澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

「現状変えればなんでも革新」? それはないでしょう

本日(11月29日)の毎日新聞夕刊で、詩人アーサービナードが、「日本語は消滅に向かっている」と嘆いている。彼は、本気で日本語の衰退を心配しているのだ。その最大の原因は安倍晋三に象徴される対米従属にあるという。鋭い詩人の感性がそう言わせている。

詩人でない私には、そこまでの危機感はない。しかし最近戸惑うことが多い。言葉が時代とともに移ろうことは避けられないが、これが急激に過ぎると、コミュニケーションに支障をきたすことになりかねない。

極端に至れば、真理省のスローガンとなる。
 戦争は平和である (WAR IS PEACE)
 自由は屈従である (FREEDOM IS SLAVERY)
 無知は力である(IGNORANCE IS STRENGTH)

既に、「保守」と「革新」のイメージが、若者層ではすっかり様変わりしていると話題になっている。
 革新とは、現状を変えること。
 保守とは、現状を肯定することだ。
 だから、「憲法改正」は革新で、「憲法守れ」は保守なのだ。
 したがって、自民党が革新で、共産党は保守である。

この「論理」は、「革新」の代わりに、「リベラル」あるいは「改革派」の用語でも語られる。これは、真理省一歩手前ではないか。

 改憲阻止運動をめぐる議論も込み入ってきた。「護憲的改憲論」もあれば、「改憲的護憲論」もあるそうだ。妖しげな人物が、「護憲のための改憲論」を喧伝している。「9条の理念を実現するための9条改憲論」、「保守に先制した改憲論」もあるという。はて、なんとも面妖な。問題は、言葉の変遷だけの問題ではなさそうだ。まさしく、真理省のスローガン状態。「新九条論」はさまざまなパターンに細分化しつつあるようだ。

たまたま、室橋祐貴という若いライターの文章を目にした。

若い世代の自民党支持率は高く、今回の衆院選でも、18~19歳の47%、20代の49%(ANN調べ)が比例で自民党に投票したという。しかし、けっして若者が「保守化」しているのではなく、若者基準では自民や維新こそが「改革」ないし「リベラル」で、「共産党」や「民進党」は現状維持の「保守」なのだそうだ。

「自民党支持の結果から、若者は「保守化」していると見られがちだが、若者から見れば、自民党は「改革派」であり、決して現状維持を望んでいる訳ではない」。なんだ、そりゃ?

「特に10代や20代前半にとっては政権末期の民主党や、民主党政権時代の「自民党=野党」のイメージが強く、「改革派」の自民党、「抵抗勢力」の野党(民進党、共産党)という構図で捉えているようだ。」という。

その室橋が紹介する若者の意見に驚かざるを得ない。

「自民党は働き方改革やデフレ脱却など、抜本的ではなくとも、悪かった日本の景気や雇用状況を改革しようとしているように見える」

「野党はアベノミクスに変わる経済政策の具体策を提示できておらず、単に自民党政権の政策を中止しろと言っているだけ。年功序列とか前時代的な給与・労働体系を守ろうとする現状肯定派であり、旧来の枠組みから脱出することのない保守的なものに映る」

そして、極めつけは、中学3年の男子学生(15)の言。「共産党や民進党は政権批判ばかりしていて、共産主義も過去の時代遅れの思想で古いイメージが強い。自民党は新しい経済政策で株高などを実現させており、憲法改正も含めて改革的なものを感じる」。

15歳が共産主義を「過去の時代遅れの思想」と言う時代なのだ。かつての天皇制権力は、15歳を洗脳して多くの軍国少年を作りあげた。今の資本主義社会は、労せずして、15歳を反共主義者とすることに成功している。資本主義批判のもっとも、根底的で体系的な思想としての共産主義が15歳児に貶められているということなのだ。

保守と革新の用語の使い方には、暗黙の前提があったはず。それは、歴史はある法則性をもって進歩していくという考え方だ。独裁から民主へ。権力の専制から人民の政治的自由へ。全体主義から個の確立へ。人権の軽視から重視へ。身分的差別から平等の確立へ。機会の平等から結果の平等へ。格差のない経済社会へ。戦争から平和へ。ナショナリズムからインターナショナリズムへ。そして、搾取と収奪と抗争を克服した社会へ…。

漠然としたものではあっても、このような歴史の進歩を押し進めようとするのが「革新」の立場であり、これを押しとどめようとするのが「保守」。歴史を逆行させようというのは、「反動」と呼ばれる。

現状を変更しようという試みも、それが歴史の方向から見て退歩であれば「保守」か「反動」の挙であって、「革新」とは言わない。その退歩を押しとどめようというのは、現状維持でもまさしく「革新」の事業である。

今、歴史のジグザグの中で、革新が十分な力量をもっていない。本来であれば、「革新」の立場は、よりよい憲法を目指す真の意味での改憲でなくてはならない。とりあえずは、天皇制を廃止して身分制度の残滓を一掃すること。ナショナリズムを克服して、全ての人種・民族に徹底した平等を保障すること。すべての人の生計の基盤を実質的に保障すること。国民世論の分布を正確に議会に反映する選挙制度を作ること、などが考えられる。

しかし、現実にはこれが難しいから、今精一杯現行憲法を守っているのが「革新」の立場。これを敢えて逆行させようというのが自民党。現状変更でも、「平和から戦争へ」という逆行の改憲なのだから、これを「革新」とは呼ばないのだ。ゆめゆめお間違えなきよう。
(2017年11月29日・連日更新第1704回)

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