弁護士河西龍太郎の「障がい者」訴訟についての取り組み
本日(7月10日)、久しぶりに河西龍太郎に会った。
彼は大学入学以来の親しい友人。司法試験の勉強をともにし、司法修習も同期で同じクラスだった。弁護士登録後ほどなく、私は盛岡で、彼は佐賀でそれぞれ法律事務所を開いた。よく似た弁護士活動をしてきた。
その彼から、先日事務所閉鎖の通知をもらって驚いた。「今般、河西龍太郎法律事務所を、5月1日をもちまして閉じることにいたしました」とあった。体調を崩してのことなのだが、とてもさびしい。
本日、彼の上京は、「『建太さんはなぜ死んだか』出版記念シンポジウム」に出席のため。この書は、彼が弁護団長を務めた「安永建太君事件」の顛末を斎藤貴男さんがルポとしてまとめたもの。「警官たちの『正義』と障害者の命」と副題が付いているこの書は、山吹書店から7月5日に発売されている。下記のURLを開いてご覧いただきたい。
https://www.amazon.co.jp/dp/4865380639
安永建太君事件の概略は以下のとおりである。
2007年9月25日、安永健太さんは自転車に乗って障害者作業所から自宅に帰る途中で、不審者と間違われ、警察官から後ろ両手錠を掛けられ、5人もの警察官にうつぶせに取り押さえられて心臓突然死をしてしまいました。
健太さんには中等度の知的障害を伴う自閉症スペクトラム障害があり、コミュニケーションが難しいという特性がありました。健太さんは警察官と相対していた時も、「アーウー」としか言葉を発していなかったそうです。しかし、警察官は誰一人として健太さんに障害があることに気づきませんでした。
家族は健太さんが死んでしまった原因を知りたいと思い、刑事裁判で健太さんを取り押さえた警察官の刑事責任の追及をするとともに、民事裁判(国家賠償請求訴訟)として健太さんを死亡させたことの損害賠償を佐賀県に求めました。
しかし、刑事裁判では健太さんを取り押さえた警察官は無罪となり、民事裁判でも、佐賀県の責任は認められないまま、裁判は終わりました。(「考える会」のパンフレットより)
「あらためてこの事件の本質は何であるか」という問に、斎藤貴男さんはこう答えている。
「刑事と民事、2つの裁判でそれぞれ争点となった、警察の『暴力性』と『障害者に適切な対応を採らなかった』ことの両方。いずれもこの国にもともと根強い忌まわしい風土だが、折しも事件当時以降、新自由主義の猛威によって、ますますその傾向が強まってきていることも遠因と考えてよいのではないか。共謀罪も明日(7月11日)から施行される運びで、このまま放置しておけば、こうした悲劇は幾度でも繰り返される可能性が高い。」
また、本日シンポジウムの資料として配付されたパンフレットには、次のように記載されている。
「安永健太さん死亡事件の本質は、『元気だった健太さんが、なぜ死ななければならなかったのか』、これに尽きると思います。言い換えれば、『もし健太さんに障害がなかったとしたら』、『もし警察官に障害についての知識があったとしたら』ということです。
健太さんに障害がなければ、死亡事件に発展したとは考えられません。知的障害や言語障害のあった健太さんは、警察官に取り押さえられたときに、唾を吐きかけたり手足をバタつかせるしかなかったのです。それが精一杯の意思表示だったのでしょう。警察官は、これを『抵抗』とみなし、『保護』の対象として容赦なく圧力を加えました。5人の警察官による渾身の圧力は、1人の若者を死に至らせるに十分でした。ついさっきまで元気に自転車をこいでいた健太さんは、十数分後には変わり果てた姿になってしまったのです。
悔やまれるのは、警察官に『障害』についての知識がなかったことです。5人の警察官の誰かが、普段から障害のある人と接していたり、障害の特徴についての理解があれば、結果は異なっていたにちがいありません。こうみていくと、安永健太さん死亡事件は、『障害ゆえの悲劇』であり、『無知がもたらした致死事件』と言ってさしつかえありません。
