とは、国家政策の犠牲者というニュアンスがあることをこの人は意識していないのだろうか。

「尊崇の念を持って感謝の誠をささげ」は不可解である。なぜ戦没者は「尊崇の念」の対象になるのだろうか。また、「感謝」することとなるのだろうか。むしろ、率直に、「誤った国策によって命を落とした犠牲者とその遺族に対する、謝罪と不再戦の誓い」をこそなすべきであろう。

さらに、「国策に殉じられた方々の慰霊のあり方は外交問題であるべきではない」は、無理筋の発言。外交問題であるか否かは、優れて相手国のとらえ方の問題で、その口を封じることはできない。そして、何よりも閣僚の靖國神社参拝は、外交問題である以前に憲法問題ではないか。しかも、靖國神社こそは、国家の宗教性の払拭という問題だけでなく、国家が宗教を利用して国民を軍国主義に誘導したことへの反省という、政教分離の核心に関わる問題にほかならない。当然に、かつての侵略戦争や植民地支配の被害国からの反発は必至と考えねばならない。

ところが、菅官房長官は同日の記者会見で「外交への影響は全くない。外交問題にするほうがおかしい」と述べたそうだ。そりゃなかろうぜ。

「外交への影響は全くない」は事実認識の問題だが、「全くない」と考えることは明らかにおかしいし、その発言がさらに、相手国を刺激することになろう。

「外交問題にするほうがおかしい」は評価の問題だが、かつて日本の軍国主義の被害を被った国からすれば、日本政府の閣僚が軍国神社靖國の祭神に、「国策に殉じられた方々の御霊に対し、尊崇の念を持って、感謝の誠をささげる」と言うのだから、神経を尖らせざるを得ない。その上に、「外交問題にするほうがおかしい」と、文句を言うなといわんばかりの高飛車な姿勢。しかも、靖國神社の祭神の中には東条英機以下のA級戦犯も含まれているのだ。

高市だけではない。アベ晋三も同罪だ。同日、供え物の「真榊」を「内閣総理大臣 安倍晋三」の名前で奉納している。これ見よがしに、「内閣総理大臣 安倍晋三」という札を立てての真榊奉納、首相として、靖國神社という特定の宗教団体と、特別な関係を誇示する行為。目的効果基準から見て、政教分離に違反する許されざる行為と言わねばならない。

これに対して、菅官房長官は、記者会見発言で、「私人としての行動に関することであり、政府として見解は控えたい」と述べたという。そりゃなかろうぜ、菅さん。

「アッキード事件」を契機に、公人・私人論争が熱を帯びている。「私人」といえば、何でもできることにはならない。公務員の肩書きを明らかにし、公務員と公用車を使い、靖國神社に政府との特別の関わりがあることを示す効果があれば、これは政教分離違反だ。
(2017年4月22日)

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