加えて残念だったのは、裁判の過程でこれらの点にまともに向き合ってもらえなかったことです。最大のテーマであった『健太さんが、なぜ死ななければならなかったのか』は明らかにされず仕舞いでした。結果として警察官の不当性は暴かれませんでした。
このままでは、好転の兆しにある『障害のある人もまちに出よう』の気運に冷や水を浴びせられたのも同然です。それだけではなく、障害のある人の命の基準値が引き下げられてしまいます。私たちは、今般の最高裁による不本意な決定を、安永健太さん死亡事件の本質である『健太さんが、なぜ死ななければならなかったのか』を社会みんなで考える新たなスタート台としたいと思います。二度と同じ悲劇がくり返されないために。
この事件で、警察官は特別公務員暴行陵虐罪で告訴されたが不起訴になった。これに納得し得ない遺族らが佐賀地裁に付審判請求を求め、これを支持する署名運動が取り組まれた。この点について、河西(弁護団長)が次のように述べている。
怒りの付審判請求署名
担当の検察官はようやく加害警察官を起訴するつもりになったようであるが、最高検は頭ごしに不起訴決定をした。佐賀の「考える会」はさっそく全国署名に取り組み、全国からの11万人の付審判請求署名を佐賀地裁に提出した。当時佐賀市の人口は10万人位であったろう。イ左賀地裁はびっくりして付審判請求を認めた。
本件は民事事件でも刑事事件でも警察官の違法性を認めなかったが、これは最高裁も知的障害者の権利救済には無力であるという赤恥を全国に洒したこととなる。今後は知的障害者の権利救済の運動を強化することが一番の課題となるだろう。
なお、付審判は検察官の起訴独占主義の例外として制度の紹介はどの本にも載ってはいるが、現実にはめったに認められない。1949年以降、延べ約1万8000人の警察官や刑務官など、公務員に対する付審判請求があったが、付審判が認められたのは23人であり、1人が係争中である他は有罪9人、無罪12人、免訴1人となっている(ウイキペディア)という。
河西龍太郎、じん肺闘争の先鞭をつけたことで名高いが、それだけではない。障がい者問題を含む人権課題でよく闘ってきたわけだ。
今日、彼から自分がデザインした「憲法擁護ハンカチ」をもらった。同じデザインの「憲法擁護たおる」もあるそうだ。それに、次の説明が付いている。これをご紹介しておきたい。
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「憲法擁護ハンカチ(たおる)」について
1 私は昭和17年生れですので、小学校入学当時に新憲法が施行されて2年目くらいの頃だったと思います。私の担任は若くて美しいY先生だったのですが、入学して間もなく「日本人は第二次世界大戦を深く反省し、二度と戦争をしないという決意のもとに軍隊を持たないという世界で唯一の平和憲法を制定しました」という話しをしてくれました。
2 私が弁護士になった頃は、自衛隊は自衛のための戦力であるので、合法だという考えに変わってしまいましたが、平和憲法がある限り、自衛隊が海外派遣されることはないだろうと考えていました。
3 しかし、今では一国の首相が、鉦や太鼓をたたいて改憲を叫びまわり、国民の半数近くも平和憲法の改正に賛成しているようです。平和憲法はまさに風前の灯の状況にあるといってよいでしょう。
4 私は日本の歴史を調べてみました。日本人というのは、ほとんど権力と闘ったことのない民族のようです。権力の横暴に立ち向かう力が弱い民族のようです。しかし、平和を愛する優しい心を持った民族であると思います。
5 そして、その優しい力を、今こそ護憲のために使わなければならない時期にあると私は考えます。
6 このハンカチ(たおる)は、みんな私がデザインしたものです。多くの方に使ってもらいたいと考えて、わざと「護憲」という文字は使っていません。しかし、デザインがユニークですので、気持ちは伝わると思っています。
7 このハンカチ(たおる)を多くの方に使っていただいて、利益が出れば護憲運勣に寄付したいと考えています。ご協力よろしくお願いいたします。
2017年5月 弁護士 河西龍太郎
(2017年7月10日)